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2019/02/03

インフルエンザが世界大戦に与えた影響

いま日本でインフルエンザが流行しているが、今から100年前の1918-1919年にかけて「スペイン・インフルエンザ(スペインかぜ)」が猛威をふるった。スペイン・インフルエンザの大流行(パンデミック)による被害は甚大で、当時の世界総人口約20億人の3分の1が感染し、死者は2000-5000万人(中国とアフリカを加えると1億人という推計もある)に達した。
月刊誌「図書」2019年2月号の中で田代眞人氏が「大流行による惨劇から100年」という記事で詳細が書かれている。

大流行の第1波は1918年春にアメリカのカンザス州の新兵訓練所で発生し、折からの第一世界大戦でアメリカが参戦したため流行がヨーロッパへ、さらの世界各地に拡大した。前線で罹患した兵士が後方に移送されて戦力が低下し、後方の市民にも感染が拡がった。だが健康被害は軽く、第1波は8月には終息した。
ところが9月になってインフルエンザが再出現し、3か月間で欧州から全世界に拡がり、壊滅的な被害をおよぼした。患者の多くは20-30歳代の青壮年で、高熱、頭痛、呼吸困難、チアノーゼ、混迷、出血を呈して次々と死んでいった。
原因も予防法も不明で、医療体制は崩壊した。葬儀や埋葬も間に合わず、社会機能は崩壊してしまった。
世界大戦の最終局面で両陣営の戦力は激減し、それがドイツ降伏の一因ともいわれる。
第一次世界大戦による死者数は約1000万人だが、参戦各国のインフルエンザによる死者数はそれを遥かに上回った。重症患者はさらに膨大な数におよび、政府による報道管制にもかかわらず国民の戦意は低下し、厭戦気分が拡がった。
休戦協定が結ばれた1919年にも第3波の流行があったが、この時は被害規模は少なかった。

世界大戦終結にともなうパリ講和条約では、ドイツへの賠償要求をめぐってフランスと米国が対立した。ところが穏健派の米国ウィルソン大統領が会議中にインフルエンザで倒れた。一命は取りとめたウィルソン大統領だったが、精神神経症状を呈して思考・意欲が低下し、フランスによる強硬な講和条約に病床でサインしてしまった。
スペイン・インフルエンザの流行により、労働人口不足で戦後の経済復興が遅れ、膨大な賠償金でドイツ経済が破綻。世界はその後の大恐慌を克服できず不安定化し、これがファシズムの台頭と第二次世界大戦へと突き進んでいった要因となった。
日本でもスペイン・インフルエンザによる被害は甚大で、当時の人口5500万人のうち、45万人が死亡し、市民生活・社会機能に大きな影響をおよぼした。
しかし、軍国主義的な風潮の中で、国民の士気を低下させるような情報は意図的に隠され、その惨劇は忘れさられた。

その後、インフルエンザの原因がウィルスであることが突き止められ、当時にくらべ予防や治療法には格段の進歩があった。
しかし、スペイン・インフルエンザで第1波と第3波に被害が軽くて、第3波だけが甚大な被害を出した原因は未だに解明されていない。
今後、再び起こるかもしれないパンデミックに備えて、医療面での研究と行政、双方の対策を立てることが急務だ。

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