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2017/09/30

民進党から希望の党への持参金

以下、「YOMIURI ONLINE」9月30日付の記事より引用。

【希望の党の小池代表(東京都知事)が、民進党からの入党希望者に提示する条件案が29日、わかった。
集団的自衛権の行使を限定的に認める安全保障関連法の容認や消費増税凍結への賛成などに加え、民進党から支給された政党交付金の提供も求める方針だ。
(中略)
提供された政党交付金は選挙資金に充てる方向だ。

つまり民進党から希望の党に入党する際には、持参金を持って出ることが条件とされている。
そして、その資金は希望の党の選挙資金になるというものだ。

政党交付金は政党助成制度に基き公布されるが、その「政党助成制度」について総務省のHPには以下の様に示されている。

【政党助成制度は、国が政党に対し政党交付金による助成を行うことにより、政党の政治活動の健全な発達の促進及びその公明と公正の確保を図り、もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的とした制度です。】

つまり政党交付金というのは国から政党に対して支給するものであって、議員個人に支給するものではない。
民進党が解党したのなら、交付金の残金は直ちに国庫へ返納するのが筋だろう。
YOMIURIの記事が正しいなら、移籍する議員をトンネルにして民進党から希望の党に渡ることになり、「公明と公正の確保を図り」という政党助成制度の精神に反する。
こうした資金移動は違法ではないらしいが、法律に違反しなければ何をしても良いというなら、安倍晋三と同類である。

こうした不透明な資金移動が行われぬよう、私たち納税者は監視の目を強めねばなるまい。

2017/09/29

小池ニハマッテ サア大変

民進コロコロ 転ガッテ
小池ニハマッテ サア大変
自民ガ出テキテ 今日ハ
維新モ一緒ニ 治メマショ
(「どんぐりころころ」)

希望の党から衆院に立候補予定の元文科相・中山成彬は、28日のツィッターに
「安倍首相の交代は許されない」
と投稿している。
(「産経ニュース」の記事より)
希望の党は、まあそういう党だってことだ。

2017/09/28

「希望の党」と言うもう一つの「自民党」

選挙に出る度に所属政党を変えて「政界渡り鳥」の異名を持っていた小池百合子、しばらく自民党に納まっていたが、党籍を残したまま都知事に立候補して「都民ファーストの会」を作り、都知事に当選するや今度は国政政党「希望の党」を作った。
政治家としてこれといった実績は思い出せないが、機をみるに敏であることと、マスコミ操作が巧みなことだけで、小池百合子は今日の地位を築いたと言っても過言でなかろう。

今回もこうした才能を最大限に生かして、あっという間に政治舞台の寵児に自分を仕立て上げてしまった。
当初は、他の政党で今回の総選挙に落選しそうなメンバーばかりが集まり、まるで「選挙避難民の会」の様相を呈していたが、ここへきて何をトチ狂ったのか民進党が勝手に解党し希望の党に合流することを決めたようだ。
もっとも合流というのは民進党が勝手に思っているだけで、小池百合子側は個人面接で篩いにかけて選別すると言っている。
どっちの言い分が本当なのかは分からないが、腰砕けの前原誠司と手練手管に長けた遣り手とでは、最初から勝負になるまい。

その希望側の選別基準というのは憲法と安保政策だと公表している。つまり改憲と安保法支持の二つだ。
こう書くと、それじゃ安倍政権と変わらないじゃないかと思われるだろうが、その通りだ。
元々小池百合子の政治理念は安倍晋三に近い。
そして象徴的だったのは、安倍の永年の盟友の中山恭子が希望の党に加わったことだ。
脱原発だの情報公開だのと言っているが、所詮は付け焼刃。
立ち上げたばかりの都民ファーストの会の代表がコロコロ変わり、その過程は所属する議員でさえ公開されていない。
自分に都合のいいことだけ公開するという姿勢は、既に築地市場移転問題でも明らかだ。

選挙中は、おそらく反安倍政権を喧伝するだろうが、実はこれといった対決軸がないのだ。
今回も新党ブームが起きて(有権者もいい加減に目を覚ましたらどうか)、希望の党からはかなりの当選者が出るだろう。しかし、単独で過半数を獲得するのは到底無理だ。
一方、自民党はその影響を受けて議席を減らすだろうが、衆院の第一党は確保するだろう。
仮に、自民党が過半数を割り込むことになれば、自民・希望の連立政権が最も現実的だ。だって基本政策に違いがないことは、自民党の幹部が言っているではないか。その際には、何かと邪魔な公明党を閣外に出せる。
まさかそんな事は、と思う方もいるかも知れないが、かつての自民・社会連立政権よりよほど納まりがいい。
かくして、維新の党を加えた衆院の圧倒的多数が「改憲勢力」となる。
安倍晋三の永年の夢である憲法改正が、現実的な日程にのぼることになるわけだ。

小池百合子は、希望の出現で政権選択が拡がると語っていたが、むしろ狭まったと考えるべきだ。
今日の民進党の議員総会で、前原誠司が「名を捨てて実をとる」と言っていた。
フタを開けたら、実は安倍晋三の方こそが「名を捨てて実をとる」になることを憂慮している。

ここで狂句を一句、
女狐に絡め取られて貰い水
お粗末さまでした。

2017/09/27

落語協会真打昇進披露興行「古今亭志ん五」in鈴本(2017/9/26)

鈴本演芸場9月下席夜の部「真打昇進披露興行」・6日目
<  番組  >
三遊亭伊織『大安売り』
松旭斉美智・美登『奇術』
鈴々舎馬るこ『東北の宿(温泉旅館?)』
古今亭志ん輔『替り目』
ホームラン『漫才』
古今亭志ん橋『不精床』
鈴々舎馬風『漫談』
林家二楽『紙切り』お題は「出目金」「古今亭志ん五(先代と当代)」
三遊亭金馬『孝行糖』
─仲入り─
『披露口上』下手より司会の志ん輔、権太楼、金馬、志ん五、志ん橋、馬風、市馬
ストレート松浦『ジャグリング』
柳亭市馬『蝦蟇の油』
柳家権太楼『代書屋』
柳家小菊『粋曲』
志ん八改メ
二代目・古今亭志ん五『子は鎹(子別れ・下)』

