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少しブログを休みます。
再開は10月5日頃を予定しています。
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少しブログを休みます。
再開は10月5日頃を予定しています。
9月26日付朝日新聞の報道によれば、いま行われている新潟県知事選で現職の泉田裕彦知事が立候補を取りやめにした経緯が書かれている。以下はその概要だ。
背景には泉田知事が原発の再稼働に反対していたため、安倍政権から知事への厳しい対応があった。
例えば新潟県下の市町村から政府への陳情が行われると、麻生財務相から「先ずは知事を変えてからだろう」と言われた。原発1基が稼働すれば、東電は最大月に100億円の利益が上がるのだ。麻生と電力会社との関係は深い。
これが県下の市町村長の姿勢に影響し、今年5月の首長らによる「泉田県政3期12年間に生じた問題」という検証報告書が提出された。この中では国との調整について「良好な関係にきしみが生じた」との指摘がなされた。
国とのパイプが細ることを懸念したのだ。
自民党県連からも水面下で原発再稼働に対する議論を進めるよう働きかけがあったが、泉田知事の姿勢は変わらなかった。
7月に入ると反泉田の県議らと首長の後押しで、長岡市長の森民夫が出馬を表明する。これで自民党内部からは「再稼働への環境が整った」という声が上がった。その後、自民・公明両党が森への推薦を決定した。
民進党の支援団体である連合新潟も森支持を決めた。
かくして泉田知事は四面楚歌の状態に追い込まれ、「心が折れた」という言葉と共に立候補を取り下げたのである。
なお県知事選は無風選挙になると思われていたが、市民団体や共産、社民、生活の支援で、医師で弁護士の米山隆一が出馬を表明し、原発再稼働を争点とする県知事選になるようだ。
沖縄県の基地問題に関して、いったいどこの国の政府かと疑いたくなるような対応を政権は行っている。辺野古しかり、高江しかり、である。
沖縄・辺野古の米軍新基地建設をめぐって、安倍政権が沖縄県の翁長雄志知事を訴えていた訴訟で、9月16日福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は国側の主張を全面的に認め、翁長知事が辺野古埋め立ての承認取り消しの撤回に応じないのは違法だという判決を言い渡した。
しかも「海兵隊の航空基地を沖縄本島から移設すれば機動力、即応力が失われる」「県外に移転できないという国に判断は現在の世界、地域情勢から合理性があり、尊重すべきだ」などと新基地建設の妥当性にまで判決は踏み込んでいる。
これでは裁判所が政権側の言い分を丸飲みしていると思われるのは当り前だ。
実は、この判決を既に昨年12月に予測していた記事がある。
筆者は作家の黒木亮、2015.12.25付「ダイヤモンドオンライン」に掲載された『辺野古代執行訴訟「国が勝つことは決まっている」』というタイトルの記事だ。
少々長くなるが、当該部分を下記に引用する。
【しかし、この裁判は最初から国が勝つと決まっていると言っていい。もともと米軍基地や原発などの国策訴訟は、国側が勝つ場合がほとんどだからだ。しかも今回は、裁判を担当する福岡高裁那覇支部の裁判長(那覇支部長)に行政寄りの裁判官が任命されている。
裁判長を務める多見谷寿郎氏(57歳、司法修習36期)は、代執行訴訟が提起されるわずか18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から慌ただしく福岡高裁那覇支部長に異動している。
この転勤が普通と違うのは、多見谷氏の立川支部の部総括判事の在任期間が1年2カ月と妙に短いことだ。裁判官の異動は通常3年ごとである。高裁の陪席判事と違って、現場の指揮官である地裁の裁判長を急に動かすと現場が混乱する。多見谷氏は、立川支部の前は東京高裁の陪席判事(約4カ月)だったため、本来なら立川支部を経ずに那覇に持ってくるのが自然だ。また、前任の須田啓之氏(修習34期)もわずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁の所長に転じており、これも妙に短い。
(中略)
多見谷氏は、平成22年4月から同26年3月まで千葉地裁の裁判長を務め、行政(およびそれに準ずる組織)が当事者となった裁判を数多く手がけているが、新聞で報じられた判決を見る限り、9割がた行政を勝たせている。その中には、国営の成田国際空港会社が反対派農民の土地明け渡しを求めた国策色の強い裁判もある。】
裁判の結果は、まさに黒木亮の予測通りとなったわけだ。
ところで裁判官の任命はどの様に行われているのか。
「最高裁判所長官の任命は天皇の国事行為と定められているが,その指名を行うのは内閣である。また,長官以外の裁判官についても内閣に任命権があり,高等裁判所など下級の裁判所の裁判官は,最高裁判所が提出する指名名簿に基づいて内閣が任命する。」
法律上は裁判官は内閣が任命することになっている。
こうして見ると司法権は行政権(政府)に握られているのであった、三権分立は砂上の楼閣といえる。
近ごろでは政府のみならず、地方自治体や政府系団体の人事にまで官邸が介入している姿が目につく。
国会は与党が圧倒的多数を背景にやりたい放題。
今年行われた東京都知事選の結果に見られる通り、いまや政権党の自民党でさえ官邸の意のままだ。
我が国は「官邸独裁国家」に向かいつつあるようだ。
日本文学シアターVol.3【長谷川 伸】『遊侠 沓掛時次郎』
日時:2016年9月24日(土)17時
会場:新国立劇場 小劇場
作=北村想
演出=寺十吾
< キャスト >
段田安則=段三(花形座員)
松澤一之=広岡名水(客演座員)
金内喜久夫=團十郎(座長)
戸田恵子=つた子(座員・座長の女房)
西尾まり=きぬ子(中堅座員)
鈴木浩介=平治(中堅座員)
渡部秀=長吉(若手座員)
萩原みのり=洋子(家出少女)
ストーリー。
ある田舎町の神社の境内に、旅芸人一座の“長谷川團十郎一座”が小屋掛けして、ここでしばらく長谷川伸の股旅芝居の傑作の「沓掛時次郎」を上演する様子。
座員は座長と年下女房、一座の花形座員、客演の座員、その他3名の座員という小所帯だ。しかし、どうやら皆それぞれ曰くあり気な人物の様子。
舞台は無事初日をあけ、幕が下りると舞台は座員たちの生活の場と化す。旅回り一座の宿命だ。
座員たちがくつろいでいる所に一人の少女が訪ねてきて、ここで働きたいという。母子家庭で育ったが母親と折り合いが悪く家出してきたというのだ。
一見するとまとまっている様な座員たちだが、座長は女癖が悪く、座長の女房は他の座員と浮気。段三はインテリだが、学生時代に襲われた恋人のために相手殺してしまい、今はこの一座に身を置いているらしい。松澤一之は学生運動を挫折していて、ひとまず一座に加わっていると自称している。
「沓掛時次郎」の興行が終了する頃になって、座員のきぬ子は結婚のため退座。少女も東京の母の元に帰るということで、同じく東京に向かう広岡名水が実家まで送り届けるとして一座を離れる。
3年後、今では渡世人風の姿になった段三が、かつて一座が興行していた土地の宿屋に泊まりに来る。宿の主人の勧めで若い娘を部屋に招きいれるが、それが洋子だった。一緒に東京へ向かった広岡名水に騙され、洋子に客を取らせて自分はヒモになっていたのだ。段三は自分の過去と重ね合わせて洋子を救う決心をして、広岡に怒りを燃やす。
おりしも、段三が身を寄せている一家の若い衆から、鉄砲玉を頼まれる。一宿一飯の渡世の義理で段三は相手を殺しに行くと、その相手とは広岡名水だった。1対1の決闘の末、段三は広岡に重傷を負わせ、洋子の手を取って去って行く。
一口に言うと、とても良く出来た芝居だった。
