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2016/11/27

「珍芸四天王」と寄席の歌

明治の落語家で「珍芸四天王」と称され大変な人気を誇ったのが、「ラッパの圓太郎」こと4代目橘家圓太郎、「へらへらの萬橘」こと初代三遊亭萬橘、「ステテコの圓遊」こと初代三遊亭圓遊、「釜掘りの談志」こと4代目立川談志の4人だ。
何しろ圓太郎がチャルメラの様なラッパを吹いて高座に上がる姿から乗合馬車が「圓太郎馬車」と呼ばれたり、圓遊のステテコ踊りが有名になって今でも膝から下の長さのズボン下を「ステテコ」と呼んでいるほどの影響力があった。
この4人の中で圓太郎を除く3人は特定の「寄席の歌」と縁がある。
下記にそれぞれの歌の歌詞の一部を紹介する。

【すててこの圓遊】
圓遊は歌に合わせて、着物の裾からステテコを見せながら踊った。

「すててこ」
向こう横町のお稲荷さんへ一銭あげて
ざっと拝んでお仙が茶屋へ
腰を掛けたら渋茶を出した
渋茶よこよこ横目で見たらば
米の団子か土の団子か
団子で団子で此奴(こいつ)は又いけねえ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
せっせとお遣りよ

註)
お仙:谷中・笠森稲荷前の茶屋「鍵屋」にいた評判の美人だった。
米の団子、土の団子:笠森稲荷へ瘡(かさ)の治癒を願う時は「土の団子」を、治った人は「米の団子」をお供えした。

【ヘラヘラの萬橘】
萬橘は歌に合わせて、赤い手拭いと扇子を振りながら立膝で踊った。

「ヘラヘラ」
赤い手拭い 赤地の扇
それを開いてお目出たや
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘ
太鼓が鳴ったら賑やかだよ
本当にそうなら済まないね
トコドッコイ
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘ

【釜堀りの談志】
「郭巨の釜掘り」は落語『二十四孝』でおなじみだが、談志は高座で座布団を釜に、扇子を鍬に見立てて土を掘る仕草をしながら「この子あっては孝行はできない、テケレッツのパッ! 天から金釜郭巨にあたえるテケレッツのパッ! 皆さん孝行しなさいよテケレッツのパッ!」という文句を繰り返した。

「テケレツパ」
とかく浮世は 苦娑婆とやらで
ほしがる大家にお子がない コリャ
食わせるあてない びんつくは
あしたの費用もないくせに
子だからばっかり たんとたんと
テケレツパ

「珍芸四天王」以外で明治時代の「寄席の歌」には、下記の様なものがある。

【オッペケペー節】
川上音二郎の作品で、明治23年に音二郎が京都・新京極の笑福亭で初披露。翌24年に東京・中村座で公演して以来、全国的な大流行となった。

「オッペケペー節」
権利幸福きらいな人に
自由湯(とう)をば飲ませたい
オッペケペ オッペケペッポー
ペッポーポー

儘(まま)になるなら自由の水で
国の汚れを落としたい
オッペケペ オッペケペッポー
ペッポーポー

【縁かいな】
明治24年に寄席で歌われていたとの記録があるが、演者は不明のようだ。
現在も寄席の音曲の芸人により高座で披露されている。

「縁かいな」
夏の涼みは両国の
出船入船屋形船
あがる流星ほし降(くだ)り
玉屋が取り持つ縁かいな

註)
あがる流星ほし降り:流星も星降りも花火の種類。
玉屋:花火業者、江戸末期に失火し廃業。

【やっつけろ節】
明治24年に春風亭雙枝が初めて寄席で披露した。

「やっつけろ節」
開けたよー 古今未曾有の国会が
実(げ)にも開けてお目出度イ
万世経(ふ)るとも かわらじな
四千余万の同胞よ
つくせや尽くせ国の為
尽くさにゃその時 やっつけろー

【推量節】
明治25年に大阪から上京した西国坊明学が寄席で歌って評判になった。

「推量節」
好きとエー ありゃ推量推量
私の誓約(ちかい)をこめて
ちょいと さのよやさのさ
二つ こらしょい 並べし神酒徳利
ヨイヤサノ ヨイヤサ
サイト アリャサー コリャサー
サートセ セノエ ありゃ推量推量

【きんらい節】
明治25年に落語家の騎江亭芝楽が作ったとされる。
現在も寄席の高座で柳家小菊が歌うことがある。

「きんらい節」
浦里がア 忍び泣きすりゃ緑も供に
貰い泣きする明烏
キビス ガンガン イカイドンス
キンギョクレンスノ スクレンボウ
スッチャンマンマン カンマンカイノ
ヲビラボウノ キンライライ
あほらしいじゃ をまへんか
かみさん きててやをまへんか
毎晩きててや をまへんか
をふきーに はばかりさん

註)
浦里:「明烏」で時次郎の相方
緑:禿(かむろ)の呼び名

(以上は、倉田喜弘編「近代はやり唄集」より引用、一部は現代仮名遣いに直している。)

2016/11/26

「押し付け憲法論」の不都合な真実(2)憲法改正草案の審議から公布までの過程

1946年(昭和21年)
4月17日 政府は正式に条文化した「憲法改正草案」を公表し、枢密院に諮詢。
4月22日 枢密院で憲法改正草案第1回審査委員会が開催(5月15日まで8回開催)。
4月22日 幣原内閣が総辞職。
5月22日 第1次吉田内閣が発足。
5月27日 若干の修正のうえ枢密院に再諮詢。
5月29日 枢密院は草案審査委員会を再開(6月3日まで3回開催)。
6月8日  枢密院の本会議は天皇臨席の下憲法改正案の採決に入り、美濃部達吉・顧問官を除く起立者多数で可決。
6月20日 政府は大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、憲法改正案を衆議院に提出。
6月25日 衆議院が憲法改正案の審議を開始。
8月24日 衆議院は若干の修正を加えて多数可決(投票総数429票、賛成421票、反対8票)。
8月26日 貴族院が審議を開始。
10月6日 若干の修正を加えて貴族院で可決。
10月7日 衆議院は貴族院回付案を可決。帝国議会における憲法改正手続は全て終了。

***********************************************************
<1946年(昭和21年)10月7日衆議院本会議、吉田茂内閣総理大臣による政府所信>
只今貴族院の修正に對し本院の可決を得、帝國憲法改正案はここに確定を見るに至りました。此の機會に政府を代表致しまして、一言御挨拶を申したいと思ひます。
本案は三箇月有餘に亙り、衆議院及び貴族院の熱心愼重なる審議を經まして、適切なる修正をも加へられ、ここに新日本建設の礎たるべき憲法改正案の確定を見るに至りましたことは、國民諸君と共に洵に欣びに堪へない所であります。
惟ふに新日本建設の大目的を達成し、此の憲法の理想とする所を實現致しますることは、今後國民を擧げての絕大なる努力に俟たなければならないのであります、
政府は眞に國諸君と一體となり、此の大目的の達成に邁進致す覺悟でございます。
ここに諸君の多日に亙る御心勞に對し感謝の意を表明致しますると共に、所懷を述べて御挨拶と致します。

.***********************************************************

10月12日 政府は「修正帝国憲法改正案」を枢密院に諮詢(19日と21日に審査委員会)。
10月29日 枢密院の本会議は天皇臨席の下で「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決(美濃部顧問官など2名は欠席)。
10月29日 天皇は憲法改正を裁可。
11月3日  日本国憲法が公布。

