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2018/01/31

八代目正蔵三十七回忌追善落語会(2018/1/29)

「八代目正蔵三十七回忌追善落語会」
日時:2018年1月29日(月)18:45
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
春風亭正朝「蔵前駕籠」
桂藤兵衛「竹の水仙」
~仲入り~
八光亭春輔「一眼国」
春風亭一朝「明烏」

1月29日は8代目林家正蔵(彦六)の37回目の祥月命日にあたる。一朝はこの日、正蔵の墓参りを済ませてから会場入りしたとのこと。
4人の出演者のうち、春輔と藤兵衛は正蔵の直弟子だが、一朝と正朝は先代柳朝の弟子だから孫弟子ということになる。
林家の亭号を名乗る人のいない一門会だ。

正朝「蔵前駕籠」
持ち時間が25分ということで、マクラ以外にもネタに入ってからいくつかのエピソードを織り込みながらの高座だったが、ダレ気味だった。
このネタはマクラを入れても15分程度のもので、無駄に時間を延ばすと流れに水をさす。
こうした落語会の出演者には持ち時間が与えられている様だが、客が欲しいのは時間ではなく中身だ。
この日の公演時間は約2時間40分だったが、もっと短縮して良かったのではなかろうか。
主催者に一考を望みたい。

藤兵衛「竹の水仙」
5代目小さんの十八番で、現役の人も小さんの型で演じるケースが多いが、藤兵衛の「竹の水仙」はいくつか違いがあった。
宿の主人が元は奉公人で、8年前に婿に入ったという設定だ。主になってからの
営業成績が悪いらしく、女房から叱られてばかりいる。この事を泊り客(左甚五郎)が再三揶揄する。ちょいと嫌味な甚五郎だ。
細川の殿様が買い上げた竹の水仙の値は500両。それまで甚五郎にボロ呼ばわりしていた主に対し、女房がノミで刺されるかも知れないと脅す。主の腰ひもの先に長い紐を結わえて、亭主が危なくなったら拍手し、それを合図に紐を引くという約束にする。
主から500両を受け取った甚五郎は、怒るどころか500両をそっくり主に渡す。喜んだ主は思わず手を打ってしまったので、女房が紐を引いて主は階段を転げ落ちるで、サゲ。
藤兵衛の堅実な語りが、可笑しさの中にこんも噺に風格を与えていた。

春輔「一眼国」
マクラで正蔵と夫人のマキさんとも馴れ初めが紹介された。マキさんの母親というのが厳しい人で、二ツ目分際に嫁にはやれぬ、真打になったら結婚を許すという。それで一念発起して、三遊亭圓楽で真打昇進して目出度くマキさんを娶った。「でも、それほどの女じゃなかったよ」と正蔵は言っていたそうだが、これはきっと照れだったんだろうと、
さて本題にはいると、マクラの向こう両国の見世物小屋風景からネタに。
噺のリズム、声の強弱から息遣いまで、正蔵を彷彿とさせる高座だった。
改めて思ったのは、この噺は正蔵独特の唄い調子がピタリと嵌る。これを忠実に再現できるのは春輔だけかも知れない。
サービスで、これも正蔵が得意としていた「ステテコ踊り」を披露したが、これがまた実に結構。

一朝「明烏」
一朝には珍しく雑な印象の高座だった。
セリフを飛ばしたり言い間違えたりとミスが目立ち、この日ばかりはあまり「一朝懸命」とは行かなかったようだ。

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2018/01/27

新宿末廣亭1月下席・昼(2018/1/26)

新宿末廣亭1月下席昼の部・6日目

前座・三遊亭馬ん長『雑排』
<  番組  >
三遊亭遊かり『寄合酒』
チャーリーカンパニー『コント』
春風亭小柳『新聞記事』
三遊亭遊雀『動物園』
桧山うめ吉『俗曲』
三遊亭圓馬『高砂や』
三遊亭遊之介『河豚鍋』
ぴろき『ウクレレ漫談』
桂歌春『桃太郎』
立川談之助『?』
ナイツ『漫才』
神田松鯉『荒木又右衛門』
~仲入り~
三遊亭遊喜『宗論』
東京太・ゆめ子『漫才』
三遊亭遊吉『芋俵』
立川談幸『短命(長命)』
翁家喜楽・喜乃『太神楽曲芸』
三遊亭遊三『火焔太鼓』

プログラムにこんな数字が載っていたので紹介する。
60年前と現在との、落協と芸協の寄席芸人合計数の比較だ。立川流や圓楽一門はこの中に含まれていないので、東京全体では落語家だけでも550人近くになるだろう。