内容的には、舞台の上で演じられる『沓掛時次郎』と、段三の実生活における『暗闇の丑松』という長谷川伸の代表作が、相互に絡み合いながら進行してゆく。
形式的にはチャンバラ映画の『股旅物』と東映映画の『任侠シリーズ』、それに加えて作品の底流を流れるのは素九鬼子の映画『旅の重さ』だ。
それらが上演時間90分のこの芝居1本に全てまとめられていて、北村想の才能には舌を巻く。
極上のエンターテイメントと言っても過言ではなかろう。
出演者では主演の段田安則が断然いい。やや細身なのが気になるが、舞台での颯爽とした殺陣、素に戻った時の影のあるインテリ像、そして最終場面での死を賭して女性を救う凛々しさ、いずれも良かった。
萩原みのりは前半の初々しい少女から後半の夜の女に身を落とした姿、初舞台とは思えぬ出来だった。
脇では西尾まりが、段三に心を惹かれながら思いが届かず、神主の息子と結婚してゆくのだが、幸せの絶頂で不幸を予感させていた演技が印象に残る。
広岡役の浅野和之が休演だったのが惜しまれる。
公演は10月2日まで。
第25回Kissポートクラシックコンサート「フレッシュ名曲コンサート」
日時:2016年9月22日(木・祝) 14:00
会場:サントリーホール
< プログラム >
「チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 op.33」
指揮:大友直人
チェロ:堤剛
東京交響楽団
「ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125 合唱付」
指揮:大友直人
ソプラノ:森麻季
アルト:八木寿子
テノール:福井敬
バリトン:福島明也
合唱:ミナトシティコーラス
東京交響楽団
たまにはクラシック音楽でも聴きに行かないと、先祖の助六に顔向けができないとばかり、秋のお彼岸の昼下がりサントリーホールへ。
それにしても毎日よく雨が降りますね。洗濯物は乾かないし部屋はジメジメするし、気分まで鬱陶しくなる。
そんなわけで季節外れの「第九」、といっても年末に「第九」というのは日本だけだそうですね。海外では大晦日に演奏するのを恒例としている楽団はあるそうだが、季節には拘っていないとか。
それと海外では日本ほど頻繁に「第九」は演奏されていないようで、曲が日本人好みなんだろう。
最初のチャイコフスキーのチェロ協奏曲は、堤剛の奏でる音色があまりに美しく、ついつい覚醒/レム睡眠を繰り返しつつ終了。つまり音だけはずっと聴き続けていたということ。
「第九」、恥ずかしながらナマで聴いたのは初だったが、やはり素晴らしい。CDの名盤でも比べ物にならない。どんな楽器よりも美しい人間の声、これはナマでしか体験できないと思った。
第4楽章の独唱と合唱では、前半の「歓喜の主題」から後半の「抱擁の主題」へと移り、やがて二つが重なりあってテンポアップしながらフィナーレを迎える所では、カタルシスに近い高揚感が得られる。
なるほど、この曲を聴いて新年を迎えたいという気持ちは分かる気がした。
第2回文京らくご会「小満ん・馬石・文菊 三人会」
日時:2016年9月21日(水)19時15分
会場:文京シビックセンター小ホール
< 番組 >
前座・桃月庵はまぐり『子ほめ』
隅田川馬石『火焔太鼓』
~仲入り~
古今亭文菊『笠碁』
柳家小満ん『素人鰻』
落語の楽しみにベテランの円熟した芸と、上り坂の若手の勢いのある芸がある。その両方を楽しめたのが、この日の「小満ん・馬石・文菊 三人会」だった。
馬石『火焔太鼓』
馬石という人はどこか捉え所がなく、フワフワした感じなのだが、ネタに入ると独特の味があって面白い。古い太鼓を小僧にはたかせる時に、主人と小僧が交互にはたく。殿様の家来が店に来ると、最初は主は小僧が叩いたと言い訳をするのだが、殿様が気に入ったからと言うと途端に「あたしも叩いたんです」と言い出す。太鼓が300両で売れて50両ずつに包が渡されると、主人が両手で持ってその感触を確かめてから感激するという演じ方も理にかなっている。300両を懐に入れて女房の前に出ると、出っ張った懐をゆすりながら自慢するのも独自の演り方と思われる。
細部に様々な工夫が見られた一席。
文菊『笠碁』
噺家には見るたびに上手くなってるなと感じられる若手がいるが、文菊はその最右翼だろう。クスグリを入れたり、受けを狙った改変をするでもなく、真っ直ぐに演じてこれだけ沸かせるという技術は大したものだ。
碁の一目待ったをする時に、盤面と相手の顔を七三に見ながら待ったを迫る表情が巧みだ。どうしてもこの一目を外させたという切実な気持ちが伝わってくる。相手が待ったに応じないと分かると、今度は居直って昔の貸金の件を持ち出すまでの「間」がいい。
相手の男が雨の中を出かける時にすげ笠をかぶるのだが、この笠の寸法が本物に近かった。近ごろの噺家はすげ笠を見たことがないらしく、みな笠の大きさが小さ目だ。あれでは雨よけにはならない。こういう点が文菊は優れている。
もう一方、こちらも退屈で困ってるのだが、店先で奉公人たちに細かなことまで叱りつける事でイライラぶりを示していた。
相手が雨の中を店先で行ったり来たりするのを目で追いながら、こっちを見ろというサインとして顎を細かにしゃくって見せていた。
最近では出色の『笠碁』だった。
小満ん『素人鰻』
このネタには二通りあり、一つは黒門町が十八番としていた「神田川の金」という酒乱の職人が登場する型。もう一つは鰻裂きの職人がいない留守を狙って店を訪れ、ただで鰻をせしめようとする型で、通常は『鰻屋』のタイトルで演じられる。寄席などでは後者の型で演じられるケースが圧倒的だが、小満んはむろん前者だ。
小満んのマクラで幕末の黒船来航から維新になって武士階級が廃止され、士族となったこと。これに伴い、士族は無収入になったので、何か職に就かねばならなくなり、手っ取り早く商売を始めると殆どが失敗ばかり。間に入った人間に良い思いをさせたという例が絶えなかったことが語られる。このマクラは、『素人鰻』の大事な背景で欠かせない。
小満んの高座では、先ず神田川の金の造形がいい。腕のいい職人で人あたりも上手で商売にはもってこいだが、欠点は酒乱。客から酒を勧められて飲み始める時は腰が低く、相手を立てる。それが飲むにつけ酔うにつけ、段々と乱れてきて仕舞いには暴言を吐き始める。この刻々とした変化を描くのが難しいのだが、小満んは見事だ。畳にこぼした酒を口で吸い上げ、手についた酒は頭や顔に塗りつける。こうした所作によって、金の酒好きが巧みに表現されている。
金が店に戻らず、やむなく元武士の主が鰻裂きを試みるのだが、これがまるで果し合いの様なセリフを連発する。
サゲは文楽の型でなく、主が鰻を追いかけてどんどん上にのぼって行き、姿が見えなくなるとやがて1通の手紙が奥方に。
「去年(こぞ)の今日鰻と共にのぼりしが いまに絶へせずのぼりこそすれ」
両手が使えないのに、どうやって手紙が書けたのか不思議がると、裏書に「手を離す暇がないので、代筆させた」でサゲ。
先代文楽を彷彿とさせるような小満んの高座、結構でした。
2016/8/25付「ビジネスジャーナル」のサイトに、SEALDs(シールズ)に関する記事が掲載されていたので、その一部を下記に引用する。
なお「ビジネスジャーナル」は私も時々見ているが、後述するように極めていい加減な記事もあり要注意ではあるが、本稿は信憑性が高いと思われるので紹介する。
【(前略) また、SEALDsは国家公安委員会の監視対象となっている。これは、公安調査庁の「平成28年1月 内外情勢の回顧と展望」を見ればわかるが、63ページにSEALDsに関する記述があり、公安当局が監視対象団体として監視対象にしていることが示されている。つまり、SEALDS参加者は、公安の監視対象者として、テロリスト予備軍や準テロリストのような扱いになってしまったのである。
