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2018/02/27

「皇軍」の実態

Photo吉田裕「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」 (中公新書 2017/12/20初版 )

日中戦争から日米開戦を経て終戦に至る期間(「アジア・太平洋戦争」)の戦没者の人数は次の通りだ(いずれも概数、アジア地域は推定値で住民を含む)。
1.日本 310万人
【内訳】
軍人・軍属 230万人
(内、日本軍兵士として戦没した朝鮮人と台湾人 5万人)
外地の一般邦人 30万人
国内の戦災死没者 50万人
2.米軍 9.2万人
3.ソ連軍 2.3万人
4.オランダ軍 2.8万人
5.中国 1000万人
6.朝鮮 20万人
7.フィリッピン 111万人
8.マレーシア・シンガポール 10万人
9.ベトナム、インドネシアなど 不明
私たちはどうしても戦争による国内の犠牲者に目が生きがちだが、日本が起こしたアジア・太平洋戦争で犠牲者の人数に改めて慄然となる。また犠牲者の多くが日本と交戦あるいは占領したアジア地域の人々だったことを忘れてはならない。

著者の専門は軍事史で、本書で著者は、
①歴史学の立場から「戦史」を主題化する
②「兵士の目線、「兵士の立ち位置」」を重視する
③「帝国陸海軍の軍事的特性」が現実に与えた影響
といった観点から本書をまとめている。
特に最近になって強まっている日本や日本軍礼賛本が、およそ現実から離れた戦争観に基づくものと断じている。

本書を一読して感じるのは、よくもなあこんな無謀な戦争を引き起こしたものだという感慨と、怒りだ。
日本人の犠牲者310万人のうち9割は1944年以降と推算される。つまり戦局でいえば絶望的抵抗期に犠牲者が集中しているのだ。

では日本軍兵士はどのように死んでいったのか。
戦闘以外の病気などで死んだものを戦病死とすると、その割合は日中戦争までの間では50.4%だった。
対米開戦以後の統計が無いので、ある部隊の「部隊史」によると73.5%に達していた。著者はそれでも過少であると推定している、なぜなら戦病死より戦死の方が名誉なので、戦死に付け替えたものが無視できないからだ。
いずれにしろ、戦病死が異常に高いというのが日本兵の特徴だ。

日本兵の死のもう一つ大きな特徴は、「餓死者」が多いことだ。
これも統計データが無いので研究者による推定の数値になるが、栄養失調による餓死と栄養失調が原因で病気を併発した死者の合計を広義の「餓死者」とすれば、全体の61%に達するという。
別の研究者によれば38%という説もあるが、いずれにしろ異常な高率であることに変わりない。
原因は明白で、戦線を拡大した一方で補給体制が追い付かず、兵士が深刻な食糧不足に陥ったためだ。

戦闘中に艦船が沈没したことに伴う死者を「海没死」というが、この数が35万人である。
最も多かったのは兵士を輸送する輸送船での死者で、民間から徴用した貨物船を改造したものを輸送船として使ったものが多く、容易に艦船の攻撃で沈没した。また狭い船内に多数の兵士を詰め込んでいたため、助からなかったのだ。

次にあげるのは「特攻死」だ。
航空特攻は1944年10月のレイテ沖海戦で初めて組織され、当初は体当たり攻撃により米軍空母の甲板を一時的に使用不能にするというものだった。
それが次第に過剰な期待に変わり、1945年になると特攻が主要な攻撃手段となってゆく。
特攻隊員による戦死者は海軍が2431名、陸軍は1417名、合計3848名。
一方、特攻攻撃による戦果はを見ると、空母や戦艦、巡洋艦など主力艦船の撃沈はゼロ。撃沈できたのは商船を改造した小型空母3隻、駆逐艦13隻、その他輸送船など31隻だった。
軍が描いた、特攻攻撃によってサイパンまで取り返すというのは空想に過ぎなかった。

この他に大きな問題であったに拘わらず、表に出ていない事項がいくつか採り上げられている。
①自殺率が世界一
原因の多くは軍内部の私的制裁による。こうした私的制裁はいちおう軍隊では禁止されていたが、兵士が人間性や理性をそぎ落とし、上官の命令には絶対服従させるための教育として黙認されていた。
時には暴行により死亡した例もあったが、事故死として処理され軍法会議に掛けられる例はほとんど無かった。
また、長期の戦闘や行軍により発狂したり、自殺したいした例も少なくなかった。
②「処置」という名の殺害
「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱めを受けず」として、事実上日本兵が相手方の捕虜になることを禁じていた。
日本軍が退却を迫られたとき、病気や負傷で動けなくなった兵士に自殺を強要したり、殺害することが行われていた。
③強奪や襲撃による殺害
食糧不足になると、味方の日本軍を襲い食糧を強奪するような事態も起きていた。
ルソン島では食糧強奪のための殺害や、人肉食のための殺害まで起きていた。
島で終戦を迎えたある軍医は、日本軍の第一の敵は米軍、第二の敵はフィリッピン人ゲリラ、そして第三の敵は日本兵の一群だったと述懐している。