        落語  色物  お囃子
1958年    107   67   14
2018年    446  130  24

60年間を比較すると落語家は4倍以上に増えていて、色物は約2倍、お囃子は10名しか増えていない。落語家の人数増加が目立つ。
一方、寄席の件数は60年前と比べれば半数以下になっているだろうから、寄席に出られる確率は大幅に下がっている。
反面、定席以外の様々な落語会や地域寄席は現在の方が活発になっているが、今ある4軒の寄席がこれからも増える見通しはなく、寄席文化の未来は決して明るくない。

末廣亭の1月下席は芸協の芝居で、金曜日の昼にも拘わらず場内は一杯の入り。

遊かり『寄合酒』
前座当時以来で久々。ヅカみたいな短髪姿で、気風の良い喋りだ。サラの役割を果たしていた。

チャーリーカンパニー『コント』
議事堂の警備員と、バカにつける薬を議員に渡そうとする労務者風のオヤジという組み合わせのコント。「コント・レオナルド」を思い出す様な昔懐かしのスタイル。

小柳『新聞記事』
初見。テンポ良く。

遊雀『動物園』
前座ネタが続く。この人が演じるライオンは愛嬌がある。

うめ吉『俗曲』
地毛で日本髪を結っている寄席芸人は、今ではこの人だけだろう。寄席の音曲師としては声が細いのが欠点だが、年齢を感じさせない可憐さは大したものだ。
踊りも結構。

圓馬『高砂や』
この日最も上手さを感じさせたのはこの人の高座。先代の様な華やかさはないが、着実に進歩している。

遊之介『河豚鍋』
もうちょっと二人で鍋をつつく場面での風情が欲しい。時間の関係からか急ぎすぎの感。

ぴろき『ウクレレ漫談』
この日も、明るく陽気に行きましょう、で笑いを振りまいていた。

歌春『桃太郎』
ネタは3分ぐらいで、ほとんどはマクラで沸かしていた。

談之助『?』
立川流からのゲスト出演。
談志のエピソードを中心としたマクラから、TV番組のヒーローを早変わり(と言っても衣装を段々に脱いでゆくのだが)を演じて見せる珍芸。
落語というより色物に近い。

ナイツ『漫才』
最も拍手が多かったのは人気者の証明。
ボケ役の「沖縄のおみくじは『凶』ばかり、なぜならこれ以上『吉(基地)』は要らない」で客席から拍手。もっとも「これ、ねずっちのネタ」と言って、ツッコミ役から「他人のネタをやるな」と言われていた。

松鯉『荒木又右衛門』
講釈師はいま47人で、ここ数年変わっていないとか、一人入門すると一人亡くなるから。今度新人が入ってきたら、自分が死ぬ番だと言っていたが、どうして矍鑠としてますよ。

遊喜『宗論』
初見。滑舌の悪さが気になった。

京太・ゆめ子『漫才』
ボケ役の京太が本物の呆け風を演じ、それを相方がフォローするという典型的な夫婦漫才のスタイル。可笑しいというより微笑ましい高座。

遊吉『芋俵』
テンポ良く。

談幸『短命(長命)』
このネタを10分強で演じるには無理があるのでは。
端折り過ぎてこのネタの面白味が薄れてしまった。

喜楽・喜乃『太神楽曲芸』
珍しい父娘コンビの太神楽。

遊三『火焔太鼓』
本年80歳ながら、ますます元気。いかにも江戸っ子の威勢のいい高座で、志ん生流の『火焔太鼓』で楽しませてくれた。

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2018/01/24

「三田落語会」休会に思う

「三田落語会」のHPで、同会が休会するとの告知が掲載されている。
全文は以下の通り。

■ 三田落語会 休会のお知らせ■
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、三田落語会は2009年2月よりビクター落語会の後を受けて、
「本格・本寸法の落語を楽しく演じて、楽しく聴く」をコンセプトに開催されて
参りましたが、この度諸般の事情により2018年2月24日開催を持ちまして
しばらくの間休会させていただく運びとなりました。
当会をご支援ご愛顧いただきましたお客様、またご出演いただきました落語家の皆様、
そして関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。
尚、お客様への感謝の気持ちを込めまして、
2018年6月9日(土)に浜離宮朝日ホールにて「感謝祭」を行う予定です。
皆様お誘い合わせの上、ご来場いただきたく存じます。
今後の三田落語会につきましては、当会ホームページにてご案内する予定です。
今迄本当にありがとうございました。
公益財団法人仏教伝道協会

