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2016/10/31

2016年10月人気記事ランキング

10月の記事別アクセス数のTOP10は以下の通り。

1 平成落語ブームって、どこが?
2 新宿末廣亭10月中席・夜(2016/10/11)
3 時間稼ぎのマクラは迷惑だ
4【ツアーな人々】消えた添乗員
5 五街道雲助一門会(2016/10/14)
6 #68人形町らくだ亭(2016/10/26)
7 #21東西笑いの喬演(2016/10/15)
8 客をナメチャいけません-「六代目柳家小さん襲名披露公演」
9 落語家の「実力」って、なんだろう?
10 #449花形演芸会(2016/10/29)

10月は落語関連が圧倒的に強く、10本中9本にのぼった。残りの1本は4位の旅行関連で、ランキングの常連。
1位は「平成落語ブーム」をとりあげたものだが、メディアでの報道を見るかぎりでは底の浅さが目に付く。実態はブームとはほど遠い。
3位の落語の「マクラ」だが、時間稼ぎとしか思えないダラダラしたマクラは勘弁してほしい。マクラも落語の一部なんだから。
8,9位は過去の記事で理由は分からないが、毎月コンスタントにアクセスを集めている。
他は皆ライブの感想だが、何故か最も客の入りが悪かった新宿末廣亭10月中席・夜の記事にアクセスが集まったのは意外だった。

なお、毎月末に記事別のランキングを紹介してきたが、この10月をもって終了する。

2016/10/30

#449花形演芸会(2016/10/29)

第449回「花形演芸会」
日時:2016年10月29日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・林家あんこ『道具屋』
瀧川鯉斗『天災』
月の家小圓鏡『風呂敷』
ハッポゥくん『発泡スチロール芸』 
菊地まどか『田宮坊太郎』曲師=佐藤貴美江
―仲入り―
ゲスト・古今亭志ん輔『野ざらし』 
鏡味初音『曲芸』  
柳家小せん『ねずみ』

鯉斗『天災』、滑舌の悪さが気になる。細かないい間違いが多かったのは稽古不足か。親不孝な男の乱暴なセリフはリアルだった。

小圓鏡『風呂敷』、いきなり「華がない」という自虐的な自己紹介だったが、確かに地味に見える。それなら何をウリにしていくつもりだろうか。この噺のポイントはお上さんの色気だと思う。亭主の留守に若い男と二人だけになるなんてぇのは、ソノ気があったと思われても仕方ない。テンポは良かったが、人物の描き方はこれからか。

まどか『田宮坊太郎』、この人目当てのファンの方もいたようだ。毎度同じことを言うようだが、浪曲の会と寄席の色物として浪曲を演じるのでは、自ずから演りかたが異なる。落語をメインに楽しみに来ているお客に受けるには、演目の選び方を工夫した方が良いと思う。
アタシが若い頃に寄席の色物の浪曲師として人気があったのが2代目広沢菊春。この人の高座は寄席に相応しく明るく楽しいものだった。国立の高座に澤孝子が出演したことがあったが、寄席の中に溶け込んでいた憶えがある。

志ん輔『野ざらし』、若手の育成に力を入れている志ん輔だが、この日は来日する外国人に落語の魅力や楽しさを知って貰おうという企画があるようで、神田連雀亭で朝から撮影会をしてきたとマクラで語っていた。
『野ざらし』といえば3代目柳好の十八番としてあまりに有名だが、現役の人たちはのほとんどは8代目柳枝の型で演じている。細かな部分で違いがあり、柳枝の方がよく工夫されているからだろう。
志ん輔も柳枝の型だったが、愛嬌と弾けっぷりや言葉遣いは柳好を彷彿とさせていて、とにかく楽しい高座だった。

小せん『ねずみ』、この日のお目当て。小せんの魅力は語りの確かさと軽妙さの調和がとれていることだろう。声の良さも強みだ。
この日の高座でも登場人物の「ねずみ屋」の主・卯兵衛とその倅、友人の生駒屋、左甚五郎、そして敵役の丑蔵、飯田丹下といった人物像をきっちり描き分けていた。
静かな語りの中に笑いもちりばめ、期待に違わぬ良い出来の高座だった。

2016/10/28

明治時代からあった「生前退位」論

天皇陛下の退位をめぐり、政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は10月27日の会合で、ヒアリングを行う皇室問題や憲法などの専門家16人を決定した。
顔ぶれを見ると産経でお馴染みの「日本会議」系の「識者」がズラリと顔をそろえ、それに対して別の意見を持っている人を散りばめるという、いつもの手法だ。
だいたい政府の設置する審議会というのは、初めに結論ありきだ。今回の「生前退位」に関連した有識者会議にしても同様で、結論を出すためのお飾りみたいなもんだろう。

月刊誌「選択」10月号で、天皇の生前退位についての記事が掲載されている。
見出しは「朕は辞職するに能わず」という明治天皇の言葉だ。
いきさつは、第四次伊藤博文内閣が軍事支出の問題で閣内が対立し、明治35年に総理の座を投げ出した。この伊藤に対して明治天皇が「卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず」と答え、伊藤はいたく恐懼(きょうく)したというのだ。
これには、もう一つ深い事情があった。それは、明治に策定された皇室典範に、終身在位を強引に決めたのは伊藤博文だったのだ。
皇室典範は明治20年に、井上毅と柳原前光の二人が原案を策定し、天皇の「譲位」を認めるという内容だった。
原案を伊藤博文に示したところ、伊藤はこの部分に反対した。天皇の終身大位は当然のことだと言うのだ。井上らが「天皇といえども人間ではないか」と反論すると、伊藤は「本条不用につき削除すべし」と一喝したという。
してみると、4度も政権を投げ出した伊藤に対する「朕は辞職するに能わず」という言葉は、明治天皇の精一杯の皮肉にも聞こえる。

時代は下って、昭和の戦後に天皇退位論が活発になる。それも昭和天皇の周辺からだ。
近衛文麿と高松宮が、天皇の皇太子(現天皇)への譲位と、高松宮の摂政就任を密議していた。
終戦直後の新聞紙上で、皇太子の様子が写真とともにしばしば記事に登場していたのは、こうした動きの反映かも知れないと思った。
芦田均首相も退位を検討したことがある。
元内大臣の木戸幸一は、日本が講和し独立を果たした時点での退位を勧めた。
興味深いのは、この時期には皇室典範など眼中になかったことだ。
ただ、昭和天皇はマッカーサーとの約束をタテに在位し続けた。

帝国憲法(明治憲法)の起草者である井上毅らが作成した皇室典範の原案が、「至尊(天子)と雖も人類」という思想で作られていたことに驚かされる。
それに対して、今の政権側の人間や、それに連なる識者と称する人々のなんと古めかしい主張であることか。
それと「お言葉」には、民主主義国家の日本における象徴天皇のあるべき姿について問題提起が行なわれているが、その点は政府はスルーしているようだ。
どうやら、日ごろは皇室崇拝を口にしながら、天皇の言動には面白く思っていない政権の様子が垣間見える。

2016/10/27

#68人形町らくだ亭(2016/10/26)

第68回「人形町らくだ亭」
日時:2016年10月26日(水)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座
立川笑二『道具屋』
古今亭志ん輔『犬の災難』
三遊亭金馬『ねぎまの殿様』
~仲入り~
五街道雲助『淀五郎』