ここまでが第一章で、第二章「身体から見た戦争、第三章「無残な死、その歴史的背景」へと続く。
「皇軍」とな名ばかりの凄まじい日本軍兵士の実態が、統計データや記録などによって詳細に示されている。
特に、日本軍の特異な軍事思想として
①見通しの立たぬままの「短期決戦」の偏重
②「作戦至上主義」により、補給、衛生、情報、防御を軽視
③極端な精神主義
④敵軍に対する過小評価
を上げている。
これらの点は、今日の日本の政治状況や、一部の日本人の中にも依然として残存している。

2018/02/25

「長い間ありがとう」三田落語会・昼(2018/2/24)

第54回「三田落語会・昼の部」
日時:2018年2月24日(土)13時30分
会場:仏教伝道デンタービル8F
<  番組  >
前座・柳家小はだ『道灌』
柳家権太楼『代書屋』
入船亭扇遊『花見の仇討』
~仲入り~
入船亭扇遊『明烏』
柳家権太楼『藪入り』

三田落語会は今回をもって休会に入る、その昼の部へ。
調べてみたら三田落語会には第7回を皮切りに35回参加している。もっとも昼夜のいずれかの参加なので、出席率としては3割を超えた程度となる。

この日出演の権太楼について、2度記事にしている。
一度目は2010年の『権太楼さん、ここは無理せずに』という記事。権太楼の体調が悪いため通常は2席演じるところを1席にして、別の演者が1席を補うというお知らせがあった。
この年の秋からは寄席も休演しており、「落語界の宝」なんだから無理せずに万全の体制になってから高座に戻って欲しいと書いた。
二度目は2012年の【権ちゃん、そりゃないぜ』という記事。
出だしを下に引用する。
【権太楼の1席目『お化け長屋』、高座に上がった権太楼、明らかに不機嫌そう。本人も機嫌が悪いんだと切り出す。その原因は今日の二人会の相手が白酒だからと言うのだ。
「これが雲助、金馬、さん喬、一朝、小満ん・・、なら分かる。喬太郎なら・・。
だけど白酒は・・・・・、いや、格がどうのって言ってるんじゃない。」】
でもこの文脈からすれば、明らかに「格」を問題にしてるとしか思えなかった。
権太楼はマクラでしばしば歯に衣を着せぬ物言いをするし、それがまた魅力でもあるのだが、この時は明らかに言い過ぎだし、第一お客に失礼だ。
客席に微妙な空気が流れたし、後から上がった白酒は明らかにやりにくそうだった。
ここまでくると「事故」だ。

事故といえば、一之輔の高座の途中で気分の悪くなった方がいて、スタッフが救護活動している間、高座が中断されたことがあった。やむを得ぬ事とはいえ、一之輔には気の毒だった。
喬太郎が『錦木検校』を掛けていて一番の山場で携帯の着信音が鳴り響いた。これが何故かなかなか止まらないと思っていたら、別の携帯からさらに大きな音が加わり、すっかり興醒めになってしまった。
この会の客は概してマナーが良かったが、あれは酷かった。

最も思い出深い高座といえば、2016年4月の喜多八の高座だ。これがこの会への最後の出演になってしまったが、高座の上がり下りは前座の肩につかまりながらという状態だったにも拘わらず、『居残り佐平治』『愛宕山』の2席を演じた。
面白かったけど、心の中では泣いていた。

演者で印象に残るのは、露の新治だ。『大丸屋騒動』『中村仲蔵』『七段目』など、いずれも素晴らしい高座だった。

本格、本寸法の古典というモチーフに相応しい出演者が顔を揃えていたが、これは主催者の好みかも知れないが顔ぶれが落語協会に偏っていたように思う。
芸協など他の協会、流派の人たちがもっと多くても良かったのではと思う。

それやこれや、思う所が一杯だが、とにかく三田落議会は楽しかった。

権太楼の1席目『代書屋』
前日の会で『笠碁』を演じていたが咳き込んでしまい、途中でやめようかと思ったと語っていた。
座布団の横に喉を湿す湯呑みが置かれていたが、使ったのは圓生の物真似の時だけだった。
この日も体調が悪そうで、この十八番のネタもいつもの勢いに欠けていたせいか、客席も爆笑の渦とはいかなかった。
マクラで、ある女流講談師のことを採り上げ、これから講談師として生きて行くという覚悟が窺えない。何か腰掛けで演じているような印象だと言っていた。
こうした辛口の小言が言えるのは権太楼だけだろう。

権太楼の2席目『藪入り』
通常の演じ方と異なり、息子を奉公に出すまでの場面を加えている。
だがこの場面を出すと、一人息子を他家に奉公に出す背景は何だったのだろうと考えてしまう。普通なら父親の職業を継ぐだろうし、何か理由があったのだろうかと、ついつい余計なことを考えてしまう。
息子が藪入りで帰って来てからは、父親が泣き過ぎる。演者が泣き過ぎると、却って客は白けてしまう。
あまり良い出来とは思えなかった。

扇遊の1席目『花見の仇討』
ちょいと季節は早いが、時節に因んだネタ。
扇遊はこの噺を得意としているし、このネタの演じ手としてはトップクラスに入るだろう。
扇遊いわく「休会のオモテ」に相応しいチョイスだった。

