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ここのとこ「森友問題」に関する財務省の公文書改ざんの件についてTVのニュースを見ているが、どうやら一方的に悪者にされている財務省が反撃に出ているようだ。
毎度おなじみの麻生財務相の「ふてくされ」顔だが、元々この問題は安倍首相夫妻がまいた種であり、なんでオレが責任を負わねばならないのかという不満が垣間見える。
もう一つは、国会審議での太田理財局長の答弁だ。基本的には政権側に立ったものだが、時として財務省の本音のようなものが漏れてくる。
例えば、昨日の参院に委員会審議の答弁でも、「改ざん前の決裁文書に、政治家とともになぜ昭恵夫人の名前があったのか?」という質問に対して、太田氏は「基本的に総理夫人だからではないかと思う」と明言。委員会席がざわめいていた。
太田氏は16日も、改ざんの背景に関し「政府全体の答弁を気にしていた」と首相答弁の影響を示唆するなど、踏み込んだ発言を続けている。
財務省が国有地を森友にタダ同然で払い下げたのも、公文書の不都合な部分を改ざんしたのも、全ては安倍昭恵夫人、ひいては安倍首相のためを思ってしたことだ。
本来ならかばってくれるのが人の道というものだろう。
それを一方的にお前だけが悪いなんて汚れ役を押し付けられた日にゃ、そりゃ頭にくるわな。
こうなりゃ財務省もケツをまくって、全てを明らかにしたらどうか。
佐川氏だって、その方がスッキリしていいんじゃない。
最近とみに感じるのは、日本も恐ろしい国になってきたということだ。
前川喜平・前事務次官が市立中学で講師を務めた授業の内容の報告や録音データの提供を求めた問題だが、要は政権に逆らう者は徹底的に叩き潰すという動きの一つだ。
早くいえば「みせしめ」。
森友問題で逮捕された籠池夫妻が半年以上も拘留され、家族や弁護士も接見できないのも「みせしめ」。
籠池が日本会議の活動を通じて安倍首相夫妻に接近していた頃は、国有地を破格の価格で払い下げを受けるなどの便宜を計らって貰えた。
それが一転して邪魔な存在と見ると、異常とも言える扱いで長期間外部と遮断されている。
今後、財務省の公文書改ざん問題でも同様のことが起こるだろう。
「この国のかたち」そのもを変えなくてはいけない状況に至っていると、そんな思いだ。
佐川前長官の国会での証人喚問が決まったが、予想通りというか、やっぱりと言うべきか、絶妙なタイミングで告発状が提出された。
以下、朝日の記事より引用。
【財務省が森友学園との国有地取引に関する決裁文書を改ざんした問題で、高松市の男性(70)が16日、改ざん時に同省理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官(60)に対する虚偽公文書作成容疑などの告発状を東京地検に送った。東京地検は今後、受理や大阪地検への移送について検討するとみられる。
この問題では、財務省の太田充理財局長が16日の衆院財務金融委員会で佐川氏について「(改ざんを)知っていたと思う」と述べている。男性は告発状で、改ざんが虚偽公文書作成、公文書偽造などの罪に当たると指摘している。】
政府自民党が佐川宣寿の証人喚問を逃げ切るには、恐らく次の方法だろうと予測していた。
1.佐川が刑事訴追されている事を理由に証言を拒否させる。
2.全ては佐川一人の判断で行ったことで、上からの命令や指示は一切なかったと証言させる。
このうち2.は既に民間人となっている佐川が、政府の言いなりになるとは限らない。
そうなると、確実なのは1.の方法だ。
佐川前長官については昨年、国会での虚偽答弁などで証拠を隠滅したなどの罪で告発され、検察に受理されているが、今回の告発は証人喚問の核心部分そのものだ。
告発者の真意は不明だが、安倍政権からは「良くやった」と歓迎されるだろう。
「赤道の下のマクベス」
