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2017/03/31

「納骨堂」が「幽霊ビル」に?

いま都心部で雨後のタケノコのごとく「納骨堂ビル」や「ビル型墓地」とよばれる建物がたてられているのをご存知だろうか。
その数は2000年には287棟だったのが2004年には387棟と急増しており、その大半は都心に建てられた。
理由は、次のようだ。
1.都内の墓地が高価格で、都立霊園で200万円、それも抽選では数倍の競争率だ。民間だと300万円以上する。とても庶民が簡単に手を出せる金額ではない。
2.少子高齢化により、墓の守り手がいなくなる。
そこで、10万円程度から高くとも150万円で永代供養してくれる納骨堂に人気が集まっている。
近い、安い、お手軽、を謳い文句に急成長しているのだ。

しかし、大きな問題がある。
多くの納骨堂では年間使用料が1基あたり数千円から1万円程度で、なかには最初の購入費のみで永代使用料がゼロというケースもある。
これでは建物やエレベーターなど機器のメンテナンス費用は到底まかなえないのだ。
ビルが老朽化し劣化が激しくなっても改修の費用はままならず、まして建て替え(ビルなので一定期間が過ぎれば建て替えが必要になる)など、不可能といってよい。
納骨堂を運営する宗教法人は永代供養を約束していても、将来にわたって誰が保証してくれるのだろうか。

月刊誌「選択」2017年3月号によれば、納骨堂ビルは宗教施設というより商業施設としての色合いが濃いようだ。
典型的な例として、デベロッパーやコンサル会社が寺と組んで、寺有地やワケアリの土地に納骨堂ビルを建て、十数億円単位で売りさばく。およそ3分の1が寺の取り分で、後はデベロッパーとコンサルの懐に入る。もちろん、建設を手掛けたゼネコンも利益があがる。
つまり全員がハッピーなのだ。
大金が転がり込んできた寺の住職は高級車を乗り回すなど贅沢三昧。しかし、寺には老朽化するビルと激減する収入という未来が待ち受けていて、まさに地獄に向かうわけだ。

そんな状況を見て、遂に東京都が動き出した。赤坂浄苑に対して固定資産税の納入を求めたのだ。寺側は宗教施設として非課税を主張し裁判になったが、東京地裁は「宗教団体として主たる目的のために使用しているとは認められない」として寺側の請求を棄却した。
当然の判決だ。
これからのビル型墓地の建設には、課税というリスクが加わることになる。
それもこれも、仏陀の教えに反して目先の金に目がくらみ拝金主義に陥った寺の住職らの罪である。

2017/03/30

【ツアーな人々】旅行会社が倒産するというリスク

格安ツアーを売り物にしていた「てるみくらぶ」が、3月27日に資金繰りに行き詰まったとして破産を申請し、裁判所から破産手続きの開始決定を受けた。
「てるみくらぶ」の経営破綻で影響を受けるのは3万6000件、金額にしておよそ99億円にのぼると見られている。日本旅行業協会によれば、弁済に充てることができる「保証金」は1億2000万円にとどまるため、実際には僅かしか返還されないおそれがあるという。
ざっと勘定して1件あたり30万円ほどの損害が出ても、返ってくるお金は3千円程度になるわけで、大きな損失だ。
多くは海外旅行を申し込んでいた方だと思うが、こうした経済的な損失以外に、突然旅行を取りやめざるを得なくなった事による精神的な損失も加わる。
まして、既に旅行に出発し、現地で立ち往生になった方のショックと苦労は計り知れない。

報道によれば、「てるみくらぶ」は少なくとも3年前から営業損益が大幅な赤字に陥った可能性があるにもかかわらず、黒字に見せかける決算書を作り続けていたようだ。中でも直近の去年9月期の決算では、営業損益はおよそ1億1000万円の黒字を計上していたが実際は15億円以上の赤字で、この時点で財務の状態が74億円程度の債務超過に陥っていたという。
会社はこうした深刻な経営実態を偽って、破綻直前まで1日当たり1000件から2000件の海外旅行の予約を受け付けていた。
これでは詐欺と言われても仕方なかろう。

私も、過去に何度か利用していた旅行会社が倒産したことがある。小規模ながらも他社では扱わないような企画を立てる旅行社だった。幸いな事にその時期は申し込みをしていなかったので被害はなかったが、今回の件は他人事とは思えない。

実は「てるみくらぶ」のパッケージツアーについて、昨年申し込みを検討したことがある。結論は取りやめにしたが、その理由は次の2点だった。
1.他社に比較して価格が安過ぎた。これだけ違うと何かカラクリがあるのではと疑ったのだ。
2.旅行案内に「添乗員同行」とあったが、スケジュールを確認すると添乗員は現地の空港で待つと書いてあった。それは添乗員じゃなくて、現地ガイドだろう。
こういう所に不信感を持った。

私たち外部の人間としては、旅行会社の経営状態までうかがい知ることは不可能だ。
取り敢えずは、法外な格安を売り物にしている会社は避けておいた方が無難だろう。
海外旅行には様々なリスクがあるが、これからは旅行会社が倒産してお金が戻らないリスクも加わることになってしまった。

2017/03/29

春風亭三朝真打昇進披露興行in鈴本(2017/3/28)

鈴本演芸場3月下席夜の部「真打昇進披露興行」8日目
<  番組  >
三遊亭わん丈『寄合酒』
ダーク広和『奇術』
三遊亭金時『宗論』
すず風にゃん子・金魚『漫才』
柳家さん喬『子ほめ』
春風亭一朝『祇園会』
五明樓玉の輔『財前五郎』
鏡味仙三郎社中『太神楽』
鈴々舎馬風『漫談』
柳亭市馬『蝦蟇の油』
─仲入り─
『披露口上』高座下手より、司会の玉の輔、小朝、木久扇、三朝、一朝、馬風、市馬
林家あずみ『三味線漫談』
林家木久扇『林家彦六伝(抄)』
春風亭小朝『漫談』
林家正楽『紙切り』
朝也改メ
春風亭三朝『竹の水仙』

3月下席より鈴本演芸場をかわきりに、落語協会の新真打昇進披露興行が始まった。
今回5人が昇進したが、その中で以前から注目していて何度か高座を見ている朝也改メ春風亭三朝がトリをつとめる28日に出向く。
高座の奥には祝い幕、舞台の両袖には祝い酒のこも樽が並び華やかな雰囲気だ、ちなみに後ろ幕は前半は出身の中央大学の落研から、後半がAKB48の岡田奈々(三朝がファンとのこと)から。
三朝はNHK新人落語大賞をはじめいくつもの賞を受賞しており、期待も高いのだろう。そのことはこの日の出演者の顔ぶれや、披露口上にも表れていた。
通常の口上の他に木久扇は片岡千恵蔵と月形龍之介の物真似、市馬は相撲甚句、師匠の一朝は得意の笛を披露するなどサービス満点。

さて、その三朝が演じた『竹の水仙』について。
主人公の左甚五郎は京都から江戸に向かう途中の、名古屋の近くの鳴海宿の宿をとるという設定。竹の水仙を購入するのは細川越中守だった。
ストーリーはお馴染みのものだったが、いくつか課題を感じた。
先ず、甚五郎の描き方が気になった。当代一の名人といわれた甚五郎だから、単なる一文無しではなく自ずと風格が漂っていなければならない。三朝が演じる甚五郎は宿の亭主と同質に見えてしまう。竹の水仙の値段を聞かされてから、亭主は半信半疑ながら甚五郎を少しずつ敬うように気持ちが変わってゆく過程も描かれていない。
宿の女房の性格づけも不明瞭だ。
そのため、全体がひどく平板に感じてしまった。
この日の高座では、三朝の実力が発揮できていない様に思った。


