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2018/11/30

なんだかスッキリしない「カルロス・ゴーン」逮捕劇

カルロス・ゴーンが逮捕された直後のフランスの新聞に、次の様な記事が書かれていた。
日本では、東京電力が原発事故で地域住民にあれだけ大きな被害を与えておきながら、東電の経営者は誰も逮捕されなかった。タカタのエアーバッグの事故では死者を出しながら、やはり経営者は誰も逮捕されなかった。それに対してゴーンはあの程度のことで逮捕されてしまった。一体、日本の司法はどうなっているのか、という趣旨だった。
フランスの報道なのでバイアスが掛かっているのだろうが、論旨には一理ある。
昨年から今年にかけ、日本の名だたる大企業で、検査の不正やデータの改ざんが次々と明らかになった。これらは消費者である国民の生活や生命に直接影響のある問題だ。
しかし、一部の経営者が辞任した例はあるものの、逮捕されたり刑事罰を受けたりした例は皆無だった。
姉歯秀次という建築士が耐震構造計算書を偽装した罪で懲役5年の刑を受けた。
それに対して、耐震や免振のデータを改ざんした企業経営者はなぜ罰せられないのだろう。

日産自動車について言えば、昨年に無資格者による出荷検査が行われていたことが発覚したが、それ以後も日産5工場で19車種1171台にデータ改ざんが行われていた。
この問題に関する記者会見には、西川広人社長もカルロス・ゴーン会長も出席しなかったことで大きな批判を浴びた。
日産の経営責任について言うならば、ゴーンによる役員報酬チョロマカシより、こちらの問題の方が遥かに大きい。

カルロス・ゴーン問題でもう一つしっくり来ないのは、これが国策捜査の疑いが濃い点にある。
ゴーンの私的流用については、社長就任当時から社内でも公然の秘密になっていたことは、取材したジャーナリストの証言がある。
それに十数年にわたって役員報酬をごまかしたり、私的流用を続けてきたとしたら、他の経営者が気付かぬわけがない。
ゴーンが独裁者だったと言うなら、今の役員たちは皆ゴーンチルドレンだという事になる。同じ穴のムジナだし、時には美味しいオコボレに与った者もいるだろう。
それを今さら正義感ヅラされてもなぁ。
ゴーン逮捕を受け、日産自動車の川口均CSOが総理大臣官邸を訪れ、菅義偉内閣官房長官に謝罪や日仏関係の維持のための協力要請を行った。また逮捕翌日にはローラン・ピック駐日フランス特命全権大使が東京拘置所を訪れ、ゴーンと面会を行っている。
こうした動きを見ても、この逮捕劇の裏に政治が絡んでいることが推測される。

ゴーン逮捕後、続報がTVの報道番組や新聞記事のトップを飾った。
しかし中身は、企業が所有する海外の高級住宅を自宅代わりに使っていただの、会社の金で家族旅行をしただのという、金額はデカイがショボイ話ばかりだ。
そのお陰で、外国人移民受け入れ問題(入管法改正)の国会審議や、片山さつきの不正問題などがすっかり霞んでしまった感がある。
これだけでも、今回のゴーン逮捕劇は政権にとって意味があったという事だ。

どうやらゴーン逮捕劇は、眉にツバつけながら見守った方がよさそうだ。

2018/11/29

すがも巣ごもり寄席(2018/11/28)

第203回「すがも巣ごもり寄席」
日時:2018年11月28日(水)13時
会場:庚申塚・スタジオフォー
<  番組  >
雷門音助『権助芝居(一分茶番)』
柳家花いち『夢八』
柳亭市童『寝床』
神田すず 『赤穂義士外伝~忠僕元助』

久々の地域寄席は「すがも巣ごもり寄席」。203回というから主催者がよほどしっかりしているんだろう。
以前に一度来たことがあるが、二つ目が4人出演する会で、今回は音助、市童、小辰という実力派が3人揃っていたので、我が家からはちと遠いが出向いた。処が小辰が休演で、花いちが代演となっていた。こうした若手の会で代演に出会ったのは初めてだ。
以下に短い感想を。

音助『権助芝居(一分茶番)』
前座時代から注目している芸協の若手、この日は『権助芝居』を。通常の寄席では前半の権助が田舎芝居で七段目のお軽を演じて「今度のお軽はオスだ」で切ることが多いが、後半の「有職鎌倉山」の芝居まで演じた。芝居の動きやセリフがあるので難しいネタだが、丁寧に演じていた。所作がもっと綺麗になると、更によくなるだろう。
期待通りの高座だった。

花いち『夢八』
初見。マクラで祖母の臨終の話題は感心しない。
喋りで気になったのは、ネタの八兵衛とマクラの喋りが同じ調子なのだ。未だ噺家の喋りが身についていない気がした。首つりの目がまともで、あれでは死人の感じがしない。

市童『寝床』
やはり前座時代から注目していた一人。良さは喋りがしっかりしていること。こうした難しいネタに挑戦する意気込みは買うが、稽古不足なのか言い淀みや言い間違いがいくつかあり気になった。
それとセリフの「間」について工夫が必要だ。旦那と繁蔵、あるいは旦那と番頭との会話で必要な「間」が取れていないので、会話が流れていってしまう。
もともと素質はあるので、一層の精進を望みたい。

すず 『赤穂義士外伝~忠僕元助』
初見。
赤穂義士の一人、 片岡源五右衛門に元助という忠実な下僕がいる。いよいよ明日が討ち入りという日、源五右衛門は元助に暇を出し、10両の餞別を渡し国に帰れと命じる。元助は納得せず、それなら腹を切ると外へ飛び出そうとすると、そこへ通りかかったのが見廻り役の大高源吾と武林唯七、経緯が分からぬまま元助を殴り倒す。
片岡と大高、武林の3人は話し合い、これほど忠義な者であるなら元助の真実を打ち明けても大丈夫だろうとなり、元助に明日の討ち入りの件を打ち明ける。これほどの大事を自分のような者に打ち明けてくれた事に感謝する元助。元助は水盃をし三人を送り出す。
翌朝、見事に吉良の首を討ち捕ったと知った元助、浪士が切腹となると頭をまるめ、生まれ故郷で四十七士の石像を彫りあげ、榛名山のふもとに祀る。その後、南房総で墓守となり余生を送ることになった。
数ある義士銘々伝の中でも、随分と地味なネタを選んだなという印象だった。