寄席に出る芸人の中で嫌いな芸人というのが何人(組)かいる。顔づけにその名前を見ると、行くのをやめることもある。
この日でいうと「松旭斉美智・美登」だ。
あの高座からキャンディを客席に投げる(ラケットで打つ)というのが嫌なのだ。「捕ってよ」とか「落ちたら拾ってよ」なんて言われると、
乞食じゃねぇや!
と言い返したくなる。眼にでも当たったらケガする心配だってあるのに。
別に菓子だけではなく他の品物でも、高座や舞台から客にモノを投げ入れることに不快感があるのだ。
子どもの時から他人から品物を貰うのが嫌いだった。それは今でも変わらない。
「サービス・マジック」を楽しみにしている方もいるだろうが、こればかりは個人の好嫌の問題なので仕方ない。

これと反対なのが、小菊姐さん。
「もー、どうしましょー。ねぇ、フフ。」なんてやられると、ゾクゾクしてくる。
この身を捧げてもいいという気分になるが、向こうは「要らない!」って言うだろうね。
この日は代演だったが、小菊姐さんの唄が聴けただけでシアワセ。

漫才のホームランが相変わらず好調。このコンビ、ネタ合わせせずに全てアドリブではないかと思わせる芸だ。

馬るこ『東北の宿(温泉旅館?)』、どちらのタイトルだか分からないので、両方書いた。
筋は、三遊亭白鳥の「マキシム・ド・のん兵衛」の温泉旅館版といった所。女性客には、この日一番受けていた。

金馬が先代の十八番であり、亡くなった志ん五の持ちネタでもあった『孝行糖』を掛けてくれたのは嬉しい。
『披露口上』で、権太楼がこういう顔ぶれで祝福して貰えるのは幸せだと言っていたが、その通り。師匠と司会者以外は皆古今亭一門以外の人ばかりだ。新真打への期待とともに先代を弔う言葉もあり、良い披露口上だったと思う。

それ以外は、毎度お馴染みなので、もういいでしょ。

さて、志ん五『子は鎹(子別れ・下)』
今秋の真打昇進は3人で、いずれも何度か高座に接しているが、やはりこの人が一番期待度が高いので、この日に来ることにした。
先日、久しぶりに志ん五(当時は志ん八)の高座を聴いた、上手くなったなぁと思ったが、この日の高座も同じ感想を持った。
先ず、セリフの一つ一つ、仕草の一つ一つが丁寧だ。これはとても大切なことだ。
一緒に木場に向かう場面で、番頭が「また元の鞘に納まる気はないかね?」と問うた時の、熊の寂しげな中にはにかんだ様な表情を浮かべる所が良かった。
熊が倅の亀吉に3年ぶりに再会する場面では、亀吉の弾けるような表情も良かった。その笑顔を見て熊もきっと縁りを戻す気になったに違いない。
亀吉が父親の熊に会ったと聞いた時の母親の驚きと、その直ぐ後の期待感が表情に現れていた。彼女は心から熊が好きだったんだ。再婚する気になったのも母子家庭の辛さから逃れるというよりは、熊への愛情が決意させたのだろう。こうして見ていくと、この噺は親子の愛情の物語の様に見えるが、実は男女の機微を描いたものだと思う。
熊と亀が鰻屋の二階で食事しているのを、母親が階段の下から何度も逡巡しながら見上げる仕草を繰り返す場面も良く出来ていた。
これで親子3人、また仲良く暮らせると確信し、心から拍手を送りたくなった。
新真打のお披露目に相応しい立派な高座だった。
結構でした。

2017/09/25

桂米朝一門会(2017/9/24)

「上方落語会~桂米朝一門会~」   
日時:2017年9月24日(日)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >                    
桂小鯛『時うどん』        
桂歌之助『佐々木政談』
桂米團治『親子茶屋』        
  ―中入り―                     
桂吉弥『狐芝居』        
桂南光『火焔太鼓』

2日続けての国立、この日は上方落語会、米朝一門会。

歌之助『佐々木政談』
初見。東京でもしばしば演じられるが、民話の原話を3代目松鶴が創作したもので、元は上方落語。
もっとも主人公の佐々木信濃守は大阪と東京両方の町奉行を務めていたので、東西どちらでも成り立つ噺ではある。
筋は東京と同じだが、四郎吉が桶屋の倅という設定になっていて、これに因んだサゲがつくこと。
もう一つは、奉行の佐々木信濃守が与力たちの収賄横行に対し、四郎吉の裁きを利用してこれを咎めたという解釈になっていること。
単なる出世物語にしていない点が上方版の特長といえる。
歌之助の高座は、四郎吉の小賢しさがよく表現されていた。

米團治『親子茶屋』 
例によって偉大な父親を持った2代目の苦労を自虐的に語るマクラを振って本題へ。
この噺の難しさは船場の大店の主人で、一見真面目そうだが実は大変な遊び人という人物を描けるかだ。
これは米朝ぐらいにならないと、表現できないのかも知れない。茶屋遊び、女遊びの経験が身についていないと、無理なのかも。
以前に見た吉坊、そしてこの日の米團治の高座を見て、このネタには演者の年季や風格が要るのだと、改めて感じた。

吉弥『狐芝居』
このネタも前日に吉坊で見たばかりで、比較するにはもってこいだ。
感想を言うと、語りの確かさ、忠臣蔵四段目の忠実な再現という点では、吉坊に軍配があがる。
ただ、前の『親子茶屋』と同様に、こうした上方落語というのは芸に艶が求められると思う。 演者の色気や愛嬌だ。
こうした点、やはり吉弥に一日の長がある。       
落語に限らず全ての芸能について言えることだが、ライブでしか分からぬことが多い。音声や映像だけでは評価は下せないのだ。 

