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2016/10/28

明治時代からあった「生前退位」論

天皇陛下の退位をめぐり、政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は10月27日の会合で、ヒアリングを行う皇室問題や憲法などの専門家16人を決定した。
顔ぶれを見ると産経でお馴染みの「日本会議」系の「識者」がズラリと顔をそろえ、それに対して別の意見を持っている人を散りばめるという、いつもの手法だ。
だいたい政府の設置する審議会というのは、初めに結論ありきだ。今回の「生前退位」に関連した有識者会議にしても同様で、結論を出すためのお飾りみたいなもんだろう。

月刊誌「選択」10月号で、天皇の生前退位についての記事が掲載されている。
見出しは「朕は辞職するに能わず」という明治天皇の言葉だ。
いきさつは、第四次伊藤博文内閣が軍事支出の問題で閣内が対立し、明治35年に総理の座を投げ出した。この伊藤に対して明治天皇が「卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず」と答え、伊藤はいたく恐懼(きょうく)したというのだ。
これには、もう一つ深い事情があった。それは、明治に策定された皇室典範に、終身在位を強引に決めたのは伊藤博文だったのだ。
皇室典範は明治20年に、井上毅と柳原前光の二人が原案を策定し、天皇の「譲位」を認めるという内容だった。
原案を伊藤博文に示したところ、伊藤はこの部分に反対した。天皇の終身大位は当然のことだと言うのだ。井上らが「天皇といえども人間ではないか」と反論すると、伊藤は「本条不用につき削除すべし」と一喝したという。
してみると、4度も政権を投げ出した伊藤に対する「朕は辞職するに能わず」という言葉は、明治天皇の精一杯の皮肉にも聞こえる。

時代は下って、昭和の戦後に天皇退位論が活発になる。それも昭和天皇の周辺からだ。
近衛文麿と高松宮が、天皇の皇太子(現天皇)への譲位と、高松宮の摂政就任を密議していた。
終戦直後の新聞紙上で、皇太子の様子が写真とともにしばしば記事に登場していたのは、こうした動きの反映かも知れないと思った。
芦田均首相も退位を検討したことがある。
元内大臣の木戸幸一は、日本が講和し独立を果たした時点での退位を勧めた。
興味深いのは、この時期には皇室典範など眼中になかったことだ。
ただ、昭和天皇はマッカーサーとの約束をタテに在位し続けた。

帝国憲法(明治憲法)の起草者である井上毅らが作成した皇室典範の原案が、「至尊(天子)と雖も人類」という思想で作られていたことに驚かされる。
それに対して、今の政権側の人間や、それに連なる識者と称する人々のなんと古めかしい主張であることか。
それと「お言葉」には、民主主義国家の日本における象徴天皇のあるべき姿について問題提起が行なわれているが、その点は政府はスルーしているようだ。
どうやら、日ごろは皇室崇拝を口にしながら、天皇の言動には面白く思っていない政権の様子が垣間見える。

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コメント

こういう問題が起きると天皇制と民主主義(個人主義)の矛盾がはっきりします。
個人主義や民主主義大嫌いという連中が戦前回帰を叫ぶのは人権をもった天皇の存在など許しがたいのでしょう。

佐平次様
基本的には王政と民主主義は矛盾するものであり、相容れない政治体制です。
長期的視点にたてば、日本もいずれこの矛盾解決を図らねばならないでしょう。

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