満足度が足りなかったのは、やはり「小辰 」というピースが欠けていたせいかな。

2018/11/27

「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部・千穐楽(2018/11/26)

「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部

一、お江戸みやげ(おえどみやげ)
川口松太郎 作
大場正昭 演出
<  配役  >
お辻:時蔵
おゆう:又五郎
阪東栄紫:梅枝
お紺:尾上右近
鳶頭六三郎:吉之丞
市川紋吉:笑三郎
文字辰:東蔵

二、新歌舞伎十八番の内 素襖落(すおうおとし)
福地桜痴 作
<  配役  >
太郎冠者:松緑
太刀持鈍太郎:坂東亀蔵
次郎冠者:巳之助
三郎吾:種之助
姫御寮:笑也
大名某:團蔵

三、十六夜清心(いざよいせいしん)
河竹黙阿弥 作「花街模様薊色縫(さともようあざみのいろぬい)」
<  配役  >
清心:菊五郎
十六夜:時蔵
恋塚求女:梅枝
船頭三次:又五郎
俳諧師白蓮実は大寺正兵衛:吉右衛門

一、「お江戸みやげ」
常陸の国から江戸見物に来た二人のオバサン、湯島天神の小屋掛け芝居を観て、美男役者にウットリ。終演後に座敷に呼び、一人が気を利かして席を外していると、かの役者が現れ手を握ってくれたので、もう一人はすっかり舞い上がってしまう。そこへ役者の恋人が来ていちゃつきだすと、今度は恋人の母親が現れ、金を強請る。見かねたオバサンが、財布ごと全財産を渡し、二人が夫婦になるのを見届ける。
もう一人のオバサンが、なんで財布ごと渡したりしたのかと問うと、あたしが初めて惚れた男だったのと言いながら、役者から貰った小袖を胸に抱いて空を見上げる時蔵の表情がいい。この人は世話物で特に本領を発揮する。

二、「素襖落」
狂言を元にした松羽目物の舞踊劇で、ストーリーは他愛ないものだが、松緑が演じる太郎冠者が酔態を見せながらも、八島での扇の的の物語を一人で踊り分けて見せる所が圧巻。
当たり前だが歌舞伎役者の踊りは見事と言うしかない。さすがは藤間流勘右衛門派の家元、待ってました、紀尾井町!

三、十六夜清心
鎌倉極楽寺の僧である清心は、遊女の十六夜と深い仲であることが発覚し、女犯の罪で寺を追われる。十六夜が自分の子を宿しているのを知り、心中を決意して川に身を投げる。しかし、十六夜は舟遊びをしていた俳諧師白蓮(実は大盗賊)に救われ、その後白蓮に身請けされる。一方の清心も水練に堪能であったために死に損なう。岸に上がった清心は、癪を起こして苦しむ恋塚求女を助けた拍子にその懐にあった50両に触れる。金を奪おうともみ合ううちに、誤って求女を殺してしまう。清心は一度は自害しようとするが、やがて「一人殺すも、千人殺すも、取られる首はたったひとつ」と、これからは世の中を面白おかしく生きていこうと決意する。
折から、そこへ十六夜と白蓮が相合傘で通りかかるが、暗闇のため気付かず、清心はそのまま去ってゆく。終幕は「世話だんまり」となる。
菊五郎と吉右衛門が顔を揃える豪華版。
この芝居の見所は舞台もさることながら、名曲「梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)」を
始め、清元の聴きどころが満載だ。
清元栄寿太夫(役者の尾上右近)の床デビューが華を添える。

大歌舞伎の楽しさを堪能した。
入場料6000円(三等席だが、3階の最前列)は安い。

2018/11/24

花形演芸会(2018/11/23)

第474回「花形演芸会」
日時:2018年11月23日(金、祝日)
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳亭市坊『たらちね』
柳家やなぎ『牛ほめ』
玉川太福 『石松三十石船』 曲師=玉川みね子
神田山緑『人情匙加減』
桂佐ん吉『星野屋』
―仲入り―
柳亭左龍『壺算』
コンパス『漫才』
三遊亭萬橘『火事息子』

11月23日は感謝の日、こちとらは勤労してないので対象から除外だ。語呂合わせで「いいニッサンの日」でもあるそうだ。「ゴーンwithマネー(金と共に去りぬ)」で、これからの日産はどうなるのか。
第474回「花形演芸会」は浪曲に講談、漫才と、色物が多彩な会になった。

市坊『たらちね』
喋りが、噺家の喋りになっている。スジが良さそうだ。

やなぎ『牛ほめ』
下ネタで笑いを取ろうとする了見が気に入らない。

太福 『石松三十石船』 
一世を風靡した2代目広沢虎造『清水次郎長伝』より、最も人気の高かった 『石松三十石船』のサワリを演じた。
せっかくだから外題付けを紹介する。
【酒を飲むなと睨んで叱る 
次郎長親分怖い人
怖いその人又懐かしい
代参済まして石松は
死出の山路の近道を
夢にも知らず唯一人
参りましたる所は
ここは名代の大阪の
八軒屋から船に乗る
船は浮きもの流れもの】
二度目だが、最初は虎造節が耳慣れているので玉川節に違和感があったが、聴き込んでくるとこれはこれで心地良い。ケレン味の濃い啖呵で面白く聴かせていた。

山緑『人情匙加減』
『大岡裁き』もので、入船亭扇辰の落語や宝井琴調の講談でお馴染みだ。この二人の高座に比べ緩急や起伏が弱く感じられ、そのせいか山場の緊張感に欠けていた。

佐ん吉『星野屋』
佐ん吉の良さが愛敬があることだ。噺家にとって最も大事なのは愛敬だ。色気と言い換えても良い。これは噺家に限らず全ての芸人に求められる共通の資質である。
佐ん吉の演じるお花に色気があり、母親の強かさも十分に示され、良い出来だった。

左龍『壺算』
「ゲストといわれる程の者ではない」などと謙遜していたが、堂々とした高座で貫禄を示していた。花形演芸会のゲストに呼ばれるというのは、噺家にとって一つのステータスと言えるが、左龍もその仲間入りを果たしたわけだ。