その他の演者について、いくつか。

わん丈『寄合酒』、独自の工夫やクスグリが活きていた。皆が乾物屋から商品を盗んできたのに対し、鯛をくわえて逃げた犬が乾物屋の飼い犬だったというサゲは秀逸。

ダーク広和『奇術』、4重に巻いたロープの輪を客に切らせて、放り投げると1本になるというマジックはお見事。

金時『宗論』、この人は、あんな軽い芸だったかな。

一朝『祇園会』、師匠とはいえ、祭囃子の口真似はさすがだ。

玉の輔『財前五郎』、こういう軽い噺は合っているし、上手い。

市馬『蝦蟇の油』、啖呵売の口上に拍手が起きていたが、リズムには感心しなかったけどね。

2017/03/28

平成28年度花形演芸大賞の受章者

平成28年度「花形演芸大賞」の受賞者が下記のとおり発表された。

大賞  該当者なし

金賞  笑福亭たま(上方落語)
    三遊亭萬橘(落語)
    蜃気楼龍玉(落語)
    柳家小せん(落語) 

銀賞  江戸家小猫(ものまね)
    坂本頼光(活動写真弁士)
    神田松之丞(講談)
    宮田陽・昇(漫才)
    三笑亭夢丸(落語)

う~ん、笑福亭たま、大賞に選んでも良かったんじゃないのかな。『紙屑屋』は良かったけどね。

2017/03/27

「照ノ富士」の健闘にも拍手

今朝の新聞は稀勢の里の優勝一色だ。無理もない。ファン待望の日本出身の横綱が誕生し、しかも新横綱として22年ぶりとなる優勝だ。
13日目の日馬富士戦に敗れた時に負傷し、ケガをおしての強行出場。誰もが無理と思っていたところを逆転優勝したのだから、感動した人も多かったろう。
その陰で忘れられそうになった大関照ノ富士、最後はヒール役になってしまった感があるが、今場所を振り返れば彼の活躍が土俵を最後まで盛り上げてくれたのは間違いない。

照ノ富士は大関に昇進した当時は、いつ横綱になってもおかしくないと思われていた逸材だった。
ところが2015年秋場所、単独トップで迎えた13日目に稀勢の里に寄り倒しで敗れ、その際に右膝靱帯・半月板などを損傷する重傷を負った。その後、強行出場して連敗するが千秋楽で横綱鶴竜に勝ち、優勝決定戦へもつれ込んだ。決定戦では鶴竜に敗れ優勝を逃した。今場所の稀勢の里と似たようなケースだったわけだ。
次の場所からも休場することなく土俵をつとめたが、無理がたたって古傷の左膝を痛めたり、右鎖骨骨折の重傷を負うなどケガに悩まされ続けた。
ここ数場所は2桁大敗と、かど番8勝勝ち越しの繰り返し、「怪物」と呼ばれた面影を失くしていた。

照ノ富士の今場所の成績は13勝2敗の準優勝、2桁勝利はなんと9場所ぶりとなる。
13日目に日馬富士が稀勢の里を破り単独トップに立った。おそらくは兄弟子の応援と受け止めただろう。
ただ、終盤になってきて膝の状態は悪化しており、残り2日間をどう闘うかを悩んだに違いない。
14日目は大関に返り咲きを狙っていた琴奨菊との一番では、変化して勝った。このことで叩かれたが、変化は作戦の一つだ。稀勢の里も千秋楽の本割では変化していた。
この一番で、照ノ富士は立ち合いで相手につっかけた。これを見て、つっかけはフェントで、これは変化するなと思っていたら、その通りとなった。素人の私でも予想できたのだから、相手の琴奨菊だって頭に入れておくべきだった。
非難の声が強かったが、私は照ノ富士の優勝への執念を感じた。

千秋楽、相手の稀勢の里は負傷をおしての出場で、周囲を9分通り照ノ富士の優勝を予想していた。
本人としては、勝って当たり前というのは相当なプレッシャーだったに違いない。しかも、勝っても誰も称賛してくれない、そんな状況は辛い。
本割の最初の立ち合いで稀勢の里は右に変化した。照ノ富士はこの変化は頭にあったようで対応して四つに組んだ。そこで行司待ったがかかった。立ち合いが合わず不成立という判断だったようだ。私は、ここに勝負のアヤがあったように思う。
2回目の立ち合いでは稀勢の里は左に変化し、照ノ富士が寄り立ててくる所を右から突き落とした。この時、照ノ富士が膝からガクッと落ちるのを見て、そうとう膝が悪いのだろうと思った。
優勝決定戦で照ノ富士はもろ差しになって寄り立てが、土俵際で稀勢の里が右手で小手投げを打ち勝った。本来は照ノ富士は相手のまわしを引き付けて体を寄せて寄っていけば確実に勝てただろうが、勝負を焦って墓穴をほってしまった。

勝負が終わって照ノ富士、記者から相手は手負いの新横綱、やりづらさを問われると、「特にない。自分の問題です」と首を振り、「みんな目に見えないつらさがある。それを表に出すか、出さないかだけ」と語った。自身も古傷の両膝の状態が思わしくなかったのだ。
「ま、来場所頑張るだけです」と。最後は取組ですりむいた右膝を指さし、「やっと目に見えるけがになりましたね。目に見えることしか、やっぱり分からないね」と、笑顔で場所を後にしたとある。

両膝のケガと戦いながら場所をつとめる照ノ富士。今場所の成績が復活の足掛かりとなるか、来場所からの更なる活躍を期待しよう。

2017/03/25

不道徳教育講座

初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、本来は「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、特定の価値観を押し付けようとする姿勢が目立つ。
例えば、
「しょうぼうだんのおじさん」→「おじいさん」理由:感謝する対象として指導要領がうたう高齢者を含める
「パン屋」→「和菓子屋」理由:指導要領にある、我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもたせる
「アスレチックの遊具で遊ぶ公園」→「和楽器を売る店」理由:指導要領にある、我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもたせる
時代錯誤もはなはだしいと思えるのだが、これも文科省が政権の意思を「忖度」したものだろう。
その文科省だが、多くの官僚が関連する民間企業に天下りしていたことが問題となっている。
これのどこが「道徳的」なんだろう。
子供たちに道徳を教育する前に、先ず文科省の役人を相手に道徳教育をしたらどうか。

子どもは大人の姿を見て育つ。
先ずは、大人、とりわけ人の上に立つ政治家たちが模範を示さねばならない。
では、我が国の政治状況はどれだけ「道徳的」だろうか、「森友学園」問題で見てみる。