南光『火焔太鼓』
古今亭のお家芸ともいうべきネタの上方版、というより南光版か。
道具屋の主はかつてこの店の奉公人で、先代の娘に婿入りして後を継いだが、商売が一向に振るわず嫁さんに頭が上がらないという設定だ。
太鼓は木の枠に納められていて、その木枠に火焔の細工がされていることから火焔太鼓とよばれる事が、後からの説明で明らかにされる。
太鼓はかなり大きなもので、荷車に乗せて運ぶという点も東京とは異なる。
太鼓を買い上げるのは大名ではなく、大阪の大商人である住友の主人だ。     
太鼓の仕入れ値が1分で、売値が300両は東京と同じ。
300両を道具屋の主に払う際は、小判25両の包(切り餅)を2つセットにして50両ずつ渡すのは芸が細かい。
いくつかの差異はあるものの、大筋は東京のオリジナル通り。
サゲは付けずに、「夫婦仲良う繁昌したという、おめでたい話」でエンディング。
違いは、道具屋の主と女房との会話に笑いの要素が多く、いかにも南光らしい爆笑版になっていることだ。
マクラで、南光自身の夫婦のエピソードを語るが、これが本編への導入になってる所が巧みだ。

200万アクセスに

画面右側のアクセス数カウンターを見たら、今日で200万を超えていました。
プロバイダーによってカウントの仕方も違うし、広告掲載をしていないので収入にはつながらない。
だからどうって事もないんですが、長い間続けてきた結果だという事ぐらいですか。

毎回、大した事も書いてないので、お暇があったらお立ち寄りください。

管理人敬白

2017/09/24

9月花形演芸会(2017/9/23)

第460回「花形演芸会」
日時:2017年9月23日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家小多け『たらちね』
三遊亭小笑『悋気の独楽』
ヤーレンズ『漫才』
昔昔亭桃之助『お絵かき教室』
古今亭文菊『棒鱈』
  ―  仲入り  ―
ゲスト・古今亭菊之丞『酢豆腐』
江戸家小猫『ものまね』
桂吉坊『狐芝居』

この会、チケットを取り損なって諦めかけていたが、3日ほど前にチェックしたら良い席が1席空いていた、僥倖。こんな事もあるんだ。

小多け『たらちね』
最近、前座というと必ずこの人に当たる。
二ツ目が近いようだが、それだけのの力は備わってきている。

小笑『悋気の独楽』
正妻がやたら怖くて、これじゃ旦那は本宅に寄り付かないわな。
旦那が出かける口実に寄席に行くとしていたが、それじゃ妾宅に泊まる時の言い訳が立たないだろう。ここは常法の様にお得意宅へ伺うとした方が自然だ。
小僧の定吉のしたたかさは表現されており、独楽の動きを目で追う仕草はよく出来ていた。

ヤーレンズ『漫才』
初見。自ら実力はあるが人気がないと言っていたが、確かに実力はある。
雑談風な会話の中で笑いを取るという、東京漫才の王道を行っている。
近ごろ東京でも奇声をあげたり大げさな身振りをする無粋な漫才師がいて、困ったものだと思っていたが、ヤーレンズは江戸前だ。
出来れば寄席で腕を磨いて欲しい。

桃之助『お絵かき教室』
初見、いかにも噺家らしい風貌だ。先ず顔で得してる。
変てこな絵画教室に体験入学したというストーリーで、この人絵が得意なんだろう、スケッチブックに絵を描きながらの高座だった。
噺の中身も練れており、楽しませてくれた。
古典の腕のほどは分からないが、面白い存在になりそうだ。

文菊『棒鱈』
高座に上がる姿、座布団に座りお辞儀する姿勢、ここから既に文菊の世界が始まる。声の調子が高く語りを固く感じることもあるが、そこでフッと息を引き取る按配が良いのだ。何より女性に色気がある。
襖一つ隔てた隣同士、片や職人の江戸っ子、もう一方は武骨な田舎侍の対比を鮮やかに描いて好演。
なお、田舎侍が唄う「琉球節(りきゅうぶし)」は鹿児島に伝わる俗謡なので、この武士は薩摩出身だということになる。

菊之丞『酢豆腐』
近ごろ東京の高座でもやたら『ちりとてちん』が掛かるが、安易である。東京は『酢豆腐』でなくっちゃ。
夏の昼下がりの若い衆の埒もない会話や、若旦那の「こんつわ」や「すんつぁん(本当は「しんちゃん」)」が東京の世界なのだ。
いつも通りの軽妙な高座だった。

小猫『ものまね』
アタシは祖父、父とも3代の高座を見ているが、語りは別にして物真似自体の技術は、この人が最も優れていると思う。
研究熱心なのに感心する。

吉坊『狐芝居』
ストーリーは、売れない大部屋役者が侍の恰好で旅をしている。峠の茶屋で余計な時間を費やし、山中に入る頃には深夜になってしまう。木につまずいて提灯の灯りも消えて困っていると、稲荷のすぐ横に芝居小屋が見えた。興味津々で中に入ると、舞台では仮名手本忠臣蔵の4段目、判官切腹の場の真っ最中。
舞台を照らす灯りが狐火だと分かり、役者は狐芝居に迷い込んだ恐怖を感じるが、それより芝居への興味が先に立つ。
舞台は進んでいよいよ判官が腹を切るのだが、ミスなのか肝心の由良助が出て来ない。これじゃ芝居にならないと、くだんの役者、幸い侍の恰好をしているのでと、急遽花道から由良助役で登場する。
舞台は無事に進行していくが、遅刻してきた本来の由良助役が舞台に別の由良助がいるのに驚く。他の連中も異変に気付き、フンフンと鼻を嗅ぎながら別の獣の臭いがすると分かる。途端に芝居小屋がそっくり消えてしまう。
くだんの役者は、夢かと思いつつ、実際には叶えられなかった由良助を舞台で演じることが出来た喜びに浸る。
そこでポンと一つひっくり返ると、一匹の狸が草原に消えていった。
この噺の難しさは、忠臣蔵4段目をほぼ通して高座で演じることにある。通常の『蔵丁稚(四段目)』では、由良助が駆けつけ、判官が待ちかねたというセリフで終わってしまうのだが、この後が結構長いのだ。
ここを持たせるにはよほどの力量が要る。
芝居噺を得意とする吉坊の面目躍如。
小佐田定雄作で、師匠・吉朝の十八番であったネタを見事に演じきった。
アタシは今年度の花形演芸大賞は、たま、吉坊のいずれかと睨んでいるのだが、どうだろうか。