たとえ組織を解散したとしても、公安の監視対象であったという事実から逃れることはできない。その後の進学や就職にどこまで影響が出るかはわからないが、SEALDsに参加していたという事実を、メンバーは一生背負うことになるわけだ。つまり、SEALDs はまだまだ「終わっていない」といえるのだ。】
シールズがテロリスト集団だとか、テロを起こす可能性があるだとか、そんな事は有り得ないのは公安も百も承知だろう。
彼らにとって、国家=政府の方針に逆らう者は全てが監視対象なのだ。
そして監視を公表することにより、他への見せしめにしようという訳だ。
間違っても政府の方針に反対するようなデモに参加したら、こういう眼に遭わせるぞという脅しである。
「その後の進学や就職にどこまで影響が出るかはわからない」というのは、思想信条による差別になるので政府の文書としては書けないので、かわりにこの記事の筆者が代弁している。
とにかく若い人たちがデモなどやらぬよう、牽制するのが最大の目的だ。
デモに参加したことがある方なら経験があるだろうが、必ず公安がデモの参加者たちを撮影している。
これも監視活動の一環であるが、同時にデモ参加者への嫌がらせの意味もある。だから隠れて撮影せず、わざわざ参加者が見える場所で撮っているのだ。
裏返せば、それだけデモの力を恐れているということになる。
今年6月18日、大分県別府警察署の警察官が社民党の支援団体、別府地区平和運動センターが管理する「別府地区労働福祉会館」の敷地内の立木など2か所に無断で小型カメラを設置したというニュースは、まだ記憶に新しい。
カメラを設置していたのは、先月に投開票された参院選で野党共同候補を支援する団体が入っていた建物だった。
別府署のケースはたまたま敷地内にセットしていたカメラを関係者が見つけたから明らかになったのであって、こんな事は全国の警察で組織的に行われているだろう。
施設に出入りする人を監視すると同時に、これらは明らかな警察の選挙運動への干渉だ。
かくして公安は私たちの税金を使って、日々市民への監視活動を行っている。
集積された膨大なデータは、将来「緊急事態条項」が導入されれば、直ちに活用できる。
いま政府は「共謀罪」をテロ行為に絞って適用する法案を準備しているが、何をもってテロとするかは政府が決める。シールズの様な活動だってその対象にされる可能性はあるわけだ。
日本はいちおう民主主義国家という建前にはなっているが、上記のような様々な制約を受けている。
現憲法下でさえ、国民の権利が奪われつつあることを自覚せねばなるまい。
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なお、NHKの子どもの貧困をテーマにした番組に関する記事について、「ビジネスジャーナル」は記事の訂正とお詫びを次のように記している。
【当サイトに掲載した8月25日付記事『NHK特集、「貧困の子」がネット上に高額購入品&札束の写真をアップ』における以下記述について、事実誤認であることが発覚しましたので、次のとおり訂正してお詫びします。
まず、「取材の映像でも、少女の部屋はモノで溢れており、エアコンがないと言っているにもかかわらず女子高生の部屋にはエアコンらしきものがしっかりと映っている」と報じましたが、実際には、女子高生の部屋にはエアコンはなく、取材の映像にエアコンらしきものがしっかり写っているという事実も確認できませんでした。
当該記事は外部の契約記者が執筆したものであり、NHKに取材をして回答を入手したと記述しておりましたが、実際には回答を入手しておらず、当編集部も確認を怠った責任があります。
当該記事では、「今回の疑惑に対しNHKに問い合わせのメールをしてみたところ、「NHKとしては、厳正な取材をして、家計が苦しく生活が厳しいという現状であることは間違いないと、担当者から報告を受けています。ですので、ネット等に関しましては、取材の範囲ではありません。但しご意見は担当者に伝えます」との回答を得た」と報じましたが、実際には、弊社はNHKに取材しておらず、回答は架空のものでした。
弊社は、今回の記事において、何ら根拠なく、「NHKがまたやらせ問題で揺れている」「貧困は社会が抱える大きな問題だが、だからといって報道でそれを捏造してしまえばたちまち矮小化されてしまう」などと報じることで、読者に対し、あたかもNHKが「やらせ」「捏造」を行ったかのような印象を与えたことにつき、取材が十分ではありませんでした。NHKに対し、深くおわびいたします。
また、今回の記事の掲載により、女子高校生やご家族、並びに読者の皆様に多大なるご迷惑をお掛けいたしました点についても深くおわびすると共に、他に同様の事案がないか調査し、厳正な処分を行うとともに再発防止に取り組みます。
(2016/9/1付 ビジネスジャーナル)】
捏造に架空記事、実にひどいものだ。
第69回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2016年9月18日(日)18時30分
会場:国立演芸場
< 番組 >
前座・入船亭辰のこ『代書屋』
入船亭扇辰『三番蔵』
柳家喬太郎『ウルトラ仲蔵』
~仲入り~
柳家喬太郎『悋気の火の玉』*
入船亭扇辰『穴どろ』*
(*:ネタ下ろし)
まだ二人が二ツ目時代から継続しているという「扇辰・喬太郎の会」、ネタ下ろしを1席ずつ演じるという趣向が好評で毎回前売り完売の人気番組だ。
喬太郎は二ツ目後半にはブレークしていたし、扇辰はその頃から上手かった。
辰のこ『代書屋』、師匠から長めに演るように言われたと断った上でネタに入る。前座の『代書屋』は初めてだ。面白かったのは前日に聴いた柳亭こみちの高座と、マクラを含めほぼ同じ中身だったこと。同じ人から教わったんだろうね。
やはりこのネタは荷が重い様で、与えられた時間前に終えていた。
扇辰『三番蔵』、中川善史の新作。質屋の番頭が怠け癖のついた小僧の定吉を懲らしめのために店の三番蔵に閉じ込める。この蔵は長期に保管している品物ばかりだが、定吉に若い娘から声がかかる。少女の正体は木箱の中に女の子の人形だった。二人で芸者ごっこで遊んだりして、すっかり気分を良くした定吉。それからは人が変わったような働きぶり。ある日、店先に職人風の客が来て、この木箱の人形を請け出すという。理由を訊くと、娘が妹の様に可愛がっていた人形だったが、博打で金に困ってついつい質入れしてしまった。その娘の嫁入りが決まったので、人形を持たせてあげたいと言うのだ。人形の箱を抱えた定吉は渡したくないと言ってグズり、人形を私の嫁に下さいと言い出す。それは出来ない、だって箱入り娘だ、でサゲ。
幼い定吉の淡い初恋を描いたラブストーリー仕立て。古典落語かと見間違うような作品で、扇辰の高座は少女の前に出ると急に大人びた態度をとる定吉の描写が巧みだった。
喬太郎『ウルトラ仲蔵』、題名から察せられるように『中村仲蔵』のウルトラマンヴァージョン。随所に仲蔵の中の印象的なシーンやセリフが入り、笑いを生んでいた。才人喬太郎の面目躍如といった所だが、ウルトラマンについての知識があればもっと楽しめただろう。
喬太郎『悋気の火の玉』、面白く聴かせていたが、一口で言うなら喬太郎はこのネタはニンじゃない。黒門町が十八番にしていたが、ああいう大看板がサラリと演じる所にこのネタの良さがあるのだと思う。
扇辰『穴どろ』、扇辰らしい丁寧な高座だったが、泥棒に入ってから部屋で飲食する時間が長すぎてダレた。あまり楽しそうにしていると、この泥棒の悲哀が薄められてしまう。泥棒が穴に落ちて大声をあげたのに気付いた主人が、先ず赤ん坊の心配をし子守を叱る場面が抜けていた。
課題の残ったネタ下ろしの1席。
第12回「ワザオギ落語会」
日時:2016年9月17日(土)18:15
会場:国立演芸場
< 番組 >
柳亭こみち『代書屋』
春風亭一之輔『加賀の千代』
笑福亭たま『ホスピタル』
~仲入り~
三笑亭夢丸『五人男』
入船亭扇辰『百川』
第12回「ワザオギ落語会」は珍しいことが二つあった。