発端は幼児に「教育勅語」を暗唱させるなどの愛国教育を行ってきた同学園が小学校を建設するという計画に始まる。これは安倍昭恵が語っていたように、幼稚園で叩き込んだものが「公立小学校の教育を受けると、せっかく芯ができたものが揺らいでしまう」。この精神を引く継ぐ小学校を建設するというのは、安倍政権側としては渡りに船だったに違いない。日本会議のモデル校に成りえただろう。
どのような「談合」やら「根回し」があったのかは分からないが、とにかく「天の声」が関係者にくだる。
財務省は国有地をタダ同然で払い下げ、大阪府は前例を無視して仮認可を与え、建設計画は着々と進んだ。
証人喚問で自民党の質問者が、この建設計画はあらゆる面で無理があり、最初から実現できないものだったのではと言っていたが、その通りだ。でも、この質問は本質を衝いているだけに、「天に唾する」ものだけど。
この計画の象徴が首相夫人の「名誉校長」就任だ。現下の政治状況において、これは水戸黄門の印籠に等しい。
「よきに計らえ」である。
こうして全ては上手く進んでいたのだ。バレさえしなければ。
ところが、一人の豊中市議が払い下げ価格に疑問を持ち、それを朝日新聞がとりあげた事で事態は一変する。
風向きが変わると関係者はいっせいに、知らぬ存ぜぬを決め込み逃げ始める
具体的な証拠や証言が出てくると、妻が、夫が、担当者がと言って責任逃れをする。
気が付けば、残されたのは森友学園の籠池理事長ただ一人。うさん臭さも手伝って、お前が悪いと集中砲火を浴びる。まあ、不徳のいたす所もあるけどね。
小学校建設は絶望となり、多額の負債を抱え、応援してくれていた知事からは告発するぞと脅される始末。
このまま籠池一人に全ての罪を被せ、私たちは真っ白ですと幕引き出来るのかどうかが、今の段階だ。

これぞ、「不道徳教育」の教材にはもってこい。
道徳を説く人間ほど実は不道徳、というのは昔からだけどね。

2017/03/24

ノラや寄席350回前夜祭(2017/3/23)

「ノラや寄席350回前夜祭」
日時:2017年3月23日(木)19時
会場:座・高円寺2
<  番組  >
前座・橘家かな文『真田小僧』
三遊亭萬橘『孝行糖』
蜃気楼龍玉『鹿政談』
春風亭一之輔『夢八』
~仲入り~
三遊亭天どん『クラブ交番』
桃月庵白酒『首ったけ』

安倍政権と自民党はどうやら「窮鼠猫を噛む」という諺を知らないらしい。
だいたいが首相を侮辱したという理由だけで、一民間人をいきなり証人喚問したこと自体が間違っている。日本にはいつから首相へ「不敬罪」が出来たんだろうか。
政権としては、一つ国会に呼んで籠池理事長を絞り上げ、あわよくば偽証罪で告発して森友学園問題に終止符を打つつもりだったが、どっこい、そうはいかなかった。
小学校建設は断念し、恐らくは破産も起こり得るし、大阪府からは刑事告発もあるだろう。
もはや失う物がなくなった籠池理事長は文字通り「窮鼠」となって、安倍首相という「猫」に嚙みついたわけだ。
安倍政権が次に肝に銘ずべき諺は「針の一穴」となる。

高円寺に「ノラや」という店があり、ここで定期的に落語会が開かれている。今回はその350回を記念する前夜祭の会で、若手が中心だ。

萬橘『孝行糖』、メガネをかけたまま高座に上がる噺家がいるが、この人はネタに入るときに外す。これは正解だと思う。特に古典を演じる時にメガネは変だ。
本人に独特のフラがあるから、何を演じても何となく可笑しいから得だ。
飴売りの与太郎が屋敷の門番から棒でめった打ちにされた後で、本来は「痛えよう、ぶたれたとこが痛えよう」というセリフが入るが、ここをカットしていた。これだとサゲの「孝行糖、孝行糖(こことここ)」が弱くなるのではないか。

龍玉『鹿政談』、演者とネタが予定調和。マクラで奈良名物として「大仏に鹿の巻筆奈良晒春日灯篭町の早起き」を紹介したなら、「町の早起き」の説明が要るのでは。全体に起伏がなく平凡な出来。

一之輔『夢八』、マクラで構えて見るようになると落語は面白くなくなると言っていたが、そういう面は確かにあるかも。一之輔はどうやら演出という言葉に嫌悪感があるようだが、噺家って誰もが日々自分で演出を考え自分で演じる職業じゃないの。一之輔の高座を見ていると、毎回演出を変えているし、それが魅力だろう。
一之輔にとっては、落語を聴いてきちゃあ感想を書いているアタシの様な存在は信じられないかも知れない。それも決して否定はしないが、落語好きにも色々なタイプがあり、その楽しみ方の違いは尊重すべきではなかろうか。
どうも、毎度ここの所が引っかかるのだ。
ネタはお馴染みだが、スローモーションも入れて動きがより派手になっていた。

天どん『クラブ交番』、キャバクラみたいな交番を描いた新作だが、面白くなかった。落語に出てくる登場人物は誇張されていても、どこか自分にもそういう面があるなとか、周りに似たような人間がいるなとか、そう思わせる所が大事だ。その点が欠けている。

白酒『首ったけ』、待っているのに敵娼(あいかた)は来ない。それなら寝ちまおうとするが向こう座敷がドンチャン騒ぎで寝られない。しかもその座敷に敵娼がいるとなれば余計にイライラする。ついつい強い調子で文句を言って喧嘩となり、勢いで店を出てしまう。まあ、こういう事って、花魁と客の関係だけではなく、男女間の普遍的な出来事と言える。
深夜あてもなく店を出て、仕方なく男は向かい側の店に上がる。ところが、その店のオショクが以前から男にトンと来ていて、これ幸いの大サービス。これとて向かい側の店のオショクとの意地の張り合いという面も濃厚なのだ。ともかく有頂天になった男は店に通いつめうが、金がなくなり暫くは稼ぎに精を出す。
ある日、吉原が火事ときいて駆け付けた男が、お歯黒ドブに落ちている女を発見する。顔を見ると前の店の敵娼。
「てめえなんざ沈んじゃえ」
「そんなこと言わずに助けとくれ。今度ばかりは首ったけだよ」
噺はここで終わるのだが、この先、男と敵娼はこれを機会に因りを戻すのではないだろうか。そんな予感がする。
一編の噺の中に男女の情愛の機微がちゃんと描かれているわけで、こういうとこが古典落語というのは実に良く出来ている。
白酒の高座はそれぞれの人物を鮮やかに演じ分け、良い出来だった。

2017/03/21

新宿末廣亭3月中席・昼(2017/3/20)

新宿末廣亭3月中席昼の部・楽日

前座・柳家小多け『たらちね』
<  番組  >
三遊亭歌太郎『酒の粕』
伊藤夢葉『奇術』
柳家海舟『ぞろぞろ』
古今亭文菊『ざる屋』
ホンキートンク『漫才』
宝井琴調『愛宕山誉の梅花』
柳家喬之助『締め込み』
柳家小菊『粋曲』
柳家はん治『ぼやき酒屋』
林家種平『お忘れ物承り所』
林家楽一『紙切り』
柳家小満ん『悋気の火の玉』
─仲入り─
春風亭百栄『コンビニ強盗』
ロケット団『漫才』
柳家小ゑん『ミステリーな午後』
柳家小団治『長屋の花見』
翁家社中『太神楽』
柳家小里ん『一人酒盛』