扇遊の2席目『明烏』
扇遊の良さは、登場人物を丁寧に描くことだ。
この噺にしても、日向屋半兵衛や倅の時次郎、町内の札付きの源兵衛と太助、茶屋と貸し座敷の女将、それぞれがきちんと演じ分けられている。
特に大事なのは源兵衛と太助の描き方で、同じ遊び人でも源兵衛は日向屋半兵衛の世話になっているようで、時次郎を吉原に連れ出す筋書きも彼が書いたと思われる。太助の方はその付き合いで同伴しただけで、性格もより荒っぽい。こうした二人の立場の違いが噺の随所に現れる。
こういう所が扇遊は上手いのだ。
権太楼が今日は扇遊に任せると言っていたが、その通りとなった。

長い間、三田落語会有難う。
スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
会の再開を首を長くして待ってます。

2018/02/21

小満ん夜会(2018/2/20)

「小満ん夜会」
日時:2018年2月20日(火)18:45
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
前座・春風亭一花『やかん』
柳家小満ん『うどん屋』
三笑亭茶楽『芝浜』
~仲入り~
柳家小満ん『雪とん』

ゲストに茶楽を迎えた2月20日の「小満ん夜会」、入りは4分程度。
前から3列目辺りの方々はお互いに知り合いが多いようで、開演まで楽しそうにおしゃべりしていた。
古典を受け継ぐとよく言われるが、どう受け継ぐかという答えは簡単ではない。
先人の演じ方をそのまま真似ているだけは進歩がなく、かと言って下手に手を加えると元のネタを壊しかねない。
そうした匙加減が演者の腕の見せ所だ。

小満ん『うどん屋』
マクラで一般の江戸っ子は蕎麦食いで、うどんはあまり好まなかったと言っていた。それでも寒い夜は江戸っ子も暖かいうどんを食べていたのだろう。
冒頭の「な~べや~きうどん~」の売り声が良い。ひと調子高く大声なのは、屋内にいる客が聞こえるように。
悪気はないが商売には何とも迷惑な客は、『蜘蛛駕籠』のそれと双璧だ。しかもこちらの客はうどんを食わないばかりか、雑煮を勧めるうどん屋に「バカヤロウ」と罵声を浴びせるだけ性質(たち)が悪い。
店の奉公人らしき客に対して、旨ければ他の奉公人からも注文があると期待の表情を浮かべうどんを煮るのだが、それが1杯だけになりうどん屋の落胆の表情。「うどん屋さ~ん」と呼び止められた時には期待を込めた明るい表情、「うどん屋さんも風邪ひいてるの?」で再び落胆の表情と、こうした目まぐるしい表情変化を小満んは見せ場にしていた。

茶楽『芝浜』
いつの頃からか『芝浜』は大ネタ扱いになってしまった。登場人物は魚屋夫婦二人で、ストーリーも大きな展開がない。落語としては小品なのだ。
昨日実際に経験したことを、翌日に「お前さん、あれは夢だったのよ」と言われて納得する人間なんていますか? いないでしょう。
それをあれこれ工夫をしてリアリティを持たせたり、さも大ネタの様にこねくり回して演じる最近の傾向は感心しない。
ここは3代目三木助ばり、茶楽の様に小品として演じるのが正解だ。
魚勝が早朝に魚河岸に行くのを嫌がると、女房から「お得意さんを他人に奪われて、それでも悔しくないのかい」と言われて思い直して出かけるのは説得力があった。
大晦日に女房が全てを打ち明け、それを魚勝は受け容れ感謝する場面は、こちらも聴いていてホッとした。
この人は上手い。

小満ん『雪とん』
マクラで「鏡代」という小咄を披露。ある男が町娘に恋煩い。見かねた人が反物を買って娘に仕立てを頼み、その時に付け文をするよう勧め、男はその通りにする。暫くして仕立てた着物が届らられるがぞんざいな仕上がり、でも袂に文が入っていた。男が開けてみると中は小銭に「鏡代」としてあった。
考えオチで、この金で鏡を買って己の顔を映してみなさいというナゾだ。
落語に出てくる男の恋煩いといのは大体が恋が叶うものが多いのだが、この演目の田舎の若旦那はすんでの所でお祭り佐七という男に、トンビに油揚げをさらわれてしまう。
間違って呼び込まれた佐七に娘は一目ぼれ、夜が遅くなったので泊まることになった佐七の寝間に、娘は夜着のまま現れお休みの挨拶に訪れる。これじゃ猫に鰹節、心得た佐七が親指を人差し指で娘の着物の裾をつまんで引くと、娘は「アレ~」と言いながら佐七の膝の上に崩れ落ちる。
なんだ、二人とも下心アリアリじゃん。
小満んの描く佐七の颯爽とした色男ぶりで、この展開も納得。

2018/02/18

ひとの恋路を邪魔する奴は・・・

「ひとの恋路を邪魔する奴は犬に食われて死ねばいい」
まあ、いま話題の例のお二人の事だけどね。
別に、相思相愛だったら、それでいいんじゃない。
第一、オレに口を出す権利なんか無いし。