一つは、プログラムにも書かれていたが出演者の亭号に柳家、三遊亭、古今亭、桂の名が見えないこと。と思ったら、第10回もそうだったっけ。
今回は生きのいい若手を集めたと書かれていたが、扇辰をこの範疇にいれるのは無理があるね。
もう一つは、1席目から4席目まで新作落語が並んだことだ。これはお初だろう。
『代書屋』4代目桂米團治による昭和10年代の作。
『加賀の千代』初代橘ノ圓都による昭和20年代の作。
『ホスピタル』たまの自作。
『五人男』5代目古今亭今輔の作。
但し『ホスピタル』以外は古典の様に扱われている。
こみち『代書屋』、来秋の真打昇進が決まった。ネタでは代書屋の隣に女性事務員を置いて時々話の中に割り込ませていたのが特徴。女流が演じるのでこうした試みを行ったのだろうが、やはりこのネタは代書屋主人と客の男二人の掛け合いで聴かせるネタだ。
どうも女流は苦手だね。
一之輔『加賀の千代』、長雨で妻の機嫌が悪いというマクラから本題へ。「誰か始末してくれませんか? 20万円までなら出します」と言っていた。奥さん聞いたら怒るだろうな。ちょいと楽しみ。
このネタは三三が得意としていて、寄席でちょくちょく掛けていた。それまでの隠居が甚兵衛のことが好きという設定から、三三は甚兵衛が可愛くて仕方がないという演出にした。一之輔はさらに一歩進めて、もはや猫可愛がりだ。まるで祖父が純朴な孫に接しているがごとくの態度で、これが客席に笑いを誘う。
登場人物の個々の性格を目一杯誇張させるという一之輔ワールド。この日も絶好調。
たま『ホスピタル』、マクラのショート落語がとにかく面白い。紙にマジックでタイトルを書いてきて、それを次々披露するのだが、まずハズレがない。それと感心するのは、00落ち、00落ちといった色々な落ちの形が使い分けられていることだ。大変な才能である。
ネタは病院を舞台にした怪談噺。滑稽噺と見せかけておいて、最後は怪談に戻るという趣向。詳しくはネットの動画で公開されているから、そちらを見てね。
夢丸『五人男』、お祝いに芝居を演ろうと話がまとまり、「白波五人男 稲瀬川勢揃いの場」を演じることになったが、悲しいかな素人芝居。衣装は揃わずしかも穴が開いてる。セリフはデタラメで、揃っていたのはフンドシだけという一席。いつも気になるのは、夢丸のしゃべり急ぎだ。先へ先へと追い立てるような語りのためか、「間合い」が上手く取れない。この人の特徴でもあるのだが、もう少し「溜めて」語る工夫が要ると思う。
扇辰『百川』、いかにも扇辰らしい実に丁寧な高座で結構でした。特に強く感じたのは、扇辰の高座の中に百川の部屋の間取りが表現されていることだ。玄関がどこで女中部屋がどこ、二階に上がる階段がどこにあるという配置を、きちんと目の動きで表している。こういう所がプロの技なのだ。
落語は話芸だが、決して語りだけではない。上半身を使って舞台全体を表現する所に落語の醍醐味がある。
第二十四回 にぎわい倶楽部 「西のかい枝・東の兼好」
日時:2016年9月15日(木)19:00
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
< 番組 >
前座・三遊亭けん玉『強情灸』
三遊亭兼好『大安売り』
桂かい枝『鹿政談』
~仲入り~
桂かい枝『雪の旅笠』
三遊亭兼好『鰻の幇間』
世の中狂ってるね。例の中村橋之助の不倫騒動って相手は京都の芸妓(げいこ)さんでしょ、玄人(くろうと)じゃないの。役者と玄人の火遊びなんて、ほおっておきゃ良い。後は本人と奥さんと、二人だけの問題でしょ。
アーやだやだ、近ごろの「道徳ファシズム」には息が詰まるね。
この日、上方の繁盛亭は創立10周年を迎えたとのこと。「おねり」の後で記念公演があり、かい枝はそこで1席務めた後でこの会場に駆け付けた。会長の文枝も上機嫌で、楽屋で珍しく酒を一合飲んだ。お替りを勧めると、「もう二号には懲りた」。かい枝のネタです。
兼好『大安売り』、1席目は小噺に毛が生えた程度の軽い相撲ネタ。太ってるひとが演るとリアル感があり、兼好のような人が演ると愛嬌がある。
かい枝『鹿政談』、奈良の名物「大仏に鹿の巻筆あられ酒、春日灯籠町の早起き」から、町の早起きの理由を説明し、ネタへ。前段の解説の部分に時間をかけたせいか、後半の裁きの場面が他の演者と比べあっさり気味。
サゲは奉行が扇子で首を叩き、「斬らず(きらず:豆腐のおから)に返す」で切っていた。
かい枝『雪の旅笠』、露の五郎兵衛の創作らしい。新潟の親不知という難所を舞台にした怪談噺と見せかけて、実は落とし噺。場内を暗くし、かい枝も不気味に語るので、すっかり騙される。
兼好『鰻の幇間』、いかにも兼好らしい明るく楽しい高座。ただ、このネタの最大のテーマである幇間の悲哀にはイマイチの感あり。取り巻こうとした男が勘定を払わずに逃げた事を聞いた時に、幇間の落胆ぶりをもっと強調すべきだったのでは。
『マハゴニー市の興亡』
作:ベルトルト・ブレヒト
作曲:クルト・ヴァイル
翻訳:酒寄進一
演出・上演台本・訳詞:白井晃
音楽監督/ピアノ:スガダイロー
振付:Ruu
日時:2016年9月14日(水)19時
会場:KAAT神奈川芸術劇場
ストーリーは。
荒野の真ん中で1台のトラックが故障して動かなくなった。中には売春斡旋や詐欺の容疑で指名手配中の逃亡犯、ベグビック(中尾ミエ)、ファッティ(古谷一行)、モーゼ(上條恒彦)が乗っていた。3人はトラックがもうこれ以上動かないと分かると、この地に「マハゴニー」という楽園の街を作り、やって来る男たちから金を巻き上げようと考えた。
先ずは、ベグビックが腕をふるって娼婦たちを集め、酒場を作る。
酒、女、賭博、ドラッグと何でもありの理想郷目指して、若者たちが集まってくる。その中には アラスカで樵をしていたジム(山本耕史)、ジャック、ビル、ジョーの4人の男たちもいた。
4人の男たちはベグビックからジェニー(マルシア)ら娼婦を紹介され、その中からジムはジェニーを選ぶ。
当初は快楽に浸っていた男たちだが、次第にこの街の細かな規則に嫌気がさして、街を離れる者も出始める。
そんななか、猛烈なハリケーンが周囲の街を次々と破壊しながらマハゴニーに近づく。街全体がパニックに陥るが、ハリケーンは逸れてマハゴニーは助かる。
この時を契機として、マハゴニーは金が支配する街に変貌する。あらゆる拘束が無くなり、全てが金で解決できる街になった。
殺人を犯しても金さえ払えば無罪になる一方、文無しになったジムが散々浪費した後で金が払えないと分かると、裁判で死刑が宣告され処刑されてしまう。
マハゴニーという仮想の街が人々の欲望や享楽を吸収しながら反映していくが、やがて衰退の道を辿るという寓話がテーマ。
舞台というより広場と呼ぶ方がふさわしい空間の中で、歌と踊りが繰り広げられる。舞台装置や背景が良く工夫されている。
中尾ミエらの歌唱は迫力があり、主演の山本耕史も魅力的だ。
無機質的な音楽に合わせて娼婦に扮したダンサーの踊りも見応えがあり、ジャック、ビル、ジョーを演じた脇役の演技も良かった。
しかし、作品としては秀作とはいい難い。
一つは、街を作り支配する悪人のベグビック、ファッティ、モーゼの人間性が全く描かれていない。3人ともロボットみたいで、ドラマとしての厚みが感じられない。
もう一つは、ジムが死刑を宣告される時の、周囲の人々の冷たさだ。善良なジムに対してあまりに冷酷すぎる。ジムの処刑によって何かを象徴させたかったのかも知れないが、不条理な感が拭えない。
ナチスが上演禁止した話題作だが、日本での上演があまりなかった理由が、この辺りかと思われる。
終幕の後のカーテンコールが2回行われた後で、短いショーが付け加えられる。
これがとても楽しいので、観劇された方はぜひお見逃しなく。
公演は22日まで。
昨日、石原慎太郎元知事が豊洲市場への移転問題でTV出演し、「騙された」と発言したそうだ。
冗談言っちゃいけねぇ、そりゃ「騙した」のまちがいじゃねぇの!