コンパス『漫才』
ボケが三味線、ツッコミが唄という、珍しい民謡漫才。唄い手が高音に伸びがないのが残念。

萬橘『火事息子』
ネタを見て、大賞狙いだなと思った。萬橘は過去4期金賞を続けていて、これはこれで立派な成績だが、やはり今期は大賞が欲しい処だ。
8代目林家正蔵始め、6代目三遊亭円生、5代目古今亭志ん生、3代目桂三木助など、名だたる大看板が演じたネタ、萬橘がどう演じるか注目した。
基本は正蔵の型と思われるが、いくつか工夫があった。
勘当して末に臥煙(がえん)にまで身を落とした息子に会うのを拒む父親に対して、店の小僧が説教する。
・父親が出てけと言ったから息子が出て行ったんだから、息子は父親の言いつけを守ったのだ。
・(店が質屋なので)質屋だって良い質屋もあれば悪い質屋もあっる。それと同じで臥煙にだって良い人もいれば悪い人もいるのではないか。
・(父親が勘当したら息子と言えども赤の他人だというと)他人だったら会ってもいいでしょう。
こうした小僧の説得により、ようやく父親が息子に再会する。最初は冷たくあしらう父親だったが、母親も加わって親子の愛情溢れる結末となる。
全体に笑いの要素を多くしていて、その分親子の再会の場面の感動は薄れるが、萬橘版『火事息子』としては良い出来だったと思う。

2018/11/21

「誰もいない国」(2018/11/20)

「誰もいない国」
日時:2018年11月20日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:ハロルド・ピンター
翻訳:喜志哲雄
演出:寺十吾
<  キャスト  >
柄本明:ハースト(屋敷の主人、作家)
有薗芳記:フォスター(同居人)
平埜生成:ブリグス(同居人)
石倉三郎:スプーナー(客、詩人)

『野ざらし』の「さいさい節」じゃないけれど、
♪金がゴーンと唸りゃさ・・・
「欲深き人の心と降る雪は積もるにつれて道を忘れる」
片山さつきのチョロマカシなど小さく見えてしまうが、それはそれだ。

ノーベル文学賞受賞者のハロルド・ピンターの戯曲「誰もいない国」を観劇。
あらすじは。
2時間半の芝居は2幕に分かれる。舞台は老作家ハーストの自宅の居間。場所はロンドンのハムステッド・ヒースの近くらしい。ハーストとパブで意気投合した詩人を名乗る老人スプーナーの二人、二人はパブの続きみたいに酒を飲み続けお喋りをするが、会話は成り立っていない様子。
ハーストの身の回りを世話する2人の若い男が部屋に入ってくるが、2人はスプーナーをもてなしたかと思えば乱暴に扱ったりと、態度がころころ変わる。
4人の会話は一見取り止めのない様に見えるが、次第にハーストとスプーナーの二人の間の、女性関係をめぐる応酬の様相を呈してゆき・・・。

感想を一口にいえば、よく分からなかった。
物語に展開があるわけではないし、4人の状況も明確ではない。
「誰もいない国・・・動かない・・・変わらない・・・
老いることもない・・・いつまでも・・・
永遠に・・・冷たく・・・静か」
こんなセリフが唐突に飛び出してきて、それに反応するセリフはないのだ。
この芝居、恐らくはセリフそのものの楽しさと、役者の演技を楽しむ舞台なんだろう。
柄本明の演技を見るだけでも、確かに価値はある。

公演は25日まで。

2018/11/19

『芝浜』こぼれ話

落語『芝浜』は幕末から明治にかけて作られた様だが、成立については諸説ある。
最も一般的なのは、三遊亭円朝が、「酔払い」「芝浜」「財布」(これについても「笹飾り」「増上寺の鐘」「革財布」の異説あり)の三題噺として作ったのが原形とする説だ。しかし、この話が「圓朝全集」に収録されていないことや、また圓朝以前にも類似の話が存在したという指摘もあり、圓朝原作説には疑問の声がある。
『芝浜』はその後、3代・4代三遊亭円生、4代橘家円喬、初代・2代談洲楼燕枝、初代三遊亭円右などが手がけとされている。
当時から人気のあったネタだったようで、最初の劇化は1903年に市村座で、新派の伊井蓉峰と河合武雄が『稼げばたまる』と題して上演した。
ついで1922年に市村座で、2世竹柴金作の脚色を6世尾上菊五郎が『芝浜革財布』と題して上演した。歌舞伎の世話物として今も繰り返し上演されている。

多くの『芝浜』の解説ではこの先を、「戦後、3代目桂三木助が安藤鶴夫ら作家や学者の意見を取り入れて改作したものが、現在広く演じられている」としている。
つまり明治大正から一気に昭和20年代に飛んでいるわけで、この間に噺がどう受けつがれ、どの様に変遷したのかが明らかでない。
三木助が誰から教えて貰ったのか、改作したのならどこをどう変えたのかも、さっぱり分からないのだ。

ヒントとなりそうな記述が、10代金原亭馬生のCDのライナーノーツに評論家の川戸貞吉が書いているので、要旨を紹介する。
川戸が初代雷門福助(本名:川井初太郎)から聞いたもので、三木助の『芝浜』は8代桂文楽の『芝浜』だと言う。
ある時、文楽が数人の噺家を前に『芝浜』を3日間演じたことがあった。実際に演ってみて感想を訊こうとしたのだ。
処が3日目に、目を真っ赤にして聴いている者がいることに気付いた。人情噺は演らないと口癖のように言っていた文楽なので、ここで『芝浜』を捨てることにした。
文楽が捨てた『芝浜』に食いついたのが3代三木助だった。他者に稽古をつけるのを嫌っていた文楽だったが、三木助のしつこさに根負けして、5日間稽古をしてあげた。
これは三木助が、同期だった福助に打ちあけた話だそうだ。
ただ残念なのは、文楽が演じたという『芝浜』については記録も音源も残されていないので、三木助が教えられたオリジナルの形が分からない。

もう一つ、『芝浜』について川戸貞吉が書いていたのは、8代林家正蔵が話したことだ。
「『大ネタだ、大ネタだ』と言われていますが、『芝浜』なんて昔は大した噺じゃなかったんです。どちらかといえば、音曲師がしゃべった軽い噺だったんです。あたしだって出来ますよ」
つまり、魚勝が財布を拾ったので目出度い目出度いと仲間を呼んで騒ぐくだりで、色々な唄が飛び出す。ここが音曲師の腕の見せ所だったと言う。
正蔵が言った通りであれば、『芝浜』は今とは随分と形式が違っていたことになる。
しかし、先の文楽が演じた『芝浜』が音曲噺だったとは思えないので、あるいはいくつかの異なった演じ方が存在していたのかも知れない。

