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2017/06/23

カラオケ嫌い

私はカラオケが嫌いだ。
現役の時は、仕事上やむを得ず付き合っていたが、イヤでイヤで仕方なかった。
他人の下手な歌を聴かなくていけないなんて、拷問ですよ。自分の下手な歌を他人に聴かせるのほど、厚かましく出来てない。
飲み会の二次会になると、ほぼ100%近く誰かがカラオケに行こうと言い出し、それに決まる。
趣味は人それぞれなのに、何故かカラオケだけは断りにくい。

家の近くに神社の集会所があり、夜になるとカラオケと思しき声が聞こえてくる。きけば、町内の老人会の集まりだそうで、毎回カラオケ大会になるらしい。
先日、その老人会から勧誘がきた。もちろん、断った。真っ平ご免よ。
あのカラオケを聴くくらいなら、早く死んだ方がマシだもん。

スナックへ行っても、どこもカラオケが備えてあり、そこで他人の歌を延々と聴くことになる。
店側とすれば、水割り作って後は客にマイクさえ持たせておけば接客は全て終了。客と会話しないから、楽ではあるんだろう。
でもさ、本当はああした店っていうのは、ママやホステスと会話するのが身上じゃないのかな。客とまともな会話が出来るかどうかで、彼女たちの値打ちが決まる世界な筈だ。
歌うだけなら、カラオケボックスで十分だ。
もっとも、まともな日本語がしゃべれないのでは、ハナから話にならないけどさ。

カラオケが好きな方を妨げる気は毛頭ないが、どうか他人を巻き込まないで貰いたい。
平にお願い申し上げます。

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2017/06/22

老人だって、恋をするさ

週刊誌で、70歳のTV司会者が20歳以上年下の既婚の女性と付き合っていたことが書かれ、話題になっているようだ。
結構なことじゃないですか。
男性の平均寿命が80歳を超えている時代、70歳なんて未だ未だこれからだ。もっと堂々と付き合えばいい。何なら、代わってあげたいくらいだ。
老人だって、恋をしますよ。
いいなと思う人がいて、一緒に食事したりお酒を飲んだり出来たら、最高だ。
いつもよりちょっとお洒落をしてみたり、相手が若い人なら、予めネットでいま話題のニュースをチェックしたりと。

寄席に行くと落語家が、「笑うと脳が活性化するので、健康にいい」なんて言うが、恋はさらに脳を活性化させるのは間違いない。
トキメキは、全身が活性化する。健康増進にはもってこいだ。
既婚者であることを問題にする向きがあるが、要は家庭を壊したり家族に迷惑がかからなければ良い。パートナーが了解していれば済むことだ。

だから、これからも遠慮せずに恋をしましょうよ、ご同輩!

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2017/06/21

道徳の教科書に安倍首相の写真

Photo_4

上の写真、自民党の宣伝ビラではない。
驚くことに、小学校の道徳の教科書に掲載された写真だ。
最初は、「こういう人に絶対なってはいけない」という写真かと思ったら、そうではない。

文科省が進める道徳の教科化にともない、「特別の教科 道徳」が検定教科書として、小学校では2018年度(平成30年度)から、中学校では2019年度(平成31年度)から導入される。
私が住んでいる区では、小学校用の「特別の教科 道徳」が区役所などで展示され、各出版社の内容比較ができるようになっている。
冒頭に掲げた写真は「教育出版」の道徳教科書(小学校5年生)だが、「下町ボブスレー」の中で、「ポーズを決める安倍首しょう」というタイトルで掲載されている。他にも、東大阪市長の写真も載っている。
この教科書の編集者3人のうち2人が、育鵬社の道徳副読本の編著者であり、意図は明確だ。
教科書の現役の政治家を掲載することは、政党、政治家掲載の公平性にも反する。

ネットでは、日本中を「安倍晋三記念小学校」にするつもりかといった批判の声が多く寄せられている。
私の住む区の教育委員の中には複数の「日本会議」メンバーが含まれており、この様な教科書が採択される可能性があって油断ができない。
現在、各自治体では教科書の展示会を開いていて、自由に意見を投書できるようになっている。
保護者や市民として、積極的に声をあげてゆきたい。