***********************************************************
<上諭>
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日
内閣総理大臣兼
外務大臣 吉田茂
国務大臣 男爵 幣原喜重郎
司法大臣 木村篤太郎
内務大臣 大村清一
文部大臣 田中耕太郎
農林大臣 和田博雄
国務大臣 斎藤隆夫
逓信大臣 一松定吉
商工大臣 星島二郎
厚生大臣 河合良成
国務大臣 植原悦二郎
運輸大臣 平塚常次郎
大蔵大臣 石橋湛山
国務大臣 金森徳次郎
国務大臣 膳桂之助
***********************************************************
<昭和天皇による日本国憲法公布の勅語(1946年(昭和21年)11月3日)>
本日、日本国憲法を公布せしめた。 
この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたものである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである。
朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
***********************************************************

【審議により「草案」に修正・追加された項目】
・国会の構成を「一院制」から「二院制」に。
・第1条の「天皇」の条文に「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」との「国民主権」原則を入れる
・第15条の「普通選挙権」を規定。
・第66条2項に「文民規定」を追加。
・第9条2項の「戦力不保持」の冒頭に「前項の目的を達するため」を追加

以上のように「憲法改正草案」は枢密院、貴族院、衆議院において約6ヶ月の審議を経て、最終的には圧倒的多数で可決、成立している。
審議の過程でいくつかの修正も行われ、採決では反対者もいた。
もし現憲法が占領軍から一方的に押し付けられたものだとしたら、賛成した議員は全員が押し付けに唯々諾々と従った腰抜けだし、天皇の上諭や勅語も全ては茶番だということになる。
「押し付け憲法論者」は、そこまで言い切るのだろうか。

2016/11/24

「押し付け憲法論」の不都合な真実(1)憲法研究会の「憲法草案要綱」

太平洋戦争の終結直後から日本政府は憲法の改正草案作りを進めていたが、民間の有識者の間でも様々な改正案が作成されていた。
この中で1945年(昭和20年)12月26日に発表され憲法研究会の「憲法草案要綱」がとりわけ注目された。

研究会のメンバーと主な役職は次の通り。
高野岩三郎(元東京大学教授・後に初代NHK会長)
馬場恒吾(読売新聞社長)
杉森孝次郎(元早稲田大学教授)
森戸辰男(元東京大学助教授・後に文部大臣)
岩淵達雄(評論家・元読売新聞政治記者)
室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)
鈴木安蔵(憲法学者・後に静岡大学教授)

「憲法草案要綱」は下記に示す通り。
なお原文はカタカナで書かれており、読みやすい様にひらがな表記にしたテキスト(「たむたむホームページ」)に従った。

「要綱」では、現憲法に明記されている諸原則、即ち
・国民主権
・基本的人権
が明示されている。
他にも、
・男女平等
・生存権
・天皇の地位
・三権分立
など、現憲法を先取りする原則が提起されている。
この内容にはGHQも深い関心を示し、彼らの起草した草案にも多大な影響を与えた。

***********************************************************
=憲法研究会「憲法草案要綱」=

【根本原則(統治権)】
 日本国の統治権は、日本国民より発する。
 天皇は、国政を親らせず、国政の一切の最高責任者は、内閣とする。
 天皇は、国民の委任より専ら国家的儀礼を司る。
 天皇の即位は、議会の承認を経るものとする。
 摂政を置くことは、議会の議決による。

【国民の権利・義務】
 国民は、法律の前に平等であり、出生又は身分に基づく一切の差別は、これを廃止する。
 爵位・勲章その他の栄典は、総て廃止する。
 国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布することはできない。
 国民は、拷問を加えられない。
 国民は、国民請願・国民発案及び国民表決の権利を有する。
 国民は、労働の義務を有する。
 国民は、労働に従事し、その労働に対して報酬を受ける権利を有する。
 国民は、健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する。
 国民は、休息の権利を有する。国家は、最高8時間労働の実施、勤労者に対する有給休暇制療養所・社交教養機関の完備を行わなければならない。
 国民は、老年・疾病その他の事情により労働不能に陥った場合、生活を保証される権利を有する。
 男女は、公的並びに私的に完全に平等の権利を享有する。
 民族人種による差別を禁じる。
 国民は、民主主義並びに平和思想に基づく人格完成、社会道徳確立、諸民族との協同に努める義務を有する。

【議会】
 議会は、立法権を掌握し、法律を議決し、歳入及び歳出予算を承認し、行政に関する準則を定め、及びその執行を監督する。条約にして立法事項に関するものは、その承認を得ることを要する。
 議会は、二院より成る。
 第一院は、全国一区の大選挙区制により満20歳以上の男女平等直接秘密選挙(比例代表の主義)によって、満20歳以上の者より公選された議員を以て組織され、その権限は、第二院に優先する。
 第二院は、各種職業並びにその中の階層より公選された満20歳以上の議員を以て組織される。
 第一院において2度可決された一切の法律案は、第二院において否決することができない。
 議会は、無休とする。その休会する場合は、常任委員会がその職責を代行する。
 議会の会議は、公開し、秘密会を廃する。
 議会は、議長並びに書記官長を選出する。
 議会は、憲法違反その他重大な過失の廉により大臣並びに官吏に対する公訴を提起することができ、この審理のために国事裁判所を設ける。
 国民投票により議会の決議を無効にするときは、有権者の過半数が投票に参加する場合であることを要する。

【内閣】
 総理大臣は、両院議長の推薦によって決する。各省大臣・国務大臣は、総理大臣が任命する。
 内閣は、外に対して国を代表する。
 内閣は、議会に対し連帯責任を負う。その職にあるには、議会の信任があることを要する。
 国民投票によって不信任を決議されたときは、内閣は、その職を去らなければならない。
 内閣は、官吏を任免する。
 内閣は、国民の名において恩赦権を行う。
 内閣は、法律を執行するために命令を発する。
 
【司法】
 司法権は、国民の名により裁判所構成法及び陪審法の定める所により、裁判所がこれを行う。
 裁判官は、独立にして、唯法律にのみ服する。
 大審院は、最高の司法機関であり、一切の下級司法機関を監督する。大審院長は、公選とし、国事裁判所長を兼ねる。大審院判事は、第二院議長の推薦により第二院の承認を経て就任する。
 行政裁判所長・検事総長は、公選とする。
 検察官は、行政機関より独立する。
 無罪の判決を受けた者に対する国家補償は、遺憾なきを期さなければならない。

【会計及び財政】
 国の歳出歳入は、各会計年度毎に詳細明確に予算に規定し、会計年度の開始前に法律を以てこれを定める。
 事業会計に就いては、毎年事業計画書を提出し、議会の承認を経なければならない。特別会計は、唯事業会計に就いてのみこれを設けるとができる。
 租税を課し、税率を変更することは、1年毎に法律を以てこれを定めなければならない。
 国債その他予算に定めたものを除く外、国庫の負担となるべき契約は、1年毎に議会の承認を得なければならない。
 皇室費は、1年毎に議会の承認を得なければならない。
 予算は、先ず第一院に提出しなければならない。その承認を経た項目及び金額については、第二院がこれを否決することができない。
 租税の賦課は、公正でなければならない。苟も消費税を偏重して、国民に過重の負担を負わせることを禁じる。
 歳入歳出の決算は、速やかに会計検査院に提出し、その検査を経た後、これを次の会計年度に議会に提出し、政府の責任解除を求めなければならない。会計検査院の組織及び権限は、法律を以てこれを定める。会計検査院院長は、公選とする。

