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2019/01/30

「鯉昇・文菊」(2019/1/29)

にほんばし落語会「鯉昇・文菊 二人会」
日時:2019年1月29日(火)19時
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
前座・春風亭朝七『初天神』
古今亭文菊『湯屋番』
瀧川鯉昇『餃子問答』
~仲入り~
瀧川鯉昇『持参金』
古今亭文菊『二番煎じ』

当ブログの読者の方はご存知かと思われるが、毎年年末にその年に聴いた高座の中で特に優れたものを「My演芸大賞」と称して、大賞1点、優秀賞数点を数点選んでいる。傾向としては下半期に聴いたものが選ばれるケースが多いが、今年は1月の時点で既にいくつか候補作が上がっている。こいつぁ春から縁起が・・・というわけで、この日は久々に鯉昇と文菊の会へ。
あのトボケタ高座には偶に恋しくなるのだ。

朝七『初天神』
随分と老成した感じの喋りだ。神田の生まれよ、ってか。

文菊『湯屋番』
今年40歳になるそうだ。菊六の頃からあまり風貌が変わらない。毎度お馴染みの十八番。若旦那の妄想に出てくる妾が病的に色っぽい。
この人、マクラで育ちの良さを強調するが、およそ生活感が無いね。

鯉昇『餃子問答』
この日にマクラは「体温計」と「タミフル」、何度も聴いているが完成度の高さでいつも笑える。本当はお金持ちらしいが、この人の貧乏自虐ネタにリアリティを感じるのはやはり人柄(外見?)からか、あるいは師匠だった8代目小柳枝の影響か。
出身の浜松市が宇都宮と餃子日本一を争っているという事で、『蒟蒻問答』ならぬ『餃子問答』。「お前んとこの餃子の中身はこんなか?」「いや、一杯詰まってる」ってな調子。

鯉昇『持参金』
寄席に頻繁に足を運んでくれる客に理由を訊いたら、「落語協会は上手い人ばかりで眠くなる」と答えたとのこと。へりくだっているようでいて、実は皮肉かな。
10万円で妊娠10ヶ月の醜女を押しつけられた男、でも女の性格は良さそうだし、お腹の子の父親は分かってるし、けっこう幸せかも。

文菊『二番煎じ』
火の回りの一組は月番、伊勢屋の主人、黒川先生、辰つぁん、宗助さんの5人だが、文菊の高座はそれぞれの性格や月番との人間関係を丁寧に描いていたのが特長。「火の用心」の掛け声もそれぞれの個性を示して見せた。番屋に戻ってからの宴会も描き方が丁寧だったが、その分ダレてしまった感あり。
鯉昇から皮肉られそうだ。

2019/01/29

大相撲は年四場所制に戻したら

先日、NHKの大相撲中継をみていたら、画面上方にニュース速報で、「嵐」が2020年末に解散というテロップが流された。「嵐って、なに?」と家族に訊いたら、男のアイドルグループとのこと。これって公共放送が緊急で知らせる様な事柄なのかね。なんでも紅白歌合戦の司会もしていたようだが、ここしばらく観ていないので知らなかった。
NHKといえば、報道番組と大相撲と、BSでたまに中継するプロ野球の阪神戦ぐらいしか観ない。これであの受信料は高すぎるね。

さて、その大相撲初場所だが、関脇の玉鷲の初優勝に終わった。優勝も凄いが、入門以来一度も休場したことがないというのはもっと偉い。玉鷲や貴景勝といった押し相撲が活躍していることは喜ばしい。
しかし、反面今の大相撲には課題も多い。
先ず、力士に怪我が多いことだ。十両以上でサポーターやテーピングなどを一切してない力士は数えるほどだ。まるで怪我人相撲大会だ。
その影響か、横綱がちょっと負けがこんで来ると直ぐに休場する。横綱が千秋楽まで顔を揃えることは稀になってしまった。怪我をしたから休場するんじゃなくて、怪我をしないために休場している。
大関はといえば、上がってきたころは威勢が良かったが、いざ昇進すると一場所置きに勝ち越せばいいという意識になるせいか、およそ覇気のない取り口になっている。
初場所も13日目以降の取組では、素人にもはっきりと分かる「無気力相撲」が目立った。星勘定に目安がついてくると、怪我をしないように安全運転になるから無気力に見えてしまうのだ。
本場所に足を運んでくれる観客に失礼極まりない。
今は連日の大入りで相撲協会はホクホクだろうが、こういう状態を放置していれば、いずれしっぺ返しを食らうことになる。
金儲けしか考えていない協会や、しょせんは利益代表に過ぎない横綱審議会では、自浄作用は期待できない。

そこで提案だが、本場所を年四場所制に戻したらどうだろうか。
年六場所だと本場所と本場所の間が1ヶ月しかない。これでは怪我の治療や身体のケアが不十分になる。そうして中途半端に出場してはまた怪我をするという悪循環に陥っている。
間に2ヶ月あれば治療やケアもだいぶ楽になるだろう。
その代わり
・横綱が2場所以上連続休場する場合は、公的医療機関での診断書提出を義務づける。
・大関はスリーアウト制度、つまり大関在位中に負け越しが3回になったら関脇に降格させる。降格直後の場所で10勝以上の成績を上げたら大関に戻れる制度は存続させる。
こうすれば、上位陣がピリッとした好取組が期待できるだろう。

2019/01/27

国立名人会(2019/1/26)

第425回「国立名人会」
日時:2019年1月26日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳亭市若『道灌』
三遊亭天どん『初天神』
蜃気楼龍玉『もぐら泥』
林家種平『居残り佐平次』
―仲入り―
三遊亭歌武蔵『宗論』
翁家社中『曲芸』
五街道雲助『火事息子』