休会前の最後の会が第54回だが、毎年偶数月に開催しているので9年間続いたことになる。昼夜公演なので公演回数は108回になる。
積み上げた回数もさることながら中身が充実していて、数ある落語会の中でも屈指の存在だった。
本格、本寸法の古典落語を二人が2席ずつ、それも夫々が30分以上かけて演じるという、古典を愛する人間には垂涎の的であった。
出演者も自然と力が入るし、客層も良く、とにかく毎回いい雰囲気だった。
私もざっと半分ぐらいの参加だったと思うが、この会だけはガッカリさせられた事がなかった。
だから、休会はとても寂しいし、ファンの一人としては早期に再開して欲しい。

昨年もいくつかの落語会が終了してしまった。
私たちはただ参加するだけだから気楽なものだが、主催者は大変な苦労があるのだろう。
三田落語会を例にとれば、昼の部の開演は13時30分だが、スタッフの方々は午前9時に集まり会場の準備にかかっていたようだ、むろん、ボランティアだろう。
夜の部が終われば後片づけや原状復帰の作業が持っている。
これは当日の作業だけのことで、日程調整や出演交渉、人気者ともなれば1年先や場合によっては2年先までのスケジュールが埋まっているそうだから、調整は大変だ。
日程と演者が決まれば、今度は宣伝用のポスターやチラシの制作と配布体制を作らねばならない。
それでも三田落語会の場合はまだ会場が決まっているから楽だが、他の会では会場確保がひと仕事だ。
新聞社や出版社などメディアや、催し物専門に企画運営する企業が主催する会ならともかく、個人や少数の愛好家が主催する会の苦労は並大抵ではなかろう。
そう考えると気楽に「再開して」なんて言えないが、それでも「三田落語会」だけは心から再開を強く待ち望んでいる。

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2018/01/22

花形演芸会(2018/1/21)

第464回『花形演芸会」
日時:2018年1月21日(日)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳亭市若『出来心』
柳亭市弥『湯屋番』
台所おさん『猫と金魚』
シルヴプレ『パントマイム劇場』       
桂吉坊『高津の富』
      ―仲入り―
ゲスト・柳家花緑『時そば』
宮田陽・昇『漫才』
瀧川鯉橋『井戸の茶碗』

電車に乗ってると色んな会話に出会う。
「ねえ、次はナイコウチョウだって」。はてそんな名前の駅あったかな?と駅名を見てみたら「内幸町(うちさいわいちょう)」。
「この電車、変な駅があるな、ザッショクだってよ」。違いますよ、「雑色(ぞうしき)」ですよ。
そこいくと地下鉄有楽町線はいい。「桜田門」(警視庁)の次が「永田町」(最高裁)と、順にいってる。
その最高裁の直ぐ隣にある国立演芸場へは、今年初だ。

市弥『湯屋番』
久々だったが、あまり変わらない。
セコウケしようとせず、もっと真っ直ぐに演じたらどうか。

おさん『猫と金魚』
変な名前だと思ったら、先代小さんの発案だったようだ。昔、台所で働く女中を「おさんどん」(アタシも憶えている)と言っていたところから名付けたようだが、今まで誰も名乗らなかった。そこを敢えて名乗ったのだから、人物も変わっているんだろう。
芸風も変わってる。表現の仕方が難しいが、どこまで本気でどこまでが惚けているのか分からない。
2代目権太楼の作で、亡くなった円蔵が十八番としていたネタだが、おさんの惚けた味と程よくマッチしていた。

シルヴプレ『パントマイム劇場』       
初見、柴崎岳史と堀江のぞみという男女のデュオ。
どこかの宗教団体のような二人とも白装束。柴崎の方はちょっとアブナイ中年風、堀江は清楚な感じだ。
二人のパントマイムは、コミカルというより詩的で洒落ている。
後半はスタンドマイクを使って「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のパロディを演じていた。
演芸会には異色の芸だが、客席の反応もよく、初舞台としては成功したのでは。

吉坊『高津の富』
東京では『宿屋の富』、富籤の神社も湯島天神だったり、椙森稲荷だったりと演者によって異なる。
『高津の富』の見せ所は3ヶ所。
・貧しい泊り客が鳥取の大金持ちだと大ぼらを吹き、なけなしの1分で富籤を買わされる場面
・高津の富籤の会場で、二番富の五百両を当たると信じ込んだ男の妄想話で、周囲が振り回される場面
・富籤を買わされた男が、会場で千両が当たり歓喜する場面
吉坊の高座は、それぞれの場面を丁寧に演じていて好演だったが、全体にメリハリというかインパクトに欠けている様に感じた。
上方なら枝雀、東京なら談志、の様なアクの強さがこのネタには必要なのかも知れない。