【経済】
 経済生活は、国民各自をして人間に値すべき健全な生活を行わせることを目的とし、正義・進歩・平等の原則に適合することを要する。
 各人の私有並びに経済上の自由は、この限界内において保障される。
 所有権は、同時に公共の福利に役立つべき義務を有する。
 土地の分配及び利用は、総ての国民に健康な生活保障できるようにしなければならない。寄生的土地所有並びに封建的小作料は、禁止する。
 精神的労作者・著者・発明家・芸術家の権利は、保障されなければならない。
 労働者その他一切の勤労者の労働条件改善のための結社並びに運動の自由は、保障されなければならない。これを制限又は妨害する法令・契約及び処置は総て禁止する。

【補則】
 憲法は、立法により改正する。但し、議員の3分の2以上の出席及び出席の半数以上の同意があることを要する。国民請願に基づき、国民投票を以て憲法の改正を決する場合においては、有権者の過半数の同意があることを要する。
 この憲法の規定並びに精神に反する一切の法令及び制度は、直ちに廃止する。
 皇室典範は、議会の議を経て定めることを要する。
 この憲法公布後、遅くとも10年以内に国民投票による新憲法の制定を行わなければならない。

***********************************************************

なお「要綱」では明確に触れられていない「平和主義」については、当時の幣原喜重郎首相が1946年1月にマッカーサーに直接進言して第9条に取り入れられた。
この点は1951年5月の米上院軍事外交合同委員会の公聴会で、マッカーサー自身が証言している。
マッカーサーは又、岸内閣の憲法調査会に対しても「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです」と書簡で回答していた。
この事は、マッカーサー回顧録にも次の様に記されている。
<幣原首相はそこで、新憲法を書上げる際にいわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。>

以上の様に、現憲法の基本的諸原則はいずれも日本側からの提案によるものだった。

2016/11/22

談志まつり2016(2016/11/21夜)

立川談志生誕80周年記念公演「談志まつり2016」第3部
日時:11月21日(月) 17時
会場:よみうりホール
<  番組  >
立川談修『一眼国』
立川談慶『啞の釣り』
立川談笑『イラサリマケー(居酒屋(改))』
立川志らく『洒落小町』
~仲入り~
『座談会』出演者全員、談志『孝行糖』の一部放送あり
立川ぜん馬『黄金餅』
松元ヒロ『スタンダップコメディ』
土橋亭里う馬『禁酒番屋』 

先日『映画 立川談志』をビデオで初めて見た。映画の中で談志の高座として『やかん』『落語ちゃんちゃかちゃん』『芝浜』の3席が入っていた。
談志ファンには叱られるだろうが、それほど上手い人とは思わない。ただ、とても魅力的だ。愛嬌があって可愛らしくさえ見える。
これは落語に限ったことではないが、芸人というのは芸が良い、上手いというだけではダメなのだ。愛嬌、色気、華やかさといったその人の総体が価値を決める。
談志の話に戻るが、他の追随を許さぬという点からすれば『やかん』『源平盛衰記』『相撲風景』、それに『五人廻し』『黄金餅』といった辺りが代表作だと思う。世評の高い『芝浜』は感心しない。

今年は談志生誕80周年ということで、それを記念した「談志まつり2016」が3回に分けて公演された。その第3部に出向く。
お目当ては立川ぜん馬だ。石松の三十石じゃないが、立川流で上手い人といえば一番はぜん馬だろう。しばらく高座を観ていなかったので、この会に行くことにした。

立川談修『一眼国』、立川談慶『啞の釣り』、立川談笑『イラサリマケー(居酒屋(改))』は、取り立てて言う事なし。

志らく『洒落小町』
マクラで先日と同じTV出演を話題にしていた。なんのかんのと言っても本人は嬉しそうで、決して悪い気はしていない様子だ。
この演目は演じ手が少なく、寄席でもめったにお目にかかれない。それだけ演者に力量が求められるのだろう。
筋は、やたら喧しい女房のガチャ松が、亭主の浮気を止めるために隠居のアドバイスに従って愛想を良くして、地口(駄洒落)で亭主を和ませるというもの。
志らくの高座ではこの地口に独自の工夫がなされ、いかにもこの人らしさが出ていた。
またネタの中で隠居が、在原業平の妻・井筒姫の詠んだ「風吹けば沖津白波たつ田山夜半にや君が一人越ゆらん」や「雨乞い小町」の故事でお松を諭すのだが、なかなかの教養人だったと見える。
一方お松の方も、出かける亭主の背中を見て咄嗟に浄瑠璃「葛の葉子別れ」の中の「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信田の森の恨み葛の葉」が口に出る。してみると、この女性はさほど愚か者だったわけではなかったか。あるいはこの一説がそれだけ当時の人口に膾炙されていたのか。

中入り後に生前の立川談志の亡くなる2年前の高座『孝行糖』の一部が紹介された。初出しということで談志ファンには貴重な録音だったか。
出演者による座談会で司会が「これからの立川流」と言ったら、志らくがすかさず「流れ解散!」と応じていた。半分本気かな。
各人の談志の思い出は、この一門では日頃の高座でのマクラや著作で紹介されているものが多く、特に新しい話題はなかったようだ。

ぜん馬『黄金餅』
2014年にガンの手術をして現在も抗がん剤の投与を受けているようだ。本人によれば5年後の生存率が数%という厳しい状況とのこと。声が出にくくなっていて、声が出る限りは高座を務めたいと語っていた。
このネタは落語には珍しいほど金に執着する主人公を描いたもので、それも焼骨した遺灰の中から金を取り出すという凄まじいもの。
「江戸っ子は宵越しの金は持たねぇ」なんて粋がっていたのは職人連中、いうなれば中流の町人だ。
この噺に出てくる人物たちだが、舞台の下谷山崎町は貧民街でどうやら被差別部落の人々が多く住んでいたようだ。
金に心が残り、遂には餅にくるんで飲み込んで死んでゆく西念の実態は物乞いだ。金山寺味噌売りの金兵衛も、恐らくは同様の身分だったに違いない。
彼らからすれば、この環境から抜け出すには金しかない。
他の登場人物である麻布絶口釜無村の木蓮寺の和尚や焼場の隠亡、いずれも階級制度からはみ出した様な人物ばかりだ。
江戸時代の社会の最下層に生きる人々の凄まじい生きざまを描いた稀有な作品といえる。
ぜん馬の高座では、西念が汚い袋をあけて一分銀、二分銀を取り出し、餅にくるんで一つずつ苦しみながら吞み込んでゆく悲壮な姿を描く。
次いで金兵衛、西念の死骸を樽に詰めたものを一人で担いで麻布から桐ケ谷まで歩く姿と、焼骨後の生焼けの遺体を包丁で切り裂き銀貨を取り出して懐に1枚1枚入れてゆく姿には、爽快さえ感じてしまう。
渾身の一席、結構でした。

松元ヒロ『スタンダップコメディ』
この日はヒロポン節全開だった。永六輔が皇后から招待されたのを天皇制反対だからと断ったエピソードや、文化勲章も同じ理由で断ったことなどが紹介され、自分も天皇制には反対だと語る。
皇室の民営化では、皇居をテーマパーク化してと色々なアイディアを披露。このネタは談志が好きで自分の独演会でもやれやれと勧められたとのこと。TVでも放映されたことがあるが、昭和天皇の蝋人形を作り地中に埋めて、それを探すゲーム「戦争犯罪人を探せ」という部分だけはカットされてしまったそうだ。
今どきこうした過激とも思えるネタを舞台で披露できるのはこの人しかおるまい。貴重な存在だ。

