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2017/01/11

#1二人三客の会(2017/1/10)

第一回「二人三客の会」
日時:2017年1月10日(火)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・金原亭駒六『元犬』
瀧川鯉昇『千早ふる』
春風亭一之輔『茶の湯』
~仲入り~
林家楽一『紙切り』
入船亭扇遊『天狗裁き』

本来なら横浜にぎわい座での第30回「落語睦会」となるところだったが、喜多八の死去により「二人三客の会」として新たに出発することとなった。
会の命名は扇遊とのこと。
毎回、番組は次の通りとなるようだ。
・扇遊と鯉昇が交互に前方とトリを務める
・落語家のゲスト一人は仲入り
・色物のゲストはトリの前の出番
今回、落語のゲストが一之輔、色物は楽一という前記の顔づけとなった。

鯉昇『千早ふる』
このネタはだいぶ以前に一度聴いていたが、今回は大きく変えていた。
・歌の意味を訊きにきた父親が、なかなか隠居の部屋へ上がろうとしない。理由は娘の目を盗んで便所から裸足で逃げてきたからで、そのまま部屋に上がったので隠居に、先ず部屋の拭き掃除をさせられる。
・竜田川はモンゴルから来た力士。
・竜田川がご贔屓から連れていって貰ったのは南千住のクラブ。
・クラブのナンバー1が千早、ナンバー2が神代。
・振られた竜田川は傷心を抱えてモンゴルに帰国、親の家業の豆腐屋を継ぐ。
・千早はモンゴルの金持ちの女になるが、相手が破産したため草原をさまよい、竜田川の店先に立ち、オカラを求める。
・竜田川から突かれた千早は遠くチョモランマを超えて飛び去る。
・騒動が終わって竜田川は出来た豆腐を水槽に沈める。
・「とは」はモンゴル語で「豆腐屋」の意味。
改作とまではいかないがオリジナルを大幅に変形していたが、スケールの大きい『千早ふる』に仕上がっていた。
鯉昇のとぼけた味が十分に発揮されていて、場内は爆笑。

一之輔『茶の湯』
このネタは未だ二ツ目時代から何度聴いたことか。その度に少しずつ中身を変えているが、あまりに変形が頻繁なので、今回はどこが変わっているのか明確に伝えられないほどだ。
一之輔の『茶の湯』の大きな特長は次の通り。
・隠居の孫店に住む豆腐屋、鳶頭、手習いの先生が茶の湯に招待され、オリジナルでは引っ越し騒ぎが聴かせ所の一つだが、ここをスルーしている。
・茶の湯の来手がなくなると、通りすがりの人間を拉致してまで強引に茶を飲ませる。今回は三角頭巾をかぶった「茶茶茶グループ」を登場させた。
・小僧の定吉が次第に人格破壊してゆく。
この演目は鯉昇の十八番でもあり、ネタの選定としてはいかがなものかという感はあったが、会場はこの人がお目当てという方もいたようで、沸いていた。
ただ、いつもの一之輔に比べややパワー不足の感あり。疲れかな?

楽一『紙切り』
2度目。紙切りの技術は別として、寄席の色物の芸人としてはテンポが悪い。紙を切っている時間をどう使うかの研究が必要だろう。時間も長すぎた。

扇遊『天狗裁き』
語りの確かさ、登場人物の演じ分けが扇遊の魅力。古典の楷書で聴かせて客を納得させる点で貴重な存在だ。
今回は木に吊るされた男が天狗の団扇で中天高く飛ばされる場面を、まるでフィギュアスケートの高速スピンの様なイメージで表現し、拍手を浴びていた。
欲を言えば、このネタをトリで掛けるなら志ん生や先代馬生が演じたように、このあと男が騙して天狗から団扇を奪い、大病の娘の病を治して金持ちの婿になるという後半を付け足して欲しかった。
トリ根多としては、少し物足りなさを感じた。

客の入りも良かったし、第一回としては先ずは順調な滑り出しの「二人三客の会」だった。

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コメント

笑いの多いネタ揃い、正月らしいですね。
一之輔ならずとも今頃一番疲れが出る噺家たちでしょう。

投稿: 佐平次 | 2017/01/11 11:23

佐平次様
そう言えば10日は初席の最終日でした。人気者となれば毎日何軒もの寄席を掛け持ちするでしょうから、疲れはピークだったかも。

投稿: ほめ・く | 2017/01/11 11:33

こんばんは、(はじめまして?)
扇遊師匠も鯉昇師匠も大好きな噺家ですが、この会だとどうしても喜多八師匠を思い出してしまいますね。
同じ三人会でも落語教育委員会よりもこちらのほうを見てみたかったのですが、結局この三人の顔ぶれでは見れず終いでした。
ただ毎回ゲストを加えてという趣向であってもこの先もずっと続けていってほしいものです。
扇遊師匠だと甚五郎の噺、鯉昇師匠だと意外にも芝浜がお気に入りです。
紙切りの楽一さんは、野球の清原が逮捕されたときに注射器をバットに見立てて表現したセンスに感心した記憶があります。
トークはまだまだですが、なかなか有望な芸人さんだと思いました。

投稿: nansemi | 2017/01/11 21:25

nansemi様
初めまして、コメント有難うございます。
やはり喜多八がいてこそ3人のバランスが取れていたのだと思います。「落語教育委員会」も同じ事がいえますが、こればっかりは致し方ありません。この会も長く続く事を願っています。

投稿: ほめ・く | 2017/01/11 22:12

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