ネットの書きこみを見ると、男性側が袋叩きだね。
可哀そうに。
一体、あの人がどんな悪いことをしたのかね。
どんな罪があるのかな。
家庭がどうのこうの言われているけど、
どこの家だって探せばそれぞれに問題があるんじゃないのかな。
収入が少ない、身分が不安定、将来性に疑問がある、
そういう男は結婚する資格がないのかね。
そんなこと言ったら、オレなんぞ一生独身だった。

家柄が良いなんて、有り難がる時代じゃない。
相手にだって選ぶ権利がある。
あんまりウルサイこと言ってると、言葉が悪いが、
しまいにゃ政略結婚か人身御供しかなくなるぜ。

2018/02/17

恵比寿まめかな寄席(2018/2/16夜)

「恵比寿まめかな寄席・夜の部」
日時:2018年2月16日(金)18時30分
会場:恵比寿・エコー劇場
<  番組  >
瀧川鯉八『おちよさん』
桃月庵白酒『新版三十石』
母心『漫才』
林家彦いち『掛声指南』
~仲入り~
おぼん・こぼん『漫才』
鏡味味千代『太神楽』
立川談春『かぼちゃ屋』

劇団テアトルエコーのホームグランドであるエコー劇場で行なわれた恵比寿まめかな寄席、その夜の部に出向く。
主催は「オフィスまめかな」で、当代三遊亭円楽のマネージャー植野佳奈によって設立とある。事務所名は円楽の大師匠にあたる6代目三遊亭圓生の義太夫時代の芸名「豊竹豆仮名太夫」と自らの名前をかけたもの。
HPの公演案内を見ると、圓楽の公演を中心に色々な落語会を企画しているようだ。
この会は昼夜公演で、その夜の部へ。

鯉八『おちよさん』
女が自殺しようとしているのを流しの板前が助けるという噺から、これが「人生いろいろ」の前説になっているという筋。
この人の高座は今回で3度目だと思うが、とにかくつまらない。笑ってる客もいたから、面白いと思う人もいるんだろうけどね。

白酒『新版三十石』
この日一番受けていた。
白酒は、浅い出番では寄席でもこのネタを掛ける事が多い。

母心『漫才』
以前に見た時はボケ役の嶋川武秀(妻が植野佳奈)がカツラをかぶって女装していたが、今はスで演じていた。
歌舞伎に凝っているというボケ役が歌舞伎のセリフ回しや所作を見せるのが特長。テンポも良く期待の若手漫才だ。

彦いち『掛声指南』
日本でボクシングのセコンド修業をしているタイ人が、他の仕事で覚えた掛声がセコンドにも活かされたという筋。
マクラもネタも直近の高座と同じだったが、この人は古典の方が魅力があると思うのだが。

おぼん・こぼん『漫才』
何年ぶりか分からないくらい久々だ。
コンビ結成53年目という大ベテランだが、若い。この日は得意のタップの披露はなかったが、しゃべくり漫才を面白く聴かせてくれた。

談春『かぼちゃ屋』
こういう比較的小さな会に出るのは珍しいのではなかろうか。
マクラで先代圓楽のエピソードをタップリ語っていたのは、この会の主催者を意識したものか。
先代圓楽が熊本での落語会に出演のため飛行機で向かったが、途中で熊本空港が天候不良のため急遽福岡空港に降りることになった。熊本での仕事が間に合わないと周囲のスタッフが青くなっていると、やおら圓楽は「スチュワーデスさん、パラシュートはないか?」と訊いたと言う。
落語の良い所は、周囲が与太郎をそのまま受け容れている点だといって、与太郎が主人公の本題へ。
いつもの様に流れる様なしゃべりで、与太郎とそのおじさん、カボチャを全部売りさばいてくれた長屋の親切な兄ぃ、それぞれの人物を鮮やかに演じていた。

2018/02/16

「ムサシ」(2018/2/15)

「ムサシ」
日時:2018年2月15日(木)13時30分
会場:Bunkamuraシアターコクーン

脚本:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
<  キャスト  >
宮本武蔵:藤原竜也
佐々木小次郎:溝端淳平
筆屋乙女:鈴木杏
沢庵宗彭:六平直政
柳生宗矩:吉田鋼太郎
木屋まい:白石加代子
平心:大石継太
忠助:塚本幸男
浅川甚兵衛:飯田邦博
浅川官兵衛:堀文明
只野有膳:井面猛志

2009年の初演以来、ロンドンやニューヨークなど海外を含めて何度も再演されてきたが、今まで観る機会がないままになっていた。
今回、蜷川幸雄三回忌追悼公演として2014年の出演メンバーが全員揃ったシアターコクーンの舞台を観劇。
幸いバルコニー席の最前列の舞台寄りという良席だった。