里う馬『禁酒番屋』 
先ず、酒好きの侍の造形が良い。自分の小屋へ寝酒用に1升届けろという無茶な要求をする武張った人物として描いていて、酒屋も承知せざるを得なかったのだ。
番屋の侍もそれなりに威厳があって、その後の落差が効果的だ。
番屋の侍が酒を口にする前に香りをかいで、愛おしそうに湯呑を見てから飲むという姿が良いし、口にした後で同僚の侍に顔を向けて嬉しそうにする表情も巧みだった。
ぜん馬や里う馬の高座を見て感じるのだが、立川流の若手たちもこうした先輩の丁寧な高座を見習ってほしい。

2016/11/19

「志らく・喬太郎 二人会」(2016/11/18)

みなと毎月落語会「志らく・喬太郎 二人会」
日時:2016年11月18日(金)19時
会場:赤坂区民センター
<  番組  >
前座・立川らくぼ『権助魚』
柳家喬太郎『禁酒番屋』
~仲入り~
立川志らく『らくだ』

次期アメリカ大統領に決まったトランプの政権移行チームに、長男、次男、長女とその夫の4人が加わった。米国版四人組である。
閣僚の人事にまで口出ししているそうで、これじゃ北朝鮮と変わらないじゃないか。
こういう政治体制を米国民は望んでいたのだろうか。
選挙で得票の少なかったトランプが当選するなど、民主政治の欠陥も露わになってきた。
トランプだか花札だけ知らないが、ロクなもんじゃねぇ。

志らくの弟子を数えたら19人いる(一門だと20人になる)。おそらくは立川流の中の最大派閥だろう。やがて数にモノを言わせて立川流を乗っ取るつもりか。
談志の正統な後継者といえば志らくになるだろうから、次の家元としては順当といえる。
今秋からTVのワイドショーのレギュラーコメンテーターになったのも、権力奪取の布石かも。
って、冗談ですよ。

喬太郎『禁酒番屋』
疲れなのか覇気がない。座布団の色に合わせた着物で笑いを取ったり、髪の分け目をトランプに似せてみたり、アザトイ小技だ。
大して面白くもないマクラを延々と。どうやら持ち時間が45分ほどあるのに、ネタが15分程度なので時間稼ぎをしていた模様。
持ち時間が45分なら30分をネタにかけて、マクラを15分にすれば良いと思うのだが。これは主催者の意向なのか、本人のヤル気の問題なのか。
ここ最近の喬太郎の高座は、ハズレが多いね。

志らく『らくだ』
マクラで、ワイドショーは井戸端会議と言ってたが、その通り。
その井戸端会議が世論形成にけっこう大きな影響を及ぼしている。ネットの世界では既存メディアを否定する傾向にありながら、話題の多くはTVのワイドショーネタだ。ネットも、結局はマスメディアの掌の上で踊らされている。
志らくの『らくだ』だが、他の人の演じ方といくつか異なる点がある。
・らくだの兄貴分である”丁の目の半次”は、怒らせると身体を大きく回して怒りを表すクセがある。
・屑屋が月番にらくだの死を伝えると、月番が周囲の長屋の連中に伝えて、みな喜びのあまり踊りだす。
・なかの一人の「死んでしまえば仏だ」の一言で踊り騒ぎが収まる。
・屑屋が大家に酒と煮物を頼みに行くと、塩をまかれて追い返される。
・大家の家にらくだの死骸を担いでいった屑屋が、楽しそうな表情でカンカンノウを唄う。
・半次が屑屋に酒をすすめる際に、屑屋が3杯までで終わらせると約束してくれと頼むが拒否される。
・屑屋が飲むにつけ酔うにつけ次第に強気になっていくが、志らくの高座では3杯目が終わる辺りから屑屋の態度が急変する。
・屑屋が半次に、らくだが雨の中で地面に半次の顔を描いていて、理由を訊くと兄いと喧嘩して後悔しているとの返事だったというエピソードを紹介する。らくだの別の一面を見たと言うのだ。
・その後に、屑屋は地面に書いた兄いの絵を買わされる羽目になる。
・らくだの死骸を漬物桶に押し込む頃になると、屑屋は半次のことを”半公”呼ばわりする。
・サゲは、らくだの死骸を間違われた願人坊主が焼場の釜に入れられ、熱がってバタバタすると、屑屋がそれを見て「カンカンノウを踊ってる」。
ネタは最後の焼場シーンまでフルで演じられ、テンポの良さと独自のクスグリで面白く聴かせてくれた。
ただ、この『らくだ』という演目は社会の最底辺に生きる人たちの強かさや連帯感がテーマだと思うが、そういう味は薄かった。
やはり松鶴や松喬の地べたを這うような泥くささが、本寸法の様に思える。

この落語会では、過去の二人会でも1席ずつだったが、それなら持ち時間をフルに使ってタップリとネタを演じて欲しい。
そうでないと、ここの二人会には魅力が感じられない。

2016/11/13

ブログの更新をスローダウンします

ブログを始めた頃は家族から「どうせいつもの三日坊主」と揶揄されながら、11年半が過ぎました。こんなに長く続けられた事に自分自身が驚いています。
今までは目安として2日に一度のペースで記事を更新し、1週間以上休むときは予告をしてきましたが、この辺りでそろそろペースダウンしようかと思います。
これからは更新は不定期とし、1か月以上休む時には予告をするつもりです。
定期的に当ブログを訪れている方には申し訳ありませんが、ご了承ください。

管理人敬白

2016/11/12

一之輔・夢丸二人会(2016/11/11)

「夢一夜~一之輔・夢丸二人会~」
日時:2016年11月11日(金)18:45
会場:日本橋劇場

前座・春風亭きいち『芋俵』
<  番組  >
三笑亭夢丸『狸賽』
春風亭一之輔『にらみ返し』
~仲入り~
入船亭小辰『いかけ屋』
春風亭一之輔『夢八』
三笑亭夢丸『三枚起請』

前座のきいち『芋俵』、一之輔の弟子だ。驚くのは一之輔が真打に昇進したのは2012年で、この人の入門が2014年。つまり真打になってたった2年で弟子を取ったわけで、アタシの知る限りでは最速だ。それが出来るのも本人の実力の証といえる。
きいち、未だしゃべりが落語家のものになっていないが、素質はありそうだ。

夢丸『狸賽』、この人含めて出演者3人揃ってマクラで学校寄席をとりあげていた。特別の趣味がない噺家というのは生活範囲が狭いから、学校寄席と営業先の旅の話、それに仲間内のことという具合に話題が限られてしまうのだろう。
ネタは、明るい芸風をいかしてテンポ良く聴かせていた。

一之輔『にらみ返し』、前記のように真打になって未だ4年しか経っていないが、もう20年位真打をやっている様な印象だ。もはや「若手」という言葉はこの人に似合わない。
大晦日に来た掛け取りを、黙って煙草を吸いながら睨み返すだけで退散させるという渋い噺で、これだけ客席を沸かせる手腕は大したものだ。
相変わらず目の使い方が上手く、このネタでも存分に活かしていた。

小辰『いかけ屋』、マクラで、今日は「一之輔・夢丸・小辰 三人会」と言っていたが、それがさほどハッタリに聞こえないほど実力をつけてきた。
歴代春団治のお家芸だが、小辰は東京版として歯切れの良い高座を見せていた。特に悪童どもの悪戯に振り回される鰻屋の姿がよく出来ていた。