充実の会、結構でした。

2017/09/23

「今のうち解散」という愚挙

憲法第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

その国会議員の4分の1以上の署名で国会の召集を求めて、はや3ヶ月近く経つ。憲法の条文には何日以内とは書かれていないが、精神からいえば「速やかに」召集すべきなのだ。
それを外交日程がどうだこうだとか、今は緊急事態だとか、いろんな理屈を並べて先延ばしして、ようやく国会を召集するとなったら、冒頭で解散するという。
これほど人を愚弄した話はない。
どうも安倍政権は法律に書かれてなければ何をしてもいいと思っているようだ。こういう人間に、道徳だの道義だのを語る資格はない。

安倍晋三首相は9月20日、国連総会での演説で核・ミサイル開発を続ける北朝鮮について、「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と強調した。
もし本当に脅威が眼前に迫っているのなら、なぜいま国会を解散し総選挙などを行う必要があるのか。
明らかな論理矛盾だ。

この度の解散は、「今のうち解散」と言うべきだろう。
自民党の支持率が高い「今のうち」
国会が開いて新大臣のボロが出ない「今のうち」
民進党がガタついている「今のうち」
北朝鮮の核やミサイルで国民が危機感を持っている「今のうち」
国民の事などどうでもよく、あるのは党利党略だけだ。
それを良しとする人は話は別だが、そうでない人は選挙で安倍政権に鉄槌を下さねばなるまい。

2017/09/21

Oh! 懐かしの浅草オペラ

「田谷力三物語」(2017/9/20)
日時:2017年9月20日(水)19時
会場:浅草・花やしき座

台本・作曲家:清島(佐々)利典
音楽監督・アレンジ:榊原徹
<   キャスト   >
田谷力三:杉潤一郎  テノール
ローシー 口上:中村憲司  バリトン
戸山英二郎(藤原義江):安保克則  テノール
小林愛雄、杉寛、木佐野 :上田誠司   バリトン
堀田金星、熊公:李昇哲    バリトン
安藤文子、おてく:佐藤智恵 ソプラノ
天野喜久代、登志子、八重吉:二宮望美 ソプラノ
木村時子、おかん:栗田真帆 アルト

ヴァイオリニスト:横山久梨子
電子ピアノ 内海清佳
テアトルアカデミー・Musica Celeste合唱団 ダンサー・合唱・アンサンブル

幕前解説:小針侑起
休憩トークショー:笹山敬輔

【演奏曲目】
〇浅草オペラ「カッフェーの夜」全編(コロッケの歌、おてくさんの歌、飲ん兵衛の歌、喧嘩の歌)
〇浅草オペラ人気曲より 大勝利の歌、ブン大将の歌、波をけり、お寺の壁に、リバプリック賛歌
〇オペレッタより ホフマン物語より舟歌、
ボッカチオよりベアトリ姐ちゃん、恋はやさし野辺の花よ、優しい手紙
〇歌劇 カルメンより序曲、闘牛士の歌、ハバネラ
リゴレットより女心の歌、椿姫よりアリア一部

浅草オペラが花開いたのは大正7年で、大正12年の関東大震災でその幕を閉じる。5年間という短い期間だったにもかかわらず、そしてその舞台を観たという人は皆無かと思われるが、未だにある種の郷愁を感じるのは何故だろう。
私自身も、この舞台で歌われた曲の歌詞のいくつかは朧気ながら諳んじているのだ。
その浅草オペラが生んだダイスター、田谷力三の活躍を中心に、当時の浅草オペラの隆盛と衰退を短いエピソードでつないだ作品だ。

開演前と休憩時に、浅草オペラに関する解説やトリビアの紹介があったが、当時の熱狂的ファン(男性)はお目当ての女優の舞台に通いつめ、入り待ち、出待ちをしていた。
また女優の人気投票もあって、雑誌のハガキを投票用紙にしていたため、ファンの女優が上位に選ばれるように雑誌を100冊も買い占める男もいたとか。
そうか、AKB総選挙はそのパクリだったのか。

観客にとっての楽しみは何と言っても劇中で、あるいは第2部のガラコンサートで歌われる曲の数々だ。
当時の日本語の歌詞のつけ方のセンスに驚く。
例えば、「ベアトリーチェ」は「ベアトリ姐ちゃん」になる。
♪歌はトチチリチン トチチリチンツン
なんて粋な歌詞ではないか。
♪恋はやさし、野辺の花よ 明日の日のもとに 尽きぬ花よ
ロマンチックですね。
(以上「ボッカッチョ」より)
♪風の中の羽のように いつも変わる女心
(以上「リゴレット」より「女心の歌」)
♪恋は気ままなもの 誰の言うことも聞かぬ
(以上「カルメン」より「ハバネラ」)
こうした歌詞は、一度は耳にしたことがあるだろう。
舞台で繰り広げられる歌と踊りに、満員の観客席からは拍手、手拍子、掛け声がかかり、時には合唱になり、ご当地浅草の大正の時代を蘇えられさせていた。

2017/09/18

扇辰・喬太郎の会(2017/9/17)

第71回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2017年9月17日(日)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家寿伴『道具屋』
入船亭扇辰『さんま火事』
柳家喬太郎『二十四孝』*
~仲入り~
柳家喬太郎『すなっくらんどぞめき』
入船亭扇辰『緑林門松竹(みどりのはやしかどのまつたけ)』*
(*ネタ下ろし)