トボケテルのか、それともボケテルのか、いずれにしろ無責任極まる発言だ。まあ、知事がこの程度だったんだから、後は推して知るべし。
組織とイワシは、頭から腐るのだ。
いま市民団体から、土壌汚染を事前に調べすに当時の東京都が東京ガスから1859億円で購入し、その汚染対策費に849億円もつぎ込んだ責任を追及し、高値で購入したのは公金の違法支出だとして「返還」を求める訴訟が起こされている。
その中で石原慎太郎をはじめとする当時の東京都の幹部の責任問題が浮上する可能性もあり、本人としては事前に先手を打ったつもりなのだろう。
一般に土地を購入する際には、様々な注意点がある。
ネットの不動産取引に関するサイトで、「工場跡地」の土地を購入する際の注意点として、以下の記述がある。
【残念ながら、30年前に工場から土へ排出された有害物質は、30年経っても消えません。一旦有害物質が土に排出されると、水や空気と違ってどこかにいってしまうことはありません。公害が世の中ではじめて騒がれ公害対策基本法が制定されたのが1967年。それ以降に、水質汚濁防止法や大気汚染法などが制定されました。つまり、それ以前は有害物質の使用に規制もありませんでした。
現在、工場等もなく、有害物質使用の届出がない土地であっても、過去に有害物質を使用する可能性のある工場等が建っていた土地は、汚染の可能性があるということになってしまいます。 土壌汚染のリスクを把握するためには、現在の土地利用だけでなく、過去に工場等の利用がなかったかを調べることが重要になってきます。
その土地が「工場跡地」の場合は要注意です。工場の種類によっては、後に訴訟問題にならないために出来る限り、土壌汚染調査を実施されることをお勧めします。】
また、土地の土壌汚染の調査費用については、次の様に書かれている。
【自主調査の場合、基本的に売主と買主の話し合いで決定されます。多い事例としては、開発事業者が土地の購入後に、法律や条例で定められた内容よりも厳格な土壌汚染調査を売主に要求するケースが増加しています。また、土壌汚染が発覚した際は、買主が売主に対して汚染土壌の完全浄化・除去を要求するケースが多いのが現状です。】
このマニュアルに書かれている通りに、東京都が土壌汚染調査を行っていれば、今起きている問題の大半が解決できた筈なのだ。
即ち、
・汚染調査費用は東京ガスに請求する。
・この結果に基づき、東京都は東京ガスに対し汚染土壌の完全浄化・除去を要求する。
さらに重要な事は、事前の汚染調査をしていれば、生鮮食品の市場用にこの土地を購入することは有り得なかった。
東京都がこれら初歩的な手続きをせぬまま、いい値で土地を購入したとすれば、責任は免れぬ。
ぜひ、最高責任者だった石原元知事ら幹部を法廷に立たせる必要がある。
鈴本演芸場9月中席昼の部・2日目
前座・柳亭市若『金明竹』
< 番組 >
三遊亭美るく『転失気』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
春風亭正朝『目黒のさんま』
三遊亭歌武蔵『大安売り』
柳家紫文『三味線漫談』
柳家はん治『妻の旅行』
桂吉坊『寄合酒』
江戸家小猫『ものまね』
桂藤兵衛『そば清』
─仲入り─
ホームラン『漫才』
古今亭文菊『高砂や』
三遊亭歌奴『初天神』
林家二楽『紙切り』
蝶花楼馬楽『二十四孝』・寄席の踊り『深川』
鈴本演芸場9月中席昼の部はトリと中トリが久々で、上方から吉坊がゲスト出演することもあり、2日目に出向く。
入りは良いとはいえないが、月曜日の昼にしてはまあまあか。ただ常連は少なかったようだ。 仲入りまでに携帯の音が3度鳴り響いたり、口演中に会話する人がいたり、途中で席を立つ人がいるなど、総じてこの日の客のマナーは良くなかった。
寄席だからあまり厳しいことは言いたくないが、最低限のマナーは守ってほしい。
美るく『転失気』、セリフはまだ良いが、地の語りになると噺家のしゃべりになっていない。
正朝『目黒のさんま』、軽く流していたが、押さえる所は押さえての高座。サゲの近くで携帯の着信音が高く、かなり鳴り響く不運はあったが淡々と語り続けた。
歌武蔵『大安売り』、正朝が下りた後で場内アナウンスの注意があり、歌武蔵も冒頭で携帯を切るよう確認したにも拘わらず、この後2度も携帯の音が鳴り響いた。神経が分からん。高座は相撲ネタの小噺で終わる。
紫文『三味線漫談』、この人の芸を評価するのだが、声だけは頂けない。三亀松、枝雀や紫朝など、かつて男の音曲師は美声が揃っていただけに、よけいに感じる。
はん治『妻の旅行』、桂文枝の新作。定年を過ぎた父親の所に息子がやってきて、お袋が旅行に出かけると親父が愚痴るので気分が悪いと嘆いていた。もっと気分良く送り出してやれと父親に助言する。
父親が言うのには、定年になって二人で家にいるようになって気が付いたのだが、とにかく母親が口うるさい、小さなことまでいちいち口出ししてきて息が詰まる。おまけに料理が不味く、一緒にいると疲れるばかりだ。だから旅行に出かけて留守の時が、一番ホッとする。
息子は、それなら機分よく送り出してやればいいじゃないかと言うと、父親は、それが違うのだと、以前、喜んで行ってこいと送り出したら、留守になんか企んでいるのでしょうと途端に不機嫌になってしまった。だからわざとグチグチ言って送り出すのだと。息子は、夫婦の間は深いと納得。
場内から笑いが多かったのは、身につまされて人が多かったということ。長い間夫婦をしていても、定年になってから初めて分かることも多い。そした機微を描いた秀作。
はん治は古典より新作向きだ。
吉坊『寄合酒』、結論からいえば受けなかった。
・この日の客層とはミスマッチ。アウェイ感が強かった。
・吉坊のしゃべる標準的な関西弁が、客に聞き取りづらかったと思う。意味がよくつかめないまま終わったという感じだったのではないか。
このネタは東京でもしばしば演じられるが、大きな違いは鯛を調理する場面があることだ。犬がくわえていた鯛を奪ってまな板の上で捌き始めるが、その犬が近くにきて唸り声をあげる。調理している男は気が気ではない。仲間に相談すると、「犬に食らわせろ!」と言われる。犬をどつけという意味だったのだが、男は勘違いして鯛の肉を犬に食わせてしまうという筋だ。
アタシはこのネタを笑福亭松之助で観ているが、見台をまな板に見立て、扇子を包丁に見立てて、鯛の尻尾や頭を切り落とす時に小拍子を叩いて音で表現していた。犬に放り投げると犬がくわえて去るのを見送り、ヤレヤレという表情をすると、直ぐにまた犬が戻ってくる。この繰り返しに場内が沸くのだが、吉坊は高座の床でこの動作をしていて、恐らく多くの人は何をしているのか分からなかっただろう。客席からの反応が薄かったのも、このためと思われる。
こうした見せ方の工夫も課題だろう。
小猫『ものまね』、研究熱心さが高座に現れている。
藤兵衛『そば清』、いつもながら、江戸前のスカッとした高座だ。こういうネタは、こう有りたい。
ホームラン『漫才』、絶好調。
文菊『高砂や』、語りにやや硬さが感じられるのが弱点だが、芸は本寸法。古典を真っすぐに演じてこれだけ客席をつかめるのは、大した資質だ。
歌奴『初天神』、客席を明るくし、ワッと沸かせて下がる。寄席にはなくてはならぬ噺家だ。
二楽『紙切り』、「出雲大社」で苦戦。
馬楽『二十四孝』、珍しく最後のサゲまで聴けた。若干いい淀みがあったり、二十四孝の郭巨と呉猛の名前を入れ違ったりというミスはあったが、面白さは伝わった。
おまけの踊りの『深川』、結構でした。寄席で踊る人はいるが『かっぽれ』や『奴さん』が大半だ。やっぱり粋な踊りはこの『深川』、久々に見られて良かった。
地人会新社第5回公演「テレーズとローラン」
日時:2016年9月10日(土)14時
会場:東京芸術劇場シアターウエスト
原作:エミール・ゾラ
脚本・演出:谷賢一
< キャスト >
銀粉蝶:ラカン夫人/シルヴィ・ラカン、カミーユの実母、テレーズの義母
奥村佳恵:テレーズ/テレーズ・ラカン、カミーユの元妻、今はローランの妻
浜田学:ローラン/ローラン・ヴァローネ、カミーユの友人、今はテレーズの夫
木場勝己:マルタン/マルタン・オーギュスト・ピニエ、ラカン夫人の友人、元警部
エミール・ゾラのデビュー作「テレーズ・ラカン」は過去に何度か映画化され、舞台で上演をされてきた。今回は谷賢一が原作を翻案したもので、演出も同氏が行っている。
物語は。
