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2018/10/20

DVD「善き人のためのソナタ」

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「善き人のためのソナタ」(原題:DAS LEBEN DER ANDEREN/THE LIVES OF OTHERS)
2006年制作、ドイツ映画
<  スタッフ  >
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
音楽:ガブリエル・ヤレドステファヌ・ムーシャ
<  主なキャスト  >
ウルリッヒ・ミューエ :ヴィースラー大尉(シュタージ)
セバスチャン・コッホ:ゲオルク・ドライマン(作家)
マルティナ・ゲデック:クリスタ=マリア・ジーラント(女優)
ウルリッヒ・トゥクール:ブルビッツ部長(シュタージ)
フォルカー・クライネル:アルベルト・イェルスカ(演出家)
トーマス・ティーメ:ヘムプフ(大臣)
<受賞歴>
アカデミー賞 第79回(2006年) 外国語映画賞

【あらすじ】
1984年の東ドイツ。
シュタージ(国家保安省)の局員ヴィースラーは、劇作家のドライマンと恋人で舞台女優のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう上司のブルビッツから命じられる。ヴィースラーは盗聴器を通して彼らの監視を始める。
ドライマンの友人で演出家のイェルスカは当局から睨まれ仕事を干されていた。彼はドライマンに「善き人のためのソナタ」という曲の楽譜を贈り、自殺してしまう。ドライマンはこうした実態を西側に伝えるべく動き出す。
ヴィースラーは監視活動を続ける中で、クリスタが大臣の愛人に強要され、監視の目的が彼女の動きを探ることにあった事を知る。
やがてヴィースラー自らの惨めな生活に比べ、監視対象者たちの自由な言動に疑問を抱くようになり、監視報告書に嘘を記載するようになってゆくが・・・。

以前に日本で劇場公開されていたが見過ごしていた作品だ。
旧東ドイツではシュタージ(国家保安省)という組織があり、徹底した監視態勢で東ドイツ国民を支配していた。非公式協力者と呼ばれる密告者を組織し、反体制側の人々を徹底的に弾圧した。その数は、国民10人に1人という膨大なものだった。
こうした個人情報記録は、東ドイツ崩壊後に本人や家族に限り閲覧が出来る様になった。それによって家族や親友や同僚がシュタージの協力者であったという真実を知り、家庭崩壊や極度の人間不信に陥った人々も少なくなかった。
この映画は、そうした実態の一端をヴィースラーという一人のシュタージの目を通して静かに告発したものだ。
ヴィースラーの改心が正義感によるものか、それとも監視者への羨望なのか、それは観る人に委ねられている。
悲惨な物語だが、エピローグで主人公たちに救いを持たせている。
こうしたテーマを映画化したものは他にもあるが、シュタージ自身を主人公にした作品は珍しいと思われる。

この物語は決して過去のものではない。
ロシアやサウジアラビア、北朝鮮といった独裁国はもとより、目的や規模こそ違えアメリカのCIAなども類似の活動を行っているのは周知の事実だ。
もちろん、日本もその例外ではない。
一歩間違えれば、こうした監視社会になることをこの映画は警告していると思う。

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2018/10/18

書評「許されざる者」

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レイフ・GW・ペーション (著), 久山葉子 (訳) 「許されざる者」(創元推理文庫、2018/2/13初版)

国家犯罪捜査局の元長官ラーシュ、定年退職し年金生活を送っていたが、ある日脳梗塞で倒れ半身に麻痺が残る。
そんな彼に女性の主治医から意外な相談が持ち掛けられる。彼女の牧師だった父が、懺悔で9歳の少女が暴行の上殺害された事件の真犯人の名を聞いていたと言うのだ。ただその父は既に死去していて、事件は時効になっていた。
ラーシュはかつての相棒だった元刑事らを手足に、事件を調べ直す。闘病生活を送りながらの困難な捜査だったが、いくつもの壁を乗り越え遂に真犯人にたどり着く。
問題は事件は時効で、犯人を法で裁けないことだ。そこでラーシュは一計を案じ、犯人に自らの罪を償う方法を選択するよう迫るのだが・・・。

作者のレイフ・GW・ペーションは犯罪学教授としてスウェーデンの国家警察委員会の顧問を務め、ミステリーの人気作家として本国では名が知られているそうだ。本作に登場する人物も過去にシリーズ化され、TVドラマや映画化もされているとのこと。著書の邦訳は本書が初となる。

