« 五派勢揃い「ケチと強欲のはなしの会」(2018/10/4) | トップページ | 番頭が主人からクビにされる珍しいネタ『足上がり』 »

2018/10/06

人形町らくだ亭(2018/10/5)

第80回「人形町らくだ亭」
日時:10月5日(金)18時45分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・春雨や晴太『たらちね』
春風亭正太郎『六尺棒』
春風亭一朝『祇園会』
~仲入り~
隅田川馬石『稲荷堀』(お富与三郎)
五街道雲助『島抜け』(お富与三郎)

晴太『たらちね』
二度目だが達者な前座だ。

正太郎『六尺棒』
物怖じせず堂々とした態度。マクラの青森にあるキリストの墓の話題は面白かった。
ネタは悪い出来ではなかったが、道楽息子の「孝太郎」の名前を失念していたようで、
「・・・ああ、孝太郎のお友達ですか。手前どもにも孝太郎という一人のせがれがおりますが・・・」
と言う父親のセリフの名前の部分がカットされていた。
そのため、後の父親のセリフ、
「・・・親類協議の上あれは勘当しましたと、(孝太郎に)会いましたなら、そうお伝え願います」
と平仄が合わなくなってしまった。
このミスが惜しまれる。

一朝『祇園会』
一朝の十八番であり、このネタに関して現役ではこの人がベストだ。
3人旅の様子から京都で浴場に入るまでの前段から、後半のお馴染みの都人と江戸っ子の会話に入る。江戸を見下し京都自慢を繰り返す男にイライラを募らせていく江戸っ子の姿が良い。
祭り囃子の聴かせ所をたっぷり演じてくれた。

仲入り後は雲助と馬石子弟による『お富与三郎』のリレー口演という趣向。
全体の粗筋はホームページ「落語の舞台を歩く」にとても良く纏められているので、以下に引用し紹介させて頂く。

【引用開始】
源左衛門は江戸に出て、博打で勝ちに勝ってその金全部を注ぎ込んで、江戸一と言われた深川のお富を身請けして連れ帰ってきた。そのため宝物のように大事にしていた。博打打ちですから、旅から旅に良い賭場が立つと、子分にお富を頼み、出て行った。
江戸でチヤホヤされて若旦那と言われた与三郎が、あまりにも良い男だったので木更津の叔父さんに預けられた。悶々としていたが、お富を見初め、猫にカツ節で、逢瀬を重ねるようになってしまった。
それを源左衛門に見つかり、捕らえられ顔中、体中を切られてしまった。それを知ったお富は木更津の海に身を投げてしまった。与三郎も俵に詰められ、100両で戻された。
死ぬと思われたが、治って江戸に戻ったが親はビックリ。それ以上に与三郎は人目に出られなくなり、閉じ籠もるようになってしまった。
気晴らしに両国の花火を観に出かけたが、皆から怖がられるので、戻ろうとすると、見覚えのある女の後ろ姿を発見、お富だと後を付けると玄冶店(げんやだな)に住んでいた。多左衛門の妾であったが、二人を見て、変に巻き込まれたくないので、家を渡して手を引いてしまった。
二人になれた事を喜んだが、番頭が跳んで来て家に帰るように言ったが聞き入れず、勘当と言うことになってしまった。勘当になると人別帳から外され、無宿人になってしまった。しかも、二人になっても食う算段がつかないので、博打に手を出し、お富は奥州屋に身を任せた。それを聞いた与三郎は稲荷堀(とうかんぼり)で奥州屋を鯵切りで殺して3両を奪って二人で帰るところを、蝙蝠安に見つかり、たかられる。度々たかりに来られ、二人で殺害してしまった。
与三郎は無宿人狩りで、捕まり佐渡に島流しになってしまった。法被一枚で金鉱で水汲みをさせられた。無宿人の多くは遊び人だったので、仕事が続かず、死ねば江戸から替わりの者が連れてこられた。もう生きて帰れないと悟ったが、番頭が裏で役人に薬を嗅がせたお陰で、少しはましな荷役に回された。船から荷運びをしていたが、誤って桟橋から落ちた者が居ても「放っときな」と言われるだけであった。
佐渡から島抜けを考えるようになった。失敗するとその制裁として、死、しかなかった。  雨の強い夜、役人も警備をゆるめ、静かであった。格子を外し一目散に駆け出した。元に戻る事はもう出来ずひたすら走ったが、後から足音が付いて来る。待ち伏せて捕まえると仲間の久次(きゅうじ)であった。昼間から様子がいつもと違うので、後を追って付いて来た。「一緒に連れて行ってくれ」、帰れとも言えないので、その覚悟を聞いて同行する事にした。
 「どうしてここから出るんだ」、と言うので聞かせると、役人が誤って桟橋から落ちてしまった事がある。直ぐに船を出して岸を廻って来ると潮の加減でゴミが寄せる場があった。そこに役人の死体が浮いていた。船を漕いでいたので、ここは何処だろうと崖上を見ると、格好の悪い松が一本生えていた。
昨日、ドジが居て丸太を数本海に落としてしまった。顔が曲がるほど殴られていたが、その材木がここに流れ着いているはずだ。その時の目印の松がこれだ。丸太を組んで筏を作り、海に出れば潮は本土にぶつかるように流れている。イヤでも本土に着く。また、飛び降りたら丸太が無いかも知れない。やるか、どうする。
二人は断崖を舞った。丸太は有った。丸太に乗って集め、筏にして漕ぎ出したが、外は大波なのでしっかりと筏に身体をくくりつけた。同じ死ぬなら本土で死にたい。その一心であったが、二人とも気を失ってしまった。  与三郎が気が付くと、岸に乗り上げていた。後ろを向くと佐渡が黒く浮き上がっていた。久次を起こし筏をばらして、地面が繋がっている江戸へと駆け出した。どんな事があってもお富に会うんだ。
島抜けは不可能だと言われていた佐渡から、初めて島抜けをした与三郎であった。
【引用終り】