日時:2018年3月13日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:鄭義信
演出:鄭義信
< キャスト >
池内博之:朴南星(清本南星)
浅野雅博:山形武雄
尾上寛之:李文平(清原文平)
丸山厚人:金春吉(金田春吉)
平田満:黒田直次郎
木津誠之:小西正蔵
チョウヨンホ:ナラヤナシ
岩男海史:看守A
中西良介:看守B
私は終戦の前年に生まれたので戦争の記憶は全くないが、家族や親類、ある時は銭湯で見知らぬ人から、戦争の実相を聞かされた年代だ。
我が家はは戦前は中野駅の近くで水商売をしていて、軍隊生活を送っていた人も客として来ていた。そうした場所では、彼らも気を許して自分の家族にさえ話せなかったことも喋ってしまう。
父は何も言わなかったが、母親からは兵士たちの嫌な話を顔をしかめながら私に語ってくれたことがあった。
だから最近の日本軍を賛美するような論説は、あまりに実態と異なるものだと違和感があるのだ。
その一つに極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する批判がある。私もこの裁判には大いに不満があるが、それは巷間のものとは正反対からの批判だ。
次の数字は軍事裁判によって死刑判決を受けた人数だ。
A級戦犯 7名
BC級戦犯 934名
戦争を遂行し命令を下した側と命令された側の死刑の数があまりにアンバランスなのだ。
BC級戦犯の死刑のうち11%は捕虜収容所の関係者で、捕虜に対する虐待や暴力が処刑の理由となっている。捕虜収容所の監視員らがその対象とされていた。
しかし彼らは軍の最高方針である捕虜に対して「無為徒食をせしめず」に従って捕虜を労役に使ったのであって、命令に従っただけなのだ。
この演劇は、1947年のシンガポール、チャンギ刑務所が舞台。
第二次世界大戦のBC級戦犯として収容されていた日本人と元日本人だった朝鮮人の物語だ。
死刑囚が収容される監獄・Pホールには、演劇に憧れシェイクスピアの「マクベス」の本をボロボロになるまで読んでいる朴南星、戦犯となった身の上を嘆き悲しむ少年の李文平、一度は無罪で釈放されながら再び死刑判決を受けてここの戻されてきた金春吉の朝鮮人。そして山形、黒田、小西の3人の日本人とあわせて6人の死刑囚が収容されている。
判決から処刑までおよそ3ヶ月という期限に日々怯えながら、過酷な環境の中で精神的にも肉知的にも追い詰められるている。
そうした中でも朴南星だけは明るさを失わず、落ち込む仲間を励ましてムードメーカーの役割を果す。
舞台はいかにも鄭義信の作品らしく賑やかな場面もあるが、それが反面の熾烈さを印象づけている。
朝鮮人死刑囚が日本人死刑囚に対して「あんたたちは、それでも名誉が残るからまだいい。俺たちは何も残らない」という言葉は重い。国に残された家族たちも、息子が日本軍の協力者だったということで迫害を受ける。彼らには全く救いがない。
外見は朗らかにしていた朴南星がいよいよ死刑執行を前にして、「生きたい、もっと生きていたい」と嘆く場面は胸を打つ。
私は以前タイに旅行した際、この芝居の背景にもなった泰緬鉄道に乗車した。カンチャナブリー連合軍共同墓地も訪れ、その墓石の多さに驚いた。
クワイ川にかかる「戦場にかける橋」は徒歩で渡り、橋の袂にあった日本軍慰霊碑も訪れた。
泰緬鉄道の建設期間中に、約1万6千人の連合軍の捕虜が、飢餓と疾病と虐待のために死亡した。
忘れてはならないのは4-7万人と推定されるアジア人労働者の犠牲者だ。その正確な人数は未だに分かっていない。
戦争は狂気である。
舞台は重いテーマにも拘わらず笑いの場面もあり、舞台を跳ね回る演者たちのエネルギッシュさに圧倒される。
そして、泣ける。
出演者は全員が熱演で舞台を盛り上げたが、なかでも主演の池内博之の演技が素晴らしい。
テーマも舞台も、まさに必見!