マルタンはラカン夫人とは旧来からの友人で、警部を定年退職後は毎週木曜日にはラカン家を訪問するのを通例としていた。この日もラカン夫人宅を訪れると、そこにはテレーズとローラン夫妻の遺体が血溜りの中に。状況からすると双方で刺し違えたようだ。部屋の隅には二人の義母であるラカン夫人が死体をじっと見つめている。夫人は病気で四肢が不自由で口もきけない状態だが、その目は何かを訴えようとしていた。
(舞台はここから時代を次第に遡行して行くのだが、ストーリーを分かりやすくするために順行して説明する。)
パリの片隅にある小さな家で、ラカン夫人は息子のカミーユと、戦死した弟の娘テレーズを引き取り、3人を女手一つで育てていた。夫人は二人を結婚させるが、病弱でまともな夫婦生活を営むことさえ出来ずにいた。
悶々とした日々を送るテレーズの前に、カミーユの友人で快活な青年ローランが現れる。ローランがカミーユの肖像画を書きに毎日の様に家を訪れるうちに、テレーズはすっかり彼の虜になり隠れて情交を重ねるようになって行く。初めての女性としての喜びを見出すテレーズ。
次第にカミーユの存在が邪魔になった二人は、3人でボート遊びにでかけ、隙をみてローランが船を転覆させ、カミーユを殺害してしまう。
事故で息子を亡くしたと信じる失意のラカン夫人の唯一の慰めは、旧友である元警部のマルタンは毎週木曜に自宅を訪れ、カードゲームに興ずることだった。四肢が不自由なラカン夫人をマルタンは支え励ます。
気分の癒えたラカン夫人はテレーズとローランの結婚を許すが、その頃からテレーズがカミーユの殺害を促した罪の意識に苛まれ始める。ローランとの間も険悪になり、遂にカミーユ殺害の責任を互いになすり合う。
それを聞いてしまったラカン夫人は驚愕のあまり、失語症になってしまう。
テレーズはローランを毒殺しようとするが、それを阻止しようと二人がもみ合っているうちに、双方が刺し違いで死んでゆく。
カミーユの死の真相から二人の死まで全ての事実を知るラカン夫人だが、言葉がしゃべれないので訪れたマルタンに真相を打ち明けることが出来なかった。
物語の主人公はテレーズだ。孤児として親類の家に引き取られ、従順な娘として育てられる。虚弱な息子カミーユを結婚させられるが、実態は彼の看病をする小間使い同然の生活。そこにマッチョな男ローランが現れ、初めて性の悦びに目覚める。彼をそそのかし夫を殺害して、いよいよ愉悦に浸れる生活を手に入れる筈だった。しかし、罪の意識に苛まれ、遂には悲劇的な結末を迎えてしまう。
テーマは女性の自立だ。
この作品を書いたのはエミール・ゾラだから、時代は19世紀後半ということになる。テレーズの試みは時代の制約に押しつぶされてゆく。
女性の自立を阻む壁は、現在も形を変えて残されている。そうした事が、この作品が今日でも受け容れらている要因だろう。
谷賢一の脚本は最終シーンから回想シーンを遡行させて描いていたが、私が粗筋で書いたように最終シーンから回想に戻り順行で描いも良かったように思えるのだが。
登場人物を4人に絞り、マルタンを狂言回しにした演出は成功した。
出演者ではマルタンを演じた木場勝己が圧倒的。木場をキャスティングした段階で、この芝居の成功は約束されてようなものだ。
他では銀粉蝶の目の演技が印象的だった。
公演は19日まで。
いま国交省が音頭をとって建物の耐震化を進めている。特に幹線道路や避難場所の近くにある建物や、不特定多数の人が利用する建物については早急な対策が要請されていて、地方自治体も改修や建て替えに一部補助金を出すなどして後押しをしている。
私が住んでいる地域でも建て替えが進んでいる。
先月には地銀の支店と小規模のスーパーの取り壊し工事が始まった。ともに駅から1分と好立地で、自宅に帰る途中にあったので頻繁に利用していた。双方ともマンションになるという計画だ。
銀行の方は前に少しスペースがあり、毎年のお祭りではこの場所にテントを張り準備会場として使っていた。来年からはどうするんだろうと、些か心配になる。
スーパーも障碍者が車いすで買い物がしやすいように(近くに障碍者のための作業所やアパートがある)通路の幅が広くとってあり、商品棚も高さを抑えていて、買いやすいい工夫をしていた。レジ係りの人も昔から変わらず、そのせいか小売店みたいな感覚でお年寄り(私もだが)の利用者も多かった。そうした人たちにとって、このスーパーの閉店は痛い。
それでも建て替えの資金がある所はまだいい。あるいは、公共の建物の場合は国や地方自治体の予算で建て替えができる。
問題は私有の住宅、特に権利者が複数にまたがる集合住宅の場合だ。
私が住んでいる集合住宅は耐震基準が作られる以前に建ったもので、今年行った耐震診断でも不合格という結果が出た。
かと言って、建て替えなど問題外だ。
そこで耐震化工事をすることによって、耐震基準をクリアしようという事になった。
ところが、これも莫大な費用がかかるのだ。自治体から補助金も出るが、それでは到底間に合わない。
住民が高齢化し年金生活者が多い現状から、多額な費用負担は無理だという声が出ている。
一方では、不安だから早く工事をして欲しいという声もある。
管理組合で何度か話し合いをしてきたが賛否が真っ二つに分かれ、議論の過程で住民同士に感情的なシコリが残ってしまった。
管理規約では住民の4分の3以上の同意が必要だが、現状では不可能に近い。かといって、このまま放置するわけにもいかず、完全に暗礁に乗り上げている。
自治体の担当者にきいた所では、どこの古い集合住宅でも同様の事態がおきているそうだ。
災害時に大事なのは地域コミュニティだと言われている。耐震化でコミュニティを壊したのでは何もならない。
災害に強い街づくりという総論は結構だが、その中で起きていることをどうやって解決するのか、国や自治体はどのように考えているのだろうか。
並木宗輔=作
通し狂言『一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)』第一部
初段 堀川御所の段・敦盛出陣の段
二段目 陣門の段・須磨浦の段・組討の段・林住家の段
国立劇場開場50周年を記念して、国立小劇場では文楽公演『通し狂言 一谷嫰軍記』を上演中。この狂言は歌舞伎でもおなじみだが、通常は三段目の『熊谷陣屋』のみが単独で上演される。通し狂言となると、国立では約40年ぶりだそうだ。正確には五段目まであるが、今回は並木宗輔作の三段目まで。
この日は珍しいので昼の部の初段と二段目を鑑賞。
この狂言は『平家物語』を下敷きにして、民間に流布されたエピソードを加えて書かれたもの。
メインストーリーは源氏の熊谷次郎直実が平家の武将・無冠の大夫敦盛と組討し、敦盛の首をあげるという物語に関連したもの。
サイドストーリーとして、歌人でもあった平家の武将平忠度の和歌が『千載和歌集』に収められるまでを描いたもの。
結論から先に言うと、熊谷次郎直実が討ち取った首は敦盛のものではなく、自分の息子である小次郎のものだった。なぜ直実はそんな事をしたのかというと、実は敦盛が後白河院の落胤だったという設定になっている。だから直実は我が子を犠牲にしてまでも敦盛を救わざるを得なかった。
また忠度が詠んだ和歌は、源氏の岡部六弥太忠澄らの尽力により、めでたく勅撰『千載和歌集』に「よみひとしらず」として入集する。滅亡の危機にあった平氏の武将が詠んだ和歌を入集させるのは、こうした工作が必要だった。
そのいずれもが源義経の指図であったことが明らかになる。
源氏と平氏は敵味方に分かれ合戦を行うが、人としての大義や正義のためには、お互いが尽くしあっていたというのが物語の骨格だ。
芝居には付き物の悪役も、源平の隔たり無く平等に登場するのもこの狂言の特徴と言えよう。
<各段のあらすじ>
初段の『堀川御所の段』では、義経は家来の熊谷次郎直実に「一枝を切らば一指を切るべし」と書かれた高札を、岡部六弥太忠澄には平忠度の和歌「さざなみや しがのみやこは あれにしを むかしながらの やまざくらかな」の短冊を桜の枝に付けて渡す。いずれもこの狂言全体の前段となる。
『敦盛出陣の段』では、平経盛が養女の玉織姫と息子の敦盛との祝言を準備するが、そこで敦盛が後白河院の落胤を明かし、合戦に出ることを止めようとする。しかし敦盛は味方の勝利のためと、勇躍出陣してゆく。
二段目の『陣門の段』では、熊谷直実の息子小次郎がひとり平家の一の谷に先陣で駆けつけるが平家の反撃にあい負傷する。そこへ父直実が救いに現れ、小次郎を小脇に抱えて駆け出す(実は、ここで小次郎と敦盛が入れ替わるのだが)。
『須磨浦の段』では、恋しい敦盛を追ってきた玉織姫が、姫に横恋慕する平山武者所末重から言い寄られ、拒否すると斬られ深傷を負う。