こういう会はいきなり真打が登場してくるので、前座はもっと上手い人を選ぶべきだろう。

天どん『初天神』
いかにも天どんらしく古典をひねって、男親と息子の買い物は全て長屋の中という設定。天神がでてこない初天神。最後は上方落語の『鷺捕り』に似た展開だった。天どんの高座は今まで数回観てきたが、この日初めて面白いと思った。

龍玉『もぐら泥』
龍玉らしい丁寧でリアルな仕草で演じた。ただ、滑稽噺を演じる時はもっと「軽み」が欲しい。

種平『居残り佐平次』
高座で出会うのは2度目で、前回は軽い新作ものだったのであまり印象に残っていない。
結論から言うと、なかなか結構な高座だった。
こうした大ネタは、どうしても演者に力が入ってしまい熱演になりがちだが、種平は終始軽く演じてみせた。そうか、この噺は主人公の佐平次の様に風が舞うごとく演じるのが本寸法なのかも知れない。
若い衆にお勘定とせっつかれれば、その場その場で適当な事を言っては煙にまく。
居残りになれば、あちこち座敷を渡り歩いては小遣い稼ぎ。
おまけに、借金を棒引きにして自宅に帰るようすすめる見世の主人には大ウソこいて、金と着物をせしめる。
終いには、「おれは居残り商売の佐平次てんだ、よく覚えておけ!」なんて凄んで見せる。
こうした捉えどころのない人物象を、種平はそのまま演じ、年輪を重ねた芸を見せてくれた。

歌武蔵『宗論』
ネタを並びを意識してか、お馴染みのマクラを長めにふってネタへ。
かなりオリジナルを戯画化していて、終りも、浄土真宗とキリスト教の喧嘩の仲裁に入った番頭が「この壺を買えば幸せになります」でサゲた。

雲助『火事息子』
数ある落語の中でも、勘当した息子と両親の再会を描いたのはこの噺ぐらいではなかろうか。
息子と再会して手放しで嬉し泣きする母親に対して、最後までこみあげる感情を押し殺し息子に接する父親の心情を、雲助は見事に描いて見せた。

2019/01/25

『文七元結』での金銭貸借関係

落語の『文七元結』は人情噺で、最後は皆がハッピーとなる作品ですが、この噺を金銭の貸借という側面だけから見ると、どうなるでしょうか。

最初に吉原の大見世「佐野槌」の女将が長兵衛に50両を渡します。その際に期限を設けて返済すべき事と、もし返済できない時は娘のお久を店に出す、つまりは花魁として働かせると言明していますので、これは「担保貸付」になります。
もちろん女将は長兵衛の改悛を促し、真面目に働く様にという意図があったのですが、貸付にあたってお久という担保を取っているので、返済の有無に拘わらず損失は発生しない仕組みになっています。

次に吾妻橋の上で身投げしようとした文七を長兵衛が諭し、持っていた50両を文七に渡し自殺を思いとどまらせますが、これは長兵衛から文七への「贈与」になります。

文七から事の経緯を聞いた鼈甲問屋「近江屋」の主人は、「佐野槌」の女将に50両を渡し、担保だったお久を返して貰います。つまり債務者の長兵衛に代わって「第三者返済」を行ったわけです。
次いで「近江屋」の主人は文七を伴って長兵衛宅を訪れ、50両を渡そうとします。長兵衛としてみれば、前日の50両は文七に贈与したのだから受け取れないと拒否します。
これに対して「近江屋」の主人は、50両は文七への貸付だったので返済は当然だと説得し、文七に代わって長兵衛に50両を返し長兵衛もこれを受領します。これも「第三者返済」です。
その後、担保が解除されたお久は自宅に戻ります。

以上の様にこの噺の結末により、長兵衛-「佐野槌」の女将-文七の間の金銭の貸借は全て解消されます。
唯一、「近江屋」の主人が「佐野槌」の女将に対して、長兵衛の債務を「第三者返済」した50両だけが一方的な支出と言えます。
しかし、
・長兵衛の善意により奉公人の文七を失わずに済んだ。
・もし文七が自殺してしまったら、50両のために奉公人を死なせてしまったという噂が立ち、店の看板に傷が付いた。
という点を考慮すれば、50両の出費は決して高くなかったでしょう。鼈甲という贅沢品を扱う「近江屋」にとっては、店の信用が何より大切ですから。

結局、『文七元結』では金銭的にも全ての人がハッピーに終わりました。
ただ、娘が戻り手元には50両が残った長兵衛に再び油断が生じて、博打の虫が起きないかと、それだけが気がかりです。

2019/01/23

憧れのボストリッジ、再び(2019/1/22)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 第24篇「イアン・ボストリッジ」

日時:2019年1月22日(火)19時
会場:トッパンホール
イアン・ボストリッジ(テノール)
サスキア・ジョルジーニ(ピアノ)

<    プログラム    >
ロベルト・シューマン:
《子供のための歌のアルバム》Op.79より
ジプシーの歌Ⅰ&II/てんとう虫/歩きまわる鐘/牛飼いの別れ/時は春/松雪草/塔の番人リンツォイの歌
《子供の情景》Op.15[ピアノ・ソロ]
《5つの歌曲》Op.40
においすみれ/母親の夢/兵士/楽師/露見した恋