第7回「らくご・古金亭ふたたび」
日時:2018年3月11日(日)13時
会場:お江戸日本橋亭
< 番組 >
前座・金原亭小駒『高砂や』
隅田川馬石『湯屋番』
金原亭馬生『子は鎹』
~仲入り~
初音屋左橋『試し酒』
五街道雲助『明烏』
5代目志ん生と10代目馬生が演じたネタだけを掛ける、この会。
雲助と当代馬生の二人がレギュラーで、他に一門の噺家とゲストが加わる。
3月は春に向かって明るい季節だが、10日は東京大空襲、11日は東日本大震災の記念日とあって、辛い思い出の日々が続く。
政治の世界では、森友問題に関連して財務省の公文書改ざんが発覚し、これからの政界を揺るがすことになる。
興味深いのは、森友問題は些末なことで国会で論議すること自体が的外れだと主張してきた人たちが、あわてて論調を変えてきたことだ。
なかには以前の投稿を訂正する人も出てきているが、これなどは未だ良心的といえる。そうでない連中は頬被りを決め込んでいる。
「蟻の一穴天下の破れ」の諺あり、面白くなってきた。
小駒『高砂や』
このネタ、前座が演じるには荷が重い。
馬石『湯屋番』
通常は居候している若旦那が世話をしている棟梁の紹介で湯屋の奉公を勧められるが、馬石の高座では若旦那が自ら湯屋の奉公を決めてくる。
若旦那の目的は
①湯屋の主人が死ねば、後家に婿入りして湯屋の主となる
②番台に座れば女湯を自由に眺められる
③粋な女性客と知り合い、深い仲になれる
というもの。
落語に出て来る男は例外なく女好きだが、このネタの若旦那はずば抜けた好色だ。頭の中は女の事だけ。
馬石はこの脳天気ぶりを身振り手振りで徹底的に表現する。その大胆な表現力によって風呂場にいる客たちさえも若旦那がいま何を想像しているかが分かり、一緒になって楽しむ始末。
番台での若旦那の妄想と、風呂場の客たちのリアルな反応という取り合わせ。
馬石しか表現できないと思われる世界を創りだしていた。
馬生『子は鎹』
マクラで鎹を丁寧に説明していたが、サゲを理解する上で大事なことだ。
最初に『子別れ』の上中を要約して紹介したが、これも重要で、この噺の父親がどういう素行の人物で、なぜ女房と息子と別れたのかを知らないと、下のネタの再会と復縁に共感できないだろう。
かつて「別れても好きな人」という歌がヒットしたが、この夫婦はズバリそのものだ。
馬生の高座は、特に女房の情感を細やかに描いていた。
サービスの『夜桜』の踊りも結構でした。
左橋『試し酒』
演者から、この日の高座は「なかった事にして欲しい」という申し出があったので、割愛する。アタシも2度目の経験だということで、中身は想像願いたい。
終わってからの動物物真似はなかなか楽しかった。
雲助『明烏』
このネタは数多くの演者によって高座に掛かっているが、現役では雲助がベストだろう。
遊び人の二人が、大店の主に頼まれ堅物の息子をお参りだと騙して吉原に連れてゆくが、最初は廓を嫌悪して泣き喚いた若旦那が一晩花魁の手練手管にすっかりとろけてしまうという、お馴染みのストーリー。
大事な点は登場人物の描写で、とりわけ局面局面に応じて微妙に変化してゆく登場人物たちの心情を、表情の変化で観客に伝える点において雲助の巧みさが突出している。
布団から出ようとする若旦那に花魁の浦里が足を絡めて離そうとしないというくだりは、互いに相思相愛となるこれから先の『明烏夢泡雪』の展開を予測させる。
素晴らしい高座だった。
国立演芸場3月上席・9日目
< 番組 >
柳家圭花『強情灸』
柳家小せん『河豚鍋』
めおと楽団ジキジキ『音曲漫才』
三遊亭歌奴『佐野山』
桂藤兵衛『粗忽の釘』
─仲入り─
ホームラン『漫才』
柳亭燕路『くしゃみ講釈』
ダーク広和『奇術』
桂南喬『妾馬』
国立演芸場の今月上席は落語協会の芝居。