フィリピンのドゥテルテ大統領だが、麻薬の容疑者を手当たり次第に殺害するというのは乱暴すぎるが、「暴言」のほうは気にならなかった。いつまでもかつての宗主国であるアメリカに言いなりにはならないぞという発言は、むしろ潔くとさえ見える。
ただ、この人のいけないのは中国に行けば中国に調子のいいことを言い、日本に来れば今度は日本に調子のいいことを言うことだ。
これでは相手にヨイショしてご祝儀という名の経済援助を引き出す幇間(タイコモチ)と変わりがない。
「バランス外交」ならぬ「タイコモチ外交」である。
日本政府も「旦那」気取りで、あちらこちらに札びらを切るのはやめてほしい。元はといえば、こっちから出た金なんだから。

前座だが、立川流の女流だったが名前を聞き漏らした。

笑二『道具屋』、立川流の二ツ目。叔父さんと与太郎の演じ分けができていない。与太郎の言葉遣いに一貫性がない。どうも立川の若手のいうのは「受ける」ためのクスグリには力を入れるが、基本がなってないようだ。

志ん輔『犬の災難』、通常は『猫の災難』のタイトルで演じられるが、大師匠の顰に倣い『犬』で演じた。大きな違いは、肴が前者では「鯛」だが後者では「鶏肉」。
でもどうなんだろう、日本酒の肴に鶏肉が合うんだろうか。焼き鳥にでもすれば良いのかも知れないが、手間がかかる。ここは鯛の方が自然だろう。
志ん輔の酒の吞みっぷりと酔態が見所。

金馬『ねぎまの殿様』、芸歴76年という天文学的数字。感心するのは高齢にもかかわらず常に観客本位を貫いていることだ。寄席の短い時間でも、必ず古典を一席うかがう。若手は手本にしてほしい。
「片仮名のトの字に一の引きようで、上になったり下になったり」という先代のお馴染みの言葉をマクラに振って本題へ。
筋は『目黒のさんま』同工異曲だが、高座にかかることが少ない。「さんま」に比べ「ねぎま」が馴染みがないせいか。でも舞台は上野広小路、鈴本のすくそばだ。ここの葦簀っぱりの店で、殿様が醤油樽に腰かけ、ねぎまを肴に燗酒を飲む姿は粋ではないか。店の小僧も殿様を特別扱いしないところが、いかにも江戸らしくていい。

雲助『淀五郎』、歌舞伎役者の出世物語という点で『中村仲蔵』と双璧で、『仲蔵』の続編のようにも見えるネタだ。
ただ両者の大きな違いは、『仲蔵』がケレンとも思える型の工夫であるのに対し、『淀五郎』の方は役者としても心構えに重点が置かれている。
それは仲蔵が淀五郎に「その場で褒められるようじゃ上手い役者とは言えない。芝居が終わって、さっきの役者は上手かったなと客が言うようでなくちゃ本物とは言えない」という意味のことを諭す所に現れている。
この場面も『中村仲蔵』を踏まえている。
仲蔵は4段目の判官を演じる際の心構えを2点示唆している。
一つは、役者自身が5万3千石の大名になりきって腹を切ること。ここで、ご贔屓すじに良い所を見せようとする淀五郎の演技を諭している。
二つ目は、自分の短慮で家来たちを路頭に迷わせることになり申し訳ないという気持ちが、筆頭家老である由良之助に伝わらなくていけない。
こうした役者の「肚」を先ず基本に据えて、後は技術的なことをアドバイスする。
この場面の仲蔵のいかにも座頭らしい仲蔵の風格と優しさ、それを受けて少しずつ心が晴れてゆく淀五郎の姿が、見事に描かれていた。
雲助の渾身の一席、このネタは現役ではこの人がベストだ。

2016/10/25

「家族葬」と「お別れ会」

この年になると、親戚や友人など周辺の人々をおくる機会が増えてくる。
最近、特に眼に付くのが「家族葬」だ。大きな葬儀をするのではなく、家族だけで小さな葬儀をするというもの。
だいたい数百万円のかかる葬儀というのが不自然だったのだ、王侯貴族じゃあるまいし。だからこうした傾向になるのは当然だと思う。
ただ、外部の人には通知がいかないので、例えば年末に喪中はがきが来て初めて亡くなったのを知るとか、時にはこちらから出した年賀状の返信で亡くなったことが知らされるという事になる。
特別に親しかった友人の訃報だったりすると、一言連絡してくれればな、などと思うこともある。

「家族葬」の場合、家族以外の人は参列できないのかという問題もある。
数年前に同じ集合住宅の隣の御主人が亡くなった。親しくもあったのだが、「家族葬」だということで参列は遠慮しようかなと思っていた。
処が、マンションの掲示板に葬儀の日程や会場が告知されていた。
迷ったあげく、とにかく自分だけでも参列しようと会場に着いたら、私ともう一人同じマンションの住民が来ていた。
二人で会場に入ると、ご主人の知り合いの方が数人参列されており、控室も用意されていた。
こうなると「家族葬」って何だろうと思うのだ。
帰って近所の人にこの話をすると、「それなら私も行きたかった」という人も何人かいた。
この辺りの線引きがアイマイな気がする。

「家族葬」の反動というわけなのか、「お別れ会」というのが開かれるようになってきた。
親しい友人たちが有志で、亡くなった方を偲ぶという趣旨のようだ。
しかし、これにも問題がある。
誰々さんは「お別れ会を」やったのに、誰々さんの時はやらなかった( やってくれなかった)という不満の声があがることがあるようだ。
あと、誰と誰を招待するかという人選の問題もある。
私自身も、なぜ自分に声が掛からなかったのかと訝るケースがあった。
せっかくの周囲の好意なのに不満が生じるようでは困る。
また、故人の遺志で静かにおくって欲しいという事で家族葬になった場合、「お別れ会」を開くのは故人の遺志に反することになりはしないか。

私自身は死んだら家族だけでおくって貰い、遺灰は散骨してお墓もいらない。戒名も位牌も法事もいらない。
ごく親しい友人数人だけに、あとで死亡したという通知だけを送ってくれと遺言するつもりだ。
もっとも遺族に、「お墓も作らないのか」という親戚からの横ヤリが入ることもあるそうで、とかく葬儀はヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

2016/10/23

【街角で出会った美女】スイス編

今年の夏はスイスへ行きました。ベストシーズンで天候にも恵まれ、スイスの素晴らしい景観を堪能してきました。
ヨーロッパの自然の景観ではスイス、オーストリア、ノルウェイの3国かなと思います。
久々に先進国は清潔で快適ですが、なんか物足りなさを感じてしまいます。
私にとって海外旅行というのは日常性からの脱却、つまり日本で経験ができないことを見聞することにあります。
そういう点で、先進国はワクワク感がないのです。
とはいえ、この年になると以前に訪れたような国々を巡るのは体力的に難しくなってきているのも事実です。
もうそろそろ海外は打ち止めにしようか、もう少し頑張ってみるか、迷う所ではあります。

さて今回の美女は、スイスとイタリアとを鉄道で結ぶベルニナ線のモルテラッチ駅前のレストランで、戸外の席で開店準備をしていた店員です。
ツアーの中のオジサンの一人の、可愛いこがいるという一声で、他の男たちも一斉にカメラを持って近づきました。私も、その一人です。
この娘さん、おそらく夏休みのアルバイト店員でしょうが、被写体なれしているようでポーズを取ってくれました。

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2016/10/21

「夜が私を待っている」(2016/10/20)

