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2016/08/30

鈴本演芸場8月下席・夜(2016/9/29)

鈴本演芸場8月下席夜の部9日目

前座・春風亭朝太郎『道灌』
<  番組  >
春風亭朝之助『幇間腹』
翁家社中『太神楽曲芸』
桂やまと『狸の札』
入船亭扇遊『棒鱈』
柳家小菊『粋曲』
橘家圓太郎『野ざらし』
春風亭一朝『目黒のさんま』
─仲入り─
すず風 にゃん子・金魚『漫才』
三遊亭歌奴『宮戸川』
林家楽一『紙切り』
春風亭一之輔『粗忽の釘』

開演時はパラパラで、次第に客は増えていたが、それでも入りは3割程度か。鈴本で見る限り客足の波が大きすぎるようで、席亭は頭が痛いだろう。
感想をいくつか。

朝之助『幇間腹』、若手のこのネタを聴く機会が多いが、どうも肝心の幇間がさっぱり幇間らしくない。もう少し経験を重ねてから掛ける演目なのではないかな。

翁家社中『太神楽曲芸』、口上はもっと明るく語って欲しい。こういう芸は華やかさが身上なんだから。

やまと『狸の札』、明るくて愛嬌があって良い。聞きやすい噺家だ。

扇遊『棒鱈』、貫禄の一席。言葉や所作に過不足が無いのはさすが。小さなお子さんに受けていた。

小菊『粋曲』、もう、ただただウットリ。この唄を聴くだけで鈴本に来た甲斐があったというもの。

圓太郎『野ざらし』、この人らしい熱演だったが注文がある。幽霊が男の部屋を訪ねてきた時に、入室を逡巡する意味が分からない。わざわざ向島から会いに来たんだから、独身と分かったらすっと入る方が自然だと思う。

一朝『目黒のさんま』、この辺りで吉原の噺かと期待したが、夏休みで子どもさんがいたせいか目黒だった。一朝が描く殿様は世間知らずで我儘ではあるが、決して愚君ではない。ご馳走で出た秋刀魚料理を不味いと言ってしまったら、料理人が責めを負うことになる。そこで「秋刀魚は目黒に限るぞ」と機転を利かしたわけだ。なかなかの名君である。

ひとつ飛ばして。
歌奴『宮戸川』、大分出身だそうだ。大分はいいですよ。温泉は豊富だし魚は新鮮で美味しいし、女性は情が深く・・・。まあ、そんな私事はどうでもいいのだが。
膝前で軽く笑わせて、サゲが変わっていた。この夜のお花半七が結ばれた結果、生まれた子どもがやがて鈴本でトリを取る。「春風亭一之輔誕生の物語です」でサゲた。

楽一『紙切り』、初見。体を揺らさない紙切りって、違和感があるね。「どらみちゃん」で苦戦していた。

一之輔『粗忽の釘』
一之輔の高座というのは、中身がくるくる変わる。同じネタを翌日聴いたらもう変えていた、なんてこともある。それが計算ずくで変えるのか、その場の思い付きで変えるのかは、分からない。計算ずくなら大変な努力家だし、思い付きなら特異な才能というしかない。いずれにしろ、センスの良さと言う点では異論はなかろう。
以前に『らくだの子ほめ』というネタを聴いたことがある。多分、本人の作だと思うが、あの「らくだ」が産まれたばかりの赤ん坊の子ほめに行く。札付きの乱暴者が来たのだから、家族は恐怖に怯える。らくだは、子どもを褒めたんだから何かお礼を寄こせと要求する。仕方なく、らくだにトラフグを渡す。意気揚々と引き揚げるらくだ。その晩、自分で調理したフグにあたって死んでしまうというストーリー。
これなんざぁ、良く考えたもんだ。前から金が無いらくだが、どうやってトラフグを手に入れたのか、そこが疑問だった。だから、一之輔のこのネタを聴いて妙に納得したのだ。こういう所にこの人のセンスを感じる。
この日の『粗忽の釘』では、粗忽の男が女房と一緒に行水をして洗いっこをしているうちに、たらいの底が抜けてしまった。たらいの側をクルクル回しながら二人で踊ると、これがまるで土星の様だと「土星踊り」と名付ける。そのうちタガが緩んで木も外れ、二人は素っ裸のまま。そこへかつて女房が奉公に上がっていた伊勢屋の犬の「ペロ」が来て、男の大事なとこをガブリ。怒った女房がペロの尻尾を持って振り回し、どこか遠くに飛ばしてしまう。そのお陰で引っ越す羽目になってしまったのだと。この話を、壁に釘を打ち込んだ詫びに行った隣家に上がりこんで、相手の主人にしゃべって帰ってゆく。この粗忽男、まさに病膏肓に入る。女房もしっかりしてるようで、実は似た者夫婦なのだ。そうでなくっちゃ、こんな男と一緒には居られない。
一之輔、どこまで本気なのか、正気なのか。

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2016/08/28

「上方落語会」(2016/8/27)

特別企画公演「上方落語会」
日時:2016年8月27日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・笑福亭希光『平林』
桂文三『ちりとてちん』
月亭遊方『絶叫ドライブ~彼女を乗せて~』
笑福亭鶴光『善悪双葉の松』
―仲入り―
林家染二『借家借り(小言幸兵衛)』
千田やすし『腹話術』  
桂ざこば『笠碁』

出演者では色物を除き、遊方とざこばが初。

文三『ちりとてちん』、この人の高座はひたすら明るい。顔を見ているだけで、こちらの表情も緩んでくる。ご本人の性格もきっと良いのだろう。料理が茶碗蒸しだけだったのは、ちと寂しかったが。

遊方『絶叫ドライブ~彼女を乗せて~』、車にまつわる長めのマクラから本題へ。新米ドライバーが彼女を車に乗せるが失敗ばかり、というストーリー。会場では笑いが起きていたが、アタシはつまらなかった。勢いだけでしゃべってる印象だ。もしかして『反対車』の改作? 違うかな。

鶴光『善悪双葉の松』、ギャグを次々繰り出すマクラから滑稽噺かと思っていたら、人情噺。講談の『名刀捨丸の由来』を鶴光が落語にしたもの。
ストーリーは。
江戸で真面目に奉公して貯めた100両を持って、男がが故郷に向かう途中で山賊に会い、身ぐるみ剥がされる。帰り道の用心のためと山賊から錆びた刀を受け取るが、これが名刀。300両の値が付いて再び武助は故郷に向かう。途中で山賊と再会するが、実家を潰した実兄だったことが分かる。兄は自殺し、男は拐されて強引に妻にされていた庄屋の娘を連れ帰り、結婚して家を再興する。
お堅い物語だが、鶴光はクスグリを挟んで地噺風に進め、楽しく聴かせていた。

染二『借家借り』、東京では『小言幸兵衛』として知られるが、元は上方落語。
ストーリーは東京で演じられているものと同じだった。最後の芝居仕立ての心中話では染二の芸達者が発揮されていた。

ざこば『笠碁』、ご本人が囲碁を打つ話をマクラに振って本編へ。このネタも元は上方だ。そういえば碁敵の大店の旦那は、船場あたりの商人が似合いそうだ。
さすがに碁を打つ手つきが上手く、語りも心地よい。
サゲは付けずに、目出度い話として切っていた。
ただ、5代目小さんや10代目馬生の様な抑えた演出の方がアタシの好みだ。

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2016/08/27

#67人形町らくだ亭(2016/8/25)

第67回「人形町らくだ亭」
日時:2016年8月25日(金)19時
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・金原亭小駒『手紙無筆』
五街道雲助『汲み立て』
三遊亭圓橘『牡丹灯籠・お峰殺し』
~仲入り~
春風亭一朝『蔵前駕籠』
柳家小満ん『応挙の幽霊』

雲助『汲み立て』
2度目となるが、相変わらず上手い。
極め付けとなると圓生ということになるが、雲助の高座の方はカラッと明るい。師匠たちの夕涼みに嫌がらせする町内の若い衆たちが、炎天下でしかも屋根のない船でバカ囃子をする場面が可笑しい。

圓橘『牡丹灯籠・お峰殺し』
『栗橋宿』というタイトルでも演じられるが、『お札はがし』の続きとなっている。
伴蔵お峰の夫婦の計略によって新三郎は幽霊にとりころされてしまう。二人が住んでいた根岸の長屋の近くに金無垢の開運如来像を埋め、幽霊から貰った100両の金を懐に、伴蔵の生まれ故郷である栗橋に移り住む。そこで一軒の家を買い、「江戸荒物関口屋」という店を出す。店は繁盛し、奉公人も置くようになる。
そうなると伴蔵の浮気の虫が騒ぎ出し、近ごろは従弟の馬方久蔵を共にして、「笹屋」という料理屋通いの日々。伴蔵に女の影を感じたお峰は、馬方久蔵に酒と小遣いで騙し、伴蔵が「笹屋」に出ているお国という女と懇ろになり、金を渡していることを聞き出す。お国は亭主と江戸を出奔し、ここ栗橋の宿まできたが、亭主の足が悪くなり生活費を稼ぐためお国が酌婦として「笹屋」に出ていた。(なお、お国は幽霊になって新三郎をとりころしたお露の義母だ)
帰宅してきた伴蔵をお峰が詰問し、お国との関係を白状させる。夫婦喧嘩となるが、お峰が新三郎殺害の一件を持ち出すと伴蔵は謝罪し、お国とは手を切ると約束し、その夜は仲直りをする。
幸手でお祭りがあるという夜に二人で出かけ一杯飲んだ帰り道、幸手の土手にかかる。伴蔵は、先日江戸に行った際に開運如来像を掘りだしてきてここ幸手堤に埋めたことをお峰に告げ、今から掘り出すのでと見張りを頼む。暗闇の中、「向こうから誰か来やしねぇか?」という伴蔵の声に、身を乗り出して確かめるお峰。伴蔵は後ろからそっと近づき、脇差を抜いてお峰の肩先を切りつける。
お峰殺しの一席。
圓橘の落ち着いた静かな語りはこの物語にふさわしいが、クライマックスのお峰殺しの場面はもっと緊迫感が欲しかった。