ここのとこ、北欧ミステリーにどっぷり嵌っている。どの作品も実に面白い。本作もその例外ではない。
警察小説であり、ミステリーのカテゴリーからいえば車椅子探偵という事になる。
この小説の最大のテーマは時効になった犯人を社会的に制裁できるのかという点にある。作中では旧約聖書の中の「目には目を 歯には歯を」が度々引用されているが、事件の解決を暗示している。ただ、これが最善かどうかは評価が分かれる所だ。

本書のもう一つの魅力は、主人公ラーシュをめぐる周囲の人々の姿だ。
銀行家の妻、手広く商売をしている長兄、会計士の義弟、ラーシュの主治医、刺青だらけの介護人、丁稚と呼ばれている若い男、そして昔の警察官仲間たち。
彼らの暮らしや背負ってきた過去から、私たちには観光でしか知りえないスウェーデンの国が抱えている問題が浮かび上がる。同時にそれらが事件究明の糸口へとつながっていく。
深刻なテーマを扱いながら、ユーモア溢れる文体で読者を楽しませてくれる手腕は大したものだ。
但し、続編は期待できないのが残念。
CWA賞インターナショナルダガー、ガラスの鍵賞等五冠に輝いたのも郁子なるかな。

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2018/10/16

「誤解」(2018/10/15)

「誤解」
日時:2018年10月15日(月)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:稲葉賀恵
<  キャスト  >
小島聖:マルタ
原田美枝子:その母
水橋研二:ジャン
深谷美歩:その妻・マリア
小林勝也:ホテルの老使用人

(註:以下にあらすじを記すが、感想を述べる上でストーリー概要を紹介せざるを得ないので、支障のある方は読み飛ばして下さい。)
【あらすじ】
チェコの田舎の小さなホテルを営むマルタとその母親は、この土地で暮らすのに辟易とし、太陽と海に囲まれた国での生活を夢見て、その資金を手に入れるため二人でホテルにやってくる客を殺しては金品を奪っていた。
そこにジャンという泊り客が現れるが、彼は母親の息子、マルタの兄だが、幼い頃に家を出てアルジェリアにいた。風の便りに実家の父は亡くなり母娘でホテルを営んでいることを知り、彼女らを助けるためにここにやって来た。
しかし、なぜかジャンは自分の身分を二人に明かさなかった。
マルタと母は彼が肉親であることに気付かず、計画通りジャンを殺害し金品を奪ってしまう。その中でジャンのパスポートを発見して肉親であることを知るが・・・。

解説によればこの芝居は不条理劇とある。
不条理とは実存主義の用語で、「人生の非合理で無意味な状況を示す語としてカミュによって用いられた」とある。
そうか、カミュが元祖だったのか。
ジャンは母と妹マルタを助けるために会いに来たのに、最後まで自分の身を明かさなかった。もしも一言「母さん、息子のジャンだよ」言っていたら、悲劇は起きなかった。もっとも、この劇も成り立たかった。
母親はジャンをどこか近しい人間の様に感じ、殺害をやめさせようとするが、マルタが計画を押しとおす。そして息子であることが分かると悲嘆にくれ、後を追ってしまう。
マルタとしては、ジャンが自分が憧れていた地中海の浜辺に住み、最後はに母親の心まで奪っていった分けで、ジャンを嫉妬しむしろ彼は幸せだったのだと断じ、自らは絶望的な気持ちに陥る。
こうしたマルタの心情は、終盤のジャンをさがしに来た妻のマリアとの激しい言い争いの中で明らかになってゆく。
ウ~~ン、分かったような、分からないような。
もっと不思議なのは、舞台の上をフワフワと漂うホテルの老使用人の姿だ。
なんたって不条理劇ですからね。

その一方、ジャンが理想的に語っていたアルジェリアはカミュの出身地だし、マルタが忌み嫌っているチェコは、カミュが若い頃に旅していて嫌な思い出があったそうだ。
又、この戯曲の初演の時に主演のマルタを演じた女優は、カミュの思い人だった。
そう見ていくと、けっこう背景は通俗的な面もある。