ゲストの花緑はいいでしょう。

陽・昇『漫才』
東京の現役の中ではこの二人が一番面白いと思っている。
ネタをちゃんと仕込んでおり、計算された芸だ。
ボケ役の顔がいかにも漫才師らしいのと、ツッコミ役の訥々とした受けの組合せが良い。
審査員の方、金賞をあげて。

鯉橋『井戸の茶碗』
古典をきっちりと演じる芸協期待の若手。
千代田卜斎が若く見えてしまうのと、細かな言い間違いはあったが、清兵衛や作左衛門の人物は良く描かれていたし、何より奇を衒わない真っ直ぐな高座は好感が持てる。

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2018/01/20

鈴本正月二之席・夜(2018/1/19)

鈴本演芸場正月二之席夜の部・9日目

前座・春風亭朝七『桃太郎』
<   番組  >
古今亭駒次『ガールトーク』
ダーク広和『奇術』
古今亭菊之丞『たらちね』
三遊亭白鳥『ナースコール』
ホームラン『漫才』
柳家さん助『もぐら泥』
桃月庵白酒『粗忽長屋』
─仲入り─
ぺぺ桜井『ギター漫談』
五街道雲助『新三十石』
ストレート松浦『ジャグリング』
柳家喬太郎『ハンバーグができるまで』

色々あって、19日が今年の初席となってしまった。最近では最も遅い聴き初めである。
喬太郎がトリということで、昼の部(こちらもトリガ一之輔とあって大勢入っていたようだ)がはねる頃には長い行列ができていた。大半はトリ目当てだと思うが、近くの席の人は早くから並んでいたのに、トリが上がる直前に出て行ってしまった。色んな人がいる。
感想をいくつか。

朝七『桃太郎』、なんだか老成した感じの前座だった。

駒次『ガールトーク』
マクラで師匠の話題が出たが、亡くなった事には触れなかった。こういう目出度い席では訃報は避けるものらしい。
ネタは、噂話というのはその場にいない人の悪口になるというストーリー。
古今亭志ん駒は、1月18日に死去した。81歳だった。
明るい元気の良い高座で楽しませてくれた。志ん生最後の弟子で、高座でも度々師匠のエピソードを披露していた。
駒次は今秋真打に昇進予定で、晴れの高座に同席できなかったことは心残りだったろうと推察する。
ご冥福を祈る。

ダーク広和『奇術』
TVに呼ばれないとこぼしていたが、もっと観客にアッピールする様な演出を考えたらどうだろうか。地味すぎて、せっかくの技能が伝わらないのだ。

菊之丞『たらちね』
ちょっと一息、という高座。

白鳥『ナースコール』
毎度お馴染みの新作で、入院中の爺さんが看護婦の体を触りたくて、やたらナースコールを押すと言う噺。他愛ないが、よく受けていた。

ホームラン『漫才』
この日はいつもに比べパワー不足。

さん助『もぐら泥』
上方では『おごろもち盗人』というタイトルで当代の松喬らが得意としているが、東京では演じ手が少ない。さん助は二ツ目時代から度々高座にかけている。とぼけたキャラがネタに似合っている。

白酒『粗忽長屋』
この日もっとも客席の笑いを取ったのはこの人。
行き倒れを兄弟分の熊だと主張し、その熊を連れてきた男が、行き倒れの当人は自分だと言い出すという、ちょっと変わったストーリー。
主観と客観というテーマもあるし、思い込みがどんどん真実から遠ざけて行くという、このネタはけっこう教訓的な物語なんだなと改めて感じた。

雲助『新三十石』
訛りのひどい浪曲師が、入れ歯をほき出したりはめ直したりしながら『森の石松、三十石船』を唸るというものだが、ただただ抱腹絶倒。

喬太郎『ハンバーグができるまで』
池袋の街の変遷を話題にした長目のマクラからネタへ。
この噺は恐らく10回は聴いていると思うが、この日気が付いたことは「間」の取り方だ。
3年前に別れた妻がいきなり訪ねてきて、男の大好物のハンバーグを手作りしてくれるという。元妻に未練があり、独り暮らしに悶々としていた男は、もしかしてヨリが戻るんじゃないかと期待する。
処が、女性は近々再婚が決まり、その報告に来たのだと言う。
女性からすれば会って直接報告したいという気持ちだったろうが、男にとってはこれほど残酷なことはない。
もう出て行ってくれという男の言葉に女性は去ってゆき、一人残った男は黙々とハンバーグを食べる。そして生まれた初めて元妻が調理したニンジンを口に入れ、「ニンジンってけっこう甘いじゃないか」で終わる。
見所は、最後の場面で男が万感の思いを胸にハンバーグを食べるシーンで、ここで喬太郎は男の動作やセリフにかなり長い「間」を置いている。
落語の「間」というより、芝居の「間」だ。
演劇の経験のある喬太郎だからこそ、自然に演じることが出来るのだろう。
最終シーンは落語ではなく、一人芝居で演じていた様に見えたし、そこがこのネタが成功の鍵たと思う。