「夜が私を待っている NIGHT MUST FALL」
日時:2016年10月20日(木)14時
会場:紀伊國屋サザンシアター

作:エムリン・ウィリアムズ
翻訳:常田景子
演出:河原雅彦
<  キャスト  >
ブラムソン夫人:前田美波里(邸宅の主)
オリヴィア・グレイン:秋元才加(ブラムソン夫人の姪で邸宅の使用人)
ヒューバート・ローリー:岡部たかし(オリヴィアの崇拝者)
テレンス夫人:明星真由美(邸宅のコック)
リビー:弘中麻紀(ブラムソン夫人の看護師)
ドーラ・パーコー:白勢未生(邸宅のメイド)
ベルサイズ:久ヶ沢徹(犯罪捜査課の警部)
ダン:入江甚儀(「トールボーイズ」のウェイター、通称ベビー・フェイス)

入場して驚いたのは、客席がガラガラだったこと。入りは3分程度で、これほど客が入っていない芝居は初めてだ。
このキャスティングで、意外。
【あらすじ】
舞台はロンドンから遠く離れたとある森の中の一軒家。
邸宅の女主人であるブラムソン夫人は姪のオリヴィアと暮らしている。邸宅にはコックのテレンス、メイドのドーラが働き、オリヴィアを慕うヒューバート、看護婦のリビーが出入りしている。
10月のある朝、ベルサイズ警部が邸宅を訪れ、近くに住むある女性が行方不明になり、もしかすると殺されているかもしれないと告げる。
メイドのドーラが妊娠していることが発覚し、怒ったブラムソン夫人は相手の男をここに連れてくるよう命じる。
その男とは「トールボーイズ」という店のウェイターをしているダンで、ダンの巧みな弁舌にすっかり丸め込まれたブラムソン夫人は、彼を雇い身の回りの世話をさせることになった。しかしオリヴィアら周囲の人間はダンの素性や行動を訝る。
警察が行方不明の女性の捜索をしていると、邸宅の敷地内の庭から遺体が発見される。その女性が「トールボーイズ」の常連客であり、ダンとも顔見知りだったとことが分かり、オリヴィアは彼が犯人ではないかと疑いの目を向けるが・・・。

原作は英国人作家により1935年に書かれた心理サスペンス劇。当時は大変評判になり、その後も繰り返し上演され、映画化もされたという作品だ。
しかし、さして高尚な内容とも思えぬ。
ここでは4組の男女の関係が描かれている。
ダン/ブラムソン夫人-今でいうなら、ホストクラブの腕利きホストが、世間知らずの有閑マダムを手玉に取ってる様に見える。
ダン/オリヴィア-真面目な女性がえてしてああいうタイプの男に魅かれのだ。
ダン/ドーラ-単なる遊び相手にされ妊娠し捨てられるという、世間によくあるパターン。
ヒューバート/オリヴィア-薄っぺらで退屈な男じゃ、女性は魅力を感じないだろう。
ミステリーとしたら、始まって間もなく犯人の見当がついてしまう。
何より、この芝居を通して作者が何を言おうとしているのかが、最後までつかめなかった。
こういう作品は苦手だね。

演技人は良かった。
それを楽しみに。
お調子者に見えて陰があり、どこか不気味な男ダンを演じた入江甚儀の演技が光る。見ていて恐怖がジワリと押し寄せてきた。
オリヴィアを演じた秋元才加は、ダンを避けながら気になるという揺れ動く女性の描写が良くできていて好演。
我儘で嫌味な女主人役の前田美波里を始め各脇役たちも、20世紀前半の英国の人物像を描くべく務めていた。

公演は30日まで。

2016/10/20

「フリック」(2016/10/18)

「フリック」
日時:2016年10月18日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT

脚本:アニー・ベイカー
翻訳:平川大作
演出:マキノノゾミ
<  キャスト  >
菅原永二:サム
木村了:エイヴリー
ソニン:ローズ
村岡哲至:スカイラー/夢見る男

【あらすじ】
舞台はマサチューセッツ州ウースター郡にある古びた映画館。
客席を掃除する二人の男の従業員の片方は、いつか映写係になることを夢見て働くサムで、35歳になるが未だに実家に身を寄せている。
もう一人は映画狂のエイヴリーで、まだ35mmフィルムで映画を映写しているこの映画館だからこそ働きたいとようやく働き口を見つけたもの。学生だが今は休学中で、少し前に自殺を図りカウンセリングを受けている。
他には女性の従業員で映写係をしているローズがいて、サムは彼女にぞっこんだが無視されている。ロースはエイヴリーに気がある様子。
3人は館主に隠れて入場料の一部をちょろまかせて山分けし、足りない給料を補うという秘密を共有する。
置かれている立場も生活環境も異なる3人だが、互いの身の上を知る中で次第に心を通わせるようになる。
しかし、サムが休みの時にローズがエイヴリーに映写技術を教える中で男女関係を持ってしまう。そのことに気付いたサムは傷つき疎外感を味わう。
おりしも時代の波はデジタル化に向かい、フィルム映写機からデジタル映写機に移行するという話が持ち上がる。
フィルム上映にこだわるエイヴリーは抵抗するが、サムとローズは時代に流れだから仕方ないという考えだ。
経営が行き詰まっていたこの映画館主はついに他の経営者に館を売り払うことを決め、それを契機にデジタル映写に切り替わる。それに伴って人員は二人で済むことになり、入場料の不正が発覚した罪がエイヴリー一人に押し付けられるが・・・。

映画フィルムのデジタル化を背景に、現代に生きる若者の苦悩や焦燥を描いた作品で、テーマは普遍性を持つ。
舞台上は映画館の客席で、芝居は終始ここで従業員が掃除している姿が描かれる。一場が数分程度の短いカットがつなげられる手法で、コミカルなシーンも多く3時間の舞台は飽きさせない。
しかし感動を与えるような作品ではなく、長い割にサラッと終わってしまうという印象だった。舞台として成功だったかどうかは、疑問の残るところだ。
最後に登場するスカイラーの役割もよく理解できない。
ハリウッドの映画ファンには大いに楽しめるのかも知れないが。

出演者では主役のエイヴリーを演じた木村了の演技が断然光る。青春の甘さやほろ苦さを見事に表現しており、特に長大なセリフなセリフをリズム良く語る姿には感心した。
ソニンは熱演だったが、原作がどうか分からないのだが、もう少し知的な部分も感じさせる役柄だったのではと思った。
菅原永二は声が掠れるのが気になった。

公演は30日まで。

2016/10/19

平成落語ブームって、どこが?