この芝居をみながら、長谷川伸の戯曲「瞼の母」を思い起こした。
幼いときに別れた母を慕うヤクザな息子は、やっとめぐり合った母から自分の子ではないと追い返される。後で思い直した母親が息子をさがすが、その呼び声を聞きながら息子は瞼に浮ぶ母の姿を慕い続けて旅に出るというストーリーだ。
「誤解」は逆「瞼の母」、なんて言ったら叱られるかな。

出演者では、主役の小島聖が良かった。彼女は舞台映えする。
他の演者も好演で、特にフワフワ老人を演じた小林勝也が存在感があった。

公演は21日まで。

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2018/10/13

鈴本10月中席・夜(2018/10/12)

鈴本演芸場10月中席夜の部・2日目
Photo鈴本の夜の部は、左記のポスターにあるように、「橘家文蔵ネタ出し公演『文藝秋蔵の十日間』」と言う企画公演で、2日目は『佃祭り』。
入りは5分程度か。

前座・金原亭乃ゝ香『たらちね』
<  番組  >
林家なな子『竹取物語』
マギー隆司『奇術』
台所おさん『真田小僧』
入船亭扇辰『紋三郎稲荷』
ホームラン『漫才』
宝井琴調『赤垣源蔵徳利の別れ』
春風亭一之輔『代書屋』
─仲入り─
おしどり『漫才』
三遊亭白鳥『山奥寿司』
翁家社中『太神楽』
橘家文蔵『佃祭り』

なな子『竹取物語』
この噺、どこを面白がればいいのかな。

マギー隆司『奇術』
この人のカードマジックは独特のやり方だ。喋りも独特。

おさん『真田小僧』
トボケタ味わいのある人だが、芸人なんだからもうちょっと見栄えを良くした方が良いのでは。

扇辰『紋三郎稲荷』
扇辰の芸風に良くマッチしたネタだし、今や独壇場と言っても良い。
軽い気持ちで嘘をついた処が、後に引けなくなってしまうというのは日常でも有り勝ちで、それだけ普遍性があると言える。
よく似たストーリーに上方のネタで『稲荷俥』がある。こちらの方は自分は狐だと偽って人力俥の俥夫を騙す。
東京には先代の小文治が移し、彦六らが演じたという記録があるようだが、その後は途絶えている。

ホームラン『漫才』
珍しくツッコミ役のたにしが前面に出て股旅物のクサイ芝居を始めると、それを相方のボケ役の勘太郎がけしかけるという構図。展開に困惑するたにしを勘太郎が見守るなか、たにしが先に引っ込んでしまい、勘太郎一人になって時計を見ながら「あ、時間だ」と言いながら終了。
毎度のアドリブだが、両者の息が微妙にずれてこういう形になったのだろう。
漫才コンビというのはだいたい仲が悪いから、ちょっとした行き違いでハプニングが生じるのだ。
それも又楽しい。

琴調『赤垣源蔵徳利の別れ』
いま何とかいう若い講釈師が売れに売れているが、芸はまだまだだ。客をぐっと引き込み心を捉える琴調の読みには、遠く及ばない。

一之輔『代書屋』
何を演じても一之輔ワールドに。この日の客の名は中村吉右衛門だった。「へりどめ」を知らなかった代書屋を客の男が軽蔑の目で見つめる表情が良い。客を見くだす代書屋へのカウンターパンチ。

おしどり『漫才』
音曲針金漫才という新たな分野を拓いた。どことなくインテリ臭が漂うアコーディオン担当のマコに対して、ケンの針金細工が高座を盛り上げる。お客の注文でこさえた「横綱土俵入り」の細工はお見事。

白鳥『山奥寿司』
今や新作落語の第一人者と言っていいだろう。三遊亭新潟の頃はどうなるかと思っていたが、分からないもんだ。やはり一途に続けるというのは大切なんだね。

文蔵『佃祭り』
この噺は大きく佃島での人情噺と、神田お玉ヶ池での滑稽噺に分かれる。演者でいえば、志ん生は滑稽噺に、3代目金馬は人情噺に、それぞれ重点を置いていた。
文蔵の高座は前者に近い。全体はもっと長いものだが、次郎兵衛が佃祭りに出かけるまでの場面と、後半の与太郎が身投げ女を助けるサゲの場面がそれぞれカットされていた。長屋の衆が悔やみを言う場面では、最初の男は上方落語の『くやみ』の一部を採り入れたものと思われ、与太郎の気持ちの籠った悔やみは志ん朝の影響だろう。
佃島での船頭・辰五郎宅での3人の会話は、もう少し整理して刈り込んだ方がスッキリするのでは。
私の好みから言わせて貰えば、長屋の衆が治郎兵衛の遺体を引き取りに行く際にお上さんに身体の特長を訊ねると、治郎兵衛の二の腕に「たま命」の入れ墨があると答える、この場面は残して欲しかった。この短いヤリトリで治郎兵衛夫婦の姿が巧みに表現されているからだ。
そうした情緒に欠ける面はあったが、文蔵の高座は治郎兵衛の葬儀の場面を中心に笑いの多い演じ方で楽しませていた。