『組討の段』は初段のハイライトで、沖合で直実と敦盛が組討をし、組み敷いた直実が相手の顔を見ると我が子小次郎を思わせる、トドメを躊躇していると見方から非難の声がかかり、やむなく敦盛(実は小次郎)の首を落とす。そこへ深傷を負って瀕死の玉織姫が這い出てきて、敦盛の首を抱く。
ここでは沖合の組討を遠見の人形が演じ、それが急に本役の人形に切り替わるという見せ場がある。
『林住家の段』では、忠度の妻・菊の間の乳母だった林の家で、菊の間と忠度が再開を果すが、源氏の追手が迫り立ち回りのうえ撃退する。そこへ六弥太忠澄が現れ、義経から預かった和歌の短冊を菊の枝に刺したものを忠度に渡し、その和歌が『千載和歌集』に入集したことを知らせる。忠度は忠澄に感謝すると共に、戦場で再び会いまみえる事を約し、去って行く。
この場は、全体が世話物風の仕立てになっていて、立ち回りでは一転してスペクタクルな演出が施され、形見の片袖や流しの枝など詩情豊かな場面もある。
普段あまり演じられないのが勿体ないと思われるほど、充実した段である。
『組討の段』や『林住家の段』では、浄瑠璃がたっぷり泣かせてくれる。
人形遣いでは、『林住家の段』の乳母・林の表情が、まるで人間の様に実に細かく変化するのに驚いた(人形役割:吉田和生)。凄い芸である。
ただ、出だしの『堀川御所の段』の浄瑠璃の声が酷かったのが残念。
公演は19日まで。
現在、民進党の代表戦が行われていて、候補者の主な争点に共産党との野党共闘、憲法改正、安保法案がある。
以下は日経netの2016/9/2付の記事より引用。
【民進党代表選に立候補した蓮舫代表代行、前原誠司元外相、玉木雄一郎国会対策副委員長は2日午後、党本部で共同記者会見に臨んだ。前原氏は岡田克也代表が敷いた共産党などとの共闘路線について「岡田路線はリセットすべきだ」と表明した。蓮舫氏は「(共産、生活、社民との)枠組みをどう展開するか耳を傾けたい」と継続しながらも見直しに含みを持たせた。
玉木氏は「基本的な考え方の違う政党とは一線を画す」と述べ、共産党は距離を置くべきだと主張した。
憲法改正に関し、玉木氏は1年をめどに党として憲法に関する党の考え方をまとめたいと強調。蓮舫氏は地方自治のあり方などを例示し「社会の課題で足りないところがある」として、議論を進める考えを示した。前原氏は「党内で議論したい」と語った。
アベノミクスへの対案となる経済政策について前原氏は再分配政策を通じて「みんなが少しずつ(税を)負担し、みんなが受益者になる社会をつくる」と表明。蓮舫氏は「安心の好循環社会をつくりたい。税金が行政サービスで返ってくる社会をつくる」と行政改革の徹底を力説した。】
共産党との野党共闘だが、前原と玉木の二人は明確に見直す、つまちヤーメタという方針だ。蓮舫は継続はするが見直すという歯切れの悪い言い方をしている。産経での単独インタビューで蓮舫は、民進党と共産党の党首が並んで演説することは有り得ないと言っていた。要するに三人とも歓迎していないことは共通と見て良い。
一方の共産党から、民進党との共闘なんぞマッピラだという声が聞こえてこないようだ。
参院選の野党共闘といっても、実質的には大半は共産党が一方的に候補者を下ろす片側共闘だった。野党共闘で共産党候補が立ったのは香川選挙区だけ。それも民進党がここだけは絶対に勝てないと見越して立候補を見送ったもので、応援もしなかった。他の選挙区では候補者を立てなかった共産党が統一候補を支援している。
その結果、一人区で11人もの野党統一候補が当選し、これは野党共闘の成果だったと見てよい。
この選挙で民進党は改選議席(前々回の当選者数)からは大きく減らしたものの、前回の民主党と維新の合計22→今回32と大幅に議席を伸ばした。
一方の共産党は前回8→6と逆に大きく議席を減らしている。投票直前予想では各社がいずれも議席増を予想していたことを考慮すれば大幅な後退と言ってよい。
つまり、共産党としては、野党共闘によって得られるものは何も無かったことになる。
後退の原因としていくつかあるだろうが、一つ言えることは自分の選挙区に立候補者がいないと比例代表の選挙活動にも身が入らないだろうし、共闘に引きずられて民進党への批判もゆるくなったであろう事は否定できまい。
それでもこの先、野党が一致して安倍政権と対決出来るようであれば、この後退も意味があるかも知れない。
しかし、民進党の3候補のうち誰が当選しようとも、右旋回は不可避だ。
もっとも左派と見られている蓮舫にしても、安保法案を戦争法と呼ぶのは抵抗があると明言しているし、憲法改正についても議論はしていくと言っている。産経でのインタビューでは自分は野田元首相と同じ保守だと断言している。
前原にいたっては自民党と政策が限りなく近い。それもその筈、バリバリの「日本会議」なのだ。
もう民進党なんかに見切りをつけて、共産党もいい加減にケツをまくったらどうか。
本当は安倍政権に対抗するためには野党同士一緒に組めれば良いのだが、相手が嫌がってるのに無理矢理くっついて行くことはない。
それより愚直に政策を訴え、支持を増やすことが先決だろう。
「睦会~柳家喜多八師匠ゆかりの演目で~」
日時:2016年9月02日(金)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
< 番組 >
前座・柳家小かじ『出来心(花色木綿)』
瀧川鯉昇『粗忽の釘』
入船亭扇遊『青菜』
~仲入り~
入船亭扇遊『お菊の皿』
瀧川鯉昇『船徳』
扇遊・鯉昇『挨拶』
扇遊・鯉昇・喜多八3人により「睦会」は20年間続いたそうで、アタシもあちこちの会場で観てきた。ここにぎわい座でも10年間、29回の公演が行われた。
28回目の5月の会で初めて喜多八が体調不良で休演し、その1週間後に亡くなってしまった。はや3か月が経つが、ファンの方々の喪失感はなかなか消えない。後で鯉昇が「一人死ぬとこんなにお客さんが増えるんですね。もう一人死んだら・・・」と冗談を言ってたが、この日も多くの観客が集まっていた。
「喜多八ゆかりの演目」と題していたが、この日の4席は特に十八番という事ではない様に思う。
アタシの勝手な思いだが、喜多八の代表的高座は『明烏』『鈴ヶ森』『やかんなめ』『ぞめき』『長命(短命)』。
大きなホールよりは、寄席向きの噺家だった。だから昨年末から寄席に出られなくなった事は、きっと辛かっただろうと推察する。
【参考】横浜にぎわい座での「睦会」の高座で、柳家喜多八が演じたネタは以下の通り(横浜にぎわい座の資料より抜粋)。
2006年-あくび指南
2007年-噺家の夢、ぞめき、棒鱈、
2008年-鰻の幇間、へっつい幽霊、千両みかん、
2009年-盃の殿様、百川、代書屋、居残り佐平治
2010年-寝床、長命、おわすどん、お直し
2011年-いかけや
2012年-笠碁、鈴ヶ森、長短、抜け雀
2013年-夢金、啞の釣り(2回)、明烏
2014年-紺屋高尾、親子酒、ラブレター、茄子娘
2015年-五人廻し、大工調べ、落武者、尼狐
2016年-やかんなめ
小かじ『出来心(花色木綿)』、語りといい、間の取り方といい、既に二ツ目レベル。注目の若手だ。欲をいえば、表情がやや硬いかな。
鯉昇『粗忽の釘』
マクラで煙草の直径が7.2mmで、これが女性の乳首のサイズと一緒なのだそうだ。赤ん坊が母親の乳首を吸うという行為から、この寸法が人間の心を落ち着かせるというのが根拠だと。かなり長いあいだ吸う機会を失ってしまったので事の真偽は不明だが、勉強になった。
気怠そうに始まりながら、ネタに入ると熱演という鯉昇の高座スタイルは、喜多八の同類だ。
引っ越してきた家に釘を打つのがネタの発端だが、オリジナルでは箒となっている。よく考えると箒ならそれほど重くないので、長い釘は不要だ。そこで鯉昇は箒に代わる思いものということで、以前はエキスパンダーとしていた時期もあった。近ごろではロザリオ、それもかなり大きなロザリオという設定だ(下記に参考画像)。
これだとかなりの重さになるだろうから、長い大きな釘が必要だったんだろう。壁に打ち込んで下手をすれば隣の人が死んだかも知れないと女房に脅かされ、亭主は向かいの家を訪ねるのだが、最初の言葉が「あのー、生きてますか?」。ロザリオの分からない相手の主人には、キリストの磔の恰好をして見せる暴走ぶり。訪ねた家が向かい側だったと分かり、隣家に行くと相手は「見てましたから、事情は分かってます」と言われ、釘の先を確かめるとこれが仏壇の阿弥陀様の股間からにゅっと出ていた。粗忽の男はとっさにロザリオの事が頭をかすめ、「お宅の阿弥陀様はクリスチャンですか?」でサゲ。
かなり刈り込んだ高座だったが、場内は爆笑の連続。『粗忽のロザリオ』の一席。
扇遊『青菜』