ベンジャミン・ブリテン:
《冬の言葉》 Op.52
11月のたそがれ/真夜中のグレート・ウエスタン鉄道/セキレイと赤とんぼ/古い小机/聖歌隊長の葬式/誇らしげな歌い手たち/アップウェイの停車場ににて/生まれる前とそのあと
《この子らは誰か》Op.84より
悪夢/殺戮/この子らは誰か/子供達
民謡編曲第2集《フランスの歌》より
愛の園の美人/こだま、こだま/父の家にいたとき

アンコール
ブリテン:スコットランド民謡《オー・ワリー・ワリー》
他2曲

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)、1964年ロンドン生まれのテノール歌手。
2008年にここトッパンホールでコンサートを聴いていて、その時はハイリッヒ・ハイネの詩に、シューマンとブラームスが曲を付けたものを中心にしたプログラムだった。その声の美しさに圧倒された。
今回はシューマンとブリテンの歌曲が中心のプログラムで、数か月前からチケットを買って楽しみにしていた。

ボストリッジは長身で痩身、風貌は歌手というより学者に近い。
それもその筈で、学歴からすれば歴史学者と言っても不思議ではない。
【学歴】オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ(歴史学)卒;ケンブリッジ大学大学院修士課程修了;オックスフォード大学コーパス・クリスティー・カレッジ(歴史学)博士課程修了 学位博士号(1990年)
学位取得後、歌手活動をスタートさせた様で、1996年にはシューベルト「美しき水車小屋の娘」でグラモフォン賞を受賞している。
この他、多数の受賞歴があり、特にシューベルトの歌曲を収めたディスクは高い評価を得ている。

音楽評論家の宇野功芳は、著書(1998年刊)の中でボストリッジについて次の様に書いていた。
「彼はイギリスの新鋭テノールだが、まさに歌心のかたまりである。歌を聴く喜び、楽しさ、醍醐味がここにある。リリックな美声の持ち主で、繊細かつ初々しく、どの曲も表情たっぷりに歌ってゆくが、少しも嫌味にならず、うっとりと酔わせてくれる。」
この宇野の批評は非常に的確で、現在50代半ばの年齢にもかかわらず、また体調があまり良くないように見えたが、突き抜けるような高音の美しさ、繊細な表現力を私たちに示してくれた。

素晴らしい!! の一言。

2019/01/21

歌舞伎『人情噺文七元結』(2019/1/19)

『人情噺文七元結』
日時:平成31年1月19日(土)午後6時 
会場:国立劇場大劇場
出演:第23回伝統歌舞伎保存会「研修発表会」

1月19日、朝日名人会の有楽町から三宅坂国立劇場に移動。
落語ファンには毎度お馴染みの『文七元結』の芝居を観劇。この日一日だけの公演なので少し無理した。
『人情噺文七元結』は1902年 10月東京歌舞伎座で,5世尾上菊五郎が初演。三遊亭円朝の人情噺を榎戸賢治が脚色したもの。
歌舞伎の世話物として上演が繰り返されてきたが、当方は初めて。
今回は研修発表会ということで若手の芝居、音楽も黒御簾だけという簡易版だ。

歌舞伎版では落語と比較して名称がいくつか異なる。
長兵衛宅 本所達磨横丁⇒本所割下水
吉原の見世 佐野槌⇒角海老
長兵衛と文七の出会い 吾妻橋上⇒大川端
文七の奉公先 鼈甲問屋「近江屋」⇒小間物屋「和泉屋」

場割は次の様で、落語と同様だが、落語にある文七の奉公先での場面がなく、最後の長兵衛宅の場面で50両紛失の経緯が説明される。
・本所割下水左官長兵衛内の場
・吉原角海老内証の場
・本所大川端の場
・元の長兵衛内の場

歌舞伎版もストーリーは落語と同様だが、いくつか細かい点で違いがある。
・娘のお久が吉原に向かうのは昼間
・お久が吉原に身を寄せた理由は、長兵衛夫婦の喧嘩が原因で夫婦別れするのではと危惧したこと。
・吉原の見世での長兵衛への説諭では女将だけでなく、お久の役割が大きくなっている。
・見世の女将が50両をお久の手から長兵衛に渡す。その時にお久は長兵衛に博打を止めるよう念を押す。
・長兵衛は50両を財布でなく、手拭いに包み腹掛けに仕舞う。
・50両の返済期日を来年の3月末としている(期限が短すぎる様に思えるが)。
・文七が主人と共に長兵衛宅を訪れ50両を返す際に、長屋の大家が居合わせて双方をとりもつ役割をする。
・長兵衛は最終的に50両は受け取るが、酒の切手は辞退する。これはお久と博打と酒をやめる約束をしていたからだ。
・お久が戻った時に長兵衛は再び50両を返そうとするが、大家に止められ思いとどまる。
・長兵衛宅で、文七が分家して元結屋を開くことと、お久との婚礼を決めてしまう(未だ手代の文七をいきなり分家させるのは有り得ないと思うが)。この場で、文七とお久は互いに一目惚れしているという設定。

落語なら30-40分だが、芝居だと休憩を含め約90分だった。
全体的な印象でいえば、やはり落語の方が断然面白い。
この日は若手の芝居だったので技量の問題はあるかも知れないが、想像する芸である落語の物語を絵で見せるのは無理があるようだ。
『芝浜』でも同様で(歌舞伎では『芝浜革財布』)、芝居はあまり面白くない。
やはり落語は落語で聴くべきという事だろう。

2019/01/20

朝日名人会(2019/1/19)

第186回「朝日名人会」
日時:2019年1月19日(土)14時
会場:有楽町朝日ホール
<  番組  >
柳家喬の字『千早ふる』
三遊亭萬橘『堪忍袋』
柳家喬太郎『偽甚五郎』
~仲入り~
古今亭文菊『七段目』
入船亭扇遊『鼠穴』