ちょいと渋めだが魅力のある顔づけに魅かれて出向く。
団体客がいたようで金曜日の昼間にもかかわらず満席、なんで分かったかというとアタシが最後の1枚だったからだ。
団体の中にはワイワイガヤガヤと周囲に迷惑をかけるケースもあるが、この日の人たちはとてもマナーが良くて感心した。
トラさんとキンさんの「トラキン会談」が行われるようだ。似た者同士で意外に意気投合するかもしれない。
トラ「キンさんよー、もういい加減に核だのミサイルだのよした方がいんじゃねえか」
キン「じゃトラさん、いっそのこと、お互いに核もミサイルもやめっこしようじゃねえか」
となるかどうか、まあ期待して見てましょ。
圭花『強情灸』
客席の反応は良くなかったが、語りはしっかりしていて悪くなかった。
ただ、肝心の灸をすえる腕の位置が変だ。もっと二の腕を高く上げて着物がずれてこないようにすべきだろう。
小せん『河豚鍋』
登場してくるだけで客席の雰囲気が変わる。さすがは真打。
河豚を上方では鉄砲という。理由はどちらも「たま(弾)に当たる」とマクラを振ってネタに。
この人は料理の食べ方が上手い。塩辛を実に旨そうに食うし、鍋料理の河豚を口に入れる所では、口から湯気が見えそうだ。
ジキジキ『音曲漫才』
初見。
本人たちも言ってたが、近ごろ楽器を持った漫才が少なくなった。というよりは絶滅に近い。このコンビは極めて貴重な存在と言える。
歌も楽器演奏も実に結構。会場がパーッと明るくなる。
「浦和」と名が付く駅が7つも8つもあるのに、なぜか「浦和市」がない、言われてみればその通りだ。
♪うらわ、うらわ、うらうらで・・・♪
歌奴『佐野山』
十八番中の十八番、ここ最近ではこの人のこれ以外にネタを聴いたことがない。
客席は大受けだった。
藤兵衛『粗忽の釘』
粗忽な男が壁に打ち込んだ釘の事で隣家を訪れるが、煙草をすいお茶を飲みながら女房との馴れ初めを語って家に戻ってくる。
女房から何しに行ったのよと叱られ再び隣家を訪れるが、さっきの続きから始めるので、隣家の主から「あんた、その話はもういいよ」と言われてしまう。
粗忽のここまでくれば芸だね。
ホームラン『漫才』
この日は勘太郎がTVの戦隊ものの主題歌を次々唄って笑いを取っていたが、たにしが終り頃になって藤木孝の「ツイストNo.1」や「24000のキッス」を唄うと客席から盛大な拍手。やっぱりリーダーだね。
振り返ってみると、ここ10年位でも寄席に出る漫才師の顔ぶれが随分と変わってしまった。
当時の人気の漫才師の多くが亡くなったり老齢化したり、あるいは健康上の理由やコンビ解消などの理由で見なくなってしまった人が多い。
落語に比べて長く続けることが難しいのかも知れない。
燕路『くしゃみ講釈』
短い時間に手際よくまとめたのは、さすがだ。
八百屋の店頭でののぞきカラクリを語る場面や、講釈師が唐辛子をぶった煙にむせびながら講談を語る場面といった見せ場は、きちんと演じていた。
ダーク広和『奇術』
服装は派手になったが、肝心の奇術は相変わらず地味。
南喬『妾馬』
言動は荒っぽいが母親や妹思い、博打と酒好きで涙もろい。そしてちょいと粋だ。このネタに登場する八五郎は江戸っ子の典型、というよりは理想像かも知れない。
南喬の高座は八五郎の人間像をくっきりと描いていて良い出来だった。
期待通りの国立上席だった。
文化庁は3月7日、平成29年度(第68回)芸術選奨の受賞者を発表した。
大衆芸能部門では入船亭扇遊が文部科学大臣賞、桃月庵白酒が文部科学大臣新人賞を、それぞれ受賞した。
やはり見てる人は見てるんだなと、とても嬉しい。
もっとも、白酒はオレが新人賞かよと言うかも知れないけど。
「白酒X兼好~毒を盛って毒を制す~其の二・昼の部」
日時:2018年3月6日(火)14時
会場:博品館劇場