古今亭志ん生は、三木助が芝の浜の情景を長々と演ることに否定的だったという。「あれじゃ、夢だと思えねぇ」と切り捨てていた。
そのせいか、息子の馬生も志ん朝も、この場面はあっさりと演じている。

師走に向かって『芝浜』の高座に接する機会が増えるだろうが、こうした経緯を頭に置いて聴くのも一興かと思う。

2018/11/17

国立11月中席(2018/11/16)

国立演芸場11月中席・6日目

前座・立川 幸七『道灌』
<  番組  >
立川幸之進『狸の鯉』
東京ボーイズ『ボーイズ』
春風亭柳太郎『結婚式風景』
東京丸・京平『漫才』
立川談幸『茶の湯』
~仲入り~
神田紫『紀伊国屋文左衛門~宝の入船』
桂米福『尻餅』
ボンボンブラザース『太神楽曲芸』
三笑亭茶楽『芝浜』

国立演芸場11月中席は芸協の芝居、後の顔づけが良い6日目へ。入りはまあまあといった所か。

東京ボーイズ『ボーイズ』
このコンビ、冒頭の「謎かけ問答」以外は毎度ほぼ同じネタだ。それでも面白いのは芸の力。
寄席で現役で活躍している「ボーイズ」は彼らだけだろう。ぜひボーイズの火を消さず息長く頑張って欲しい。

柳太郎『結婚式風景』
師匠だった春風亭柳昇の十八番だったが、同じネタを演じてもこんなに差がつくものか、を実感した。

京丸・京平『漫才』
この漫才、どこを面白がればいいんだろう。

談幸『茶の湯』
大家の隠居から茶の湯の招待状が届き戸惑う3軒長屋の住人の姿はカットしていたが、短い時間でテンポよく聴かせていた。このネタ、変に捻らなくても十分に楽しめるのだ。
風流人を気取って茶の湯を楽しんでいる人たちに対する、百姓のキツイ一言。数あるサゲの中でも傑作と言って良い。

米福『尻餅』
こういうネタを聴くと歳末に近づいたんだなと思う。両手で餅つきの音を響かせるリズムが心地よい。一歩間違えるとバレ噺になりかねないが、米福はそこをサラリと演じてみせた。

ボンボンブラザース『太神楽曲芸』
落語や講談に人間国宝があるんだから、色物だって人間国宝がいても可笑しくない。そう思わせる芸だ。

茶楽『芝浜』
何より小品を小品として演じた点が良い。
3代目桂三木助が完成したと言われている『芝浜』だが、登場人物は二人だけで、その夫婦の機微を描いたものだ。口演時間も20分程度で、ドラマチックな展開が起きるわけでもない。それだけに演者の技量が求められる。
茶楽の高座では、
・魚勝が拾ってきた財布から出した小粒を数える時に、最初は意気込んで数え始めえるが、途中で気付いて小声にする。
・魚勝が昨晩の残りの酒を飲む際に、昨日までと違って今日は気分よく飲めるというセリフに、ホッとした本心が覗いていた。
・翌朝、女房が魚勝を起こす際の起こし方が、前の日と違って切羽詰まった声でお越しにかかる。この後に亭主に対して夢だ夢だと納得させる女房の心積りを表している。
こうした下地が積み重なって、最後の「また夢になるといけねえ」いうサゲが効いてくるのだ。近ごろ、このネタに余計なものをくっ付けて時間を延ばし、大ネタ扱いで演じるケースがあるが、あれは邪道だ。
トリの茶楽の高座、結構でした。

2018/11/15

「桂雀三郎・春風亭昇太」(2018/11/14) 

第十五回「雀昇ゆかいな二人」
日時:2018年11月14日(水)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
桂雀三郎『腕食い(かいなぐい)』
春風亭昇太『そば清』
桂雀三郎『三十石』
~仲入り~
春風亭昇太『不動坊』

横浜にぎわい座での「桂雀三郎・春風亭昇太」二人会、年1回開催なので今年で15年目となる。人気番組で今回も前売り完売だった。
二人とも新作・古典両方を手掛けるが、この日は古典2席ずつだった。

雀三郎『腕食い』
初めて聴いたネタ。あまり演じられなかったのは、少々後味が悪いせいだろうか。
【あらすじ】
船場の商家の若旦那、道楽のはてに勘当され、乞食にまで身をやつしていたが、久々に大阪へ戻って来て、自分の店で奉公していた番頭の家に転がり込み居候となる。
暫くしてから番頭に養子に行くよう勧める。相手の家は資産家で、一人娘は18歳の小町と呼ばれる器量良し。
但し、この娘には一つ欠点があるという。
夜中になると家の裏の常念寺の墓場へ入って行き、墓石と墓石の間から、バリバリッ、バリバリッと音が聞こえる。この音を聞いた養子が次から次へと逃げだしてしまうという。
若旦那も最初は渋るが番頭に説得され、娘の婿になる。
新婚初夜を迎えてその夜中、常念寺の鐘が鳴ると、今まで寝ていた花嫁がムクムクッと起き上がって足音を忍ばして裏の常念寺の墓場へ。 新仏の墓の土を掘り返して、赤子の死体を引きずり出して、腕をくわえてバリバリッ、美味そうに血をチュ~チュ~、「ああ、なんの因果やらこの病い・・・」。
一方の若旦那、目が覚めると隣に寝ているはずの嫁さんがいない。怖さ半分見たさ半分で縁側へ出てみると、常念寺の墓場の方からバリバリッ、バリバリッという音。墓場を覗き込むと、娘と目が合う。
若旦那が娘に何をしているのかと問うと、娘は、
「これでございます」
「何じゃそら? 赤子の腕やがな。えらいもんかじんねやなぁ、せやけどなぁ、赤子の腕かじるぐらい何ともないで。わいなんか、長いこと親の脛かじってたわ」
でサゲ。
かなりグロテスクな噺だが、明るい高座スタイルの雀三郎が演じると左程気色悪さは感じない。
怪談噺風だが、結末は大団円という、上方の貴重なネタを聴けて良かった。