今年初めの朝日名人会、4人の真打がそれぞれの本領を発揮し、充実した会となった。

喬の字『千早ふる』
今秋、真打に昇進するにしては物足りなさを感じた。

萬橘『堪忍袋』
高座に上がっただけで会場の空気が一気に温まる萬橘、いつもの自虐ネタのマクラから本題へ。
このネタは5代目小さん、3代目金馬、8代目柳枝らでお馴染みだが、萬橘の高座もそうだったが、最近の演じ方は少し変わってきている。
先ず夫婦喧嘩の原因が単純なものではない。例えば女房が、亭主に子どもを銭湯に連れて行ってくれと言うと嫌味を言われると怒る、仲裁に入った大家が、それは尤もだと亭主を叱ると、この夫婦には7つを頭に8人の子どもがいる。それを仕事から帰ってから銭湯に連れていって世話をすると言うのがどれほど大変な事かと亭主が言うと、大家もその通りだと思う。かほどに夫婦喧嘩というのは、それぞれの言い分がある。こんな風だから、仲裁には堪忍袋を使わせるしか手が無いのだ。
サゲも従来の型とは異なり、夫婦に堪忍袋を借りた商家の嫁が姑に対して「クソババア、死ね!!」と絶叫し、袋が一杯になる。処が、その姑が病身で重篤だということで商家の番頭が袋を借りて行くと、姑の前で袋がはじけ袋の中に入っていた嫁の「クソババア、死ね!!」を聴いた途端に姑が元気を取り戻す、というサゲだ。
推定だが、このネタを上方落語に移したものが東京に逆輸入されたと思われる。
この日一番受けていた。

喬太郎『偽甚五郎』
初めて聴くネタだった。神田愛山という講談師がネタを提供し、喬太郎が落語にまとめたものらしい。
ある男が、高野山に母親の遺髪を納める途中に山賊に襲われ身ぐるみ剥がれた所を源兵衛門という人に助けられ、居候することに。職業は大工で名前を甚助というこの男、毎日酒を飲んではぐーたらしている。源兵衛からは、同じく居候している大工の名人がいるから、少し見習えと言われる。
ある日、甚助が良い酒の匂いを頼りに離れに近づくと、そこには左甚五郎が源兵衛から頼まれた鯉を彫っていた。源兵衛は盛んに感心しているが、甚助はその彫り物を見て「この鯉は死んでいる」と酷評する。
怒った源兵衛は、それなら甚助に鯉を彫ってみろと命じ、5日後に鯉を彫り上げる。
二つの鯉の彫り物を比べると、甚五郎が彫った鯉は見るからに立派だが、甚助のものは貧弱だった。しかし水に入れてみると甚五郎のものはプカプカ浮くだけだが、甚助のものは本物の鯉と見まごうばかり。
ここに至って偽の甚五郎は頭を下げ、「自分は師匠に破門になって放浪してる者」と素性を明かし、甚助にあなたこそ甚五郎に違いないと言う。源兵衛も今までの失礼を詫び、鯉の彫り物のお礼にと50両を本物の甚五郎に渡す。甚五郎はその金の一部を偽甚五郎に渡し、これから一生懸命に仕事に精進するよう諭す。
この話が近郊近在に噂で広がり、村人だけでなく旅行者までもが鯉の彫り物を一目見ようと集まってきた。
その中の一人が「この鯉は死んでいるな」と呟き、サゲ。
今も有名人を騙った詐欺がある位だから、情報が乏しい昔は偽物がかなり横行していただろう。甚五郎を騙って大金をせしめようとした者を本物が見破るという趣向もよくあるストーリーだ。この噺がよく出来ているのは、その本物さえ偽物かも知れないと匂わせて終わっている所だ。ここは完全に喬太郎のオリジナルの様で、ストーリがより重層的に仕上がっている。
前列で寝息を立てている客の様子さえアドリブで噺に取り入れる巧みさが光る高座だった。

文菊『七段目』
噺そのものより演者の芝居の所作が見せ所のネタで、どの様な演目をどう演じるかだ。文菊は12世市川團十郎の声色の物真似を披露したが、タイムリーだった事もあって大受けだった。
一つ一つの所作が丁寧で綺麗、良い出来だった。
ただ、あのちょいと嫌味のマクラは何度も聴かされると飽きる。そろそろ再考した方が良いのでは。

扇遊『鼠穴』
この噺、陰惨な所があってあまり好きではないのだが、そう感じさせないのは扇遊の人柄か。例えば圓生が演じる竹次郎の兄は本当に冷酷な人間に見えてしまうのだが、扇遊だと最初から弟思いの優しさが感じられるのだ。田舎から江戸に出てきて人に言えない苦労を重ね成功した人間だからこそ持っている冷徹さと、弟を一人前にしようとする優しさを併せ持つ兄の姿が描かれて好演。
充実の会のトリに相応しい扇遊の高座だった。

2019/01/18

落語の夢

昨日は鈴本演芸場の夜の部に行く予定にしていた。
昼食をすませた後しばらくして、ついウトウトと居眠りをしまった。
そうしたら、妻が「あんた、また落語に行くの?」と訊くから、「ああ」と答えた。
「今年は落語に行く回数を減らすって約束したじゃない」
「えっ、そんな約束したかな」
「もう忘れてるの、ちゃんと守ってよ」
「分かった」
何せ妻には逆らわない主義だから、この日の鈴本へは断念した。

