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2019/04/30

【書評】「原節子の真実」

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石井妙子「原節子の真実」 (新潮文庫-2019/1/27刊)

日本映画史上、最も美しい女優は?と問われたら、ある年齢以上の人であれば大多数の人は「原節子」と答えるだろう。日本映画を代表する女優は?と問われても、やはり大多数の人は彼女の名前をあげるだろう。
日本国内だけではない。小津安二郎監督の作品が国際的評価を受ける中で、原節子の名も世界に拡がっている。
大スターだった原節子だけに噂やゴシップには事欠かない。それも映画関係者や作家などから流されたものも少なくない。大半はガセネタだが、原がそうした情報を肯定も否定もせず一切無視してきたため、未だに事実として罷り通っているものさえある。
とりわけ、銀幕から突如引退し、以後は世間と隔絶した生活を死去するまで送ってきた彼女の生活態度が、多くの憶測や誤情報を生んだ。
本書は、原の関係者やその家族を取材し、文字通り「原節子の真実」を明らかにしたものだ。

原節子(1920年6月17日生 - 2015年9月5日死去)が映画界入りしたのは1935年、15歳の時だ。幼い頃から成績が良く、本人も教師になることが夢だったが、家業が傾いた事や母親が精神を病んだりし、彼女が生活費を稼がねばならなくなった。
原より美人と言われていた次姉が映画界入りしていて、夫の監督の熊谷久虎の勧めに従って映画界に入ることになった。これ以後、原は終生、義兄の熊谷久虎から大きな影響を受け続ける。
映画界が無声映画からトーキーに移り、それまで男優が女形を演じていたのが女役は女性が演じる風になったので、女優への需要が一気に増えた。当初は芸者など花柳界から採用されていたが、次第に普通の子女を採用するようになっていた。
ただ、当時の女優の地位は低く、撮影所でも女中がわりに酒食の接待や、時には監督やスタッフの夜のお相手までさせられていた。原がずっと映画も女優も好きになれずにいたのは、こうした女優の状況への反発があったようだ。
彼女はこうした周囲に溶けこまず、撮影所の往き帰りは電車に揺られ駅からは徒歩で通い、昼食は自分で用意した弁当を一人で食べ、撮影の合間は読書に耽り、仕事が終われば真っ直ぐ家に帰る。宴席に出ることはなかった。接待や舞台挨拶、水着撮影は一切お断り。付け人は付けず、身の回りのことは全て自分でやった。このスタイルは後年大スターになっても崩すことは無かった。

原の女優としての運命を決定づけたのは、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢されたことだ。撮影中に見学にきたドイツのアーノルド・ファンク監督が、映画会社から推薦された女優たちを蹴って、無名の新人だった原を主役に選んだのだ。この映画はその後に締結される日独防共協定の下準備になる国策映画だった。ドイツに渡った原はゲッペルスと面会するなど大歓迎を受け、帰国するまでフランスやアメリカを巡る。
ここで原が気付いたのは、海外での女優の立場が日本と全く異なり、俳優として尊重されていたことである。
帰国後、一躍スターとなった原に次々と仕事が舞いこむ。だが時は日中戦争から太平洋戦争に至る時期で、戦意高揚映画に数多く出演することになる。原の清純な容姿が出征する兵士を励ましたり、銃後を健気に守る娘役にピッタリだったのだ。
この時期、義兄の熊谷は映画界から離れ、国粋主義思想団体「スメラ学塾」を作り、軍部と結んで本土決戦を叫び、また敗戦前には九州独立運動を起こす。原もまた、この義兄の思想に深く共鳴し、一時期運動を手助けすることもあった様だ。

敗戦を迎え国民全部が茫然自失する中、家族を養うために原は自らが栄養失調になりながらも農村に買い出しに出かけ、2斗の米を背負って自宅に持ち帰る生活を送っていく。
実は、米軍占領下で映画会社からはGHQの幹部への接待や、米軍相手の舞台出演などの要請が原にあった。そうした要請に応じていれば、有り余るほどの食料が手に入れられたし、当時の人気スターたちの多くがその恩恵に与っていたのだが、原は一切拒否していた。
それに、敗戦になった途端に、戦中には上からの命令で止むを得ず戦争協力をしたとして、戦後は手のひらを反す様にGHQの指示に従う映画人たちに心から愛想が尽きていたのだ。
GHQから公職追放の指示が来ると、映画人が集まって戦争協力の犯人捜しを始め、映画監督としてはこれといった実績の無かった義兄の熊谷を指名して熊谷が映画界から追われた事も、原の反感を増幅した。
原にとって戦後の民主主義の良かった点は、女性への差別を否定し権利を認めていたことだ。これは戦前から原が望んでいたのだ。
また、戦後外国の映画が一斉に日本で公開されると、そこに描かれる自立した女性の姿に共鳴し、イングリット・バーグマンらの映像を見て自分もああした内面の美しさを表現できる女優を目指す決意を原は固める。