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2017/06/19

小池知事の「築地ブランド」というマヤカシ

以下、6月18日付朝日新聞digitalより引用。

【築地市場(東京都中央区)の移転問題について、小池百合子・東京都知事が同市場を豊洲市場(同江東区)に移転する方針を固め、今週中に「基本方針」を示すことが分かった。移転後も「築地」のブランド力を生かす意向で、跡地活用策などの検討を進める。
小池氏は17日、築地市場業者との会合で「これまで育ててきたこの(築地)ブランドをどう守るか」「(築地市場の)歴史をあっという間に消し去ることなどできない」などと発言。将来にわたり、何らかの形で「築地ブランド」を維持したい考えを示した。
都は豊洲市場運営費の赤字を年92億円と試算しており、小池氏は将来の収支の安定性を重視。小池氏が設けた都の「市場のあり方戦略本部」は今月、移転後に築地の跡地を民間などに貸す案、移転後に跡地を売却する案、築地での再整備案のうち、跡地を貸す案が収支見通しで優れているとする検討結果を小池氏に示した。同本部は跡地を「食文化の発信拠点」とする案なども示しており、小池氏はこれらを参考に、築地ブランドを生かす具体策や収支安定化策を検討する。
小池氏は昨年8月の知事就任直後、豊洲市場の安全性の確認などを理由に、同11月の予定だった移転の延期を表明。豊洲市場では今年1月以降、地下水から環境基準値を上回る濃度で有害物質が検出されている。豊洲市場の安全性をどう確保するかは大きな課題で、同本部は今月、追加の土壌などの汚染対策を提案。小池氏は今後、有害物質の検出状況などの情報を公開しつつ、汚染対策を進め、都民らの理解を得ていきたい考えだ。】

小池都知事が就任以来、見直しをかかげてきた築地市場の移転問題は、結局振り出しに戻ってしまった。
東京オリンピックの費用見直しを含めれば、全ては元の木阿弥だ。
取って付けたような「築地ブランド」の維持は、浅知恵に見えてしまう。
「築地市場あっての築地ブランド」なのであって、市場が移転してゆけばブランドも移転する。
築地残留と豊洲移転を足して2で割ったような政策だが、言葉のマジックにしか見えない。
豊洲の赤字を築地の跡地の貸し出し料で埋めるという試算も、今まで散々体験してきた「捕らぬ狸の」ナントヤラ。

小池百合子が都知事に就任して約10ヶ月経つが、目に付くのはパフォーマンスとメディア操作だ。元々メディア出身だけにこの分野だけは長けている。しかし、それ以外に何か実績があっただろうか、どうも思い出せない。
唯一、都民ファーストの会という政治団体を立ち上げ、自らが代表の座についたことぐらいか。
しかし、直接選挙で選ばれた行政のトップである知事が、自らがコントロールできる政党を作るという行為は、果して民主主義のルールに適合するものだろうか。
都民Fの立ち位置も不明確だ。都議会自民党と戦うといいながら、小池と安倍首相との関係は良好だ。
仮に都議会選挙で自民党として後退しても都民Fが伸びてくれれば、安倍政権としては痛くも痒くもないだろう。
ちょうど、大阪における維新の会と同様だ。

2代続いてお粗末な都知事が続いたため、その反動からか小池人気は高いが、その行き先は視界不良好だ。

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2017/06/17

鈴本演芸場㋅中席・昼(2017/6/16)

鈴本演芸場㋅中席昼の部・6日目

前座・金原亭駒六『元犬』
<  番組  >
春風亭一左『牛ほめ』
ストレート松浦『ジャグリング』
古今亭菊之丞『親子酒』
入船亭扇遊『たらちね』
ホンキートンク『漫才』
林家正蔵『読書の時間』
柳家権太楼『代書屋』
三遊亭小円歌『三味線漫談』
春風亭一朝『蛙茶番』
─仲入り─
花島世津子『曲独楽』
春風亭三朝『小粒』
柳家さん喬『締め込み』
江戸家小猫『ものまね』
春風亭一之輔『唐茄子屋政談』

鈴本演芸場の6月中席・昼の部は一之輔がトリで、権太楼やさん喬といった実力者が顔付けされている。16日は代演休演が少ないこともあって人気が高く、開場20分前に着いた時は長い列ができており、既に入場が始まっていた。
団体客が入っていたこともあって、開演時には既に満員。
ただ、全体的にざわついていて、客層は良いとはいえなかった。
客席から芸人にチャチャを入れる時は、タイミングと節度が必要だ。今日の客の中に、そこを理解してない野暮天がいた。

団体というのは演芸場サイドからみれば有難いのだろうが、その集団だけ周囲から浮いてしまう傾きになる。
個人で来る人はこの日の番組が好きで来たのだが、団体の方からすればたまたまこの日の番組に当たったということになるのだろう。
そうしたズレが生じるから、他の客からはあまり歓迎されない。
芝居にしろ寄席にしろ、他の芸能もそうだが、聴いたり見たりするのは極めて個人的な行為だと思う。一人一人好みも異なるし、自分に合わなければ苦痛でしかない。
と、アタシなんか思ってしまうのだが。

