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2017/06/03

花形演芸会スペシャル~受賞者の会~(2017/6/2) 

「花形演芸会スペシャル~受賞者の会~」
平成28年度「花形演芸大賞」の受賞者。
大賞  該当者なし
金賞  笑福亭たま(上方落語)
    三遊亭萬橘(落語)
    蜃気楼龍玉(落語)
    柳家小せん(落語) 
銀賞  江戸家小猫(ものまね)
    坂本頼光(活動写真弁士)
    神田松之丞(講談)
    宮田陽・昇(漫才)
    三笑亭夢丸(落語)

<  番組  >
前座・笑福亭希光『犬の目』
神田松之丞『和田平助』
三笑亭夢丸『のっぺらぼう』
宮田陽・昇『漫才』
柳家小せん『あくび指南』
坂本頼光『上映映画・五作ぢいさん』
三遊亭萬橘『宗論』
  ―仲入り―
平成28年度花形演芸大賞『贈賞式』
 独立行政法人日本芸術文化振興会理事長:茂木七左衞門
 司会:林家正蔵
ゲスト・林家正蔵『寄席の踊り・奴さん』
蜃気楼龍玉『親子酒』
江戸家小猫『ものまね』
笑福亭たま『ちしゃ医者』

国立演芸場恒例の花形演芸大賞、今年度は大賞こそ該当者がいなかったものの、落語以外に物真似や講談、漫才、活弁と幅広いジャンルから受賞者が選ばれた。

松之丞『和田平助』、この人の登場によって新たな講談ファンが増えているそうだ。落語や漫才に比べ人気が低迷していた感のある講釈の世界に新風が吹きこまれているのは喜ばしい。
昔、スケベな奴を和田平助(逆に読むと、スケベイダワ)なんて隠語でからかっていたが、実在の人物にいたんですね。
キザが着物を着ているような風情だが、これが女性ファンには堪らないんだろうね。

夢丸『のっぺらぼう』、当代の柳好が十八番としていてしばしば高座にかけているが、夢丸の高座は明るい芸風のせいかより滑稽味が増していた。大きく長い顔を活かせていたが、もう少しセリフの間に「溜め」が欲しい。

宮田陽・昇『漫才』、久々に見たが面白かった。もしかしたら、いま一番面白い東京の漫才師かも知れない。ボケとツッコミの「間」が絶妙だし、会話に不自然さがない。イギリスのEU離脱のこれからについて、「EUを離脱してdocomoに入る」のギャグは秀逸。

小せん『あくび指南』、こういうユッタリした芸はいいですね。カッタルイ暑い日にはピッタリだ。先生が教えるセリフが1回目と2回目で違っていたのはご愛嬌か。

頼光『上映映画・五作ぢいさん』、映画は太平洋戦争の真っ最中に作られたもので、国民に納税を推奨するストーリー。貧しいので納税を免除された五作ぢいさんが、村長に何とか税金を納めさせて欲しいと涙ながらに頼む。なんともはやクサイ演技で、いま見るとまるで喜劇だ。
頼光の名調子に乗ると、こういう映画でも十分に楽しめる。

萬橘『宗論』、この人の強みは存在自体の面白さ、つまりそこに居るだけで可笑しくなるのだ。どこまで本当なのか嘘なのか、もしかしたら全て嘘かも知れないマクラが楽しい。
ここに出てくるクリスチャンの男、父親を勝手にイボンヌと名付けたり、讃美歌を歌いだすが途中で歌詞を忘れハミングでごまかしたりと、実にいい加減。
もっとも父親の方だって浄土真宗の熱心な信者だと言ってるが、ついこの前までは真言宗だったのだから、似た者親子だ。

『贈賞式』では、恒例となっている茂木理事長の駄洒落、今回は「萬橘で満喫してください」。茂木さんてキッコーマンの出身だったんだ。どうりでショウユモナイ洒落を言うと思った。
受賞者の感想を聞くと、結構本気で賞を取りに行ってるし、受章は嬉しいようだ。先輩や後輩、同期の人の受賞を気にしていることも窺われた。
今年は大賞が該当者なしということだったが、笑福亭たまを大賞にしても良かったのではなかろうか。やはり頭一つ抜けていると思う。
この点だけが今回の審査結果への不満だ。

正蔵『寄席の踊り・奴さん』、時間がないということで踊りだけで下りたが、正蔵がこの日落語をやらなかったは正解!