小言幸兵衛さんの記事を読んで急に末廣亭に行きたくなり、3月中席楽日の昼の部へ。
以前にも書いたことだが、寄席というのは芝居と一緒で、全体の流れや、その中で各個人(又はグループ)が役割を果していたかどうかが評価のポイントとなる。
必要なら自分の出番では敢えて表現を抑えたり、逆に過剰な演出をしてみたり、固いネタが続く時は漫談で逃げることだって許される、それが寄席というものだと思う。
そうしながらも、それぞれの出演者は客からある程度は受けねばならない。そこの兼ね合いが難しいし、プロとしての技が試される。
技術論は幸兵衛さんにお任せして、当方は感想をいくつか。

前座の小多け『たらちね』、最近よく高座に出会うが、師匠譲りの端正な高座は好感が持てる。

歌太郎『酒の粕』、この日は客が次第に増えてゆき、仲入りの頃には2階席まで一杯の入りだったようだ。浅い出番ではざわついた雰囲気の中で客席を温める役割が求められる。長目のマクラに軽いネタで逃げたが、務めは果たした。

海舟『ぞろぞろ』、客席が落ち着かない事を考慮しても、不出来だった。いくつも細かないい間違いがあり、稽古不足を感じさせた。

文菊『ざる屋』、短い時間で序盤を締めたのはさすがだ。真打も上中並に分かれるが、文菊は間違いなく上である。

ホンキートンク『漫才』、ボケがこの日程度に抑えた方が、このコンビは面白い。

琴調『愛宕山誉の梅花』、この人の寄席の出番が多いのは、色物としての講談に徹しているからだろう。

喬之助『締め込み』、真打昇進して10年。明るいのは結構だが、そろそろ自分の型が欲しい。

小菊『粋曲』、ただただ❤。

はん治『ぼやき酒屋』、桂文枝作だが、東京ではこの人の十八番といっていいだろう。唄い調子の様なはん治の語りにネタのセリフがよく合っているのだ。

種平『お忘れ物承り所』、久々だ。マクラで、電車に8千万円忘れた人がいたが、そんな大金を持ってたなら電車になぞ乗るなと言っていた。忘れ物のほとんどは網棚の上だそうだから、手から離さないことが肝要。
こちらも文枝作だが、前半をカットし、サゲは変えていたようだ。敢えて文枝の作品を並べるという趣向だったのかも。

楽一『紙切り』、身体は動かさなくとも紙は切れるんだね。

小満ん『悋気の火の玉』、マクラからネタまで、ほとんど黒門町そのまま。本妻の「フン」の形が宜しい。

百栄『コンビニ強盗』、寄席に来るチャンスが少ないお客が多かったのか、定番のマクラが受けていた。この人は滑舌の悪さを逆手に取って成功している。

ロケット団『漫才』、以前からツッコミの倉本剛が痩せて顔色が悪いのが気になっていたが、やはり胃の手術で入院していたとのこと。未だ本調子ではないようだが、大事にして欲しい。「一つの事を疑うと他も全て疑って見えてしまうこと」「稲田大臣!」、その通り。

小ゑん『ミステリーな午後』、久々だ。ネタは自作のようで、昼の食事格差をテーマに中年サラリーマンの悲哀を描いたもの。人物設定がステレオタイプ過ぎて、あまり面白いとは思わなかったが、愛嬌と勢いで聴かせてくれた。

小団治『長屋の花見』、初見。本寸法の季節ネタ。アタシとおない年だが、若く見える。

小里ん『一人酒盛』、このネタは相手を無視して一人だけで酒をたいらげてしまう男をどう描くかがポイントとなるが、小里んは好人物に描いていた。つまり、この男は相手も一緒に楽しんで飲んでいるのだと勝手に錯覚している。だから相手に迷惑を掛けているという自覚が全くない、好人物だが無神経なのだ。こういう人物ほど腹が立つことはない。
ほとんどが一人で酒盛する男のモノローグという難しい噺だが、表情やセリフ回しでこの男の性格を巧みに描いていた。聞いていて、こっちも腹が立ってきた。
小里ん、ますます師匠に似てきましたね。

お馴染みの人、珍しい人、久しぶりの人、初めての人、それぞれに楽しかった。

2017/03/19

「雲助蔵出し ぞろぞろ」(2017/3/18)

「雲助蔵出し ぞろぞろ」
日時:2017年3月18日(土)13時
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・柳家小多け『子ほめ』
春風亭朝之助『だくだく』
五街道雲助『千早ふる』
五街道雲助『おせつ徳三郎(上)花見小僧』
~仲入り~
五街道雲助『おせつ徳三郎(下)刀屋』

雲助は先ず挨拶代わりにと1席目『千早ふる』。
歌の分けを訊きにきた男に対し、知ったかぶりの男は言語左右にして誤魔化しながら物語を考え出すが、その過程を雲助は巧みな表情変化で示し場内は爆笑。

続いて2,3席目は『おせつ徳三郎』の通し。
前半は『花見小僧』のタイトルで演じられるが、近ごろでは寄席の高座にかかる機会は極めて少ない。これから花見シーズンを迎えると『長屋の花見』と『花見の仇討ち』は嫌になるほど聴かされが、これと『花見酒』は演じ手が少ない。
むしろ後半の『刀屋』の方がお馴染みになっている。
これが「通し」となると、こうした会でしか聴けないので、良い機会に巡り合った。

『おせつ徳三郎』上中下のあらすじは次の通り。
【上・花見小僧】
日本橋横山町の大店の一人娘おせつは評判の器量よし。17歳になり大旦那は婿取りの話を持ち掛けるが、どれも気に入らず断られる。番頭を呼んで悩みを心当たりをきいて見ると、どうやら奉公人の徳三郎と深い仲になっているらしいとのこと。どうやら去年の春に向島に花見に行った辺りがきっかけになった様子。
本人たちに問い詰めたところで口を割らないからと、番頭は花見に二人と婆やのお供で同行した小僧の長松から話を聞き出すことを勧める。その際、長松が忘れたと言ったらお灸をすえると脅かし、話をすれば宿下がりを毎月にして内緒で小遣いも渡すと甘言を弄するよう大旦那にアドバイスする。
早速、大旦那h長松を呼び出して事情を聞く。当初は忘れたの一点張りだったが、脅したり賺したりするうちに、長松から花見の後のお茶屋で二人が結ばれた様子を聞き出す。
こうなったら放ってはおけないと、徳三郎は暇を出され叔父の家に預けられる。
それにしても江戸時代の17歳(当時は数えだから、今なら16歳ぐらい)の生娘というのは、実に大胆だったんですね。
【中、通常は省略され下の冒頭にあらすじとして紹介される】
叔父の家に預けられていた徳三郎に、おせつが婿を取るという話が伝わる。それも、おせつが相手を見初めて望んだもので、婚礼は今日行われると。
おせつの裏切りに怒りを燃やした徳三郎は叔父の家を飛び出す。
【下・刀屋】
村松町の刀屋の店に飛び込んだ徳三郎、とにかく人が斬れる刀を、それも二人だけ斬れれば良いなどと言い、店主が差し出す刀を店の中で振り回す始末。
店主は事情を察し徳三郎をなだめ事情を訊くと、彼は友人の出来事としておせつとの馴れ初めから今日に至る経緯を話す。
聞いていた店主は、それは奉公人が間違っているし、切り替えて婿取りを決心した娘は親孝行で偉いと褒める。納得にいかない徳三郎に対し店主は、本当に敵討ちをしたかったら一生懸命に働き成功して大店の主となって見返してやれと励ます。徳三郎も店主の諭しに納得しかける。
そこへ、おせつが婚礼の席から飛び出して逃げ、行方知れずになったという知らせが刀屋の店主の元に伝わる。
徳三郎は脱兎のごとく飛び出して両国橋へ向かい、おせつのために身を投げようとする。するともう一人同じ様な人影が。見ればおせつ。
二人で心中しようとするが、直ぐそこまで追手が迫っていて果たせず、深川の木場まで逃げてくる。橋にかかると、ここで心中をと決めた二人はザンブと川の中へ飛び込む。
ところが、木場だから下は筏が一面にもやってあり、二人はその上に落っこちた。
「あっ痛! 徳や、なぜ死ねないんだろう?」「お嬢さん、水がなくっちゃ死ねません」
おせつが川の水をすくって一口飲み、
「徳、お前もお飲み」
でサゲ。