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2018/10/11

指輪と飾りでバッテンボー

「指輪と飾りでバッテンボー」
このフレーズに聞き覚えがある方は70代以上でしょう。
戦後、ラジオを通じてアメリカのジャズがどっと日本に入ってきました(まるで川柳川柳だね)。
私が小学校に入学した頃に、最初に耳にしたジャズが「ボタンとリボン」でした。映画「腰抜け二丁拳銃」の主題歌で、スクリーンでは主演のボブ・ホープが歌っていました。この曲はアメリカのアカデミー賞の作曲賞を受賞しています。
レコードは「Buttons And Bows」のタイトルで1948年に発売、歌唱はダイナ・ショアでミリオンセラーになりました。
日本では1950年に池真理子の歌唱でレコード発売され、大ヒットとなりました。
この曲の中で池は、 
♪ 指輪と飾りで Buttons And Bows
と歌っていたのですが、私たちには
♪ 指輪と飾りでバッテンボー
としか聞こえなかったのです。
多分、同世代の人も同じ感想を持っていると思います。

余談ですが、映画「腰抜け二丁拳銃」には女優のジェーン・ラッセルが出演していましたが、彼女こそ日本人男性に女性のバストの魅力を開眼させた功労者です。
Photo_2
ジェーン・ラッセルが主演した別の映画「ならず者」では(上はそのスチール写真)、男性観客のほとんどがストーリーそっちのけで、彼女の胸元ばかり見ていたという伝説が残されています。

私の記憶では同じ時期に「センチメンタル・ジャニー(和名「感傷旅行」)」が流行っていたと思うのですが、こちらはドリス・デイの歌唱で1945年、つまり終戦の年にアメリカでミリオンセラーになっていた様ですから、日本には遅れて入って来たものと思われまっす。
♪ Gonna take a Sentimental Journey 
「ゴナテイカセンチメンタルジャニー」で始まるあの気怠い歌い方が、戦後の国民の気持ちにフィットしたのでしょう。

これらより少し後で流行ったのが「Come on-a my house(和名「家へおいでよ」)」、米国ではローズマリー・クルーニーの歌唱で1951年にレコード発売され、ミリオンセラーになりました。
日本では1952年に当時15歳の江利チエミが歌い、「テネシーワルツ」とカップリングされたシングルが大ヒットしました。
私は原曲のローズマリー・クルーニーの歌の方が好きで、
♪ Come on-a my house, my house, I'm gonna give you candy
「カモナマイハウス マイハウス アイゴナギブユキャンデイ」と意味も分からず口ずさんでいました。

もう一つの「The Tennessee Waltz(和名「テネシー・ワルツ」)」は元は戦前の曲でしたが、1950年にパティ・ペイジがカバーしたものがマルチミリオンセラーとなりました。
♪ I was waltzing with my darlin' To the Tennessee waltz
日本では前述の様に江利チエミが歌い大ヒットしました。今改めて聴いてみると、江利チエミはこの曲を日本調で歌っています。やはりDNAですね。この哀調に満ちた歌い方が当時の日本人の心をつかんだのでしょう。

江利チエミの活躍を契機に、少女歌手が次々とデビューし、ジャズをヒットさせる現象が起きました。
当時、新土佐節のこんな替え歌がありました。
♪ 今の子どもは ジャズを歌って お金を稼いで
  大人は 無邪気に パチンコやっている
  そうだそうだ まったくだーよ ♪