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2018/01/18

馬の足に拍手!「世界花小栗判官」(2018/1/17)

近松徳三・奈河篤助=作『姫競双葉絵草紙(ひめくらべふたばえぞうし)』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「世界花小栗判官(せかいのはなおぐりはんがん)」 
四幕十場
発端    (京)  室町御所塀外の場
序幕<春> (相模)鎌倉扇ヶ谷横山館奥庭の場
             同 奥御殿の場
             江の島沖の場
二幕目<夏>(近江)堅田浦浪七内の場
              同 湖水檀風の場
三幕目<秋>(美濃)青墓宿宝光院境内の場
             同 万屋湯殿の場
             同 奥座敷の場
大詰 <冬>(紀伊)熊野那智山の場

<  主な配役  >
尾上菊五郎:盗賊風間八郎
中村時蔵:執権細川正元/万屋後家お槙
尾上松緑:漁師浪七、実ハ美戸小次郎
尾上菊之助:小栗判官
坂東彦三郎:横山次郎
坂東亀蔵:膳所の四郎蔵
中村梅枝:万屋娘お駒/浪七女房小藤
尾上右近:照手姫
河原崎権十郎:万屋下男不寝兵衛
ほか

新春の国立劇場の歌舞伎は、音羽屋一座による「世界花小栗判官」。
「小野小町か照手姫か」と謳われた照手姫と、これも伝説上のヒーロー小栗判官との恋模様を軸に、足利幕府に弓を引く盗賊(新田義貞の末裔)やその仲間との死闘を描いた作品。
いかにも歌舞伎の狂言らしい状況設定がなされている。

・お家騒動をめぐる忠臣と逆臣の対立、これには必ずお家の宝物をどちたが手に入れるかが重要なポイントとなる。
・忠臣のヒーローは美男でしかも滅法強い。ヒーローを命がけで守る家来がいる。
・ヒーローを慕うヒロインの美女がいて、二人はすれ違いを繰り返す。
・ヒーロー又はヒロインに横恋慕する人物が現れ、二人の間を邪魔する。
・主君やヒーローへの忠義のために、大事な人を殺めるという設定がある。
・ヒーロー又はヒロインが一時は絶対絶命のピンチを迎えるが、神仏のご加護で助かる。
・最後はヒーローが逆臣を成敗し宝物を取り返してお家は安泰、ヒロインと無事結ばれる。めでたしめでたし!で幕。

この筋立ては多くの歌舞伎狂言に共通するもので、鉄板と言ってもいいだろう。
今回の芝居では、悪人の盗賊風間八郎は成敗を免れた(なんと言っても菊五郎が演じてるからね)。
小栗判官に横恋慕する娘を母親が殺害し、娘が幽霊になって出て来るという場面もあって、怪談話入りの大サービス。
全体にエンターテインメント性の高い芝居となった。

見所は二つ。
・小栗判官が馬術の名手ということで、逆臣たちが暴れ馬に小栗を乗せて殺害を図るのだが、小栗は馬を鎮めて乗りこなすという場面がある。
ここで馬がサーカスで演じる様な曲芸も見せるのだが、何せ中は前足と後足の二人の俳優だ。背中には主役を乗せての動きなので相当に難しい動きだと思うが、これを見事に演じて観客からは大喝采。
馬の足に拍手!
・かつて小栗家の家臣で今は漁師となっていた浪七が、照手姫を悪人たちの魔の手から救うために彼らと死闘を繰り返し、最後は一命を賭して姫を救う場面。
この立ち回りが見せ場で、松緑の奮闘公演の様相を呈していた。女房小藤との別れの場面もしっとりと演じて良い出来だった。
松緑はかつてはセリフ回しに難があったが、今は全くそれを感じさせない。

役者の中では、松緑以外では梅枝の演技が光る。
命がけで夫を助けるという女房の役と、小栗に横恋慕したあげく母親の手にかかって殺されてしまうという対照的な二役だったが、それぞれの心中を深く表現していた。

場面が春夏秋冬という季節の変化、場所も京から相模、近江、美濃、紀伊と移り、目を楽しませていた。
初春らしい華やかな舞台だった。

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2018/01/17

川上貞奴~元祖国際女優

川上貞奴、名前は聞いていたが、どういう人物だか知見がなかった。
付き合った男たちがいずれも近代史に名を残す人物だったと同時に、初めて世界の舞台で活躍した女優でもあったのだ。
月刊誌「選択」2018年1月号の「をんな千一夜」に彼女の記事が載っているので、要約し紹介する。

