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2018/11/19

『芝浜』こぼれ話

落語『芝浜』は幕末から明治にかけて作られた様だが、成立については諸説ある。
最も一般的なのは、三遊亭円朝が、「酔払い」「芝浜」「財布」(これについても「笹飾り」「増上寺の鐘」「革財布」の異説あり)の三題噺として作ったのが原形とする説だ。しかし、この話が「圓朝全集」に収録されていないことや、また圓朝以前にも類似の話が存在したという指摘もあり、圓朝原作説には疑問の声がある。
『芝浜』はその後、3代・4代三遊亭円生、4代橘家円喬、初代・2代談洲楼燕枝、初代三遊亭円右などが手がけとされている。
当時から人気のあったネタだったようで、最初の劇化は1903年に市村座で、新派の伊井蓉峰と河合武雄が『稼げばたまる』と題して上演した。
ついで1922年に市村座で、2世竹柴金作の脚色を6世尾上菊五郎が『芝浜革財布』と題して上演した。歌舞伎の世話物として今も繰り返し上演されている。

多くの『芝浜』の解説ではこの先を、「戦後、3代目桂三木助が安藤鶴夫ら作家や学者の意見を取り入れて改作したものが、現在広く演じられている」としている。
つまり明治大正から一気に昭和20年代に飛んでいるわけで、この間に噺がどう受けつがれ、どの様に変遷したのかが明らかでない。
三木助が誰から教えて貰ったのか、改作したのならどこをどう変えたのかも、さっぱり分からないのだ。

ヒントとなりそうな記述が、10代金原亭馬生のCDのライナーノーツに評論家の川戸貞吉が書いているので、要旨を紹介する。
川戸が初代雷門福助(本名:川井初太郎)から聞いたもので、三木助の『芝浜』は8代桂文楽の『芝浜』だと言う。
ある時、文楽が数人の噺家を前に『芝浜』を3日間演じたことがあった。実際に演ってみて感想を訊こうとしたのだ。
処が3日目に、目を真っ赤にして聴いている者がいることに気付いた。人情噺は演らないと口癖のように言っていた文楽なので、ここで『芝浜』を捨てることにした。
文楽が捨てた『芝浜』に食いついたのが3代三木助だった。他者に稽古をつけるのを嫌っていた文楽だったが、三木助のしつこさに根負けして、5日間稽古をしてあげた。
これは三木助が、同期だった福助に打ちあけた話だそうだ。
ただ残念なのは、文楽が演じたという『芝浜』については記録も音源も残されていないので、三木助が教えられたオリジナルの形が分からない。

もう一つ、『芝浜』について川戸貞吉が書いていたのは、8代林家正蔵が話したことだ。
「『大ネタだ、大ネタだ』と言われていますが、『芝浜』なんて昔は大した噺じゃなかったんです。どちらかといえば、音曲師がしゃべった軽い噺だったんです。あたしだって出来ますよ」
つまり、魚勝が財布を拾ったので目出度い目出度いと仲間を呼んで騒ぐくだりで、色々な唄が飛び出す。ここが音曲師の腕の見せ所だったと言う。
正蔵が言った通りであれば、『芝浜』は今とは随分と形式が違っていたことになる。
しかし、先の文楽が演じた『芝浜』が音曲噺だったとは思えないので、あるいはいくつかの異なった演じ方が存在していたのかも知れない。

古今亭志ん生は、三木助が芝の浜の情景を長々と演ることに否定的だったという。「あれじゃ、夢だと思えねぇ」と切り捨てていた。
そのせいか、息子の馬生も志ん朝も、この場面はあっさりと演じている。

師走に向かって『芝浜』の高座に接する機会が増えるだろうが、こうした経緯を頭に置いて聴くのも一興かと思う。

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コメント

 鈴本で、芝浜と柳田を聴く芝居が掛けられるそうですが、当代の演者では誰がベストでしょうか?
さん喬師は演出過多の嫌いが・・
権太楼師は・・・・ねぇ
喬太郎師世代の師匠方はこれといって・・

