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2019/02/04

聞くと見るでは大違い「ベネズエラ」

観光で一度行ったぐらいでその国の何が分かるかというのは正論ですが、それでも聞くと見るでは大きな違いがあります。
私がベネズエラを訪れたのは2007年でした。
目的はギアナ高地の観光で、先ず首都カラカス郊外のシモン・ボリバル国際空港に到着しました。
空港からカラカス市に向かう途中のホテルで1泊し、カラカス市内観光を予定していました。
この時期はチャベス大統領の全盛期と言ってよく、外国資本下にあった石油企業など基幹産業を国有化し、潤沢なオイルマネーを財源に貧困層に手厚い福祉政策を進めているという報道がなされていました。
日本からもマスコミやジャーナリストが取材に訪れ、新聞や雑誌にとり上げられていましたので、私たち観光客も楽しみにしていたのです。
空港からホテルへ向かう際に、最初に気付いたのは赤土です。酸化鉄が多く含まれているのでしょうか、家々の壁も赤いし、道路の側溝さえも赤味を帯びています。
海岸線を走るバスの北側にはカリブ海が見えるのですが、反対側はかなりの角度の斜面になっており、その斜面に貼りつくように沢山の住宅が見えます。
よく見ると、窓ガラスの無い家があり、崩れかかった家がありました。
所々に崖崩れや地すべりの後が残されているのも見えました。
それがずっと続いているのです。
写真は、バスの車窓から見た住宅地の風景です。
1

ガイドの説明では、以前におきた大雨による災害で、沢山の犠牲者が出たのが、未だ完全に復旧していない名残りだということです。
住めなくなった家はそのまま放置され、そこには現在ホームレスの人たちが住んでいるということでした。
窓ガラスが無かったり、夕方になるのに灯りがついている家が少ないのは、そのためでしょう。
ガイドのいう沢山の犠牲者を出した大雨災害というは、1999年の末に起きたものでしょう。既に7年以上経過しているのに、土砂の片づけさえできていないこの状態は一体なんなのだろうと思いました。

ホテルからカラカス市内まで約40kmという距離ですが、道路事情が悪く片道2時間以上かかると言うのです。これだと夕食までに戻れないからと、カラカス市内観光は取りやめになりました。
空港から首都までというのは基幹道路であると同時に、物資を運搬する生活道路でもあるはずです。
こんな政策は長続きしないだろうと、その時に予想していましたが、最近のベネズエラの政治の混乱を見ると、やはりチャベス政権の負の遺産と思わずにはいられません。

ベネズエラの混乱に乗じて米ロ中の3か国が干渉をし始めていますが、ベネズエラの国民自身の手で一日も早く問題を解決できるよう願っています。

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コメント

私もチャベスの名前をプラスに捉えていました。
国際報道もよほど眉に唾つけてみないとヤバイ、国内メデイアはなおのことですが。

佐平次様
私もチャベス大統領には期待を持っていましたので、ガッカリさせられました。
この後エクアドルに行ったのですが、同じ左翼政権でしたが先ず手を付けたのが公共交通機関の整備でした。市民の評価も高かったと聞きました。

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