昇太『そば清』
笑点の司会をしているようだが、高座で笑点を話題にすることは殆どない。メンバーによってはやたら笑点っをネタにして辟易としてしまう事があるが、昇太は対照的だ。
マクラで、高級焼き肉店で一皿13000円もするシャトーブリアンを食べたという。いかに美味かったかということを話題にして本題へ。
Wikipediaには「『そば清』は東京の3代目桂三木助が、上方の『蛇含草』の登場人物と主題になる食べ物を大きく改変した演目」としているが、真っ赤な偽り。因みに三木助は『蛇含草』を得意としていた(ライブで観てる)。Wikipediaは特に落語に関していい加減な記事が多いので、頭から信用しない方が良い。
通常はそば清が1枚食べるごとにセイロを1枚ずつ用意するのだが、昇太の高座では先ず食べる枚数のセイロを床の上に並べ、それを片端から食べていた。食べ過ぎると最後は耳からソバが出てくるという演じ方が変わっていた。
蟒蛇が食べた薬草は人間だけを溶かすものだという説明をどこかに入れた方が分かり易かったかも。

雀三郎『三十石』
船宿から三十石の船中での乗客や船頭の会話、枚方までの農村風景までをタップリと演じた。
「お女中」という言葉にすっかり妄想を募らせるの話は、大阪の女性の家に上がり込んで酒を酌み交わし深い仲にまでなるという壮大なもの。それだけに「お女中」がお婆さんだったと知った時の落差の大きさが笑いを誘う。
間に船頭の舟歌が4度入るが、これがまた良い声なのだ。そう言えば、この人歌手だもんね。
師匠より大師匠の米朝に近い演じ方だった。

昇太『不動坊』
冒頭の大家のセリフ、「お前さんも、いつまでも独り身でいないで、そろそろ嫁さんを貰う気、ないか」で場内は大爆笑。
八が銭湯での新婚生活や夫婦喧嘩を妄想する所から、他の独身男たちが憧れの後家を八に奪われて嫉妬し、前座を幽霊に仕立てて八を脅かそうとする場面まで、ほぼフルに演じた。
屋根の上でのドタバタでは、チンドン屋の万さんの粗忽ぶりが際立つ。人魂に使うアルコールを間違えてアンコロを持ってきたり、幽霊の「大ドロ」の太鼓の代わりに「祭り太鼓」を叩くなど、てんやわんや。
昇太らしい軽い演じ方で、この噺の面白さを引き出していた。

2018/11/12

「郵便ポストが赤いのも」

郵便ポストが赤いのも
電信柱が高いのも
チンチン電車が走るのも
みんな私のせいなのよ
(みんな私が悪いのよ)

私が幼かった頃、母が時々こんな事を言ってました。 ちょっと不貞腐れた時に出ていたように記憶しています。
母は明治32年生まれなので、恐らくは昭和初期に流行ったのでしょう。
サイトを見ると、ネタ元を4代目柳亭痴楽としている例がありますが、それは順序が逆で、巷間に伝わっていた俗言を痴楽が自分のギャグに取り込んだと考えるのが妥当だと思います。

ここで今の方に「チンチン電車」についは解説が要りますね。
市街地を走る路面電車の通称で、合図に車掌が紐を引いて鐘を「ちんちん」と鳴らすところから、こう呼ばれていました。
かつて東京でも網の目のように都電(戦前は市電)が走っていました。運転手の他に車掌がいて、停車や発車の合図をチンチンと鳴らしていたのです。
車掌のもう一つの仕事は乗車した客の切符を切ることです。前にカバンを下げて手には鋏を持ち、客から金と引き換えに乗車券に鋏を入れて渡します。回数券を持っている乗客には1枚だけ鋏を入れます。降車の時にそれらを回収していました。

この「チンチン電車」をめぐって一時期流行った下ネタジョークがありますので、紹介します。

あの阿部定さんが刑務所を出所してから市電の車掌になった。
定さんがチンチンと鳴らしてから鋏を手に「切らせてもらいます、切らせてもらいます」と車内を回ると、男性客が一斉に前を押さえながら降りて行ったという。

これも今どきの方には通じないですか。

2018/11/10

歌曲の森「クリストフ・プレガルディエン」(2018/11/9)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第23篇「クリストフ・プレガルディエン」
日時:2018/11/9(金)19時
会場:トッパンホール
<出演者>
クリストフ・プレガルディエン(テノール)
ミヒャエル・ゲース(ピアノ)
<プログラム>
シューマン:5つの歌曲 Op.40(詩:アンデルセン、シャミッソー)
シューマン:リーダークライス Op.39(詩:アイヒェンドルフ)
~休憩~
シューマン:詩人の恋 Op.48(詩:ハイネ)
(アンコール曲)
シューマン:
リーダークライス Op.24より 第9曲 ミルテとばらの花を持って
5つのリートと歌 Op.127より 第2曲 あなたの顔は
ベルシャザル Op.57
ミルテの花 Op.25より 第1曲 献呈
シューベルト:
夜と夢 D827

世の中で最も美しい音、それは人間の声だ。どんな楽器にも勝る。
そのことを実感したのは、ここトッパンホールで歌曲の数々を聴いてからだ。
私たちの日常で肉声の歌声が聴けるのは稀だ。歌謡曲やポップスのコンサートに行っても、マイクを通した歌声しか聴けない。あれではライブの意義が半減してしまう。
もう一つ大事なことは、ホールの音響だ。いくら歌手の声が良くてもホールの音響が悪くは台無しになる。
その点、トッパンホールは素晴らしい。客席が400余りと、歌曲を聴くには丁度いい広さだ。
このホールで聴いていると、歌手の声が喉から出るのではなく、身体の中から出ていることが実感できる。その声がホールの壁に反響して私たちの身体に伝わってくる。
そうした心地よさからくる陶酔感に浸りながら、至福の時間を過ごすことが出来る。
もちろん、それは歌手の技量にもよるのであって、この日のクリストフ・プレガルディエンの素晴らしい歌声があればこそ。リリックテノールなので高音が綺麗であることは言うまでもないが、この人は低音がまた美しい。
ミヒャエル・ゲースのピアノ演奏を聴いていると、歌手との関係が浄瑠璃の太夫と三味線との関係を思わせる。
ドイツ語が不勉強のため歌詞が分からず、表現力や情感が伝えられないのが残念だが、幸せな気分で帰路についた。