今日(2016/10/19)のNHKの番組表をみると、「クローズアップ現代+」に「平成落語ブーム到来!?」というタイトルが書かれている。また今日から「超入門 落語ザ・MOVIE」という新番組が始まるようだ。
永年、寄席や落語会に通っている人間から言わせてもらえば、平成落語ブームなんて、どこの話だろうと訝ってしまう。

ここのところ行った寄席はガラガラで、鈴本演芸場の2回と末広亭では開演時に客が10人前後だった。前列に座っていると楽屋の喧騒は聞こえてくるが、客席は静まりかえっている。そりゃそうだろう、こっちの人数の方が少ないんだから。
さすがに仲入り頃になって客が増えていたが、それでも数十人。高座の噺家が、詰めれば前の2列で済みますね、なんて言ってたっけ。
あれだけ閑散としていると却ってこっちが緊張してしまい、楽しめなくなる。なんとなく席亭や芸人に申し訳ない気がしてくるのだ。不思議だね。
そのいずれも、出演者の顔づけは決して悪くなかったし中身も良かった。ただ人気者と言われる人たちが出ていなかったのだ。

確かに一部の噺家の人気は高く、前売りが秒速で完売とか、プラチナチケットとかいわれる状況もある。
そういう人は皆落語が上手いのかというと、そうとは限らない。むしろTVなどのメディアへの露出が多いからというケースが目につく。それも演芸番組ではなく、たいがいはバラエティ番組だ。台本にそっていかにも自分が考えたかのように演じるという技能と、ナマの高座で落語を聴かせる技能とはまったく性質が異なる。
TVに出ていることと落語が上手いこととは無関係なのだ。
いつもTVでみている人を実際に見てみたいという気持ちは分からなくはないが、それで集客できたとしても落語ブームとは別問題である。

昨日の朝日新聞夕刊の一面トップが、春風亭ぴっかり☆の記事と写真だったのには驚いた。アイドル系の女流落語家として人気が高く、横浜にぎわい座(記事には書かれていなかったが「のげシャーレ」の方だ)の公演が前売りで完売だったという記事だ。
一面のトップになるような記事かいと思うが、NHK同様にこんな形でブームを煽っているんだろう。
ぴっかりだが、女流落語家の中では上手い方だと思う。しかし、その人気はルックスにあるのだろう。
男の噺家の中でも見栄えがいいと、イケメン落語家なんていって人気が出る人もいる。
そういうのを楽しみに行く人も否定はしないが、それで客が集まったからといって落語ブームうんぬんを語るのは筋違いに思える。

実力のある人がじっくり聴かせる落語会に大勢の客がくるようになって初めて、落語ブーム到来と言える。
今般のメディアのとりあげ方は、空騒ぎに思えて仕方ない。

2016/10/17

時間稼ぎのマクラは迷惑だ

落語では本題(ねた、根多)に入る前に、通常はマクラ(枕)がふられる。
マクラは落語の重要な部分でもあり、一般的には次の内容が語られる。
・挨拶(例として一杯のお運び様で・・・、お寒いなかを早々と・・・)
・時事ネタ(世間で話題になっているニュースやスキャンダルなど)
・周辺の出来事(旅先の話題、食べ物、趣味など。又は仲間内の打ちあけ話、楽屋話など)
・ネタに関連した小咄(相撲ネタなら相撲に関連した小咄を披露する)
・事前の解説(古典落語では今では使われない道具や約束ごと、諺があるので、事前に説明しておく)
寄席のように事前にネタが用意されていない場合は、噺家はマクラをふりながら客席の反応を見て、その場でネタを決めることもある。
時にはマクラ抜きでネタに入る場合もあり、必須事項という分けではない。

上等なマクラだと客席を温め、客の心をつかむ。
ただ、マクラはあくまでも本題の前フリなので、あまり長時間になるのは好ましくない。余談になるが、小三治の長大なマクラを好む人もいるが、私は否定的だ。
寄席なら5,6分、ホール落語の場合でもせいぜい10分程度が限界だと思う。

ところが、落語会でやたら長いマクラがふられて閉口する場合がある。
ホール落語だと仮に一人30分が割り当てられたとする。それなら30分かかるネタを演じれば問題はないのだが、本題が15分で終わってしまうとすると15分をマクラでつながなければならない。
こうなるとマクラは単なる「時間かせぎ」だ。
客は面白くもないマクラを延々と聴かされる羽目になる。

落語は楽しみに行く所であり、辛抱しに行く分けではない。問題は中身であって、口演時間が長ければ客が満足する分けでもない。
30分かかる所が20分で済むなら、大いに結構。
夜の公演は19時開演が大半だ。終わってから遠方に帰る人もいれば、食事をする人もいる。ムダに2時間半かけるより、同じ中身を2時間で終わらせてくれた方が有難い。
それこそ「観客ファースト」でスケジュールを考えて欲しいし、この点は主催者も考慮にいれるよう望みたい。

2016/10/16

#21東西笑いの喬演(2016/10/15)

第21回東西笑いの喬演「三喬・喬太郎 二人会」
日時:2016年10月15日(土)18時
会場:国立演芸場

<  番組  >
森乃石松『動物園』
笑福亭三喬『月に群雲』
柳家喬太郎『ついたて娘』
~仲入り~
柳家喬太郎『家見舞い』
笑福亭三喬『質屋蔵』
 
この会を主催していた「みほ企画」だが、来年で終了するとの告知があった。他に「さん喬・松喬(現在は一門会)二人会」も同様に10年間続けてこられた努力に感謝したい。こういう良心的な主催者の会がなくなるのは残念だが、致し方ない。

先ず苦言を。
この日の喬太郎の高座だが、せき込んで度々噺が中断していた。声もかすれていたし、本人は頑張ってるみたいな事を言っていたが、こういう状態で高座に上がるのは観客に失礼だ。
他の芸能、例えば芝居やコンサートなどで、こういう状態の芸人を見たことがない。
どうも落語家なんだからという甘えがあるのでは。
最高のパフォーマンスが出来るように体調を整え、無理なら休演しかない。厳しいようだが、そういう気持ちで高座に臨んでもらいたい。
アタシが不思議に思うのは、落語家に愛煙家が多いことだ。しゃべりの商売、声の商売の人がタバコを吸うなんて、理解不能だ。
体調管理、とりわけ声のケアはトークの芸人にとって最も大事なことだと思う。
不養生なんて、自慢にゃなりませんよ。

三喬『月に群雲』
冒頭に小佐田定雄が三喬のために創作した作品と言ってた通り、三喬にピッタリのネタだ。これで三度目だが、いつ聴いても面白い。
盗人と故買商との合言葉が、前者が「月に群雲」というと後者が「花に風」と受ける決まりになっているが、近所の人も知っている。これじゃ合言葉にならない。
間違えて「長崎は」と言うと、「今日も雨だった ワワワ」なんて受けるんだからいい加減なものだ。
故買商の主が「花に風」と答える前に、エヘンエヘンと咳払いしてタバコを一服する、その間がなんとも可笑しい。新米の泥棒が何かというと見当はずれの諺を繰り出すが、兄貴分がそれを咎める間が絶妙だ。
泥棒三喬の面目躍如。

喬太郎『ついたて娘』
大して面白くもないマクラを25分ほど。ネタが短いのと持ち時間が40分もあるので、つないでいると本人が語っていたが、何度もせき込んで見るからに辛そうで、それなら持ち時間を半分にすれば良いのに、と思った。
長く演ることがサービス、ってもんじゃない。
ネタは、小泉八雲の作品『衝立ての娘』を落語にしたもの。
若い学者が骨董屋で見かけた衝立てに描かれた娘にに一目惚れして、買い求めて自宅に飾り毎日眺める。その姿に恋焦がれているうちに病になり、心配した周囲の人たちから衝立ての絵の中から生身の娘を取り出す方法を教わり、その通りに娘が目の前に現れる。学者は大喜びし、来世も含め永遠の愛を誓うというストーリー。
ラフカディオ・ハーンの作品を落語化したという意欲は買うが、およそ面白味がない。
長いマクラのせいもあって、退屈した。