一朝『蔵前駕籠』
気風の良い江戸っ子を演じさせたら、この人は第一人者といってもいいだろう。
吉原の好きな敵娼(あいかた)に会うためなら命をかけてもいうという、これぞ江戸っ子の鑑だ。フンドシ一丁で辻斬りたちを退ける心意気は天晴れ。

小満ん『応挙の幽霊』
幽霊の絵を集めるのが道楽の客が、書画骨董屋に飾ってある幽霊の掛け軸を見て、あまりの出来栄えに円山応挙の作に違いないとふんで、100円で買い求める。これから所用があるので一晩預かって貰いたいということで、骨董屋の主は自室の床の間に掛けた。2円の仕入れで100円で売れた大儲けの主は、嬉しくなってスコッチの高級ウイスキーを飲み始めるが、一人じゃ寂しいので幽霊の絵にも献杯する。
すると絵から幽霊が抜けだしてきて、一緒にグラスを交わす。
幽霊がお代わりを頼む時"once more"と言うので、訊けば生まれは京都だが、さらわれて長崎の遊女になり、オランダ人を客にしていたので外国語を少ししゃべれるようになったという。酔いが回ってくると「長崎浜節」を唄いだす。
♪浜じゃえ 浜じゃ網引く 綱を引く
  丘じゃ 小娘の 袖をひく♪
そこから先は二人すっかい意気投合し、都々逸合戦。
翌朝になれば客が絵を取りに来るので、酔っぱらってしまった幽霊に絵に戻るよう告げる。
絵の中に戻った幽霊はまともに立つことが出来ず、手枕で横になってしまう。
「おいおい、寝てちゃけない。立ってくれなくちゃ」
「幽霊だけに、足がないの」でサゲ。
小満んの高座は、なんとも言えないいい味を出していた。通常は骨董屋と幽霊は日本酒を酌み交わすのだが、これをウイスキーに変えている。同時に幽霊の現役時代を長崎の遊女にして異国情緒を持たせた。グラスでウイスキーを呑みながら都々逸を唄うという、この趣向が粋なのだ。
観ていて幸せな気分になる高座というのは、年間でも数少ない。良い日に巡り合った。

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2016/08/26

笑福亭三喬が「7代目笑福亭松喬」を来秋に襲名

以下は、2016年8月26日付「スポニチ・アネックス」の記事より。

【松竹芸能は25日、上方落語家の笑福亭三喬(55)が来秋、7代目笑福亭松喬を襲名すると発表した。大阪市内で会見した三喬は「師匠が大きくした名跡。勝るとも劣らない松喬になりたい」と意気込みを語った。
師匠の6代目松喬は2013年に62歳で死去。上方屈指の本格派として知られた師匠譲りの古典落語に定評があり、次代を担う存在として期待されている。
10月29日、大阪松竹座で三喬として最後の開催となる「第7回三喬三昧」では師匠の十八番「らくだ」に初挑戦。「(兵庫県西宮市出身で)大阪の下町の子でない私ですが、自分なりの“らくだ”ができれば。師匠の“らくだ”をマネしても追い越せない」と語った。
11年に6代目を継いだ桂文枝(73)とは「長男(一番弟子)は責任あるよなあ」と話したそうで、笑福亭仁鶴(79)からは「君の歩幅で歩けばいい」とエールを送られた。】

笑福亭三喬は2011年以来、「東西笑いの喬演(三喬・喬太郎二人会)」を始めとして、毎年のように高座をみている。
最初に聴いた高座は『鹿政談』で、マクラでの時代背景や奉行職の解説が分かりやすく、このネタの奥行きの深さを感じた。
以後、『月に群雲』『花色木綿』など盗人噺を楽しく聴かせてもらった。後で知ったが上方では「泥棒三喬」の異名をとっているとのこと。
早逝した師匠・6代目松喬は『らくだ』や『百年目』などを得意としていて、なかでも『首提灯』は絶品だった。酔っぱらいの「これ~~はぁ~、なに?」というフレーズに耳に付くほどだった。
三喬は師匠とはだいぶ芸風が違うが、新たな7代目松喬としての活躍を期待したい。

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2016/08/24

春風亭小朝独演会(2016/8/23)

「春風亭小朝独演会-菊池寛が落語になる日-vol.2」
日時:2016年8月23日(火)18:30
会場:紀伊國屋ホール
<   番組   >
春風亭ぴっかり『辰巳の辻占』
春風亭小朝『ねずみ小僧』(菊池寛『ねずみ小僧外伝』より)
春風亭小朝『妻の手紙』(菊池寛『妻は皆知れり』より)
~仲入り~
小湊昭尚『尺八演奏』
春風亭小朝『牡丹灯籠・お札はがし』

久々の小朝だ。たまに寄席で見ることはあるが、たいていは軽い噺で逃げてしまうので、ちゃんとした落語を聴こうと思ったら独演会に来るしかない。
小朝が菊池寛の小説を落語にして上演するというのはメディアでもとりあげられていたが、年内の2席ずつ3回の口演を予定しているらしい。この日がその2回目。会場は満席で、高齢も方が多かった。
文学作品を落語にするというのは珍しいことではなく、この日の演目である『牡丹灯籠』にしても、中国の小説『牡丹燈記』が下敷きになっている。これは円朝の作品だが、他にも海外の文学を翻案した作品をこさえている。
『古事記』さえ落語になっているのだから、ソースは無尽蔵だ。是非、今後もこうした試みを続けて欲しいと思う。

ぴっかり『辰巳の辻占』、いくつか言い間違いがあったが、気風の良さが出ていた。男を演じるとき、低い声が出せるのが良い。

【注意】以下、ネタバレあり。

小朝『ねずみ小僧』
今回口演の2演目とも作品が未読なので原作との比較ができないので、悪しからず。
鼠小僧というタイトルだが、主人公は越中の大名だ。城下に彫り物の名人がいて、城出入りの御用商人から殿様の像を彫って欲しいと依頼がくる。しかし名人は昔から殿様の性格が嫌いで断るが、どうしてもという強い要請に応じて像を彫る。商人は喜んで殿様に届けると、評判を聞きつけた他藩の大名たちが見に来て、出来栄えの素晴らしさを褒める。しかし肝心の殿様は自分の像を一目見るなり、己の弱点がそのまま表情に表されていることに腹を立て、家来に命じて蔵にしまわせる。
ある夜、城に鼠小僧が忍び込むが殿様に見つかってしまう。ここで一計を案じ、命は助けてやるがその代り像を盗み出してくれと頼み、金まで渡してしまう。
翌日になると殿様は家来に命じ蔵から像を出させ、銀の台の上に置いて床の間に飾らせる。その夜の家来たちの宿直もやめさせておくと、約束通り鼠小僧が忍び込み像を持ち去る。殿様はすっかりご機嫌。
翌朝、家来たちが慌ててご注進。「大変でございます、あの像が・・・」「なに、盗まれたか!」「その、像は無事でしたが、銀の台だけ無くなっています」。
急いで殿様は床の間の像を見に行くと、像の顔が・・・(最後尾の席だったので、小朝の表情は分からなかった)。
鼠小僧が大名に一杯食わしたという物語。
小朝の語りの確かさが生きていたが、筋自体は大して面白くない。数ある「鼠小僧」ものの中でもあまり出来が良いとは思えない。

小朝『妻の手紙』
こちらは一転して現代もの。
喫茶店で二人の中年男がさし向かい、二人は昔からの親友同士らしい。片方の男(Aとする)の奥さんが36歳という若さで病死し、それをもう片方の男(Bとする)が懸命に慰めている。Aが言うのは、自分のせいで妻が早死にしたのだと。
Aは亡妻の思い出を語り始め、とても直感の鋭い女で、自分がいつ会社から帰宅しても妻は玄関で猫を抱いて待っており、食卓には今できたばかりの料理が湯気をたてていた。妻が言うのには、二人が深く愛し合っているので気持ちが通じ合っていて、夫の行動が直感できるのだという。
処が、ある時Aの会社に若くて可愛らしい女子社員が入社してきて、互いに意気投合し一緒に食事に行くようになる。その頃から妻の直感が鈍りだし、夫が帰宅して以前のように歓迎してくれなくなった。お互いの愛情が薄れたのだと言うのだ。
でも、と、Aが言い出す。その原因は自分だけでなく妻の側にもあったと。ずばりBに対して、妻に好意を持たれていたんじゃないかと訊く。Bも正直に、Aが留守の時にたまたまAの宅を訪れ、奥さんが寂しい思いを打ち明けるものだから、ついついキスぐらいはしたと白状する。
Aは、実はそのことでBがとんでもない災難に巻き込まれることになったと告げる。いぶかるBにAは1通の手紙を渡す。妻が死んでから発見したものだという。Bがその手紙を読むとBへの熱い思いが書かれ、最後に「あなたの誕生日までに又お会いできます」と結ばれていた。
驚くBに、Aが「君の誕生日っていつだっけ?」と訊くと、Bは「明日だ!」と答える。
その瞬間、舞台は暗転し、救急車のサイレンが響く。
世の中には直感の鋭い人というのは実在する。特に夫の行動に対する妻の直感は鋭い。いくら秘密にしたと思っていても、実は妻にバレバレなんてことは、世の男性の多くが経験していると思う。それは愛情の裏返しであり、妻の側の愛情の対象が変われば、今度はその相手に直感が働いてしまうというのが作品のテーマだ。
ミステリータッチで、どんでん返しも効いており、良く出来た作品だ。
会話のテンポの取り方も、小朝は上手い。