2018/11/08

『修道女たち』(2018/11/7)

KERA・MAP #008 『修道女たち』
日時:2018年11月7日(水)13時
会場:本多劇場
脚本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<出演>
鈴木杏、緒川たまき、鈴木浩介、伊勢志摩、
伊藤梨沙子、松永玲子、みのすけ、犬山イヌコ、
高橋ひとみ

当初は妻と日光へ紅葉狩りに出かける予定だったが、妻の体調が悪くてとりやめ、ケラさんの芝居を観に本多劇場へ。
劇場近くに、喬太郎の『ハンバーグ・・・』のモデルとなったスーパー「オオゼキ下北沢店」がある。本人によると、この店を見てネタを思いついたそうだ。
この戯曲について、HPに以下の様なケラさんの序文が載っている。
【宗教とは無縁な私が聖職者の物語を描きたいと欲するのは何故なのだろう。理由はいくつでも挙げられる。
第一に、禁欲的であらねばならぬというのが魅力的。奔放不覊な人間を描くよりずっと面白い。「やっちゃいけないことばかり」というシチュエーションは、コントにもシットコムにももってこいだ。
第二に、宗教的モチーフが、シュールレアリズムやマジックリアリズム、或いは不条理劇と非常に相性がよい。不思議なことがいくら起こっても、「なるほど、神様関係のお話だからな」と思ってもらえる。
時間が無くて二つしか思い浮かばなかったが、かつて神父を登場人物にした舞台をいくつか描いてきた私が、満を持して修道女の世界に挑む。しかも複数だ。修道女の群像劇である。どんなテイストのどんなお話になるかは神のみぞ知る。ご期待ください。】

どんなお話かというと、キリスト教系と思われると宗教団体の教会に集う6人の修道女たち。この国の国王が彼女らの宗教を忌避していて、毒入りのワインによって47人の修道女のうち43人が殺害されてしまった。助かった4人に、新たに加わった母娘2人を加えた6人のメンバーが、年に一度の聖地巡礼に旅立つ。
聖地では、かつては修行の洞窟だったのを家屋に改造した家に修道女たちは逗留する。その家には祖母と孫娘が暮らしている。孫娘には親しい男性がいるが、彼は戦争で仲間が全滅する中で奇跡的に生還した。
修道女たちは近辺に托鉢に向かうが、村人たちは国王の意思に背けず戸を閉ざして相手にしてくれない。しかし村人たちが集まって話し合い、皆で修道女たちを歓迎しようと決める。
それに対して国王は、修道女たちを皆殺しにするか、さもなくば村を焼き払うと命令をくだす。村人たちの出した結論は修道女たちを助けるというもので、村を代表して保安官が彼女らに伝えに来る。併せて、修道女たちにパンとワインを差し入れるが・・・。
この後、物語は二転三転するが、それは見てのお楽しみ。
ヒントは、差し入れが「パンと葡萄酒」であること。
サイドストーリーをからめながら、この世に神は存在するのかという根源的な問いから、国家と宗教、国家と戦争といった問題を内包した芝居になっている。
なにせケラさんのこと、シチュエーションコメディタッチで随所に笑いをちりばめ、楽しい舞台に仕上げていた。
出演者たちもみな楽しそうに演じていたが、エキセントリックな役を演じた鈴木杏の熱演が印象に残った。

公演は、15日まで。

2018/11/06

落語協会真打昇進披露公演in国立(2018/11/5)

国立演芸場11月上席・5日目

前座・柳家小ごと『道灌』
<  番組  >
春風亭一花『たらちね』
柳家喬之助『出来心』
青空一風・千風『漫才』
柳亭左龍『野ざらし』
柳家喬太郎『擬宝珠』
―仲入り―
『真打昇進披露口上』高座下手より司会の喬之助、左龍、小平太、さん喬、喬太郎
柳家小菊『粋曲』
柳家さん喬『時そば』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
柳家さん若改メ
柳家小平太『井戸の茶碗』

4日に、
「あんた、NHKで新人落語大賞」っていうのをやってるわよ」
「ふ~ん」
「見ないの?」
「見ない」
家人にしてみれば、わざわざ落語を聴きに出かける人間が、TVの演芸番組に全く興味を示さないのを不思議に思うようだ。
だがそれは逆、ライブで観られるのにTVで観る必要はない。
国立演芸場11月上席は落語協会真打昇進披露公演。5日目は柳家さん若改メ 柳家小平太の昇進披露だ。満員の入りだった。

喬之助『出来心』
声が大きく元気だが、印象が薄いんだよね。

一風・千風『漫才』
少しずつ形が出来つつあるようだ。

左龍『野ざらし』
迫力があって面白かった。ますます腕をあげてきた。惜しむらくは「さいさい節」が今一つだったかな。

喬太郎『擬宝珠』
初代三遊亭圓遊の作で、演じ手がなく埋もれていたのを喬太郎が掘り起こし、手を加えて一席にまとまたもの。
ストーリーは喬太郎本人が書いているので、それを引用させて貰う。
【さるお店(たな)の若旦那、気鬱の病いでふさぎこんでいる。食べる物も喉を通らない。医者の見立てでは、このままだと命が危ない。ところが若旦那、ふさぎこんでいる原因を親にも店の者にも医者にも話さない。
こういうときは身内より、仲の良い友達がよかろうと呼ばれた、幼な馴染みの熊さん。大方恋患いかなんかだろう……と、だんだん話を聞いてみると、
 「実は……擬宝珠が舐めたい」
 「はぁ? 擬宝珠ィ?」
若旦那、昔から金物を舐めるのが大好きで、近頃では橋の擬宝珠を舐めているという。で、今舐めたくて仕方ないのが、
 「浅草の観音様……浅草寺の境内の五重塔、あのてっぺんの擬宝珠が舐めたい……」
しかしまさかあの擬宝珠が舐められる訳がない。どうせ夢は叶わない……それで患いついているという。
 「わ、分かりました。なんとかしますから」
 と熊さん、これを大旦那に報告する。
 「な、なんだい!? 伜は擬宝珠舐めが好きなのかい?……はぁ……親子だなぁ……」
 「へ? 大旦那も!?」
息子には打ち明けてなかったが、両親も金物舐めの癖(へき)があるという。
 「そういう事なら伜の気持ちもよく分かるし何より命にかかわる事だ、なんとかしましょう」
浅草寺様に話を通して足場を組む、引きずるように伜を連れてくると、
 「さぁ伜や、五重塔の擬宝珠……いや、あそこのは本当は宝珠だが……まぁそんな事ぁどうでもいい。さ、舐められるようになってるぞ」
弱っている体のどこにこんな力が残っていたか、若旦那、猿(ましら)の如く足場を登っていく。五重塔のてっぺんに上がると、宝珠にしがみついてベーロベロベロ……と舐め始めた。
 「大旦那ご覧なさい、みるみるうちに血の気が戻ってきましたぜ……へぇ大したもんだ」
すっかり元気になって下りてきた若旦那に、
 「伜や、どんな味がした?」
と問う大旦那。若旦那は嬉しそうに、
 「沢庵の味が致しました」
 「塩の加減は三升かい、五升ばかりかい?」
 「いえ、緑青の味が致しました」】
「沢庵」が「親孝行(香々)」に掛かり、サゲの「緑青」は「六升」に掛かっている。
金物フェチの所は『やかんなめ』に似ている。
喬太郎ほどの手腕がないと、面白さが伝わらないネタかも。