いつもの短い感想を。

一左『牛ほめ』、与太郎が牛をほめる時の誉め言葉「天角地眼一黒直頭耳小歯違」を、叔父の娘に言って泣かせてしまうという場面、必要ないのでは。それと牛がフンを垂れるのを写実的にしゃべるのは、やめて欲しい。噺が汚くなる。
ストレート松浦『ジャグリング』、いつ見てもお見事。新しい技を考案してゆくのは大変だろうね。
菊之丞『親子酒』、先日、龍玉で聴いたばかりのネタでセリフまで一緒だったが、面白さが違う。落語っていうのは話芸ではあるが、そこに演者の愛嬌とか色気とか華とか、そういったモノが加味されて成り立っている。だからいくら語りが上手くったって、それだけでは優れた噺家にはなれない。
菊之丞にあって龍玉に欠けているのは、そこだ。
扇遊『たらちね』、寄席に出る噺家というのは、時には明らかに手を抜くこともあるが、扇遊がそうしたのを見たことがない。浅い出番でも短い時間でも1席きっちりと演じるスタイルは好感が持てる。
正蔵『読書の時間』、こういう軽いネタがニンだ。
権太楼『代書屋』、いつものマクラにいつものネタ。だが、権太楼の顔を見ただけで満足だ。「皆さんの前で、こうして落語が出来るって、こんな幸せなことはない」、いい言葉だ。
小円歌『三味線漫談』、いつも通りのようでいて、立花家橘之助襲名への意気込みを感じた。来年が楽しみになってきた。
一朝『蛙茶番』、得意のバレ噺。この人が演じるとあまり嫌らしくない。戦前、このネタを高座にかけたら警察に呼ばれて絞られた噺家もいたとあるが、そんな時代にはなって欲しくない。

世津子『曲独楽』、元々は手品師だが、こういう芸も持ってるんだ。器用な人は何をやっても器用だね。アタシはその正反対、トホホ!
三朝『小粒』、この人の名、一朝の三番弟子だから三朝なんですかね。いずれ五朝とか十朝とか出てくるのかな。
初めて聴くネタで、背の小さい男が、背が伸びるよう願掛けしたら、翌朝足が掛布団から出ていて喜ぶが、よく見たら布団が横になっていたというサゲ。
新真打ながら数々の受賞歴を持つ人なので、これからの活躍を期待したい。
さん喬『締め込み』、先日の独演会で聴いたばかりだが、この日は半分位に短縮していた。ただ独演会の時に出なかった「ウンか出刃か、ウン出刃か」が入っていたのは嬉しい。
小猫『ものまね』、後から出た一之輔が「あんなこと、親子代々やっていて面白いんですかね。誰か、親父、もうよそうよって、言わなかったのかな」とイジっていた。いやいや、立派な芸ですよ。この人の祖父の猫八が、一度、ものまねをしないで落語を演じたのを聴いたことがあるが、上手いもんだった。こういう芸も基本は話芸なんだね。
一之輔『唐茄子屋政談』、勘当になった若旦那が吾妻橋から身投げするのを叔父に助けられ、唐茄子の棒手ふりをさせられる所から、若旦那が貧しい母子を助け阿漕な大家を殴りつけて、その善行によって勘当が解かれるまでのほぼ全編を演じた。普通に演じれば1時間近くかかるのを約30分で演じたので、途中の細部が省略されていたが、この噺の勘所はしっかりと捉えていた。
難をいえば、叔父さんが若く見えてしまうこと。演者の年齢から致し方ないのかも。
一之輔によれば、若旦那のたった一日の善行だけで勘当を解くのは甘すぎる。まだまだ苦労をさせるために、若旦那は唐茄子売りを続けるという、もう一つの結末を用意していた。
大ネタを短時間にまとめ上げ、客席を沸かせる技量は大したものだ。
鬼才(奇才かな?)の面目躍如。

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2017/06/15

国立演芸場㋅中席(2017/6/14)

国立演芸場㋅中席・4日目

前座・神田桜子『安政三組盃~繁蔵出世~』
<  番組  >
桂翔丸『つる』
鏡味よし乃『太神楽曲芸』
春風亭昇乃進『大安売り』
松乃家扇鶴『音曲』
桂幸丸『幸丸流・新島八重伝』
~仲入り~
プチ☆レディー『奇術』
山遊亭金太郎『ちりとてちん』
新山ひでや・やすこ『漫才』
三笑亭茶楽『三方一両損』

国立の6月中席は芸協の芝居で、その4日目に出向く。仲入り前の出演者は全て初見。
落語協会と落語芸術協会、それぞれに色の違いがある。
先ず、芸協の方は色物を重視している。この日の番組でも9本中4本が色物だ。講釈師が前座をつとめたが、落協では例がないだろう。
落語でいえば、古典派より新作派の方に力を入れていというイメージが強い。
3代目三木助や2代目文朝らが落協への移籍して行ったことから、古典派は芸協では冷遇されていたとの噂も立った。今は会長も副会長も古典派なので、そうした事実はないのだろう。
一方の落協は、文楽、志ん生、圓生という昭和の三名人を出したこともあって、古典の本流というイメージだ。今でも老舗の〇〇落語会などの顔ぶれを見ると、大半が落協所属の人たちだ。
特に5代目小さん門下の噺家は一大勢力で、柳家、柳亭、立川、入船亭と並べると、老舗の落語会では出演者の過半数を占めることも珍しくない。
鈴本演芸場が芸協を出さないということもあって、落協の方が格上という受け止めが強いようだ。
歌舞伎に例えるなら、吉右衛門や菊五郎は落協、猿之助は芸協といった感じかな。ちょっと違うか。