< 番組 >
『オープニングトーク』白酒、兼好
桃月庵白酒『浮世床』
三遊亭兼好『一分茶番(権助芝居)』
~仲入り~
三遊亭兼好『粗忽の使者』
桃月庵白酒『明烏』
『オープニングトーク』で話題になっていた、三遊亭好楽の弟子で5月に真打ちに昇進する三遊亭好の助が好楽の前名でもある林家九蔵に襲名することに対し、林家正蔵側が異議を唱え襲名が取りやめになった問題。
ここで三遊亭好楽の経歴を見ると、次の通りだ。
1966年 8代目林家正蔵に入門、のぶおで前座。
1967年 のぶおから九蔵に改名
1971年 九蔵のまま二つ目
1981年 九蔵のまま真打
1982年 師匠・彦六死去
1983年 5代目圓楽門下に移籍して、三遊亭好楽に改名。同時に落語協会を脱会し、大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)へ移籍
真打昇進前に師匠が死去したなら別だが、好楽は真打昇進後に自分の意思で圓楽門下に移籍し、同時に協会からも離れている。
して見ると、その段階で林家一門からは外れたわけで、いくら愛着があったとはいえ、弟子に林家を名乗らせるのはムリ筋というものだ。
例は悪いかも知れないが、もし三遊亭遊雀が弟子に柳家三太楼を襲名させようとしたら、柳家側は黙っていないだろう。
今回の問題では当代の正蔵に非があるような意見もあるが、公平に見て好楽側に瑕疵があると思う。
例の圓生襲名問題でもそうだったが、どうも圓楽一門のやり方は強引すぎる。
もう一人話題の桂春蝶、自身のTwitterに「この国での貧困は絶対的に『自分のせい』なのだ」と書きこんで批判を浴びているが、数年前の極右活動家のサイトに桂福若とともに「愛国落語家」として紹介されていた。正札付である。
こういう落語家もいるのだ。
白酒『浮世床』
この日は「本」のみだったが、話芸より顔芸で客席を沸かせる。
白酒のこのネタだけはCDでは面白さが伝わらないだろう。
兼好『一分茶番(権助芝居)』
マクラで、兼好の祖母と母が能をしていたそうで、子どもの頃から能を見ていたとのこと。謡の一節と狂言の一部を演じてみせたが上手いもんだ。こうした素養がこの人の芸の肥しになっているのを実感。
素人芝居にありがちな役モメで舞台に穴が開き、困った番頭が故郷の村で芝居に出たことがあると言う権助に一分渡し代演を頼む。
権助の村での芝居は忠臣蔵の七段目で役はお軽だったというが、これが滅茶苦茶な芝居で、この前半で切る時は『権助芝居』の演題となる。
後半は番頭が権助に芝居の稽古をつける所から始まる。
出し物は『有職鎌倉山』で、権助の役は宝蔵に忍び込んで鏡を盗み出し、捕まって縛られ首を斬られるという非人の権平だ。
役回りを聞きながら権助は何度も渋って一分を返そうとするが、番頭が説得し舞台に上げる。
しかし権助はセリフは忘れるし客席からのヤジに応酬するし、果ては立ち回りで相手の捕り方の役者を本気で殴ってしまう。
相手も怒って権助を本気で縛り上げて腕をこじ上げ、セリフで「誰に頼まれた」というと、権助が「番頭さんに一分貰って頼まれた」でサゲ。
兼好は、特に後半の番頭と権助との珍妙なヤリトリや、芝居の場面でのセリフや所作の間の権助の動態を巧みに表現していて、良い出来だった。
兼好『粗忽の使者』
マクラで、若い頃に築地市場でアルバイトしていたことがあり豊洲への移転問題にも関心があると、その豊洲市場で駐車場が5100台分不足しているというのは考えられないミスだ。優秀であることと粗忽であることが同居している例のようだ。そんなマクラからネタへ。
主人公の粗忽の侍だが、とにかく憎めない。特に兼好が描くと可愛くさえ見える。相手先の重役とのヤリトリの可笑しさが増幅されていた。
