「テレーズとローラン」(2016/9/10)
地人会新社第5回公演「テレーズとローラン」
日時:2016年9月10日(土)14時
会場:東京芸術劇場シアターウエスト
原作:エミール・ゾラ
脚本・演出:谷賢一
< キャスト >
銀粉蝶:ラカン夫人/シルヴィ・ラカン、カミーユの実母、テレーズの義母
奥村佳恵:テレーズ/テレーズ・ラカン、カミーユの元妻、今はローランの妻
浜田学:ローラン/ローラン・ヴァローネ、カミーユの友人、今はテレーズの夫
木場勝己:マルタン/マルタン・オーギュスト・ピニエ、ラカン夫人の友人、元警部
エミール・ゾラのデビュー作「テレーズ・ラカン」は過去に何度か映画化され、舞台で上演をされてきた。今回は谷賢一が原作を翻案したもので、演出も同氏が行っている。
物語は。
マルタンはラカン夫人とは旧来からの友人で、警部を定年退職後は毎週木曜日にはラカン家を訪問するのを通例としていた。この日もラカン夫人宅を訪れると、そこにはテレーズとローラン夫妻の遺体が血溜りの中に。状況からすると双方で刺し違えたようだ。部屋の隅には二人の義母であるラカン夫人が死体をじっと見つめている。夫人は病気で四肢が不自由で口もきけない状態だが、その目は何かを訴えようとしていた。
(舞台はここから時代を次第に遡行して行くのだが、ストーリーを分かりやすくするために順行して説明する。)
パリの片隅にある小さな家で、ラカン夫人は息子のカミーユと、戦死した弟の娘テレーズを引き取り、3人を女手一つで育てていた。夫人は二人を結婚させるが、病弱でまともな夫婦生活を営むことさえ出来ずにいた。
悶々とした日々を送るテレーズの前に、カミーユの友人で快活な青年ローランが現れる。ローランがカミーユの肖像画を書きに毎日の様に家を訪れるうちに、テレーズはすっかり彼の虜になり隠れて情交を重ねるようになって行く。初めての女性としての喜びを見出すテレーズ。
次第にカミーユの存在が邪魔になった二人は、3人でボート遊びにでかけ、隙をみてローランが船を転覆させ、カミーユを殺害してしまう。
事故で息子を亡くしたと信じる失意のラカン夫人の唯一の慰めは、旧友である元警部のマルタンは毎週木曜に自宅を訪れ、カードゲームに興ずることだった。四肢が不自由なラカン夫人をマルタンは支え励ます。
気分の癒えたラカン夫人はテレーズとローランの結婚を許すが、その頃からテレーズがカミーユの殺害を促した罪の意識に苛まれ始める。ローランとの間も険悪になり、遂にカミーユ殺害の責任を互いになすり合う。
それを聞いてしまったラカン夫人は驚愕のあまり、失語症になってしまう。
テレーズはローランを毒殺しようとするが、それを阻止しようと二人がもみ合っているうちに、双方が刺し違いで死んでゆく。
カミーユの死の真相から二人の死まで全ての事実を知るラカン夫人だが、言葉がしゃべれないので訪れたマルタンに真相を打ち明けることが出来なかった。
物語の主人公はテレーズだ。孤児として親類の家に引き取られ、従順な娘として育てられる。虚弱な息子カミーユを結婚させられるが、実態は彼の看病をする小間使い同然の生活。そこにマッチョな男ローランが現れ、初めて性の悦びに目覚める。彼をそそのかし夫を殺害して、いよいよ愉悦に浸れる生活を手に入れる筈だった。しかし、罪の意識に苛まれ、遂には悲劇的な結末を迎えてしまう。
テーマは女性の自立だ。
この作品を書いたのはエミール・ゾラだから、時代は19世紀後半ということになる。テレーズの試みは時代の制約に押しつぶされてゆく。
女性の自立を阻む壁は、現在も形を変えて残されている。そうした事が、この作品が今日でも受け容れらている要因だろう。
谷賢一の脚本は最終シーンから回想シーンを遡行させて描いていたが、私が粗筋で書いたように最終シーンから回想に戻り順行で描いも良かったように思えるのだが。
登場人物を4人に絞り、マルタンを狂言回しにした演出は成功した。
出演者ではマルタンを演じた木場勝己が圧倒的。木場をキャスティングした段階で、この芝居の成功は約束されてようなものだ。
他では銀粉蝶の目の演技が印象的だった。
公演は19日まで。
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