妻が突然、「ねえ、時間大丈夫なの?」と言うから、「なにが」と答えると、「遅れちゃうわよ」と言うのだ。
「お前が行くなと言っただろう」と言いかけて、気が付いたのだ。
そうか、さっきのは夢だったのか!
妻に言ったら、大笑いされてしまった。
「そりゃあんた、今日は行くなという夢のお告げよ」
そう言われて、時間も過ぎていたので鈴本には行かずじまいとあいなった。

夢と現実の区別がつかなくなっちゃ、これはいよいよ痴呆の始まりかと。
同じ夢でも、落語の『夢の酒』の様な粋な夢だったら良かったのにね。

お粗末さまでした。

2019/01/16

鈴本正月二之席昼の部(2019/1/15)

鈴本演芸場正月二之席昼の部・中日

前座・春風亭与いち『牛ほめ』
<  番組  >
春風亭一花『黄金の大黒』
ダーク広和『奇術』
鈴々舎馬風『漫談』
柳亭市馬『雑排』
米粒写経『漫才』
林家正蔵『鼓ヶ滝』
古今亭菊之丞『替り目』
のだゆき『音楽パフォーマンス』
隅田川馬石『時そば』
─仲入り─
ホンキートンク『漫才』
柳家小ゑん『ミステリーな午後』
入船亭扇遊『狸賽』
林家二楽『紙切り』
春風亭一之輔『二番煎じ』

ここ数年は新春の定席は鈴本の二之席からスタートとしている。昼の部は代演がなく三平が出演しない中日を選んだ。開場前から長い列が並び、客席はほぼ一杯の入り。

ダーク広和『奇術』
正月らしく和服で登場。相変わらず技術的には優れているのだろうが、視覚的には分かりづらい芸だ。特に床の上での手品は、後方の人は何をしてるか分からないだろう。

市馬『雑排』
気が付けば久々だった。3代目金馬や柳昇のものとは異なり、オリジナルと思われる俳句を入れて聴かせてくれた。短い時間だが高座を締めたのはさすがだ。

米粒写経『漫才』
初見。ネタは良く練られていて面白かったが、ハングル語ネタをあんまりやりすぎると、レイシズムに陥るかも。節度が必要かな。

正蔵『鼓ヶ滝』
時間が短かったため端折り気味だったが、一席にまとめていた。

菊之丞『替り目』
得意の酔っぱらいネタで、ワッと笑わせる職人技。この人が出てくると場内が華やぐ。

馬石『時そば』
何となく可笑しい。翌日のソバ屋の屋号が「虎屋」だったのと、通常は「いま何時だい?」「へい、4つです」の所を「5つ」にしていた。確かに翌日の男は早くからソバ屋を待っていたという設定だから、「5つ」の方が自然かも。

ホンキートンク『漫才』
ハングル語ネタは米粒写経とかぶってしまった。予め立て前座に確認すべきだったのでは。ボケ役の不自然な動きや大声が相変わらず無粋だ。

小ゑん『ミステリーな午後』
後席の扇遊が、同い年なのにいつも若いと言っていたが、いつも元気一杯の高座だ。サラリーマンの昼食格差のネタだが、パワーで笑わせる。

扇遊『狸賽』
柳家のお家芸ともいうべきネタを堅実に。

二楽『紙切り』
お題は「ムーミンの桃太郎」「成人式」。

一之輔『二番煎じ』
先代柳朝の豪快なお上さんの話をマクラに振って、ネタはこの場で考えた様子だった。
この噺の聴き所は次の様だ。
①暖かい番小屋から外に出た時の寒さの表現。
②火の回りをする中で「火の用心」の掛け声をかける場面で、謡や俗曲、吉原での火の回りの再現など、各人の芸を見せる。
③外から番小屋に戻り、焚火で身体を温めるまでの動き。
④酒を酌みかわし猪鍋をつつき合う中で、お互いが和気あいあいとなってゆく様子。
⑤酒宴が進み、都々逸の廻しっこを始める場面。
⑥見回りの役人に気付き、慌てて酒器と鍋を隠す場面。
⑦役人との珍妙なヤリトリの後、役人が酒を飲み猪肉を食べてから、サゲまで。
一之輔の高座はよけいなクスグリは一切挟まず、極めてオーソドックスに演じた。同時に上記の聴かせ所はきちんと抑えていた。
例えば、猪鍋のネギを食べる場面での柔らかなネギと固めのネギの食べ分けや、役人が煎じ薬として差し出されたものを一くち口に含んで、小さくニヤリとする表情が良い。
役人が何かを訊ねるたびに、「それは、この宗助さんが」を繰り返す所も定石通り。
結構でした。

一之輔を見始めてからおよそ10年経つが、この人がこれからどこに着地していくのだろうか、楽しみだ。
もっとも、こっちの方が何年もつかだけど。

2019/01/14

ナベツネも横田滋さんも監視対象

少し古い話になるが、昨年11月に讀賣新聞の渡邊恒雄主筆の死去情報が流されたのを憶えておられるだろう。さすがにマスメディアは報道しなかったが、万一に備え予定稿作りに追われていたという。ネットでは、ジャーナリストを名乗る人物までがまことしやかに死去の誤情報を流していた。
似たような話が9月にもあり、この時は拉致被害者家族会の横田滋元代表の死亡説が流され、マスコミ各社が対応に追われる事態があった。この時も妻の早紀江さんが病院に駆けつけえたという情報まで流された。
他にも類似の誤情報が多く、月刊誌「選択」2018年12月号の記事によれば、全国紙編集幹部が次のように語っている。
「今後のこともあるから、あれは何だったのかを探ると、出所はほとんどが内閣情報調査室(内調)だった。共通しているのは、見てきたような情景を元に憶測を流す。尾行をつけて監視しているが、本当のことは分からないから、我々を走らせて確かめさせるんだ。内調情報は前から外れが多いけれど、最近は特にひどい。組織の内部事情が原因らしいけど、いい迷惑だ。」