マクラが長くなったが、その分、本題が薄くなっている。
例によって、短い感想を。

翔丸『つる』、未だしゃべりが噺家のものになっていない。
よし乃『太神楽曲芸』、太神楽というと2名なし3名で演じるケースが大半だったが、近ごろの若手はピンで演る人が目立つ。一人でも出来るんだと感心するが、見た目の華やかさに欠けるのが弱点か。
昇乃進『大安売り』、この位置のこのネタは物足りなさを感じてしまった。
扇鶴『音曲』、寄席で男の音曲師って、少なくなりましたね。まったりとした高座で美声を聴かせてくれた。調べたらこの人、千家松人形の弟子だったんだ。人形さん、美人でしたよ~♡
幸丸『幸丸流・新島八重伝』、安倍さんは「ヤジはやめてください」といいながら、野党が質問すると自分がヤジってるとか、加計問題での前川氏の物真似を披露したりと、長めのマクラから本題へ。
福島県の出身なので、福島出身や福島に縁のある人たちの自己流・偉人伝を得意としているようだ。軽妙な語りが持ち味。
金太郎『ちりとてちん』、後から呼んだ熊が、料理をけなしながらも食べる演り方と、酒だけ飲んで料理には手を付けない演り方があるが、金太郎は後者。腐った豆腐に一味と、さらに辣油を加えるというの初めて見たが、台湾土産をいう設定なので中華風にしたのかも。
毎度ながら、手堅い高座。
茶楽『三方一両損』、どこかの企業の会長といっても可笑しくない風貌と、年齢とは思えないほどの若々しい声が特長。
前の師匠である8代目可楽が得意としたネタを演じたが、テンポの良さ、歯切れの良さ(特に大工の熊五郎が大家に向かって啖呵を切る場面)で好演。
奉行もあまり理屈に走らず、おおらかな人物として描かれていた。
熊の大家が二人の喧嘩の際に、「右でいきなり殴るんじゃない、先ず左を出して(ジャブの恰好をして見せる)、それから右を出すんだ」と教える場面が可笑しかった。一方、金太郎の大家も、若い頃は弁当を持って喧嘩を探して歩いたと言っている。
昔の大家は血の気が多かったのか。町役人として荒くれたちを治めるには、その程度の腕力も必要だったのかも。

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2017/06/13

#72人形町らくだ亭(2017/6/12)

第72回「人形町らくだ亭」
日時:2017年6月12日(月)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・柳家小はだ『転失気』
桂三木男『雛鍔』
柳家喬太郎『夢の酒』
五街道雲助『付き馬』
~仲入り~
柳家小満ん『茶碗割』
(前座以外はネタ出し)

三木男『雛鍔』
初めて聴いたときから、3代目三木助の孫である事を売り物にしているようで、嫌な感じだった。それは今でも続いている。馬じゃあるまいし、落語家に血統は関係ない。それも上手いならまだ許せるが、下手ときた。
3代目、4代目のナマの高座に接した者として、「三木助」の名だけは汚さないで欲しい。

喬太郎『夢の酒』
喬太郎がマクラで語っていたように、アタシも女房や家族に言えないような夢を見ることがあり、このネタは結構リアリティがあると思っている。
温泉に一人で浸かっていたら、会社の女子社員が次から次へと湯船に入ってきたなんて夢、妻には言えないわな。「あんたが普段から、そうなって欲しいと思ってるから、そんな夢見るのよ」とお小言を頂戴するに決まってるさ。
喬太郎の高座は、夢の話を語る若旦那に対する女房のリアクションに重点を置いていた。堪えながら聞いていて、瞬間に爆発する表情が良い。
男性を魅惑する際には、女性は顎の使い方が重要だそうで、是非パートナーにお試しあれ。

雲助『付き馬』
意外だが、このネタ、白酒ではなんべんも聴いているのだが、雲助は初。当り前だが、やはり師匠の方が上手い。
雲助の目付きがいい。いかにもツケを踏み倒しそうな男の目だ。湯豆腐で一杯飲ってから勘定を払う時に、店の女店員の尻をさりげなく触る所にも、この男の根性が現れている。
吉原の見世の妓夫(ぎゅう)太郎は、風呂屋の番台みたいな妓夫台の上に座って呼び込みをしていたので、見世の前での男との会話の際は目をやや下に向け、男はやや上目にして話していた。こういう細部も目配りしている。
男による吉原から仲見世に至る道中の解説も、雲助の地の利が活きている。
早桶屋での店主と妓夫太郎のチグハグな会話は、「間」が絶妙だ。店主のいう事をシモネタと解釈して、下卑た笑いを浮かべる所は、いかにも妓夫太郎らしさが表現されていた。
志ん朝亡きあと、このネタは雲助が第一人者といって良いだろう。

小満ん『茶碗割』
初めて聴くネタ。
調べてみたら尾崎紅葉作「茶碗割」という短編小説が元のようだ。紅葉自身も作家仲間を相手にこの作品を講談として語ったとあるので、ストーリーが話芸に適しているのだろう。