喬太郎『家見舞い』
『肥甕』というタイトルもあり内容ズバリだが、あまり綺麗な名称ではないせいか、こちらのタイトルが使われている。
二人の男が兄いの新築祝いに行き、水瓶を買う約束をしてくるが金がなく、瀬戸物屋の店主とやり合う所までの前半がカットされていて、骨董屋の店先にあった肥甕を担いで兄いの家に向かう後半から始まる。
喬太郎の市販のCDにも収められているが、せき込みによる中断は相変わらずだったが、テンポよく聴かせていた。

三喬『質屋蔵』
マクラで、質屋に預ける質草や金利の仕組みを解説してくれたが、これは親切。アタシもそうだが、今の人で実際に質入れを経験した人は稀だろうから、このネタを理解するためには必要な知識だ。
聴かせ所は、
・質屋の主が番頭に、蔵に預かっている質草に質入れした人の恨みが残り、幽霊騒ぎが起きる可能性があることを例え話で語る場面。
・主人の命令で大工の熊を迎えに行った小僧の定吉が、熊にあることないこと言いくるめて栗を買わせる場面
・蔵の幽霊を見届けるよう質屋に呼ばれた熊が、今まで内緒で店から酒樽や漬物の樽を持ち出していたことを告白してしまう場面。
・蔵を見張る役目の番頭と熊が酔って寝込み、代りに主が見守る中で幽霊が出てくる場面
の4か所だが、いずれも確かな語りで聴かせていた。
こうしたネタは店主の風格を描くのがキモだが、この点も三喬の描き方は優れていた。
来秋の松喬襲名を控え気力も充実しているのだろう、そう感じさせる高座だった。

2016/10/15

五街道雲助一門会(2016/10/14)

「五街道雲助一門会」
日時:2016年10月14日(金)19時
会場;横浜にぎわい座芸能ホール

<  番組  >
前座・柳家小かじ『黄金の大黒』
隅田川馬石『金明竹』
五街道雲助『死神』
~仲入り~
蜃気楼龍玉『親子酒』
桃月庵白酒『二階ぞめき』

にぎわい座では年1回となった雲助一門会、2階席まで入る盛況ぶり。
数ある一門の中でも最も充実しているのは雲助一門だろう。3人の弟子たちもここ数年で揃って力をつけてきた。
やはり、勇将の下に弱卒なし。
毎回出番が変わるのと、師匠がトリを取らないのもこの一門会の特長だ。どうやら雲助が早く帰りたがるようだ。

前座の小かじ『黄金の大黒』、二ツ目昇進を目前に控えているが、既に二ツ目で通用する実力を備えている。この日も途中を省略はしていたが、長屋の連中が代わる代わる大家に挨拶する場面を聴かせ所にして、珍しくサゲをつけていた。

馬石『金明竹』、馬石の特長を一言で表せば「フンワリとした芸」か。頼りない小僧に輪をかけてお上さんが又頼りない。客の口上を聞くのにわざわざ傍に小僧を呼んできて一緒に聞くのだ。店主が戻ってきて要件を訊く時も、お上さんがいちいち小僧に確かめながら説明する。
まともな骨董屋の女房なら、普通はある程度商品の知識はあるだろう。それを口上の中の道具七品が全く見当がつかないんだから、確かにこの女房はかなりトロイ。
この辺りを馬石はフンワリと演じていた。

雲助『死神』、短縮版で通常の半分程度の時間で演じた。普通は医者になった男が大金を手に入れ女房子供を離縁し、愛人を連れて京大阪を見物してスッカラカンになって江戸に戻り、金に困った例に布団回しをやらせる。雲助はここを全てカットし、全てを一日の出来事にしていた。男が死神に導かれて地下室に入り、生命の蝋燭をつぎ足す場面は通常通り。一度は新しい蝋燭に火を移せたのだが、「ハクション」で終了。
歯切れの良いスピーディーな展開だったが、もの足りなさも残った。

龍玉『親子酒』、禁酒を約束した親子だが、息子が仕事に出かけている隙に父親が女房に言いつけて酒を飲む場面をタップリと演じた。この飲みっぷりが良かった。最初の一杯では思わず体を震わせていたが、アタシもひと月近く入院してから退院しての最初の一杯は体が震えた。そのくらい美味いのだ。一杯一杯とお替りしながら次第に泥酔してゆき、それでも息子が戻ってくると何とか取り繕うとする父親の姿が巧みに描かれていて、好演。

白酒『二階ぞめき』、議員の白紙領収の話題を例の辛口でマクラに振って本題へ。廓噺をさせたら若手では白酒がナンバーワンだろう。それと言うのも古今亭のお家芸、特に志ん生の芸を継承しているからだろう。
もちろん、志ん生の高座とは全く違う。誰も志ん生にはなれないんだから、それは無理なのだ。白酒は、志ん生が演じたネタを出来るだけ大切にすると同時に、今のお客に受け容れられるようにと演じているように見えるのだ。
この日の高座でも、若旦那の「俺は女はどうでもいいんだよ。うん。俺は吉原ってものが好きなんだよ」というセリフの通り、いかに吉原の素見(ひやかし)の若旦那が入れ込んでいるかが表現されていた。
吉原の素見の手順もきちんと説明され、吉原の街を再現した2階に上がっての若旦那の一人きちがいぶりを見せ所にしての熱演、結構でした。

2016/10/14

今年の阪神は「御の字」だ

プロ野球もレギュラーシーズンが終了し、阪神タイガースは64勝76敗3分で勝率.457のリーグ第4位に終わった。
打率などの打撃成績が軒並み最低レベルだったから、この成績はやむをえまい。反面、防御率はリーグ2位、失点は3位だったので投手陣はそれなりに頑張ったといえる。
Bクラスになったということでガッカリしているファンも多いだろうし、フロントや監督の采配に批判の声もあるようだ。
私はシーズン前から今年はBクラスを予想していたので、結果は想定内だった。
今季の阪神のスローガンは「超変革」だった。若手を積極的に記用し競争力を高め、チームを大きく変えようということだから、当然リスクは伴う。その点は私たちファンも覚悟は要る。

今シーズン、一番目についたのは新人の活躍だった。
2015年ドラフトでは、高山、坂本、竹安、望月、青柳、板山の6人の新人が入団したが、そのうちリハビリ中の竹安(入団当初から予定されていた)の一人を除き、他の5人全員が一軍の試合に出場した。
若手を積極的に使うという金本監督の方針があったにせよ、一軍に出られるだけの力をつけていたのは間違いない。
なかでも高山はレギュラーに定着、青柳は後半で先発ローテの一員として活躍した。
他には、昨年まではほとんど実績のなかった野手で、原口、北條が100試合以上に出場。原口は育成から一気に這い上がってきたし、北条はドラフトの失敗とまで陰口をささやかれてきた中で努力が実を結んだものだ。
投手では岩貞が10勝をクリアし、島本、横山がプロ初勝利をマーク。守屋、田面も初登板を果たした。
ただ、江越、横田、陽川が期待に応えられなかった。
若手が育たなかったというチーム状況は、「超」はともかく「変革」へ踏み出したこの1年だった。

こうした若手の活躍もベテランや中堅の不振の裏返しともいえる。
西岡のケガはもはや年中行事化しているし、中心選手の鳥谷の不振が痛かった。藤浪も期待外れの成績に終わった。
投手では岩田、野手では上本、新井、今成、俊介の不振が目立った。
来季は若手のいっそうの底上げと同時に、ベテランや中堅の巻き返しを期待したい。

