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2018/02/07

人形町らくだ亭(2018/2/5)

第76回「人形町らくだ亭」
日時:2018年2月5日(月)18:50
会場:日本橋公会堂
<  番組  >
前座・橘家かな文『やかん』
桂宮治『つる』
柳家さん喬『初天神』
~仲入り~
古今亭菊之丞『景清』
古今亭志ん輔『お見立て』

落語家の高座と客の関係は一期一会、同じ噺家の同じネタでも時間と空間が変われば中身も変わってくる。
前に聴いた時は良かったのにという場合もあれば、今日は違うなと唸らせられることもある。
とりわけ「過去最高の出来」に出会えた時の感激は一入だ。それを求めてせっせと寄席や落語会に通い続ける。

宮治『つる』
安物の天ぷらを食い過ぎたような胃のもたれを感じる高座、苦手だね。

さん喬『初天神』
父親から初天神に連れていかぬと言われた息子が、向かいの職人の所に行って家庭の秘密をばらそうとする。慌てた父親が息子を連れて行くことにするという設定、必要なのかな。
こういう余計な改変は、時に噺の風味を壊しかねない。
縁日に着いてからの父子の描写は微笑ましい。

菊之丞『景清』
器用な人で何を演じてもそこそこのレベルだが、心を打たれることが無いというのが今までの菊之丞評だった。
しかし、この日は違った。
同じ盲人でも『心眼』の梅喜とは異なり、『景清』の定は元は腕のいい木彫師だが、酒と女に溺れた挙げ句に中年から目が不自由になった男。
歩くにも杖を肩に担いで鼻歌を唄う。
目が開くようにと願掛けした寺では、お題目をあげながら隣で拝んでいた女性にちょっかいを掛ける始末。
その反面、何とか木彫りを試みるが盲目の悲しさ、鑿で手が傷だらけになってしまう。
もう一度木彫りの仕事に戻りたいし、息子の身を案じる母親への孝行の為にも目を治したい。その一念で、定は石田の旦那の勧めもあって上野の清水の観音様に百日の願掛けをする。
しかし満願の日を迎えても目が開かない。定は怒りにまかせて観音様に悪態をつく。母親がこの日のために繕ってくれた縞模様の着物の柄が見えないと慨嘆するのだ。
この後の不忍池付近で落雷にあい、定の目が開いて歓喜する。
伝法な男でありながら、仕事への一途な思いや息子を思う母親への優しさといった定の姿を、菊之丞は明解に描いていた。
気持ちの入った良い高座だった。

志ん輔『お見立て』
このネタは志ん朝の高座が絶品で、恐らくこれを超えるのは難しいだろう。
弟子の志ん輔としては、一方では師匠を見倣いながら、もう一方では師匠とは違った演じ方を模索しているのだろう。
志ん朝の高座では、「お見立て」「見立てる」という言葉をマクラで解説しているが、志ん輔の高座ではネタの中の喜助のセリフに含めていた。
志ん朝のでは、喜助が吉原の若い衆「妓夫(ぎゅう)」の中でも貸し座敷の2階専門で通称を「なかどん」と呼ばれ、花魁と客の間を取り持つ役割だったと、これもマクラで説明している。だから喜助は花魁と客の間の板挟みで苦労するのだ。
こうした背景は少し解説しておいた方が親切だろう。
志ん朝では、喜瀬川花魁が杢兵衛大尽を嫌う理由を喜助に並べるのだが、志ん輔はここはあっさりと演じていた。
花魁が入院だというと見舞いに行くと言い出す杢兵衛を止めるのに、志ん朝は「吉原の法」で禁じられているとしているが、志ん輔は病気が伝染するからとしていた。
志ん輔の高座では杢兵衛が一層戯画化されていて、リアクションがオーバーに表現されていた。これが高座のメリハリにつながっていた様に思える。
喜助と杢兵衛二人が谷中で墓参りする場面は良く出来ており、師匠の高座に迫るものだった。

仲入り後の2席は結構でした。

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コメント

菊之丞の守備範囲、いや、案外攻めキャラだから、ストライク・ゾーンという方がいいかな、広いと思います。
『景清』は小説に比肩し得る重い噺、立派な高座だったそうですので、、今や古今亭山脈の秀峰をなしていますね。

宮治のは悪い油で揚げて衣が分厚い天ぷら、さん喬は天ぷらを食おうと思っていたら、刺身を出されてそれが色が悪いのですね。

福様
実力者が揃っている円菊一門の中でも、菊之丞は艶のある芸が特長だと思います。
人物像が明解なのもこの人の優れた面でしょう。

佐平次様
なかなか手厳しい批評ですね。
宮治はともかく、最近のさん喬の高座は当りが少なく、ガッカリさせられる事が多いのは確かです。

宮治さんの次にさん喬師とは・・・・・一歩間違えると、くどい・しつこい・クサい高座に(言い過ぎかな)なりかねませんな。
御二方の宮治さんの批評を見ましたら、悪い意味での本場のフイッシュ&チップスみたい。食べた事はありませんが(笑)
菊之丞師は、若旦那や酒飲み以外の噺も良いのですね。
志ん輔師・・・志ん朝師の得意ネタを自身の工夫で自家薬篭中にしつつある気がします。

蚤とり侍様
やはりこうした会で大事なことは演者の意気込み、姿勢だと思います。
菊之丞や志ん輔にはそれが感じられたという点を評価しました。

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