『真打昇進披露口上』
口上そのものより、さん喬と喬太郎との間の緊張関係が垣間見えた方に興味を惹かれた。喬太郎がさん喬に向かって「まだ伸びしろがありますね」と冗談を言ったのだが、さん喬の目はマジに怒っていた。師匠が名付けた小平太という名前を喬太郎が「足軽みたい」とチャチャを入れた時も、さん喬がちょっとイラっとしていた様子だった。

小菊『粋曲』
・・・♡

さん喬『時そば』
江戸に幕府が開かれると、人口が一気に80万人も増えたため、店舗を持たない棒手振りの商人が江戸の名物になったという。
貫禄の高座でした。

小平太『井戸の茶碗』
久々だったが、上手くなったなぁと感心した。
口上で、真打に近づいた頃に急に上達したと言っていたが、決してお世辞ではなかった。
お馴染みのネタだが、登場人物の骨格がしっかりと描かれている。筋の運びに無駄がなく、テンポもセリフの間もいい。
屑屋というのが、当時の士農工商の階級制度の外に置かれていたという解説も良かった。
主人公である正直清兵衛が、社会の最下層の人間であったことが、この物語の肝心な所なのだ。
最近聴いた『井戸茶』ではベストの高座だった。

2018/11/04

60年ぶりの『セールスマンの死』(2018/11/3)

『セールスマンの死』
日時:2018年11月03日(土)17時
会場:KAAT神奈川芸術劇場ホール

【作】アーサー・ミラー
【翻訳】徐賀世子
【演出】長塚圭史
<   キャスト   >
風間杜夫:ウィリー・ローマン
片平なぎさ:妻リンダ・ローマン 
山内圭哉:長男ビフ 
菅原永二:次男ハッピー
伊達暁:ウィリーの上司
村田雄浩:ウィリーの兄ベン
大谷亮介:ウィリーの友人チャーリー
加藤啓:チャーリーの長男でビフの友人バーナード 
ちすん 加治将樹 菊池明明 川添野愛 青谷優衣

初日のプレビュー公演を観劇。
【あらすじ】(ネタバレあり)
舞台は1950年代前後のアメリカの東海岸。主人公ウィリー・ローマンの死に至る最後の2日間を描いたもの。
ウィリー・ローマンは63歳になるセールスマンだったが、今では過去の幻影と自分を人並以上の人間だとする妄想の中だけに生きていた。家では献身的な妻と二人の息子との4人暮らし。長男のビフは定職につかぬ放浪者で、父に対して心に深いわだかまりを持っていた。次男のハッピーは女にしか関心のない。長い旅から帰ってきたビフはハッピーと共同で運動具店を始めようと計画し、元の雇主に金を借りに行くことになった。ウィリーは会社へ内勤を頼みに出かけたが、上司から却って解雇を申し渡されてしまう。旧友のチャーリーから自己に対する過信を戒められたウィリーは、その夜失意を押し隠して息子たちの待つレストランへ出かけた。そこで彼が聞いたのは、借金を頼みに行ったビフが、そっけない扱いをされた腹いせに、万年筆を盗んで逃げてきたという。絶望に打ちのめされたウィリーが、過去の回想に浸っていると、息子たちは外へ出てしまっていた。深夜、別々に家に帰り着いた父子は、母を間にはさんで烈しい喧嘩を起こした。しかし、この時ウィリーは長男よりもむしろ、自分の方が彼に対して深い溝を作っていたことに気付く。ウィリーは、深夜の街に車を駆った。葬式の日、ウィリーの墓に集まったのは、妻と2人の息子と、隣人のチャーリー父子だけであった。ウィリーが残した保険金で家のローンが完済した事を告げた妻は、夫の死のはかなさに泣いた。

この芝居を兄に連れられて神田共立講堂で観たのは15歳の頃だったと記憶している。だから約60年ぶりの観劇となる。
民芸の公演で、ウィリーを滝沢修、妻の役は小夜福子だった。大まかなストーリーは分かったし、感動したという記憶だけは残っている。
さすがに細かな所は憶えていなかったが、それでもいくつかの場面は思い出すことができた。それだけ印象深かったということだ。
上演時間は休憩を除いておよそ3時間だが、出来事は2日間だけだ。それをフラッシュバックという手法で、複雑な物語を観客に分からせる。
とり上げているテーマは、競争社会、親子の断絶、家庭崩壊、若者の挫折感など、いずれも普遍的な問題なので、現代の日本にも通じるものだ。
父と息子というお互い永遠に分かり合えない関係や、同じ息子でも長男と次男とでは父親の期待が異なるといった点は、身につまされる。
作者が主人公をセールスマンにしたのも、資本主義社会の最先端をゆく職業だからだと思われる。
自殺した保険金でローンを完済したウィリーの姿は、この社会の未来を暗示させているかのごとくだ。