あらすじは。
両替商の幼い娘の具合が悪いということで、主人が乳母に命じて医者に診させに行くが、なかなか戻らない。遅く帰ってきたので理由を訊くと、帰りに操り人形芝居を観てきたのだと言う。その時、桟敷席にいた侍夫婦から桟敷席に招かれ、子どもの小遣いとして2分の金を貰ったという。
名前も住所も聞いてなかったというので主は怒り、乳母に命じてその侍を探させるが、偶然に駕籠に乗ったその侍を見つけ、先を急ぐからと言う侍を店の手代の助けを借りて、両替商の家に招きいれる。
主人は先日の礼をいい、下へも置かぬもてなしをすると、侍は四国は松山藩の家臣で、主君の命を受けて茶道具を江戸に求めに来たという。
そこへ茶道具を扱う行商の仲買人が、侍が所望していた茶器を持参して現れる。他に買い手がいるが、今ここで180両を即金で払ってくれるなら茶器を渡すという。侍は、芝の宿に戻れば金は用意できるのだがと渋ると、両替商の主人が180両は自分がここで立て替えると申し出て、侍は喜んで茶器を受け取る。
侍は、茶器を風呂敷で結わえ紫の紐で封印をして、借金のカタとして主人に預ける。直ぐにでも180両を両替商に届け、引き換えに茶器を引き取る約束して侍は帰って行った。それから、待てど暮らせど侍は姿を見せず、芝の宿にも該当する人物がいなかった。
ここで両替商は180両を騙し取られたことを覚る。
実に手の込んだ詐欺に引っかかったのだ。
この件が江戸中で評判になり、そこに目を付けた芝居小屋が狂言にして上演したところ、これが大当たり。
ますます両替商の主人は面目丸つぶれ、奉公人に示しがつかず、店の信用にもかかわってくる。
そこで一計を案じ、手代を呼んで何やら耳打ち。
芝居の幕間に突然、手代が舞台に上がり、自分はいま話題に店の手代であり、騙された問題の偽の茶器はこれだと宣言し、観客の目の前で木箱ごと茶器を叩き割って見せる。
観客は大喜びで、これがまた江戸中で大評判になる。
それから数日後、両替屋の店先に例の侍が現れ、「遅くなったが、預けていた茶器を受け取りにきた」と言って、180両を差し出す。
金を受け取った主人はにっこり笑い、預かった紫紐の封印付の茶器を差し出す。
驚く侍、今度は自分の方が一杯食わされたのだ。
主人が侍に、「大切な茶碗です、落として割らないように」。
侍が「割りに合わんなぁ」で、サゲ。

小満んは、余計な修飾や過剰な表現を避け、飄々とした高座でこの物語の面白さを十分に引き出していた。
今のところ小満んしか演じてないようだが、裏を返せば小満ん位の力量がないと高座にはかけられないのだろう。

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2017/06/08

国立演芸場㋅上席(2017/6/7)

国立演芸場㋅上席7日目

前座・春風亭朝太郎『たらちね』
<  番組  >
春風亭朝之助『寄合酒』
春風亭柳朝『紙入れ』
マギー隆司『奇術』
隅田川馬石『堀の内』
夢月亭清麿『時の過ぎ行くままに』
─仲入り─
宝井琴調『鋳掛や松』
林家彦いち『権助魚』
鏡味仙三郎社中『太神楽』
柳家小里ん『木乃伊取り』

近ごろは落語ブームとやらで、寄席は平日の昼の部でもけっこう入りが良いようだが、ここ国立演芸場はどうやら埒外らしく、この日も3分の1程度の入りだった。
ユッタリ、ノンビリ、ボーっとしたい時は、平日のここ国立演芸場がお薦めです。後ろから2番目の席だと360度周囲に人がいないので、快適だった。欠点は快適過ぎて眠くなること。油断してるといつの間にか睡眠状態に陥ってる。
上席のトリは本来は一朝なので、前方には一門の若手が並ぶ。

朝太郎『たらちね』、師匠の前名を貰ったということは期待されているんだろろう。達者な前座だ。
朝之助『寄合酒』、早口になると聴き取りづらいことがあるので、要注意。
柳朝『紙入れ』、この人らしい色っぽい仕草を活かした高座だったが、時々素っ頓狂な声を上げるのはどうだろうか。
馬石『堀の内』、とぼけた味わいがこの人の特長だが、このネタとは語りのリズムが合っていない気がした。このネタを十八番としていた4代目圓遊の様にトントントンと調子よく語るネタだと思う。
清麿『時の過ぎ行くままに』、楽しみにしていたのだが、渋谷から横浜までの路線をどうするとか、ハードボイルドが・・・といった辺りで睡眠状態になってしまった。ちょっと退屈したこともある。
この人の師匠である5代目柳家つばめの高座を見たことがあるが、当時の落語家には珍しいインテリ臭があったと記憶している。そう言えば、この人も学校の先生みたいな風貌だ。
琴調『鋳掛や松』、商家に奉公に出された松五郎があまりに才気走り過ぎているからと店から暇を出され、父親の家業である鋳掛屋を継ぐが、世の中の貧富の不条理さを感じて悪事に向かうまで。
講談はやはりアウトローものが面白い。
彦いち『権助魚』、この日一番客席を沸かしていた。純朴なようでしたたかな権助の描き方が良く出来ていた。
小里ん『木乃伊取り』、小里んは何を演らせても上手い。地味な印象で損をしている感があるが、語りの確かさや人物描写の巧みさは一級品。このネタでもその手腕がいかんなく発揮されていた。