あらすじ。
慶長十七年(1612年)陰暦四月十三日正午、豊前国小倉沖の舟島で行われたご存知、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は武蔵の勝利に終わる。
佐々木巌流の名前から、後に巌流島の決闘として世に伝わる。
倒れた小次郎を見ると未だ息があり、武蔵は検視役に手当を頼み立ち去る。
決闘から6年後の元和4年(1618年)の季節は夏。場所は鎌倉は佐助ヶ谷、源氏山宝蓮寺。
講堂と厨子、それを結ぶ渡り廊下しかない小さなこの寺で、いままさに寺開きの参籠禅が執り行われようとしていた。
大徳寺の長老沢庵宗彭を導師に迎え、将軍指南役で能狂いの柳生宗矩、寺の大檀那である木屋まいと筆屋乙女、そして寺の作事を務めた武蔵も参加している。
そこへ突然、佐々木小次郎が現れた。舟島でかろうじて一命をとりとめた小次郎は、武蔵憎しの一念で、6年間武蔵の行方を追いかけて、遂にここ宝蓮寺で宿敵をとらえたのだ。
先の決闘では武蔵の策によって敗れたと信じる小次郎にとり、今度こそは「五分と五分」で決着をつけようと、武蔵に「果し合い状」を突きつける。こうして、宮本武蔵と佐々木小次郎の命をかけた再対決が「三日後の朝」と約束される。
しかし、なぜか周囲の人たちは二人の決闘をやめさせようとする。
沢庵和尚は殺生はいかんと説くし、柳生宗矩は刀が物言う時代は終わったといい、筆屋乙女は父の仇討ちを通して復讐の連鎖はやめようと言い出し、木屋まいに至っては自分とやんごとなきお方とのご落胤こそが佐々木小次郎だと主張し出す始末。
こうした中で行われる武蔵と小次郎の最後の決闘の結末は・・・。

いかにも井上ひさしの戯曲らしい笑いの多い作品だ。剣術の訓練がいつのまにかタンゴののリズムになり、全員が踊りだす、そんな場面もある。
作品のテーマは、生への賛歌だ。生きることの素晴らしさ。
もう一つのテーマは能で、舞台装置である寺そのものが能の舞台の構造となっている。
演者たちの能の謡や舞に乗せた科白や所作が随所に披露される。

柳生宗矩が創作する新作能「カチカチ山の続編」が、本作のテーマを暗示している。
もっともオリジナルの「カチカチ山」を知らない方も多いだろうから、ここでwikiの記事を下に引用する
【昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。
老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまっていた。業を煮やした翁(おきな)はやっとのことで罠でタヌキを捕まえる。
翁は、媼(おうな)に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って媼を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま媼を杵で撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」(ばばぁ汁)を作る。そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。翁は追いかけたがタヌキに逃げられてしまった。
翁は近くの山に住む仲良しのウサギに相談する。「仇をとりたいが、自分には、かないそうもない」と。事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かけた。
まず、ウサギは金儲けを口実にタヌキを柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った柴に火打ち石で火を付ける。火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答え、結果、タヌキは背中にやけどを負うこととなった。
後日、ウサギはタヌキに良く効く薬だと称してトウガラシ入りの味噌を渡す。これを塗ったタヌキはさらなる痛みに散々苦しむこととなった。
タヌキのやけどが治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。ウサギは木の船と一回り大きな泥の船を用意し、思っていた通り欲張りなタヌキが「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選ぶと、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと、泥の船は溶けて沈んでゆく。タヌキはウサギに助けを求めるが、逆にウサギに艪で沈められてしまう。タヌキは溺れて死に、こうしてウサギは見事媼の仇を討った。】
落語の「強情灸」に「これじゃまるでカチカチ山の狸だ」というセリフが出てくるし、「泥船に乗る」という表現もここから来ている。
本題に戻ると、柳生宗矩は続編として殺されたタヌキの子どもがウサギを敵討ちにするというストーリーを編み出すのだ。

出演者では断然、白石加代子の演技力と存在感が光る。彼女が出て来ると、舞台全体をさらってしまう。この役は白石加代子以外にはあり得ないと思えるほどだ。
他では、六平直政と吉田鋼太郎のユーモラスな演技が、井上芝居らしさを醸し出していた。

とにかく楽しい人間賛歌に溢れた芝居、公演は25日まで。

2018/02/14

文楽「女殺油地獄」(2018/2/13)

文楽2月公演第三部「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」
日時:2018年2月13日(火)18時
会場:国立劇場 小劇場

近松門左衛門=作
徳庵堤の段
河内屋内の段
豊島屋油店の段
同   逮夜の段

出演者は下記の通り(クリックで拡大する)。
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<主な人形役割>
河内屋徳兵衛:吉田玉也
   女房・お沢:吉田勘彌
   息子・与兵衛:吉田玉男
豊島屋の女房・お吉:吉田和生

あらすじ。
大阪天満の油屋、河内屋の主人・徳兵衛は番頭あがりの婿入りで、それを良いことに義理の息子・与兵衛は増長し、店の有り金を持出しては放蕩三昧。
母親のお沢と徳兵衛は懲らしめのために与兵衛を勘当したものの、小遣い銭に事欠いては不憫であるとして、同じ町内の油屋、豊島屋の女房お吉を通じて密かに銭を与えていた。
それでも遊ぶ金に困った与兵衛は義父の偽判を用いて借金をする。返すあてなどない与兵衛は、日限に責められてお吉に無心をするが断られ、ついにお吉を惨殺し店の掛け金を奪って逃げる。
お吉の三十五日の供養に列席していた与兵衛だが、天井でネズミが暴れ、殺しの現場で与兵衛がお吉の血潮を拭った古証文を落とす。それには動かぬ証拠として与兵衛の署名があり、悪事が露見した与兵衛は召し取られる。

