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2018/06/24

「安楽病棟」(2018/6/23)

劇団青年座第232回公演「安楽病棟」
日時:2018年6月23日(土)14時
会場:本多劇場

原作=帚木蓬生
脚本=シライケイタ
演出=磯村純
<  キャスト  >
柴木(85)=藤夏子
池辺(82)=山本与志恵
長富(90)=阪上和子
石蔵(92)=岩倉高子
松川 (88)=五味多恵子
高倉(85)=井口恭子
花栗(87)=吉本選江
板東(92)=堀部隆一
吉岡(93)=名取幸政
室伏(91)=嶋崎伸夫
下野(89)=永幡洋
三須(90)=山野史人
菊本(90)=児玉謙次
城野=小暮智美
浅井=津田真澄
山口=世奈
三田=鹿野宗健
香月=石母田史朗
理恵=橋本菜摘
茂雄=長克巳
佐和子=野沢由香里

舞台は、ある病院の認知症病棟。重症な人から軽症の人まで症状はさまざまだ。
人生の終幕を迎えようとしている彼らにも輝かしい日々があった。
そうした患者たちを甲斐甲斐しく看病する看護師たち。
ある日、元気だった患者が突然亡くなると、他の患者の急死が相次ぐ。
理想の看護を目指す新任の看護師が疑問を感じて調べていくと、いずれの患者も担当の医師が直前に新薬を処方していることを突き止める。
以前に、この看護師が医師と安楽死について意見を交換した事を思い出し、医師を呼び出し問い詰める。そして、今回の行為を医師自らが世間に明らかにし、安楽死に対する自説を公表するよう求める。

長寿社会を迎えて、安楽死の是非が議論されている。日本でも一定の条件の下では延命装置を外すなどの処置が認められている。
より積極的な安楽死を法的に認めている国としてオランダやベルギーなどがあるが、いずれの場合でも本人の意思の確認が前提となる。
しかし、認知症の患者に対して本人の意思を確認することは不可能である。もし判断が出来るとしたら、それは担当の医師しかいないというのが、この演劇に登場する医師の主張だ。
人間には、どう生きるかと同時に、どう死んでゆくかという選択肢も与えられるべきだと言う人もいる。それもあながち否定はできまい。

安楽死の方法として人工呼吸器を外すというのが一般的に行われ、一定の条件を満たせば認められている。しかしこの方法だと、患者は窒息状態で亡くなるので苦しみながら死んでゆくことになる。
もし致死量のモルヒネを投与できたら、患者は安らかなうちに死んでゆくことが出来る。でも、この処置を行った医師は殺人罪に問われる。
では、果たしてどちらの方が人道的だと言えるだろうか。

生まれたばかりの新生児に重度の障害があった場合、仮に親が望むとしても安楽死させることは認められない。
だが、胎内にいるうちに検査で障害児だと分かった場合、堕胎することは認められている。
この両者、本質的にどう違うんだろうか。

この芝居で突きつけられた問題は、いずれも重く、かつ正解が出しにくい。だが避けて通れぬ問題であり、いずれ私たちは結論を迫られるだろう。

原作をどう舞台に落とし込むのは相当苦心が要ったと思われるが、シライケイタによる脚本はよく工夫されていた。

出演者の中のセリフの言い間違いが気になった。この劇団にしては珍しい。
公演は7月1日まで。

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