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2016/08/18

柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め(2016.8.17)

「柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め」
日時:2016.8.17(水)19時
会場:イイノホール
<  番組  >
『ご挨拶』扇辰、喬太郎
柳家喬太郎『にゅう』
柳家小満ん『派手彦』
~仲入り~
入船亭扇辰『麻のれん』
柳家小満ん『江戸の夢』
『対談』小満ん、扇辰、喬太郎

小満んを敬愛する扇辰と喬太郎の二人がリクエストしたネタを、小満んが演じるという趣向の会。こいつぁ、行かざぁなるめぇ。
小満んが未だ二ツ目で黒門町の弟子だった時代から続いている独演会に、扇辰と喬太郎が前座時代に手伝いに行っていたという。その頃から二人は小満んの高座に惹かれていたそうだ。そんな縁が今回の会につながった模様。
喬太郎からのリクエスト:『源平盛衰記』『御用』『探偵うどん』『派手彦』
扇辰からのリクエスト:『湯屋番』『江戸の夢』『紫檀楼古木』
当日それぞれから選んで、小満んが前記2席を演じた。
なお、今回の4席中『麻のれん』を除く3席は初見。

喬太郎『にゅう』
オリンピックには全く関心がなく競技も見てないと。本人も認めている通り、今どき勇気ある発言だ。国民全員が同じだなんて気持ちが悪い。スポーツ嫌いはよいが、体重をコントロールするか、下半身を鍛えた方がよいと思う。座るときの姿勢を見るかぎり、だいぶ膝が悪そうだ。この歳で膝はまずかろう。
『にゅう』は古典から掘り起こしたネタだ。「にゅう」と言うのは道具屋で商品の疵をいい、この言葉がサゲに使われている。
客先から骨董品の鑑定を頼まれた半田屋長兵衛が、これからの仕事を断るためにわざわざ愚かな奉公人・弥吉を長兵衛に仕立てて先方に行かせる。
弥吉は先方の萬屋五左衛門宅を裏口から入り、庭の松の木を折ったり灯篭を倒したりと傍若無人。香を焚いていた五左衛門が長兵衛に扮した弥吉を部屋に上げるが、主から教わった鑑定の用語がデタラメでトンチンカン。五左衛門が席を外したすきに「香」を食べ物と間違えて弥吉が口に入れ火傷する。見かねた五左衛門がお口に傷がつきますと言うと、弥吉は「にゅう」でサゲ。
登場人物の言動に合理性がなく、大して面白い噺とは思えなかったが、喬太郎の高座は愚かな弥吉をさらに戯画化して楽しませていた。

小満ん『派手彦』
圓生の録音は残されているが、寄席ではあまり聴けない珍しいネタだ。
このネタは、前段で松浦佐用姫(まつらさよひめ)の伝承が語られる。以下はウィキペディアからの引用。
【537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦(さでひこ)と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。万葉集には、この伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌が収録されている。】
舞の師匠・お彦は、たいそうな美人だが男嫌い。間口二間半、奥行き六間の奥を舞台にして踊りの稽古をする姿が真に派手で「派手彦」の綽名がついていた。入り口が格子だったので、派手彦を見に来る男たちで黒山の人だかり。
一方、近所の酒屋「松浦屋」の番頭で佐兵衛、42歳だが女嫌いで独身。これがたまたま通りかかった格子から派手彦を一目見て恋煩い。
お医者様でも草津の湯でもで、酒屋の主人は出入りに頭(かしら)に派手彦との取り持ちを頼む。彼女が頭の妹分だったので話はとんとん拍子に進み、めでたく佐兵衛と派手彦は夫婦になる。惚れた佐兵衛は一時も彼女とは離れたくない。
そんな時、木更津で祭りがあるからぜひ派手彦師匠に踊ってもらいたいとの依頼が舞い込む。祭りが終われば直ぐに返すからと、嫌がる佐兵衛を周囲が説得し、いよいよ派手彦が船に乗って去って行く。船着き場で見送っていた佐兵衛は悲しみのあまり、石のように固まってしまった。
その時、佐兵衛が何か言った。聞いてみたら、
「女房孝行(こうこ、漬物)で、重石(おもし)になった」
でサゲ。
タイトルは派手だが、地味な噺だ。プロの落語家って、こういうのを好むんですね。
小満んの高座は、恋煩いで寝込んだ佐兵衛が、派手彦の名前を聞いたとたん、右手を袖口に入れて踊りの恰好をするのだが、これが軽妙で粋。こういう所がいいんでしょうね。