毎回人気で前売り完売のこの会、この日も3連休の中日に加え台風接近というコンディションにかかわらず満員御礼。
処で、安倍政権は来月にも衆院解散、総選挙の実施を謀っているとか。国民には北のミサイルで日々危機感を煽っていきながら、その裏では選挙準備かね。ということは、それほど怖がらなくても良いという事か。
本当に危機なら、敢えて政治空白を作るはずないもんね。

扇辰『さんま火事』
得意の『目黒』の方ではなく、こちらのネタ。
長屋の裏に住む地主がひどくケチで、しかも何かと長屋の連中に迷惑をかける。こないだも地主の娘が前の空き地に簪を落としたので、拾った人には多額の礼をするという。空き地は雑草が生い茂っているので、長屋の連中は総出で草刈りをしたが、簪は見つからない。後で聞いたら、草刈りをやらせるための嘘だったと分かる。万事がこんな具合で、腹の虫が収まらない連中が集って大家を訪れ、仕返しの知恵を借りる。
大家は、それなら長屋全員で秋刀魚を焼いて、団扇で扇いで煙を地主の家に向かわせ、大声で火事だ!と叫ぶ。地主の商売が油屋だから、きっと慌てるに違いない。それを見て皆で笑ってやろうという。
喜んだ長屋の連中は、長屋18軒七輪を並べて秋刀魚を焼き始めた。
この騒ぎに地主も最初は驚くが、煙が秋刀魚からだと分かると、早々に飯の支度。「この匂いを嗅いで、おかずにして食べてしまおう」。
紙切りの初代林家正楽の創作。
蒲焼の煙をおかずに飯を食うという小噺によく似ている。
扇辰の高座は、地主からこんな酷い目にあったと訴える長屋の衆のドタバタぶりが良く出来ていた。

喬太郎『二十四孝』
この日がネタ下ろし。
筋はほとんどの方がご存知だと思うが、二十四孝の故事の引き方やサゲが演者によって異なる。
先ず故事の方だが、喬太郎の高座は王祥の鯉、孟宗の筍、郭巨の釜掘り、呉孟の蚊の4種類だった。
サゲは、男が呉孟の真似で全身に酒を吹きかけようとしたが、ついつい自分でみな飲んで、そのまま寝込んでしまう。
朝起きると蚊の食った跡がないので、男が喜んで「婆さん見ねえ。天が感ずった」。
婆さんが「当たり前さ。あたしが夜っぴて団扇で扇いでいたんだ」でサゲ。
未だ完全に入っていないせいか(呉孟の名前がなかなか出なかった)、おそるおそる演じているようで、喬太郎らしさが出ていなかった。
しかし今後磨いてゆけば、立派な持ちネタになり得ると思わせる高座だった。

喬太郎『すなっくらんどぞめき』
ネタ下ろしから解放されて、見違えるようなハイテンション。今冬に予定している初めての欧州公演や、11月に自らが主演する舞台『スプリングハズカム』のエピソードを嬉しそうに語っていた。
ネタは、古典の『二階ぞめき』の吉原を、かつて池袋駅地下にあった”スナックランド”に置き換えたもの。
ネタそのものよりも、喬太郎の池袋愛、蘊蓄、トリビアの披歴の方が面白かった。
いかがわしさも町の魅力の一つなのだ。

扇辰『緑林門松竹』
ネタ下ろし。
三遊亭圓朝作の長編で、その発端にあたる『医者秀英の家』の口演。
根津七軒町の医者・秀英宅に奉公人として、信州の田舎者というふれこみで入り込んだ新助市。秀英がおすわを妾に囲っていると知った新助市は秀英の妻に、秀英が妻を毒殺して妾を本妻になおす事を計画していると嘘の話しを持ち掛け、毒薬譽石の在り処を聞き出した上、妻を殺害する。
今度は妾宅にとって返し、秀英に妻が間男していると嘘を言い、自宅に連れ出した所で、秀英を毒殺してしまう。
二人を殺して金を奪った新助市は、いずこかに姿をくらます。
とにかくこの噺、登場人物は悪者ばかりで、それが延々と殺人を繰り返して行くというストーリーなのだ。
演じ手が少ないのは、ストーリーがあまりに陰惨だからだろう。
扇辰の高座は、それぞれの人物像を明確に描いていて、相変わらず完成度が高い。これならいつでも再演可能だろうが、口演の場は限られるかも。

2017/09/17

#14ワザオギ落語会(2017/9/16)

第14回「ワザオギ落語会」
日時:2017年9月16日(土)18:15
会場:国立演芸場
<  番組  >
入船亭小辰『代脈』
三遊亭兼好『浮世床(将棋、夢)』
入船亭扇辰『藁人形』
~仲入り~
笑福亭たま『ふたなり』
柳家権太楼『青菜』

14回目となる「ワザオギ落語会」、アタシの出席率は5割ていどかと思う。
会によって出演者の顔ぶれに偏りがあるのは、主催者やディレクターの好みだろう。
権太楼が2回目というのは意外な気がするし、雲助は出てないのでは。

小辰『代脈』
上り坂の芸というのは楽しいもので、時期は忘れたが以前に聴いた時から比べてぐっと面白味を増している。
小辰が描く医者の見習い・銀南だが、愚か者というよりは食い気と色気、そして好奇心に溢れた若者らしさを示していたように思う。
開口一番で一気に客席を引き込んだのも、独演会を重ねてきた精進の賜物だろう。

兼好『浮世床(将棋、夢)』
兼好で感心するのは、かなりの回数の高座を観ているが、その度にネタが異なることだ。次々と新しいネタに挑戦しているに違いない。
この演目も面白く聴かせていたが、女性に色気が感じられないのが欠点だった。例えば男に返杯する際には、相手の男の顔をじっと見て欲しい。
プログラムの解説によれば、いま怪談噺を演じてみたいとか。
楽しみですね。きっと芸域がぐっと拡がるだろう。

