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2017/12/17

三田落語会「さん喬・一之輔」(2017/12/16)

第53回三田落語会・昼席「柳家さん喬・春風亭一之輔」
日時:2017年12月16日(土)13時30分
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・春風亭きいち『一目上り』
柳家さん喬『抜け雀』
春風亭一之輔『化物使い』
~仲入り~
春風亭一之輔『二番煎じ』
柳家さん喬『文七元結』

12月の三田落語会昼席は「柳家さん喬・春風亭一之輔 二人会」。
ベテランと若手の組み合わせだが、さん喬は互角だと謙遜していた。

きいち『一目上り』、一之輔の弟子で、達者になりそうな気配だ。

さん喬『抜け雀』
1席目にこのネタを持ってくる所はいかにもさん喬らしい。
相変わらずの本寸法の高座で取り立てて解説する必要はない。

一之輔『化物使い』
好きなネタのようでしばしば高座に掛けている。
隠居が化物を脅すのにファイティングポーズを取ったり、のっぺらぼうの女に好みの顔を描いたりといった所が特長的だ。
隠居がのっぺらぼうの女に傍に来るように言いつけると、「大きな声を出します」と言われて「そんなんじゃない」と言い返す場面も。
従順そうで強かな面も持つ下男の造形もよく出来ていて、持ち前のテンポの良さも生きていた。

一之輔『二番煎じ』
中身に手を入れておらず、通常の演じ方。
一行が番小屋から外に出た時の寒さがあまり伝わってこなかったのと、番小屋に戻ってからの人物それぞれの演じ分けが不十分だと思われた。
連中が唄う都々逸や、例の「火の用心さっしゃりやしょうー」の掛け声が上手くなかった。
一之輔は大変な人気者だが、噺家としての大事な素養である唄や踊りの修練はどうなのか、ちょっと気になる。

さん喬『文七元結』
男の三道楽煩悩(さんどらぼんのう)や、大名の中間(ちゅうげん)部屋で博打が行われた理由についての解説をマクラに振っていたが、このネタの全編の長さを考慮すると必要だったのかどうか。
最初の長兵衛宅での夫婦喧嘩で、年頃の娘に綺麗な着物を着せてやれないと女房が嘆くセリフを加えていたが、余計な気がした。
佐野槌の女将宅では、女将が長兵衛を大声で叱りりつけるのは却って女将の貫禄を失わせる。
50両をお久を通じて長兵衛に渡す演り方も疑問だ。お久が長兵衛に、おっかさんを大事にしてというセリフも必要だろうか。
ここから吾妻橋上の場面から近江屋卯兵衛宅、再び達磨横町の長兵衛宅となるのだが、前半に時間が取られ過ぎたのか後半がかなり端折られてしまい、消化不良気味。
長講にも拘わらずあまり良い出来とは言えなかった。


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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

さん喬評を拝読、深く考えさせられました。余計なこと、必要のないこと、か・・・
唐突ですが、時節柄『忠臣蔵』がTVで数本かかりました。「らしく」が重要な芝居で浅野は浅野らしく、吉良は吉良らしく、大石は大石らしく。
がっちりと型が確立されている芝居ですが、それぞれ、やはりどこかにオリジナリティ(新たな登場人物や既成の登場人物の知られざる行動とその真意など)を盛ってあります。
『文七』も型が堅固ゆえ、新味を加えることは難しいんでしょうね。

投稿: 福 | 2017/12/18 06:55

やはり、一之輔、馬脚とまでは言いませんが、壁が見えて来たようですね。
天才、がんばれ。

投稿: 佐平次 | 2017/12/18 10:17

福様
お久の着物の件は佐野槌の場面でも出てきますし、長兵衛が博打に負けて帰ってくると女房に乱暴を働く件も佐野槌の女将から諭されますので、同じことの繰り返しは避けた方がいいと思います。
新味を加える事は決して否定しません。例えば談春の高座では女将が長兵衛に博打のカラクリを説くことにより、長兵衛の目を覚まさせるという演じ方は成功しています。
先代の正蔵の様に、佐野槌でのやり取りを大胆にカットして成功している例もあり、要は中身だと思います。

投稿: ほめ・く | 2017/12/18 11:41

佐平次様
一之輔はこの日鹿児島から戻ってきたばかりで、明日は北海道だと言ってました。こう多忙だと芸も多少は荒れてくるのは止むを得ないでしょう。
何せ鬼才ですから、いずれ壁を破っていくものと思います。

投稿: ほめ・く | 2017/12/18 11:45

 私も、昨年、成瀬の東雲寺寄席で、さん喬の『文七元結』を聴きましたが、同じような感想を持ちました。
 前半がふくらみ過ぎで、後半が駆け足になった印象です。
 マクラで、細川の中間は決まった給料が出ないので、博打場として金を稼いでいた、という説明がありましたが、不要でしょう。
 また、長兵衛が、博打で負けて長屋に帰って来る前に、懐手をしてブルっと震え、仲間と思しき相手に「あばよ」と声をかけてから長屋の戸を開けましたが、あの演出も必然性を感じませんでした。
 設定への疑問としては、長兵衛の女房のお兼が継母であると自分で言ったのですが、そうすることの効果を感じませんでした。
 さん喬の良さが“丁寧”なことにあるのなら、それは“くどさ”という弱点にもなるということでしょうか。

投稿: 小言幸兵衛 | 2017/12/18 12:23

小言幸兵衛様
ご指摘の点は私も同じ感想を持ちました。
前半がくどいという印象に対して、後半が雑でした。このネタはどこに重点を置くのかは演者の腕の見せ所でもありますが、さん喬の高座はバランスに欠けていると思います。

投稿: ほめ・く | 2017/12/18 16:50

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