扇辰『麻のれん』
解説不要の扇辰の十八番。でも、たまには、師匠・扇橋のあっさりとした高座が恋しくなるね。

小満ん『江戸の夢』
宇野信夫の原作で、これまた圓生の録音が残されているが、珍しいネタ。
庄屋の武兵衛夫婦には跡取りがいない。一人娘が奉公人の藤七を婿にして欲しいと言い出すが、氏素性をあかさないので最初は反対する。しかし本人は働き者だし品が良いというので両親も納得し、二人は祝言をあげる。娘夫婦は仲睦まじく子どももでき、藤七も親孝行で良く働くので周囲からも信用がついてきた。
そんなある日、武兵衛夫婦が若葉の頃に江戸見物に出かけると言い出す。それを聞いた藤七は急に家を飛び出し、夜遅くなって戻ってくる。事情を聞くと、遠くまでお茶の木を求めに行ってきたとのこと。それから藤七は日当たりの良い所へお茶の木を植え、日々手入れを欠かさない。
やがて、武兵衛夫婦は江戸に出発する日に、藤七が浅草寺に行くなら、浅草の並木にある奈良屋に寄って、茶の出来栄えを鑑定してもらってほしいと両親にお願いした。
武兵衛夫婦は数日江戸見物をした後、浅草寺近くの茶屋・奈良屋を訪れる。折りよく主人の奈良屋宗味と対面でき、持参した茶を見せると奥の茶室に通され、藤七が造った茶を飲ませてくれた。
宗味からこの茶を製した婿のことを聞かれたので、6年前から今までの経緯を話すと、宗味はこういう話を始める。
「この茶は、私と倅の2人しか知らない秘法です。気立てが良く、まめまめしく働き機転は利くし、よい男でしたが、酒で間違いを起こし、人を殺める事まであり、6年前に遠いところに行ってしまいました。久しぶりに飲むこのお茶。よくぞ、この秘法を会得なされたと、宗味が喜んでいたと、婿殿にお伝え下さい」。
見送られて表へ出た武兵衛夫婦、そういえば藤七の常日頃の行儀良さ、言葉使い。
「あの茶人の息子さんだったんですね・・・」
「氏(宇治)は争えないものだ」
でサゲ。
蒸し暑い夏の空気の中にいちじんの江戸の涼風、江戸の粋。

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コメント

うむ!チラシを見てチケットを買おうと思いながらいっぱい飲んだら忘れてしまいました。
頭がにゅうになってます。

佐平次様
座談会で小満んが300席を演じていると語っていました。日に数時間稽古するとも。やはり日ごろの精進ですね。

「江戸の夢」聴いてみたいなぁ。小満んはレパートリーが広いですね。
圓生は「アタシは365日ネタを変えられます」と豪語していたと聞きましたが(先代圓楽談)、それに迫ってほしいもんです。

宇野信夫といえば、タウン誌「うえの」のエッセイを愛読しておりました。
手元にある圓生『書きかけの自伝』(旺文社文庫)にも「対談圓生春秋噺」が載っておりますが、お互いの信頼感が強く感じられます。

福様
小満んは300席を高座に掛けたと言ってました。喬太郎が、それじゃ圓生に迫りますねと言ったら、小満んは中身が違いますと謙遜してました。この日は2席とも良かったです。

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