近松門左衛門の作ながら江戸期には再演されず、明治になってから作品が評価されるようになったようだ。
明治末に歌舞伎で上演され、人形浄瑠璃としては昭和37年が初演ということだから新しい演目といえる。
近年になって評価が高まったのは、この作品の持つ奥の深さだと思う。

劇中ではカットされているが、河内屋の前の主は若くして亡くなり、その時に長男は7歳、次男である与兵衛は4歳だった。後家となったお沢は番頭の徳兵衛を婿にするのだが、幼い与兵衛としては実父を失い母親が再婚するという現実を受け容れなかったのだろう、グレてしまうのだ。
お沢は与兵衛の不行状に怒りながら、一方で息子が不憫でならない。主人の徳兵衛は以前は奉公人だったという負い目があり、与兵衛には遠慮がちだ。

この時点の与兵衛は23歳、豊島屋のお吉は27歳。双方とも油屋で同業者であり、与兵衛にとってお吉は姉の様な存在だったろうし、甘えられる相手でもあった。あるいはほのかな恋心を抱いていたかも知れない。
そうした気配も感じたお吉の夫にとっては心穏やかではない。
そうした両者の関係も事件の背景となってゆく。

親の名前を勝手に使って金を借りた与兵衛、返せねば親に迷惑がかかる。さりとて返済のあてのないまま日限を迎えてしまい、お吉宅に赴く。
そこに両親が来ていて、与兵衛のための小遣いとしてお吉に金を渡すのを覗き見してしまう。
両親が帰ったあとで与兵衛は一人お吉に、今度こそ真人間になるのでこの度だけは借金を用立てて欲しいと頼み込む。この時、与兵衛は本心から出た言葉だろう。
しかし、お吉としては主人が留守の間に与兵衛に大金を貸すわけにはいかない。断るお吉に懇願し続ける与兵衛。
遂に与兵衛はお吉を脇差しで殺害し、金を奪ってしまう。

事件の起きる前に、お吉が娘たちのために蚊帳をつってあげる。旧暦の端午の節句の頃には蚊が出ていたのだ。
これは落語の「二十四孝」でもお馴染みの、呉猛の親孝行の逸話とかけたもの。
与兵衛の悪事が露見し捕まるのが、お吉の三十五日の忌日の前夜である「逮夜」。
季節の移ろいも晩春から初夏という趣向。
当時の社会体制を反映した、いかにも近松の作品らしい芝居だ。

最大の見せ場は、与兵衛がお吉を殺害する場面だ。
店先で油の壺から桶に小分けしているお吉の背後から、脇差を抜いた与兵衛が近づく。油に映る刃の光に驚くお吉が逃げようとするのを与兵衛が斬りかかる。一瞬の静寂の後に、油をまきながら逃げ惑うお吉に与兵衛は何度も斬り付ける。
油で滑りながらの殺しの場面は人形が激しく動き、観ていて手に汗を握る思い。
これほどの凄惨な殺しの場面は他にないだろう。
太夫の語りと三味線が、緊迫した舞台をいっそう盛り上げていた。

聴きごたえ見ごたえ十分。結構でした。

2018/02/10

池袋演芸場2月上席・昼(2018/2/9)

池袋演芸場2月上席昼の部・9日目

前座・春風亭与いち『たらちね』
<  番組  >
春風亭朝之助『だくだく』
春風亭三朝『短命』
伊藤夢葉『奇術』
橘家蔵之助『相撲風景』
桂文雀『死ぬなら今』
青空一風・千風『漫才』
春風亭一之輔『普段の袴』
柳家さん生『お見立て』
鏡味仙三郎社中『太神楽』
柳家さん喬『棒鱈』
-お仲入りー
春風亭柳朝『武助馬』
柳家権太楼『宗論』
林家正楽『紙切り』
春風亭一朝『天災』

池袋演芸場2月上席昼の部は落語協会の芝居で、師匠の一朝と門下の一番弟子から三番弟子までが顔を揃えた。これに権太楼とさん喬がスケという豪華版。
3連休を控えた平日の昼だったが、会場は満席だった。

与いち『たらちね』
一之輔の2番弟子で、前座になったばかり。近ごろの入門者は達者なのが多いが、これが上手くなるかどうかはまた別もの。

朝之助『だくだく』
所作の一つ一つが丁寧でキレイに見える。泥棒の手つきが宜しい。

三朝『短命』
このネタ、以前に聴いた時よりスッキリと演じていた。
一朝門下は人材が揃ってる。

蔵之助『相撲風景』
古典落語が続くので、ここは息抜きの高座。
蔵之助が落語と大相撲には共通点があると言っていたが、それは階級制だけではない。もっと基本的なことで、両方ともに「古典芸能」だ。
今どき、選手は全員がチョンマゲを結って、審判である行司は神主みたいな恰好で競技を行う。その行司たちも選手たちと同じ部屋に所属している。そんなものが純粋なスポーツであるわけがない。あれは半分がショーなのだ。
それを国技だの神事だの公益だのと言うからおかしくなる。
先日のTVで貴乃花親方のインタビューが放映されていたが、まるで喋りが新興宗教の教祖だね。どこまでが事実か分からないし、相撲協会や評議会なんてぇものはみんな嘘っぱちだらけだ。
だから、まともに相手にせず放っておくのが一番だ。