渡邊氏や横田さんが監視対象とは解せないが、「二人とも安倍政権にとって行方を左右しかねない重要人物」(内調関係者)なのだという。
渡邊氏といえば安倍政権支持の立場だが、時に首相を諫めるご意見番でもある。反戦・反軍の意識が強く、安倍首相が戦後70年談話で戦争への反省を渋った時は、「倒閣に回るぞ」と迫ったこともあった。
こうした言動が、首相の忠実なお庭番を自認する内調には看過できないようだ。
横田滋さんは誰もが知る温厚篤実な人柄だが、妻の早紀江さんは拉致問題の集会などでたびたび「政府を信じてきて本当に良かったのか」などと公言している。
このことで内調は、「今は分別を保っているが、滋さんが亡くなったら、政権批判のボルテージを上げるかも知れない」(同前)と警戒しているのだという。
政府の無為無策を棚に上げて、被害者家族を「危険人物予備軍」視する倒錯した疑り深さに驚かされが、危機管理をはき違えるは公安警察らしいと言える。

政権に少しでも批判的な人間を監視の下に置くというのはロシアや中国だけと思ったら大間違いで、日本でも行われている。
監視社会の恐ろしくは、真綿で首を絞めるがごとく、じわじわと言論の自由を奪って行くことにある。
渡邊氏や横田さんの誤情報の拡散は、その一端を世間に知らしめることになった。

2019/01/13

邦画「戦争と平和」の主題歌「流亡の曲」について

何かの拍子にふと口ずさんでしまう唄というのがある。
数十年前に「歌声喫茶」かなにかで唄ったことがあり、歌詞がうろ覚えだったのでネットで検索していたら、「流亡の曲」というタイトルだったことが分かった。
歌詞は次の通り。
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「流亡の曲」
作詩:作者不詳
作曲:飯田信夫

美しい山 なつかしい河
追われ追われて 果てしなき旅よ
道づれは涙 幸せはない
国の外にも 国のなかにも

故郷はどこ 父母はどこ
国は盗まれ 身寄りは殺され
さすらい流れて 行く先もない
国の外にも 国のなかにも

喜びの日を 宝の土地を
踏みにじる足 飢えと苦しみは
何日の日か終えん 怒りは震う
国の外にも 国のなかにも
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この歌が「戦争と平和」という邦画の主題歌であることは知っていたが、戦時中の日本の光景を描いたにしては、歌詞の内容がピンとこないとずっと思っていた。
また、戦後の歌謡曲で敗戦時の日本の状況を歌詞にしたものは皆無だったと思われ、その意味でも違和感があった。
その謎が解けたのは、「ケペル先生のブログ」の中の“憲法第九条「戦争放棄」の映画”という記事に行きついたからだ。
以下は、当該記事からの引用。
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憲法第九条「戦争放棄」の映画
昭和21年11月に公布された日本国憲法を記念し、その第9条「戦争放棄」をテーマに、当時日本映画の民主化の先頭に立っていた東宝砧撮影所の映画人が、その総意を結集して製作した画期的な反戦映画「戦争と平和」(昭和22年、東宝)。監督・亀井文夫、山本薩夫、出演・伊豆肇、池辺良、岸旗江、大久保翼、谷間小百合、菅井一郎、立花満枝。キネマ旬報ベストテンの第2位。
美しい山 なつかしい川
追われ追われて果てしなき旅よ
道づれは涙 幸せはない
国の外にも 国の中にも
荒廃した中国の街角で盲目の娘が歌う「流亡曲」が流れる。大陸を放浪する健一(伊豆肇)は中国民衆の姿を目撃し、自分が一兵士として参加した侵略戦争の罪業の深さに胸をつかれる。健一の乗っていた輸送船が撃沈され、中国人に助けられ、そのまま中国軍に加わり、敗戦で復員する。東京は焦土と化していた。ようやくたずね当てた妻町子(岸旗江)は、負傷して帰国していた戦友康吉(池辺良)と結婚していた。健一は盛り場でかつての上官(菅井一郎)と出会う。彼は闇成金で大儲けしていた。「要するに戦争で損をする奴も多いが、大いに儲ける者もあるというわけだ。人間が欲望に支配されている限り、戦争を本当に止める力なんかどこにもありゃせんぞ」と。映画はここで終わるが、シナリオには次のシーンが続き、実際に撮影もされていた。
街。食糧デモ。その人々の足、足、足。路傍に立って見ている健一。その勢いにのまれるように思わず列にならんで歩き出す。いつの間にか、その列にまきこまれ、デモの一人と腕を組んで行く健一。デモの人々の顔。顔。顔。労働者の大デモ。整然たるその行進。高らかに空にひびく労働歌の合唱。
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そうか、この歌は中国の人が歌っていたという設定だったのか。それなら歌詞の意味が分かる。
この映画は、加害者側から中国を描いた稀有な作品といえよう。
この歳になって初めて分かることもあるんだね。
最後のシーンは恐らくカットされて上映されなかったのだろう。それは当局からの圧力だったのか忖度だったのかは分からないけど。
でも、監督が本当に言いたかったことはその最終シーンだった様に思う。