今年BクラスになったということでチームにFAの大物を獲得する動きがあるが、ここはしばらく辛抱してでも、永年の宿願である自前の選手を育てあげるべきだろう。
中途半端な手法では、また元へ戻ってしまうのは目に見えている。
ファンも長い目で見てあげよう。

2016/10/12

新宿末廣亭10月中席・夜(2016/10/11)

新宿末廣亭十月中席夜の部・初日

前座・三遊亭馬ん次『子ほめ』
<  番組  > 
三遊亭遊かり『ん廻し』
ハッポゥくん「発泡スチロール芸』
雷門小助六『七度狐』
桂歌蔵『漫談』
松旭斎小天華『奇術』
三遊亭春馬『桃太郎』
春風亭柳好『浮世床(夢)』
Wモアモア『漫才』
三遊亭笑遊『替り目』
柳家蝠丸『出世豆腐(徂徠豆腐)』
~仲入り~
神田松之丞『寛永宮本武蔵伝 山田真龍軒』
三笑亭可龍『佐々木政談』
やなぎ南玉『曲独楽』
三遊亭遊雀『不動坊』

末廣亭10月中席は芸協の芝居で、夜の部は遊雀がトリ、前方には生きの良い若手真打が日替わりで、それぞれが長講を聴かせるという結構な趣向。
ここの所、末廣亭の芸協の芝居では圓楽一門や上方落語協会の噺家をゲストに招くなど、趣向を凝らしている。集客と同時に芸協傘下の噺家へのいい刺激にもなるだろう。
こうした積極的な試みは、他の定席にも期待したい。

話は変わるが、近ごろ電車で泥酔している人ってみかけない。そう思っていたら数日前の地下鉄の駅で久々に泥酔状態の人を見た。夜の9時半ごろだから、そう遅い時間ではなかったが、70代ぐらいの男性と30代後半とおぼしき女性の二人連れという組み合わせが妙だ。男の方はホームをフラフラとよろけながら歩き、その後を女性が壁をつたいながら歩いているのだ。立ち止まるとそのまま立っていられず、柱に寄りかかっている。女性の方は顔が真っ青だ。危ないと思って一応見ていたが、電車が来たので乗車してしまい、その後の様子は分からないが、男女があそこまで酔うという姿は珍しい。何があったんだろうね。

所属する協会が違うと芸風も異なるが、色物についても言える。
この日でいえば、奇術の小天華は一言もしゃべらず。
曲独楽の南玉のしゃべりは次に演る芸の紹介だけ。
同じ芸で落協の芸人は、半分がトークといって良いほどしゃべる人が多いのと対照的だ。
漫才でいえばWモアモア、下町の香りムンムンだ。こいいう浅草が似合いそうな漫才というのは落協には少ない。
こうして見比べながら見るのも楽しみのひとつ。

開演のころは客が10人ほど。客席より楽屋の方が賑やかそうだった。
最近、アタシが寄席に行くといつもガラガラで、これじゃ貧乏神だ。そのうち塩をまかれるかもよ。
でも仲入り頃から客が増え始めたので、一安心。

前座の馬ん次『子ほめ』、口調がはっきりしてて良い。
遊かり『ん廻し』、二ツ目に昇進した。久々だったが、あまり進歩が感じられない。無理にマクラを振って本題でのリズムを崩していたように感じた。
ハッポゥくん「発泡スチロール芸』は初見。名前の通り発泡スチロールを熱で溶かしながら切り抜いて行くという芸。紙切りのスチロール版といった方が分かりやすいか。キャラクターものが得意のようだ。
小助六『七度狐』、煮売屋から尼寺つぶしまで。元は代表的な上方落語の『東の旅』の1編だが、しばしば独立して演じられる。柳家のお家芸の『万金丹』もこのネタから派生したもの。小助六は尼寺で恐怖におののく二人の旅人の描写が巧みだった。
歌蔵『漫談』、ソバとウドンの話題だったので、てっきり『時そば』か『うどん屋』を演じるのかと思ったら、この話題だけで引っ込んでしまった。
春馬『桃太郎』、随分と力の入った桃太郎で、あれじゃ子供が寝付けないと思った。
柳好『浮世床(夢)』、当代は5代目だ。唄い調子の明るい芸風で売った3代目、渋いが独特の味のあった4代目に対し、当代は何を押し出すつもりだろうか。才能はあるんだろうが、芸が伸び悩んでいる。
笑遊『替り目』、とにかく可笑しい。どこが?と訊かれても、こればかりは実際に観てもらうしかない。特に酔っ払いの目の据わり方が尋常ではないのが見所。
蝠丸『出世豆腐(徂徠豆腐)』、このハートウォーミングな噺と、蝠丸の人柄がよく似合っていた。前方とは対照的な柔らかな高座。

松之丞『寛永宮本武蔵伝 山田真龍軒』、若い人にも受ける新しい型の講釈を目指していると思われる。それが受け容れられてるのは人気が証明している。勢いが感じられる高座だ。
可龍『佐々木政談』、やや上がっていたのか硬さが見られたが、本寸法の良い高座だった。四郎吉や父親、大家、奉行それぞれの人物の演じ分けもしっかり出来ていて結構でした。

遊雀『不動坊』、今日は気持ちが乗ってるなというのが、高座に上がってきただけで分かった。先ず緩急のつけ方が上手い、ある所は軽く流し、ある所は前方のネタを受けてのクスグリを入れて笑わせる。反対に、湯の中で利吉がお滝との夫婦生活を妄想する場面や、利吉に嫉妬して嫌がらせしようと屋根の上に集まった男たちの会話、とりわけアルコールと間違えてあんころ餅を買ってきて叱られた男が居直る場面では、まるで狂気に憑りつかれた様な所作を見せる。
目が、笑遊とは別の意味でイッテしまっていた。
元の師匠の権太楼もこのネタを得意としているが、遊雀の高座は遥かに超えている。
改めて、この人の芸の力を見せつけた高座だった。

2016/10/10

Amazonのカスタマーレビューを購入者に限定したら

以前にも同様の趣旨の記事を書いたことがあるが、アマゾン(Amazon)の一部の商品で明らかに購入も使用もすることなく、カスタマーレビューが書かれている例がある。
特に眼に付くのは書籍だ。それも社会や歴史に関する本に多い。読んでもいないのに堂々とレビューを書いている。
本の内容紹介や、他の人が書いたレビューを読めば、著書の大まかな主張は分かるのだ。
例えば「従軍慰安婦」や「南京事件」について書かれたものだと、自分の意に沿わないと思うと、頭から内容が「捏造」とか、著者を「反日」「工作員」などと決めつけて書いているケースが目立つ。
用語から察すればヘイト系の人たちだろう。
そうしたレビューを書いている人の過去のレビューも読むことができるが、なかには自分の意見と正反対の書籍にだけ相当な数のレビューを書いている例もある。この人がそうした本だけを選んで読んでいるとは到底思えない。内容も「読む価値がない」とか「買わないように」といった簡単なもので、中身を読まなくとも書けるものばかりだ。
あるいは、特定の著者が書いたものに批判の矛先を向けるというケースもある。著者の人相が悪いなどと、見当はずれのレビューを書いたのもあった。
そうしたレビューは無視すれば済むのだが、Amazonのレビューでは★の数で評価するので、否定的なレビューが集中すると、その書籍の総合評価が下げられてしまう。
書いてる人はその商品の評価を貶めるのが目的だろうが、営業妨害にもなりかねない。