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2018/10/08

番頭が主人からクビにされる珍しいネタ『足上がり』

【あらすじ】
ある大家の番頭、店の金を着服しては芸妓遊びを繰り返している。今日も今日とて芝居小屋で桟敷を借り切り、芸妓連中を侍らせて豪遊。お供に連れてきた丁稚の定吉には、金の出所は「筆の先から」などと自身の悪事をひけらかす始末。
定吉には、店に戻ったら主人には「佐々木さんの所で同業者と碁を打っていて遅くなる」と報告するよう命じて、一足先に帰す。
定吉は言われた通りに主人に報告するが、主人から「定吉、そのお座布団触ってみ。温ったかいやろ。佐々木さんが最前まで座ってはったんや。今日は番頭はんに会わんならんけど、まだ帰ってこんのかいな言うて、帰らはったばっかしやねん。ここにいてはった人が自分の家で碁を打てるとはおかしいやないか。嘘つきなはんな。」と旦那に叱責され、とうとう定吉は洗いざらい白状してしまう。
主人は「どうも近ごろ様子がおかしいと思うとった。何ちゅう奴っちゃ。飼い犬に手噛まれるとはこのことや。明日、請け人呼んで話つける。」と怒り狂う。定吉は「ええっ!番頭はん、足上がるんでっか!どうぞ勘弁しとくれやす。」と必死にとりなすが、主人は許さず、このことは番頭にも誰にも言うなと口止めする。
そうとは知らず店に戻ってきた番頭は定吉を部屋に呼び、「お前が帰ったあとの芝居よかったんやで。」と、「東海道四谷怪談」の大詰「蛇山庵室の場」を仕方噺で聞かせる。
定吉は怖がりながらも、「けど、番頭はん、芝居巧いなあ。」と褒める。
気を良くした番頭が「どや、幽霊が蚊帳の中に消えるとこ、まるで宙に浮いとるようやったやろ。」と得意げに言うと、定吉「宙に浮くはず、既に足が上がっています。」 でサゲ。

「足が上がる」というのは解雇されるという意味の上方の古い表現だ。
落語には帳面をドガチャガドガチャガして金をごまかし、芸者遊びや妾を囲う番頭が登場するが、主人が気付かなかったり、気付いても説諭程度で済むケースがほとんどで、クビにまでなるというのはこのネタ位ではなかろうか。
当時の商家の番頭というのは、主人に代って手代以下の者を統率し,営業活動や家政についても権限を与えられていた。主人はたまに帳簿を見る程度で、日常の業務は番頭任せだったというのが、理由の一つだ。
もう一つは、男の奉公人は終身雇用制度に近く、丁稚奉公から始まって最後は番頭にまで昇りつめ、その先には暖簾分け(分家)で自分が主人におさまることも出来た。その反面、途中でクビになると再就職の道が閉ざされてしまう。今とは比べ物にならない厳しい措置だったのだ。
そのためか、大概は主人も大目に見たのだろう。

このネタは芝居噺に属するが、「東海道四谷怪談」のうち「蛇山庵室の場」が演じられるというのも珍しい。
桟敷で芝居見物し、御馳走を食べて小遣いまで貰って有頂天になっていた定吉が、店に戻り主人から叱責されて一気に暗転してしまう筋書きはなかなか心憎い。
後から店に戻った番頭が、奉公人たちにお土産と称して饅頭と寿司を渡すのだが、いかにも遊び慣れた人物として表現されている。
短いネタだが、非常に良くできた噺と言える。

演者はもちろん桂米朝、「米朝十八番」に含まれている。

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2018/10/06

人形町らくだ亭(2018/10/5)

第80回「人形町らくだ亭」
日時:10月5日(金)18時45分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・春雨や晴太『たらちね』
春風亭正太郎『六尺棒』
春風亭一朝『祇園会』
~仲入り~
隅田川馬石『稲荷堀』(お富与三郎)
五街道雲助『島抜け』(お富与三郎)

晴太『たらちね』
二度目だが達者な前座だ。

正太郎『六尺棒』
物怖じせず堂々とした態度。マクラの青森にあるキリストの墓の話題は面白かった。
ネタは悪い出来ではなかったが、道楽息子の「孝太郎」の名前を失念していたようで、
「・・・ああ、孝太郎のお友達ですか。手前どもにも孝太郎という一人のせがれがおりますが・・・」
と言う父親のセリフの名前の部分がカットされていた。
そのため、後の父親のセリフ、
「・・・親類協議の上あれは勘当しましたと、(孝太郎に)会いましたなら、そうお伝え願います」
と平仄が合わなくなってしまった。
このミスが惜しまれる。

