「フリック」(2016/10/18)
「フリック」
日時:2016年10月18日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:アニー・ベイカー
翻訳:平川大作
演出:マキノノゾミ
< キャスト >
菅原永二:サム
木村了:エイヴリー
ソニン:ローズ
村岡哲至:スカイラー/夢見る男
【あらすじ】
舞台はマサチューセッツ州ウースター郡にある古びた映画館。
客席を掃除する二人の男の従業員の片方は、いつか映写係になることを夢見て働くサムで、35歳になるが未だに実家に身を寄せている。
もう一人は映画狂のエイヴリーで、まだ35mmフィルムで映画を映写しているこの映画館だからこそ働きたいとようやく働き口を見つけたもの。学生だが今は休学中で、少し前に自殺を図りカウンセリングを受けている。
他には女性の従業員で映写係をしているローズがいて、サムは彼女にぞっこんだが無視されている。ロースはエイヴリーに気がある様子。
3人は館主に隠れて入場料の一部をちょろまかせて山分けし、足りない給料を補うという秘密を共有する。
置かれている立場も生活環境も異なる3人だが、互いの身の上を知る中で次第に心を通わせるようになる。
しかし、サムが休みの時にローズがエイヴリーに映写技術を教える中で男女関係を持ってしまう。そのことに気付いたサムは傷つき疎外感を味わう。
おりしも時代の波はデジタル化に向かい、フィルム映写機からデジタル映写機に移行するという話が持ち上がる。
フィルム上映にこだわるエイヴリーは抵抗するが、サムとローズは時代に流れだから仕方ないという考えだ。
経営が行き詰まっていたこの映画館主はついに他の経営者に館を売り払うことを決め、それを契機にデジタル映写に切り替わる。それに伴って人員は二人で済むことになり、入場料の不正が発覚した罪がエイヴリー一人に押し付けられるが・・・。
映画フィルムのデジタル化を背景に、現代に生きる若者の苦悩や焦燥を描いた作品で、テーマは普遍性を持つ。
舞台上は映画館の客席で、芝居は終始ここで従業員が掃除している姿が描かれる。一場が数分程度の短いカットがつなげられる手法で、コミカルなシーンも多く3時間の舞台は飽きさせない。
しかし感動を与えるような作品ではなく、長い割にサラッと終わってしまうという印象だった。舞台として成功だったかどうかは、疑問の残るところだ。
最後に登場するスカイラーの役割もよく理解できない。
ハリウッドの映画ファンには大いに楽しめるのかも知れないが。
出演者では主役のエイヴリーを演じた木村了の演技が断然光る。青春の甘さやほろ苦さを見事に表現しており、特に長大なセリフなセリフをリズム良く語る姿には感心した。
ソニンは熱演だったが、原作がどうか分からないのだが、もう少し知的な部分も感じさせる役柄だったのではと思った。
菅原永二は声が掠れるのが気になった。
公演は30日まで。
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