一之輔『夢八』、このネタを東京版として演じるのを観たのは一之輔が初めてだ。以前に柳家蝠丸や柳家一琴が高座にかけた様だが未見。東京には移しにくいネタだと思っていたが、一之輔の手にかかると難なく演じられてしまう。
小遣いと弁当につられて首吊りの番をすることになった八兵衛、最初は事情を知らずお重の弁当を食べて上機嫌。昆布巻きのかんぴょうを帯に見立てて、「アレー~」と叫び声を入れながら昆布を回してかんぴょうを解いてゆ所なんざぁ実に楽しそうだ。首吊りの正体が現れて恐怖に怯えながらも棒を床にリズミカルに叩き続ける姿が見所。手拭いを首に巻いて首吊りの表情を見せる姿が巧み。猫がのりうつった首吊りが八兵衛に「伊勢音頭」を唄わせると、身体を揺らせながら「合の手」を入れる姿がよく出来ていた。
「鬼才」一之輔の実力を見せつけた高座、結構でした。

夢丸『三枚起請』、マクラで起請文や高杉晋作作の都々逸を解説していたのは親切。予備知識がないとこのサゲは分かりづらい。
ネタに入ってだが、もう少し緩急が欲しい。全体に語り急ぐ傾向が強く感じるのだ。起請文を読んで最後に花魁の名前を見て驚く場面では、もうちょっと「間」が要るのでは。3人目の男が金を騙しとられた事を話す場面でも、ここは人情噺風のテンポで語った方が効果的だと思う。
持ちネタを増やし芸域を拡げようとする夢丸の姿には共感できる。

2016/11/11

#13雀昇ゆかいな二人(2016/11/10)

第十三回「雀昇ゆかいな二人」桂雀三郎・春風亭昇太 
日時:2016年11月10日(木)19時
会場:横浜にぎわい座芸能ホール
<  番組  >
桂慶治朗『みかん屋』
桂雀三郎『帰り俥』
春風亭昇太『親子酒』
桂雀三郎『胴乱の幸助』
~仲入り~
春風亭昇太『時そば』

前売り完売で補助椅子まで出る満席。おそらくは昇太目当ての客が大半だったようだ。
昇太もそれを意識してか、「笑点」の司会者になるまでの経緯をかなり詳しく語り大受けしていた。アタシは二度目だが前回と全く内容は変わらず、すでにネタとして完成している。
その「笑点」だが、かれこれ30年ほど見ていない。理由はつまらないから。

雀三郎『帰り俥』
マクラで、かつて『ヨーデル食べ放題』というレコードを出して15万枚売れたと、焼肉食べ放題という内容から、今では環状線の鶴橋駅のメロディにも使われていると言っていた。確かに鶴橋駅の近くは焼き肉店が多い。
作品は小佐田定雄作の創作落語。人力車の車夫が一日の仕事を終え帰ろうとすると、男が俥屋を呼び止めた。店の客に婚礼祝いの菓子と葬礼饅頭を取り違えて渡したので、慌てて取り換えに行くのだと言う。上町までと行ってみると、相手は既に北浜へ。北浜に着くともう自宅に戻った。自宅のある伏見に着いてようやく相手に会えてやれやれと思ったら、その家の女中の母親が危篤で、何とか実家に送って欲しいという依頼。事情が事情だからと女中を丹波篠山まで送り届けると、母親の病状は回復していた。今度は往診に来ていた医者が大切な人を見送るので舞鶴の自宅に送って欲しいとの依頼。舞鶴まで俥を走らせ医者を届けるが、見送りの相手の客が乗り物に遅れそうだと言う。車夫はもう半分ヤケでその相手も自宅に送り届けると申し出ると、医者は「良かった、ゴルバチョフ!」。
大阪を西に東に、さらに伏見から丹波、そして日本海側の舞鶴とこの車夫は走り続ける。ヘトヘトになりながら走る様子が笑いを誘う。「ゴルバチョフ!」のサゲが秀逸。

昇太『親子酒』
この日の客はよく笑う。笑いに乗せられてついつい予定時間が延びてしまったというのはその通りだろう。
息子の隠れて酒を飲む場面で、親父が女房に「綺麗だね」と言う。親父が言うのには、酒飲みは心の門の中に言葉があり、酔うとと門が開いてその言葉が出てくる。自分の場合はその言葉が良いのだが、息子の場合は悪い言葉が出てくる。だから自分は酒を飲んでも問題がないと言い訳をする。屁理屈のように聞こえるが、確かに酔って陽気になる人、険悪になる人の境目はその辺りかも知れない。親父の理屈は説得力があるね。
「美味い酒だね、なんという銘柄かな?」と訊いて女房に一升瓶を持ってこさせ、それを湯呑にドボドボとあける親父、けっこう知能犯だ。
この酒飲みの親父の呑みっぷりが良かった。

雀三郎『胴乱の幸助』
時間が押してせいていたためか、前半は語りを急ぎすぎやや粗かったが、稽古屋で浄瑠璃の稽古を披露する辺りからこの人の技が冴える。師匠が「お半長」の一節を聴かせる場面は本格的だし、習いに来た男の「嫁いびり」も真に迫っていた。こういう所に噺家の日ごろの鍛錬が試される。
幸助が「お半長」を事実と信じ込んで京都の帯屋に乗り込む場面で場内は大受け。
雀三郎の実力を示した一席。

昇太『時そば』
東京の落語家の『時そば』しか聴いたことがない人は戸惑うだろうが、昇太の高座はオリジナルである上方の『時うどん』をそのまま東京の舞台に移したものだ。
最初の晩は二人でソバを食べに来て、二人合わせて15文しかないから例の手口でソバを一杯食べる。片方の男が途中でいくら催促しても無視され、もう片方の男がほとんど食べてしまったので、翌晩は食べ損なった男が一人でソバを食べにくる。処がちょいとトロイこの男は前夜と全て同じ様にするために、一人で二人の人間の動きを演じる。唖然とするソバ屋。ここが最大の見せ場。
サゲは『時そば』と同一。
上方の『時うどん』を東京に移した際に、この演り方では東京で受けないと思ったのだろう。
ここを昇太は力業とも思える演じ方で爆笑させていた。
昇太の高座は細かな人物の描写や演じ分けはないが、明るさと勢いで客を惹きつけるスタイルだ。

2016/11/10

「扇辰・白酒二人会」(2016/11/9)

「通ごのみ~扇辰・白酒二人会~」
日時:2016年11月9日(水)18:30
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳家小たけ『子ほめ』
桃月庵白酒『花色木綿』
入船亭扇辰『ねずみ』
~仲入り~
入船亭扇辰『雪とん』
桃月庵白酒『禁酒番屋』

憧れのアメリカ。
戦争直後『憧れのハワイ航路』という歌が大ヒットしたが、戦後の日本人にとってはハワイは憧れ、ましてアメリカ本土とくれば憧れのそのまた憧れだった。
自由の国アメリカ、民主主義の国アメリカは仰ぎ見るような存在だった。
それから70年有余。
史上最悪と言われた米国大統領選を勝ち抜いたのがトランプだった。
白酒がマクラで大統領選の結果にふれ「バカですね」と言っていたが、そう実感した人も少なくないだろう。
「大統領には誰でもなれますね」、それもその通りだ。今までは大統領に当選するまでにはいくつもの大きな関門があったが、選挙を戦う資金さえあれば誰もがなれる。政治家のキャリアも、知性も、軍歴も要らぬ。
トランプは公約で「アメリカが世界の警察官であることをやめる」「各国の防衛は各国で」というスローガンをかかげた。
それはそれで正論ではあるが、危惧されるのは排外主義とナショナリズムの台頭だ。イギリスのEU離脱や欧州での極右の伸長など、既にその動きは出ている。
日本も安閑としてはいられない。