たま『ふたなり』
マクラの、寄席のマーケットリサーチの話しが面白かった。
初めて落語を聴いた人が2度目に来る確率は25%、つまり4人に一人だ。2度目に来た人が3度目に来る確率は90%と大きく跳ね上がる。
興味を持ったのは、犯罪の再犯率の傾向と類似していると思ったからだ。閑話休題。
「ふたなり」とは半陰陽のことで、これはマクラで解説が必要だったのでは。
ある村で深夜、男の所に若い衆が二人訪れ、村の金を10両使い込んでしまい、このままでは夜逃げするしかないと泣きつく。
男はついつい恰好つけで、10両ぐらい俺が隣村の知り合いから借りで来ると言ってしまう。
処が、隣村に行くには恐ろしい「栴檀の森」を通らねばならない。
実は大の怖がりだった男、怖がりながら森を歩いていると、いきなり若い娘から声をかけられる。
聞けば、「男と道ならぬ仲になり、お腹に子を宿してしまった。駆け落ちをすることになったが、男が自分を捨てて逃げてしまい、この上は死ぬより他ないから、遺書として書置きを書いて懐にしまっている」とのこと。
当初は死のうとする娘を止めた男だったが、娘が「親の目を盗んで十両の金を持って来ている」と聞いて気が変わる。
「ああ。そんなら死に!」「へ!」「死んだらええねん。もう、帰るとこもないねんし、さっさと死んだらええ。わいが手伝おたるさかい。」「おおきにありがとさんでございます。」
そうして男は上手いこと言って娘から10両の金をせしめる。
死ぬのをためらう娘に男は、「死に方の手本を見せたる」と言って良い枝振りの木を探し、紐をかけ、首をかけ、足元の石を蹴りと首吊りの手順を説明している間に、うっかり男は本当に自殺してしまった。
その様子を見た娘はすっかり気が変わり、男から10両の金を取り戻し、代りに遺書を男の懐に入れて消えてしまう。
帰ってこないのを心配した若い衆二人がが森に来て男の死体を見つけ村中大騒ぎ。
役人が男の遺体を検視していると、懐の遺書を見つける。
「『一度はままよ二度三度、重ねてみれば情けなや。ついにお腹に子を宿し…』な、何じゃこれは」。
驚く役人が若い衆に「こりゃ、この男ははふたなりか?」
「いいえ。宵に出たなりでございます。」)
でサゲ。
時間の関係から10分で演じる短縮版だったが、その分スピーディーな展開になり、たまの歯切れの良さも手伝って、十分に面白さは伝わった。
新作の多いたまだが、アタシはこの人の語る新感覚の古典を高く評価している。
若手では、東の一之輔、西のたまである。

権太楼と扇辰はいずれも得意ネタだから、感想はいいでしょう。

2017/09/11

お知らせ

1週間ほど小休止します。

2017/09/10

柳家権太楼・甚語楼親子会(2017/9/9)

「柳家権太楼・甚語楼親子会」
日時:2017年9月9日(土)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・柳家小多け『初天神』
柳家さん光『粗忽の釘』
柳家甚語楼『幾代餅』
~仲入り~
ボンボンブラザース『太神楽曲芸』
柳家権太楼『青菜』

又しても権ちゃん、ここのとこすっかり権太楼づいているが、この日の親子会のお目当ては甚語楼の方だった。

甚語楼『幾代餅』
2006年真打昇進、その当時はあまり注目していなかったが、最近メキメキと腕を上げていると見ている。
先ず声がいい。高くなく低くなく聞きやすい声だ。
顔がいい、落語家向きである。近ごやたらイケメンだどうだと騒ぐ向きがあるが、あれは所詮おんな子どもの世界。二枚目の顔というのは、噺家にとって疵になることもある。
客から見て、俺の方がまだましだなと思える程度で丁度いい。甚語楼はそういう顔をしている。
語り口が明解で、芸風が明るい。
このネタも人情噺風に演じる人もあるが、甚語楼は終始滑稽噺として演じていた。
清蔵が身分を明かし、それに感激した幾代が清蔵の妻になることを告げる場面では、もう少し情緒が欲しいという感もあった。
ただ、幾代の立場になってみれば、来年3月に年季が明けるというのに未だ身の振り方が定まっていなかったのだろう。そうした時に、自分に一途な男が現れた。誠実そうだし働き者のようだし、むしろ幾代にとっては渡りに船だったのかも。
そうして見ればこの話は美談でもなんでもなく、花魁の再就職の物語だ。
だから、カラッと演じるのも一つの演り方だと思う。

権太楼『青菜』
権太楼のこのネタは落語ファンにはお馴染みで、解説不要だろう。
昨日は2階席から見たのだが、改めて権太楼の芸風に感じたことがある。
先ず、よく動く。上半身を右に左に捻ったり傾けたり。美味そうな料理を目の前にした植木屋は、両手で顔を覆い感激を表現させる。
植木屋が柳陰が手酌で呑む時も、コップを演者の右膝近くに置いて酒をつぎ、徳利は左側の前方に戻す。
この様に一つ一つの動きが大きい上に、顔を筋肉も大きめに動かす。セリフを言う時に前に身を乗り出し首を傾ける。
観客は話芸とともに、こうした動きに気を取られ、権太楼の世界にはまって行く。
柳家権太楼としての確固たる芸風は、こうして確立していったんだなと。
植木屋夫婦を動物園のカバの檻の前で見合わせたのは「稲葉の旦那」だったが、して見るとさん喬だったか。

2017/09/08

「ワーニャ伯父さん」(2017/9/7マチネ)

SIS Company,Kera meets CHEKHOV vol.3/4「ワーニャ伯父さん」
日時:2017年9月7日(木)13時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT

作:アントン・チェーホフ
上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  キャスト  >
セレブリャコーフ(元大学教授):山崎一
エレーナ(若い後妻):宮沢りえ
ワーニャ(先妻の兄):段田安則
ソーニャ(先妻の娘):黒木華
ヴォイニーツカヤ夫人(ワーニャの母):立石涼子
テレーギン(隣人の没落貴族):小野武彦
アーストロフ(村の唯一の医師):横田栄司
マリーナ(乳母):水野あや
下男:遠山俊也
(ギター演奏:伏見蛍)