2019/01/11

落語「一目上り」の「亀田鵬齋」とはどんな人

落語好きな方なら「亀田鵬齋」という名に聞き覚えがあるだろう。
そう、寄席に行くと日に一度は誰かが高座にかけるお馴染みのネタ『一目上り』の中に出てくる名だ。

『一目上り』という噺は、男が隠居の元を訪ね、掛け軸の書画に目を止めると、「しなはるるだけは堪えよ雪の竹」と書かれている。隠居はこういう書画を見たら、「いい賛(三)だ」と褒めろと男に教える。
男は、大家を訪ね掛け軸を見せて貰うと、「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」とある、男が「いい賛(三)だ」と褒めると、大家は「これは根岸の亀田鵬斎先生の詩(四)だ」と言う。
今度は男は医者の家を訪れ掛け軸を見せて貰うと、「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売り、汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩をやすむ。柳は緑、花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通えども 水も濁さず影も止めず。」とあった。男が「いい詩(四)だ」と褒めると、医者は「これは一休禅師の悟(五)だ」と言う。
ここで男は初めて気が付き、書画を褒める時は一目づつ上げるのだと判断してしまう。
そこで男は友人の家に行き掛け軸を見ると、大勢の人が小さな舟に乗っている絵が描かれていて、字を読んで貰うと回文で「ながき夜の とおの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな」とある。男が「いい六だ」と褒めると、友人は「なあに、七福神の宝船だ」でサゲ。

月刊誌「図書」2019年1月号の記事によれば、ここに出てくる亀田鵬齋は江戸時代の折衷学派の儒学者。「寛政異学の禁」によって儒官を追われ、以後は江戸下町に住まい子弟を授け、詩を書き書画を売って生計を立てていた。何より大酒を食らっては詩酒に優遊した人物として知られている。
幕府による思想統制に異を唱え、「寛政の五鬼」の一人で反骨の人だった。
落語に出てくる「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」という掛け軸も、鵬齋の販売品の一つだったのかも知れない。
「需侠」鵬齋は逸話に富んだ豪放磊落な人物として、江戸の町の人に人気が高く、酒の詩によっても名高い。
文化13年の江戸詩画人の酒徒番付で東の大関をはった大の酒飲みなので、酒を詠った詩が多い。
「我 渺茫たる宇宙の間を視るに 酣酔の外に取るに足る無し」
「吉野 竜田や墨田川 酒がなければ只のとこ 劉伯倫や李太白 酒を飲まねば只の人 よいよいよいよい よいやさあ」
(上記はいずれも漢詩の書き下し文)
と詠ってのけた酒人なのだ。
鵬齋は書家としても知られ、かの蜀山人が「音にきく大鵬齋か筆の跡」と讃えている。
鵬齋をめぐる逸話の中に、良寛との交流がある。書家で酒好きで反骨脱俗という共通点を持つ二人は、互いの人柄に魅かれたようだ。
良寛が、五合庵の傍に池を掘り、
「新池や蛙とびこむ音もなし」
と詠んだところ、鵬齋がそれを見て、
「古池やその後とびこむ蛙なし」
と返した。

落語『一目上り』を聴いたとき、亀田鵬齋先生の事を思い出すのもまた一興かと。

2019/01/09

「一之輔・夢丸」(2019/1/8)

「夢一夜」
日時:2019年1月8日(火)19時
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
前座・柳亭市坊『一目上り』
三笑亭夢丸『思い出』
春風亭一之輔『妾馬』
~仲入り~
春風亭一之輔『庭蟹』
三笑亭夢丸『山崎屋』

夢丸『思い出』
新作で、先代古今亭今輔がよく演じていた。
古着屋が未亡人の家に着物を買い取りに行く。古着はシミやキズがあると買取価格が下がってしまうが、夫人の着物にはシミがあった。古着屋がその点を指摘すると、夫人は夫との旅行の思い出を語り始め興奮しだす。そこを何とかなだめて次は亡き夫の羽織が出されるが、袖にキズがあった。古着屋が指摘すると、原因は夫の浮気だったと言いながら夫人は当時を思いだして興奮して古着屋の首を絞めたり大暴れ。困った古着屋が「何か思い出が無いものは」と言うと夫人が差し出したのは、古着屋が来てきた羽織、でサゲ。
夢丸らしいテンポの良い運びと、夫人の大仰な動きで受けていた。

一之輔『妾馬』
マクラで前澤とか言うどこかの社長が、ツイッターを通して100万円を100人に配ったのを話題にしていた。いかにも成り上がり者らしい発想だ。口角が上がっている所が性格の悪さを示していると言ってたので、今日ネットで写真を確認したが、確かにそうだ。まあ、100万貰った人は感謝だろうけどね。
一之輔の高座の特長は、一之輔がこのネタを演じればこうなると予想していると、結果はその通りとなる。
一之輔とネタの予定調和。だから初めて聴くネタでも、以前に何度も聴いた気がする。
上手い、達者だ、器用だという点においては、いう事がない。

一之輔『庭蟹(洒落番頭)』
世の中にはシャレが分からない人がいる。またシャレが通じてもタイミングが悪いと、相手を怒らせてしまう事があるから要注意だ。
よそからお宅の番頭はシャレが上手と聞かされた主人、番頭を呼んでシャレを言わせる。
「庭に蟹が這(は)いだしたが、あれはどうだ」
「そうニワカニ(俄に)は洒落られません」
「じゃ、あの衝立は」
「ついたて二日三日」
こんな調子で番頭がシャレで返すが主人は全く理解できなくて、終いには怒り出す始末。
そこへ小僧が来て、ちゃんと洒落になっていることを説明すると、主人は番頭に謝って、ほめるからもう一度洒落てくれと頼むと、番頭が
「だんなのようにそう早急におっしゃられても、洒落られません」
「うーん、これはうまい」でサゲ。
典型的な逃げ噺だが、一之輔らしく面白く聴かせていた。