白酒『花色木綿』、別名『出来心』というタイトルでも演じられるが、この日はこれで。
泥棒に入られたのをこれ幸いと、男は大家から店賃を免除して貰い「お帰りはこちら」。大家に役所に盗難届を出すので盗られたものを言わされる羽目になり、ついつい口からでまかせ。このネタは一つの事でウソをつくと、次々ウソの上塗りをしないといけなくなる羽目に陥るという、人間心理を描いたものだと思う。
人間誰しも経験のあることだから、聴いていて共感を呼ぶのだろう。
白酒は、男が戸惑いながらウソを重ねる表情を巧みに描いていた。

扇辰『ねずみ』、扇辰らしい丁寧な高座だった。特に「ねずみ屋」の主人が「虎屋」を乗っ取られるまでの経緯を感情を抑えながら語る場面が良く出来ていた。
ただ、この人は時々声を裏返らせて奇声を発するのが気になる。メリハリを付けたいのかも知れないが、不自然に感じることがあるのだ。

扇辰『雪とん』、これも扇辰らしい丁寧な高座だった。これは好みの問題だが、こういうネタは粋にスーッと行きたい。やはり志ん生の様な演じ方が正解だと思うのだが。

白酒『禁酒番屋』、マクラで噺家が酒宴の席で芸談を語り合うなんてことは少ないと。特に志ん朝はその手の話題を嫌っていたとか。
アタシも落語家が「落語とは・・・」を語るのが好きじゃない。大事なのは芸談じゃなく、芸談に裏付けられた高座そのものだ。噺家は高座が全てだ。
禁酒番屋へカステラと偽って酒徳利を持ち込もうとした男が、品物を持ち上げる時についつい「どっこいしょ」。番屋の侍から「今、どっこいしょと申したな」と訊かれると「いいえ、ドイツの将校、と」と答える。これじゃますます怪しい。水カステラの商品名を「ゲロルシュタイナー」としたのもドイツつながりだ。
全体にテンポよく、ネタは15分程度で終わらせた。
東京落語は、やっぱりこうでなくちゃ。

2016/11/08

蜃気楼龍玉「緑林門松竹(通し)」(2016/11/7)

霜月の独り看板「蜃気楼龍玉」
日時:11月7日(月)19:00
会場:東京芸術劇場シアターウエスト
<  番組  >
蜃気楼龍玉『緑林門松竹(みどりのはやしかどのまつたけ)』
作 :三遊亭圓朝
脚色:本田久作

プログラムによれば龍玉は、圓朝作の『緑林門松竹(通し)』を未だ二ツ目時代に初めて高座にかけたとある。落語ファンですら知られたいなかった作品を演じるというのはかなりの冒険だっただろうが、16回かけて語り終えたそうだ。
圓朝が現役の頃は寄席は15日間興行で、15日の連続ものとしては長さがちょうど良かったが、今では寄席や落語会で一度に演じるには無理がある。
その無理を承知でこの日一日で通し口演をするという企画。もちろん全編を語ることはできないので、本田久作脚色によるダイジェスト版だ。

先ず本作品の登場人物の相関図は次の通りだが、いかにも圓朝作らしく相互に親子、主従、そして男女関係(夫婦、愛人、遊女と客など)で結ばれている。
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(クリックで拡大)

発端は新助市という二つ名の悪人が、少量でも人を殺せる毒薬「譽石」を手に入れるために、根津七軒町の医師・秀英宅に奉公人として住み込む。秀英が妾・おすわを囲っているのを幸いに新助市は秀英夫妻をだまし二人を殺害、金品を奪っておすわをと倅・新太郎(実父は秀英)を伴い逃亡する。
逃亡先で二人が開いた茶店に立ち寄った周伯堂と娘・お時、新助市は仲間を騙って周伯堂を殺害、お時を吉原に売り飛ばし大金を得る。お時の源氏名は常磐木となる。こうした悪行を目にしたおすわは怒りに燃え、6歳の倅・新太郎の父の敵討ちということで寝ていた新助市を殺害しようとするが、逆に二人は返り討ちにあい殺害される。
下谷車坂で占い者の看板を上げているお関を、平吉が占いを頼みに訪ねる。お関は色仕掛けで平吉を篭絡するし美人局で強請ろうとするが、平吉の方が一歩役者が上。二人は夫婦になる。そこへ按摩に化けた新助市が療治に訪れるが、お関に正体がばらされる。元々二人は旧知の間柄で、新助市は問われるままに毒薬「譽石」を入手した経緯をお関に話す。お関はその「譽石」を使って新助市を殺害し、懐の金を奪う。持っていた書付からその金はお時を吉原に売り飛ばした時の金と分かる。
実は平吉は訳があってお時(常磐木)を身請けする事になっていたので、新助市の金はこれ幸いだった。問題は、三輪で剣術の道場を開く天城豪右衛門が先に手金を打っていることだ。
そこでお関は旗本後家に化けて平吉を供に連れ、天城の道場に息子の弟子入りを願う。お関は色仕掛けで酒に入れた毒薬で天城を殺害、平吉は同様の手口で門弟たちを毒殺する。
お関は毒が回って苦しむ姿にすっかり魅入られ、もっと毒で人を殺したいと願う。
この悪事はお上に知れることとなり、気が付けば二人の周囲は捕り方に囲まれていた。もうこれまでと平吉は自ら毒をあおり、それを見たお関は願いが叶ったと笑みを浮かべながら後を追う。

原作ではこの時にはお関と平吉は逃げて、また更に悪事を重ねるのだが、そこはカットされていた。またここまでのストーリーも一部は書き換えられている。
とにかく、出てくる人物の大半が殺されるという、それも6歳の幼児までが首を刎ねられるという凄惨な物語だ。
全ては色と欲、加えて殺人そのものを楽しむかのような要素も加わる。
原作のラストでは幸せになる人も出てくるが、この口演までの間は殺害場面ばかりが続き、後味の悪さも残った。

ここのとこ進境著しい龍玉は持ち前のしっかりした語りに加え、それぞれの人物も巧みに描いていた。
特にこの人は冷酷な殺人鬼の描写が上手い。見ていてゾッとする。
仲入りを挟んで2時間、独りで語り切った力量は大したもんだ。
さすがは雲助の弟子でござる。

2016/11/06

DVD「グッバイ、レーニン!」

「グッバイ、レーニン!(Good Bye Lenin!)」
監督:ヴォルフガング・ベッカー
脚本:ベルント・リヒテンベルク/ヴォルフガング・ベッカー
出演者:ダニエル・ブリュール/カトリーン・ザースほか
公開:ドイツ 2003年/日本 2004年

Photo普段は映画を見ることが少ないので、10年以上前に公開されたこの作品も見逃していて、今回DVDで鑑賞。
旧社会主義国に旅行で訪れた時に、現地ガイドに必ず訊くのは「今と昔と、国民はどちらの方が良いと思っているか?」という質問だ。ロシアを始めとする旧ソ連諸国、東欧などソ連の衛星国家と呼ばれた諸国、いずれの国々でも返ってくる答えは一緒で、「今の方が良いという人の方が多いが、昔の方が良かったという人もいる」というものだ。
中国の場合だと改革開放の前と後との比較で訊くのだが、これも答えは同様だ。
統制経済から市場経済への移行の中で流れに乗って成功する人もいれば、取り残される人もいる。そこで評価が分かれるのだろう。
そんな事も考えながらこの作品を見ていた。