KERAさんのチェーホフ四大戯曲に挑戦するシリーズの第3作は「ワーニャ伯父さん」。
【あらすじ】
大学教授を引退したセレブリャコーフは、妻を亡くした後、年の離れた若い後妻エレーナを娶る。夫妻は都会暮らしに別れを告げ、先妻の親から受け継いだ田舎の屋敷に戻ってきた。
先妻の兄であるワーニャは、学者としてのセレブリャコーフ を長年崇拝し、彼の支えとなるために、25年にもわたって領地を切り盛りしながら、先妻の娘ソーニャ、 母ヴォイニーツカヤ夫人、隣人であった没落貴族テレーギンと共につましく暮らしてきた。
その一方、教授には毎年多額なお金を送金してきた。
しかし、ワーニャの目の前に現れたセレブリャコーフは、いつも体調も機嫌も悪く、尊大で身勝手な態度で人を困らせるただの年寄りだった。
その妻エレーナも、夫への不満と義理の娘との折り合いの悪さも手伝い、田舎暮らしに不安で憂鬱な日々を送っている。
屋敷には常に重苦しい空気が立ち込めるようになっていた。何よりもワーニャは、 人生の大半を捧げきた相手が、単なる俗物だった事実に虚しさと絶望を感じ、勤勉だった彼の生活は激変してしまう。事ある毎にセレブリャコーフに毒づき、母にたしなめられるが、その憤りは収まらない。
セレブリャコーフの具合が良くないと往診に来る医師アーストロフは、この村の唯一の医師として貧しい 農民への医療に従事する傍ら、森林の環境保護を訴えて、献身的な活動を続けてきた。
しかし彼もまた田舎暮らしに鬱積した思いを抱き、診療を放り出して屋敷に入り浸り、ワーニャと酒を酌み交わすことも多くなる。彼が屋敷に入り浸るもう一つの理由は、若い人妻エレーナへの恋慕だ。エレーナの方も彼には満更でない様子。
そしてワーニャもまたエレーナに対し熱い思いを抱いていた。しかし、エレーナに相手にされるはずもない。
一方、アーストロフを、ソーニャの熱い眼差しが追いかけるのだが、これもまた相手にもされない。
互いの心はすれ違い、それぞれの虚しい恋心だけが募っていく。
そんな中、セレブリャコーフが突然皆に、この領地の売却をしたいと告げた。
激怒したワーニャはセレブリャコーフにつかみかかり、発砲までするが幸い弾は外れる。
この騒動で夫妻はここを去る決心をし、医師のアーストロフも屋敷を出て行く。
元の生活に戻った形となったが、ワーニャは元教授への失望と、その妻エレーナへの失恋という二重の痛手の中で苦しむ。
彼の心情を察したソーニャは、ワーニャにそっと優しく「生きてゆきましょう、ワーニャ伯父さん・・・」と語りかけるのだ。

何か大きな事柄が起きるわけでもなく。物語としては淡々と進行する。
しかし、その時々の登場人物たちの心の動き、揺れ、そういった物が観客に静かに伝わる、そんな芝居だ。
特に幕切れの傷心のワーニャに対するソーニャの優しい言葉は素晴らしい。自らも傷ついていながら、叔父の心情に寄り添うソーニャの純真さには心が洗われる思いだ。
他の演出を見てないので何とも比較のしようがないのだが、KERAさんの手になるこの舞台はとても面白く出来ていた。

出演者では、やはり圧倒的にワーニャを演じた段田安則の演技が素晴らしい。この人は何を演らしても上手い。
純真で一途なソーニャを演じた黒木華の演技も良かった。器量が悪い娘という役柄だが、十分に美しい。
ワキでは、乳母役の水野あやの演技が目立った。いかにも19世紀末のロシアの地方に住む老女らしい雰囲気を醸し出していた。

公演は26日まで。

2017/09/06

必見!文楽「玉藻前曦袂」(2017/9/5)

9月文楽公演第二部「玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)」
 清水寺の段
 道春館の段
 神泉苑の段
 廊下の段
 訴訟の段
 祈りの段
 化粧殺生石
日時:2017年9月5日(火)16時
会場:国立劇場 小劇場

落語の8代目春風亭柳枝が『王子の狐』のマクラでこの物語に触れているが、そのくらい良く知られた芝居なんだろう。
9月の文楽公演第二部は、「玉藻前曦袂」。
近松梅枝軒・佐川藤太の合作で、1806年(文化3)初演。
原作は天竺、唐土、日本にまたがるスケールの大きなものらしいが、今回はそのうちの日本編を上演。
ストーリー。
三国伝来の金毛九尾の狐伝説に、鳥羽院の兄・薄雲王子(うすぐものおうじ)の反逆を絡ませた構成になっている。
薄雲王子は弟から何とか帝位を奪おうと画策する一方、右大臣藤原道春の姉娘桂姫を妻に望むが退けられる。それに逆恨みして道春亡き後、鷲塚金藤次に命じて姫を討たせようとする。道春の後室萩の方は拾い子の桂姫に義理をたて、妹娘初花姫を差し出そうとするが、金藤次は桂姫の首を打ち、桂姫が自分の実の娘だったことを告げ、王子の悪計を白状して死ぬ。進んで犠牲になることを競って双六で勝負する桂姫・初花姫の哀れさ、萩の方の複雑な母性愛の表現、金藤次の「もどり」(悪から善に立ち返る表現)などが見どころの「道春館の段」が物語のクライマックスで、単独でも上演されている。
この後、初花姫は玉藻前となって入内し帝の寵愛を受けるが、金毛九尾の狐に殺され狐が玉藻前に化ける。
病気がちの帝に代わって薄雲王子が政務をとるが、愛妾の遊女への女色に溺れ政務に身が入らない。
そこに帝の病の平癒を祈祷するために訪れた安倍泰成によって玉藻前の正体が妖狐であることが暴かれ、同時に薄雲王子の悪事も露見してしまう。
那須野が原に逃げた妖狐は追手に討たれ、殺生石となる。

