落語「一目上り」の「亀田鵬齋」とはどんな人
落語好きな方なら「亀田鵬齋」という名に聞き覚えがあるだろう。
そう、寄席に行くと日に一度は誰かが高座にかけるお馴染みのネタ『一目上り』の中に出てくる名だ。
『一目上り』という噺は、男が隠居の元を訪ね、掛け軸の書画に目を止めると、「しなはるるだけは堪えよ雪の竹」と書かれている。隠居はこういう書画を見たら、「いい賛(三)だ」と褒めろと男に教える。
男は、大家を訪ね掛け軸を見せて貰うと、「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」とある、男が「いい賛(三)だ」と褒めると、大家は「これは根岸の亀田鵬斎先生の詩(四)だ」と言う。
今度は男は医者の家を訪れ掛け軸を見せて貰うと、「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売り、汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩をやすむ。柳は緑、花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通えども 水も濁さず影も止めず。」とあった。男が「いい詩(四)だ」と褒めると、医者は「これは一休禅師の悟(五)だ」と言う。
ここで男は初めて気が付き、書画を褒める時は一目づつ上げるのだと判断してしまう。
そこで男は友人の家に行き掛け軸を見ると、大勢の人が小さな舟に乗っている絵が描かれていて、字を読んで貰うと回文で「ながき夜の とおの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな」とある。男が「いい六だ」と褒めると、友人は「なあに、七福神の宝船だ」でサゲ。
月刊誌「図書」2019年1月号の記事によれば、ここに出てくる亀田鵬齋は江戸時代の折衷学派の儒学者。「寛政異学の禁」によって儒官を追われ、以後は江戸下町に住まい子弟を授け、詩を書き書画を売って生計を立てていた。何より大酒を食らっては詩酒に優遊した人物として知られている。
幕府による思想統制に異を唱え、「寛政の五鬼」の一人で反骨の人だった。
落語に出てくる「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」という掛け軸も、鵬齋の販売品の一つだったのかも知れない。
「需侠」鵬齋は逸話に富んだ豪放磊落な人物として、江戸の町の人に人気が高く、酒の詩によっても名高い。
文化13年の江戸詩画人の酒徒番付で東の大関をはった大の酒飲みなので、酒を詠った詩が多い。
「我 渺茫たる宇宙の間を視るに 酣酔の外に取るに足る無し」
「吉野 竜田や墨田川 酒がなければ只のとこ 劉伯倫や李太白 酒を飲まねば只の人 よいよいよいよい よいやさあ」
(上記はいずれも漢詩の書き下し文)
と詠ってのけた酒人なのだ。
鵬齋は書家としても知られ、かの蜀山人が「音にきく大鵬齋か筆の跡」と讃えている。
鵬齋をめぐる逸話の中に、良寛との交流がある。書家で酒好きで反骨脱俗という共通点を持つ二人は、互いの人柄に魅かれたようだ。
良寛が、五合庵の傍に池を掘り、
「新池や蛙とびこむ音もなし」
と詠んだところ、鵬齋がそれを見て、
「古池やその後とびこむ蛙なし」
と返した。
落語『一目上り』を聴いたとき、亀田鵬齋先生の事を思い出すのもまた一興かと。
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良寛、鵬齋との掛け合い、興じ入りました。
芭蕉の句も和歌に対する反骨的パロディの要素があったと伺いますが、二人の句はこれはもう(笑)まるで一席の落語みたいだと・・・
投稿: 福 | 2019/01/12 06:45
福様
戯れ歌のような漢詩といい、芭蕉の句に対する狂句といい、鵬齋は儒学者とは思えぬ洒脱な人だったようです。
投稿: ほめ・く | 2019/01/12 09:30