文学座公演「怪談 牡丹燈籠」 (2018/5/28)
「怪談 牡丹燈籠」
日時:2018年5月28日(土)13時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター
原作:三遊亭円朝
脚本:大西信行
演出:鵜山 仁
<出演者>
早坂直家、石川 武、大原康裕、沢田冬樹
釆澤靖起、相川春樹
富沢亜古、つかもと景子、岡寛恵、梅村綾子
髙柳絢子、永宝千晶
【あらすじ】
この物語のメインストーリーは、飯島平左衛門の忠僕孝助の仇討だが、お馴染みの落語や芝居ではその部分はカットされ、サイドストーリーである伴蔵とお峰夫婦の物語を本筋としている。
圓朝の原作では年代を1743年としているが、大西信行の脚本では約100年ほど後ろにずらし幕末頃に設定している。
旗本飯島平左衛門の一人娘お露はふとした縁で浪人萩原新三郎を見染め、恋い焦がれた末に焦がれ死に、女中のお米もその後を追った。それを伝え聞いた新三郎は念仏三昧の供養の日々を送っていた。折しも盆の十三日、死んだと聞いていたお露とお米が牡丹燈籠を提げて門口に立った。二度と会えぬと思い詰めていた二人は激しく燃えあがる。
平左衛門の妾お国は、隣の屋敷に住む宮野辺源次郎と人目を忍ぶ仲。家督を早く乗っ取りたく焦った二人は、奸計を巡らし平左衛門を斬殺するが、源次郎も足に深手を負ってしまい、二人はそのまま江戸を出奔する。
新三郎は夜毎お露と逢瀬を重ねていたが、この家に出入りをする伴蔵は家の様子を見てお露とお米が幽霊だと見抜く。このままでは新三郎がとり殺されると、新幡随院の良石和尚から死霊退散のお札を貰い、戸口や窓に貼りつけ、新三郎の海音如来の尊像を身に付けさせる。このため家の中に入れず二人は萩原の家の周りを漂うばかり。
新三郎に逢えぬお露の嘆き悲しみを見て、不憫に思ったお米は伴蔵にお札と如来像を取り除いてくれと頼む。それを知った女房お峰の入れ知恵で、百両の大金と引き替えに伴蔵夫婦が一計を案じて新三郎海音如来像を盗み、お札を剥 がすと、牡丹燈籠はうれしげに高窓に吸い込まれて行った。
その1年後、ところは野州栗橋宿の関口屋という大店の旦那におさまった伴蔵とお峰の姿があった。 商売も順調だったが、近ごろ伴蔵は近くの料理屋の酌婦・お国に入れあげ夜遊びの日々。飯島家を出奔したお国と源次郎だったが、この地で源次郎の足の怪我が悪化し、その治療費を稼ぐためお国が店に出ていたのだ。
事情を知ったお峰は伴蔵を問い質すと、伴蔵が居直る、怒ったお峰が新三郎の一件を持ち出し伴蔵を詰る。ここで伴蔵は平謝りして、よその土地に移ってまた二人で一から出直そう説得し、お峰も承知する。
ついては新三郎から奪った金の海音如来を掘り出して逃げようとお峰を幸手堤に誘い出し、見張りをさせていたお峰を伴蔵は背後から刺殺する。
落語の演目でいえば、『お札はがし』『栗原宿』にあたる。
上演時間は休憩を除きおよそ2時間、間に三遊亭圓朝に扮した役者が高座に登場し、ストーリーの足りない部分を解説するという演じ方だった。手際よくまとめられ、筋が分かりやすい様に工夫されている。
「世の中の人の心を分析すれば 色気三分に欲七分」という都々逸があるが、「牡丹燈籠」はズバリその世界だ。
今の惨めな生活から何とか這い上がろうと必死にもがく男女、いったんは幸せを掴んだかに見えたが、その先にはもっと大きな不幸が待っていた。
因果応報という単純なものよりもっと深い、人間の不確実な運命を描いた作品だからこそ、100年経ても色あせないのだろう。
公演は6月3日まで。
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