雲助の高座の『花見小僧』では、大旦那に脅され困惑しながら話を小出しにしてゆく長松の姿と、生々しい情景に次第に怒りを募らせる大旦那の姿が対比され、好演。
長松が語る二人の交情の様子で、常に娘のおせつの方が積極的にリードする姿が描かれるが、これが後半の伏線になってゆく。
『刀屋』は一転して人情噺。刀屋の主人が、自分の放蕩息子を手に負えず勘当したが、その身を一日たりとも思わす日はないという話しをして徳三郎の気を鎮め、彼の身の上話しを引き出す演出に説得力があった。
そして徳三郎の行為を頭から否定し、相手のおせつを褒めることにより、徳三郎も次第に冷静さを取り戻す。
その一方で、徳三郎が一銭も使わずおせつと交わった事について、吉原で太夫を買えば大金が掛かるのにお前はタダで出来たんだから幸せだと言って諭す辺りに、この主人の洒落っ気も感じさせていた。
この様に後半の雲助の高座では、一本気な徳三郎に対し、老獪で洒脱な刀屋の主人の姿を配し、これまた好演。
サゲも、通常の「今のお材木(題目)で助かった」を変えて、独自の工夫をしていた。

『おせつ徳三郎』の通しを改めて聴いてみると、非常に良く出来た噺だと思った。ストーリーに無理や無駄がなく、前半の滑稽噺(この部分は初代三遊亭円遊の改作らしいが)から後半の人情噺への転換も巧みで、名作の部類に入ると思う。
ただ、これを演じるには相当の力量が必要で、やはり雲助クラスでないと無理だろう。

2017/03/17

語るに落ちる「昭恵夫人が100万円の寄付否定」

大阪市の学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長が発言した「安倍晋三首相から昭恵夫人を通じて100万円の寄付を受けた」が大きな波紋を広げている。
この件に関して昭恵夫人は「寄付した記憶は全くない」と話している。
籠池氏が寄付を受けたと主張した2015年9月の昭恵さんの講演に同行した政府職員も「寄付をするような場面はなかった」と証言しているという。
菅官房長官は、「夫人個人としても寄付は行っていないということだった」と述べた。

この記事から先ず読み取れるのは、昭恵夫人が「寄付していない」と言わず「寄付した記憶がない」と答えたことだ。
これなら万一寄付の事実が出てきても、稲田朋美防衛相と同様に「虚偽ではなく、記憶になかっただけだ」と釈明できるからだろう。
私なら他人に100万円も渡したら一生覚えているが、首相夫人ともなればその程度のことは忘れてしまう事もあり得るのか。
同行した政府職員が「寄付をするような場面はなかった」と証言しているのは噴飯ものだ。そりゃ、いくらなんでも職員の見ている前で金銭のヤリトリはしないさ。例え気付いても気付かぬふりをする、そういう職員でなければ首相夫人の随行は務まらない。

森友学園の疑惑の中心は、財務省が9億5600万円と不動産鑑定士が評価した土地を、埋まっているゴミの処理費用と称して8億2200万円値引きして1憶3400万円で学園側に払い下げたことに端を発する。
既に払ったゴミ処理代1億3200万円を差し引くと、森友学園は200万円で大阪の豊中市に8770平米の土地を取得したことになる。さらに学園には国土交通省から補助金として6000万円が出た。木造体育館への助成だという。
世の中に、こんな美味しい話ってないよね。
しかも財務省は売却金額を非公開とし、報道がされると一転して公開するというドタバタぶりをさらした。
これは臭いと思われるのは当然のことだ。

籠池泰典理事長が用地取得に手をあげたのが2013年。
昭恵夫人が森友学園の幼稚園で「ファーストレディーとして」と題する講演をしたのが2014年4月。
そして2014年から小学校の設立認可、国有地の払い下げへ準備作業が進んでいく。
森友学園が計画する新設小学校は「安倍晋三記念小学校」の名で寄付を募った。名誉校長に昭恵夫人が就任し、夫人の講演には政府職員が同行する。
森友学園で行なった講演で、夫人はこう言っている。
「こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っている。(卒園後)公立小学校の教育を受けると、せっかく芯ができたものが揺らいでしまう」
だから小学校も作るべきと推奨したわけだ。
「主人も素晴らしいと思っている。」この言葉の威力は絶大だ。
安倍首相推薦の小学校と周囲が見たのは当然だ。
小学校の創設のために国有地をタダ同然で取得するには、安倍昭恵名誉校長の権威が絶大な効力を発揮した。

対する財務省の布陣も申し分ない。
2014年7月から2016年7月までの2年間に主計局長・事務次官を務めた田中一穂氏は、第一次安倍内閣の時の首相秘書官だった。
国有財産の管理の元締めである理財局長だった迫田英典氏は安倍首相の地元出身だ。

かくして9億5600万円の土地が、タダ同然で森友学園側に払い下げられたのである。
100万円の金が昭恵夫人側から渡されたのかどうかは23日の国会での証人喚問を待たねばなるまいが、いずれにしろ夫人が大きな役割を果したことは否定できまい。
森友学園への自身と夫人の関与を全面的に否定してきた安倍首相の責任問題が焦点になってゆく。

2017/03/15

「私はだれでしょう」(2017/3/14)

こまつ座第116回公演「私はだれでしょう」
日時:2017年3月14日(火)18時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター
脚本:井上ひさし
演出:栗山民也
<   キャスト  >
朝海ひかる:川北京子(33)
枝元萌:山本三枝子(35)
大鷹明良:佐久間岩男(42)
尾上寛之:高梨勝介(25)
平埜生成:山田太郎?(?)
八幡みゆき:脇村圭子(21)
吉田栄作:フランク馬場(32)
朴勝哲:(ピアノ奏者)

