「私はだれでしょう」(2017/3/14)
こまつ座第116回公演「私はだれでしょう」
日時:2017年3月14日(火)18時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター
脚本:井上ひさし
演出:栗山民也
< キャスト >
朝海ひかる:川北京子(33)
枝元萌:山本三枝子(35)
大鷹明良:佐久間岩男(42)
尾上寛之:高梨勝介(25)
平埜生成:山田太郎?(?)
八幡みゆき:脇村圭子(21)
吉田栄作:フランク馬場(32)
朴勝哲:(ピアノ奏者)
【あらすじ】
舞台は敗戦後の昭和21年7月、新番組「尋ね人」を担当する日本放送協会(NHK)の一室。戦時中のラジオは専ら大本営発表のツールだったが、戦後は国民の声が届く放送内容に変わり、誰もがラジオに耳を傾けていた。
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」、そして川北京子が発案し自らが責任者となって「尋ね人」が始まり、一躍人気番組となる。
番組には戦争で離ればなれになった肉親、知人の消息を尋ねる人々の"声"が積み上げられ、「尋ね人」はこの無数の"声"をラジオを通して全国に送り届けた。
しかし、当時日本は占領下にあり、CIE(民間情報教育局)の監督下にあった。そのため原稿は事前の検閲があり、放送コード(禁止用語)にかからぬよう言葉の言い換えも求められていた。
そこにCIEの新しいラジオ担当官として日系二世のフランク馬場が赴任してくる。フランクは米国と日本の二重国籍を持っており、川北らの脚本班分室の仕事に理解を示し協力的だった。
ある日、「ラジオで私をさがしてほしい」という不思議な男・自称「山田太郎」が部屋に現れる。何故か英語もしゃべれるし、武術も得意。歌も歌えればタップも出来る。とにかく記憶力と身体能力が抜群なのだ。
彼をヒントにして、記憶を失った人を対象に番組内で「私はだれでしょう」というコーナーが設けられる。
川北らは労組の役員をしている男から、広島の地元紙に掲載された原爆の写真と記事の切り抜きを見せられ、あまりの惨状に息を呑む。
そして「尋ね人」の番組内では広島と長崎からの投書を決して扱ってこなかった事を思い出す。占領軍が原爆投下の事実や被害が公表されるのを嫌ったからだった。もし、そうした放送を強行すれば占領軍の利益に反する行為として刑事罰の対象になる。
川北は、原爆投下の事実を放送を通じて国民に知って貰うため、フランクの協力を得て広島と長崎からの投書を放送することを決断する。
一方、山田太郎は偽名で、実は中野学校出身の残地諜報者だったことが判明する。父親は陸軍将校で、今では実業家として成功しているが、2年の内に日本でも再び軍隊を持つという計画が進んでいることも分かってくる。
川北の決断の行方は、果して・・・・・。
食料難や労働運動の勃興と、占領軍の政策転換など、戦後の世相を織り込みながら舞台は進行してゆく。
「私はだれでしょう」は、国自身がアイデンティティを失っていた反映でもあった。
登場人物一人一人が「私はだれでしょう」を考え、そして大事なのは「私はだれであるべきか」という結論に辿りつく。
舞台は歌と踊りの音楽劇の形式をとり、終戦後の苦しいながらもどこか明るさがあった時代を表現していた。
劇中に出てくる「言葉の言い換え」は、ズバリ安倍政権下の国会論議を思い起こされる。
放送はどうあるべきか、どう真実を伝えるべきかというテーマも極めて今日的だ。
そういう点で、こまつ座の舞台としては空席が目立ったのは残念だった。
出演者では脚本班分室員の山本三枝子を演じた枝元萌の演技が光る。
他に、山田太郎を演じた平埜生成の身体能力の高さに感心した。
公演は26日まで。
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