マクラで天気予報士を話題にしていたが、TVのニュース番組であの人たちが登場してきたのはいつ頃だっただろうか? 若くて可愛い女性が定番となり、アタシなんぞも、ついついそっちに見とれて肝心の予報を覚えていないことがある。あれは逆効果だね。扇遊は半井小絵のファンで、以前に彼女がニュースを降板してから天気予報が信用できなくなったと語っていたっけ。
扇遊の高座というのは教科書のようだ。屋敷の主人が扇子であおぐ格好、植木屋がコップで酒を飲んだり、鯉のあらいを食べたりする姿が実にサマになっている。
前半のゆるやかな運びから、後半の畳み込むような展開の対比といい、若手の手本になる。
扇遊『お菊の皿』
前席と同様に夏に因んだネタだったが、扇遊の良さがあまり感じられない。
ここは師匠・扇橋の十八番であり、喜多八も演じていた『茄子娘』辺りを選んで欲しかった。
鯉昇『船徳』
鯉昇の高座では、徳は「船頭の様なもの」として描かれている。だから徳が客を乗せて船を出すとき、船着き場で船宿の女将は泣いて見送る。大川に出ると両岸に沢山の横断幕が飾られ、読んでみるとこれが全て「辞世の句」。もう乗客は気が気ではない。船が石垣で止まってしまい、客の一人が傘で石垣をつついて船を出すが、よく見ると石垣は刺さった傘だらけ。
揺れる船中でのお客の様子や、次第に疲れ果ててゆく徳の姿が熱演で示され、会場は爆笑。『船徳』鯉昇ヴァージョンで締め。
最後の二人の挨拶では、扇遊がが先に亡くなった永六輔の言葉を引いて「皆さんが忘れないうちは、喜多八は生きています」と語りかけたのが印象的だった。
喜多八の死去に伴い、「睦会」は今夜で最終回となる。
今後は「扇遊・鯉昇二人会」にゲスト一人を迎えた「二人三客の会」として再スタートするとの告知があった。
振り返ってみれば、「睦会」は喜多八が要だった気がする。改めて喜多八の存在の大きさを実感した。
以下、日刊スポーツcom2016,9,2付記事より引用。
【「名もなく貧しく美しく」などヒューマンな作品で知られる映画監督で脚本家の松山善三(まつやま・ぜんぞう)さんが8月27日午後8時41分、老衰のため東京都港区の自宅で死去した。91歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は養女明美(あけみ)さん。
1948年に松竹入社。木下恵介監督の助監督としてシナリオづくりなどを学んだ後、脚本家としてデビュー。小林正樹監督「あなた買います」「人間の條件」の他、「乱れる」「人間の証明」「恍惚(こうこつ)の人」などの映画やテレビドラマのシナリオを数多く執筆した。
61年に「名もなく貧しく美しく」で監督業に進出。ろう者の夫婦愛を感動的に描いて大ヒットした。他にも「われ一粒の麦なれど」「ふたりのイーダ」「典子は、今」など、社会的弱者に温かな目を向けた作品を発表した。
映画「二十四の瞳」の助監督時代に親しくなった女優高峰秀子さんと、55年に結婚。おしどり夫婦として知られた。】
映画のタイトルを読んでいると、あの当時はせっせと映画館に足を運んでいた事を思い出す。
松山善三がシナリオを書いていた『あなた買います』ではプロ野球のスカウト活動を、『人間の条件』では戦時中の満州における帝国陸軍内部での兵士の苦悩を、といった社会派の映画だった。
監督として手掛けた『名もなく貧しく美しく』『典子は、今』では、当時としては珍しい障碍者を主人公とした映画で、いずれも大きな反響を呼んだ作品だった。
記事にもある通り、松山善三の作品は常に社会的弱者に対してあたたかい目を向けていた。
話は変わるが、9代目桂文治(留さん文治、ケチの文治)の落語の中のマクラやクスグリで、しばしば松山の作品の名が出てくる。
「日本人だから、寄席へ来なくっちゃいけません。これは『人間の条件』ですからな」
「落語てぇものは『名もなく貧しく美しい』もんですからな」
こんな調子だが、客席からは笑い声が起きる。それだけ松山作品が人口に膾炙していたという証左だろう。
ご冥福をお祈りする。
【注意】良い子は読まないように!
たまには色っぽい噺で。
桂米朝が発掘した旅の噺の中に『紀州飛脚』がある。男性の巨根をテーマにしたもので、米朝自身もあまりにえげつないので高座にかけなかったと語っていた。CDに収録された録音も会場はホールではなく、ご贔屓の自宅の座敷での口演。
マクラで巨根を扱った小噺が紹介されている。
先ずは中国。あるところに巨大な持ち物の男がいて、相手になる女性をあちこち探していた。たまたま大きいという女性に巡り合い、話がまとまった。いざお床入りとなったら、その女性が自分の中から掛布団と敷布団、枕を取り出し「さあ、どうぞ」と言ったので、男は驚いて自分のイチモツの陰に隠れた。
次は日本で、向かい合ったアパートの2階同士の若い男女。お互いに魅かれあって話はまとまった。女性が男の所に行きたいが、1階を通ると親にバレてしまう。困っているとかの男、自分の持ち物を長くのばし自分の部屋と相手の部屋を橋渡ししてしまった。「安心して、こっちへおいで」という言葉に、渡りかけた女性は「でも、帰れなくなる」。
分からない人は置いてきますね。
さて『紀州飛脚』だが、足が3本並んでいると見えるほどの巨根の男が、和歌山まで急ぎの手紙を届けるよう飛脚を頼まれた。走っていこうとするが、どうにも自分の持ち物が邪魔になる。そこで両側から吊って走り出すと、右に左に振れながら調子よくいく。
途中、小便をしたくなったが時間が勿体ないからと、飛脚は走りながらジャージャーと小便をまきちらした。それが草の中で寝ていた小狐にかかったから、怒るまいこと。
親狐に訴えると、これが船玉稲荷大明神の筋をひこうという狐の親分。子分を集めて仕返しを企む。
親狐は御殿の姫君に化け、子狐はその股間に首をはさまれて、憎っくき飛脚のイチモツを食いちぎってやろうというわけだ。
そうとは知らぬ飛脚は大阪への帰り道に、中間や腰元に案内されて姫君の寝所に。こうなりゃままよと覚悟を決めた飛脚がコトに及ぶと、何しろこれが巨大。口いっぱいに突っ込まれた子狐は喉に詰まらせ、「死ぬ、死ぬ~」でサゲ。
いやはや、活字にすると余計にえげつないですね。
なお、熊野の観光名所のHPによれば、船玉稲荷ならぬ「船玉神社」は音無川の上流、熊野古道・中辺路の猪鼻王子(いのはなおうじ)近くにあるとのこと。隣に玉姫稲荷があり、船玉とは夫婦神ともいわれているようだ。
下の画像の左が船玉神社、右が玉姫稲荷(前記HPより)。
船玉という名称からすると、船の神様だろう。こんなバレ噺に名前が使われて、神様もきっと苦笑しているに違いない。
当ブログの8月のアクセス数TOP10は、以下の通り。
1 鈴本演芸場8月中席・夜(2016/8/19)
2 東京四派若手精鋭そろい踏みの会(2016/8/12)
3 柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め(2016.8.17)
4【都知事選】タマが悪すぎた
5 春風亭小朝独演会(2016/8/23)
6 鈴本演芸場8月上席・夜(2016/8/1)
7「稲田朋美」語録、その耐えられない軽さ
8【ツアーな人々】消えた添乗員
9 #67人形町らくだ亭(2016/8/25)
10「不倫」で世間が騒ぐ理由がわからない
8月は全体にアクセス数が多く、通常の月であればランク入りしたような記事も、今回は圏外になった。
10本の記事の内訳は、落語関係が6本、時事問題が3本、旅行関係が1本(例月の常連記事)となった。
8月は珍しく鈴本の上中下席それぞれに出向き、上中席がランクインし、下席も月末で月を跨がなければ入っていただろう。
2位は人気者が顔を揃えていたもので、3,9位はいずれも小満んを中心とした会。
5位の小朝の会は、菊池寛の小説を落語化するという企画が注目されたのだろう。
4位の時事問題では、7月末に行われた都知事選で野党候補が惨敗した件をとりあげたもので、最大の原因が候補者がお粗末だったことを指摘したもの。野党各党がきちんと総括していない点も気になる。
7位は、内閣改造の目玉大臣である稲田朋美の過去の言説をとりあげたもの。薄っぺらな中身だということ。
10位は、今年やたら流行った不倫報道に疑問を呈したもの。基本的は夫婦間の問題であって、他人がとやかく口を出すべきではない。
毎月、月末をむかえると今月も終わりかと思うのだが、8月末だけはその思いがひとしおだ。どうやら、学生時代の夏休みの終わりに味わった空疎な思いが、未だに脳に沁み込んでいるらしい。
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