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都合でしばらく休載します。
再開は7月20日を予定しています。
その間、コメントの公開やレスの遅れがありますが、
ご了承ください。
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第44回三田落語会・昼席「春風亭一朝・柳家三三」
日時:2016年6月25日(土)13時30分
会場:仏教伝道センタービル8F
< 番組 >
前座・柳家小かじ『道灌』
柳家三三『釜泥』
春風亭一朝『三枚起請』
~仲入り~
春風亭一朝『麻のれん』
柳家三三『鰍沢』
この会のプログラムの冒頭に「喜多八師匠と三田落語会」という喜多八の追悼文が掲載されていた。喜多八が「粋」そのものだと書かれている。うん、でもあれは「東京山手の粋」だね。経歴には練馬区の出身となっているが、マクラで本人は高田馬場の近くで育ったといって、よく少年の頃の周辺の思い出を語っていた。早稲田全線座でストリップショーをしていて、最後に出る踊り子が『都の西北 早稲田の森に』の曲で脱いでゆくというエピソードを紹介していたっけ。馬場といえば師匠の小三治の名前が浮かぶが、あちらも「山手の粋」だ。
芸人の中には芸に対する評価は高いが、仲間内では評判の悪い人もいる。多くの芸人仲間たちの追悼の弁を聞くと、喜多八は客からも芸人仲間からも愛され尊敬されていたんだなと、改めて思う。
「三田落語会」には28回出演し、50席を超える高座を務めたとあり、最大の功労者と言える。
三三『釜泥』
三田落語会は本寸法の古典落語がテーマなので、それに相応しい噺家が毎回出演している。それでも主催者の人選によるのか、噺家本人の意向によるのか分からないが、なぜあの人が出ないんだろうと疑問に思うことがある。その一人が三三だった。それに雲助が出ないのも解せない。喬太郎が初出演の時に、いきなり「本寸法って、オレじゃないんじゃねーの? 三三じゃねーの?」と語っていたように、名前が出なかったのが不思議だった。
その三三、ようやく昨年4月になって初登場、今回が2回目となる。
ネタは、いわゆる「月夜に釜を抜かれる」という諺から発したもののようで、釜が盗まれぬよう釜の中に座った豆腐屋の主が、いつか寝入ってしまった。そうとは知らず釜盗人が盗み出し、深夜に二人で担いでいうと釜の中で大きな声がして、驚いて釜を放り出して逃げていく。後に残った主が釜の蓋を取ると月夜が見える。
「しまった。今夜は家を盗まれた」でサゲ。
小噺に毛の生えた程度の軽いネタで、三三の高座もか~るく演じていた。
一朝『三枚起請』
マクラで、喜多八と名古屋で一緒に仕事したのが最後と、若い頃のエピソードも紹介し、喜多八を偲んで得意としていたこのネタを選んだと説明。この人の優しさを感じる。
気持ちが入っていたせいか、高座は上出来だった。花魁に騙された3人の男の描写が鮮明だ。それぞれの性格づけをしながら、人が良くて、ちょいとおっちょこちょいという江戸っ子の風情が描かれていた。半公が持っていた起請文を棟梁や清公が見てから、一度懐に手を入れて自分の起請文を確かめてから、「おめぇ、これ、どこかで拾わなかったか?」と半公に訊く所は丁寧な演出だ。
3人の男に囲まれて最初は当惑する花魁が、途中から居直り、最後は啖呵を切るという切り替えも鮮やか。
サゲが分かりやすいように、初めに熊野権現のお使いとしての烏や、「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という戯れ唄を説明しておいたのは親切だ。
アタシは、以前はこのネタより『文違い』の方が好きだったが、最近になってこの噺の面白さを再認識するようになった。
一朝『麻のれん』
季節にあった夏のネタで、扇橋以来入船亭一門の持ちネタになっている。一朝のものは初めて聴いたが、按摩の杢市がより可愛いらしく見え、一晩中蚊に食われた杢市があまり怒りを面に表さずに帰宅していく辺りに、一朝の人柄が出ていた。
一朝の高座は、いつも聴き終ってから気分が良い。
三三『鰍沢』
マクラを含めてほぼ6代目圓生の高座をなぞっていた。『鰍沢』といえば圓生の極め付だが、家にこのCDが2枚ある内の片方は名演だが、もう片方はあまり出来が良くない。名人圓生にしてもこれだけ出来にバラツキがある位だから、難しいネタなんだろう。
三三の高座は全体としては良くまとまっていたが、いくつか不満があった。一つは間に挟むクスグリだが、陰気な噺なので少し息抜きさせようという意図は分かるが、流れを壊している。もう一つは男が、女が昔吉原で敵娼(あいかた)に出た花魁だったと知って、ちょいと気を緩める場面が圓生には見られるが、三三にはなかった。男女のこうした微妙な関係が表現されているかどうかは、このネタの勘所だと思う。
アタシの三三に対する全般的な評価だが、上手いとは思うが心を打たないのだ。グサッと来るものがないので、常に物足りなさが残ってしまう。
自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合(自爆連)『あたらしい憲法草案のはなし』(太郎次郎社、2016/6/22初版)
書籍といってもパンフレット程度のボリュームで、内容はタイトル通りの自民党が作成した憲法改正草案(以下、草案)の解説だ。文章は、現在の憲法が決められた時に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』の文体をまねたもので、いわばオリジナルのパロディ風の作りとなっている。
ただ、著者が前書きにも書いている様に、出来るだけ草案の作成者の意図に沿うように書かれている。
言葉というのは難しく、例えば「原則としては・・・」とか「基本的には・・・」という時は、原則や基本以外の例外を認めることを意図している場合だ。この草案を読む時も、文章に裏にある作成者の意図をつかむことが大切だ。
自民党は結党当時から憲法改正を党是としてきた。しかし草案を読むと、彼らが現憲法の一部や条文改正なんて生ぬるいことなんかやめて、一から根本的に作り変えるという明確な意思を感じる。つまり部分的な条文の改正ではなく、根本原理を変えようとしている。
その典型は、現憲法が「国民を主人公」にしているのに対し、草案は「国が主人公」になっている点だ。憲法全体の理念は前文に示されているのは共通だが、現憲法の書き出しが「日本国民は・・・」となっているのに対し、草案では「日本国は・・・」となっている。現憲法は国民あっての国家であるという立場だが、草案は国家あっての国民なのだ。
現憲法では国民が国(権力)に対して憲法を守ることを命令しているが(立憲主義)、草案では国が国民に憲法を守ることを命令している。
本書では、草案の作成者たちの意図をこう解説する、今の憲法で「国民主権」なんて書いてるもんだから、国民はすっかりいい気になって国に権利を主張する。こうした行き過ぎを是正し、国民は公益や国防のために努力してから権利を主張しろと。
以上を基本に草案の特徴をまとめてみると、こうなる。
・国民の権利の縮小
・戦争放棄の放棄
・基本的人権の制限
以上は、実際に草案の条文全体を読み、作成者の意図を慮ると明白になる。
加えて、最も恐ろしいのは「緊急事態条項」である。
緊急事態になれば内閣は自由に法律(と同等の政令)を作ることができ、予算も自由、地方自治体への命令も出せる。さらに国民もこれに協力する義務を負う。
緊急事態を決めるのは総理大臣であり、国会承認は事後でも構わない。100日を超えれば国会の事前承認が必要になるが、裏返せば100日を超えなければ国会の事前承認は不要だ。
第二次大戦前のドイツでヒトラーが、この「緊急事態条項」を使って、ワイマール憲法を改正することなく独裁体制を構築したのは、記憶に新しい。
もしこの草案通りになったらと考えると、暗澹たる気分になる。
ここで紹介した草案の内容は全体のごく一部で、本書には草案全文も掲載されているので参考にして頂きたい。
現在のところ、現憲法を一気に変えて草案を制定する状況ではないかも知れない。しかし、自民党がこうした意志を持っており、この草案の方向で国民を導こうとしているのは明白だろう。
2時間程度で簡単に読めるので、興味のある方は是非ご一読をお薦めする。
(6/25 一部を加筆)
米国の植民地としての沖縄
戦後の米軍占領下の1951年に、日本は連合国(但しソ連、中国などは不参加)との間でサンフランシスコ講和条約を締結(発効は1952年)するが、同じ日に「日米安保条約」を結ぶ。両条約はセットとなっており、安保と引き換えに講和条約を結ばされたのは明らかだ。もちろん、米軍の占領下だったので、いずれの条約も「押しつけ」である。いま改憲を主張する人々が「押しつけ憲法」を叫ぶが、不思議なことに彼らが「サンフランシスコ体制」や「安保条約」を押しつけだと非難するのを聞いたことがない。安保が憲法をも超える超法規であるにも拘わらずだ。
安保条約により、アメリカは「望む数の兵力を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を確保」(ジョン・フォスター・ダレス)した。
一方の講和条約では、沖縄を米国施政下に置くことにし、沖縄は引き続き米軍の占領状態が続く。米軍は沖縄の住民から強制的に土地をとりあげ、次々と基地を建設してゆく。1972年に沖縄が日本へ復帰するまでの27年間は、アメリカの植民地扱いだった。
アメリカにとって沖縄は、戦利品だったわけだ。
土地を奪われた農民たちは生きていけない。さすがに見かねた米軍は世界に沖縄の人たちの受け入れ先をさがし、南米のボリビアだけが移民の受け入れ可能と分かると、500世帯単位で移住させた。しかしボリビアでは山を切り開いて畑を作らねばならず、とても惨めな生活を強いられる。彼らはアメリカからも日本からも見捨てられた「棄民」に等しい。
かくして沖縄は日本全土の0.6%しか面積の所に、74%の米軍基地が集中するという今日の事態に至った。
日本の植民地としての沖縄
2013年の朝日新聞の世論調査では、日米安保条約を支持する人は81%だった。一方、憲法9条は変えない方がいいと答えた人は52%だ。
この結果について著者は、「日本は平和な国と思いたいが、米軍基地がないと不安だ」と思っている人が多いのではと書いている。
もっと言えば、米軍には守って欲しいが近くに米軍基地が置かれるのはイヤだという考え方だ。その人たちにとって、米軍基地の大半を引き受けてくれている沖縄はとても好都合だと映るんだろう。沖縄の基地撤去闘争に対して本土の世論が概して冷たく感じるのも、そのせいだ。
1879年に琉球王国は日本の領土となるが、この時の琉球王は明治政府に対し軍の基地だけは置かないでくれと要請するが、政府は「軍隊をどこに置くかは政府が決める」とはねつけ、結局沖縄に日本軍の基地を作ってしまった。
このセリフ、最近どこかで聞いた気がしませんか?