ただ、重役の名前を山田三太夫としていたが、あれは田中の間違いではないか。
白酒『明烏』
若旦那の時次郎、神社の帰りに道に迷い、近所の子供に家まで連れてきてもらう。どうやら堅物だけではなく、引きこもりだったようだ。
お稲荷さんが吉原だったことが分かった後では、まるで幼児の様に泣きじゃくる。二宮金次郎には心酔していて、太助から「二宮金次郎だって女郎買いをしていた」と言われて本気で怒る。
こういう人物だから、浦里花魁の手練手管に一晩でいかれてしまったんだろう。
時次郎の様なタイプは、いったん遊びを覚えてしまうと歯止めが利かなくなるので要注意だ。
兼好は、いま演じることが楽しくて仕方ないんだろう。
そんな印象を受けた。
第466回「花形演芸会」
日時:2018年3月3日(土)18時
会場:国立演芸場
< 番組 >
前座・柳家小多け『手紙無筆』
春風亭朝之助『壺算』
神田松之丞『ボロ忠売り出し』
母心『漫才』
三笑亭夢丸『身替り首』中島要=作
―仲入り―
ゲスト・春風亭一朝『天災』
翁家和助『曲芸』
笑福亭たま『立ち切れ』
3月の花形演芸会、何となくスル―しようとしていたが、つい数日前になって”たま”がトリだと気が付いた。これは行かざぁなるめぇと思いたち、調べたらたまたま1席空いていたので、出向くことに。
当日はもちろん満員札止め。
朝之助『壺算』
時間的制約からか、3円50銭の壺を3円にまける所があっさりとしていた。
この人の喋りには唄い調子とでもいう様な独特のリズムがある。そこは好みの分かれる所だろう。
松之丞『ボロ忠売り出し』
『天保水滸伝』より。いつもボロを着ている事からボロ忠と呼ばれていた忠吉が、親分に成り代わって塩竃の賭場で大暴れし、やがて錦の忠と呼ばれるまでに出世するという物語。
近ごろの松之丞人気はすごく、会によってはチケットの入手も困難なようだ。
テンポの良さと畳みかけるような読みが魅力なんだろうが、人物の描き方が平板。まだまだ勉強しなくてはいけない所が多い。
母心『漫才』
若手らしい勢いのある芸。
ボケ役の動きがキレイに見えるには、舞踊に裏打ちされたものだ。
楽しみな存在。
夢丸『身替り首』
中島要・作の創作落語で初代夢丸の「夢丸新江戸噺し」の一つで、師匠が死んでから途絶えていたけれど、これから少しずつ掘り返していきたいとのこと。
浪人が身投げしようとしていた町人を助けたら、相手とは瓜二つ。聞けば、町人は娘の婚礼費用の5両を博打で取られてしまい、死ぬしかいないと。そこで浪人が、5両で町人の首を買うと言い出す。その事情は、浪人はかつて同僚を殺めてしまい浪々の身の上となったが、その相手の倅が敵といって浪人を討とうとしている。相手は剣の達人なので到底かなわない。そこでソックリな町人に身代わりになって討たれてくれれば5両を渡すと言う。
町人は仕方なく引き受け、侍の恰好になって敵討ちの指定してきた場所に向かい、相手と面対する。相手が斬りかかった所でもはやこれまでと観念していたら、その相手が先に死んでいた。なんの事はない、陰に潜んでいた浪人が背後から相手を斬り殺したのだ。浪人は町人に約束の5両に加えて有り金を全て渡そうとする。「ソックリやる」でサゲ。
古典落語に出て来る身投げを助けるという噺のパロディの様になっていて、よく出来たストーリーだ。
夢丸は余計なクスグリを入れず真っ直ぐに演じていたが、物語本来の面白さを引き出して好演。
ゲストの一朝『天災』は自家薬籠中のネタで、解説は不要でしょう。マクラが前座と完全にかぶってしまったのはご愛嬌。
たま『立ち切れ』
落語家の世界では、亡くなった人のエピソードで笑うのも故人への供養になると言って、先日亡くなった桂福車の話題をマクラに本題へ。