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2017/06/06

柳家さん喬「大人の落語」刊行記念落語会(2017/6/5)

「柳家さん喬『大人の落語』刊行記念落語会」
日時:2017年6月5日(月)19時
会場:深川江戸資料館
<  番組  >
柳家さん若『のめる』
柳家さん喬『締め込み』
『トーク』さん喬、ナビゲーター:亀山早苗
~仲入り~
柳家さん喬『雪の瀬川』

さん喬が初めて「大人の落語」という本を出版して、その記念落語会があった。タイトルの「大人」とは、男女関係を描いたネタを中心にして作品解説を行っている所から来たものだろう。
入り口で参加者全員に新刊が配られたが、本の見返しにさん喬本人による自筆のサインがあった。こういう所がいかにもこの人らしい。
「はじめに」の所で、さん喬は「芸論」を語るのが嫌いだと書いている。この点はアタシも同感で、芸人は自らの芸を通して観客に芸論を伝えるべきであって、芸論そのものを書いたり語ったりするのは筋違いだ。
だいたい、芸論を書く芸人にロクなのはいない。

巻末に「さん喬ひとり語り」という章があり、そこで弟子の喬太郎について触れているのでその一部を紹介しよう。
【ただ、喬太郎が二つ目になった頃からですかね、オレはこいつを一人前にしなかったら大変なことになると思いました。人間として、噺家としてのことはいろいろいうべきだろうけど、落語に関してはとにかく自由にしてやろう、好きなようにさせようと決めました。そうでなかったら、何十年にひとりというこの逸材を潰してしまうことになる。そんなことになったら、宝物を海に捨てるも同然ですからね。
(中略)
喬太郎は殻に閉じ込めたら絶対いい噺家にはなりません。私にとっても刺激になりますね。いつもこいつに負けるもんかと気持ちになれる。今だから本音をいえば、若い時は弟子の喬太郎に嫉妬していたところがあったと思う。それでも「オレは師匠なんだ」という気持ちが自分を支えていたのかもしれませんね。
私自身も若かったから、精神的にも経済的にも余裕がなくて、喬太郎については充分なことをしてやれなかったんじゃないかと今でも思うんですよ。例えば5番目の弟子が二つ目になったころ、袴を買ってやって、「あれ、喬太郎にはどうしたかな」と。だからときどき彼に聞きますよ。「オレ。おまえにこういうことした?」って。「していただきました」と言われるとほっとしますね。】
この一文を見ても、さん喬の人柄が分かる。
喬太郎はいい師匠に仕えた。

さん若『のめる』
久々だったが、上手くなった。口調が明解だし、自分の型を持ちつつあるような気がする。
来年には真打になるだろうが、もうその資格は備えている。

さん喬『締め込み』
さん喬といえば長講、人情噺というイメージが強いが、アタシはこの人の軽い滑稽噺の方が好みだ。
泥棒が忍び込んで荷物を風呂敷に包んだまでは良かったが、亭主が戻ってきて慌てて床下に潜り込む。この時に糠みそ桶の匂いが強く、「ここのかみさん、あんまり糠味噌をかき回さないな」というセリフがあるが、これは大事だ。
この女房はいわゆる糠味噌臭いタイプじゃないのだろう。だから風呂敷包みを見た亭主が、きっと他の男と浮気して駆け落ちするんだと邪推したのだ。
夫婦喧嘩のとばっちりで、煮え湯を浴びて飛び出してきた泥棒がとっさに仲裁に入ったまでは良かったが、自分が風呂敷包みをこしらえたと言いにくそうに説明しだす所が上手い。
珍しくサゲまで演じたが、好みを言わせて貰えば、亭主がお福を口説く時に出刃包丁を突きつけて「ウンか、出刃か、ウン出刃か」と迫ったというエピソードは入れて欲しかった。この亭主の乱暴で一途な性格がこの一言で表現されているからだ。

「トーク」コーナーは、本来は新刊のPRが主目的だったんだろうが、ナビゲーターを務めた書籍の編集者はあまり強くは推奨しない感じで、むしろさん喬の方がフォローしていた。
今年は入門して50周年、著書の初出版、紫綬褒章の受賞が重なった年だったが、今までで一番嬉しかったのは2014年の「国際交流基金賞」 受賞だと。確かにこの賞の過去の受章者の中では落語家は極めて稀だ。
「さん喬さんにとって落語とは?」という問いに、「生活の糧です」はご名答。