芸達者揃いの出演者はみな好演で、緊張感のある舞台は演出家の手腕による所が大きい。
60年前の感動が再び蘇ってきた、そんな舞台だった。

本公演は18日まで。

2018/11/01

日本の抒情歌謡10選

抒情歌の定義について「Wikipedia」では、作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものとしている。
故郷や家族、愛する人への思いを歌い上げた歌謡曲の中から、特に印象に深く残っている10曲を選んでみた。
戦前の3曲はいずれも太平洋戦争とは切っても切れない曲だ。
戦後の7曲は、復興から高度経済成長期にかけて多くの若者が農村から都会へ移動してきた。彼らの望郷の念や別離の悲しみ、家族や親しかった人たちへの思いを歌ったものになった。
選曲された10曲は大半が1940-1950年代のもので、同じ境遇に置かれた同時代の人たちの共感を得ることが出来たのだろう。

「湖畔の宿」(1940年、高峰三枝子)
歌う映画スターっといえば、男優なら高田浩吉で、女優なら高峰三枝子だった。松竹の看板女優として活躍しながら、戦前から戦後にかけて多くのヒット曲を放った高峰三枝子の代表曲の一つ。
曲はヒットしたが、感傷的な曲調と詞の内容が時局に適さないとして発売禁止となった。しかし前線の兵士には人気があり、慰問でも多くのリクエストがあった。

「誰か故郷を思わざる」(1940年、霧島昇)
次々とヒットを飛ばし、「コロムビアのドル箱」と称された霧島昇の代表曲の一つ。
発売したレコードはタイトルが硬いということで、慰問用レコードとしてすべて戦地に送られたところ、前線の兵士の間で大ヒットし、内地に逆輸入された。慰問に訪れた歌手がこの曲をこの歌を歌うと、居合わせた将校から末端の兵士まで等しく泣いたという。
内地の工場などでは「士気が下がる」と禁止したところもあったという。

「鈴懸の径」(1942年、灰田勝彦)
甘い歌声で一世を風靡した灰田勝彦の歌唱で、戦時中にも関わらず、戦時色が感じられない数少ない曲だ。
戦後にジャズにアレンジして鈴木章治とリズムエースが出したレコードもヒットした。
灰田勝彦の母校でもある立教大学のキャンパス内に記念の歌碑がある。
灰田がハワイ生まれであることと、甘く切ない歌声が感傷的で好ましくないと、内務省をはじめとする当局から睨まれた。

「白い花が咲くころ」(1950年、岡本敦郎)
NHKラジオ歌謡といえば岡本敦郎の名が浮かぶ。高音の伸びのある美声で、数々のヒットを飛ばした岡本敦郎、「ミスターラジオ歌謡」の代表的な曲。
他に抒情歌として、「リラの花咲く頃」(1951年)「チャペルの鐘」(1953年)「ここは静かなり」(1956年)「今日の日はさようなら」(1974年)など、昭和を代表する抒情歌手と言える。

「ふるさとの燈台」(1952年、田端義夫)
NHKの歌番組でバタやんがこの歌を涙を拭きながら歌っていた姿を思い出す。
御前崎に歌碑があり、次の様な作詞家の清水みのるの言葉が刻まれている。
「時は昭和20年の初夏、三回目の応召をうけた私は、本土決戦のため千浜より池新田に亘る海岸線の防衛舞台に配属を命ぜられた。玉砕の日の近きを知ったその頃、御前崎燈台の偉容を遠望しつつ、郷里浜名湖の風景にも思いを走らせ、望郷の念やみ難きものをこの作品に織り込んだ。
今ここに再びこの燈台を仰ぎ見て、当時を偲ぶ懐かしくも哀しみに満ちた思い出は、余りにも鮮やかに私の胸によみがえる。
昭和49年5月23日   清水みのる (碑文より)」

「別れの一本杉」(1955年、春日八郎)
作詞は高野公男、作曲は船村徹による、代表的楽曲。二人は大学在学中に知り合い、二人は新人でこれといったヒットに恵まれず苦しい時代を過ごしていた。そのような中でいくつかの曲をキングレコードの春日八郎のもとに売り込みにいき、その中で目に留められた曲がこの「別れの一本杉」であった。この曲のヒットにより二人は世に出たが、高野公男は翌年病を得て世を去る。
春日八郎のヒット曲とあると同時に、高野公男、船村徹コンビの代表作ともなった。

「リンゴ村から」(1956年、三橋美智也)
ラジオ全盛期にはレコード会社各社が、独自の番組を持っていた。番組冒頭のテーマ曲はその会社の看板歌手の曲が使われていた。コロムビアなら美空ひばり、キングレコードは三橋美智也の「リンゴ村から」だった。それもその筈、このレコードは当時とすれば驚異的ともいえる270万枚も売り上げたのだ。それだけ当時の庶民の琴線に触れたということだ。

「柿の木坂の家」(1957年、青木光一)
これぞ抒情歌謡という曲。抒情歌謡としてのあらゆる要素がこの一曲に凝縮されている。

「からたち日記」(1958年、島倉千代子)
当時の台詞入りの歌は売れないというジンクスを破って130万枚を売り上げる大ヒットとなった。
曲の間のセリフで、島倉がポロリと涙を流すという評判だった。だが、その当時TVを持ってる家庭は極めて稀で、その話をただ羨ましいと思って聞いていた覚えがある。
島倉千代子という歌手の特質を最も表した曲だと思う。

「北上夜曲」(1961年、和田弘&マヒナスターズ/多摩幸子・その他、競作)
北上夜曲は、当時18歳の「菊地規(のりみ)」が作詞、当時17歳の「安藤睦夫」が作曲したもので、昭和16年の戦時中に生まれた。その後は口から口へと伝えられ、戦後はうたごえ喫茶やうたごえ運動の中で広まっていった。私も高校生の頃にはこの歌を歌っていた。
1961年になってレコード各社がレコーディングし、その数は6社から22種類に及んだ。
この様に民間で歌い継がれ、うたごえ運動やうたごえ喫茶を通じて火がついてレコーディングに及びヒットした例は他に、
「さくら貝の歌」(1950年、辻輝子)
「北帰行」(1961年、小林旭・その他、競作)
などがある。
余談だが、「さくら貝の歌」の歌唱を岡本敦郎としている記事が多いが、引用されている元の記事が誤っていて、それをそのまま転載している様だ。正しくは「辻輝子」だ。

他に、
「あざみの歌」(1951年、伊藤久男)
「山のけむり」(1952年、伊藤久男)
「山小舎の灯」(1947年、近江俊郎)
といった名曲があり、いずれも典型的な抒情歌謡といえる。

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