物語は1989年10月、まだ社会主義政権下の東ドイツで東ベルリンに住む青年アレックスが主人公だ。父親は女を作って西ドイツに亡命。残された母親クリスは社会主義運動に傾倒し、姉のティアーネは大学生だが既に離婚し今はシングルマザーだ。
東独建国記念日に反政府デモに参加していたアレックスを偶然目撃したクリスは、衝撃のあまり心臓発作を起こし昏睡状態となる。
それから8か月、クリスは奇跡的に意識を回復したが、その僅かな間にベルリンの壁は崩壊し東独の社会主義は終焉、東西ドイツ統一も間近に迫っていた。
東側にも市場経済の波が一気に押し寄せ、街の様子から市民の暮らしまで大きく変貌していた。
アレックスもそれまでの仕事は失い今では衛星放送のアンテナのセースルの仕事につき、姉は学校をやめてバーガーショップでアルバイト。
担当医から母親の病状は重く次に心臓発作が起きたら命取りだと聞かされたアレックスは、衝撃を与えまいと友人らの力を借りて母親に以前の東独の暮らしを再現させて見せる。
母親のクリスは喜んでいたが、やがてベッドから起き上がってアレックスが目を離した隙に街を歩き回ってしまう。あまりの変貌に驚くクリス。
再び発作を起こして重篤状態に陥ったクリスは、夫の失踪について真相を語る。本当は夫の後を追って家族で亡命する計画だったが、上手くいかなかったというのだ。死ぬまでに夫に再会したいと言う。
アレックスは西側に住んでいた父親に会いに行くが、結婚していて二人の子供もいた。父親は病院にかけつけ、かつての夫婦は最後の面会を果す。
アレックスは病室で、東西ドイツが統一し西ドイツから多数の人々が希望の国である東ドイツに押し寄せて来たという偽ニュースをクリスに見せ、母はそれを見ながら静かに息を引き取る。

映画は前半で旧東独の秘密警察の取り調べや、市民のデモに対する容赦ない弾圧を描き、社会主義政権下での人々の息の詰まるような暮らしを描いている。
反面、ドイツの統一といっても実態は東独が西独に吸収されたものであることが、東西のマルク紙幣の交換などの場面で描かれている。
また、かつて東独初の宇宙飛行士として英雄だった人物がタクシードライバーの仕事についている姿から、東西統一後の旧東独市民の厳しい生活状況も描かれている。
旧東独でネオナチなど極右勢力が伸長しているのは、こうした現実があるからだろう。
アレックスが死の床にあった母親に見せた偽ニュースこそが社会主義の理想の姿だったが、それは幻に過ぎなかった。
でも母親がそれを信じて死んでいったのか、あるいは事実を知っていたにも拘わらず息子たちのために信じたフリをして死んでいったのか、それは母親本人にしかわからない。

タイトルの「グッバイ、レーニン!」は、ベルリンの壁が崩壊した後で分解されたレーニン像がヘリで撤去される場面から採ったものだろう。
作品は社会主義への決別と同時に郷愁をもコミカルに描いている。
ドイツ国内では数々の賞を獲得し興行的にも大ヒットしたそうだが、日本の映画ファンにはどう受け取られただろうか。


2016/11/05

「押し付け憲法論」の御都合主義

【押し付ける】
① 力を入れて押し,他の物に付ける。
② 相手の意思を無視して,無理に承知させたり,引き受けさせたりする。
(「大辞林」より)

日本国憲法(以下「憲法」)の改正を主張する勢力の最大ともいうべき論拠は、憲法はアメリカから押し付けられたものだから、日本人の手で自主的に新しい憲法に変えなばならないという点にある。
他には戦後70年を過ぎて時代に合わなくなったから変えるべきという主張もあるが、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」)は明治、大正、そして昭和22年の憲法施行の時まで、それこそ時代が大きく変わっても一度も改正することなく続いたいたのだから、論拠はうすい。

「押し付け憲法論」では、
アメリカによる押し付け=悪
という構図になる。

憲法がアメリカから押し付けられたものであるか否かは別の場で検討する予定だが、仮に憲法が押し付けられたものとするなら、米国の占領下で行われたものは全て「押し付け」だったことになる。
ここでは敗戦直後から憲法が公布された昭和22年5月3日までの間に発せられた主な命令や法令を下記に列挙する。憲法が押し付けられたものだとしたら、これらも全てアメリカの押し付けである。
・特高の廃止
・政治犯の釈放
・治安維持法の廃止
・女性参政権の付与
・労働組合法公布
・農地改革
・教育基本法、学校教育法、男女共学の公布
・第1回知事・市区町村選挙(統一地方選)実施
・労働基準法公布

これだけではない。さらに重要な押し付けがある。
・自衛隊(前身の警察予備隊)の創設
・サンフランシスコ講和条約の締結
・同日の日米安保条約の締結
そのいずれもが米国からの押し付けだ。
なかでもサンフランシスコ体制(講和条約+安保条約+日米地位協定、以下「サ体制」)は憲法をも超越しており、日本の戦後レジームを決定づけるものだ。
「サ体制」こそが戦後の日本の国の形を創った。
しかし、不思議なことに「押し付け憲法」論者から、上記の条約や命令、法令に対する批判を聞いたことがない。
「押し付け」=悪なら、これら全てが否定せねば理屈に合わない。
櫻井よしこが女性参政権の廃止を訴えたことがないし、稲田朋美が安保条約の破棄を主張したこともない。
なぜか。
それは自分たちにとって都合の良いことは、たとえアメリカの押し付けだと分かっていても容認しているからだ。
こうしたご都合主義こそが「押し付け憲法論」の最大の弱点といえる。

憲法が単純にアメリカから押し付けられたかものかどうかは、後日書きたいと思っている。

2016/11/03

三代目橘家文蔵襲名披露公演@国立演芸場(2016/11/2)

国立演芸場11月上席「三代目橘家文蔵襲名披露公演」2日目

前座・橘家かな文『たらちね』
<   番組   >
古今亭駒次『ガールトーク』
柳家小せん『黄金の大黒』
のだゆき『音楽パフォーマンス』
桂藤兵衛『そば清』
林家たい平『禁酒番屋』 
<仲入り>
『襲名披露口上』高座下手より司会小せん、たい平、文蔵、一朝、藤兵衛
アサダ二世『奇術』
春風亭一朝『三方一両損』
ロケット団『漫才』
橘家文左衛門改メ
三代目橘家文蔵『子は鎹』