【あらすじ】
舞台は敗戦後の昭和21年7月、新番組「尋ね人」を担当する日本放送協会(NHK)の一室。戦時中のラジオは専ら大本営発表のツールだったが、戦後は国民の声が届く放送内容に変わり、誰もがラジオに耳を傾けていた。
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」、そして川北京子が発案し自らが責任者となって「尋ね人」が始まり、一躍人気番組となる。
番組には戦争で離ればなれになった肉親、知人の消息を尋ねる人々の"声"が積み上げられ、「尋ね人」はこの無数の"声"をラジオを通して全国に送り届けた。
しかし、当時日本は占領下にあり、CIE(民間情報教育局)の監督下にあった。そのため原稿は事前の検閲があり、放送コード(禁止用語)にかからぬよう言葉の言い換えも求められていた。
そこにCIEの新しいラジオ担当官として日系二世のフランク馬場が赴任してくる。フランクは米国と日本の二重国籍を持っており、川北らの脚本班分室の仕事に理解を示し協力的だった。
ある日、「ラジオで私をさがしてほしい」という不思議な男・自称「山田太郎」が部屋に現れる。何故か英語もしゃべれるし、武術も得意。歌も歌えればタップも出来る。とにかく記憶力と身体能力が抜群なのだ。
彼をヒントにして、記憶を失った人を対象に番組内で「私はだれでしょう」というコーナーが設けられる。
川北らは労組の役員をしている男から、広島の地元紙に掲載された原爆の写真と記事の切り抜きを見せられ、あまりの惨状に息を呑む。
そして「尋ね人」の番組内では広島と長崎からの投書を決して扱ってこなかった事を思い出す。占領軍が原爆投下の事実や被害が公表されるのを嫌ったからだった。もし、そうした放送を強行すれば占領軍の利益に反する行為として刑事罰の対象になる。
川北は、原爆投下の事実を放送を通じて国民に知って貰うため、フランクの協力を得て広島と長崎からの投書を放送することを決断する。
一方、山田太郎は偽名で、実は中野学校出身の残地諜報者だったことが判明する。父親は陸軍将校で、今では実業家として成功しているが、2年の内に日本でも再び軍隊を持つという計画が進んでいることも分かってくる。
川北の決断の行方は、果して・・・・・。

食料難や労働運動の勃興と、占領軍の政策転換など、戦後の世相を織り込みながら舞台は進行してゆく。
「私はだれでしょう」は、国自身がアイデンティティを失っていた反映でもあった。
登場人物一人一人が「私はだれでしょう」を考え、そして大事なのは「私はだれであるべきか」という結論に辿りつく。

舞台は歌と踊りの音楽劇の形式をとり、終戦後の苦しいながらもどこか明るさがあった時代を表現していた。
劇中に出てくる「言葉の言い換え」は、ズバリ安倍政権下の国会論議を思い起こされる。
放送はどうあるべきか、どう真実を伝えるべきかというテーマも極めて今日的だ。
そういう点で、こまつ座の舞台としては空席が目立ったのは残念だった。

出演者では脚本班分室員の山本三枝子を演じた枝元萌の演技が光る。
他に、山田太郎を演じた平埜生成の身体能力の高さに感心した。

公演は26日まで。

2017/03/11

鈴本演芸場3月上席・昼(2017/3/10)

鈴本演芸場3月上席昼の部・楽日

前座・柳家緑助『たらちね』
<   番組   >
春風亭ぴっかり『こうもり』
松旭斉美智・美登『奇術』
桂南喬『鮑のし』
春風亭一之輔『人形買い』
ニックス『漫才』
入船亭扇遊『権助芝居』
三遊亭歌奴『佐野山』
翁家社中『太神楽曲芸』
柳家権太楼『代書屋』
─仲入り─
三遊亭小円歌『三味線漫談』
桃月庵白酒『ざる屋』
桂藤兵衛『替り目』
林家二楽『紙切り』
春風亭正朝『野ざらし』

3月10日は鈴本演芸場の昼の部へ。上席の楽日であるこの日は、若手、中堅、ベテランがバランス良く組み合わされて豪華な顔ぶれだ。そのせいか、平日の昼にも拘わらず客の入りも良かった。
中身もそれぞれが持ち味を発揮して、充実した楽日だった。

ぴっかり『こうもり』
社会人落語家微笑亭さん太が、春風亭小朝のために書き下ろした新作落語の一つ。『鶴の恩返し』のパロディの様な作品。助けられたコウモリが吸血鬼というひねりがある。コウモリが変身した少女の仕草が演者と重なり、成功していた。
ぴっかり、マクラでの客の掴みが上手くなってきた。

美智・美登『奇術』
アメを客席に投げるのは失礼だと思うけどね。

南喬『鮑のし』
この人の演じる甚兵衛さんはお人好しで、だから周囲から可愛がられている様子が分かる。
登場人物に対する演者の目の優しを感じる。

一之輔『人形買い』
人形店の小僧が大活躍。人形が安く買えたと喜ぶ二人の男に、実は一昨年からの売れ残りで、主が「店に出しておけば、どこかの馬鹿が引っかかって買っていく」という商品だと聞かされ唖然とする。おまけに店の若旦那と女中との色ごとまで聞かされる。こましゃくれた子どもを演じさせたら一之輔の独壇場。

ニックス『漫才』
睡眠中。

扇遊『権助芝居』
寄席も芝居も一人で行くので、周囲の会話を聞くのも楽しみの一つだ。時には高座より面白いことがある。
先日もプログラムに「馬生」の名を見つけた老夫婦。
「きんばらてい馬生か。もういい年だよな。」
「えー、もう死んだんじゃないの?」
「いや、まだ生きてんじゃないのかな。」
本人が登場すると、
「やっぱり違ってた。」
本人が聞いたら苦笑するだろうね。
この日の扇遊の高座について、
「この人ね、上手いんだけど、印象に残んないだよね。」
と言ってる方がいた。
確かに、この日のようにインパクトの強い人が並ぶと、印象が薄くなってしまう感はある。

歌奴『佐野山』
得意の呼び出しや行司、場内アナウンスの物真似で場内を沸かす。歌奴の鉄板ネタ。

翁家社中『太神楽曲芸』
土瓶芸はいつ見てもお見事。師匠も泉下で喜んでいるだろう。

権太楼『代書屋』
十八番のスマホのマクラから、これまた十八番のネタ。
男が代書屋から学歴を訊かれ小学校と答えると、なんという名の小学校かと言われると、
「えーと、なんだっけなー、あーっ、森友学園!」
でサゲていた。

小円歌『三味線漫談』
11月に立花家橘之助を襲名予定であることが発表されている。
橘之助については書籍や記事でしか知らないが、襲名にあたり芸も継ぐのか、それとも名前だけ継ぐのかが注目される。何となく後者のような気がするのだが。

白酒『ざる屋』
寄席の短い出番でお馴染みのネタ。短時間でもしっかりと笑いを取っていた。

藤兵衛『替り目』
藤兵衛が描く酔っぱらいは泥酔状態ではなく、程よく酔っている感じだ。さっぱりとした芸がこの人の特長だ。

二楽『紙切り』
随分痩せた印象だが、健康上に問題はないだろうかと心配になった。この日のお題は「お花見」と「卒業式」。

正朝『野ざらし』
8代目柳枝より3代目柳好に近い演出で、釣り竿を上下に激しく振りながら気持ち良さそうに「さいさい節」を唄う。
妄想で年増の幽霊とイチャイチャして鼻を釣り上げ、針を捨てる所で切っていた。
トリ根多としては物足りなさも感じたが、前方に濃い人が多かったのでこれもアリか。

楽しめた楽日、これにてお開き。

2017/03/08

「僕の東京日記」(2017/3/7)