龍玉『親子酒』、断酒していたのを久々に飲む酒の美味さよ、こういう表現はさすがだ。ただ、この人の滑稽噺は同じネタを何度も見てきた。持ちネタが少ないのだろうか。

小猫『ものまね』、物真似だけの技能を見れば、祖父や父を超えているのでは。トークも段々腕を上げてきた。

たま『ちしゃ医者』
このネタを理解する上で、当時の都会の下肥を無料で汲み取り、これを田舎に持って行って肥料として有料で売って、その差額が汲み取り屋の収入となったいた。農家から野菜を貰うと、汲み取り屋はこれを都会のお得意さんにサービスで渡す。これぞ究極のエコ。
もう一つ、ちしゃと医者の言葉掛け、これは『夏の医者』でもお馴染みですね。
村人が急患だということでヤブ医者を訪れ、村人と医者の下男が医者を駕籠を乗せて患者の元に向かう。処が患者は既に死亡したということで、村人は急いで帰ってしまう。残された医者と下男が困っていると、通りかかった百姓が片棒は私が担ぐと申し出て二人は安心するが、その代りに駕籠の中で肥の入った桶を医者が両腕で抱える始末。駕籠が揺れる度に、桶の肥がチャポンとはねて医者の顔にかかり、医者は閉口する。
百姓は肥を汲むために立ち寄った家の婆さんに、肥を汲むお礼に何を呉れるのかと尋ねられる。「いや。今日は何もない。駕籠に医者がおるだけじゃ。」と返事する。「医者」と「ちしゃ」と聞き間違えた婆さんは、駕籠の中の肥桶に手をつっこんで中身を周庵の顔につけてしまう。怒った医者が婆さんを蹴り倒す騒ぎとなる。倒れ込んだ婆さんに息子が駆け寄り、医者を駕籠から引きずり出して殴りかかる。
「これ、何しゃさんす。痛いがな。」と医者。
「おのれは何さらす!母に足かけくさって!」と怒る息子を医者の下男が
「足でよかった。手にかかったら、命がないで。」でサゲ。
全編これスカトロジーのネタだったが、たまの高座はひたすら明るく嫌味にならず、客席を沸かせていた。

受賞者それぞれが力量を発揮し、充実した会だった。

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コメント

萬橘はどこにでもいるリーマン風の姿ながら、誰かに似てると思っておりましたが、イッセー尾形でした。
とぼけた味わいも、かもしれません。
一門から兼好、萬橘が出たことを泉下の圓楽は喜んでいるかもしれません。
ある意味、先代圓楽は談志以上につっぱったわけですから。

和田平作、ってのも子供の頃言いましたよ。

福様
萬橘は二ツ目時代から注目してきましたが、古典に自分なりの解釈やを加えるなどよく研究しています。圓楽一門の看板になるのは間違いないでしょう。

佐平次様
小学校の同級に和田圭助というのがいて、よくからかわれてましたっけ。

もう、前名“きつつき”から、萬橘で通ってきましたね。
あの一門では、兼好とこの人だけは、お金を払ってでも聴きたいと思わせます。

聴いてはいないので無責任ながら、顔ぶれだけなら、私も笑福亭たまが頭一つ抜けているように思いますが、地の利がない、ということなのでしょうか。

夢丸は、ご指摘の通りで、もう少し“間”や“溜め”が欲しいですね。あのスピート感が長所でもあるのですが、緩急をつけることがでできるようになると、もっと芸の幅も広がるように思います。実力はあるので、数年後の高座に期待します。

小言幸兵衛様
審査員は金賞の全員が大賞だと思って下さいと言い訳してましたが、今年は「たま」だったでしょう。
夢丸はしゃべり急ぎが修正されれば、もう一段上がると思います。
萬橘は飄々とした高座が魅力です。

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