そう、沖縄で辺野古への移転運動が起きて基地反対派が市長に当選したとき、自民党幹部は「基地をどこに置くかは政府が決める」と言い放った。沖縄に対する中央政府の態度は、明治時代と変わらない。
もし同じことが本土の中で起きたら、政府の態度は違っていた筈だ。
明治時代に沖縄を日本領土とした際には、日本の宗教を信じるように、日本語をしゃべるように、名前を日本風に変えるようにという「同化政策」が行われた。これは植民地化そのものだ。
植民地支配の要諦はアメトとムチであり、それは現在の日本政府の沖縄に対する態度そのものといえる。
いま「憲法9条を世界遺産に」という運動が進められている。これに対し著者は、安保条約がある限り、沖縄の米軍基地がある限り、日本がアメリカの核の傘の下にある限り、世界からほめて貰えるとは思えないと指摘している。「国の安全を軍事力に頼らない」という9条の精神が、現実とはあまりに離反しているからだ。
私も憲法9条を世界遺産にとか、ノーベル平和賞をという運動には賛成できない。
それは名実ともに9条を実現させてからの宿題とすべきだろう。
『戦争するってどんなこと? 』という本の中の一部を3回に分けて紹介した。本書の中で著者は、憲法9条の完全な実現を終始うったえている。勇気のいることだし、困難もある。しかし、これだけは世界中で出来るのは日本だけなのだ。
「兵士の仕事」は人を殺すこと
日本では戦争というと国のために死ぬとか、命をかけるというイメージで捉えられることが多い。太平洋戦争では沢山の兵士が死んだので、その時の体験からそう考えるのだろう。
しかし、と著者はいう。兵士の仕事は人を殺すことだと。著者は3年間海兵隊の任務につき、予備役を含めれば10年間兵士としての訓練を受けてきたが、死ぬ訓練を受けたことは一度もない。もし死ぬとすれば、それは失敗したか、訓練が足りなかったか、運が悪かったからだ。
他の組織と違って軍隊の特徴は人を殺すことだ。だから兵士の仕事も人を殺すことになる。
しかし、人間は「殺せ」と命令されても簡単には人を殺せない。したがって相手を殺せるように、殺すことに対する抵抗を乗り越えるための訓練を行う。
先ず、相手を憎む訓練が行われる。相手が人間以下と考えられれば殺しやすくなる。相手を動物に例えるとか、悪と決めつけるとか。
2007年にイラクで、ロイター通信社のカメラマンとスタッフ十数人が、米軍のヘリコプター攻撃によって殺害されるという事件があった。この時の映像がウィキリークスによって公開された。
それによると、市街地を歩くイラク人数名が歩いていて、その中に武器を持っていると思われた人が一人いた(実際には武器ではなくカメラだったのだが)。ヘリの兵士は通信で本部に「撃ってよい」という了解を得て銃撃し、ほとんど皆殺しにする。生き残った一人の負傷者が道路脇にはっていこうとしていると、ワゴン車がきて怪我人を車に乗せようとした。そこを更に銃撃して、その人たちも撃ち殺してしまった。
銃撃のあと、全員が動かなくなったのを確かめたヘリの兵士は、「おお、みんな死んでる、ナイス」と言っている。
後から到着した米軍の装甲車が遺体の上を通ったら、ヘリの兵士たちは「いま遺体を轢いてる」「本当に?」と言って笑いあっていた。
彼らだって普通の市民だ。だが遺体に対する尊厳とか、遺体を踏みつけるのが異常だという感覚が失われている。そういう精神状態にならないと、戦争はやりにくいのだと著者は語っている。
戦場での兵士は「人を殺す」ことのストレスに加え、「殺されるかも知れない恐怖」「仲間が殺される」といったストレスを何重にも抱えることになる。
第二次大戦後のアメリカの研究によれば、兵士が連続して60日間戦場にいると、98%の人が精神に何らかの異常の兆候が出るという結果が得られている。だから米軍の兵士は60日を超えないように一定の期間、休暇を取らせることにしている。ベトナム戦争での休暇先はタイであり、日本の沖縄だった。
米国政府が原爆投下を謝罪しない理由
戦時国際法では兵士以外の民間人を殺傷することを禁じている。しかし飛行機が戦闘の主体になるにつれ状況は一変する。その範囲が武器や資材を運ぶ人たち(兵站、日本政府は「後方支援」と呼んでいるがマヤカシだ)への攻撃も許されるようになる。さらに拡大して武器や弾薬を作っている所なら爆撃してと良いとなった。
次の段階は、人が住んでいる所はどこでも空爆して良いとなり、やがて住民が住んでいる街を空襲すれば、そこに住んでいる人たちが政府に戦争を早くやめるよう圧力をかけるので、結果的に被害は少なくてすむという理屈になってきた。
アメリカが広島と長崎に原爆を投下したのは人道的だとしている論拠はここにある。アメリカは現在もこうした考え方をしている。
もし原爆投下を謝罪したなら、それは二度と核兵器を使わないと約束したことになる。これでは抑止力にならない。相手に使うかも知れないと思わせないと、抑止力が生まれない。謝罪しないのは、米国の軍事戦略上できないからだ。
米国に限らず核兵器を保有している国はすべて、軍人や民間人の区別なく皆殺しにするという覚悟を持っているということになる。
なぜ大量の「難民」が生まれたか
現在の戦争は人の生命を奪うだけでなく、多くの人の生活をも奪っていく。人が住んでいる場所が戦場になると、そこに住んでいた人たちの故郷と生活基盤も奪われる。人々は住む場所も仕事も学校もすべて失い、自立して生きてゆくことが出来なくなる。これらの人びとを「難民」と言う。
第二次大戦後に起きた最初の大規模の「難民」は、「パレスチナ難民」だ。イスラエルによって故郷を追われたパレスチナ難民の数は、現在までに470万人にのぼっている。この人たちは世代を超えて70年近くも難民として生きることを余儀なくされている。
現在も世界各地の紛争地域で難民は生まれ続け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、その数は4520万人に達している。単純に計算すれば世界の155人に一人が難民ということになる。
UHNCRの活動資金は各国の自発的拠金によって賄われているが、活動資金3520億円のうち63%しか集まっていない(2012年実績)。
私から言わせてもらえば、難民を生んだ原因を作った国が負担すりゃいいじゃないかと思うのだが、そうなってはいないようだ。
C.ダグラス ラミス『戦争するってどんなこと? (中学生の質問箱)』(平凡社、2014/7/9初版)
この本は、タイトルにある通り中学生たちからの質問に答えるという形式で書かれている。「戦争ってなに?」「軍隊って何をするところなの?」といった極めて初歩的な質問に、著者がやさしく回答をしている。しかし、基本的なことだけに改めて説明を読むと、「ああ、そういう事だったのか」と納得させられる。著者が元米軍海兵隊の将校だったということもあり、具体的な内容にもなっている。
やさしいが深い中身になっているので、何度かに分けて内容の紹介と、私自身の見解を付け加えてみたいと思う。
まず著者の経歴だが、1936年アメリカ・カリフォルニア生まれで、カリフォルニア大学バークレー校卒業後、志願して海兵隊に入隊。3年間将校として勤務するが、最後の1年は沖縄基地での勤務となった。まだ返還前の米軍占領下の沖縄の現状を見て除隊し、大阪外国語大学で2年間日本語を学ぶ。その後アメリカに帰国し、カリフォルニア大学の大学院で学ぶが、ここで公民権運動やベトナム反戦運動を経験し、意識が変わっていく。再び来日し1980年から津田塾大学教授として勤務、2000年の同大を退職後は沖縄に住み、沖縄国際大学で教鞭をとりながら講演や執筆活動を行っている。
最初に著者は、戦後の日本人の憲法9条に対する意識の変化について述べている。
初めて著者が大阪外大に入った頃は周囲に戦争を経験した人が多く、「戦争を知っている、だから二度と戦争には行かないし子供たちにも行かせません、だから憲法9条にそう書いてあります」という意見を持っている人が大半だった。
ところが、10数年後に日本の大学で教えるころになると、「憲法9条に戦争をしないと書いてある、だから私たちは戦争することができない」という意見に変わってきた。
戦争しないという意志が先にあって後から憲法がきているのと、憲法が先に来てだから戦争ができないというのでは、大きな違いがある。前者では自分が主語だったが、後者では自分は目的語になっている。
著者は、日本人の憲法9条に対する思いが弱くなっていると感じている。
「交戦権」とは「戦場で人を殺す権利」
近代国家が暴力を持つ権利は3つある。
①警察権:警察官はピストルで相手を撃っても任務であれば処罰されない。国家が警察権という人に対して暴力をふるう権利を持っている。
②刑罰権;裁判で有罪判決がでれば、国家は刑務所に監禁したり、死刑であれば殺しても罪にならない。
③交戦権:国が戦場で人を殺したり、財産を破壊したりする権利。
欧米などでテロリストが殺人を犯せば厳しく罰せられるし(刑罰権)、容疑者を射殺することができる(警察権)。
しかしアメリカなどがアフガニスタンやシリアで空爆を行い、日々沢山の民間人が殺されても兵士は処罰されない。なぜなら戦場で人を殺してもよいという「交戦権」があるからだ。厳密にいえば「宣戦布告」抜きの戦闘なので、これが戦争と言えるかどうかという法的問題はあるのだが。
反面、交戦権があるということは相手国がアメリカに攻撃しても、それは違法ではない。第三国にあるアメリカの基地が戦闘に使われていれば、相手国はその基地を攻撃することも出来る。
日本国憲法第9条では
【第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。】
