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2016/08/16

罪を憎んで人を憎まず

たまたまネットの記事を読んでいたら、”川崎中1殺人事件の「鑑定人」が明かす 主犯少年と9回12時間の面会”というタイトルの記事にぶつかった。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」は、2015年2月20日に、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で13歳の中学1年生の少年が殺害された上に遺体を遺棄された事件だ。事件から1週間後に少年3名が殺人の疑いで逮捕され、2016年に行われた裁判で横浜地裁は3名それぞれに対し懲役の不定期刑を言い渡している。うち1名は控訴したが、残る2名は刑が確定した。
とても痛ましい事件であり、事件現場が私が住んでいる所からそう遠くなかったので、鮮明に記憶している。

「フライデイ・デジタル」に掲載された鑑定人の証言によれば、主犯格とされたAは幼少期から父親からひどい体罰を受けていた。門限を破るなどした時は平手打ちで数回殴る。顔を避けようとした時には顔に蹴りを入れる、ハンガーで殴るなど、常軌を逸した暴行を受けていた。母親は彼をかばったが、外国人だったせいもありAとの言葉のやりとりが十分ではなかった。
「対象希求性」という言葉があり、これは自分を理解してくれる対象を求めるという意味だが、通常の子どもはみな対象希求性を持っているが、Aにはそれを受け止めてくれる大人が周囲にいなかった。
また、A自身も中学生の頃にイジメを受けていた。

もう一人の加害者Bの場合は、母親がフィリッピン人で父親は日本人だが、母親が次から次へと男を変えてきたので、Bは実の父の顔を知らない。その上、母親のネグレクトがひどく、かつては母の親戚がいるフィリッピンに置き去りにされたことがある。その母親は少年審判が終わると再婚し、アメリカに渡ってしまった。
悲惨というより他はない。
以上が、少年らと面会してきた鑑定人の証言だ。

もちろん、こうした家庭環境だからと言って、彼らが起こした犯罪を合理化することはできない。
しかし、事件の背景として彼らの生育環境が強く影響したであろうことは否定できまい。
事件直後は、加害者の少年たちに生きる資格がないだとか、極刑を求めるネット署名まで行われていた。
一般に被害者やその家族が、加害者に対して深い憎しみを抱き、時には報復をしたいほどの衝動に駆られる気持ちはよく分かる。私もその立場に置かれたら、感情を抑えられる自信がない。

しかし、直接関係のない人がなぜそこまで加害者を憎むのか、理解ができない。第三者であれば先ずは事件の経緯や背景を調べ、その上で自身の判断を下すべきではなかろうか。
私には「正義感」とは思えず、むしろ「野次馬根性」に映る。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。辞書で引くと「罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え」とある。
出典として孔子と聖書の言葉があげられていて、洋の東西にわたって同じ思想が語られていたようだ。
私たちは、もう一度この言葉の意味をかみしめるべきではなかろうか。

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コメント

どんどんそういう気分が充満しているようです。
憎むなら貧困を憎め、銀行を憎め、安倍を憎め、戦争を憎め、と言いたい。

佐平次様
「ネット私刑」という言葉もあるようですが、何か事件があると在日と強引に結びつけたり、加害者の家族まで氏名や住所、写真まで公開し、報復を呼び掛ける。もはや「狂気」というしかありません。

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