本来は道楽者の若旦那が店に戻ると親戚一同が集まって勘当の相談。そこから番頭の差し金で若旦那が100日の蔵住まいを命じられる所か始まるが、ここまでは全てカット。
芸者小糸の使いで茶屋の者が手紙を若旦那の店に届ける所から始めた。
事情が分からぬまま100日があけて若旦那が茶屋に駆け付けるが、既に小糸は死んでいた。
茶屋の女将から小糸の最期の様子を聞かされ、後悔と無念の心情に苦しむ若旦那の苦悩が胸を打つ。仏前に向かって、これから生涯女房を持たぬと誓う姿が、小糸への最大の供養だ。
「黒髪」の弾き語りを聴きながら、断続的に語る若旦那のセリフの間が良い。
上下(かみしも)を振らないたまの語りが、このネタに合うかどうかと思っていたが、どうしてどうして立派なものだ。
1席終わってからこの噺のプロモーションビデオと称して、音楽に乗せて画用紙に書いた筋を次々と紙芝居の様にめくって見せた。
いかにも、たまらしいサービスだった。
鈴木衛士”北朝鮮は「悪」じゃない” (幻冬舎ルネッサンス新書-2017/12/25初版)
中東にイスラエルという国がある。主に米国からの軍事・経済両面にわたる援助で支えられている。
中東唯一の核保有国として周辺国を威圧し、しばしば他国を攻撃する一方で、数々の国連決議に反して武力で領土を拡大し続けている。
先年、ツアーでイスラエルを訪問した際に、現地ガイドに何故この様な行為を行うのかを訊いてみた。
答えは、イスラエルの人たちは怖くて仕方が無いのだという。いつまたホロコーストの様な事態になり、民族が絶滅させられてしまうのか、その恐怖心なのだという。
過去の歴史から守ってばかりいては助からない、こちらから攻撃を仕掛けることによってしか自らを守ることが出来ないと、そう考えているのだと。
そうした事から私は、もしかすると北朝鮮も同じ立場に置かれているのではと想像していた。きっと、怖くて仕方ないのだろうと。
本書の著者は約30年にわたり航空自衛隊の情報幹部を務めた人物で、その経験から今の北朝鮮の現状や、アメリカや中国の動向、さらには日本が置かれている状況と今後どうすべきかをまとめたものだ。
北朝鮮を理解する上での最も大事なキーワードは「朝鮮戦争」だ。
1950年に朝鮮戦争は第二次世界大戦をひきずる様な形で始まり、最終的にはアメリカと中国の代理戦争の様相を呈していった。
1953年にようやく休戦協定が結ばれるが、韓国はこれを拒否し協定に加わらなかった。
いずれにしろ朝鮮戦争は未だ終結しておらず、平和協定が結ばれるまでは厳密にいえば双方の戦争状態は続いている。
北朝鮮が置かれている状況は、朝鮮戦争当時とは一変している。
当時はソ連の核の傘にあったのだが、そのソ連は崩壊した。
中国とは文字通り「血の同盟」によって結ばれていたが、その後の中国の改革開放により経済は資本主義化してしまい、必ずしも固い絆とは言えない。
そこに降ってわいたのはアメリカによる湾岸戦争であり、イラク戦争だ。
イラクが完全に破壊され、サダム・フセインが処刑されるのを見て、金正日は震え上がった。
もはや我が身を守るには核兵器の保有しかないと、核開発を一気に推し進める。
だから核保有は北朝鮮にとっては命綱であり、核を放棄させることなど不可能だと著者は述べている。
恐らくは、アメリカや日本政府も本音ではそう思っているのだろう。
著者の見方で面白いと思ったのは、北朝鮮をめぐる現在の情勢が関係国にとって有利であるという指摘だ。
即ち、アメリカにとっては日本や韓国に米国製の武器を大量に売りつけるチャンスで国益にかなう。
中国は、北朝鮮が経済制裁を受けていることにつけこんで、北が保有する希少な資源を手に入れたり、港湾の使用権を確保したりして潤っている。
ロシアは高みの見物で、むしろ米中が争って互いの国力が弱まるのを待つ。
