9月文楽公演『通し狂言 一谷嫰軍記』(2016/9/6)
並木宗輔=作
通し狂言『一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)』第一部
初段 堀川御所の段・敦盛出陣の段
二段目 陣門の段・須磨浦の段・組討の段・林住家の段
国立劇場開場50周年を記念して、国立小劇場では文楽公演『通し狂言 一谷嫰軍記』を上演中。この狂言は歌舞伎でもおなじみだが、通常は三段目の『熊谷陣屋』のみが単独で上演される。通し狂言となると、国立では約40年ぶりだそうだ。正確には五段目まであるが、今回は並木宗輔作の三段目まで。
この日は珍しいので昼の部の初段と二段目を鑑賞。
この狂言は『平家物語』を下敷きにして、民間に流布されたエピソードを加えて書かれたもの。
メインストーリーは源氏の熊谷次郎直実が平家の武将・無冠の大夫敦盛と組討し、敦盛の首をあげるという物語に関連したもの。
サイドストーリーとして、歌人でもあった平家の武将平忠度の和歌が『千載和歌集』に収められるまでを描いたもの。
結論から先に言うと、熊谷次郎直実が討ち取った首は敦盛のものではなく、自分の息子である小次郎のものだった。なぜ直実はそんな事をしたのかというと、実は敦盛が後白河院の落胤だったという設定になっている。だから直実は我が子を犠牲にしてまでも敦盛を救わざるを得なかった。
また忠度が詠んだ和歌は、源氏の岡部六弥太忠澄らの尽力により、めでたく勅撰『千載和歌集』に「よみひとしらず」として入集する。滅亡の危機にあった平氏の武将が詠んだ和歌を入集させるのは、こうした工作が必要だった。
そのいずれもが源義経の指図であったことが明らかになる。
源氏と平氏は敵味方に分かれ合戦を行うが、人としての大義や正義のためには、お互いが尽くしあっていたというのが物語の骨格だ。
芝居には付き物の悪役も、源平の隔たり無く平等に登場するのもこの狂言の特徴と言えよう。
<各段のあらすじ>
初段の『堀川御所の段』では、義経は家来の熊谷次郎直実に「一枝を切らば一指を切るべし」と書かれた高札を、岡部六弥太忠澄には平忠度の和歌「さざなみや しがのみやこは あれにしを むかしながらの やまざくらかな」の短冊を桜の枝に付けて渡す。いずれもこの狂言全体の前段となる。
『敦盛出陣の段』では、平経盛が養女の玉織姫と息子の敦盛との祝言を準備するが、そこで敦盛が後白河院の落胤を明かし、合戦に出ることを止めようとする。しかし敦盛は味方の勝利のためと、勇躍出陣してゆく。
二段目の『陣門の段』では、熊谷直実の息子小次郎がひとり平家の一の谷に先陣で駆けつけるが平家の反撃にあい負傷する。そこへ父直実が救いに現れ、小次郎を小脇に抱えて駆け出す(実は、ここで小次郎と敦盛が入れ替わるのだが)。
『須磨浦の段』では、恋しい敦盛を追ってきた玉織姫が、姫に横恋慕する平山武者所末重から言い寄られ、拒否すると斬られ深傷を負う。
『組討の段』は初段のハイライトで、沖合で直実と敦盛が組討をし、組み敷いた直実が相手の顔を見ると我が子小次郎を思わせる、トドメを躊躇していると見方から非難の声がかかり、やむなく敦盛(実は小次郎)の首を落とす。そこへ深傷を負って瀕死の玉織姫が這い出てきて、敦盛の首を抱く。
ここでは沖合の組討を遠見の人形が演じ、それが急に本役の人形に切り替わるという見せ場がある。
『林住家の段』では、忠度の妻・菊の間の乳母だった林の家で、菊の間と忠度が再開を果すが、源氏の追手が迫り立ち回りのうえ撃退する。そこへ六弥太忠澄が現れ、義経から預かった和歌の短冊を菊の枝に刺したものを忠度に渡し、その和歌が『千載和歌集』に入集したことを知らせる。忠度は忠澄に感謝すると共に、戦場で再び会いまみえる事を約し、去って行く。
この場は、全体が世話物風の仕立てになっていて、立ち回りでは一転してスペクタクルな演出が施され、形見の片袖や流しの枝など詩情豊かな場面もある。
普段あまり演じられないのが勿体ないと思われるほど、充実した段である。
『組討の段』や『林住家の段』では、浄瑠璃がたっぷり泣かせてくれる。
人形遣いでは、『林住家の段』の乳母・林の表情が、まるで人間の様に実に細かく変化するのに驚いた(人形役割:吉田和生)。凄い芸である。
ただ、出だしの『堀川御所の段』の浄瑠璃の声が酷かったのが残念。
公演は19日まで。
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昨日は能の敦盛をみました。
計ったことではないのですが、この文楽もチケットを買ってあります。
筋書きは違いますが、楽しみです。
投稿: 佐平次 | 2016/09/08 10:24
佐平次様
能の敦盛でも笛の名手であったことが出てきますが、文楽の舞台では直実の一子小次郎が一の谷の陣屋に先駆けしようとするが、笛の音を聞いて戦うことの浅ましさを感じるという場面があります。
こういう所にこの狂言の優れた点があると思いました。
投稿: ほめ・く | 2016/09/08 11:19
出だし、同じように感じました。
私も感想を書いて見ました。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/
です。
投稿: 感動人 | 2016/09/08 21:00
感動人様
貴ブログ拝見しました。私は文楽はビギナーなので技術的な事は分かりませんが、あの冒頭の出だしの発声は酷かったです。俗に一声二節という通りで、やはり声は大事にして欲しいものです。
投稿: ほめ・く | 2016/09/08 21:26