貞は明治4年に両替商の娘として生まれたが、家業が傾き日本橋葭町の芸者屋に引き取られた。置屋の女将がかつて大奥で御殿女中をしていた関係から、読み書きや芸事を仕込み、立派な芸子に育て上げた。
12歳で「小奴」の名で半玉として座敷に出るが、その頃から人に媚びず独特の風格があって政財界の大物に寵愛され、葭町を代表する名妓になっていた。

ある日、貞は好きな乗馬で成田山まで遠乗りしていたところ、野犬の群れに襲われる。
これを助けたのが、後の「電力王」となる岩崎桃介で、二人はたちまち恋に落ちる。この辺りはなんかドラマでも出てきそうだ。
しかし桃介は慶応義塾の苦学生で、塾長の福沢諭吉に見込まれてその次女と結婚することを前提として婿入りしたばかりだった。
貞もまた花柳界のしきたりに従って「水揚げ」を受けることになるが、相手は内閣総理大臣の伊藤博文だったというから凄い。

「奴」と改名した貞は、気に入らなければ高位高官の座敷でも中座するような超売れっ子の芸妓となっていた。
貞は元よりそんな境遇に満足せず、有力者や有名人の女になる気もさらさら無かった。それより何かになりたくて悶えているような男に魅かれていた。
そんな貞が傾倒したのが、壮士芝居の川上音二郎だった。貧しい生まれで学問もなかったが、何かをしようとする気持ちが身体から溢れていたのだ。
貞は音二郎を伴侶に選び、すっぱりと芸者をやめてしまう。

音二郎は社会風刺や政権批判を演劇にして上演するものだから、直ぐに牢屋に入れられてしまう。
選挙に出れば落選し借金まみれ。
追い詰められた音二郎は、新天地をアメリカに求めて出港する。もちろん、貞も一緒だ。一緒というより、夫を叱咤激励した。
しかしアメリカでの音二郎の興行は上手くいかず、飢え死に寸前までになる。

この危機を救ったのが貞奴だった。
芸者時代に鍛えた舞踊劇を演じたところ、これが大当りして、観客が殺到。
ヨーロッパからも公演依頼が舞い込み、英国ではエドワード王子が貞奴に魅了される。
フランスでは大統領夫妻からエリゼ宮殿に招かれ、劇場に出ればアンドレ・ジッドが熱狂。
ロダンは貞奴にモデルになってくれと口説き、ピカソも彼女に夢中になった。
ザクセン王国の国王からロシアのニコライ二世、イタリアの作曲家プッチーニ、画家のパウル・クレーと、彼女の魅力の虜になった男の名を上げればきりがないほどだ。
これをサクセスストーリーで終わらせない所が、彼女の素晴らしさだ。

一方で、厚遇された貞奴は西洋では演劇が文化として重んじられ、俳優や女優の地位の高さ、とりわけ女性たちが社会の中で生き生きとして活動している姿に衝撃を受ける。
日本に帰れば、女優は舞台に立つことさえ許されない時代だった。俳優の社会的地位も低かった。
日本とのあまりに大きな落差だった。
そこで彼女は日本に帰国し、俳優養成学校を作り女優を育成しようと思い立つ。

ところが日本で待っていたのは予想以上の非難、中傷だった。「芸者風情が偉そうに」とバカにあれ、脅迫まで受ける。
特に、夫の音二郎が死去すると、その攻撃はいっそう酷くなる。

そんなおり、貞奴の前に福沢桃介が現れる。再会した二人は既に40歳を超えていたが、桃介の傍にいて支えて欲しいという申し出を受け入れ、女優をやめて桃介と共に生きることを世間に公表する。
ただ桃介には家族がいたため、彼女は妾の身であった。
そこで経済的にも自立しようと桃介から株取引のイロハを習い、女相場師として名を馳せてゆく。
さらに儲けた金で「川上絹布」を立ち上げる。
当時はまだ「女工哀史」の時代だったが、貞は女工の就業時間を9時から17時までとし、寮は個室。茶道や華道、テニスまで楽しめるという理想的な工場を作ったのだ。

貞奴が目指したものは、単に女優の育成という狭い分野にとどまることなく、女性の社会的地位を向上させ、幅広い「幸福」の形を提示したかったのだろう。
婦人解放運動に名を残すことは無かったようだが、終戦の翌年に生涯を終えた貞奴の人生は、女性の手足をしばり男に奉仕することだけを強制してきた日本社会に対する反骨精神に貫かれていた。

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2018/01/14

予防接種したのにインフルエンザだって

「(検査結果をみながら)陽性ですね。インフルエンザです」
「でも先生、去年11月末に予防接種したばかりですが」
「ああ、それでもインフルエンザにかかることがあるんです」
「でも、それじゃ予防の意味ないですよね」
「その代り症状が軽く済みますから」
38-39℃の熱が3日も続いているというのに、軽く済んでるって?
医者のいう事は正しいようだが、それなら予防接種の前にその事を伝えるべきでは。

お陰で、落語会と演劇各1回がパーになってしまった。
ヤレヤレ!