以前に、その商品のCMに出ているタレントが気に入らないということで、★一つの商品レビューが集中して問題になったこともある。
そこで、使っていない、読んでいない人のレビューを除外するために、Amazonのカスタムレビューをその商品の購入者に限定したらどうだろうか。
本来は利用者の声を幅広く集めた方が良いのだが、公平性を担保し悪質なレビューを排除するためには致し方なかろう。
楽天やヤフーの購入サイトではレビューを購入者に絞ることができるので、Amazonも同様の措置を取ることを改めて提案したい。

2016/10/09

「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」(2016/10/8)

SOLID STARプロデュースvol.8「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」
日時:2016年10月7日(土)19時
会場:俳優座劇場
【脚本】山崎洋平(江古田のガールズ)
【演出】白柳力(こちらスーパーうさぎ帝国)
<  出演者  >
野村宏伸、山田菜々、五十嵐麻朝、髙木 俊、寺山武志
山本栄治(アンバランス)、岩崎う大(かもめんたる)、槙尾ユウスケ(かもめんたる)
宮崎理奈、小林亜実、山北早紀、西岡大輔、宮城紘大、高根正樹

【あらすじ】
「私の遺産10億円を受け取ってください!」というメールを突然受け取った男女9人が、ある屋敷に集まる。お互いに全く面識がなく、共通点も見いだせない。半信半疑だったが、もしや本当なら大金を手にすることができる。そういうかすかな望みを抱いて集まった人たちの前に、故人から遺産相続を委嘱されたと称する弁護士が現れる。
故人は世間に名の知れた映画監督だった人物で、自署された遺言まであるという。ここまで来ると俄然10億円は絵空事ではなくなってきた。
そこへ個人の実子と称する男女5人が現れ、相続の対象は14人になる。
相続の方法は故人の遺書に書かれていて、それを弁護士が読み上げるが、時間とともにルールが次々を変更されてゆく。
その過程で14人の人間たちの素性や、金に対する執着の程度も明らかになる。
相続の権利が、なぜこの14人なのか?
10億円は無事、14人に分配されるのか?
そして、こうした遺言を残した個人の意図は何か?

ミステリー風な出足だが、芝居全体はコメディに近い。
カオスのような状況が次第に収束してゆき、最後にどんでん返しがある。
最初は平凡な芝居に見えたが、脚本はよく練られていたように思う。
醜い遺産相続の争いが絶えないのは、金を見ると人間が変わるし、本性が出てくるからだ。この芝居のテーマはそこだ。
今の若者たちの風俗を織り込みながら楽しく見せてくれたが、登場人物たちのそれぞれの人生にもう少し突っ込んで欲しかった。
なお、芝居のタイトルは10年ほど前に流行った迷惑メールから取ったものだそうだ。

観客の多くは若い女性で、当方のような人間は場違いだったかも。

公演は10日まで。

2016/10/08

フェルッチョ・フルラネット「ロシア歌曲」(2016/10/7)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽Gedichte und Musik~第20篇「フェルッチョ・フルラネット」
日時:2016/10/7(金)19時
会場:トッパンホール

フェルッチョ・フルラネット(バス)
イーゴリ・チェトゥーエフ(ピアノ)
<   プログラム   >
ラフマニノフ:
運命 Op.21-1/夢 Op.8-5/リラの花 Op.21-5/夜の静けさに Op.4-3/
ここはすばらしい場所 Op.21-7/私は彼女の家に行った Op.14-4/時は来た Op.14-12/いや、お願いだ、行かないで Op.4-1/春の洪水 Op.14-11
ムソルグスキー:悲しげに木の葉はざわめく/あなたにとって愛の言葉とは何だろう/老人の歌/夜/風は激しく吹く
歌曲集《死の歌と踊り》トレパーク/子守唄/セレナード/司令官
他に、アンコールで3曲。

素晴らしい。
感動した。
と言えるコンサートなど滅多にないが、この日のフェルッチョ・フルラネットのコンサートは正にその通りだった。
先ず、声が良い。重低音はホールの壁まで震わせるがごとくであり、観客の肺腑にしみわたる。人体こそ最高の楽器であることを実感する。

プログラムの冊子に書かれているが、私たちに馴染みのある「ロシア歌曲」というのはロシア民謡まがいや、ソ連時代の歌謡曲(「カチューシャ」「ともしび」「バルカンの星の下に」などはソ連の戦時歌謡だ)か、せいぜいグリンカ、チャイコフスキーの曲の一部だった。
ところが冊子の解説者に言わせると、グリンカ、チャイコフスキーの曲は旋律の美しさ優先で作られているのだそうだ。
それに対してこの日のラフマニノフやムソルグスキーの曲はロシア語が優先されており、言語的拍節と音楽的拍節が一致していると書かれている。
確かにこれは歌曲の基本だ。
この点は残念ながらロシア語は拾い読み程度はできるが、アクセントやイントネーションには無知なので、曲を聴いていても理解はできなかった。

言語的拍節と音楽的拍節が一致といえば、日本の国歌として歌われる「君が代」は変だ。一致していないのだ。最終的にドイツ人が西洋的和声をつけたせいなのか、どうも歌詞と曲がピッタリこない。曲だけ演奏している分にはまだ良いのだが、「きぃみぃがぁよぉわぁ」と歌詞をつけて歌うとなんだか間延びしてしまうのだ。
閑話休題。

フェルッチョ・フルラネットの歌唱に戻るが、情感が素晴らしい。
ラフマニノフの曲では、冒頭の「運命」はタイトルから察せられる通り、最初にベートーベンの「運命」のメロディが流れ、運命が「友よ、幸福を追い回すのはやめろ!」と言いながら、コツコツコツと戸を叩く。フルラネットが歌うそのタップする音が身体の中まで響いてくる、ドラマチックな世界。
一転して「夢」や「リラの花」では抒情の世界を、「雪解け水」では雪国の春の息吹と迸る水の勢いを感じさせる。
ムソルグスキーの曲ではやはり「死の歌と踊り」が圧巻だった。4曲に分かれているが、いずれも死神が共通だ。「トレパーク」では貧しい農夫に、「子守唄」では母親が抱く幼子に、「セレナード」では病んだ娘に、「司令官」では戦場の兵士に、それぞれ死神が忍び寄る。
特に幼子を死に導こうとする死神と、必死に抵抗する母親する激しい争いは聴いていて心が打たれる。
「司令官」では戦が終わって骸となった兵士たちの上に巡回する死神こそが司令官だと宣言する。
19世紀末の疲弊したロシアの状況が描きだされている。

満足感と幸福感に満ちたコンサートだった。

2016/10/07

病院を撃つな!