小湊昭尚『尺八演奏』、久々に尺八の音を聴いたが、素晴らしい。あんな単純な楽器で、よくあれだけの複雑な音を出せる。音色はまた、人の心を落ち着かせる。

小朝『牡丹灯籠・お札はがし』
小朝の代表作をあげるとしたら、アタシはこのネタと『稽古屋』の2作品だ。
この演目は多くの噺家が手掛けているが、小朝の高座の優れた点をあげてみる。
・通常の『お札はがし』では、お露と新三郎の出会いは簡単に流すが、小朝は二人の出会いの場面を丁寧に描いていて、両者の心の動きまで活写している。特にお露の新三郎への一途な思いが巧みに表現されている。そこがあるので幽霊になってもなお新三郎への思いが絶ち難く、ただ会うのだけでなく身体ごと自分のものにしよういうお露の激しい情念を感じることができる。
まるで一篇の恋愛小説を読むようで、ここだけは小朝しか演じえない。
・伴蔵と妻のお峰夫婦の中で伴蔵はグウタラで優柔不断の小悪党、お札はがしもお峰が主導権を握って、100両と引き換えに伴蔵にやらせる。この設定は物語の後編への伏線になるので大事なところだ。
・お露の女中・お米が、新三郎との取り持ちやお札はがしの際の伴蔵との交渉、そして交換条件としての100両の調達と、大活躍する。
小朝の描く女性たちは揃ってアグレッシブだ。
・滑稽噺風のクスグリを入れて、陰惨になりがちな噺を明るく演じている。これも小朝の特徴だ。
その分、軽いという批判もあるかも知れないが、こういう演じ方があってもいいのだ。

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2016/08/22

オリンピック雑感

2016年のリオ五輪が閉幕した。プロ野球と大相撲以外のスポーツにはそれほど関心がないので、TVでダイジェストのシーンを見る程度だった。
家族からはシラケテルという批判もあるが、その通りかもしれない。
いくつか感じたことを書いてみる。

最も印象に残ったのは、トラックの400mリレーだった。日本選手の銀メダルは誰もが予想できなかっただろう。チームの力が個人記録の足し算ではなかったことは、スポーツ以外の分野でも教訓になる。
早く走れた者、高くor遠くに跳んだ者で勝敗が決まるというスポーツはいい。潔いし、これぞスポーツだ。
点数だのポイントだので勝ち負けを決める採点競技なんてぇのは、まだるっこしくていけない。

オリンピックを国威発揚に利用する傾向が年々高まっているように見える。ナチスじゃあんめぇし。国歌を声を出して歌えなんて命令はその典型だ。
競技をするのは選手であり、国家ではない。
メダルを獲得して称賛されるべきは選手個人やチームであり、それを支えてきたスタッフたちだ。
国威発揚の行き着く先は国家ぐるみのドーピングだ。
勝利した選手たちが国旗を背負って歩く姿がすっかりお馴染みになったが、長いオリンピックの歴史の中では最近の傾向らしい。
どうもイヤな感じなのだ。

破れた選手や、成績の振るわなかった選手が謝罪する場面を度々目にしたが、あれは誰に対して謝っているんだろう。国にか?
負けたら謝らなくちゃいけないなら、阪神なんざぁ1年中頭を下げっぱなしになっちまう。「今度の監督は謝りっぷりがいいから、来年も続投か」なんてね。
気持ちだの気力だのというが、相手だって必死なのだ。
謝らずに前向きな発言をしたり、敗因を冷静に述べたりすると、ネットなどでバッシングされると聞く。まるで集団リンチだ。一部の人間の憂さ晴らしの標的にされる選手はかわいそうだ。

次のオリンピックは東京になるようだが、前回の東京五輪の後のオリンピック不況を経験してるので、いいイメージを持っていない。
オリンピック成功のためという錦の御旗の元で、国や地方自治体が大盤振る舞いをしてしまう。その反動が五輪が終わってからどーんと来て、そのツケは国民が負うことになる。
次のオリンピックに向けての予算の膨張は、既にそのことを予告している。
動く金が巨額になればなるほど、甘い汁を吸う人間には好都合なのだ。
国民がよほど監視の目を強めていかないと、とんでもないことになる。

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2016/08/20

鈴本演芸場8月中席・夜(2016/8/19)

鈴本演芸場吉例夏夜噺「さん喬・権太楼特選集」9日目
<  番組  >
柳家喬之助『夏泥』
ダーク広和『奇術』
春風亭正朝『普段の袴』
橘家文左衛門『目薬』
柳亭市馬『蝦蟇の油』
ホンキートンク『漫才』
柳家喬太郎『にゅう』
露の新治『まめだ』
~仲入り~
鏡味仙三郎社中『太神楽』
柳家権太楼『御神酒徳利』            .
林家正楽『紙切り』
柳家さん喬『妾馬』            .
         
鈴本演芸場のお盆興行は恒例の「さん喬・権太楼特選集」、その9日目に出向く。大看板二人に加え上方の新治が出演するので、毎年欠かさず来ている。19日は代演(三三→文左衛門)が少ないので、この日を選んだ。
例によって短い感想を。

喬之助『夏泥』、臆病な泥棒と図々しい男とのヤリトリは季節にふさわしいのだが、何か物足りない。なんだろう?

ダーク広和『奇術』、「道楽商売」を地でいく手品師。客受けより自分の好みで芸を披露するという珍しいスタイルは、貴重な存在。

正朝『普段の袴』、煙管の吸い方がサマになっている。こういう所が若手は及ばない。

文左衛門『目薬』、襲名の準備で落語なんかやってる場合じゃないと、軽い艶笑噺で逃げる。

市馬『蝦蟇の油』、この日はあっさりとした高座。

ホンキートンク『漫才』、ボケ役の異常なハイテンションに辟易する。東京漫才なんだから、もう少しスマートにできないものか。

喬太郎『にゅう』、先日聴いたばかりだが、この日の方が出来がよく客席を沸かせていた。余分なマクラを振らないだけネタのリズムが良かった気がする。

新治『まめだ』、意味は「豆狸」。三田純市が桂米朝のために書き下ろした新作落語。
三津寺の門前の膏薬屋「本家びっくり膏」の息子・右三郎は大部屋の歌舞伎役者。膏薬を塗りながらトンボ返りの稽古に励む毎日。
ある時雨の夜、右三郎が傘をさして歩いていると急に傘が重くなった。つぼめてみると何もない。これを繰り返しているうちに、「まめだ」の悪戯だと気付いた。懲らしめのために傘が重くなったタイミングでトンボを切ると、何かが地面にたたきつけられて悲鳴が聞こえ、黒い犬のようなものが逃げて行った。
芝居から帰った右三郎に母親が、膏薬の売り上げが1銭足りず、その代りに銀杏の葉が1枚入ってる言う。色の黒い小僧が膏薬を買いにくると勘定が1銭足りず葉っぱが1枚入るのだと。そのうち、色の黒い小僧の姿が見えなくなり、売り上げの勘定も合うようになった。
ある朝、右三郎が芝居小屋に出かけようとすると、三津寺に人だかりがしている。行ってみると、境内に体一杯に貝殻つけたまめだが死んでいた。その貝殻は「本家びっくり膏」の容器だった。右三郎は、あのトンボを切った雨の夜に「まめだ」が体を痛めたために、小僧の姿に化けて銀杏の葉を金に変えて膏薬を買いに来ていたことを悟る。
右三郎が自分のせいで「まめだ」に可愛そうなことをしたと言うと、母親と町内の者はいたく同情し、三津寺に頼んで簡単な葬儀を取り計らってもらい、遺骸は穴に葬る。
翌朝、秋風がサ~ッと吹いて来る。境内一面に散り敷いていた銀杏の落ち葉がハラハラ、ハラハラハラハラとマメダの死骸の上へ集まって来た。
「お母ん見てみぃ・・・、狸の仲間から、ぎょ~さん香典が届いたがな」でサゲ。
新治の高座は右三郎が見栄を切る場面を加えて、しみじみと聴かせていた。以前に聴いた『権兵衛狸』もそうだったが、この人は民話風の噺も上手い。

