「70歳」は「従心」
70歳の祝いは通常「古希」とされ、私も数年前に子どもや孫たちから祝って貰った。
「古希」の語源はご存知の通り、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)の
「人生七十古来稀なり」
に由来する。
しかし、杜甫の時代では70歳は古来稀だったんだろうが、平均寿命を考えれば今の時代では70歳に達しない人の方が稀になった。
どうも「古希」は座りが悪いなと以前から思っていた。
月刊誌「図書」2017年5月号の巻頭に、チベット仏教学の今枝由郎氏がこの件に触れて、「七〇歳はまた従心の歳」と書いている。
こちらは孔子の論語、
「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
に由来する。
意味は、「70歳ともなれば、心の欲するままに行動しても、道徳の規範に外れるようなことはない」という様な解釈になると思う。
これは孔子が自分の過去を振り返って書いたとされている。
これに対し今枝氏は、孔子が「七〇歳になっても未だ矩を踰えている自分を認識し、『従心』たらんと志した」と解釈してみたらどうかと記している。
我が身を省みれば、確かにこの解釈の方がピッタリする。
それならもう「古希」を過ぎたなんて考えるんじゃなくて、70歳を過ぎてもなお「従心(じゅうしん)」たらんと努力する方が、なんだか人生前向きに捉えられる様な気がする。
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その心がときどき暴れるのです、だんだん鎮まってきたのは寂しくもありますが。
投稿: 佐平次 | 2017/05/14 12:53
佐平次様
まだまだお互い様、大いに矩を踰えようじゃありませんか。
投稿: ほめ・く | 2017/05/14 14:13