鈴本10月下席・夜(2018/10/23)
鈴本演芸場10月下席夜の部・3日目
前座・古今亭まめ菊『道灌』
< 番組 >
柳家小んぶ『時そば』
アサダ二世『奇術』
柳家さん助『親子酒』
林家しん平『漫談』
林家あずみ『三味線漫談』
林家彦いち『長嶋の満月』
隅田川馬石『安兵衛狐』
─仲入り─
ニックス『漫才』
春風亭一朝『看板の一』
林家正楽『紙切り』
柳家喬太郎『仏壇叩き(「名人長二」より)』
鈴本の10月下席夜の部は「喬太郎が語る圓朝作品集」と題する特別興行で、10日間日替わりで三遊亭圓朝作のネタだししている。半分以上は以前に聴いたものなので、今回は3日目の『指物師名人長二~仏壇叩き~』を聴きに行った。
入りは7分程度、喬太郎がトリの芝居にしては空席が目立った。本人も「ジュリーなら公演中止ですかね」と言っていたが、気合が入っていた。
今回「この噺にはこの噺家」をまとめてみて、喬太郎が廃れかけていた古典を何席も掘り起こしていることに改めて感心した。新作から古典まで、滑稽噺から人情噺まで、幅広く演じる力量は後世に残るものと思われる。
先の「この噺にはこの噺家」では、昭和20年代から現在に至る約70年間の噺家から延べ480人ほどの名前をピックアップしているが、女流は皆無だ。医大ではないので女性だからとふるい落としたわけではない。結果としてこうなった。
近ごろ落語家志望の女子が増えているようだが、女性は噺家に向かない。男の目で作られ男が演じる様に出来ている落語を女性が演じるのは所詮無理があるのだ。
師匠たちも弟子を取るにあたって、彼女らの将来性をよく考えた方がいい。
小んぶ『時そば』
巨漢。口跡も滑舌もいい。セリフの間が取れているし、面白い存在になるかも。
さん助『親子酒』
癖があり、好みの分かれる人だと思う。
同じネタでも上方と異なり、東京の「親子酒」は父親と息子が禁酒を誓うという設定になっている。だから息子の留守に親父が酒を飲む際には、多少の遠慮があるのだ。器を湯飲みにするのも、万一息子が帰ってきてもお茶を飲んだと言い訳が出来るからだ。
さん助の高座では親父は冷酒をコップで飲む。隠すなんて考えていないようだ。酔った息子の方は挨拶もなしに燥ぎながら部屋に入ってくる。親子ともども禁酒を破ったという後ろめたさがない。
前フリで二人とも泥酔すると正体を無くすとしているので辻褄は合うのだが、ネタのテーマと外れた演じ方だったように思う。
しん平『漫談』
塩鮭と松茸と蟹の話題で時間をつなぐ。息抜きの高座。
あずみ『三味線漫談』
音曲芸人としてまだプロのレベルじゃない。
彦いち『長嶋の満月』
自身が出身の長嶋(鹿児島県)の思い出をテーマにした新作で、故郷の時代遅れぶりを語る自伝的な作品。
感想は、それなりに。
馬石『安兵衛狐』
上方の『天神山』を東京に移したものだが、サゲが異なるだけで中身はそっくりだ。
通常は冒頭で、
「六軒長屋があり、四軒と二軒に分かれている。四軒の方は互いに隣同士で仲がよく、二軒の方に住んでいる「偏屈の源兵衛」と「ぐずの安兵衛」も仲がいい。ただ二つのグループは犬猿の仲だが、ある日四軒の方の連中が萩を見に行こうと源兵衛に声をかける。その日安兵衛は留守だったのだ。」
という語りから始まる。
馬石は4軒長屋としていたが、この冒頭部分の説明が不明確だった。
それ以外は、この人独特のちょいと恍けてフワフワした語りがこのネタに効果的だった。
ニックス『漫才』
久々だったが面白かった。自分たちの型が出来ていたように思える。
一朝『看板の一』
マクラでネタを理解するうえで必要なことは全て解説していて、しかも無駄がない。トリの席を荒らさず適度な笑いで納める。さすがベテランの味。
正楽『紙切り』
この日のリクエストは、月とウサギ、ハロウィン、時そば。
喬太郎『仏壇叩き(「指物師名人長二」より)』
『指物師名人長二』はモーパッサンの「親殺し」を圓朝が翻案したものと言われているが、ストーリーはだいぶ違うそうだ。
人物の」の相関図(「はなしの名どころ」より引用)は下記の通り(クリックで拡大)。
『仏壇叩き』はその発端にあたる。
物語の主人公・長二郎は、享和2年に10歳で指物師清兵衛の弟子となって、文政の初めの28歳の頃には師匠を凌ぐ名人の名を恣にしていた。
文政3年、蔵前の坂倉屋助七という大店の主から長二に仏壇を制作するよう依頼があった。材料の名板・桑板を支給するので、軽くて頑丈で仏壇として外観が整っているものという注文だ。
およそ半年が過ぎ、長二は完成した仏壇を助七の元に届ける。助七も出来栄えに満足するが、手間賃が100両ときいて顔色を変えて怒り出す。強請り呼ばわりされた長二は才槌を差し出し、助七に思いっきり仏壇を叩いてみてくれと言う。娘のお島が止めるのも聞かず、助七は仏壇を叩き続けるが、仏壇はびくともしない。
長二の腕を疑った不明を恥じ、助七は200両の提供を申し出るが、長二は約束の100両だけ受け取り店を出る。
喬太郎の優れた点は、登場人物の造形が鮮やかなことだ。それに何よりセリフの間が良い。声の強弱、高低、緩急の使い分けも巧みで、いつもながら聴いていて引き込まれる。特にこの日は気合が入っていた。
この一席だけで、来た甲斐があった。
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「女流は皆無だ」の後の一文、思わず笑いました。
さて、喬太郎ですが、挙げられた長所に加えて、愛嬌があります。圓蔵、先代の文治が好きなのもこの点でした。
投稿: 福 | 2018/10/25 06:33
福様
芸人にとって最も大事なのは愛敬、色気と言い変えても良いですが。噺が上手いのに人気がない人がいますが、愛敬に欠けている例が多いです。
投稿: ほめ・く | 2018/10/25 07:22