一朝『祇園会』
一朝の十八番であり、このネタに関して現役ではこの人がベストだ。
3人旅の様子から京都で浴場に入るまでの前段から、後半のお馴染みの都人と江戸っ子の会話に入る。江戸を見下し京都自慢を繰り返す男にイライラを募らせていく江戸っ子の姿が良い。
祭り囃子の聴かせ所をたっぷり演じてくれた。

仲入り後は雲助と馬石子弟による『お富与三郎』のリレー口演という趣向。
全体の粗筋はホームページ「落語の舞台を歩く」にとても良く纏められているので、以下に引用し紹介させて頂く。

【引用開始】
源左衛門は江戸に出て、博打で勝ちに勝ってその金全部を注ぎ込んで、江戸一と言われた深川のお富を身請けして連れ帰ってきた。そのため宝物のように大事にしていた。博打打ちですから、旅から旅に良い賭場が立つと、子分にお富を頼み、出て行った。
江戸でチヤホヤされて若旦那と言われた与三郎が、あまりにも良い男だったので木更津の叔父さんに預けられた。悶々としていたが、お富を見初め、猫にカツ節で、逢瀬を重ねるようになってしまった。
それを源左衛門に見つかり、捕らえられ顔中、体中を切られてしまった。それを知ったお富は木更津の海に身を投げてしまった。与三郎も俵に詰められ、100両で戻された。
死ぬと思われたが、治って江戸に戻ったが親はビックリ。それ以上に与三郎は人目に出られなくなり、閉じ籠もるようになってしまった。
気晴らしに両国の花火を観に出かけたが、皆から怖がられるので、戻ろうとすると、見覚えのある女の後ろ姿を発見、お富だと後を付けると玄冶店(げんやだな)に住んでいた。多左衛門の妾であったが、二人を見て、変に巻き込まれたくないので、家を渡して手を引いてしまった。
二人になれた事を喜んだが、番頭が跳んで来て家に帰るように言ったが聞き入れず、勘当と言うことになってしまった。勘当になると人別帳から外され、無宿人になってしまった。しかも、二人になっても食う算段がつかないので、博打に手を出し、お富は奥州屋に身を任せた。それを聞いた与三郎は稲荷堀(とうかんぼり)で奥州屋を鯵切りで殺して3両を奪って二人で帰るところを、蝙蝠安に見つかり、たかられる。度々たかりに来られ、二人で殺害してしまった。
与三郎は無宿人狩りで、捕まり佐渡に島流しになってしまった。法被一枚で金鉱で水汲みをさせられた。無宿人の多くは遊び人だったので、仕事が続かず、死ねば江戸から替わりの者が連れてこられた。もう生きて帰れないと悟ったが、番頭が裏で役人に薬を嗅がせたお陰で、少しはましな荷役に回された。船から荷運びをしていたが、誤って桟橋から落ちた者が居ても「放っときな」と言われるだけであった。
佐渡から島抜けを考えるようになった。失敗するとその制裁として、死、しかなかった。  雨の強い夜、役人も警備をゆるめ、静かであった。格子を外し一目散に駆け出した。元に戻る事はもう出来ずひたすら走ったが、後から足音が付いて来る。待ち伏せて捕まえると仲間の久次(きゅうじ)であった。昼間から様子がいつもと違うので、後を追って付いて来た。「一緒に連れて行ってくれ」、帰れとも言えないので、その覚悟を聞いて同行する事にした。
 「どうしてここから出るんだ」、と言うので聞かせると、役人が誤って桟橋から落ちてしまった事がある。直ぐに船を出して岸を廻って来ると潮の加減でゴミが寄せる場があった。そこに役人の死体が浮いていた。船を漕いでいたので、ここは何処だろうと崖上を見ると、格好の悪い松が一本生えていた。
昨日、ドジが居て丸太を数本海に落としてしまった。顔が曲がるほど殴られていたが、その材木がここに流れ着いているはずだ。その時の目印の松がこれだ。丸太を組んで筏を作り、海に出れば潮は本土にぶつかるように流れている。イヤでも本土に着く。また、飛び降りたら丸太が無いかも知れない。やるか、どうする。
二人は断崖を舞った。丸太は有った。丸太に乗って集め、筏にして漕ぎ出したが、外は大波なのでしっかりと筏に身体をくくりつけた。同じ死ぬなら本土で死にたい。その一心であったが、二人とも気を失ってしまった。  与三郎が気が付くと、岸に乗り上げていた。後ろを向くと佐渡が黒く浮き上がっていた。久次を起こし筏をばらして、地面が繋がっている江戸へと駆け出した。どんな事があってもお富に会うんだ。
島抜けは不可能だと言われていた佐渡から、初めて島抜けをした与三郎であった。
【引用終り】