劇団東演第149回公演『僕の東京日記』
日時:2017年3月7日(火)13時30分
会場:本多劇場
作/永井愛
演出/黒岩亮
<   キャスト   >
原田満男(大学生)/木野雄大
原田淑子(満男の母)/岸並万里子
小淵敏子(春風荘管理人)/腰越夏水
相良静雄(クリーニング屋店員)/能登剛
青木光江(新劇女優)/古田美奈子
ピータン(共同体ピースゲリラのメンバー)/奥山浩
ゲソ(共同体ピースゲリラのメンバー)/大川綾香
ユッケ(共同体ピースゲリラのメンバー)/三枝玲奈(青年座)
ポッキー(共同体ピースゲリラのメンバー)/中花子
井出哲朗(反戦おでん屋)/清川翔三
上村のり子(井出の恋人)/絈野二紗子
新見良弘(公認会計士を目指す男)/星野真広
土橋郁代(スーパーマーケット定員)/世奈(青年座)
福島睦美(井出の仲間)/東さわ子
須藤則夫(井出の仲間)/原野寛之 
鶴岡昭(満男の友人)/小泉隆弘
菊地陽子(満男の友人)/三森伸子

【ストーリー】
1971年の東京は高円寺にある2階建て木造アパートで、賄いつき。
大学生の原田満男は阿佐ヶ谷に実家があるのに、自立したい一心でこの四畳半一間のアパートに下宿し始めた。
満男は学生運動に参加したものの中途半端で投げ出して、自分を見つめ直す中で父母の保護下にいる「お坊ちゃん」生活を脱したかったのだ。新聞配達や皿洗いのアルバイトで自活することを決心する。
一方、満男の母は心配でたまらず、下宿先に来てアパートの住人たちに挨拶をして回る。怒った満男は母親を追い返す。
アパートの住人には猫好きのスーパーの店員や、公認会計士を目指し試験勉強中のサラリーマン。この二人はしょっちゅうもめ事を繰り返す。その女店員に密かに思いを寄せるやくざ風のクリーニング屋店員は、サラリーマンの男と衝突する。この争いに満男も巻き込まれる。
ラブ&ピースのコミューンを目指すヒッピーたちもいて、いずれ宮古島で共同生活を送ることを計画しており、満男にも参加を促す。
もう一組、新左翼の活動家の男女がアパートの近くで「反戦おでん屋」の屋台を出している。井出哲朗と、その同棲相手の上村のり子だ。二人はセクトの活動方針に疑問を感じていて、そうした食い違いからのり子は満男と親しくなってゆく。
そこへセクトの仲間が訪ねてきて、爆弾を所定の場所に届けるよう指示を受ける。任務を遂げればセクトを抜けるのを認めるというのだ。
哲朗は任務の重さや活動への疑問などから急性の胃腸炎を起こす。代りにのり子が持って行くというのを満男が止め、彼自身が届ける羽目になるが、ここは母親が機転を利かし難を逃れる。
自立をを目標にしてきた満男だが、重要な場面では母親の助けを借りねばならなかった。
結局、満男はアパートを引き払い実家に戻る。

芝居の終盤が暗示する登場人物たちの将来だが、満男は会社員になりやがて管理職になってゆく。新左翼の二人はセクトを抜け、政治活動から身を引く。ヒッピーのリーダー格だった男は本職の公務員に戻り、サラリーマンだった男は企業の公認会計士に、女優を目指していた女性はスナックのママに、それぞれが成っていくのだろう。
バリケードとゲバ棒の時代は終わり、セクトもノンポリもヒッピーも各人社会の一員となってゆく。
そんな時代を懐かしく思い出せる舞台は、多数のドアが交互にバタンバタンと開いては閉じ、登場人物たちが入れ替わりながら進行してゆく手法(名称を忘れてしまった)を使ったスラップスティック風な作劇だ。
見ていて面白い。
だが、作者はこの脚本を通して観客に何を訴えたかったのか、最後まで分からなかった。
人物の描き方はさすがだと思ったが、永井愛の作品としては不満の残るものだった。

出演者では下宿の管理人を演じた腰越夏水の演技が光る。
他に猫好きの女性を演じた世奈の怪演が印象に残った。

公演は12日まで。

2017/03/05

国立演芸場3月上席(2017/3/4)

国立演芸場3月上席4日目

前座・春風亭朝七『子ほめ』
<  番組  >
柳家花ん謝『権助提灯』
柳家三語楼『河豚鍋』
花島世津子『奇術』
柳亭燕路『安兵衛狐』
春風亭一朝『三方一両損』
─仲入り─
すず風にゃん子・金魚『漫才』
橘家圓太郎『真田小僧』
柳家小菊『粋曲』
柳家小さん『長屋の花見』

今年初めての国立演芸場。久々の人が何人かいたので、それを楽しみに。

前座の朝七『子ほめ』、落ち着いた高座で語りもしっかりしている。年齢から察すると入門が遅かったようだ。最近の入門者の多くは落研出身だが、もしかして天狗連かと思わせるほどの出来だった。

花ん謝『権助提灯』、こちらも落ち着いた語り口。登場人物の演じ分けも出来ており良かった。天気が荒れているからと旦那を妾の家に行くよう勧めるのも、女房のヤキモチという解釈。後は、女同士の意地の張り合いだ。その情景はしっかりと描かれていた。

三語楼『河豚鍋』、元は上方のネタだが、最近は東京でも度々演じられている。旦那と幇間が鍋を挟んで河豚を押し付け合うという姿は良く描かれていた。ただ河豚を咀嚼する時間が長すぎて、ダレた感がある。煮た河豚の身は柔らかいのであまり噛む必要はないと思うが。

世津子『奇術』、椅子に縛られたまま客の上衣を着るというマジックにはいつも感心する。どういう仕掛けなんだろう。

燕路『安兵衛狐』、上方落語の『天神山』を3代目小さんが東京に移して『墓見』。『安兵衛狐』で演じた志ん生の独壇場だった。
燕路の持ち前のテンポの良さが活きていた。
源兵衛が幽霊を女房にして、「前から夜だけの女房が欲しいとおもってた」というのは実感だろう。アタシも欲しい。

一朝『三方一両損』、十八番のネタ。熊五郎と金太郎の江戸っ子らしい気風と啖呵を聴かせ所にしてスピーディな展開。今日も一朝懸命な高座でした。

圓太郎『真田小僧』、前座噺も圓太郎クラスが演ると断然面白くなる。
あの小僧、きっと将来は噺家になったろう。

小菊『粋曲』、この日はアンコ入り都々逸で、新内を一節。もう、ウットリ♡

小さん『長屋の花見』、偉大な先代の跡を継いだので、どうしても世間の目は厳しくなる。それを割り引いても、感心しない。
先代と比べても致し方ないが、語りが単調なのだ。もっとセリフの抑揚や緩急、声の高低を駆使する必要があると思うのだが。

2017/03/03

三越きらめき寄席(2016/3/2)

三越落語会特別企画「三越きらめき寄席」
日時:2017年3月2日(木)午後6時
会場:三越劇場

前座・笑福亭希光『時うどん』
<  番組  >
桂宮治『蜘蛛駕籠』
柳亭市弥『紙入れ』
神田松之丞『雷電の初土俵』
春風亭柳朝『ねずみ』
~仲入り~
柳亭小痴楽『粗忽長屋』
隅田川馬石『幾代餅』

三越劇場は今年創立90周年を迎えるという事で、特別企画の会を催すようだが、今回もその一つ。
顔ぶれは、
落協の若手真打+芸協の成金+α
という組み合わせ。
以下、寸評。

