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2018/09/20

「夏祭浪花鑑」と落語

昨日(2018/9/19)、国立劇場・小劇場で人形浄瑠璃「文楽」の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を鑑賞。
構成は以下の通り。
住吉鳥居前の段
内本町道具屋の段
道行妹背の走書
釣船三婦内の段
長町裏の段
田島町団七内の段

初演は1745年。
上方の侠客やその女房たちの義侠心を大阪の夏祭り・だんじりの興奮を背景に描いたもの。相変わらず人形の動きの美しさにウットリ見惚れる。本物の人間でもあれほど品が良く、且つキリリとした動きは出来ないと思えるほどだ。
内容は詳しい方が書いているので省略するが、落語のネタと関係していそうな箇所があったので紹介する。

『土橋漫才』
上方のネタで、東京では演じられていないかと思われる。
道楽がやまない若旦那を諫めようとした番頭が、もみ合いになった末、若旦那を殺めてしまうという場面が山場。桂米朝の高座ではこの乱闘シーンを「ダンマリ」で演じている。後からこれは夢だと分かるのだが。
これが「夏祭浪花鑑」の「長町裏の段」の団七の舅殺しのパロディとなっている。
忠義な番頭は「夏祭」の主人公・団七に、傲慢な若旦那は主人公の義父である義平次に、それぞれ準えられていて、殺しのシーンは「夏祭」同様の「ダンマリ」で演じられているのだ。
(「ダンマリ」とは、暗闇のなかで互いに無言で探り合う動作を様式的に見せるものを言う)

『ふたなり』
「道行妹背の走書の段」で、前の段で道具屋の色男の手代が正義のためとはいえ人を殺めてしまい、恋仲だった主人の娘と心中しようとする。
そこへ悪い手代が後を追ってきて二人に嫌がらせする。心中するなら首つりが良いと勧め、自分で手本を見せている間に本当に首をつってしまう。
それを見た二人は心中をとりやめ、人を殺めた委細を書き置きした文を首つりの懐に入れて立ち去る。
これを見て、落語の『ふたなり』のそっくりだと思った。上方のネタだが、東京でも志ん生や9代目文治が演じていた。
落語では10両の金策のために森を通りかかった男が、自殺しようとする娘を見つける。当初は思いとどまるよう説得するのだが、10両を持っていることが分かると自殺を勧める。死に方が分からないという娘に男は首つりの説明をするが、誤って本当に首をつってしまう。その姿を見て娘はすっかり気が変わり、書いていた遺書を男の懐に入れて逃げてしまう。
ね、そっくりでしょ。
これも「夏祭」のパロディではないだろうかと、勝手に解釈しているのだが。

落語好きな方、「文楽」もなかなか面白そうでしょ。

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コメント

「土橋漫才」についての指摘は知っていましたが、「ふたなり」もパロディではのご指摘は初めて、なるほど!です。
先代・勘十郎追善で息子の簑太郎(現・勘十郎)が団七、彼の師匠・簑助が義平次を遣った公演を懐かしく思い出しています。

Yackle様
古典落語を聴くと、当時の人々が歌舞伎や文楽に精通していたことが分かります。
現代の私たちも、もっと見習うべきなのでしょう。

老侠客に、捕まりそうもないから死ぬことはないと言われてあっさり死ぬのをやめてしまうのが面白かったです。
もう少し早くに文楽を観ていればよかったと思うこの頃です。
もっとも20年ほど前に連れて行ってもらったことはあるのですが、、やはりその「時」というのがあるのですね。

佐平次様
浮気を咎められて、「据え膳とふぐ汁は・・・」と開き直るところなぞ、妙に現代的だと思いました。儒教精神が重んじられる一方、庶民は結構したたかだったようです。

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