と定めていて「交戦権」を持っていないので、日本は合法的に戦争はできない。
第二次大戦後に日本が、一度も戦争で人を殺したり殺されたりしたことがなかったのは、そのためだ。
世界で軍隊を持っていない国はあるが、法律で「交戦権を保持しない」ことを定めている国は日本だけと筆者は語っている。
自衛隊がPKOで海外に派遣されているが、交戦権がないので武器の使用は刑法36条、37条に該当する場合に限定されていて、それ以外で人に危害を加えることは許されていない。
刑法36条は、正当防衛の行為の場合は罰せられないという法律で、37条は緊急避難条項で、危機を避けるためにやむを得ずした行為は罰せられないという法律だ。
「自衛隊」の当初の任務は「国内治安維持」
1950年に朝鮮戦争が始まると、アメリカ占領軍の多くは朝鮮半島に出撃してゆく。そうなると米軍最大の任務だった日本国内の秩序を維持することを肩代わりさせる組織が必要になった。そこで日本政府に命じて「警察予備隊」を作らせた。当時は国内でデモやストライキが頻発しており、それを抑える意味合いもあった。やがて警察予備隊は自衛隊となってゆく。
現在の自衛隊の任務にも「公共の秩序の維持」が定められている。
【第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。】
軍隊というと外国との戦争と結び付けがちになるが、実際には国内の秩序維持も重要な任務だ。過去の歴史を振り返るまでもなく、この言葉は国民への弾圧と同意義である。20世紀に戦争や紛争で亡くなった人の数は、外国の軍隊からより、自国の軍隊によって殺された人の数がはるかに多いというという推計がある。
軍隊にはそうした二面性があることに十分注意した方が良い。
戦地での医療活動は国際人道法で保護されており、1949年のジュネーブ条約にも正式に記載されている。
また故意による病院への攻撃は国際人道法のみならず、国際刑事裁判所によって戦争犯罪として規定されている。
ところが、アフガニスタンやイラン、イエメンなどの紛争地域では空爆により多くの医療施設が攻撃の対象となっている。それがどれだけ酷いものかは数字が物語っている。
シリアのダマスカス周辺の「国境なき医師団(MSF)」関連の医療施設への攻撃により、2015年1年間だけで下記の様な被害を受けた。
医療施設への攻撃 94回
救急車への攻撃 16回
攻撃で全壊した医療施設 12軒
死亡した医療スタッフ 23人
負傷した医療スタッフ 58人
これはダマスカス周辺地域だけの被害であって、全体の規模は計り知れない。
今年になってからも医療施設への攻撃は激しさを増している。
新年から2月中旬までの1か月半の間に17軒もの医療施設が空爆を受け、14人のスタッフの命が奪われた。
4月27日にはアレッポの小児病院が空爆を受け、子どもや医療スタッフあわせて55人が死亡している。この攻撃でアレッポにいた最後の小児科医が命を落としている。
イエメンでもサウディアラビアが介入して以来、空爆による医療施設への被害が拡大しており、今年1月にはイエメン・ラゼーでの病院への空爆で6人が死亡、7人が負傷した。
こうした被害を見ていくと、これらが単なる巻き添えや誤爆ではなく、戦略的に行われていると考えるべきだろう。その典型が「ダブル・タップ攻撃」と呼ばれるものだ。これは最初に攻撃を仕掛けて、人々が救援にかけつけたところを再び狙って攻撃するというもので、明確な国際法違反だ。
しかし現実には、こうした卑劣な攻撃により大きな被害を受けているのが現状だ。
MSFは紛争関係国に当事者としての説明責任を果たすよう求めているが、反応はないようだ。
MSFの医療機関が受けた最大の被害は、2015年10月3日に起きたアフガニスタンのクンドゥーズ外傷センターへの攻撃だ。
アメリカ軍が午前2時8分から3時15分まで、15分間隔で爆撃を繰り返した。主要病棟が正確に爆撃されていて、殺害と破壊を意図したものであることは明らかだった。爆撃当初からMSFは米軍に対し電話などで繰り返し空爆の中止を求めたが、攻撃はやまなかった。
この空爆で患者24人、付き添い4人、医療スタッフ14人が命を落とした。
MSFは攻撃の4日前にアメリカ軍に対して病院のGPS座標を伝え、屋上にはMSFのロゴマークも設置していた。
この事件についてMSFは米軍、NATO軍や国際事実調査委員会に調査を求めている。
また、米国オバマ大統領に対しこの事件の調査に同意するよう、世界各国から署名が寄せられている。
しかし、現在までにいずれも調査協力は得られていない。
これら地域の紛争関係諸国は、明らかかな戦争犯罪である医療施設への攻撃を直ちに中止すべきであり、過去の事案についての調査と責任を明確にすべきだ。
「花形演芸会スペシャル~受賞者の会~」
日時:2016年6月19日(日)18時
会場:国立演芸場
毎年恒例の「国立演芸場花形演芸大賞」の受賞者の演芸会が行われた。
平成27年度(2015年度)の各賞の受賞者は以下の通り。
〔大賞〕 蜃気楼龍玉
〔特別賞〕神田阿久鯉
〔金賞〕 三遊亭萬橘、笑福亭たま、ロケット団
〔銀賞〕 ホンキートンク、桂吉坊、瀧川鯉橋、古今亭文菊(当日休演)
複数の審査員が1年間の高座を採点して、点数の多い順から授賞者を決めるという方法で選出するルールとのこと。採点基準は「技芸が優れている」ということらしいが、それ以上の細かな事は分からない。
今年でいうと、大賞の蜃気楼龍玉は意外だった。過去の大賞受賞者を見ていくと、実力だけではなく人気度も加味されていると感じていたからだ。龍玉は人気という点では過去の受章者と比べ見劣りすると言えよう。そういう意味では、今年は実力本位で選んだと思われる。
< 番組 >
前座・入船亭辰のこ『十徳』
瀧川鯉橋『犬の目』
桂吉坊『蔵丁稚(四段目)』
ホンキートンク『漫才』
笑福亭たま『火焔太鼓』
神田阿久鯉『天保六花撰ノ内”玉子の強請”』
―仲入り―
平成27年度 花形演芸大賞 贈賞式
<司会:桃月庵白酒>
桃月庵白酒『新版三十石』
三遊亭萬橘『看板のピン』
ロケット団『ロケット団』
蜃気楼龍玉『夏泥(置き泥)』
鯉橋『犬の目』、ここに登場する眼医者・シャボン先生は3分に一度は冗談を言って患者をなごませるという。医者が新しい冗談をいうと、患者が「もう3分たちましたか?」と訊くクスグリが面白かった。おそらく古典を新しい感覚で演じるのが得意かと思われる。軽いネタだが良い出来だった。
この花形演芸大賞での落語家の受賞者は、落語協会所属に偏っている。ここ10年位の記憶では、芸協で大賞を取ったのは三遊亭遊雀ぐらいだと思う。もっとも遊雀は直前までは落協に所属していたので、純然たる芸協出身とは言えない。芸協の噺家が総じて落協に劣るとも思えず、上を目指して頑張って欲しい。
吉坊『蔵丁稚』、時間の関係で短縮していたが、ネタのツボはしっかりと押さえていて、相変わらず結構な高座だった。忠臣蔵四段目の判官切腹の場面では、場内が水を打ったように静まった。この日の高座に限れば吉坊が大賞でも可笑しくない。
ホンキートンク『漫才』 、ボケ役の異常なハイテンションには付いていけない。
たま『火焔太鼓』 、マクラで『ショート落語』を披露して、場内を爆笑させてネタへ。アタシが一番面白かったのは「シンクロナイズド・ドリアン」。『火焔太鼓』 だが、たまに言わせると「こんなとこ、いらんと違うかな」という箇所がいくつか有り、そこを削って11分で仕上げた。確かに噺のエッセンスは詰め込まれており、300両ときいた道具屋のおかみさんがオシッコをちびりそうになり、オマルにまたがるというギャグを入れたのと、サゲを変えていたが、面白く聴かせていた。いくつかカム場面があったのが残念。
阿久鯉『天保六花撰ノ内”玉子の強請”』 、講釈の中身を勝手に分けてみると、英雄豪傑を描くヒーローもの、侠客や泥棒などを描くアウトローものに大別されると思う。この中でアウトローものは必ずといってよいほど、啖呵を切る場面がある。女流には苦手と思われたが、最近は啖呵の切れる女流が増えてきた。
この演目でも河内山宗俊が悪徳店主から100両強請るときに啖呵を切るのだが、阿久鯉の啖呵は鮮やかだった。
『花形演芸大賞 贈賞式』、司会は白酒。
主催者の日本芸術文化振興会理事長・茂木七左衞門氏の挨拶では地口が披露された。講評をダラダラやる人がいて閉口することがあるが、この日の講評は簡潔でよかった。
司会者が言っていたが、受賞者の胸中は誰もが嬉しいとは限らない。本当に喜んでいるのは大賞受賞者だけだろうし、他の人たちは口惜しさが半分だろう。過去の受賞者でも明らかに不満を表に出す人もいた。アタシの見立てでは、当日に欠席した人は大抵が審査に満足していないと思った方がいいい。
厳しい競争社会だから、致し方ない。
白酒『新版三十石』、ゲストで、弟弟子の龍玉にプレッシャーを与えるマクラを振って、この日は得意のか~るいネタで。
萬橘『看板のピン』、アタシはこの人を二ツ目時代から買っていた。まとまりのつかないマクラを振って、はてどうなるかと思っていると、これがネタに入るとガラリ一変する。噺のリズムや「間」が独特で、とにかく可笑しいのだ。萬橘の高座を観ていると、落語は「上手さ」だけではないと実感する。
ロケット団『ロケット団』、脚の具合も良くなったせいか、調子を上げてきた。
龍玉『夏泥(置き泥)』、龍玉の語りは人情噺向きだ。地の語りは力強いし、セリフ回しもしっかりしている。反面、そうした長所が滑稽噺では「硬さ」となって表れてしまう。この日の様なネタではもっと軽く演じる必要がある。龍玉の課題が浮き彫りとなった高座だった。