馬石『稲荷堀(とうかんぼり)』
内容は上記粗筋の内、お富と与三郎が二人で玄冶店で暮らし始めるが金に困る。蝙蝠安の入れ知恵で家の奥間を賭場に貸して寺銭で稼ぐようになるが、その客の一人である奥州屋がお富に惚れこみ、妾にする。お富は奥州屋には与三郎を親類だと偽るが、「目玉の某」というワルが金欲しさに奥州屋にお富と与三郎の関係をバラシテしまい、怒った奥州屋はお富と絶縁すると言いだす。これを知った与三郎はお富と二人で稲荷堀でそのワルを惨殺する。
その一部始終を堀に舫っていた舟の中から蝙蝠安が見ていて、これから二人を強請り続けるが、安も二人に殺害されてしまう。
いつも感心するのだが、馬石はこうした人情噺と軽い滑稽噺の両方いけるのだ。こうした噺家は数少ない。そういう意味で師匠の芸風に最も近いと言える。さらに馬石の語る人情噺には柔らかさがあるのも特長だ。聴いていても肩が凝らない。

雲助『島抜け』
こちらの内容は、前期粗筋の中から与三郎が佐渡に流され金山で使役される所から、仲間(雲助は3人としていた)と共に筏で島抜けするまで。
島での労役は厳しく、12時間の危険な力仕事をさせられて粗末な食事と真冬でも法被1枚という姿。このままでは野垂れ死にだし、その一方お富への思いは募るばかり。イチかバチかの命懸けの島抜けの場面は手に汗握るような緊張感に包まれる。
この一門でしか味わえない大ネタのリレー口演、結構でした。

|

« 五派勢揃い「ケチと強欲のはなしの会」(2018/10/4) | トップページ | 番頭が主人からクビにされる珍しいネタ『足上がり』 »

寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

>一朝『祇園会』
かつて聴いたときには、京者はおばあさんだった記憶が・・・
京ことばが入るので、圓生が得意だったのかと思って調べると、
8代目の文治(山路梅吉)が上方修行の経験から十八番にしていたとありました。
私はこの方には間に合いませんでした。

投稿: 福 | 2018/10/10 06:42

福様
『祇園会』の中の京都人は戯画化されているので、正確な京都弁を使う必要はないかと思われます。志ん生の高座ではむしろ下手な京都がご愛敬でした。
8代目文治は得意としていたようで、ラジオで何度か聞いた記憶があります。

投稿: ほめ・く | 2018/10/10 16:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 五派勢揃い「ケチと強欲のはなしの会」(2018/10/4) | トップページ | 番頭が主人からクビにされる珍しいネタ『足上がり』 »