宮治『蜘蛛駕籠』
そんなにギラギラせんでも、と、ついつい思いたくなる。
押し付けがましいというか、エゲツナイというか、どうもあの芸風は好きになれない。
このネタの多彩な登場人物の演じ分けが不十分で、技術的にはまだ粗い。

市弥『紙入れ』
このネタの最も肝心なのは、お店の女房の造形だ。人妻でありながら、出入りの若い男を咥えこもうというのだから、相当なもんだね。
新吉を誘うときも年増の色気をださなくっちゃいけないが、品が無いと女郎になってしまう。婀娜な年増の色気を出すには、年が若いので無理かな。

松之丞『雷電の初土俵』
いつも冒頭に、従来の講談を演り方の否定から入るのだが、あまり感じもいいもんじゃない。例えば過去の講談は分かりにくかったと切って捨てる。
アタシが小学校低学年で寄席に連れられて行っていた当時、貞山、貞丈、馬琴といった名人上手が健在だったが、講釈はアタシでもよく分かったし面白かった。
だから、過去の講談が難しかったなどと断言するのは間違いだ。
講釈の世界に新風を送ろうという意欲は買うけどね。

柳朝『ねずみ』
この人の最大の特長は佇まいだ。動きが綺麗だし声も良い。
客引きの坊やのいじらしさや、甚五郎の風格も十分に表現されていた。
ねずみ屋の主の独白では、もう少し緩急が欲しいと思った。さすれば観客がもっと感情移入するとのでは。

小痴楽『粗忽長屋』
上手い。マクラで客をつかみ、ネタへの入り方も巧みだ。
粗忽な男と、行き倒れを監視している役人との掛け合いの「間」も良い。
熊が逡巡しながら自分の遺体を確認する姿も良く出来ていた。
全体として、このネタのシュールな感じが伝わっていた。
他の若手とはモノが違う。

馬石『幾代餅』
この日改めて感じたのだが、この人って「フラ」があるね。存在しているだけで、何となく可笑しい。
あまり緩急をつけずサラリと演じたのは、いかにもこの人らしい。
それでも面白さは伝わってきた。

2017/03/02

「見よ、飛行機の高く飛べるを」(2017/3/1)

劇団青年座 第225回公演「見よ、飛行機の高く飛べるを」
日時:2017年3月1日(水)13時30分
会場:練馬文化センター・小ホール
作 =永井愛
演出 =黒岩亮
< キャスト >
光島延ぶ=安藤瞳
杉坂初江=小暮智美
大槻マツ=尾身美詞
山森ちか=黒崎照
小暮婦美=勝島乙江
梅津仰子=橘あんり
石塚セキ=坂寄奈津伎
北川操=田上唯
新庄洋一郎=石母田史朗
安達貞子=遠藤好
菅沼くら=藤夏子
中村英助=井上智之
青田作治=山﨑秀樹
難波泰造=平尾仁
板谷わと=片岡富枝
板谷順吉=久留飛雄己

この芝居のタイトルだが、恐らくは石川啄木の詩「飛行機」の冒頭にある

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

から採ったものと思われる。
啄木の死の前年の明治44年の作品だ。
劇中に出てくるいくつかのキーワードと年代は次の通り。
大逆事件:明治44年死刑執行
青鞜:明治44年発行開始
人形の家:明治44年上演
全てに明治44年が共通している。
そしてこの時代は良妻賢母が女性の道であり、女性には選挙権はなかったばかりでなく、治安警察法では女性の政治活動を禁じていた。
因みに「教育勅語」の発表は明治23年だ。
右翼の連中が教育勅語を有り難がったり、戦前あるいは明治の日本を賛美しているが、少なくとも女性からすれば暗黒の時代だったといえる。

【あらすじ】
そんな時代の岡崎にある岡崎にある女子師範学校には、各地から教師を目指す少女たちが集まっていた。
舞台は学校の寄宿舎で、中央に一階と二階を結ぶ階段があり、右手には学校に通じる廊下、そして左手には談話室がある。芝居は主に談話室の中で進行する。
学校の先生になろうという女性たちだから、当時としては進歩的な考えを持っていただろうし、経済的にも比較的裕福な家庭の女子だったといえる。
この中に国宝と学内で呼ばれるほどの優秀な生徒・光島延ぶがいる。家柄が良いし、美人だし性格は明るいし、しかもお茶目で人を笑わせることが好き。
うん、長い人生の中で一人だけ思い当たる女性がいますね。いま、どうしているかな~って、そんな事はどうでもいいけど。
もう一人、変わった子がいる。新聞を読み、「青鞜」に心を躍らせ、飛行機が飛び立つのを見て新しい時代の息吹を感じるような女子・杉坂初江だ。
二人が知り合い親しくなっていく内に、延ぶは初江の影響をうけ、次第に目覚めてゆく。
「青鞜」を読んだり、進歩的な教師から自然主義派(当時はこれらの作家にも警察の尾行がついていた)の小説を借りて読んだりしていく中で、自分たちの雑誌を作ろうと決意する。
賛同する仲間も次第に増え、自分たちの雑誌「Bird Women」発行に向けて着々と準備が進んでいた。
そんななか、仲間の一人が校内で男性と会った所を見つかり、退学させられる事件が起きる。仲間たちは怒り悲しむ。
延ぶと初江を中心に、抗議のためにストライキを決行しようと計悪を練り、学内の生徒の過半数を超える賛同者が集まる。
しかしストライキ決行を目前に、校長を始めとする学校側の切り崩しにあって、仲間から次々と脱落者が出てくる。
学校側の脅しは、もしストライキに参加したら退学になり、教師も道も閉ざされる。当局はストライキは「主義者」(共産主義者のこと)の仕業とみなしており、警察に捕まるかも知れないというものだった。そうなれば家から勘当されて行き場もなくなってしまう。
彼女たちに同調していた教師も校長の圧力に屈し、この件は国の方針なのだからどうにもならない。あなた方は、そんな少数で国家と闘うつもりかと説得側に回るのだ。
最後は延ぶと初江二人だけになり、ストライキの続行と雑誌の発行を誓い合うが、教師の一人が延ぶにプロポーズすると彼女の決意が揺らぎ、初江を残し去ってゆく。
空を行く飛行機を見上げながら、初江は自分の道を進む決意を固める。

明治の末、女性が人間として自立することに目覚めてゆく女生徒たちの青春グラフィティである。
自分の信念を曲げない初江は、この後きっと婦人解放運動のリーダーになってゆくことだろう。
脱落した生徒たちも、この場では圧力に負けてしまったが、一度身に付いた新しい息吹は決して消えることはないだろうし、この先の人生の中であの時の経験が生きるチャンスがある筈だ。
作者のそうしたメッセージが伝わるから、舞台が明るく感じるのだろう。

永井愛の脚本は相変わらず巧みだ。
例えば、女生徒たちが田山花袋の「布団」を読み合わせしながら、主人公の男が美男かどうか論争する場面では、彼女たちの「性」への好奇心が感じられる。
尊大な校長、それにへつらう教師、生徒たちに同情的だが最後は屈してしまう教師、妻を亡くし密かに生徒に思いを募らせる教師、それぞれにリアリティがある。
森友学園のアナクロな教育が問題になっている今日、改めてこの芝居の価値が高まっていると思う。

一つ、芝居の進行が舞台の下手が中心なので、席が右側だとセリフが聴き取りにくい。特に訛りのある生徒のセリフは何を言ってるのか分からなかった。
この点は工夫が必要だろう。

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