池袋演芸場6月中席・夜の部「芸協真打昇進披露興行」
前座・三遊亭遊かり『寿限無』
< 番組 >
柳亭明楽『饅頭こわい』
マグナム小林『バイオリン漫談』
三笑亭可龍『こうもり』
桂小文治『粗忽の釘』
Wモアモア『漫才』
神田松鯉『谷風の情相撲』
三遊亭小遊三『六尺棒』
~仲入り~
『真打昇進披露口上』高座下手より司会の可龍、圓馬、新真打3名、松鯉、小遊三
橘ノ圓満『あくび指南』
神田鯉栄『祐天吉松』
三遊亭圓馬『手紙無筆』
東京ボーイズ『ボーイズ』
三笑亭可風『壺算』
池袋演芸場6月中席は、今年5月に誕生した落語芸術協会の新真打、きらり改メ神田鯉栄、橘ノ圓満、可女次改メ三笑亭可風、3名の昇進披露興行。その7日目に出向く。会場は一杯の入り。
芸協の真打披露興行では、落協と異なり全員が毎日出演する。だから、いつ行ってもお目当てが見られるという点が特長だ。この日もそれぞれの高座にファンから温かい声援が飛んでいた。
明楽『饅頭こわい』、お初。滑舌が良くなく噺も上手いとは言えないが、どこか可笑しい。こういう人は得だ。
可龍『こうもり』、若手だが落ちついた高座で口調も明快だ。ネタはアマチュアの落語好きな人が小朝のためにこしらえた新作らしい。
筋は、飲食店の店長がケガをしていたコウモリを助け手当して森に放す。翌日の「あおいちゃん」と名乗る若い女性が店に現れるが、彼女は助けて貰ったコウモリで、恩返しに店を手伝うと申し出る。美人で気立てが良いので店は繁盛。
ある日、店内で客同士が喧嘩を始め、仲裁に入った店長までが殴られて流血してしまう。これを見ていた娘は喧嘩をしている客二人の首筋にかみつき血を吸って貧血で倒してしまう。
折りから急に雨が降ってくると、店長の出血がとまってしまう。
「これぞまさしく、雨降って血(地)固まる」でサゲ。
『鶴の恩返し』と『吸血鬼』を合わせたような作品で、可龍が演じる「あおいちゃん」が愛らしかった。
小文治『粗忽の釘』、粗忽物の大工が隣家に出向いて、肝心の要件そっちのけで、所帯を持った当時のノロケ話を嬉しそうに語る所が良かった。でもこの女房のあの頃の優しさはどこへ行ってしまったんだろう。
Wモアモアや、後半に出た東京ボーイズ、こうしたベテランの色物の人たちが元気な高座を見せてくれたのは嬉しい。落協のベテラン漫才師たちが高齢で亡くなったり病気で休んでいたりと状況を見ると、余計にそう感じる。
松鯉『谷風の情相撲』、元々は講釈ネタだが、今では落語の『佐野山』の方がお馴染みになった。元々相撲はスポーツというよりショー的な要素が強い。公正だなんだと言うが、審判である行司が各相撲部屋に所属してなんて、純粋なスポーツでは有り得ない。大鵬の全盛期には、彼の取組の2番前には必ず呼び出しが土俵上に水を打つことが慣例化されていた。大鵬が最も好んだ土俵の状態を準備していたわけで、これが大相撲の世界だ。
小遊三『六尺棒』、まあ、こんなもんでしょう。
『真打昇進披露口上』では、可風の師匠の可楽が休席しているので惣領弟子の(ってたって、二人しかいないが)可龍が代りを務めていた。それぞれの師匠から温かい励ましの言葉が掛けられていたのが印象的だった。最後は小遊三のブラックジョークで締め。
圓満『あくび指南』、52歳の真打昇進はハンディになるかも知れないが、元々この人の芸からすれば、数年前に昇進させても不思議ではなかった。3代続いた江戸っ子で、老舗料理屋の跡取りだったというから、落語を地で行くような人生を歩んできたことになる。かつては落語家の「御贔屓」の立場だったのだ。
夏場の昼下がりにあくびを教えるというのんびりとした世界と、習いにきた遊び人の威勢のいい男との対比が巧みに描かれ、いい出来だった。客席の小さな坊やが大受けしていた。
鯉栄『祐天吉松』、元旅行会社の添乗員だったという。女流ながら男になりきった様な高座スタイル。講談は一声、二調子、三啖呵と言われるが、師匠が言うように声が大きいし何より啖呵の切れが良い。落語界と異なり、講談の世界では次々と有望な女流が生まれている。
演題は三夜連続ものだそうで、スリの世界から足を洗い、堅気の大店の婿養子になった祐天吉松が、昔の仲間に脅され200両もの金を渡してしまう。覚悟を決めた吉松がその仲間を殺害しようとするが、却って逆襲される・・・、と今日はここまで。
元は浪曲で、映画化された程の有名な作品だ。
圓馬『手紙無筆』、新真打の圓満の師匠・橘ノ圓が1昨年死去したため、兄弟子だった圓馬が圓満の師匠となった。真面目くさった顔をして滑稽噺をする、その落差が面白い。
可風『壺算』、経歴が故古今亭志ん馬に入門したものの、4カ月後に師匠が死去して廃業。小笠原でウミガメの調査をしたり、インドやバングラデシュを放浪したりした後に、三笑亭可楽に入門した。昨今は、学校を出て直ぐに入門して芸人になる人が多いが、今回の真打3人はいずれも回り道をしてから入門しているのが共通点だ。でも、そうした経験は必ず芸に活かされる様になる。
可風は、風貌が亡くなった上方の枝雀にちょっと似ている、不思議な雰囲気を持った人だ。マクラで爺さんと婆さんの会話を使ったいくつか小噺を披露したが、これがやたら可笑しい。このマクラで客席をしっかり取り込んでいた。
ネタに入って筋の運びや会話の間が枝雀に似ている様に思われた。なかなか50銭まけてくれない瀬戸物屋の店主に業を煮やした兄いが、子どものころ50銭足りなくて父親に酒を買って帰れず、それが心残りとなって父親の幽霊が出ると言って、50銭まけさせる所が独自か。頭が混乱する店主を上手に描いて客席を沸かしていた。
とにかく不思議な面白さを持った人で、これだけは見て貰わないと分からない。
おもね・る 【阿る】
《意味》気に入られようとする。へつらう。 「大衆に-・る」 「時流に-・る」
昨日、東京都の舛添知事が辞職した。辞職は当然としても、あの過剰な騒ぎには些か疑問を感じていた。
TV局の関係者の証言として、ワイドショーでは舛添問題を扱うと視聴率が高くなるので、毎日続けていたと言う。メディアの社会的責任でもなければ、権力の監視でもない。
石原慎太郎都知事時代の公私混同は、こんなものじゃなかった。桁違いだ。
飛行機のファーストクラス問題にしても、知事自身はもちろんのこと、随行員までがファーストクラスに搭乗していたとして議会でも問題になった。
公費(都民の税金)を使って私的な飲み食いをしたり、息子たちへの便宜を図ったりとやりたい放題だった。
しかし議会では共産党が問題を追及していた程度で、与党は黙認姿勢。
メディアも一部の週刊誌やネットのニュースがとりあげた程度で、TVなどの大手メディアはほとんど報道していない。
なぜ石原知事の時には大きな批判が起きなかったのか。
それは、石原慎太郎が強かったからだ。
大手出版社の多くは石原の著作を出版していて、その関係で出版社系週刊誌の筆が鈍っていた。
都議会議員も選挙で圧倒的に強かった石原と対決したくなかったので、見逃してしまった。
その結果、石原知事時代の負の遺産を背負った後任の猪瀬知事が、その責任を取る形となった。
そうした経緯を知る者として、あんまり舛添たたきには気分が乗らなかったのだ。
彼に同情する気は一切ないけどね。
年を取るとこういう事もあるんだ。開演に間に合うように余裕をもって5時30分に家を出るとホワイトボードに書いておきながら、妻から「あんた、もう6時25分だけど、大丈夫なの?」と言われて、慌てて家を飛び出した。完全に1時間錯覚を起こしていた。お陰で入場したときは、ちょうど吉坊の1席目『七段目』のサゲがついていた所だった。後の3席が聴けたのが不幸中の幸いか。
第5回「吉坊・一之輔 二人会」
日時:2016年6月13日(火)18時45分開演(19時25分頃入場)
会場:日本橋公会堂
< 番組(途中から)>
春風亭一之輔『百川』
~仲入り~
春風亭一之輔『臆病源兵衛』
桂吉坊『次の御用日』
落語を聴く楽しみに、「落語を聴く」と「落語家を聴きにいく」の二つがある。後者では円熟した噺家(例えば小三治、小満ん)の芸を楽しむ聴き方と、「上り坂」の芸を楽しむ聴き方に分かれる。もちろん、それぞれに意義のあることだが、アタシはどちらかと言えば「上り坂」の芸を聴くことに重点を置いている。理由は、「上り坂の芸」というのはその時しか聴けないからだ。後になって気がついても、もう手遅れだ。
この日の吉坊、一之輔の二人は間違いなくただいま「上り坂」の真っ最中と言える。
芸風は対照的で、吉坊は米朝一門の本流とも言うべき本寸法の真っすぐな芸だ。対する一之輔は教わったネタを自分の世界に取り込んで演じているように見える。客の反応に敏で、同じネタを翌日に聴いたら、もう一部変えているというのが一之輔の特長だ。努力型vs.天才型といったら、言い過ぎになるかな。
一之輔『百川』、冒頭で前方の吉坊の『七段目』を讃えていた。聴きたかったなぁ。自分の持ちネタでもあると言っていたが、ぜひ一度聴いてみたい。マクラで江戸っ子の話題にふれていたが、今の落語家で江戸っ子というのは稀だ。先代小さんは長野出身だし、圓生は新宿区柏木出身だが本人によれば戦前は東京府下豊玉郡内藤新宿だったので東京市内でもなかったそうだ。そうなると江戸っ子の範疇には入らないだろう。
ネタを紹介した後で、これは実際にあった話としながら、聴き終わったら実際にはありっこないと分かると言っていた。その通りだろう。
人物設定が喜多八の高座に似ていると思った。奉公人の百兵衛が可愛らしい。河岸の若い衆との珍問答を繰り広げたあげく、くわいのキントンを丸飲みさせられる。この苦しみ方が真に迫っていた。百兵衛が2度目に座敷に上がった時に、机の上にあったサザエのつぼ焼きを丸飲みしてみせると啖呵を切って、河岸の若い衆を慌てさせる場面を加えていた。素朴な田舎者の様でいて、最後に若い衆から「この間抜け!」と怒鳴られると、「”かめもじ”と”かもじ”、間抜けじゃねぇ、”め”が抜けた」でやり返す所なぞ、百兵衛のしたたかさを感じさせる。
