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2018/06/02

「花形演芸会スペシャル~受賞者の会~」(2018/6/1)

「花形演芸会スペシャル~受賞者の会~」
日時:2018年6月1日(金)18時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳亭市坊『たらちね』
雷門小助六『武助馬』
桂福丸『天満の白狛(元犬)』
三遊亭萬橘『壺算』
江戸家小猫『ものまね』
―仲入り―
『平成29年度花形演芸大賞贈賞式』 司会:橘家圓太郎
大賞・・・笑福亭たま
金賞・・・江戸家小猫、三遊亭萬橘、ストレート松浦、菊地まどか(休演)
銀賞・・・桂福丸、桂佐ん吉(休演)、鈴々舎馬るこ、雷門小助六

橘家圓太郎『祇園会』
鈴々舎馬るこ『真田小僧』
ストレート松浦『ジャグリング』
笑福亭たま『鰍沢』

月例の花形演芸会のスペシャル版で、昨年度の花形演芸大賞の贈賞式と、受賞者による演芸が披露される。
毎年人気の番組で、今年も辛うじてチケットを確保。
   
小助六『武助馬』
贈賞式の審査評で、「派手さはないが」と言われたのが本人にとって不本意だったようだが、むしろ「華やかさはないが」とした方が的確だと思う。その代わり確かなしゃべりがこの人の魅力であり、地味な芸風で成功している噺家も少なくないので、信じた道を進んで欲しい。

福丸『天満の白狛(元犬)』
東京落語の『元犬』が当代の文枝が上方に置き換えたもののようだ。ただ、シロが奉公に上がった先の主人が座敷犬を飼っていて、それと喧嘩になるという筋は、サゲを含めて改変されていた。
高座スタイルも語り口もスッキリとしていて好感が持てる。他のネタも聴いてみたいと思わせる出来だった。

萬橘『壺算』
高座に上がってくるだけで、客席からクスクスという笑いが起きる。存在それ自身が面白いという、得な芸人だ。
このネタは、兄いがどうやって3円50銭の壺を3円に値切るのかが演者の腕の見せ所だが、萬橘は兄いが店先で土下座するという演り方だ。店員も困惑して50銭まける。
通常は二荷の水瓶が欲しいのに先ず一荷の水瓶を買うという筋だが、萬橘の高座では後から二荷が必要だったと気付き、店に戻って取り換えるという演じ方だ、これだと例の詐欺商法は当初から計画したものではなくなる事になる。サゲの改変も含めて好みの分かれる所だが、全体としてはとても面白く聴かせていた。
この花形演芸大賞での金賞は4回目だそうだ。そろそろ大賞にランクアップして上げたら。

小猫『ものまね』
デビュー当時から見ているが、物真似はもちろんのこと、トークに磨きがかかってきた。誰もが鳴き声を聞いたことが無い動物の物真似で、あそこまで客を引っ張る技術は大したものだ。
寄席でトリを取る日もそう遠くはないだろう。

『平成29年度花形演芸大賞贈賞式』
今回の司会は圓太郎だったが、この贈賞式では毎回司会者が一番緊張するようだ。次は新しく日本芸術文化振興会理事長に就任した河村潤子氏だっただろう。何せ初舞台だし、前理事長が毎回駄洒落を入れて会場を和ませていたので、そのプレッシャーがあっただろう。
先ずは「たま」の大賞受賞、遅きに失した感もあるがとにかく目出度い。以前にも書いたことだが、この人の感性や技能は、やがて上方落語界をリードしてゆくものになるだろう。
金賞4人中落語家は一人で、他はいわゆる色物の芸人というのは初めてではないだろうか。こうした芸に高い評価が与えられるというのは良い事だ。
銀賞4人は、東京と上方がそれぞれ二人ずつで分け合った。ここの所の上方落語の充実ぶりを示している。

圓太郎『祇園会』
短いながら東京と京都のお祭りの囃子や掛声合戦の場面もあり、先輩噺家の貫禄を示した。
若いころ、師匠の小朝に似てると言われて嫌だったと言っていたが、今はその師匠の影響を全く感じない。

鈴々舎馬るこ『真田小僧』
今回の受賞がきっかけとなって、鈴本でトリを取るそうだ。この人の短いネタしか聴いたことがないのだが、どんなトリ根多を演じるのだろうか。

ストレート松浦『ジャグリング』
いつ見ても見事な芸だ。この日は音楽を口ずさみながらの演技だったが、ちょっと苦しそうだった。だいぶ心拍数が上がったんじゃないのかと心配になったけど。

笑福亭たま『鰍沢』
マクラの得意のショート落語で、「TOKIO」ネタを演じたが、これが傑作。中身はモッタイナイから教えられない。
演目は東京の『鰍沢』を上方に置き換えたもので、旅人は和歌山、お熊は大阪の出身という設定で、他は東京とほぼ同じ。
心中のし損ないで相手の男は死ぬのだが、別の薬屋のしくじりと一緒に甲州に逃げてきて一緒に暮らしていたというもの。
時間が通常の半分程度だったので、元の噺にある情緒みたいなものは消されていたが、ストーリーとしては過不足がなく、このネタを始めて聴く人には分かり易かったと思われる。
今年で花形を卒業のたまが、思い出話にと演じた高座。結構でした。

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コメント

毎度のことですが、こちらの記事を拝見しては、ああ、行きたかったなあと思います。
美空ひばりは小学校の先生がああいう歌い方はいけない、喉を大きく開けてお腹から唄えといつも言ってたのが懐かしいです。

佐平次様
ひばりほど生前と死後とで、世間の評価がガラリと変わった歌手はいないでしょう。
彼女が背負ってきたものに対する世間の見方も変わってきたという事だと思います。

うまいへた お熊の目つきで 鰍沢
テレビ時代劇「必殺シリーズ」のような凄みがなくては駄目でしょうね。
東の三三、西のたま、という時代が来るかもしれません。

福様
ここ2,3年、花形ではたまを追いかけてきましたので、今回で卒業になるのはちょっと残念です。
これからも一段と飛躍することを期待しています。

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