落語家の襲名は真打昇進時に行われることが多いが、昇進して暫くして襲名が行わえるケースもある。
主なとこでは文楽、小さん、正蔵、圓楽、文治といった名前があがるが、襲名興行に対する協会の力の入れ方が異なるようだ。
例えば6代目柳家小さん、かつて当ブログでも記事にしたが大名跡にも拘わらず、襲名興行は地味な印象に終わってしまった。一門の幹部連中でさえ顔を見せず、内部に軋轢でもあったんだろうかと疑わせるものだった。
そこいくと今回の文蔵襲名は、協会あげてという印象だ。
9月21日から始まった定席の興行も一門を超えた顔ぶれを揃えていて、新文蔵をバックアップしていたようだ。
定席での40日間の襲名披露を終え、ここ国立演芸場では最後の10日間の興行だ。
文蔵の経歴は次の通り。
1986(昭和61)橘家文蔵に入門
1988(昭和63)前座となる 前座名「かな文」
1990(平成2)二ツ目昇進 「文吾」と改名
2001(平成13)真打昇進 「文左衛門」と改名
2016(平成28)三代目「橘家文蔵」を襲名
アタシの印象では、このブログを開始した2005年頃から名前が売れ出し、鈴本で初トリを取るのがブログ仲間で話題になったこともあった。
以前は、高座の第一声が客席を見渡して「これだけ入ってれば、何とか食っていけるかな、と」で、浅い出番では『道灌』や『千早ふる』をしばしば演じていた。

駒次『ガールトーク』、「ガール」というタイトルだがファミレスに集まった奥さん方が他人の悪口を言って楽しむというネタ。この人、新作しか聴いたことがないが、語り口から察すれば古典もいけると思う。大谷じゃないが新作と古典の二刀流を目指したらどうかと思うのだが。

小せん『黄金の大黒』、客席の反応はいま一つだったが、軽く演じながら最後のサゲまでつけた高座は評価に値する。メリハリもあって良かったと思う。

のだゆき『音楽パフォーマンス』、小学生の教材であるピアニカとリコーダーを使う寄席芸という着想が面白い。素人っぽいしゃべりも却って魅力に感じる。たまに音を外すのもご愛嬌。

藤兵衛『そば清』、上手いけど、ここのとこ、何故かこのネタばかり当たるね。

たい平『禁酒番屋』、短い時間にまとめあげた力量は買うが、二番番頭がランドセルの中に「飲む漢字ドリル」のビンを詰めて持参する(通常は「油徳利」)というアイディアは頂けない。古典を現代に、というテーマを間違って解釈しているのでは。

『襲名披露口上』では本人のエピソードや先代の思い出が語られ、とても温かい雰囲気の口上だった。

一朝『三方一両損』、膝前でこのネタをかける所がいかにもこの人らしい。江戸弁の啖呵がポンポン飛び出す高座は心地よい。近くの人が連れに「一之輔の師匠だよ」って説明してたけど、本来は逆じゃないの。

文蔵『子は鎹(子別れ・下)』、以前にこのネタを聴いた時に比べ、各段に上手くなったなぁという印象だ。先ず全体的に丁寧な運びで、人物の描き方も良く出来ていた。
最初の父親と番頭が連れ立って歩き出す所で、父親の口から『子別れ・中』のあらすじが簡単に紹介されていたが、これが肝心。そうでないと、この演目の意味がかすんでしまう。
父親が息子に再会し、母親がまだ独り身だと聞かされて時の安堵した表情が良かった。「おっかさんは、おとッつぁんのこと何か言ってるか?」と繰り返し亀に訊ねる所に、父親の心情が溢れている。
父親が、家に戻る亀吉の後ろ姿をじっと見送るという場面を加えていたのは効果的だ。
母親が亀吉に折檻しようとして、小遣いは父親から貰ったと聞かされた瞬間、ふっと呆(ほう)けた様な表情を見せていた。彼女もまた別れた亭主への思いを断ち切れていなかったことが、ここで表現されている。
好みから言えば、アタシはこのネタがあまり好きじゃないのだが、文蔵の高座は素晴らしかった。

2016/11/01

小満ん独演会(2016/10/31)

「小満ん独演会」
日時:2016年10月31日(月)13時
会場:新宿末廣亭
<  番組  >
前座・柳家あお馬『小町』
柳家やなぎ『松竹梅』
柳家一九『時そば』
柳家小満ん『長者番付』
桃月庵白酒『四段目』
~仲入り~
柳家小満ん『蝦蟇の油』
柳家小菊『粋曲』
柳家小満ん『明烏』

定席では31日がある月に限って、月末1日限りの「余一会」を開催している。10月の末廣亭・昼の部は「柳家小満ん独演会」だ。
平日の昼間に小満んを聴きに来る人ってぇのは、通か変人かのどちらかだだろう。まずますの入りといったところ。
顔づけは白酒を除けば全員が柳家。

前座のあお馬『小町』、小せんの弟子らしいが上手い。語りや間が前座とは思えない高座だ。珍しく拍手をしてしまった。タイトルは本人が「小町でございます」と言ったのでそうしたが、『道灌』の前半のようだった。通常、この小野小町のエピソードは『千早ふる』の前半に入るのだが、誰の型だろうか。

やなぎ『松竹梅』、毎度のことながら、細かないい間違いが気になる。このネタで大家が見本を見せるときは、多少でも謡曲風に謡って見せる必要があるのでは。

一九『時そば』、久々だった。最初の男が蕎麦をほめるとき、いちいち「蕎麦屋さん」と話しかけるのが可笑しかった。美味い蕎麦と不味い蕎麦の食べ分けが見所。

小満ん『長者番付』、上方では伊勢参りの中の一遍で『うんつく酒』。師匠・小さんの十八番で、小満んの高座も師匠の高座を忠実になぞっていた。

白酒『四段目』、芝居で遅くなった小僧が店の主人に懸命に言い訳をする場面を見せ場にして長めに取り、蔵の中で小僧が四段目を真似る場面はあっさりと。恐らく、白酒は芝居の所作が苦手なんだろう。それでもこうしたネタを掛けて客を満足させる所が、白酒の実力。

小満ん『蝦蟇の油』、アタシが幼少の頃は『ガマ』といえば3代目柳好の代名詞みたいだったが、この日の小満んの高座もそうだったが現役の人の多くは圓生の型で演じる。オリジナルである『両国八景』に基づき、夜店や見世物小屋の風景を前段にして本題に入る演じ方だ。柳好が蝦蟇の油売りの前半での立て板に水ともいうべき口上が売り物だったのに対し、圓生やこの日の小満んの場合は後半の泥酔してからの怪しげな口上を聴かせ所にしている。小満んのゆったりとした語りが、後半での口上には有効だった。

小菊『粋曲』、都々逸を1曲唄った後で拍手が起きたら、「普段ここ(末廣亭のこと)では、こんな事はないんですよ。さすがは小満んさんの会ですね」と言っていた。確かにこの日の客はマナーが良かった。
珍しい「立山」や、トリのネタに因んで「明烏」を一節聴かせてくれた。やっぱり小菊姐さんはいいねぇ。

小満ん『明烏』、マクラで吉原の歴史や構図、しきたりの説明があった。四隅にお稲荷さんが祀られていたそうで、源兵衛と太助が吉原をお稲荷さんへお参りと偽ったのも全くのウソではなかったことになる。こういう所が小満んらしい。
ストーリーの運びは常法だったが、一つ大きな違いは浦里と時次郎の床入りの場面を加えていたことだ。
時次郎が先に床に入ると、後から浦里が一緒に寝かせてと布団に入ってくる。嫌がる時次郎が背中を向けてしまうと、浦里は時次郎の首の下から手を回して身体を抱きしめる。彼女の白粉や麝香の匂いが時次郎に伝わると、思わず浦里をぐっと引き寄せ・・・、なんてね。まるで『宮戸川』だ。
こんなに詳しく書くことぁないんだが、こういうのが好きなもんで、ついつい。
以前から疑問に思っていた、時次郎の一晩の変身の謎が解けた。
色っぽいが嫌らしくないという、小満んの描写だった。

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