それぞれの登場人物が生き生きと描かれ、いい出来だった。
一之輔『臆病源兵衛』、マクラで子供の頃、姉の部屋に貼ってあったユーミンのポスターの顔が怖かったというエピソードを語っていた。1席目もそうだが、マクラがちゃんとネタにつながっているのに感心する。
10代目馬生が得意としていたネタで、今は雲助一門によって演じられている。息を吹き返した八五郎が、正塚婆さんに似た老婆に、
「ここは地獄ですか」
「いいや、娘のおかげで極楽さ」
というサゲから見て、一之輔は雲助一門の誰かから教わったものと思われるが、既に持ちネタとして十分に仕上がっている。
吉坊『次の御用日』、初だったので粗筋を紹介する。
安堂寺町の商家「堅気屋」の丁稚・常吉が遅い昼飯を食べていると、主人の佐兵衛から娘のお糸が縫物の稽古に行くのでと供を頼まれる。
常吉とお糸のふたりは、「住友の浜」と呼ばれる長堀川の川岸にさしかかるが、ここら辺りは日中でも人通りが少なく、ふたりとも心細くなる。
そこへ堅気屋の持つ借家に住む纏持ちの天王寺屋藤吉という大男が、自分の法被を頭の上にかざして歩いてきた。二人は気味悪いのでとっさに天水桶のかげに隠れるが、怖がっているのを知った藤吉は二人の上に法被を覆いかぶせて、大声で「アっ!!」という奇声を発する。
ショックでお糸は気を失い、やがて正気に戻るが健忘症になってしまう。怒った主人は御番所に訴え、町奉行のお裁きとあいなる。
奉行は最初に常吉の証言を聞き、藤吉に真偽を確かめると藤吉は頑強に否定する。しかし常吉の証言が事実と判断した奉行は、藤吉に罪を認めるよう迫る。
「先月13日、糸のこうべの上にて『アっ!!』と申したであろう?」
「とおやん(商家のひとり娘をさす通称)のこうべの上で『アっ!!』と申したもんなら『アっ!!』と申したと申しますが、『アっ!!』と申さんものは『アっ!!』と申さんと申すより、いたしかたございません」
「おのれ、『アっ!!』と申しておきながら『アっ!!』と申さぬなどとは不届きな。『アっ!!』と申したものなら『アっ!!』と申したと申してしまえ!」「いかほど申されても、わたくし『アっ!!』と申したもんなら『アっ!!』と申したと申しますが、『アっ!!』と申さんものは『アっ!!』と申さんと申すよりいたしかたございません」
「おのれ・・・、『アっ!!』と申しておきながら『アっ!!』『アっ!!』『アっ!!』『アっ!!』・・・」
奉行はとうとう声が出せなくなり
「・・・、一同、次の御用日を待て」
でサゲ。
聴かせ所としては
①常吉が遅い昼飯を食べていると主人が文句を言い、それに返答しながら飯を食い続けるサマ。
②お糸と常吉二人が途中で交わす会話。お糸が可愛らしい。
③二人が歩いていると、どこからともなく聞こえる夏の昼下がりの物売りの声。
④お裁きの場面で、常吉が主人に叱られながらダラダラと証言する場面。
⑤山場での奉行と藤吉との息もつかせぬ応酬。
吉坊は、船場の大店の主人、そのひとり娘、丁稚の常吉、荒くれ者の藤吉、町奉行といった多彩な人物を丁寧に描き分け、お裁きの場面では一転して『アっ!!』という奇声(喉を絞め、息を吐かずに声を出すようだ)を連発するという難しい芸を披露した。
それほど面白いネタではないが、語りで観客を引き込んだ技は見事だった。
落語が好きだと言うと、大概の人はTV番組の「笑点」の話題を振ってくる。「ここ30年ぐらい見てないんですよ」と言うと不思議そうな顔をされる。
「笑点」の大喜利には台本があり、出演者は台本通りにしゃべっていると言うと、驚く人が多い。あれはすべてアドリブだと信じているのだ。
6月12日付の日刊サイゾー”本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」”で、「笑点」利権に関する記事が書かれている。
以下の引用はビートたけしの発言から。
「誰が『笑点』を見てるのか、よくわかんない。これだけアドリブなしのカンペだらけの番組なんて、聞いたことがない。大喜利には作家が10人くらいついていて、いろんな答えを作って、どれを誰に答えさせるかまで裏方が考えるってやり方。(立川)談志さんなんか、それが嫌で辞めたんだから」
「まあ、司会やメンバーになれば、営業のギャラが変わるからね。落語がうまくなるよりも、『笑点』のレギュラーになることのほうが重要になってきている」
そう、「笑点」の出演者にとっての最大の魅力はギャラだ。
記事では「笑点」は月に2回の収録で、司会だった歌丸のギャラが一番高く、2回分で80万円といわれていた。三遊亭円楽をはじめ、6人の大喜利メンバーは60万円とも書かれている。
これでもかなりの高額に見えるが、記事では続けて地方営業の利権について書かれていて、歌丸のギャラは1本当たり100万円に跳ね上がるという。ほかのメンバーのギャラも推して知るべしと。
地方営業の依頼は多く、歌丸が元気なころは、月20本の営業が入っていたという。単純計算でいけば、年収は2億円以上になる。
利権は出演者だけにとどまらず、笑点メンバーと同じ一門の落語家は彼らとセットで公演会を開けば、チケットが飛ぶように売れて、一公演で1,000万円は売り上げるという。
これじゃ、観客ではなく出演者の側の笑いがとまらない。
かくして笑点メンバーは、本来の落語より、アドリブに見せかけた筋書き通りだらけの「笑点」にしがみつくことになる。
かたや、寄席のギャラ(割り)となると心許ない。時々頭の中で計算することがあるが、一人平均1万円いかないじゃないかと思うことが多い。しかもよほどの人気落語家でなければ、毎日仕事があるわけではない。
昔のようにお座敷に呼んでご馳走してくれたり、小遣いをくれたりするタニマチもいなくなってきた。
真打になっても食えず、副業をしたり、奥さんに食わせて貰っている人も少なくないそうだ。
こうした大多数の噺家と、「笑点」利権の噺家との格差の大きさに慄然とする。
「国立演芸場6月中席・初日」
前座・春雨や晴太『八問答』
< 番組 >
笑福亭和光『見世物小屋』
春風亭柳好『権助魚』
マグナム小林『バイオリン漫談』
三遊亭とん馬『替り目』+『かっぽれ』
桂南なん『千両みかん』
~仲入り~
プチ☆レディー『奇術』
三遊亭遊吉『粗忽の釘』
林家今丸『紙切り』
三遊亭遊三『青菜』
国立の6月中席は芸協の芝居。初日で土曜日だったが、やや寂しい入り。落語ブームと言われているが、大看板や人気者が出ないと客足が遠のくようだ。
例によって短い感想を。
晴太『八問答』、とても良かった。アタシは前座には拍手をしないことにしているが、晴太の高座が終わった時は拍手した。八は末広がりで縁起がいいという事で、すべての言葉に強引に八を付けてしまうという問答もの。足し算、引き算、掛け算を駆使してこじつけるのだが、立て板に水の如く淀みがない語りで、結構でした。他のネタの具合は分からないが、また期待できる新人が生またようだ。
和光『見世物小屋』、師匠(鶴光)から教わったという小噺をいくつか披露した後、お馴染み東の旅のネタへ。上方らしいコッテリとした味わいの高座。
柳好『権助魚』、近ごろ落語家の不倫が話題になることがあるが、どうでもいいじゃん。落語家に道徳を求めてもしょうがないだろう。謝罪会見なんて、それこそお笑いぐさだ。男女でも友人でも「来る者は拒まず、去る者は追わず」が自然体だと思う。幸か不幸か、コチトラには女性が誰も近付いて来ないので、不倫も浮気も無縁だけどね。落語の世界では相変わらず、妾や二号は男の甲斐性だ。
柳好の高座は素朴な様でしたたか、それでいてどこか間が抜けている権助の姿を巧みに描いていた。
マグナム小林『バイオリン漫談』、バイオリンを弾きながらタップダンスを踊るという珍芸。楽器を使う色物の芸人が少なくなってきた中で貴重な存在だ。
とん馬『替り目』、お初。酔っぱらいの仕草が上手いが、それ以上に感心したのはおまけの『かっぽれ』だ。形の良さは現役の噺家の中でもトップクラスではあるまいか。これだけでも見る価値あり。
南なん『千両みかん』、未だ志ん朝が浅草で住吉踊りをしている頃に、芸協からこの人が出演していて、たびたび志ん朝から頭が歪んでいるとイジられていたのを思い出す。落ち着いた静かな語りでネタを演じたが、そのせいかやや陰気な印象を受けた。師匠(二代目桂小南)とはだいぶ芸風が異なるようだ。
プチ☆レディー『奇術』、華やかではあるが、寄席の奇術としては些か異質な感じがする。
遊吉『粗忽の釘』、地味で手堅い高座だった。
今丸『紙切り』、いつも思うのだが、客席にリクエストを求める際にせかす様な素振りが気になる。最後の人のリクエストもよく分からないからとスルーしてしまったのは、どんなもんだろう。
遊三『青菜』、最後は季節感溢れる噺で締め。
『義経千本桜』は、『菅原伝授手習鑑』、『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ歌舞伎三大義太夫狂言の一つとして知られており、現在でも上演を重ねる人気作品。
6月の歌舞伎座は、この狂言の中の重要人物である平知盛、いがみの権太、狐忠信の三人の物語に焦点をあてた三部制で演じられている。
平知盛と狐忠信の芝居は以前に鑑賞しているので、今回は初めての第2部『いがみの権太』へ。
『いがみの権太』
日時:2016年6月9日(木)14時45分
会場:歌舞伎座
《 配役 》
〈木の実・小金吾討死〉