文雀『死ぬなら今』
ご存知、8代目正蔵の得意ネタ。
オリジナルでは父親の棺桶に息子がニセ小判を入れておいたので、父親は知らずに地獄で閻魔大王以下に小判を渡し、彼らが通貨偽造の罪で牢屋に入れられるという筋だ。
文雀は少し変えていて、小判は本物なので閻魔大王以下の地獄の幹部たちが収賄で極楽の特捜部に捕まり牢屋に入るというもの。
いずれも、だから「死ぬなら今」というサゲになる。
『地獄八景』のクスグリをとりいれて面白く聴かせていた。

一風・千風『漫才』
牛や豚の部位のネタだけでは苦しいかな。

一之輔『普段の袴』
手慣れたネタとはいえ、相変わらず上手いもんだ。

さん生『お見立て』
手持ちのCDで、権太楼がマクラでかつて池袋演芸場で客が一人の時があり、高座に上がった紙切りの先代正楽が苦労していたというエピソードを喋っていた。
さん生も今日の入りを見て、一昔前とは隔世の感があると言っていた。
このネタ、だいぶ端折っていたがそれでもこの時間で演じるのは無理があった。熱演だったのに、勿体なかった。

さん喬『棒鱈』
師匠譲りの高座で、江戸っ子と薩摩の田舎侍との対比が面白く描かれていた。
余談だが、アタシの子どもの頃に母親が、薩摩の男は男色が多いから気をつけると言っていた。どうも昔から、江戸っ子と薩長は相性が悪いらしい。

柳朝『武助馬』
歌舞伎役者の娘さんである師匠のお上さんのエピソードをマクラに、ネタへ。
羽織の脱ぎ方一つ見ても、動きがキレイだ。
語りにもう少し抑揚が欲しい所だが、どうだろうか。

権太楼『宗論』
咳き込んだりして体調が悪そうだったが、それでも客席を沸かせていたのは、さすが。途中から童謡に変わる讃美歌を気持ち良さそうに歌っていた。

正楽『紙切り』
お題は「パンダ」「雛あられ」「美女楽団」。美女楽団では、端に将軍様の顔が。

一朝『天災』
主人公の八五郎はやたら乱暴者の江戸っ子だが、どこか愛嬌があって憎めない人物だ。こういう人間を描かせたら、一朝は当代一だろう。
心学の先生にすっかり感化されて、長屋で騒動を起こした男の所でトンチンカンな説教をする所が実に可笑しい。
充実の番組を締めくくるに相応しいトリの高座だった。

2018/02/07

人形町らくだ亭(2018/2/5)

第76回「人形町らくだ亭」
日時:2018年2月5日(月)18:50
会場:日本橋公会堂
<  番組  >
前座・橘家かな文『やかん』
桂宮治『つる』
柳家さん喬『初天神』
~仲入り~
古今亭菊之丞『景清』
古今亭志ん輔『お見立て』

落語家の高座と客の関係は一期一会、同じ噺家の同じネタでも時間と空間が変われば中身も変わってくる。
前に聴いた時は良かったのにという場合もあれば、今日は違うなと唸らせられることもある。
とりわけ「過去最高の出来」に出会えた時の感激は一入だ。それを求めてせっせと寄席や落語会に通い続ける。

宮治『つる』
安物の天ぷらを食い過ぎたような胃のもたれを感じる高座、苦手だね。

さん喬『初天神』
父親から初天神に連れていかぬと言われた息子が、向かいの職人の所に行って家庭の秘密をばらそうとする。慌てた父親が息子を連れて行くことにするという設定、必要なのかな。
こういう余計な改変は、時に噺の風味を壊しかねない。
縁日に着いてからの父子の描写は微笑ましい。

菊之丞『景清』
器用な人で何を演じてもそこそこのレベルだが、心を打たれることが無いというのが今までの菊之丞評だった。
しかし、この日は違った。
同じ盲人でも『心眼』の梅喜とは異なり、『景清』の定は元は腕のいい木彫師だが、酒と女に溺れた挙げ句に中年から目が不自由になった男。
歩くにも杖を肩に担いで鼻歌を唄う。
目が開くようにと願掛けした寺では、お題目をあげながら隣で拝んでいた女性にちょっかいを掛ける始末。
その反面、何とか木彫りを試みるが盲目の悲しさ、鑿で手が傷だらけになってしまう。
もう一度木彫りの仕事に戻りたいし、息子の身を案じる母親への孝行の為にも目を治したい。その一念で、定は石田の旦那の勧めもあって上野の清水の観音様に百日の願掛けをする。
しかし満願の日を迎えても目が開かない。定は怒りにまかせて観音様に悪態をつく。母親がこの日のために繕ってくれた縞模様の着物の柄が見えないと慨嘆するのだ。
この後の不忍池付近で落雷にあい、定の目が開いて歓喜する。
伝法な男でありながら、仕事への一途な思いや息子を思う母親への優しさといった定の姿を、菊之丞は明解に描いていた。
気持ちの入った良い高座だった。