権太楼『御神酒徳利』、というタイトルだが、中身からすると柳派のお家芸である『占い八百屋』だ。ストーリーも少し違う。
八百屋が御用聞きに来たが、女中が横柄な態度で門前払いを食らわしたので腹を立て、そばにあった御神酒徳利を水瓶の中に隠してしまった。それが家宝の徳利だったので紛失だと大騒ぎになると、八百屋が店の主人に申し出てソロバン占いで見事に徳利が水瓶の中にあるのを当てる。自分が隠したのだから、当たるのは当然だが。
そのことを知らない主人は八百屋の占いの能力に感激し、東海道三島にいる弟が預かり物の観音様を紛失したので、その場所を占ってほしいと申し出る。嫌がる八百屋を説き伏せ、二人は三島に向かう。
途中の小田原の宿で、50両の金が紛失したという宿の主と番頭から八百屋は占いを頼まれる。元より分かるわけがない八百屋は、占いにかこつけて夜逃げの支度。そこへこの宿の女中が現れて、病気の親の薬代のために50両を盗み、裏の稲荷の祠に隠してあると告げる。気が変わった八百屋は宿の主を呼んで、占いのふりをしながら50両の場所を教える。
この評判が近隣に伝わると、占ってくれという人たちが押し寄せて、宿の表まで行列が出来る始末。仕方なく寝ていた八百屋を起こしに行った番頭だが、姿が見えない。
「大変です。今度は先生が紛失しました」でサゲ。
以前に他の演者で聴いたときは『御神酒徳利』と比べてスケールが小さく、その分面白味に欠けると思っていたが、さすがは権太楼。「禍福は糾える縄の如しの」の八百屋の表情を巧みに描いて楽しませてくれた。

正楽『紙切り』、この日は「虫の声」「風鈴」「暫」「ゴジラ」を切る。

さん喬『妾馬』、この人の手にかかると八五郎が母親思い、妹思いの優しい男になる。出されたご馳走を母親の土産にと折詰にして貰ったり、妹のことを頼むと周囲の女性たちに頭を下げたりと。ただ、妹のお鶴の傍まで行って赤ん坊をあやすのは行き過ぎ。殿様の脇に側室が赤子を抱いて座っているなんて有り得ないでしょう。こうした点がいつも蛇足に映るのだ。

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2016/08/18

柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め(2016.8.17)

「柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め」
日時:2016.8.17(水)19時
会場:イイノホール
<  番組  >
『ご挨拶』扇辰、喬太郎
柳家喬太郎『にゅう』
柳家小満ん『派手彦』
~仲入り~
入船亭扇辰『麻のれん』
柳家小満ん『江戸の夢』
『対談』小満ん、扇辰、喬太郎

小満んを敬愛する扇辰と喬太郎の二人がリクエストしたネタを、小満んが演じるという趣向の会。こいつぁ、行かざぁなるめぇ。
小満んが未だ二ツ目で黒門町の弟子だった時代から続いている独演会に、扇辰と喬太郎が前座時代に手伝いに行っていたという。その頃から二人は小満んの高座に惹かれていたそうだ。そんな縁が今回の会につながった模様。
喬太郎からのリクエスト:『源平盛衰記』『御用』『探偵うどん』『派手彦』
扇辰からのリクエスト:『湯屋番』『江戸の夢』『紫檀楼古木』
当日それぞれから選んで、小満んが前記2席を演じた。
なお、今回の4席中『麻のれん』を除く3席は初見。

喬太郎『にゅう』
オリンピックには全く関心がなく競技も見てないと。本人も認めている通り、今どき勇気ある発言だ。国民全員が同じだなんて気持ちが悪い。スポーツ嫌いはよいが、体重をコントロールするか、下半身を鍛えた方がよいと思う。座るときの姿勢を見るかぎり、だいぶ膝が悪そうだ。この歳で膝はまずかろう。
『にゅう』は古典から掘り起こしたネタだ。「にゅう」と言うのは道具屋で商品の疵をいい、この言葉がサゲに使われている。
客先から骨董品の鑑定を頼まれた半田屋長兵衛が、これからの仕事を断るためにわざわざ愚かな奉公人・弥吉を長兵衛に仕立てて先方に行かせる。
弥吉は先方の萬屋五左衛門宅を裏口から入り、庭の松の木を折ったり灯篭を倒したりと傍若無人。香を焚いていた五左衛門が長兵衛に扮した弥吉を部屋に上げるが、主から教わった鑑定の用語がデタラメでトンチンカン。五左衛門が席を外したすきに「香」を食べ物と間違えて弥吉が口に入れ火傷する。見かねた五左衛門がお口に傷がつきますと言うと、弥吉は「にゅう」でサゲ。
登場人物の言動に合理性がなく、大して面白い噺とは思えなかったが、喬太郎の高座は愚かな弥吉をさらに戯画化して楽しませていた。

小満ん『派手彦』
圓生の録音は残されているが、寄席ではあまり聴けない珍しいネタだ。
このネタは、前段で松浦佐用姫(まつらさよひめ)の伝承が語られる。以下はウィキペディアからの引用。
【537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦(さでひこ)と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。万葉集には、この伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌が収録されている。】
舞の師匠・お彦は、たいそうな美人だが男嫌い。間口二間半、奥行き六間の奥を舞台にして踊りの稽古をする姿が真に派手で「派手彦」の綽名がついていた。入り口が格子だったので、派手彦を見に来る男たちで黒山の人だかり。
一方、近所の酒屋「松浦屋」の番頭で佐兵衛、42歳だが女嫌いで独身。これがたまたま通りかかった格子から派手彦を一目見て恋煩い。
お医者様でも草津の湯でもで、酒屋の主人は出入りに頭(かしら)に派手彦との取り持ちを頼む。彼女が頭の妹分だったので話はとんとん拍子に進み、めでたく佐兵衛と派手彦は夫婦になる。惚れた佐兵衛は一時も彼女とは離れたくない。
そんな時、木更津で祭りがあるからぜひ派手彦師匠に踊ってもらいたいとの依頼が舞い込む。祭りが終われば直ぐに返すからと、嫌がる佐兵衛を周囲が説得し、いよいよ派手彦が船に乗って去って行く。船着き場で見送っていた佐兵衛は悲しみのあまり、石のように固まってしまった。
その時、佐兵衛が何か言った。聞いてみたら、
「女房孝行(こうこ、漬物)で、重石(おもし)になった」
でサゲ。
タイトルは派手だが、地味な噺だ。プロの落語家って、こういうのを好むんですね。
小満んの高座は、恋煩いで寝込んだ佐兵衛が、派手彦の名前を聞いたとたん、右手を袖口に入れて踊りの恰好をするのだが、これが軽妙で粋。こういう所がいいんでしょうね。

扇辰『麻のれん』
解説不要の扇辰の十八番。でも、たまには、師匠・扇橋のあっさりとした高座が恋しくなるね。

小満ん『江戸の夢』
宇野信夫の原作で、これまた圓生の録音が残されているが、珍しいネタ。
庄屋の武兵衛夫婦には跡取りがいない。一人娘が奉公人の藤七を婿にして欲しいと言い出すが、氏素性をあかさないので最初は反対する。しかし本人は働き者だし品が良いというので両親も納得し、二人は祝言をあげる。娘夫婦は仲睦まじく子どももでき、藤七も親孝行で良く働くので周囲からも信用がついてきた。
そんなある日、武兵衛夫婦が若葉の頃に江戸見物に出かけると言い出す。それを聞いた藤七は急に家を飛び出し、夜遅くなって戻ってくる。事情を聞くと、遠くまでお茶の木を求めに行ってきたとのこと。それから藤七は日当たりの良い所へお茶の木を植え、日々手入れを欠かさない。
やがて、武兵衛夫婦は江戸に出発する日に、藤七が浅草寺に行くなら、浅草の並木にある奈良屋に寄って、茶の出来栄えを鑑定してもらってほしいと両親にお願いした。
武兵衛夫婦は数日江戸見物をした後、浅草寺近くの茶屋・奈良屋を訪れる。折りよく主人の奈良屋宗味と対面でき、持参した茶を見せると奥の茶室に通され、藤七が造った茶を飲ませてくれた。
宗味からこの茶を製した婿のことを聞かれたので、6年前から今までの経緯を話すと、宗味はこういう話を始める。
「この茶は、私と倅の2人しか知らない秘法です。気立てが良く、まめまめしく働き機転は利くし、よい男でしたが、酒で間違いを起こし、人を殺める事まであり、6年前に遠いところに行ってしまいました。久しぶりに飲むこのお茶。よくぞ、この秘法を会得なされたと、宗味が喜んでいたと、婿殿にお伝え下さい」。
見送られて表へ出た武兵衛夫婦、そういえば藤七の常日頃の行儀良さ、言葉使い。
「あの茶人の息子さんだったんですね・・・」
「氏(宇治)は争えないものだ」
でサゲ。
蒸し暑い夏の空気の中にいちじんの江戸の涼風、江戸の粋。

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2016/08/16

罪を憎んで人を憎まず

たまたまネットの記事を読んでいたら、”川崎中1殺人事件の「鑑定人」が明かす 主犯少年と9回12時間の面会”というタイトルの記事にぶつかった。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」は、2015年2月20日に、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年が殺害された上に遺体を遺棄された事件だ。事件から1週間後に少年3名が殺人の疑いで逮捕され、2016年に行われた裁判で横浜地裁は3名それぞれに対し懲役の不定期刑を言い渡している。うち1名は控訴したが、残る2名は刑が確定した。
とても痛ましい事件であり、事件現場が私が住んでいる所からそう遠くなかったので、鮮明に記憶している。