日本はといえば、先の総選挙で自民党が大勝したことについて麻生副総理が「北朝鮮のお陰」と語ったが、本音だろう。
著者によれば、北朝鮮が核実験やミサイル実験を行う度に日本政府が「挑発」だと騒ぐのはおかしいのだと言う。挑発というのは相手国が反撃することを前提としているので、この表現は不正確だという。
核やミサイルを開発する過程で実験を行うのは当り前のことで、敢えていうならば「示威活動」が正しい。
北がミサイルを発射すれば自衛隊は直ちにミサイルの発射地点と目的地を調べる。その段階で日本本土上空数百キロメーターを飛行することが分かれば、落下物は先ずあり得ないと判断できる。
その情報は直ちに政府に伝えられている。
ところが日本政府は北朝鮮がミサイル実験を行うたびに、「Jアラート」という警報や避難訓練まで呼びかけているが、こうした過剰な反応は国民の危機意識を煽るのみならず、却って国益を損なう危険性を指摘している。
最も恐れるのは、米国と北朝鮮の首脳が似た者同士なので、チキンレースの中で米国が北に武力攻撃を行うケースだ。
北朝鮮は報復措置として日本に向けて核弾頭付ミサイルを発射してくる可能性が高い。
これが最悪のケースだ。
そうならないように、日本政府は北朝鮮との交渉を積極的に進めるべきだと著者は言う。
そして拉致問題の解決にとって今が絶好な機会だと、具体的な条件をあげて主張している。
米国に対しては「和して同ぜず」で臨み、北朝鮮に対しては「窮鼠」に追い込むことのないようにすべきだと言う。
余談になるが、著者らしい面白い見方を紹介する。
それは、仮に米中が妥協して北朝鮮に金政権に替わる政権が成立するならば、それは中国の傀儡政権になるだろう。
その政権は日本の安全保障にとっては遥かに危険な存在になる。
それよりは、北朝鮮の現在の政権が続いた方が我が国にとっては有利だと。
著者の主張には全面的に賛成するものではないが、北朝鮮問題の解決を考える上で一つの参考になるだろうと思い、紹介した次第。
20世紀に最も大きな悲劇に見舞われた国として思い浮かぶのはウクライナです。
ウクライナはヨーロッパ最大の穀倉地帯ですが、それが悲劇の元ともなりました。
ソ連時代のスターリンによる人工的飢餓(ホロモドール)により、多数の農民が死亡しました。
第二次大戦ではウクライナは独ソ戦の主戦場となり、国民の5人に1人が犠牲になりました。
犠牲者の数は、どちらも1000万人前後と見られています。
いずれもスターリン、ヒットラーが自国の食糧確保のために引き起こした大量虐殺です。
さらに、ソ連時代に起きたチェルノブイリ原発事故では関連死を含め4000人が犠牲となり、220万人の人たちが別の地域に移住させられました。
今世紀に入ってからも、ロシアによるクリミア編入の戦乱により、ウクライナ人が5000人死亡しています。
さぞかしソ連、あるいはロシアを恨んでいるだろうと思っていたら、現地ガイドからは意外な反応がかえってきました。
「ソ連についてどう思う?」
―「ソ連時代の方が良かった。今もソ連に憧れている」。
「なぜ?」
―「みんなが平等だったから」
「クリミアがロシアに編入されてしまったが、どう思う?」
―「クリミアの人たちが羨ましい」
私たちにはなかなか理解できない所です。
黒海の畔にあるオデッサはウクライナ最大のリゾート地で、沢山の観光客で賑わっていました。
特に人気は映画『戦艦ポチョムキン』の撮影が行われた「ポチョムキンの階段」付近です。
ウクライナは美人の国と言われていますが、同国に限らず東欧の若い女性は美しい人が多いです。
下の写真は、「ポチョムキンの階段」付近で撮った1枚。
次は首都キエフで、通勤途上の女性をパチリ。
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