いがみの権太:幸四郎
主馬小金吾:松也
鮓屋弥左衛門:錦吾
猪熊大之進:市蔵
若葉の内侍:高麗蔵
小せん:秀太郎
〈すし屋〉
いがみの権太:幸四郎
弥助実は三位中将維盛:染五郎
お里:猿之助
若葉の内侍:高麗蔵
鮓屋弥左衛門:錦吾
おくら:右之助
梶原平三景時:彦三郎
小せん:秀太郎
【あらすじ】
〈木の実〉
大和の国下市村の茶屋へ、平維盛の行方を探す御台の若葉の内侍と若君の六代、その家来の主馬小金吾がやって来る。茶屋の母子が出かけているいる間に「いがみ」と呼ばれる無法者の権太が現れ、小金吾に因縁をつけて金20両を巻き上げる。戻ってきた茶屋の母子は権太の女房と息子だった。女房は権太の悪事を叱るが、やがて親子3人は自宅に帰ってゆく。
〈小金吾討死〉
頼朝の鎌倉方は維盛がこの地に潜んでいることを掴み、若葉の内侍ら一行を探索していた。ついに追手に囲まれた一行だが、小金吾は奮戦して内侍と六代を逃すが、自らは討死してしまう。偶然そこへ通りかかった権太の父の弥左衛門は、思案の末小金吾の首を持ち帰る。
〈すし屋〉
下市村の釣瓶鮓屋。店を営む弥左衛門は、旧恩ある平重盛の子・維盛を奉公人の弥助として匿っている。弥助に思いを寄せるこの家の娘お里、二人は親が許す仲になっている。
そこへこの家の勘当中の倅・権太が、息子に甘い母親から金を引き出そうとやって来て300貫せしめるが、父親の弥左衛門が帰って来るのを見つけ、あわててそばにあったすし桶に金を隠し、自分は奥に隠れる。
帰ってきた弥左衛門も又、持ち帰った小金吾の首をすし桶の中に隠す。そして弥助に源氏方の追っ手が迫っていると忠告する。
偶然若葉の内侍と六代君がこの家へやって来て維盛との再会を喜び合う。全てを知ったお里は自ら身を引く覚悟を決め、維盛ら三人を父親の隠居所へと逃がす。それを奥で聞いていた権太は「役人へ訴えて褒美をもらうのだ」と、さっき金を隠したと思い込んだすし桶を持って一行の後を追っていく。
そこへ源氏の追手である梶原景時一行が詮議にやってくる。詮議が始まると突然に権太が、若葉の内侍と六代君を縄で縛って連れてくる。そしてすし桶に入っている首を「維盛の首だ」と言って差し出す。首実検した梶原は維盛の首だと認め、権太への褒美として頼朝の陣羽織を置いていく。去っていく梶原一行を見送っていた弥左衛門が、「この不忠者」と権太のわき腹に刀をつきたてる。深手を負った権太は「実はあの首は親父様がすし桶に入れておいた首。若葉の内侍と六代君に見えたのは、自分の女房と倅。善心に立ち戻り親不孝を詫びたかった」と語る。
戻ってきた維盛が頼朝の陣羽織を裂くと、中から出てきたのは数珠と袈裟。維盛の父重盛が昔頼朝の命を助けてやったお返しに、維盛の命を助けようという頼朝のはからいだった。
維盛は出家を決意し妻子と共に旅立ち、息絶えた権太の横で弥左衛門一家は別れの悲しみにくれる。
義経千本桜と言っての『いがみの権太』は完全なサイドストーリーであり、義経の「よ」の字も出てこない。加えて知盛や忠信のような派手な見せ場がないためか、他に比べて上演の機会は少ないようだ。
「小金吾討死」では派手な立ち回りがあり、「すし屋」では一転して世話物で、親子や夫婦の間の人情が描かれれていて見ごたえがあった。
特にお里が恋い焦がれる男が実は維盛であって妻子がいることを知って悲しみの中に身を引く事を決める場面は、現代劇であっても可笑しくないテーマだ。
乱暴者の権太が、せめてもの親孝行と自分の妻子を犠牲にしながらも父親の危機を助けるが、結果的に無駄な行為だったと分かった後の失望感。権太の心情を誤解して倅を刺してしまい事実を知って公開する弥左衛門の姿は、この物語の悲劇性を際立たせていた。
乱暴者と優しさという二面性を持つ権太を演じた幸四郎と、一途なおぼこ娘を演じた猿之助が好演。弥左衛門を演じた錦吾の演技も良かった。
舞台とは外れるが、第1部に出演している市川右近の三代目市川右團次襲名が決まったとの報道があった。これに伴って屋号は現在の澤瀉屋から髙嶋屋に変わることになる。長く三代目市川猿之助(現猿翁)の舞台を支え、一時は後継者とも見做されたが、その座は当代中車の出現で一挙に崩されてしまった。本人の気持ちはいかばかりか。今後は心機一転して新しい名跡で奮闘して欲しい。
熱海五郎一座「熱闘老舗旅館『ヒミツの仲居と曲者たち』」
日時:2016年6月7日(火)16時30分
会場:新橋演舞場
作:吉高寿男
構成・演出:三宅裕司
< 主な出演者 >
三宅裕司、渡辺正行、ラサール石井、小倉久寛、春風亭昇太、東貴博 、
松下由樹、笹本玲奈
「熱海五郎一座」(伊東四朗が参加の時は「伊東四朗一座」)は、日本の軽演劇継承を目指して定期公演を行っている。
その「日本の軽演劇」とは、一般の演劇作品のようにテーマや物語に重きが置かれず、時事風刺などを取り入れた娯楽性の高い芝居を指す。
昭和初期から戦争前までが最盛期で、典型的なものに榎本健一や二村定一らによる「カジノ・フォーリー」。古川緑波,徳川夢声,大辻司郎らによる「笑の王国」。あるいは新宿座の「ムーラン・ルージュ」の舞台などがあげられる。
主な素材としてはレビュー、ジャス、ボードビル、ギャグがある。
しかし戦争が近づくとその「笑い」の要素ゆえに衰退してしまった。
その継承を熱海五郎一座は目指している。
今回の公演にあたって座長の三宅裕司は、「爆笑劇団」を宣言している。爆笑が起きなかったら嘘つき劇団になってしまうとも言っている。
さて、実際の芝居の中身はいかに。
ストーリーは。
舞台はリゾート地にある老舗高級旅館「ふじみ楼」。かつては流行っていたが、隣にリゾートホテル「ヨルトンホテル」が建ってから富士山の眺望が台無しになって、今は閑散としている。G7の首脳会議の会場にも内定して勢いづくホテル側は、今は「ふじみ楼」をも買収する工作を進めていた。
その旅館に一流旅館での経験を売りにして、一人の女性(松下由樹)が住み込み希望でやってくる。番頭(三宅裕司)はどうもパットしない女将(春風亭昇太)に代わって、彼女を若女将にして旅館の立て直しを図る。そこへ売れっ子の歌手(笹本玲奈)が、空いていてプライベートが保たれるからとこの旅館に宿泊する。
一方のヨルトンホテルでは、総支配人(小倉久寛)と副支配人(渡辺正行)が神奈川県知事(ラサール石井)を抱き込んで隣の旅館の乗っ取り工作を話し合っている。
旅館の若女将や、取材に訪れた週刊誌記者(東貴博)が、何やら怪しい動きを始めて・・・。
ストーリーは通俗的で、結末もある程度予想がつく。
2部構成になっていたが、前半の約1時間半はストーリーの伏線が主で、ギャグもつまらなく笑える場面は1か所もなかった。周囲では喜んでいるお客もいたが、さっぱり面白さが分からない。隣のご婦人もニコリともせず座っていたが、休憩時間の後は戻って来なかった。私も帰ろうかなと思ったが根っからの貧乏性、モッタイナイので後半も見続けたが、これでは爆笑劇団の名が泣く。
第2部に入ってからようやくエンジンがかかってきた様で、舛添問題を入れた時事ギャグやコントが面白くなってきた。軽演劇の特長である歌や踊りもレビュー風にショーアップされていて、この舞台の広さが活かされていた。
難を言えば、軽演劇は個人の俳優のエンターティナ―性が試される。その面からゆくとこのメンバーは、三波伸介や東八郎、渥美清らの芸には遠く及ばない。むしろゲストの松下由樹が歌やタップで奮闘していたのが印象的だった。
終わってみれば、カーテンコールが一番面白かったというのが感想だ。
タックスヘイブンを利用した租税回避の規模は、全世界でおよそ21~32兆ドルという金額が推定されている。これは全世界の合計GDP:76兆ドルのおよそ3分の1にあたる驚異的な数字だ。もし、こうした脱税分が適正に納税されていれば、世界の貧困や格差は大幅に改善されるはずだ。
今年4月に暴露された租税回避地「パナマ文書」には1150万点の資料が含まれていて、その中にはロシアや中国などの首脳関係者の名があり、大きな政治問題になっている。
処が、意外にも米国の関係者は約200名で、しかも有名人はゼロらしい。プーチンらがこれは米国の陰謀だと息巻いている背景はその辺りにある。
しかし、別の見方からすれば、米国の場合はわざわざ外国の租税回避地に逃れずとも国内のタックスヘイブン制度を利用できるから十分だとも言えるのだ。
米国のデラウェア州にウィルミントンという人口わずか7万人の街があるが、ここにある小さなビルには、なんと世界の28万社以上が本社所在地として登録している。デラウェア州の税制優遇と守秘規定によって企業が守られているからだ。
この中にはクリントン夫妻の企業も含まれていたことが明らかになっているが、今のところ共和党は静観している。なぜなら自分たちも利用しているから、糾弾ができない。
米国では他にもネヴァダ、ワイオミング、サウスダコタ州が租税回避地として注目されている。3州とも法人地方税や住民税がなく、州内登記企業が守秘の壁に守られているからだ。
アメリカは過去10年以上にわたって、世界各国のタックスヘイブンを糾弾し、告発も行ってきた。「外国口座税務コンプライアンス法(FATCA法)」を成立させ、米国人が海外の銀行に口座を設けた場合、そのすべてを米国歳入庁に報告せねばならないという法律だ。これにより日本を含む世界中の各銀行がこの調査に必死になって協力している。
その結果、かつてのタックスヘイブン国の多くはその機能を失った。で、どうなったかというと、それらの資金が米国に流れ込んできた。
先日のG7でもタックスヘイブン追放のために、FATCA法を世界に拡大することを各国に求めたが、米国は拒否した。自分たちが決めたルールは他の国には守らせるが、自分たち自身は守る必要がないというわけだ。