「フライデイ・デジタル」に掲載された鑑定人の証言によれば、主犯格とされたAは幼少期から父親からひどい体罰を受けていた。門限を破るなどした時は平手打ちで数回殴る。顔を避けようとした時には顔に蹴りを入れる、ハンガーで殴るなど、常軌を逸した暴行を受けていた。母親は彼をかばったが、外国人だったせいもありAとの言葉のやりとりが十分ではなかった。
「対象希求性」という言葉があり、これは自分を理解してくれる対象を求めるという意味だが、通常の子どもはみな対象希求性を持っているが、Aにはそれを受け止めてくれる大人が周囲にいなかった。
また、A自身も中学生の頃にイジメを受けていた。

もう一人の加害者Bの場合は、母親がフィリッピン人で父親は日本人だが、母親が次から次へと男を変えてきたので、Bは実の父の顔を知らない。その上、母親のネグレクトがひどく、かつては母の親戚がいるフィリッピンに置き去りにされたことがある。その母親は少年審判が終わると再婚し、アメリカに渡ってしまった。
悲惨というより他はない。
以上が、少年らと面会してきた鑑定人の証言だ。

もちろん、こうした家庭環境だからと言って、彼らが起こした犯罪を合理化することはできない。
しかし、事件の背景として彼らの生育環境が強く影響したであろうことは否定できまい。
事件直後は、加害者の少年たちに生きる資格がないだとか、極刑を求めるネット署名まで行われていた。
一般に被害者やその家族が、加害者に対して深い憎しみを抱き、時には報復をしたいほどの衝動に駆られる気持ちはよく分かる。私もその立場に置かれたら、感情を抑えられる自信がない。

しかし、直接関係のない人がなぜそこまで加害者を憎むのか、理解ができない。第三者であれば先ずは事件の経緯や背景を調べ、その上で自身の判断を下すべきではなかろうか。
私には「正義感」とは思えず、むしろ「野次馬根性」に映る。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。辞書で引くと「罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え」とある。
出典として孔子と聖書の言葉があげられていて、洋の東西にわたって同じ思想が語られていたようだ。
私たちは、もう一度この言葉の意味をかみしめるべきではなかろうか。

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2016/08/14

上方演芸会「3代目春団治トリビュート」(2016/8/13)

「横浜にぎわい座 第五十回 上方落語会」
日時:2016年8月13日(土)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
桂春蝶『地獄めぐり』
桂梅団治『いかけ屋』
桂春若『代書屋』
桂春雨『皿屋敷』『寄席の踊り~五段返し』
~仲入り~
桂小春団治『アーバン紙芝居』
桂春之輔『親子茶屋』

横浜にぎわい座で定期的に開かれている上方演芸会、今回は50回記念として「3代目桂春団治トリビュート」と題して、師匠に因んだネタを演じるという企画。
実際には6人の出演者の中で、師匠の十八番を演じたのは4人だった。
この内、梅団治を除いて全員が初見。
上方落語四天王のうち、ナマの高座に接したのは桂米朝と3代目桂春団治の二人だが、芸もさることながら強烈に印象に残ったのが二人の「色気と愛嬌」だ。そしてこれは大衆芸能の芸人にとって最も大事な要素だ。
落語会に足を運ぶのももちろん噺を聴きに行くのが目的だが、もう一つには芸人としての落語家を見に行くことにある。
芸を磨くと同時に、いかに魅力的な芸人になるかという努力も大切だと思う。

春蝶『地獄めぐり』、当代は3代目だが、容貌はあまり先代に似てない。このネタは3代目春団治とは関係がないと断って筋に入る。中身は『地獄八景』の短縮版。明るい高座スタイルで口跡も良い。

梅団治『いかけ屋』、いかけ屋というのは穴のあいた鍋や釜に溶かした金属を埋め込んで直す職業で、アタシが幼少の頃は東京でも見ることができた。春団治のお家芸のネタだが、職業自体が無くなったのでイメージがしづらいかな。
東京では桂小南が得意としていた。 今は演る人がいないだろう。
仕事中の鋳掛屋と、それをからかう悪童との掛け合いがストーリーで、悪童どもに手こずる鋳掛屋の姿が見せ場。声がこもっていて、聞き取りずらい箇所があったのが残念。
【訂正】8/16
落語通(寄席通い47年目)さんから指摘があり、調べたところ柳家喜多八が『いかけや』を度々高座にかけていた。ラジオ放送や、録音のダウンロードも2か所のサイトで行なわれている。
従って本文中の該当箇所を削除します。

春若『代書屋』、3代目が米朝から教わったネタで、春団治が高座にかけるようになってからは米朝は演じなくなったという。
春若は初高座にこのネタをかけたそうだが、随分と度胸が良かったんだ。
師匠譲りの代書屋と無筆の客との軽妙なヤリトリで聴かせていたが、大きな違いは師匠が演じる客の男がなんとも可愛らしく見えたこと。それと師匠の高座では、履歴書の紙がまるでそこにある様に丁寧に描いていたように記憶している。

春雨『皿屋敷』、痩身で眼が鋭く見える。マクラやネタになると軽妙洒脱で、見かけとのギャップが大きい。
1席終わった後の寄席の踊り『五段返し』が真に結構でした。芝居の(演目は不明だが)開幕から五段目までを3分弱の踊りで見せるのだが、この舞う姿が綺麗なのだ。曲は『越後獅子』だった。
羽織の脱ぎ方と踊りで、師匠の芸を継承している。

小春団治『アーバン紙芝居』、創作で、師匠十八番の『いかけ屋』の現代版。脱サラの男が昔懐かしい「紙芝居屋」になって、子ども達を相手に紙芝居をするのだが、さっぱり受けない。法律に詳しい子どもからは紙芝居を見せて菓子を売る行為について法的な問題を追及されるし、他の子からは「黄金バット」の紙芝居のストーリーの矛盾点を衝かれる始末。現代に風俗を織り込んで楽しくまとめていた。語りがしっかりしており、この人が師匠の後を継ぐのかと思わせた。

春之輔『親子茶屋』、いかにもという上方ネタ。
船場の大店で、茶屋遊びに明け暮れる若旦那に説教する父親、だが若旦那はいっこうに堪えず、親父より芸妓が大事という始末。「勘当だ!」と怒る父親を番頭がなだめ、気晴らしにと寺詣りをすすめる。所がこの親父、筆は大変な道楽者で、馴染みの茶屋にあがり2階座敷で芸妓を相手に扇子で目隠ししながら「狐つり」遊びを始める。後から外出していた若旦那がその店先を通りかかり、2階の遊びが面白そうなので仲間に入れてくれと頼む。こちらも扇子で目隠しし「子狐」となって遊びに加わる。遊び疲れて二人は扇子を取り対面。
「こ、これ、せがれやないか」
「あっ! あんた、お父っつぁん」
「うむ~、せがれか・・・・・必ず、博打はならんぞ!」
でサゲ。
うん、この父親のような茶屋遊びをおぼえないと、芸人の「色気と愛嬌」は身に着かないのかも。
そう思わせた一席。

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2016/08/13

東京四派若手精鋭そろい踏みの会(2016/8/12)

「東京四派若手精鋭そろい踏みの会」
日時:2016年8月12日(金)14:00
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・三遊亭けん玉(五代目圓楽一門会)『浮世床』
春風亭一之輔(落語協会)『代脈』
三遊亭兼好(五代目圓楽一門会)『野ざらし』
三遊亭遊雀(落語芸術協会)『悋気の独楽』
~仲入り~
林家木久蔵(落語協会)『幇間腹』
立川生志(落語立川流)『紺屋高尾』
『大喜利』全員

TVは朝昼夕方夜と1日4回のニュースしか見ないのだが、どの時間帯でもオリンピックのニュースが中心だ。しかもニュースの後でオリンピック特集の番組が組まれていて、同じ内容が繰り返される。それなら通常のニュースではオリンピック以外の報道を中心にすりゃいいのにと思ってしまう。他に伝えるべきことは無いのかと。
それとも政治部や社会部の記者はみな夏休みなのか?

「東京四派若手精鋭そろい踏みの会」は毎年この時期に行われているそうで、この日も補助席が出るほどの人気の会。顔ぶれも、一人を除き他の4人は四派を代表する若手精鋭だ。
もっともお盆だから、今どきはどこの寄席も満員だろうけど。

前座のけん玉『浮世床』、この日で3度目ぐらいだと思うが、声が大きくしゃべりもしっかりしていて筋が良さそうだ。

一之輔『代脈』、好みからいうと、どうもこの噺は好きになれない。主人公は医者の見習いである銀南だが、代脈として患者の家に派遣され、先方からも「若先生」と呼ばれているからには、年齢は20歳前後と推定される。愚か者という設定ではあるが、その言動はあまりに幼く子どもにさえ見えてしまう。かと言って、与太郎のような可愛げもない。圓生の口演が代表作といって良いだろうが、聴いても面白味を感じないのだ。
一之輔の描く銀南は少し大人っぽく、出された羊羹が藤村かとらやかという能書きを加えていた。また羊羹茶漬けを食べて師匠に怒られたことを思い出し、急に師匠に反論しに行くと言い出す場面を加えていた。愚かな銀南を幼稚化する方向ではなく、より戯画化して笑いを集めていた。

兼好『野ざらし』、一之輔が鬼才なら、兼好は奇才かな。かつては『野ざらし』と言えば3代目柳好だったが、現役の噺家はアタシの知る限りではみな8代目柳枝の型で演じている。兼好の高座も同様。但し、「さいさい節」から幽霊の女が長屋を訪れて男といちゃつく場面は柳好の型だ。ここを実に気分良さそうに弾けて演じ、幽霊といちゃつく所では珍しく好色な男の姿を描く。
兼好の新たな面を発見。

