メディアの扇動と国民の熱狂が導いた「アジア・太平洋戦争」(1)満州事変
筒井清忠 (著) 「戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道」 (中公新書-2018/1/19初版)
満州事変から対米戦争を経て敗戦に至る「アジア・太平洋戦争」(一般に太平洋戦争と呼称されているが、実際には中国をはじめアジア各国を巻き込んだ戦争なので、「アジア・太平洋戦争」とする)について、軍部が勝手に独走し国民を強引に戦争に導いたと思われがちだが、事実はそう簡単ではなかった。
経緯を子細に見れば、むしろ国民の熱狂が政府を動かし、国民が政党政治を否定して中立的だと信じた権力(天皇、官僚、軍部)に依拠した結果が、この戦争を導いたと見るべきだろう。
そして、国民を扇動して上記の方向に導いたのが戦前のメディア(特に新聞)だった。
いま一部のメディアが中国や韓国朝鮮への蔑視と狭隘な愛国主義を煽り、これに呼応したネットでのいわゆるネトウヨと呼ばれる人たちの主張を見るとき、戦前日本の教訓を改めて思い起こす必要があると考える。
冒頭の書籍を参考しながら、重要なターニングポイントとなった1931-1932年の間に起きた歴史的事件をとりあげ、3回に分けて掲載する。
(1)満州事変
先ず1931年の満州事変について、日本軍が中国への侵略を本格化させたきっかけとなった事件だ。
この件について、当初「朝日」(当時は東京朝日新聞、大阪朝日新聞)はこれに批判的だった。
「今日の軍部はとかく世の平和を欲せざるがごとく、自ら事あれかしと望んでいるように見える」
「(陸軍側は)満蒙問題を殊更重大化せしめて、国民の注意を寧ろ軍拡の必要まで引き付けんとする計画に帰する」
これらの主張は今日から見れば妥当なものだが、国民の間から「朝日」の不買運動が起き、部数がどんどん減っていった。
これに対して部数を伸ばしていったのが「毎日」(当時は東京日日新聞、大阪毎日新聞)で、重役会議で満州事変支持を打ち出していた。
「強硬あるのみ」
「正義の国、日本」
「守れ満蒙=帝国の生命線」
こうした中で「朝日」も主張を転換する。
「満州に独立国が生まれることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」
やがて朝日は、満州駐屯軍への慰問金を公募し、関東軍司令官から朝日社長に感謝状が贈られることになる。
こうした新聞の報道姿勢に対して、荒木貞夫陸相が次の様に感謝している。
「能く、国民的世論を内に統制し外に顕揚したることは、・・・我が国の新聞、新聞人の芳勲偉功は特筆に値する」
陸軍内部においても参謀本部や軍務局には戦闘不拡大を主張する者もいたが、国民の間に「満州は日本の生命線」論が浸透し、政府もこれを追認してゆく。
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