もう一つ大きな問題は、多国籍企業の納税逃れの問題だ。
2009年に国税庁がアマゾンの日本国内の販売に関して140億円の追徴課税を申し渡したが、アマゾン側は「日本にあるのは『倉庫』であって、販売事業ではない」という訳の分からぬ理屈をつけて拒否した。この件ではアメリカ政府が乗り出してきて日本当局に圧力をかけ、結局ウヤムヤにされてしまった。国会でも野党が追及したが、「個別事例への答弁は差し控えたい」として明らかにされなかった。
欧州各国が多国籍企業の租税回避を阻止する動きを活発化させているが、オバマ政権はこれらを「欧州企業を保護するという商業的理由なよる」米企業の摘発だとし、政府として米国の多国籍企業を守る立場を明確にした。
安倍政権は依然として、法人税を引き下げ日本への投資を増やすという政策に固執している始末だ。
いま、租税回避問題こそが世界経済の大問題なのだ。
舛添知事がどうのといったチンケな事にかかわりあっている暇はない。
国立演芸場6月上席4日目
前座・林家あんこ『転失気』
< 番組 >
柳家わさび『ぞろぞろ』
柳家小せん『新聞記事』
ひびきわたる『キセル漫談』
柳家さん生『親子酒』
柳家小袁治『堪忍袋』
─仲入り─
ホンキートンク『漫才』
橘家圓太郎『粗忽の釘』
伊藤夢葉『奇術』
柳家小満ん『船徳』
国立演芸場㋅上席は落語協会の芝居。久々の人もいて、それをお目当てに出向く。会場はまあまあの入りだった。
最近になって上方落語を聴く機会が増えたが、改めて東京落語の良さが噺家の「粋」にあることを感じる。もちろん上方の噺家にも亡くなった春団治の様な粋な人もいるが、少数だ。
東京落語の特長はクスっと笑わせる事にあると思う。腹を抱えて大爆笑なんてぇのは東京落語には似合わない。噺そのものも大事だが、着物の着こなしや高座での佇まいといった要素も重要視される。
反面、大衆芸能である落語は「観客の好み」の影響を強く受ける。落語を聴きに来る客層が変われば、高座も変わってくる。2000年頃の落語ブームから増え始めた客層は笑いを求める傾向が強いようだ。それに従い、若手を中心に「受ける」噺家に人気が集まってきた。このままいくと、落語界における「東西の壁」は消滅していくのかも知れない。
そろそろ女流の入門者を制限したらどうか。「男女共同参画」には大賛成だが、歌舞伎や能、狂言、落語といった世界は、元々が演者は男の世界だ。宝塚に男優がいないのと同様に、これは差別の問題ではない。申し訳ないが、女流の噺家で感心した人は一人もいない。
もっともこればかりは個人的な好みの問題ではあるが。
わさび『ぞろぞろ』、マクラで三平が「笑点」メンバーになった事をネタにしていたが、落語をまともにしゃべれない落語家を起用した日テレの担当者の見識を疑う。少なくとも他のメンバーはまともな落語が出来る人たちだ。
彦六の正蔵が十八番としていて、死後はしばらく演じ手がいなかったが、最近になってまた高座にかかる様になった。わさびは段々サマになってきている。
小せん『新聞記事』、軽い噺を軽く演ずる、いいねぇ。「逆上して切り込んでくる所を体(たい)を交わした」というのを「欲情して襲い掛かってきたので枕を交わした」と間違えるギャグは独自か。
さん生『親子酒』、久々だった。噺のリズムに独特のクセがあり、好みの分かれる所だろう。マクラで、小料理屋の女将は50歳位の未亡人が理想と言っていたが、アタシらの若い頃は30代バツイチが理想と聞いていた。全体の平均年齢が上がったので、理想の年代も高めになってきたようだ。手際よく短い時間でネタを演じた。
小袁治『堪忍袋』も久々だった。生まれも育ちも神田で、いかにも風情が江戸っ子。笑いを求めない淡々とした語りだったが、堪忍袋に舛添知事が「文春のバカヤロー」と吹き込むギャグが受けていた。
圓太郎『粗忽の釘』、隣家を訪れた大工が肝心の要件を忘れ、自分たちの新婚時代の思い出を語る場面を中心にしていた。夫婦が行水で洗いっこをしたり、力が入りすぎて盥の底が抜けて、果ては近所の子供たちとチンチン電車ごっこと、下ネタ版だった。この日一番笑いを取っていたが、「粋」とは無縁の高座。
小満ん『船徳』、前述の東京落語の特長からいえば、典型的な東京の噺家といえる。いつもの通り俳句をいくつか披露した後で、大川の屋形船をマクラに振っていた。あの屋根は日よけが目的だそうで、夏場は周囲に簾を下していた。「吹けや川風、上がれや簾」という唄の文句はここから来ていると。冬場は障子で囲み、中に炬燵を入れて暖を取る。客と芸者のさし向かえとなると船頭が気を利かして途中の「首尾の松」辺りで船を舫い、「ちょいと蝋燭が切れやしたんで、買ってきやす」かなんか言って、一時(2時間)ほどいなくなる。後は船の中で男女二人だけで、将棋を指していたなんてね。こういう所がファンには堪らないんだろう。このマクラだが、ネタの『船徳』のオリジナルである『お初徳兵衛』での重要シーンを暗示していて、実に味がある。
次いで舞台となる「柳橋」の解説に入る。隅田川と神田川の合流点で、その神田川側にかかる橋が柳橋。左に行けば浅草から吉原方面、右に行けば深川に。つまり交通の要所だったわけだ。こういう説明を聞くと、徳が竿から魯に変える場面や、三度ずつ回る場面などが目に浮かんでくる。
隅田川は大きいので川といっても多少は波があり、小さな猪牙船なら揺れることもあるだろう。小満んの高座は、暑い最中に船の中で奮闘する客と船頭の姿を鮮やかに描いていた。
『残花―1945 さくら隊 園井恵子―』
日時:2016年6月2日(木)19時
会場:座・高円寺1
原案:上田次郎
作・演出:詩森ろば
< キャスト >
林田麻里:園井恵子(さくら隊員)
福本伸一:丸山定夫( 同上 )
ザンヨウコ:仲みどり( 同上 )
大石憲:槇村浩吉( 同上 )
畠山泉:島木つや子( 同上 )
庄崎真知子:笠絗子( 同上 )
熊坂理恵子:小室喜代( 同上 )
酒巻誉洋:八田元夫(さくら隊演出)
竹鼻優太:高山象三(さくら隊演出助手)
坂元貞美:佐竹昭夫(元さくら隊員)/袴田清吉(園井恵子の父)/菊地善五郎(愛真館亭主)
万理紗:吉田雅子(岩手タイムス記者)/袴田みよ子(園井恵子の妹)
1913年8月6日に岩手県で生まれた園井恵子は、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。その後、新劇の劇団「苦楽座」に籍を移し、映画『無法松の一生』の未亡人役で一躍脚光を浴びる。太平洋戦争が始まると「苦楽座」は解散し、彼女は移動演劇隊「さくら隊」に参加。各地で公演活動を行うが、空襲が激しくなってきて、劇団疎開と現地での慰問活動のためとして昭和20年に広島行きが命じられる。広島に原爆が投下された運命の8月6日は園井恵子の誕生日でもあったのだが、宿舎が爆心地に近かったため、その場にいた「さくら隊」の隊員は園井を含めて全員が死亡。
この悲劇は多くの著作で紹介され、映画化や舞台化もされている。
このテーマを題材にしたこまつ座の井上ひさし作『紙屋町さくらホテル』が 7月に再演される。
本作品の原案は岩手放送の上田次郎がドキュメンタリー『夏のレクイエム』で、岩手県出身の詩森ろばが戯曲化したもので、ほぼ詩森ろばのオリジナルと言って良いと思われる。
本作品は岩手出身の園井にスポットをあてたもので、開演後の最初の場面が岩手県内の温泉旅館で「さくら隊」が『獅子』を稽古する場面であり、本興行が岩手県からスタートしているなど郷土色が強いのは、岩手県からの文化発信を意識したものと思われる。
園井恵子が宝塚のスターの地位を捨てて、敢えて新劇の世界に飛び込んだ理由を「人間を演じたかったから」というのは説得力がある。
園井が占い師から「広島へ行くと火事にあう」と言われ、広島行きを逡巡するのは実話だ。
『紙屋町さくらホテル』との大きな違いは、被爆後のさくら隊員たちの姿を克明に描いている点だ。一瞬にして命を奪われた者もいれば、数日経てから亡くなった者もいる。特に園井の様に被爆からしばらくは元気で、傷口にマーキュロを塗って治療していたのが、ある日から急に病状が悪化し、苦悶のうちに死んでゆくのだが、放射能がいかに恐ろしかを如実に示している。
さくら隊のリーダーであり名優として夙に知られた丸山定夫が死の床で玉音放送を聞き、「もう10日早けりゃ」と言うセリフには胸を打たれる。その通りで、もう10日終戦が早ければ沢山の人の命が助かったのだ。「聖断」なんて有り難がってる場合じゃないのだ。
園井も丸山も、また元気になって再び舞台に復帰することを最後まで夢見ていた。その無念さは計り知れない。
東京に辿り着いたものの体調が極度に悪化し、自ら東大病院に入院した仲みどりは、その死後、医学上認定された人類史上初の原爆症患者となった。たまたま所用で広島を離れていて死を免れた隊員が、お前は大した役者じゃなかったが、これで名を残したじゃないかというセリフは、悲劇性を際立たせていた。
劇中で仲みどりを見舞いに行くのは佐竹昭夫となっていたが、これは佐野浅夫の事ではないかと思うが、どうだろうか。
舞台で表現するのはかなり難しいと思われた隊員たちが被爆から死を迎えるまでを描いた本作品は、高く評価されて良い。
椅子の移動だけで場面転換を行った演出も手際が良かった。
主演の林田麻里を始めとする出演者たちの演技は、そのひたむきさが伝わってきた。
公演は5日まで。
『パーマ屋スミレ』
日時:2016年5月31日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:鄭義信
演出:鄭義信
< キャスト >
青山達三:高山(高)洪吉
根岸季衣:洪吉の長女・初美
