« 年末は新日本フィル「第九」(2016/12/15) | トップページ | 恵比寿ルルティモ寄席2016(2016/12/19)  »

2016/12/18

#165朝日名人会(2016/12/17)

第165回「朝日名人会」
日時:2016年12月17日(土)14時
会場:有楽町朝日ホール
<  番組  >
前座・金原亭駒六『元犬』
鈴々舎馬るこ『小言幸兵衛』
古今亭文菊『四段目』
柳家三三『鰍沢』
~仲入り~
立川生志『看板の一』
五街道雲助『富久』

どういうきっかけで落語や寄席芸に興味を持つようになったのか、人それぞれかと思う。アタシの場合は、小学校に上がる頃から親に連れられ寄席に行くようになった。
それがとにかく面白かったのだ。全てを理解していたのではないはずだが、面白さだけは伝わってきた。
落語や漫才もそうだったが、浪曲、講談、手品、音曲といった色物も好きだった。だから退屈するような事がなかった。
今から考えると、芸の中身より芸人が演ずる姿が好きだったのかも知れない。
そのうち、子どもでも上手い人下手な人、売れる人売れない人が段々分かるようになってくる。
昔、『幸せを売る男』というシャンソンが流行ったが、アタシは落語家という職業は『幸せを売る』ことだと思う。
そして、そういう人が上手い下手の区別なく売れるのだ。
落語は大衆芸能だから、芸人はまず売れなくてはいけない。売れなくては寄席から顔づけされず、各種落語会からも声がかからない。少ないファンを集めた自分の会を細々と続けるやりかたも否定はしないが、それだけで終わったとしたら芸人の本分とは言えまい。
中学生の一時期、落語家を目指そうとしたことがあったのだが断念したのは、小さい頃からの経験が生きていたから、自分が芸人になっても売れないと悟ったのだ。その判断は正解だと今でも思っているし、子ども時代に寄席に通ったお陰と思っている。
もっとも、その後の進路が成功だったとは到底言えないのだが。
そんな経緯のせいか、寄席や落語会に行っても芸人そのものに目がいってしまう。
人を惹きつける魅力があるのかどうか、そういう目で落語家を見るのも一興だと思う。

馬るこ『小言幸兵衛』、来春の真打昇進が決まった。
ネタだが、稽古不足のせいかミスや言い間違いが目立った。
登場人物の言葉遣いも一貫していない。
勉強し直し!

文菊『四段目』、この会は概して各演者の十八番を掛ける傾向にある。この日もそうで、当たり外れがない反面、意外性もない。
文菊のこのネタも十八番で、完成度が高い。特に判官切腹の芝居仕立てを演じさせたら、若手ではこの人がトップだろう。
アタシも覚えがあるのだが、子どものうちは寄席でも芝居でも一度聞いたセリフは直ぐに暗記できた。
だから、定吉が芝居の名場面を再現するのは不自然ではない。

三三『鰍沢』、三三もこのネタをしばしば演じている。
明治時代に活躍した4代目橘家圓喬の有名なエピソードとして、真夏の暑いさなか、団扇や扇子が波を打つ寄席の中で、圓喬が真冬の噺『鰍沢』をかけ、寒さの描写を演じているうちに、団扇や扇子の動きがピタリと止んだという。
近年でも圓生や彦六の正蔵らの名演があり、これに迫る高座にはなかなかお目にかかれなかった。
三三の演出は、マクラを含めてほぼ圓生の高座に倣っている。吹雪の中を行き暮れて難儀をする旅人の描写から、一軒のあばら家での吉原で敵娼(あいかた)に出た女との再会と昔語り。
しかし、旅人が懐に100両近い金を持っていることに気付くと、女は旅人を毒殺し金を奪うことを決意する。
この肝心の変心の箇所が三三の高座では不鮮明に思えた。
以降の女の夫が誤って毒の入った玉子酒を飲んで死んでいく場面や、それに続く女から逃れた旅人が逃げ場を失い鰍沢の流れに落ちる場面は、緊迫感が出ていた。
三三の年齢を考えると十分な高座だと言えるし、これから年を重ねてさらに練り上げることを期待したい。

生志『看板の一』、お馴染みの談志のエピソードから本題に入る、これまた何度か聴いたネタだ。
マクラで先日のプーチンがなんのために来日したのかというと、日本の公安と防衛体制を確認するためとは、いかにもこの人らしい。
確かにプーチン、何しに来たんだろう?
それより、何のためにわざわざ呼んだだろう?
結果はゼロ回答どころか、マイナス回答に終わってしまった。
大山鳴動して、出てきたのは頭の黒いネズミ一匹。
ここら辺りが安倍の「すり寄り外交」の限界としか思えない。
ネタでは、看板のピンを真似する男の姿で会場を沸かせていた。

雲助『富久』、久蔵が旦那の住む芝が火事と聞いて浅草から駆け付ける場面で、「火事はどこだい牛込だい、牛の金玉まる焼けだい」と口ずさむ。火事見舞いで出入りを許してもらおうという久蔵だが、決して旦那に媚びる様子はなく、むしろ太々しさを感じるのは大師匠である志ん生の演じ方を継承している。
富が千両当たったのに富籤が燃えてしまったので換金できないと知った久蔵の落胆や怒りは、「てめえちの軒先で首をくくって、化けて出てやるからな」の啖呵で示され、「こんなんじゃ、籤に外れた方が幸せでい」のセリフで嘆きが増幅される。
鳶頭の家で久蔵が、大神宮様の中にあった千両の当り籤を額に押し頂くクライマックスまでを、この人らしい丁寧な演出で聴かせてくれた。
年の瀬の締めに相応しい一席。

|

« 年末は新日本フィル「第九」(2016/12/15) | トップページ | 恵比寿ルルティモ寄席2016(2016/12/19)  »

寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

『鰍沢』の女の変心する場面。
金時で聴いたときにその唐突さに驚いた記憶があります。
(金時の演じ方で、という意味ではありません、事実よい高座でした)
もちろん、人は欲をかきたてられると豹変するのは承知ですが。

とここまで書いて、三三が倣ったというユーチューブで圓生の『鰍沢』を聴きました。
女の声が真に迫っていて感銘を受けたしだいです。

投稿: 福 | 2016/12/19 06:51

福様
圓生の高座の特長は、何と言っても月の輪お熊のゾクッとするような凄みです。
あれを出せるのは現役ではおりません。
三三のこれからに期待したい所です。

投稿: ほめ・く | 2016/12/19 08:06

文菊は父親が団十郎と親交があったりして、海老蔵とも親密と聞きます、なりゃこその「四段目」でしょうか。
昨日柴又で文菊「干物箱」「野ざらし」を聴きました、観客に合わせたのかいつもより「下世話な・太い感じ」でやっていました。

投稿: 佐平次 | 2016/12/19 10:23

佐平次様
文菊が持つハイソで遊び人の風情は、やはり育ちからですか。
見掛けによらずフテブテしい神経の持ち主と見ています。

投稿: ほめ・く | 2016/12/19 15:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 年末は新日本フィル「第九」(2016/12/15) | トップページ | 恵比寿ルルティモ寄席2016(2016/12/19)  »