さん喬『雪の瀬川』
特に断ってはいなかったが、内容からすると『雪の瀬川(下)』ということになろう。
吉原の花魁・松葉屋瀬川に入れ込んで800両という大金を使い込み勘当された若旦那が、永代橋から川に飛び込もうと迷っている所に、以前は店の奉公人で今は紙屑屋をやっている忠蔵と云う者に出会って、忠蔵の家へ居候する事になった。
若旦那は一月ほど忠蔵の家へ厄介になっていたが、忠蔵の生活も貧しさに見かねて、瀬川宛に手紙を書く。忠蔵が直接瀬川に手紙を届ける事はできないので、幇間の揚場町の吾朝に手配してもらう。若旦那の身の上を心配していた瀬川は手紙を読んで泣き崩れる。
やがて瀬川から忠蔵へは20両という金と、若旦那には手紙の返事が届く。その手紙には、若旦那の元へ雨の日に会いに行くと書いてあった。
吉原の花魁が雨の日に会いに来ると云うのは、廓を抜け出すという事で、命がけだ。来ることはないと断言する忠蔵だが、若旦那は信じていた。
正月も明けて半ばごろ、朝から降り出した雪が積もった八つ(午前二時)頃に、一丁の駕籠が忠蔵の家の前へ止まり、中から侍のなりに変装して出てきたのは、瀬川だった。
二人は再開の喜びに震え固く抱き合う。
その後色々な経緯があって、二人は目出度く夫婦になる。
さん喬は情感溢れる静謐な語りで、それぞれの登場人物の心の動きを丁寧に描いて好演。
以前にも同じネタを聞いたことがあるが、この日は明らかに気合が入っていた。

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2017/06/03

花形演芸会スペシャル~受賞者の会~(2017/6/2) 

「花形演芸会スペシャル~受賞者の会~」
平成28年度「花形演芸大賞」の受賞者。
大賞  該当者なし
金賞  笑福亭たま(上方落語)
    三遊亭萬橘(落語)
    蜃気楼龍玉(落語)
    柳家小せん(落語) 
銀賞  江戸家小猫(ものまね)
    坂本頼光(活動写真弁士)
    神田松之丞(講談)
    宮田陽・昇(漫才)
    三笑亭夢丸(落語)

<  番組  >
前座・笑福亭希光『犬の目』
神田松之丞『和田平助』
三笑亭夢丸『のっぺらぼう』
宮田陽・昇『漫才』
柳家小せん『あくび指南』
坂本頼光『上映映画・五作ぢいさん』
三遊亭萬橘『宗論』
  ―仲入り―
平成28年度花形演芸大賞『贈賞式』
 独立行政法人日本芸術文化振興会理事長:茂木七左衞門
 司会:林家正蔵
ゲスト・林家正蔵『寄席の踊り・奴さん』
蜃気楼龍玉『親子酒』
江戸家小猫『ものまね』
笑福亭たま『ちしゃ医者』

国立演芸場恒例の花形演芸大賞、今年度は大賞こそ該当者がいなかったものの、落語以外に物真似や講談、漫才、活弁と幅広いジャンルから受賞者が選ばれた。

松之丞『和田平助』、この人の登場によって新たな講談ファンが増えているそうだ。落語や漫才に比べ人気が低迷していた感のある講釈の世界に新風が吹きこまれているのは喜ばしい。
昔、スケベな奴を和田平助(逆に読むと、スケベイダワ)なんて隠語でからかっていたが、実在の人物にいたんですね。
キザが着物を着ているような風情だが、これが女性ファンには堪らないんだろうね。

夢丸『のっぺらぼう』、当代の柳好が十八番としていてしばしば高座にかけているが、夢丸の高座は明るい芸風のせいかより滑稽味が増していた。大きく長い顔を活かせていたが、もう少しセリフの間に「溜め」が欲しい。

宮田陽・昇『漫才』、久々に見たが面白かった。もしかしたら、いま一番面白い東京の漫才師かも知れない。ボケとツッコミの「間」が絶妙だし、会話に不自然さがない。イギリスのEU離脱のこれからについて、「EUを離脱してdocomoに入る」のギャグは秀逸。

小せん『あくび指南』、こういうユッタリした芸はいいですね。カッタルイ暑い日にはピッタリだ。先生が教えるセリフが1回目と2回目で違っていたのはご愛嬌か。

頼光『上映映画・五作ぢいさん』、映画は太平洋戦争の真っ最中に作られたもので、国民に納税を推奨するストーリー。貧しいので納税を免除された五作ぢいさんが、村長に何とか税金を納めさせて欲しいと涙ながらに頼む。なんともはやクサイ演技で、いま見るとまるで喜劇だ。
頼光の名調子に乗ると、こういう映画でも十分に楽しめる。

萬橘『宗論』、この人の強みは存在自体の面白さ、つまりそこに居るだけで可笑しくなるのだ。どこまで本当なのか嘘なのか、もしかしたら全て嘘かも知れないマクラが楽しい。
ここに出てくるクリスチャンの男、父親を勝手にイボンヌと名付けたり、讃美歌を歌いだすが途中で歌詞を忘れハミングでごまかしたりと、実にいい加減。
もっとも父親の方だって浄土真宗の熱心な信者だと言ってるが、ついこの前までは真言宗だったのだから、似た者親子だ。