遊雀『悋気の独楽』、十八番のネタだ。いかにもキツイ本妻に、色っぽい妾。あれじゃ旦那ならずとも妾の家に足が向いてしまう。噺の主人公は小僧の定吉で、子どもだが実にしたたか。あの位の神経でないと、商家の奉公人は務まらなかったのだろう。遊雀の高座は人物描写の確かさと、スピーディは筋の運びで聴かせていた。
このネタの類似の作品に『喜撰小僧』があり、こちらの方が良く出来ていると思うのだが、8代目柳枝以後は演じ手がいないようだ。

木久蔵『幇間腹』、真打になって9年。前回は二ツ目時代に見たきりだから、もう10年以上前になるか。結論から言うと、二ツ目レベルの高座だ。素質の問題なのか、努力が足りないのか、そこは分からない。

生志『紺屋高尾』、人気者の多い立川流だが、実力からいえばこの人は3本の指に入るだろう。
前半の久蔵が高尾に恋煩いする所から、3年かけて貯めた15両で高尾と会えるまでが滑稽噺。後半の久蔵が高尾に身分を打ち明けて夫婦となる約束を交わす所は、人情噺風に展開する。生志の高座は前後半のメリハリと、久蔵の一途な心情を描いて好演だった。
この噺は実話に基づいていて、高尾(6代目と言われている)も実在の人物だ。美談のように描かれているが、よく考えれば花魁の再就職物語だ。来年の3月には年季があけるというのに、この高尾太夫は有力者に落籍(ひ)かされる話もなく、身の振り方に悩んでいたに違いない。そこにいかにも実直な染物職人が現れて、この人に賭けようと思ったのだろう。久蔵に渡した30両は店の開店資金で、計画通り暖簾分けをしてもらって店を持つことができた。店が繁盛するのも高尾としては最初から計算通りだったと考えれば、サクセスストーリーにも見える。
これを美談に変えた作者は腕が良かった。

最後は楽しく『大喜利』で締め。

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2016/08/11

【ツアーな人々】不満や文句ばかり言うツアー客

海外へ行くと不便なことが沢山ある。日本にくらべてサービスは概して良くないし、能率もいいとはいえない。日本と違ってかゆい所に手が届くような扱いが受けられず、イライラする人も少なくない。しかし、それも含めての海外旅行なのだ。多様な生活様式や文化の違いを受け容れられないようでは、海外に行く意味がない。
特に団体ツアーでは、文句や不満ばかり言っていると他の客の迷惑になるので、やめてもらいたい。

今年1月に中国へのツアーに行ったさいに、ツアーの中に「中国嫌い」の人が一人いて、ツアー期間中ずっと中国の悪口をいい続けていた。さすがに周囲は相手にしなくなっていたが、これも一人だけ相槌を打つ人がいて、二人だけで盛り上がっていた。第1日目から機内サービスが悪い(私から見れば普通だったが)、乗り継ぎに時間がかかり過ぎる(入国審査と保安検査、空港内移動を含めて1時間は決して長くない)、ホテルのチェックインの手続きに時間がかかるだのと(これも普通)、全て共産主義が悪いからと訴えるのだ。この調子が初日から最終日まで続く。
そんなに嫌なら中国なんか来なけりゃいいのにと思ってしまうのだが、どうやらそれとこれとは別らしい。
こちらも鼻歌だと思って聞き流していたのだが、料理にいちいちケチをつけるのには参った。「不味い不味い」を連発し、これも共産主義のせいだと言う。中華料理は円卓スタイルで大皿から自分の小皿に移して食べる。だから最初に食べた人間が「不味い」だの「食えない」だのと言うと、後の人まで食べにくくなるのだ。さすがにこれは他の参加者から注意があって、本人も言うのをやめたが。
本人からしてみれば文句を言うのも旅の楽しみの一つかもしれないが、ああいう人間が一人でもいると旅行の興がそがれる。

6月末からスイスのツアーに参加したのだが、一人少し前にトルコに行ったという人がいた。この人が相手かまわずトルコはつまらなかった、ブルーモスクなんて見る価値がない、料理が不味かったと言うのだ。聞いてみたらイスラム圏に行ったのはトルコが初めてとのこと。まあ、イスラム国への旅行は合う人と合わない人があるからね。
でも、このツアーの参加者の中にはトルコに行ったことがある人はその男性と私だけだったし、これから行ってみようと思っている人もいた。そういう人に対して、悪いイメージを植え付けかねない。そう思って、本人をたしなめたのだが全く意に介さないのだ。
他のツアー参加者から特定の国への旅行について感想を聞かれることがあるが、私は絶対に悪いことは言わないことにしている。なかにはあまりお薦めできない国もあるが、それはあくまで私個人の感想であって、他人に押し付けるわけにはいかない。その代り、良かった国は大いに褒める。
私は美しい女性に出会ったときは「美しい!」と言って褒めるが、そうでないときは黙っている。それがマナーだ。

クレーマーみたいな人に出会うこともある。
以前にラオスに行ったとき、第1日目のホテルの部屋が1,2階に分かれることになった。このホテルの1階が地下になっていたので窓がないということで、くじ引きになり4組の人が1階に泊まることになった。このうち2人の男性客が添乗員に怒りだし、今から窓のある部屋に変えろと要求しだした。それは出来ないと言われると、今から東京の本社に電話してホテルを変えて貰えというのだ。日本時間は真夜中だというのに。あまりの剣幕に若い女性添乗員はオロオロするばかり。
そこで2階だった私が1階に変わると申し出ると、他にも3組の客が同じ申し出を行い、ことは丸く収まった。
このホテルには深夜に着いて翌朝は早く出発するので、窓の外の景色は見られない。あの男性客二人がなぜあれほど怒ったのか、理解不能だ。その後の数日間のツアーで、気まずい思いをするのは本人たちなのに。

慣れない環境で何にちか旅行するわけで、不満や愚痴の一つも口に出したくなるだろう。
そういう時も、笑い話に変えるくらいの気持ちでいて欲しい。
それが出来ない人は団体旅行には向かないと思う。

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2016/08/09

保安検査をすり抜けた客が悪いのか

以下はニュース記事の引用。
【新千歳空港で8月5日午後0時10分すぎ、若い女性客1人が国内線ターミナルの保安検査場で金属探知機を通過せず、羽田行きに搭乗して出発するトラブルがあった。この影響で機内や搭乗待合室など、制限エリア内にいた約1000人にのぼる全乗客がエリア外に出され、保安検査がやり直しとなり、欠航や大幅な遅延が発生した。
空港関係者によると、女は保安検査場で搭乗券を読み取り機にかざした際、エラーが出たという。警備員が対応を協議するために離れた隙に、無断で通り抜けた。】

ネットではこの「すり抜けた客」をまるで犯罪者の様に扱う声もあり、上記記事でも「女性」とはせず「女」として、やはり容疑者扱いだ。
でも、ちょっと待ってほしい。
この記事はおそらく空港の保安検査側の視点から書いているようだが、保安検査員は一人ではない。通常は1台のレーンに3人は付いている。仮に一人が席をはずしたとしても、他の検査員は何をしていたのだろうか。誰も制止しなければ客がそのまま通過しても不思議はない。
問題にすべきは、通過していった客ではなく保安検査体制の方だ。

私も以前、大分空港でビックリするような出来事にであったことがある。
保安検査のドアが開いたまま検査員の姿が見えないのだ。中に入ってみるとカーテンの向こうで係員らしき人たちの会話が聞こえた。そこでドアが開いていると大声で教えると慌てて飛び出してきて、私の検査を行った。
もし、黙ってあのまま通っていたら、私も無断で「すり抜けた」ことになるのだろうか。
既に待合室には何人か客がいたようだが、係員たちはそれらの人々を改めて検査をやり直すこともなく、そのままにしていた。多分、自分たちのミスを明らかにしたくなかったのだろう。

1000人もの乗客を再検査したが、肝心の女性客は予定通りの飛行機に搭乗して目的地に到着したとある。
再検査の体制もまた、いい加減だったわけだ。

国内空港の保安検査がズサンであることは、以前、当ブログに国際線保安検査員がコメントしていた。その人によれば、国内は保安員の質が悪いせいだとか。
それはともかく、乗客側を一方的に悪者扱いするのは同意できない。

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映画『帰ってきたヒトラー』、いくつかの違和感

映画館で映画を観るのは何年ぶりだろうか、思い出せない。
おそまきながら映画『帰ってきたヒトラー』をみに行った。館内はガラガラでゆっくり観られたのは良かった。眼の前の席の客が、映画が始まるまでずっと産経新聞を読んでいた。産経とこの映画の組み合わせって、と思った。
映画『帰ってきたヒトラー』の感想についてはネットでも沢山の方が書いていて、概ね好評だ。
1945年に死んだはずのヒトラーが2014年のドイツに突然よみがえったらどうなるかというのがテーマで、風刺のきいたコメディや、ドキュメンタリー手法を織り込んだ映画作りが話題になり、それらの要素は確かに優れていた。
原作を読んでいないので映画だけの感想になるが、いくつかの疑問や違和感も残った。