現在、国境なき医師団(MSF)では「病院を撃つな!」のキャンペーンを行っている。
きっかけは2015年10月3日、国境なき医師団(MSF)がアフガニスタンで運営する病院が米軍による空爆を受け、患者・スタッフ42人が命を落とすという悲惨な出来事が起きたことが発端だ。
この事件では、米軍が空爆を開始する以前にあるいは開始後も、何度も位置情報を米軍に連絡していた。もちろん、施設の屋根には大きく医療機関としての表示を行っていたのだ。
にもかかわらず、米軍はこの病院にくりかえし爆弾を投下し、多くの犠牲者を出してしまった。
それでなくとも今は詳細な航空写真があり、そのためピンポイント攻撃も可能になったのだ。だから「誤爆」などありえず、明らかに病院と知っていて爆撃したものとしか思えない。
米国は米軍による攻撃を認めたが、調査内容は非公開であり、第3者調査も受け入れていない。

病院への攻撃はアフガニスタンの例にとどまらず、医療施設への攻撃はその後も世界各地で繰り返されている。
攻撃する側は米軍やロシア軍であったり、あるいは政府軍やISなどの反政府軍によって行われている。
それも市街地を攻撃し、沢山の負傷者が病院に搬送され治療を受けている時を狙うという卑劣な手口が目だつ。これだと一度に沢山の人々を殺すことができるので、彼らからすれば効率的なんだろう。
しかし紛争地域の場合、病院はこの1軒しかないケースも多い。それが破壊されてしまうと、病人や怪我人を手当する手段が失われてしまうのだ。

被害にあったMSFのスタッフの一人はこう書いている。
「戦争にもルールがあります。妊婦や具合の悪いお年寄り、栄養失調や怪我をして病院に来た子ども達が狙われることがあってはなりません 。時には負傷兵もいるかもしれませんが、1人の人間として治療中です。MSFは、誰に対しても公平に医療を提供するという憲章のもと活動しています。私は戦闘や戦争自体あってはならないと思いますが、そんな中でもせめて、病院は撃つな! 子どもや無抵抗な人たちがいる、施設も攻撃するな! と言いたいです。こうした事実を知り、国際社会が声をあげ、さらなる被害が出ないことを祈っています。」

ようやく今年の5月に国連安全保障理事会で、紛争下での病院、医療・人道援助活動従事者、傷病者への攻撃を強く非難し、そうした事態に対しては迅速で公正な調査を求める決議が全会一致で採択された。この決議作成には、日本も提案5ヵ国のひとつとして加わっている。
この国連安保理決議が机上の空論に終わらず、医療施設への攻撃が完全にやむことを強く願うものである。

病院を撃つな!
そして
誰も撃つな!

2016/10/05

バッファローの月(2016/10/4)

テアトル・エコー公演152『バッファローの月』

作:ケン・ラドウィッグ
翻訳・演出:勝田安彦
<   CAST   >
安原義人:ジョージ/一座の座長、俳優
杉村理加:シャーロット/その妻、俳優
丸山裕子:エセル/シャーロットの母親
澤山佳小里:ロザリンド/ジョージ夫妻の娘
早川諄:ハワード/ロザリンドの婚約者
根本泰彦:リチャード/一座の顧問弁護士
川本克彦:ポール/一座のマネージャー
きっかわ佳代:アイリーン/座員

ストーリー。
1953年ニューヨーク州バッファロー。
元人気俳優のジョージとシャーロット夫妻は、テレビや映画の新しいエンタテインメントの波に乗り遅れ、一座を組み田舎町で巡演を繰り返す毎日を送っている。
二人はかつての栄光を取り戻したいと願っているが、復活の見通しはなく、落ち目の一座はギャラも払えず劇団員には逃げられる始末だ。
おまけにジョージは座員のアイリーンと浮気し、どうやら妊娠までさせた様子。妻のシャーロットは怒り狂うが、彼女も顧問弁護士のリチャードとは少々怪しい間柄の様子。
二人の娘ロザリンドが婚約者のハワードを連れて久々に戻ってきて、彼を両親に引き合わせようとするが、状況はそれ所ではない。その一方、彼女は昔の恋人で今は一座のマネージャーをしているポールと再会し心中は穏やかじゃない。
そこへ有名な映画監督が次の映画の主役を探して、芝居を観に来ると知らせが入る。お金持ちにも有名にもなれる絶好のチャンスと舞い上がるジョージだが、座員は不足しているし、肝心の妻は駆け落ちの支度。とてもまともな公演ができる状態ではない。ヤケになったジョージは深酒で寝込んでしまう始末。
さあ、一座の芝居は無事に開幕できるのか、ジョージ夫妻は危機を乗り越えられるのか。そしてロザリンドたちの恋模様はどういう結末を迎えるのか。
それは、見てのお楽しみ。

典型的なバックステージ・コメディといえる。
プログラムに本作品の翻訳者であり演出家でもある勝田安彦が書いている通り、家庭内に起きた紛争が原因で、下手な策略や衝動的な決断、誤解、失態が巻き起こす混乱を描いた笑劇(ファルス)。
人々が殴り合ったり、ひっくり返ったり、ドアが次々とバタンと開いては閉まる。
かつてのマルクス兄弟の映画を見るようなスラップスティックが舞台で展開される。
そして最後はお約束の大団円。
さすがブロードウェイで大当たりしただけあって、とにかく愉快で、少しエッチな場面では思わずニヤリとさせられる。
シェイクスピア劇の名セリフが散りばめられ、1950年代に活躍した映画人たちの名前や特徴がポンポンと飛び出すのもご愛敬。

出演者はある時は大仰に、又ある時はリアリティと、かなりハードルの高い演技をこなしていた。
主演の安原義人は熱演。杉村理加が色っぽく、二人の安定した演技が光る。
丸山裕子がベテランらしい良い味を出していて、若手の早川諄がこの劇団らしい軽妙な動きをしていたのが印象的だった。

公演は10日まで。

2016/10/04

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遅まきながら、2016年9月の記事別アクセス数TOP10は以下の通り。

1「睦会~柳家喜多八ゆかりの演目で~」(2016/9/2)
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9 鈴本演芸場8月下席・夜(2016/8/29)
10 #12ワザオギ落語会(2016/9/17)

内訳は落語が6本、旅行が2本、政治1本、その他1本。

先ずは、築地市場移転問題について。
今回の騒動の「そもそも」を言い出すと、東京ガスの跡地に市場を建てるというところからきている。当時の石原慎太郎都知事の片腕だった浜渦武生氏が交渉にあたり、2001年2月に東京ガスと話をまとめたと言われている。いうのは有名だが、その交渉の前に臨海副都心開発の旗振り役をしていた今沢時雄港湾局長が、2000年から東京ガスに顧問として天下りし、そのご取締役に就任していた(現在は退任)という事実に着目する必要がある。豊洲は都の港湾局の管轄下だ。
当初から土壌汚染が分かっていたにも拘わらず、東京都が東京ガスから買い取った理由は、この辺りにあるのだろう。
そうでもないと、あまりに不自然な土地買収の説明がつかない。
これから豊洲市場の問題を議会で審議するのであれば、出発点となった土地売買に関係した幹部たちの喚問は欠かせない。

空港での液体検査についての記事も根強い人気だ。煩雑な割には、国によって液体の定義が異なっているなど、極めていい加減なのだ。
その空港で買った液体物なら機内持ち込みがOKとなっているが、では空港内で販売の液体物はどうやって検査しているのだろう。とても全量検査しているとは思えない。
保安検査自体も国によって空港によってバラバラだ。非常に厳しい国もあれば、かなりユルイ国もある。テロ防止対策なら、同じ基準で行わなければ意味がない。
ポケットの中のハンカチやティッシュペーパー、紙幣までも全部出すように言われ、ベルトと靴も脱がされ、更に全身の透視検査までやる空港に出会うと、いっそうその感を深くする。

落語関係では1位の”「睦会~柳家喜多八ゆかりの演目で~」(2016/9/2)”のアクセスが断トツだった。喜多八を惜しむ声は未だ根強い。
9位の”鈴本演芸場8月下席・夜(2016/8/29)”は、先月分のアクセスを合算すればかなり上位にいっただろう。客席はガラガラだったのに。

数年前に書いた”ポール牧の自殺”に注目が集まったのは理由が分からない。

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