志ん輔『お見立て』
このネタは志ん朝の高座が絶品で、恐らくこれを超えるのは難しいだろう。
弟子の志ん輔としては、一方では師匠を見倣いながら、もう一方では師匠とは違った演じ方を模索しているのだろう。
志ん朝の高座では、「お見立て」「見立てる」という言葉をマクラで解説しているが、志ん輔の高座ではネタの中の喜助のセリフに含めていた。
志ん朝のでは、喜助が吉原の若い衆「妓夫(ぎゅう)」の中でも貸し座敷の2階専門で通称を「なかどん」と呼ばれ、花魁と客の間を取り持つ役割だったと、これもマクラで説明している。だから喜助は花魁と客の間の板挟みで苦労するのだ。
こうした背景は少し解説しておいた方が親切だろう。
志ん朝では、喜瀬川花魁が杢兵衛大尽を嫌う理由を喜助に並べるのだが、志ん輔はここはあっさりと演じていた。
花魁が入院だというと見舞いに行くと言い出す杢兵衛を止めるのに、志ん朝は「吉原の法」で禁じられているとしているが、志ん輔は病気が伝染するからとしていた。
志ん輔の高座では杢兵衛が一層戯画化されていて、リアクションがオーバーに表現されていた。これが高座のメリハリにつながっていた様に思える。
喜助と杢兵衛二人が谷中で墓参りする場面は良く出来ており、師匠の高座に迫るものだった。

仲入り後の2席は結構でした。

2018/02/03

国立演芸場2月上席(2018/2/2)

国立演芸場2月上席・2日目

前座・春雨や晴太『つる』
<  番組  >
三遊亭遊里『饅頭こわい』
ナイツ『漫才』
三遊亭遊馬『佐野山』
山上兄弟『奇術』
柳家蝠丸『昭和任侠伝』
~仲入り~
三遊亭遊喜『熊の皮』
桂小文治『長屋の花見』
鏡味味千代『太神楽曲芸』
三遊亭小遊三『蒟蒻問答』

東京に二度目の雪をもたらした2月2日、朝方晴れる予報だったが昼過ぎまで雪はちらついていた。もっとも霙まじりだったせいか、地表の積雪はなかった。
国立の2月上席は芸協の芝居。
悪天候の平日にかかわらず、客の入りは良かった。

ナイツ『漫才』
先日見たばかりで、ネタもかぶっていた。
最後にBeatlesの”Hello, Goodbye”をツッコミ役が歌い、ボケ役が合の手を入れるというギャグは大して面白くなかった。

遊馬『佐野山』
芸協期待の若手真打の一人、重低音の声質は落語家より歌手に向いていると思われるほど。
落協では歌奴が十八番としていて頻繁に高座に掛けているが、あちらの演じ方はカラッとした滑稽噺仕立て。対する遊馬はオリジナルの講談『谷風の人情相撲』に近い人情噺風に仕立てていて、対照的な演じ方だ。
内容に説得力があるのは、芸の確かさだろう。

山上兄弟『奇術』
あの小さな坊やたちもすっかり青年に成長。昨年からは芸協の高座にも上がっている。
カードマジックからイリュージョンまで、多彩な奇術で楽しまてくれた。

蝠丸『昭和任侠伝』
今日は古典ばかり続くのでと断って新作落語を。
上方の桂音也が創作したもので、1970年代に人気があった東映の高倉健、鶴田浩二、藤純子らが主演した任侠映画のパロディ。
任侠映画の主人公に憧れて真似をしようとするが、次々と失敗する男の話。
上方では2代目桂春蝶が得意ネタとしていたが、蝠丸とは同じ痩せ型という共通点がある。
もっとも蝠丸は、山田洋次監督の御指名で「栄養失調の男」役で映画出演したことがあるそうだから、正札付きである。

遊喜『熊の皮』
明るく陽気な高座スタイル。
気弱でお人好しの甚兵衛さんの造形が良かった。

小文治『長屋の花見』
昨日思ったのだが、風貌が先代にちょっと似てる気がする。
季節を先取りしたネタだったが、本格古典の味わい、結構でした。

小遊三『蒟蒻問答』
小遊三が入門した頃までの噺家というのは末っ子が多かったそうだ。親の跡取りの必要性がなく、親の方でもあまり期待しなかったからだ。
小遊三も落語家になると言ったら、家族の団欒の中に入りづらくて、家を出たとのこと。
それが今では、長男なぞが平気で入門してくる。それだけ時代が変わったと。
相撲協会も落語の協会も、一門の連合体という共通点があるという。だから役員とても協会全体の事より、自分たちの一門のことを優先する。
芸協副会長がそう言うんだから間違いないだろう。
以上が相撲協会理事選の結果についての感想だった。
ネタの演じ方は、マクラを含めて志ん生流で、小遊三の明るい芸風とよく合ったいた。

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