蘇ったヒトラーが先ず気になるのはドイツがどうなったかだ。彼はナチスが滅びるくらいならドイツ国民は全員が死んでもいいとさえ思っていた。だから復興したドイツを見て驚いたに違いないし、それは映画でも描かれている。
ドイツ以外の国で最も気になる国はソ連だったはずだ。決してポーランドやルーマニアではない。第一声は「ボルシェビキ(ソ連)はどうなった?」と訊いただろう。
何よりヒトラーは熱烈な反共主義者だった。彼が政権をとって最初に行ったのは共産党国会議員の逮捕と投獄だった。次は一般党員から同調者、社会民主主義者と次第に範囲をひろげてゆき、その多くは処刑されるか強制収容所送りとなった。映画でもヒトラーの主要な問題としてホロコーストがとりあげられていたが、これも元をたどれば共産主義撲滅の文脈からきている。
ヒトラーがソ連に侵攻する際にも、他国との戦争とは全く性質が異なることを訓示している。従来の戦闘では民間人の殺戮は避けるよう指示していたが、ソ連に関しては兵士と非戦闘員の区別なく殺戮するよう指示している。
そして対ソ戦の敗北がナチスドイツの破滅の原因となった。ヒトラーの遺体を検分したのもソ連軍だ。
だから、ヒトラーの最大の関心事はソ連(ロシア)がどうなったかだろう。

ヒトラーは自らが選挙で選ばれた、あるいは国民が選んだという主張をしていて、映画ではそこがスル―されていた。
しかし、経緯を振り返ればそれは不正確だ。
確かに選挙でナチスが過半数を占めたことは事実だが、1933年のヒトラーは政権を握ると、国会放火事件を利用し共産党議員全員と一部の社民党議員を逮捕・拘禁して、議会で圧倒的多数を得る。
そうして議会で「全権委任法」を成立させ、全ての権限をナチスが握ることになる。
同法の成立後、ナチスは他の政党や労働組合を解体に追い込み、同時に政党新設禁止法を制定し、事実上の一党独裁体制を確立していく。
つまり、1933年から終戦までの間はナチスの一党独裁体制となっていたので、選挙で国民がヒトラーを選んだわけではない。
ここは誤解のないようにして欲しい。

これは本質的な問題ではないが、ヒトラー役が本人に似ていない。映画のヒトラーは随分と体格がいいが、実物は背が低く中肉だ。顔も似ていない。あれではいくら本物だと主張しても誰も信用しないだろう。
ヒトラー役が現代の民衆の中に入ってゆき、その反応をドキュメンタリー風に撮影しているが、周囲が笑っているのは本人に似てないからでは。もしソックリさんが現れたら(例えば、ブルーノ・ガンツ)、反応は違っていたかも知れない。
この映画が単なる喜劇なら良いが、ドキュメンタリー・タッチを織り込むなら、より最適なキャスティングが必要だったと思われる。

今日8月9日、長崎原爆忌。

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2016/08/07

笑福亭鶴二独演会(2016/8/6)

「笑福亭鶴二独演会~噺家生活30周年記念~」
日時:2016年8月6日(土)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
笑福亭竹三『手紙無筆』
笑福亭鶴二『ハンカチ』
ゲスト・柳家喬太郎『ハンバーグができるまで』
~仲入り~
『対談』鶴二&喬太郎
笑福亭鶴二『らくだ』

上方落語界の中でも東京で頻繁に会を持つ人は少数で、大多数の人は東京で公演する機会は少ない。笑福亭鶴二もその一人で東京公演は今回が2回目とのこと。6代目松鶴最後の弟子で入門から30周年の会は一杯の入り。わざわざ大阪から来た方も多かったようで、ファンというのは有り難い。

竹三『手紙無筆』、上方落語家ではあるが鶴光の弟子で芸協の二ツ目。上方の噺家が東京で会を開くとき、しばしば前方に芸協の笑福亭を使う。使う側からすれば何かと便利だろうし、本人にとっても勉強になる。一石二鳥。

鶴二『ハンカチ』
30周年記念の独演会では新作1席と大ネタ1席を演じているとのこと。この作品はお笑いコンビ「二丁拳銃」の小堀裕之作とのこと。
倦怠期を迎えた夫婦、妻が誕生日プレゼントのハンカチをねだるが、夫は今さらと言って口げんかになり外出する。友人とぱったり出会うと、いま町内会で夫から妻への愛を叫ぶ大会をしているので出場してくれと頼まれる。参加賞がハンカチと聴いてしぶしぶ大会に出た夫は、最初は妻への愚痴ばかりだったが、次第に感謝の言葉に変わってゆく。家に帰ると、大会の模様がケーブルTVで中継されていて妻は夫の言葉を全て聞いていた。優勝賞品の着物セットを誕生日祝いとして妻に差し出すと、妻は「私はハンカチが欲しかった!」でサゲ。
お互いの感情を素直に表現できない中年夫婦の愛を描いたヒューマンな作品に仕上がっている。作品の中の夫婦がちょうど鶴二と同じ年代ということもあって、笑いの中にジーンとさせる高座だった。

喬太郎『ハンバーグができるまで』
喬太郎の代表作といって良いだろうし、今までに何回聴いたか分からない。続けて当たったりすると又か!という気分にもなったが、久々に聴くと、やはり良く出来た作品だと改めて感じた。
男は45歳。3年前に妻と分かれて今は独り暮らし。決定的な理由があったわけではなく、ちょっとした行き違いから離婚したせいか、男は今でも元妻を忘れることができないでいる。女性の方も分かれた元夫のことは気にかけていたが、新しい恋人もできて再婚することが決まった。電話や手紙でも良かったが、やはり男に直接会って再婚を伝えることにした。もう再び会うことも無いだろうしと、女は男の大好物だったハンバーグを作ることにした。
久々に訪れてきた女に、男は密かに期待する。きっとワクワクする気分でハンバーグができるのを待っていたのだろう。やがて料理が完成し、男は美味い美味いと言って食べ始める。ここで女は再婚することを告げる。しばしの沈黙、男は女に「帰ってくれ!」と言い、女は別れの挨拶をして去ってゆく。
残された男は、ハンバーグの付け合わせに用意されていた大嫌いなニンジンを口にして、「ニンジンって、結構甘いじゃん」。
このストーリーを軸に、男が住む町の商店街の人たちがハンバーグの食材を買い求める男の身の上を心配するというドタバタをからめて、一席にまとめたもの。
テーマが男女の切ないラブストーリーという、従来の創作落語のカラを破った画期的な作品だ。男女二人の微妙な心の変化を描く場面は、落語というよりドラマや映画に近い。
喬太郎はこのネタを演じるごとに細部に変化を持たせていて、この日も会話の「間」の取り方を秒単位で計算したかのような見事な話芸を見せていた。

鶴二『らくだ』
鶴二はたまたま演芸場で6代目松鶴の『らくだ』を聴いて落語家になる決心をしたという思い出のネタ。但し、師匠は入門して間もなく亡くなっていて、以後は兄弟子や他の一門の先輩から稽古をつけて貰ったとのこと。
この『らくだ』も兄弟子の鶴瓶から教えを受けたもの。確かに師匠・松鶴との演じ方とは異なる。例えば主人公の紙屑屋が、地ベタを這い回るような泥臭さより、かつて表通りの奉公人を抱えた店の主人という面影を残している。その分、酔うにつれ変身していく様子が細かに描かれていた。本人は酒で店を潰し裏長屋に引っ込んで紙屑屋になったと言っていたが、事実はそうではあるまい。酒好きだけでは店は潰れない。この人は酒癖が悪いのだ。酔うと人格が変わる。だから酒の上で大きなしくじりをしたのが原因で、ここまで落ちぶれたのだのだと思う。
時間の関係からか部分的にカットした短縮版だったが、このネタの最大のテーマである最下層に生きる人間たちの連帯感が感じられ、良い出来だったと思う。
初見だったが、決して器用な人ではなく、着実に階段を一段一段上ってゆくタイプの人だという印象を受けた。

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2016/08/06

「不倫」で世間が騒ぐ理由がわからない

ただいま「不倫ブーム」のようだ。この手のテーマを得意とする週刊誌には、毎号誰かの「不倫」記事が掲載されている。
この世に不倫のタネは掃いて捨てるほどあるだろうから、記事に困ることがないというのが報道側の利点といえる。
こうした報道があると、世間の声は不倫を行った人物を非難し、時には社会的制裁にまで発展する。そして不思議なことに当の本人が記者会見などを開いて、「世間をお騒がせしまして・・・」なんて謝罪までする。あれはいったい誰に謝ってるんだろうと、いつも疑問に思うのだ。

先ず「不倫」という用語に抵抗を感じるのだ。過去には「浮気」という言葉がよく使われていたが、なぜか今は「不倫」一辺倒だ。
似たような用語を辞書で調べると、定義は以下のようになる。
【不倫】道徳に反すること。特に,男女の関係が人の道にはずれること。(【人の道】人間としてふみ行うべき道すじ。)
【浮気】①異性から異性へと心を移すこと。②妻や夫など定まった人がいながら他の異性と情を通ずること。
【密通】妻あるいは夫以外の異性とひそかに情を通わすこと
【不貞】貞操を守らないこと。(【貞操】男女が互いに,異性関係の純潔を守ること。)

比べてみると「不倫」の定義だけは非常に抽象的だ。「人の道」といわれても個人によって捉えかたが違ってくる。「悪事はすれど非道はせず」なんて言葉もあるとおり、悪いことはしたが人の道に外れるようなことはしていないという言い方もできる。
それでも「不倫」という言葉だけが繁用されているのは、これも近ごろ流行りの「道徳ファシズム」に関係しているのではなかろうか。
それよりは「浮気」の方が明快な気もするが、「心を移す」を含めると範囲が広がりすぎる感もある。
「密通」がズバリだが、主に女性が対象になるのと、語感が古めかしいのが難点だ。
そうすると、残る「不貞」が最も適切な用語であると思う。
法律的には「不貞行為」とは「配偶者ある者が自由な意思に基づいて配偶者以外の者と性的関係を結ぶこと」と定義されているようなので、以後は「不貞」に用語を統一する。