南果歩:洪吉の次女・須美
星野園美:洪吉の三女・春美
久保酎吉:初美の内縁の夫・大村茂之
森田甘路:初美の息子・大吉
酒向芳:老年後の大吉
千葉哲也:須美の夫・張本(張)成勲
村上淳:成勲の弟・英勲
森下能幸:春美の夫・大杉昌平
朴勝哲:木下(李)茂一
長本批呂士:若松沢清
新国立劇場で連続上演されてきた鄭義信三部作の掉尾を飾るのは、1960年代半ばの九州のとある炭鉱町で炭鉱事故に巻き込まれた在日コリアンの家族を描いた『パーマ屋スミレ』。時代としては『たとえば野に咲く花のように』と『焼肉ドラゴン』の中間にあたる。醜悪な人種差別団体によるヘイトスピーチなどにより在日への攻撃が増すなか、戦後の在日コリアンたちの生活を活写した作品をとりあげてきた新国立劇場の企画に敬意を表したい。
【あらすじ】
舞台は1960年代半ばの北九州の炭鉱町に店を構える「高山厚生理容所」の店先。この辺り一帯は「アリラン峠」と呼ばれる、主に炭鉱で働く在日コリアンの集落だ。小さな理容店をやっている高山須美は老いた父親の面倒をみながら、いつか「パーマ屋すみれ」を開店させたいという夢を抱いている。
飲み屋を経営している長女・初美や新婚の三女・春美も近くに住んでいて、いつも須美の店先に来ている。3姉妹の夫(長女だけは内縁)は揃って炭鉱で働いている。初美の息子は早くここから離れて、将来はデザイナーになる事を夢見ている。
この家族は、韓国籍や北朝鮮籍や日本に帰化した人と、それぞれ国籍がバラバラで、家族内に38度線が引かれていると冗談を言い合っている間柄だ。
そんなある日、炭鉱で大きな事故が起き、仲間を助けに向かった須美の夫と春美の夫がCO(一酸化炭素)中毒になってしまう。
後遺症でCO患者になった二人は手足が痺れたり、突然暴れだしたりという症状が出てきて、仕事はおろか、まともな暮らしが出来なくなってしまう。生活は荒れ、経済的に困窮していく家族。組合として会社に保障を要求するが、回答は雀の涙。
やがて運動が実って「CO特別立法」が成立するが、二人の夫たちは一方的に軽症患者と認定されて、切り捨ての対象になる。
そんな中で炭鉱は閉山、彼らは完全に職を失ってしまう。
次々と「アリラン峠」を去ってゆく家族や仲間を見送りながら、須美は会社を相手に損害賠償の裁判闘争に立ち上がる。
芝居の中では企業名は明らかにされていないが、北九州の三井三池炭鉱がモデルになっている。
戦後の経済復興の礎だった石炭産業は、1960年前後からの石油へのエネルギー政策への転換により次第に斜陽化してゆく。同時期に会社から大幅な人員整理が提案され、これに反対する労組と鋭く対決する。この争議は「安保と三池」が合言葉になり、「総資本対総労働」と呼ばれる全国の労組を巻き込む大争議に発展してゆく。
この当時の空気を伝えるために、以下に『地底のうた』の歌詞を紹介する。作詞作曲は自らが三井三池の労働者であり、『がんばろう』などの数々の労働歌を作った荒木栄の作品だ。
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組曲『地底のうた』 作詞・作曲:荒木栄
有明の海の底深く 地底にいどむ男たち
働く者の火をかかげ 豊かな明日と平和のために
たたかい続ける 革命の前衛 炭鉱労働者
(第一章)
1 眠った坊やのふくらんだ頬をつついて表に出れば
夜の空気の冷え冷えと 朝の近さを告げている
2「ご安全に」と妻の声 渡す弁当のぬくもりには
つらい差別に負けるなと 心をこめた同志愛
夜は暗く 壁は厚い
だけれど俺たちゃ負けないぞ
職制のおどかし恐れんぞ あのデッカイたたかいで
会社や、ポリ公や、裁判所や、暴力団と・・・
男も女も、子供も 年寄りも
「ガンバロウ!」の歌を武器に スクラムを武器に
闘い続けたことを忘れんぞ
夜の社宅の眠りの中から
あっちこっちからやってくる仲間
悲しみも喜びも分け合う仲間
闇の中でも心は通う 地底に続くたたかいめざし
今日も切羽(きりは)へ 一番方(かた)出勤
(第二章)
1 崩れる炭壁(たんぺき) ほこりは舞い 汗はあふれ
担ぐ坑木 肩は破れ 血は滴る
ドリルはうなり 流れるコンベア 柱はきしむ………
独占資本の合理化と
命をかけた闘いが夜も昼も
2 暗い坑道 地熱に焼け ただようガス
岩の間から 滴る水 頬をぬらし
カッターはわめき 飛び去る炭車 岩盤きしむ
「落盤だァー」 「埋まったぞー」
米日反動の搾取と 命をかけた闘いが
夜も昼も続く………
(第三章)
落盤で殺された 友の変わり果てた姿
狂おしく取りすがる 奥さんの悲しみ
幼児(おさなご)は 何にも知らず 背中で眠る
胸突き上げるこの怒り この怒り
ピケでは刺し殺され 落盤では押し潰され
炭車のレールを血で染めた仲間
労働強化と保安のサボで 次々に仲間の命が奪われてゆく
奪ったやつは誰だ! 「三井独占!」
殺したやつは誰だ! 「アメリカ帝国主義!」
奪ったやつを 殺したやつを
許さないぞ 断じて許さないぞ
(第四章)
1 おれたちは栄えある 三池炭鉱労働者
団結の絆 さらに強く
真実の敵打ち砕く 力に満ちた闘いを
足取り高く すすめよう
2 おれたちは栄えある 三池炭鉱労働者
スクラムを捨てた 仲間憎まず
真実の敵打ち砕く 自信に満ちた闘いの
手を差しのべよう 呼びかけよう
3 おれたちは栄えある 三池炭鉱労働者
弾圧を恐れぬ 不敵の心
真実の敵打ち砕く 勇気に満ちた闘いで
平和の砦 かためよう
かためよう
********************
少し長くなったが、当時の空気はお分かり頂けたかと思う。
劇中で「第一」「第二」というセリフが飛び交うが、これは「第一組合」つまり闘う組合のことであり、「第二組合」つまり実質的に会社が作った御用組合を指す。
今や日本中の労組、特に民間企業労組の大半が「御用組合」になってしまったので、死語となった感がある。
前述の争議も圧倒的な資本の力の前に労組は破れ、その後に炭鉱の大事故が続き、やがて炭鉱自体が閉山に追い込まれる。
この芝居は、そうした時期の炭鉱労働者を描いたものだ。
前2作が在日コリアンが置かれた特別な状況を描いていたのに対し、本作品は日本人と在日との区別に関係なく、1960年代半ばにおける炭鉱労働者とその家族の苦悩や絆に焦点が当てられている。
私の様に同時代を生きてきた人間にとっては、切ない思いが蘇ってくる。
生きるためにアリラン峠を去る人たち、生きるためにアリラン峠に残る人たち。私たちはその後の彼らの未来を知っている。文字通り「去るも地獄、残るも地獄」だった。
その中で、須美が起こした訴訟が勝利に終わったであろうことと、大吉少年だけはどうやら幸せな人生を送ったことが示唆されていて、それが救いとなっている。
鄭義信の脚本は、深刻な題材を扱いながら常に舞台は笑いに包まれ、登場人物たちの溢れるばかりのエネルギーが客席に伝わってくる。約3時間の上演時間は笑いと涙であっという間に過ぎてゆく。
出演者の主要な顔触れは2012年の上演時のほぼ同じで、いずれも好演だった。特に主演の南果歩はこの演劇に対する並々ならぬ意気込みを感じさせた。
根岸季衣がベテランらしい存在感を示し、久保酎吉が飄々としたいい味を出していた。
他に星野園美の熱演と、大吉少年を演じた森田甘路の怪演が印象に残る。
公演は6月5日まで。
5月の記事別アクセス数のTOP10は、以下の通り。
1 柳家喜多八の死去
2 落語家の「実力」って、なんだろう
3 #22三田落語会「さん喬・喜多八」(2012/10/27昼)
4 春風亭一朝一門会(2014/5/8)
5 小さん孫弟子七人会(2016/5/5)
6 小三治と喬・文・朝(2016/5/14)
7 #27大演芸まつり「芸協二ツ目特選」(2016/5/4)
8 #27大演芸まつり「落語協会五月まつり其の二」(2016/5/8)
9 【ツアーな人々】消えた添乗員
10 #68扇辰・喬太郎の会(2016/4/28)
好きだった噺家の死は、親友を失ったような気分になる。同じ思いの方も多かったのだろうか、1位の喜多八の訃報には1000人を超える方からアクセスがあった。いかに多くのファンから愛されていたかを如実に示している。
3位も過去の喜多八の高座に関する記事だが、癌の手術から復帰してとても元気な時期で、「前は虚弱体質なんてアザトイことを言ってけど、これからは瑞々しく行こうと思う」と語っていた。
喜多八の「粋」には東京の山手の香りがした。マクラで、吉原が無くなったのは良かったと言うのを何度か聞いた。こういう事をズバッと高座で言う噺家は喜多八以外にはおるまい。男だからといって誰もが女性を買うのを好むわけではない。
談志が亡くなった直後の高座で、いきなり「談志って、落語、下手でしょ」と客席に語りかけて驚かせた。談志ファンが聞いたら目をむきそうだが、こういう本音をシラっと言える所に喜多八の真骨頂があると思う。
そう、談志も先代圓楽も、決して上手い噺家ではなかった。ただ、それと噺家として魅力があるかどうかは別問題だ。2位に「落語家の「実力」って、なんだろう」という数年前に書いた記事がランクインしたが、これは永遠のテーマかも知れない。
噺が上手いというのは大事な要素ではあるが、それだけで落語家の実力が計れるわけではない。そこが落語という芸能の難しさであり、また奥の深さだと言える。
今月は常連と言える9位を除けばいずれも落語関係の記事だった。4位の「一朝一門会」はこの一門の充実ぶりの反映であろうし、7位の「芸協二ツ目特選」は今の芸協若手の人気ぶりを示している。
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