「マリアの首」初日(2017/5/10)
かさなる視点―日本戯曲の力― Vol. 3「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」
日時:2017年5月10日(水)18時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:田中千禾夫
演出:小川絵梨子
< キャスト >
鈴木杏:鹿
伊勢佳世:忍
峯村リエ:静
山野史人:坂本医師/第二の男
谷川昭一朗:次五郎/第四の男
斉藤直樹;桃園/第三の男
亀田佳明:矢張/第五の男
チョウヨンホ:巡査/第一の男
西岡未央:第一の女
岡崎さつき:第二の女
長崎市には一度しか訪れたことがない。それも15年以上前の出張で。
少し時間の余裕ができたので浦上天主堂に立ち寄った。爆心地の象徴ともいうべき場所をどうしても見たかったのだ。
浦上は市の中心部からは少し離れた場所にあり、路面電車と徒歩で向かった。被爆マリア像もその時に見ることができた。
原爆のの惨禍を残すため、被爆の天主堂を保存する運動が起き、当時の市議会もその方向で動いていた。しかし、カトリック司教の意向と、当時の市長がアメリカを刺激したくないという忖度から、遺構は撤去され元の場所に天主堂が再建されることになった。
1953年のことだ。
この芝居は特に時代を特定してはいないが、背景を考えると1953年の出来事と考えるべきだろう。
あらすじは。
時代は、被爆した浦上天主堂を保存するか否かで市議会が議論していた終戦後の長崎。
主人公は3人の女性で、鹿は昼は看護婦、夜はケロイドを隠し娼婦として客を取る。
忍は白血病の夫が書いた詩集と薬を売りながら客引きをして生計を立てている。
静は鹿が働く病院で看護婦として献身的に仕事をしている。
三人は、天主堂保存について一向に埒があかない市議会の状態に失望し、天主堂の中のマリア像の残骸を密かに集めて、自分たちの手でマリア像を保存しようと計画する。
三人の女性を軸にして、原爆で子供たちを失い忍に心を寄せる初老の男や、かつてその忍を強姦したヤクザの親分や、鹿を恋したう入院中の学生や、忍の夫と原水爆禁止運動家との論争など、様々なエピソードが重ねられる。
そして雪が降りだしたある晩、三人の女性と協力者たちが天主堂に集まり、マリアの首を運び出そうとするが・・・。
作者は、三人の女性は一人の女性の分身として描いているようだ。その女性像がマリアを象徴しているのだろう。
劇中の会話は、時に哲学的であり、宗教的であり、正直分かりづらい箇所も少なくない。
劇の構造としては現実と幻想が入り混じった形式になっていて、戸惑うこともある。
特筆すべきは言葉の美しさだ。セリフに詩が溢れている。
神への祈り、自由と平和への希求、そして何より愛。
出演者の熱演もあって、3時間の舞台は間然とする所がない。
公演は28日まで。
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