「不貞」は純粋に配偶者二人だけの問題だ。もし相手が許すならば何も問題ない。許さないとなれば離婚となるが、これも夫婦二人だけの、範囲を広げてもその家族たちだけの問題だ。
赤の他人が口をはさむ余地はまったくない。

既婚者にきいてみたい。あなたは今までに、あるいはこれからも「不貞」を一切しないと誓えるだろうか。誓える人(特に男性)はよほど貞操観念が強い人か、嘘ツキかのどちらかである。
女性のことは知らないが、男性でそういうチャンスがあって妻に絶対バレないとなったら、10人のうち9人は不貞をはたらくだろうと推定している(残る1人は、このワタシ)。
自らを省みれば他人の不貞を簡単に非難はできないはずだ。
現実に不貞はかなりの確率で行われているし、明らかになった後も夫婦関係を継続してケースだって多い。そこには様々な事情があるだろうし、他人はうかがい知れないことだ。

夫婦にしかわからない不貞問題を外野がとやかくいうのはもうよそうよ。特にマスコミは。
落語『明烏』の時次郎のセリフじゃないが、「あなた方には、他にやるべきことが無いんですか」といわれかねない。

今日8月6日、広島原爆忌。

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2016/08/04

2016年7月人気記事ランキング

7月は3分の2の期間が休載だったので、ランキングの意味は薄いと思われるが、アクセス数のTOP10は以下の通り。

1 【ツアーな人々】消えた添乗員
2 柳家三三独演会(2016/7/19)
3 2016年上半期佳作選
4 花形演芸会(2016/7/24)
5 三田落語会「一朝・三三」(2016/6/25)
6 落語家の「実力」って、なんだろう?
7 そもそも空港での「液体物持込」検査が無意味だ
8 鈴本演芸場7月下席・昼(2016/7/27)
9 皇室の危機(2)「『秋篠宮を天皇に』大合唱」
10 【ツアーな人々】当世海外買春事情

1,10位は旅行関連で、ランキングの常連。7位も旅行関連だが、夏休みシーズンを前にして、空港での無意味な保安検査に関心が集まったようだ。
2,3,4,5,6,8位はいずれも落語関係だが、6位だけは随分と前に書いた記事に注目が寄せられたようだ。
9位も、だいぶ前に書いたものだが、天皇退位が話題になって再び注目が集まったようだ。掲載当時は皇室典範の改正が国会でとりあげられていて、こうした声もネットでは少なくなかった。

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「稲田朋美」語録、その耐えられない軽さ

8月3日に発足した安倍再改造内閣で新たに防衛大臣に新任された稲田朋美氏が、国防に関してどのような発言を行ってきたか、一部を順不同で紹介する。
今後はこうした発言に沿って、防衛政策を進めるものと思われる。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」2006年9月号)
「祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんですか」(「致知」2012年7月号)
「長期的には日本独自の核保有を、単なる議論や精神論でなく、国家戦略として検討すべきではないでしょうか」(「正論」2011年3月号)
「真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(「産経新聞)2006年9月4日付)
「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」「「草食系」といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」(「正論」2011年3月号)
「でも、たとえば自衛隊に一時期、体験入学するとか、農業とか、そういう体験をすることはすごく重要だと思います」「(自衛隊体験入学は)まあ、男子も女子もですね」(「女性自身」2015年11月10日号)
「そもそも韓国は対日本に関しては、国際的常識の通用しない国ですが、その傾向は近年著しくなっています」(「正論」2012年11月号)

稲田氏本人が「私は産経新聞がなかったらたぶん政治家になっていなかった」と語っているように、語録の多くは産経新聞社発行の紙誌に掲載されたものだ。
良い子はマネをしないように!

【補足】
昨日3日のNHK正午のニュースで閣僚予定者の名前が紹介されていたが、その中で稲田朋美だけ初当選以来の「活躍」ぶりだけを映像で流していた。他の閣僚予定者はいずれも名前と写真だけの紹介だった。
おそらくNHKとして、「ポスト安倍」の最有力候補である稲田をヨイショしたつもりだろうが、明らかに公共放送の精神に反する。

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2016/08/02

新都知事を出迎えた1000人の都職員は仕事が無いのか?

8月2日、小池百合子新都知事を、都職員1000人が出迎えたという。
水曜日の午前9時半といえば就業時間中だ。彼らは仕事を放り出して、この時間新知事を出迎えたわけだ。
そんなに仕事がヒマなのか?

東京都に限らず、全国の自治体で新しい首長を迎えるとき、あるいは退任する首長を見送る時に、自治体職員が出迎えや見送りをするのが通例になっている。
あの光景を誰もが不思議と思わないのだろうか。
これこそ無駄だ。
出迎えや見送りはは秘書官だけでいいし、勤務中の職員を動員するなどもってのほか。
小池知事殿、「都民ファースト」とは先ずこういう事からだ。

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鈴本演芸場8月上席・夜(2016/8/1)

鈴本演芸場8月上席夜の部・初日

前座・桃月庵ひしもち『子ほめ』
<  番組  >
古今亭志ん吉『真田小僧』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
橘家圓太郎『強情灸』
桂南喬『青菜』
柳家紫文『三味線漫談』
三遊亭鬼丸『新粗忽長屋』
橘家文左衛門『笠碁』
─仲入り─
ホームラン『漫才』
桃月庵白酒『新三十石』
伊藤夢葉『奇術』
蜃気楼龍玉『お直し』

なんだろう、この顔づけでこの不入りは。開演の時はようやく「つ離れ」で、最終的にも客は20名あまりか。ここ10数年経験したことのない不入りだった。満員が続いた7月下席・夜と、お盆興業の今月中席に間に挟まれた端境期だったせいか。
客席にいても、なんだか居心地が悪い。こっちの責任ではないのだが、芸人に悪い気がしてくるという、変な緊張感。
しかし高座は熱演が続き、客の反応も良く、本当にモッタイナイ気がした。
のんびりと芸を楽しみたいという方にはうってつけなので、足を運んでほしい。

志ん吉『真田小僧』、明朗な語り口がいい。楽しみな存在だ。
圓太郎『強情灸』、暑い夏に熱い灸の噺。灸のモグサをほどいて山型のダンゴをこさえる所を丁寧に演じていた。その灸を二の腕に乗せて最初は涼しい顔でいた兄いが、熱くなったのを必死にこらえ、我慢できずに払い落すまでの仕草がよく出来ていて、ついついこっちまで力が入ってしまった。圓太郎にはこういう噺はニンだ。
南喬『青菜』、枝葉を取っ払って簡潔にまとめたが、お屋敷の涼しさと長屋の暑苦しさが感じられたのは、さすがだ。この人は典型的な寄席の噺家で、何を演らせても上手い。
紫文『三味線漫談』、この日は締めに、夏に因んだ大津絵「両国風景」を唄った。川開きの風景が眼に浮かぶ。
鬼丸『新粗忽長屋』、もしかして初? 客席を見まわして「詰めて座ったら前2列で済むのに」と言ってたが、その通り。タイトルの通り古典の『粗忽長屋』の改作で、舞台を現代の「振り込め詐欺」に置き換えたもの。振り込め詐欺の電話をしたら、当の本人が電話口に出てしまい、双方がトンチンカンな会話を繰り広げるというもの。けっこう面白く仕上がっていた。落協で古典の改作を手掛ける人が少ないので、狙い目かも。
文左衛門『笠碁』、9月下席より文蔵襲名が決まった。ここ10年間で印象が大きく変わった。10年ほど前はまだ若手で、強面で池袋演芸場が似合う噺家だった。得意のネタといえば『道灌』と『千早ふる』、つまり登場人物が二人というネタだ。しばらくして鈴本で初めてトリを取ると聞いて、随分と出世したもんだねと思った。それが今では大ネタも掛けるようになり、人気落語家の一角を占めるまでになった。
『笠碁』だが全体的に良かったと思う。特に一目で喧嘩別れをして退屈した隠居が、店先でイライラしながら奉公人に細かな小言をいう場面がよく出来ていた。この場面があるから、再び碁敵と碁が再開できた時の喜びが観客に伝わるのだ。
白酒『新三十石』、広沢虎造『三十石』のパロディで、数分でワッと沸かせて下がる白酒の「逃げ噺」。
龍玉『お直し』 、志ん生以来、古今亭のお家芸といえるネタ。少し金が出来りゃ女に博打で身を持ち崩すダメ男の亭主と、ダメ男と知りながら辛い時に優しくしてくれた気持ちが忘れられず尽くす女房。まるで現代劇を見ているようなストーリーだ。状況は悲惨だが、どん族に落ちてのなお夫婦の情愛だけは変わらないことが、救いとなっている。龍玉の高座は、ケコロに身を落とした女房が客を口説くと、傍で聞いていた亭主がジリジリと焼きもちを焼き、痴話喧嘩からやがて仲直りするまでの後半が良く出来ていた。ただ、この夫婦は元をただせば吉原の牛太郎と花魁、人物に艶があればさらに良かったと思う。

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