『贈賞式』では、恒例となっている茂木理事長の駄洒落、今回は「萬橘で満喫してください」。茂木さんてキッコーマンの出身だったんだ。どうりでショウユモナイ洒落を言うと思った。
受賞者の感想を聞くと、結構本気で賞を取りに行ってるし、受章は嬉しいようだ。先輩や後輩、同期の人の受賞を気にしていることも窺われた。
今年は大賞が該当者なしということだったが、笑福亭たまを大賞にしても良かったのではなかろうか。やはり頭一つ抜けていると思う。
この点だけが今回の審査結果への不満だ。

正蔵『寄席の踊り・奴さん』、時間がないということで踊りだけで下りたが、正蔵がこの日落語をやらなかったは正解!

龍玉『親子酒』、断酒していたのを久々に飲む酒の美味さよ、こういう表現はさすがだ。ただ、この人の滑稽噺は同じネタを何度も見てきた。持ちネタが少ないのだろうか。

小猫『ものまね』、物真似だけの技能を見れば、祖父や父を超えているのでは。トークも段々腕を上げてきた。

たま『ちしゃ医者』
このネタを理解する上で、当時の都会の下肥を無料で汲み取り、これを田舎に持って行って肥料として有料で売って、その差額が汲み取り屋の収入となったいた。農家から野菜を貰うと、汲み取り屋はこれを都会のお得意さんにサービスで渡す。これぞ究極のエコ。
もう一つ、ちしゃと医者の言葉掛け、これは『夏の医者』でもお馴染みですね。
村人が急患だということでヤブ医者を訪れ、村人と医者の下男が医者を駕籠を乗せて患者の元に向かう。処が患者は既に死亡したということで、村人は急いで帰ってしまう。残された医者と下男が困っていると、通りかかった百姓が片棒は私が担ぐと申し出て二人は安心するが、その代りに駕籠の中で肥の入った桶を医者が両腕で抱える始末。駕籠が揺れる度に、桶の肥がチャポンとはねて医者の顔にかかり、医者は閉口する。
百姓は肥を汲むために立ち寄った家の婆さんに、肥を汲むお礼に何を呉れるのかと尋ねられる。「いや。今日は何もない。駕籠に医者がおるだけじゃ。」と返事する。「医者」と「ちしゃ」と聞き間違えた婆さんは、駕籠の中の肥桶に手をつっこんで中身を周庵の顔につけてしまう。怒った医者が婆さんを蹴り倒す騒ぎとなる。倒れ込んだ婆さんに息子が駆け寄り、医者を駕籠から引きずり出して殴りかかる。
「これ、何しゃさんす。痛いがな。」と医者。
「おのれは何さらす!母に足かけくさって!」と怒る息子を医者の下男が
「足でよかった。手にかかったら、命がないで。」でサゲ。
全編これスカトロジーのネタだったが、たまの高座はひたすら明るく嫌味にならず、客席を沸かせていた。

受賞者それぞれが力量を発揮し、充実した会だった。

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2017/06/02

「清涼寺」の僧侶にレッドカード!

5月下旬に京都と奈良の寺社のいくつかを巡ってきた。連れがあまり長時間歩けないので、1日に4時間以内の行動と決め、今回はメインの観光コースから外れたところや、久々に訪れるところを中心に観光した。
市内バスの路線図と大まかな地図を片手にしての観光だったので、一つの寺社の観光を終えると、次に行く寺社までの道のりや交通機関を訪ねながらの移動だったが、どこの寺社でも丁寧に教えて貰い有り難かった。

ただ、最終日の最後に訪問した京都「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」の窓口だけは最悪だった。
この寺は拝観料を支払うと直ぐに本堂がある。本尊である三国伝来の釈迦像を参拝したあと、この寺には通常置かれているような「拝観順路」の標識が見当たらない。
そこで入口に戻り、受付の若い僧侶に拝観の順路をたずめたところ、いきなり
「お金払いました?」
と訊かれた。
こちらとしては今入ったばかりだし、私たち以外の拝観者は2組だけだ。それを、金を払ったかとは何と失礼な言い方だろう。
チケットを見せながら
「払いましたよ、拝観の順路はどうすれば良いですか?」
と訊くと、今度は
「自由に見てください」
と言うのだ。
その自由な見方が分からないから訊いているのだが。
ラチがあかないので、案内図を見ながら庭園や阿弥陀堂などを見学した。
一通り見て回り、ここが最後だったので受付の僧侶に京都駅行きのバス停をたずねたら、
「自分で探してください」
ときた。
さすがにムッとしたが、こんな人間を相手にしても仕方ないので、寺の周囲を歩きバス停を探した。
そうしたら、門を出て200m位の所に「嵯峨釈迦堂前」というバス停があるではないか。
改めて、この「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」の受付の僧侶の不親切さに腹が立った。

この寺の僧侶は一体どんな修業をしているんだろう。
住職はどんな指導をしているのだろうか。
仏教の僧として失格である。
京都・奈良観光も、最後の最後で後味が悪かった。

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