馬石『稲荷堀(とうかんぼり)』
内容は上記粗筋の内、お富と与三郎が二人で玄冶店で暮らし始めるが金に困る。蝙蝠安の入れ知恵で家の奥間を賭場に貸して寺銭で稼ぐようになるが、その客の一人である奥州屋がお富に惚れこみ、妾にする。お富は奥州屋には与三郎を親類だと偽るが、「目玉の某」というワルが金欲しさに奥州屋にお富と与三郎の関係をバラシテしまい、怒った奥州屋はお富と絶縁すると言いだす。これを知った与三郎はお富と二人で稲荷堀でそのワルを惨殺する。
その一部始終を堀に舫っていた舟の中から蝙蝠安が見ていて、これから二人を強請り続けるが、安も二人に殺害されてしまう。
いつも感心するのだが、馬石はこうした人情噺と軽い滑稽噺の両方いけるのだ。こうした噺家は数少ない。そういう意味で師匠の芸風に最も近いと言える。さらに馬石の語る人情噺には柔らかさがあるのも特長だ。聴いていても肩が凝らない。

雲助『島抜け』
こちらの内容は、前期粗筋の中から与三郎が佐渡に流され金山で使役される所から、仲間(雲助は3人としていた)と共に筏で島抜けするまで。
島での労役は厳しく、12時間の危険な力仕事をさせられて粗末な食事と真冬でも法被1枚という姿。このままでは野垂れ死にだし、その一方お富への思いは募るばかり。イチかバチかの命懸けの島抜けの場面は手に汗握るような緊張感に包まれる。
この一門でしか味わえない大ネタのリレー口演、結構でした。

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2018/10/05

五派勢揃い「ケチと強欲のはなしの会」(2018/10/4)

日時:2018年10月4日(木)18時30分
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
古今亭志ん吉『もう半分』
立川ぜん馬『夢金』
桂春若『京の茶漬』
~仲入り~
笑福亭羽光『ケチ実話』
三遊亭圓橘『位牌屋』

「ケチと強欲」をテーマとした落語会で、珍しく東西の落語団体五派が勢揃いした。顔ぶれも決して悪くない。だが客の入りが悪い。この小屋で半分程度の入りだった。出演者には気の毒に思えた。
少し前から落語ブームだ寄席ブームだと言われているが、本物じゃない。一部の人気者が出演すると開演前に行列ができるほどだが、それ以外は客足が悪く、客席が閑散としていることさえ少なくない。
まだまだブームの底が浅いのだ。

志ん吉『もう半分』
良い出来だった。このネタに関しては真打と言っても可笑しくない。
粗末なを酒屋訪れる棒手振りの爺さん、1合の酒を半分の5勺づつ飲むのが唯一の楽しみ。共に社会の底辺にあって、何とかそこから這い上がろうともがいている。そのぶつかり合いの中で起きた悲劇だ。
志ん吉はそうした人間像を明確に描いていた。
殺しの場面を芝居仕立てに演じて、凄惨さを強調した演出も効果的だった。

ぜん馬『夢金』
立川流の中で最も上手い人として、ぜん馬の名前をあげる者もいる。私もその一人だ。
数年前から重い病を得て声はかすれがちだが、この日もその実力をいかんなく発揮していた。
寒中に大川に船を漕ぎ出す船頭の寒さが客席にまで伝わってくる。
強欲と江戸っ子の心意気とが同居している船頭の姿、結構でした。

春若『京の茶漬』
初見、3代目春団治の弟子。
同じ関西弁でも大阪と京都では違うというのをこのネタで実感できる。
京都の人は客が帰りかけるとお茶漬けをすすめるが、これは客が断ることが前提となっている。そこである大阪の男が京都の知り合いを訪れ、帰りがけにお茶漬けをすすめられたら食べることにする。
色々と謎かけしてお茶漬けにありつこうとする客と、ご飯の残りが少ないのでお茶漬けををすすめられないお上さんとの駆け引きが見せ所。春若の高座は、お上さんの困惑ぶりが描かれていて好演だった。
このネタはナマで観ないと面白さが分からない。