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2018/01/09

「圧力」が「暴発」を生んだ戦前日本の教訓

米国トランプと北朝鮮金正恩との詰り合いはエスカレートする一方で、それも「お前のかあちゃん出べそ」級の低俗ぶりは世間の顰蹙をかっている。
それが言葉の応酬で済んでいるうちは良いのだが、なにせ二人とも核のボタンを握っているのだから、穏やかではない。

現在、世界の核保有国は北朝鮮とイスラエルを加えれば9ヶ国になる。
ただ、第二次世界大戦後に実際の戦闘で核兵器が使用されたことは一度もない。だから核兵器は使えない兵器とも言われてきた。
核兵器を使用した場合の被害に大きさもさることながら、使用した国は国際的な非難を浴びて孤立するのが避けられないからだ。
通常では使用できないとすれば、恐れるのは「暴発」だ。
追い詰められて自暴自棄になり「暴発」して核兵器を使用する、これが最も怖い。
米国と日本政府は相変わらず北への圧力を強化することの一辺倒だが、過去を振り返れば圧力が暴発を生んだ歴史がある。
他ならぬ、戦前の日本だ。

1941年
7月26日 日本の在米資産凍結
8月1日 石油・ガソリンの対日輸出全面禁止
9月6日 御前会議で天皇は「10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」を裁可
10月16日 近衛内閣総辞職
直ちに東条英機を総理とする大命を下す
11月2日 天皇は東条に「戦争の大義名分」を考えるよう命令
11月5日 天皇は「米国との交渉は12月1日深夜をもって打ち切る」を裁可
11月27日 中国とインドシナからの完全撤退を求める「ハル・ノート」が到着
東条はこれを大本営政府連絡会議で米国からの「最後通牒」と報告
機動部隊が択捉からハワイへ向けて出発
天皇の裁可を受けて山本五十六連合艦隊司令長官は真珠湾作戦命令を発す
12月8日 対米開戦

日本はアメリカに勝つ見込みもないまま、戦争は始めても終結させる見通しのないまま、「暴発」 して対米戦争に突入した。
米国の北朝鮮分析サイト「38ノース」は、北との武力衝突が近隣諸国にどれだけの被害、惨事をもたらすかを分析し、北がソウルと東京を核攻撃した場合、最大で死者が210万人、負傷者が770万人に及ぶと見ている。
考えるだに身の毛のよだつような予測だが、こうした攻撃を確実に防ぐ方策はないのが現実だ。
米国と北朝鮮の無益な脅しあいをやめさせ、追い詰められた北朝鮮が「暴発」せぬよう知恵を絞るのが、我が国のとるべき道ではなかろうか。

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2018/01/07

昔の本を読み返す「神々は渇く」「ゴリオ爺さん」「脂肪の塊」など

10代の頃に読んで面白かったり、感動したりした本を読み返してみようと思い立った。
「チボー家の人々」や「戦争と平和」の様な長大なものは避けて、もうちょっと手軽なものをいくつか探し出して読み始めた。
なにせ半世紀以上前に読んだ本だから、筋は完全に忘れている。だから新鮮だ。そして、とにかく面白い。
ただ読み返してみて、10代の頃に何にそんなに感動したのか、そこは良く分からなかった。

アナトール・フランス「神々は渇く」(大塚幸男・訳 岩波文庫)
やはりこれは名著だ。
フランス革命の末期から寡頭政治に移行する2年間を描いたもので、革命に殉じた青年の悲劇がテーマになっている。
主人公と彼を取り巻く数名の人間以外は、全て実在の人物という歴史小説とも読める。
作者は背景となった2年間の日々の出来事や文書や発言、天候に至るまで丹念に調べ、作品の中に織り込んでいるので、記録文学としての価値もある。
主人公の純粋だが過激な思想や行動が、自ら処刑されてしまう結末を著者は冷徹な目で見ているが、それでも未来への希望は失っていない。
最後の数頁にいかにもフランスの作家らしい香辛料も効いていて、小説の醍醐味を味わうことが出来る。

オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」(博多かおる・訳 集英社文庫)
バルザックの生きた時代は、政治的にはフランス革命後の王政復古からナポレオン帝政時代にいたる。ブルジョワ階級の台頭と貴族社会の没落。初等教育の普及による識字率の向上があり、印刷技術の進歩により大量の出版物が世に出た時代だった。
こうした急激な社会変化の下での、人々の喜怒哀楽を描いた小説だ。
娘たちの幸せだけを願い、全財産を娘たちにつぎ込んで、自らは貧困の中で死んでゆくゴリオ爺さん。
人間の強欲さ、エゴイズム、時にはおぞましさをも深く描きながら、バルザックの底にあるのは人間賛歌だ。
情景や人間心理の細かな描写は、小説の手本といって良い。

ギィ・ド・モーパッサン「脂肪に塊」(太田浩一・訳 光文社文庫)
1870年にフランスとプロイセンとの戦争(普仏戦争)が勃発し、プロイセンが勝利して、ナポレオン三世による第二帝政が終わる。モーパッサン自身もこの戦争に従軍していて、大きな影響を受ける。
作品の背景はプロイセンの占領地域にあるフランスのある街から抜けだして、非占領地域に向かう乗合馬車の一行を描いたもの。
一行の顔ぶれは貴族や成金、大商人、修道女、民主主義運動家だが、そこに「脂肪の塊」の愛称で呼ばれたいた娼婦が同乗している。
他のメンバーは娼婦の存在に露骨に目を顰める。処が馬車はあいにくの天候不良や道路事情により遅々として進まず、戦争下で食料店は閉まっていて、一同は空腹に襲われる。
ひとり娼婦だけが食料を準備してしていて、同乗の人たちに分け与える。途端に周囲の娼婦に対する態度がガラリと変わる。
馬車の進行は大幅に遅れて、宿泊する場所もプロイセン占領地域になってしまう。占領軍の士官が娼婦に何事か言い寄るが、愛国者の娼婦は拒絶する。
そうすると士官は報復のために、馬車の出発を止めてしまう。一行は、娼婦のために馬車がいつまでも動けないと、娼婦にプロイセン士官に身を任せるよう迫り、娼婦は止むを得ず要求に応じる。
その結果、翌日に無事馬車は出発するが、今度は周囲の人たちはまるで汚い物でも見るような目で娼婦を蔑み、娼婦は耐えらえれず泣き続ける。
馬車を舞台に、当時の社会の縮図を描いた作品で、ブルジョワジーたちの冷酷さを見事に描いている。
この一作でモーパッサンが一躍人気作家になって世に出た記念碑的な作品でもある。
でも、高校生の当時に読んで面白さを感じた理由が、ちょっと謎だ。

こんな調子でこれからもシコシコ読み返しを続けるつもりでいる。

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2018/01/05

相撲協会はいっそ「公益法人」なんて返上したら

新年早々恐縮だが、税金のはなし。

2015年度 15万円
2016年度 15万円
2017年度 15万円(見込み)
(万円未満は四捨五入)
上の金額は、相撲協会が年間に納入した税金だ(月刊誌『選択』2018年No.1).。
一方、相撲協会の売上高は次の通り。
2015年度 115億円
2016年度 120億円
2017年度 110億円(予算)
(億円未満は四捨五入)

110億円以上の売り上げで、2016年度で7億円を上回る利益をを上げている法人が、なぜ実質無税に近い扱いで済んでいるのか、そのカラクリは相撲協会が公益法人であるからだ。
公益法人の場合、公益目的の事業は非課税だ。

では、なぜ相撲協会が公益法人なのかというと、
・太古より五穀豊穣を祈って執り行われる神事を起源とし
・我が国固有の国技であることを考慮し
・「大相撲」はこうした神事や伝統の「一般公開」であると位置づけ
・それ自体が「公益目的事業」とされる
というのが理由である。
ヘ~、知らなかったなぁ。

大相撲が神事や伝統の一般公開とは笑わせる。
あれはどう見ても格闘技の一種で、他のプロスポーツと同様の単なる「興行」にすぎない。
名目と実態とがあまりに離れすぎている。
仮に「神事や伝統の一般公開」なら、なぜNHKから年間30億円もの放映権料をふんだくってるんだろう。その原資は私たちから強制徴収している受信料だ。
公益法人なら公共放送から金を取るのはおかしい。
公益法人なら、暴力団とは完全に縁を切るべきだ。

それがイヤなら、さっさと公益法人なんて返上して税金も納めることだ。
そうすりゃ、どこやらの家元のオバちゃんから、ガタガタ言われるなくても済むぜ。

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