芸協の師匠方、鯉昇師茶楽師、元気だったら小柳枝師のほうが合っている気がします。

投稿: 蚤とり侍 | 2018/11/19 22:31

蚤とり侍様
私は『芝浜』はメルヘン落語だと思っています。三木助を超える人はなかなか現れないでしょう。
小柳枝はきっと合っているでしょうね。
喬太郎が3分で演じたのを観ました。

投稿: ほめ・く | 2018/11/20 09:29

平岡正明「志ん生的、文楽的」にこの問題についての一章があります。
保田武宏は三木助は柳家つばめに教わった。
飯島友治は、文楽が「芝浜」をやるから聴いてくれといって事前に円生、小勝、正楽,可楽、小さんなどが黒門町に集まった。
けっこうな出来だったが、飯島は砂浜の水で顔を洗うならいきなりシャシャとやらずに砂の沈むのを待ってからにしたら、と注文をつけたところ、考えてみますと言ったきりになった。
平岡は(川戸の話も含めて)「これらの話を突き合わせると、三木助は文楽の海からたんまり入った皮財布をひろったのである」と総括しています。

投稿: 佐平次 | 2018/11/20 09:57

佐平次様
ご教示有難うございます。
この情報によれば、芝の浜で魚勝が顔を洗うというのは、既に文楽が演じていたことになります。文楽がこのネタを捨てた理由が分からなくなりました。

投稿: ほめ・く | 2018/11/20 10:28

談志は営業もあったんでしょうが、常々道徳を軽蔑していました。ですから、芝浜をどうして?と思っていましたが、色紙に「親切だけが人を動かす」と書くと聞いて、なるほどと思った次第です。
志ん生が三木助追悼として演った音源では、謝る女房に「ま、お手をお上げなさい」と言って満場の笑いを誘っていました。
先代小さんはどうだったのか、そもそも高座にかけたんでしょうか?兎も角、落語家のスタンスが出る噺だと感じます。

投稿: 福 | 2018/11/21 06:44

福様様
談志の『芝浜』は、魚勝が心を入れかえて商売に励む過程を描いていて、一つの見識だと思います。
先代小さんは三木助に遠慮して、高座には掛けなかったと思います。

投稿: ほめ・く | 2018/11/21 11:25

三木助の『芝浜』は、四代目柳家つばめ譲りというのが正しそうですね。
五代目円楽も、つばめに稽古をしてもらったようです。
三木助のマクラに芭蕉の白魚の句を入れるアイデアは、暉峻康隆さんによるもののようです。
ほめ・くさんご指摘のように、そんな大きなネタではないと思います。
とはいえ、三木助版が一つの完成形であることは、私も同感です。
当代の噺家さんでの名手、その三木助版を彷彿とさせてくれる瀧川鯉昇ではないでしょうか。

投稿: 小言幸兵衛 | 2018/11/21 12:12

小言幸兵衛様
三木助も円楽も同じつばめから教わったとすると、随分と差異があります。演者の力量の差かも知れませんが。
鯉昇のちょっと力を抜いた演じ方が良いのでしょう。

投稿: ほめ・く | 2018/11/21 18:23

文楽はこれでいこうと皆を呼んで聴いてもらって、飯島にダメを出されてイヤになったんじゃないですか。
平岡は、イキのいい魚屋なんだから砂交じりの水なんて気にしやしない、しかも顔を洗うというより目覚ましだら、と書いてます。

投稿: 佐平次 | 2018/11/22 09:18

佐平次様
文楽は、『芝浜』は最終的に自分に合わないと思ったのでしょうか。『子ほめ』『小言幸兵衛』『品川心中』などレコードまで出しておきながら、戦後は高座に掛けなかったと思います。

投稿: ほめ・く | 2018/11/22 11:46

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