羽光『ケチ実話』
内容を紹介するのも憚れるような、ショモウナイ話だった。
企画した主催者の意図が分からない。

圓橘『位牌屋』
略歴は以下の通り。
1966年3月 - 3代目三遊亭小圓朝に入門
1973年11月 - 小圓朝の死に伴い5代目圓楽門下に移籍
ケチを扱った落語は多いが、このネタのケチな主人は相当に悪質だ。
子どもが生まれたのに、金がかかると渋い顔。
芋売りを呼び込んでわずか5厘で小さな芋を買い、いま小僧を煙草を買いに行かせたからと芋屋の煙草を借りて、世間話を繰り返しながら煙草の葉を袂に入れてしまう。芋俵から覗かせている芋を見せろと言い、形がいいから置物にすると言いながら勝手にしまってしまう。
怒った芋屋が帰ると、主人は小僧を呼んで仏師屋に位牌を受け取りに行かせる。
その小僧は先ほどの主人の手口を真似て、仏師屋から煙草を借りて葉を袂に入れてリ、棚にあった小さな位牌を置物にすると言いながら勝手に持ち帰ってしまう。
店に戻った小僧が主人から頼まれた位牌と、勝手に持ち帰った小さな位牌を主人に差し出すと、
主人 「馬鹿野郎、なんだもらうにことをかいて子どもの位牌を、一体何にするんだ」
小僧 「夕べ生まれた坊ちゃんのになさいまし」
でサゲ。
店の主人の吝嗇ぶりと、小僧が仏師屋で主人そっくりの口真似をする処が見せ場。
圓橘の高座は、それぞれの人物をきちんと演じ分けられていた。
貫禄の一席。

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2018/10/03

米国の若者の「左傾化」

月刊誌「選択」2018年10月号に、「米国で旋風起こす『社会主義』」というタイトルで、若年層の左傾化についての論評が掲載されている。
日本では青年層の保守化、右傾化が指摘されて久しいが、対照的な動きのようだ。
今年8月に公表された「ギャラップ」の世論調査によれば、民主党支持層に限れば社会主義の方が資本主義より肯定的に捉えられていた。
全体では「56%対37%」で資本主義の方が支持されているが、18歳から29歳までの年代では「45%対51%」で社会主義が勝っていた。
その背景として米国の若年層は、不安定な雇用、格差、医療費負担の増加、学生ローンの急増という四重苦に置かれているとのいう。
特に学生ローンは深刻で、大学卒業者一人当たりで、1990年代では2万ドル弱だったのが、2016年には3万7千ドルにはねあがっている。借金を抱える学生の比率は1990年代では5割程度だったのが、今は7割を超えている。
その結果、ローンを抱える大卒者の28%が向こう12年以内に不払いに陥り、5年後にはその率が40%に達するとの推計も出ている。つまりはアメリカンドリームならぬ個人破産という未来が待ち受けている。
これらの結果、米国の若年層の資本主義への支持は、この8年間で23ポイントも減ってしまった。

いまアメリカでは選挙シーズンを迎えているが、民主党の予備選挙で目立つのは「進歩派」と呼ばれる候補者たちの健闘だ。彼らは「国民皆保険」や「最低賃金を2倍にする」などの公約を掲げ、民主党指導部が望む穏健派の候補を次々と破っている。
その結果、下院議員選挙に立候補する民主党候補者のうち女性が180人と過去最多となった。黒人の下院議員候補は60人、性的マイノリティの候補者も上下両院で20人に達している。
ニューヨーク州とミシガン州の下院候補は、「アメリカ民主社会主義者(DSA)」という団体に所属している。1982年に創設されたDSAは、創設時のメンバーは6千人だったが、今では5万人に迫っている。
また今回の下院選挙では、「史上初の女性イスラム教徒下院議員」や「史上初の先住民女性下院議員」の誕生も有力視されている。

進歩派の候補はいずれも「トランプ大統領弾劾」を公約に掲げている。
目前に迫る中間選挙の情勢調査では、民主党が優勢という。
アメリカの政治ニュースというと、トランプの暴政に目を奪われがちだが、こうした「トランプ大統領ノー」の動向にも注目したい。

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