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2018/06/01

書評「美空ひばり 最後の真実」

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西川昭幸「美空ひばり 最後の真実」(さくら舎-2018/4/9初版)

美空ひばりぐらい毀誉褒貶の激しかった歌手は他にいないだろう。
今でこそひばりは昭和を代表する歌手、昭和の歌姫などという国民的歌手の称号が与えられているようだが、そうした評価になったのは彼女の晩年、もっと言えば亡くなってからだ。
私自身は元より、家族を含めて周囲に美空ひばりが好きだという人は誰もいなかった。仮に好きだったとしても、あまり人前では言い出しにくかったかも知れない。
ひばりは歌が上手いという点では衆目の一致するところだが、俗に一卵性母娘と言われる母親の存在や、世間常識を逸脱した家族愛(特に弟に対する)、尊大な態度、暴力団とのつながり。そうした事が敵を増やし、社会から孤立していった原因だ。
この書籍は、そんな美空ひばりの光と影を余すことなく描こうと試みている。

著者は以前に「美空ひばり公式完全データブック」を上梓しており、内容の正確さは十分に信用できる。
ひばりは戦後まもなくデビューし、日本の復興から高度成長期を経て、昭和の最後の年に亡くなった。従って彼女の歌手人生を描くことは戦後日本を描くことになり、昭和の歌謡史、芸能史も描くことになる。
ひばりの公私にかかわった人々の証言は、貴重な記録でもある。
本書の中で圧巻だったのは、ひばりの沖縄公演と、ブラジルでの公演の記録だ。

ひばりの第1回沖縄公演は、本土復帰前の1956(昭和31)年だ。日本は独立したが、沖縄だけは切り離され米軍統治下にあった時代だ。那覇市の1週間の公演に、実に5万7千人の人が参加した。当時の那覇市の人口が11万5千人だったことを考えると驚異的な人数だった。もちろん、沖縄本島だけに限らず、離れた島々からも船で大勢の人たちが那覇にやってきた。入場料は映画館の数倍と高く、貧しかった当時の沖縄では見にいくことが出来なかった人も少なくなかったにも拘わらずである。
ではなぜ、ここまで沖縄の人々が熱狂したのか。
それは日本のトップスターであった美空ひばりが来ることで、沖縄が日本であることを実感したからだ。つまり、ひばりが日本本土の象徴だったのだ。

ひばりのブラジル公演は、1970(昭和45)年だ。
日本人のブラジル移民は1906(明治39)年に始まる。しかし日本政府がうたっていた内容と現地の実情は大違いで、奴隷同然の扱いを受けていた。
その後、与えられ土地を開墾し自営農家としての道を歩む人も出てくるが、今度は戦争が始まると敵国民として差別や迫害を受ける。
日本語の使用が禁止されたため、戦争が終わっても日本が勝ったと信じる人も出て、日系人の中で勝ち組と負け組が分かれて殺し合いまで行われた。
ブラジル移民の歴史は苦難の歴史である。
サンパウロで行われた美空ひばりの公演は、3日間で3万6千人の動員記録を打ち立てた。
アマゾンの奥地から、隣国のパラグアイから、何日もかけて大勢の日系人がこの公演に駆け付けた。
なかには、ベッドに寝たままの患者までいた。死ぬまでに一目ひばりを見たかったというのだ。
ここまでブラジルの日系人を動かしたのは、故国日本への望郷の念だった。ひばりの姿に日本を見たのである。

私はひばりの生前に、彼女の映画を見たこともなかったし、公演はおろか、1枚のレコードも買ったこともない。
今にして思えば、一度でいいからひばりのライブを見ておきたかった。
それは今にして思うことだが。

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