夢丸『山崎屋』
意欲的な高座だったが、語りが単調だった。主要な登場人物である遊び人の若旦那。堅物でケチな大旦那、狡猾な番頭、それぞれの演じ分けも不十分だった。
課題は多いが、夢丸の明るい芸風にはよく合っているネタなので、磨き上げて欲しい。

2019/01/08

新春国立名人会(2019/1/7)

新春国立名人会・千穐楽
日時:2019年1月7日(月)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
太神楽曲芸協会『寿獅子』
古今亭文菊『湯屋番』
宝井琴調『徂徠豆腐』
柳家小ゑん『ぐつぐつ』
伊藤夢葉『奇術」
桂文楽『六尺棒』
―仲入り―
春風亭一朝『芝居の喧嘩』
柳家小さん『親子酒』
林家正楽『紙切り」
柳家小三治『小言念仏』

2019年の正月の初席、何とか松の内ギリギリの7日の国立演芸場へ。まだ新年の華やいだ雰囲気が残る。

お馴染みのネタが並んでいるので寸評を割愛して、小三治のマクラの紹介だけする。

「小三治のマクラ」の要点
・楽屋のTVで自衛隊機への照射問題を報じていた。大した事じゃない。
・太平洋戦争の時も中国との小さな事件から始まって戦争になった。
・戦争だけは絶対ににしてはいけない。どんな理由があろうと戦争はしてはいけない。
・昭和14年生まれで、戦時中は宮城県の仙台に近い岩沼に1年間疎開していた。仙台への空襲の時は空が真っ赤に染まり、子どもだったので思わず「綺麗だ」と言ったら、傍にいた大人から頭を叩かれた。岩沼でも畑に機銃掃射があり、こんな所を攻撃してなんの意味があるんだろうと思った。
・戦争が終わって終戦と言ってたが、あれは敗戦だ。
・今の首相は戦争を知らないから。
・落語家になった一番の動機は、親を困らせるためだった。狙いは図に当たった。親は教育者で、いい学校を出ていい会社に入ればいい生活が出来るという考えだった。
・志ん朝は父親と全く芸風が異なっていた。入った時から凄いと思った。2年半で真打にしたが、あれは(当時、落語協会会長だった)志ん生の我がままが通ったのだ。
・談志が師匠の小さんに「小三治」の名前をくれと言う。なぜと訊いたら、「自分が小さんを継ぐからだ」と答えた。小さんは「お前みたいな根性の曲がった奴には、やれない」と断った。
・その小三治の名を小さんから貰った時は(談志の事は聞いていたので)複雑な気持ちだった。
・二つ目の時は「さん治」だったのに、真打に昇進したら上に「小」が付くのはおかしいと文句を言ったら、小さんはしばらく考えて「大三治(だいさんじ)じゃ変だろ」と答えた。小さんにはこういう面白い所があった。
・師匠の小さんからは、客を無理に笑わせようとするなと教えられた。噺に引き込んで自然に可笑しくなるようにしろと。
・夏目漱石が3代目小さんを褒めていたが、登場人物になり切って小さん本人が高座から消えていたと言う。同時代に活躍していた初代圓遊(ステテコの圓遊)は何をやっても後ろに本人がいた、そこが違うのだと言う。
・圓生は名人だが、時々変にクスグリを入れて笑わせようとする所があった。あの人は江戸っ子じゃないから。

当方の「感想」は次の通り。
全体として小三治の自伝的な内容だったと思う。
冒頭に、自衛隊機の照射問題を持ってきたのは、第二次大戦の時の日中戦争が小さな小競り合いから始まり、次第に泥沼に陥り敗戦に至った経緯を示唆したものと思われる。
支那事変における大日本帝国陸軍のスローガンは暴支膺懲(ぼうしようちょう)で、「暴虐な支那(中国)を懲らしめよ」の意味。 最近の対韓国への世論扇動が、この時の空気と似ていると感じたのだろう。
だから、そのあと何度も「戦争は絶対にいけない」を繰り返したものと思われる。
落語家になった動機が、親への反抗だった。親が最も落胆する方法を選んだというのだ。小三治の反骨精神の原点かも。
真打に昇進するときに、自分としては二つ目の「さん治」のままで良いと思っていたそうだ。芸名なんてものは所詮は符丁にしか過ぎないと。
談志のエピソードは、いかにもという印象だった。この件が、その後の協会脱退へと繋がったのかなと、これは私見。
話の中で、師匠の小さんを尊敬している事がよく分かった。客を無理に笑わせようとするなという教えを今でも忠実に守っているのだ。
志ん生が我がままで、言うなればそのごり押しで志ん朝が2年半で真打になったという評価は興味深い。
圓生が余計なクスグリを入れる癖があるという指摘は、その通りだと思う。あれは噺の品を落としている。
そんな訳で、この日の小三治のマクラは面白かった。

余談になるが、小三治は他の噺家を呼び捨てか、さん付けにしていた。師匠の小さんに対しては勿論呼び捨てだ。これは正しい。
最近の噺家が、同業者を「師匠」や「兄さん」呼ばわりするのを予てから不快に思っていたからだ。
序に言うなら、最近の客が噺家(真打)に「師匠」呼ばわりするのも変だね。それなら色物の芸人には「先生」を付けねばなるまい。
以前に、呼び捨ては失礼だとコメントした方がいたが、逆である。
「圓朝師匠」なんて言ったら、よけいに失礼に当たるではないか。

今日はこの辺で。

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