以上があらすじだが、舞台は愁嘆場あり口説きありチャリ場面ありに加えて、早替りから変身、おまけに宙乗りまであるという見所満載なのだ。
正に、ザッツ・エンターテイメント。
特に「化粧殺生石」では、座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎→奴に早替りで踊りを見せ、最後には玉藻前に変身した妖狐が十二単の姿で幕切れとなる。
それぞれの役の細かな動きが見もので、ここは人形遣いの桐竹勘十郎の奮闘公演の趣きだ。

4時間半を超える舞台は飽きることなく、私のような文楽のビギナーにはピッタリだった。
ということは、文楽が初めてという方にもきっと楽しんで貰えると思う。
見なきゃ損ですよ。

公演は18日まで。

一つ言い忘れていた。
玉藻前の正体が妖狐であることが暴かれる場面で、ふと小池百合子の顔が思い浮かんだ。
何故だろう?

2017/09/04

小林一茶、もう一つの顔

一茶といえば幼い時に実母と死に別れ、継母に虐められて育ちながら、幼子や雀、蛙などの小動物にまで愛情をそそいだ好々爺というイメージがあるが、これと真逆な人間像が存在している。
15歳で故郷を出て江戸に、24年後の享保1年に実父・弥五郎の重病を知り、故郷の北国街道柏原宿に戻る。この時、重篤状態にあった弥五郎から、異母弟の弥兵衛と遺産を二分割する旨の遺書を獲得する。
一茶が不在だった24年間、故郷の生家を守り続けたのは継母と弥兵衛だった。
それが四半世紀も留守にしておいて、いきなり遺書をつきつけ遺産分割を迫る一茶に、継母と弥兵衛は激怒する。
近所同族はもちろんのこと、柏原宿の住民皆が弥兵衛家族に同情し、一茶は村八分同然の身となる。
しかし、一茶はひるむことなく相続を履行する契約証文をとりつけ、最後は江戸訴訟までちらつかせて脅し、粘りに粘る。
この結果、一茶51歳の文化10年には、柏原宿の屋敷真半分と、留守中の家賃元利まで上乗せしてむしり取り、帰住したのだ。
(以上は、月刊誌「図書」2017年9月号に掲載の高橋敏「一茶の遺産相続」を要約)

余談になるが、52歳の時に28歳の妻を娶るが(初婚)、妻は一茶との毎日3回の情交が原因で37歳に亡くなる。
これは、逆『短命』ですね。
一茶はその後、62歳と64歳の時に再婚、再々婚している。

一茶にしても衣食足りてなんとやらで、生活が安定していたからこそ、あれだけの発句が生まれたのかも知れない。
激しい性欲も、創作活動のエネルギーの発露か。

人間というのは実に色々な面を持っている。だから面白いのだ。

2017/09/03

ザ・柳家権太楼(2017/9/2)

大手町独演会ザ・柳家権太楼 其の四「徹頭徹尾 権太楼噺」
日時:2017年9月2日(土)13:00
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
『挨拶』柳家権太楼
前座・柳家小多け『手紙無筆』
柳家さん光『新聞記事』
柳家権太楼『居残り佐平次』
~仲入り~
柳家権太楼『幽霊の辻』
柳家権太楼『藪入り』
(権太楼の3席はネタ出し)
この「ザ・000」シリーズは、通常一人で4席演じるのが、冒頭の挨拶で権太楼は今日は3席にすると宣言。理由は、顧客から疲れるという感想があったとのこと。だから今日は前座と二ツ目を前方にして1席、仲入り後に続けて2席という構成にすると。
プログラムには4席目として『楽屋噺あれこれ』とあったが、カットされていた。

権太楼の1,2席目の『居残り佐平次』と『幽霊の辻』、これはもう解説不要でしょう。
私見ではこれに『代書屋』を加えた3席が最も権太楼らしさ、言い換えれば権太楼の良さが出ている演目だと思う。
『幽霊の辻』での茶店の婆さん、『代書屋』での履歴書を依頼する男、いずれも権太楼にしか出来ない人物像だ。
『居残り』における佐平次でも、小遣い欲しさに部屋を回って芸をするのではなく、人を楽しませたくて演っている風に描いている。だから貰った祝儀はみな下働きの女中や飯炊きに分けている。こういう所がいかにも権太楼らしい。

権太楼『藪入り』
主催者からは『鼠穴』というリクエストがあったが、途中まで稽古してあのネタに出てくる兄がどうしても嫌で、やめることにしたと。確かにあの噺は陰惨で、あたしも好きじゃない。後から夢だと分かるのだが、後味が悪い。
そこで3代目三遊亭金馬の極め付けであり、その後もこれを超える人が出ないという『藪入り』に挑戦することにした。
ということは、今回がネタ下ろしなのかも知れない。

全体的な感想を言うと、演者の気負いが先に立って、空回りしていたという印象だった。
先ずマクラで、藪入りという制度について説明があったのは良いが、やはりこのネタでは鼠の懸賞についての解説は欠かせない。鼠は食料を食い漁るのみならず、伝染病の媒体となる。だから当局は懸賞金まで付けて鼠退治を奨励していて、商家では専ら小僧の仕事だった。同時に給金の貰えない小僧たちにとって、懸賞金は励みになっていたに違いない。
この辺りの背景の説明は欠かせなかったのではなかろうか。

最初に亀を奉公に出す際の両親の辛い思いを描く場面を加えていたが、これは蛇足。後半の描写だけで十分だ。
後半では、亀の財布にあった15円の出どころが分かった後の場面が冗長でダレてしまった。
それと両親が泣きすぎる。あれでは見てるこっちが白けてしまう。
今後の再演では、もっと磨きをかけた高座を期待したい。

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