「家族葬」と「お別れ会」
この年になると、親戚や友人など周辺の人々をおくる機会が増えてくる。
最近、特に眼に付くのが「家族葬」だ。大きな葬儀をするのではなく、家族だけで小さな葬儀をするというもの。
だいたい数百万円のかかる葬儀というのが不自然だったのだ、王侯貴族じゃあるまいし。だからこうした傾向になるのは当然だと思う。
ただ、外部の人には通知がいかないので、例えば年末に喪中はがきが来て初めて亡くなったのを知るとか、時にはこちらから出した年賀状の返信で亡くなったことが知らされるという事になる。
特別に親しかった友人の訃報だったりすると、一言連絡してくれればな、などと思うこともある。
「家族葬」の場合、家族以外の人は参列できないのかという問題もある。
数年前に同じ集合住宅の隣の御主人が亡くなった。親しくもあったのだが、「家族葬」だということで参列は遠慮しようかなと思っていた。
処が、マンションの掲示板に葬儀の日程や会場が告知されていた。
迷ったあげく、とにかく自分だけでも参列しようと会場に着いたら、私ともう一人同じマンションの住民が来ていた。
二人で会場に入ると、ご主人の知り合いの方が数人参列されており、控室も用意されていた。
こうなると「家族葬」って何だろうと思うのだ。
帰って近所の人にこの話をすると、「それなら私も行きたかった」という人も何人かいた。
この辺りの線引きがアイマイな気がする。
「家族葬」の反動というわけなのか、「お別れ会」というのが開かれるようになってきた。
親しい友人たちが有志で、亡くなった方を偲ぶという趣旨のようだ。
しかし、これにも問題がある。
誰々さんは「お別れ会を」やったのに、誰々さんの時はやらなかった( やってくれなかった)という不満の声があがることがあるようだ。
あと、誰と誰を招待するかという人選の問題もある。
私自身も、なぜ自分に声が掛からなかったのかと訝るケースがあった。
せっかくの周囲の好意なのに不満が生じるようでは困る。
また、故人の遺志で静かにおくって欲しいという事で家族葬になった場合、「お別れ会」を開くのは故人の遺志に反することになりはしないか。
私自身は死んだら家族だけでおくって貰い、遺灰は散骨してお墓もいらない。戒名も位牌も法事もいらない。
ごく親しい友人数人だけに、あとで死亡したという通知だけを送ってくれと遺言するつもりだ。
もっとも遺族に、「お墓も作らないのか」という親戚からの横ヤリが入ることもあるそうで、とかく葬儀はヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。
« 【街角で出会った美女】スイス編 | トップページ | #68人形町らくだ亭(2016/10/26) »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- Uberは不便(2023.04.14)
- 情けない男たちへ(2023.04.07)
- たった25年前のこと(2022.12.18)
- (続)歳は取りたくないもんだ(2022.08.28)
- 「原敬」の潔さを見習ったらどうか(2022.08.05)
コメント