女性が自らの意志で運命を切り開いてゆく、そうした役を演じる女優になりたかった原にとって、最も尊敬できる監督は黒澤明だった。作風が、どこか義兄の熊谷久虎に似ている所も惹かれた。黒澤監督のもとで主演した作品『わが青春に悔なし』のヒロインは、原にとってこれこそ演じてみたかった役に巡り合えたのだ。
ところが、最後は米軍の戦車まで出てきた東宝映画の大争議の影響で、原は東宝を去り黒澤監督との縁も切れてしまい、以後は主に松竹映画に出演するようになる。
原は、1949年に初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演し、以後1961年の『小早川家の秋』まで小津監督の6作品に出演を果たすことになる。特に1953年の『東京物語』は小津にとっても、原にとっても代表作となる。一連の小津作品によって、原は代表的スターになる。

しかし、小津作品はホームドラマであり、役どころはいずれも父親や夫に尽くす良妻賢母タイプのものだった。
つまり原に求められる役は、戦前戦後を通じて男性から見た理想的女性だった。
原が必死に求めた、自らの手で運命を切り開く女性像とはほど遠いものだった。そうした役を求めて、1951年に黒澤明監督の『白痴』や、義兄の熊谷監督のいくつかの作品に出演するが、皮肉な事にいずれも興行的には惨敗する。
原は、細川ガラシャを主人公にした映画を希望し続けたが、終生実現せずに映画人生を閉じてしまう。

40歳に近づくと、原は容姿の衰えという残酷な事実に向き合うことになる。先輩女優たちの姿を見てきて、自分には老け役になる気がない。映画の中身も変わってきて、次第に自分の居場所もなくなりつつあることに気付く。
戦後の栄養失調の影響もあって健康にすぐれず、何より長年の撮影で視力が衰えていた。
遂に1962年に引退を決意したが、その翌年には小津監督が60歳の誕生日の日に亡くなってしまう。
原は終生独身を通し、死去するまで人目を避け、ごく少数の人しか会わぬ隠遁生活に入ってしまう。

原節子は人間的にも優れた人だったようで、ある映画雑誌が新人女優に「最も尊敬できる俳優は?」というアンケートを取ったところ、全員が「原節子」と回答したため、企画が流れてしまった。
戦後、良家の子女が安心して映画界入り出来たのも、原節子の影響とのこと。
本書のあとがきで、原の映画を見たイタリアの若者が、彼女の印象を「聖母」や「女神」に例えていた事が紹介されているが、内面の美しさが表出した稀有な日本人女優だったと言える。

本書はタイトルの通り原節子の評伝であるが、日本映画の裏面史ともなっている。
多くの映画監督が戦時中徴兵され戦地に送られているが、黒澤明だけは免れている。軍部と繋がりの深かった東宝が、そのツテで有望な黒澤が戦地に行くのを防いだようだ。
反対に小津安二郎は中国戦線の、それも毒ガス部隊に送られた。村に毒ガス弾を撃ち込み、逃げ惑う住民を刺し殺すという任務だった。娘を強姦され抗議に来た母親を上官が斬り殺した現場も見ている。
小津は、戦前に戦争映画を見て、戦争なんてこんなもんじゃない、自分なら本当の戦争映画が描けるとずっと思っていたそうだ。
しかし、最後まで小津は戦争映画を撮ることはなかった。
ただ、1962年に撮った作品『小早川家の秋』は、小津の戦争体験と、中国で戦死した親しかった山中貞雄監督へのオマージュになっていたようだ。

 

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2019/04/28

第479回「花形演芸会」(2019/4/27)

第479回「花形演芸会」
日時:2019年4月27日(土)13時
会場:国立演芸場
<   番組   >
前座・春風亭朝七『桃太郎』
林家扇『宗論』
三遊亭歌太郎『ガマの油』
おちもり『漫才』
古今亭駒治『10時打ち』
―仲入り―
三遊亭歌奴『阿武松』
林家あずみ『三味線漫談』
台所おさん『大工調べ』

ブームかどうか分からないが、落語ファンが増えてきたのは間違いない。この会も満席だったが、この顔づけで以前なら考えられなかった。
よく言われているが、国立演芸場での「談志ひとり会」でも満員になることは滅多に無かったようだ。
志ん朝独演会でも大概は当日に入れた。
寄席だの落語会なんてもんは、本来はその日になってフラリと行くものなのだ。
落語ファンが多くなったことは業界では喜ばしいかも知れないが、私たち客にとっては迷惑でしかない。チケットは取りにくいは、入場料は上がるは、全くいい事なし。

この日は「待ってました!」の掛け声が多かった。二つ目の若手にも掛かっていたが、本人としては嬉しいだろう。

扇『宗論』 、初見。女流のこのネタは始めて聴いた。着物姿で金髪って、どうよ?

歌太郎『ガマの油』、客席を見回し、若手らしからぬふてぶてしさでマクラを振る。ガマの油売りの口上で拍手が沸いていた。来年の真打披露公演、楽しみにしている。

おちもり『漫才』、初見。ボケ役がかつての「ボヤキ漫才」の様にネタを振ると。ツッコミ役がこれを冷静にツッコミ返す。関西弁と東京弁、陰と陽といった対比を活かしていて面白かった。

駒治『10時打ち』、JRの人気列車の指定席を取る時は早くから並ばねばならない。希望の席が取れるかどうかは、係の駅員が10時丁度に(秒単位を争うそうだ)指でうてるかどうかで決まる。これを「10時打ち」と言うらしい。落語ファンに置き換えれば、「扇辰・喬太郎 二人会」を発売日の10時丁度にキーを押せるかどうか、そう考えれば理解し易い。黄金の指を持つ駅員を東京駅と上野駅が争奪しあうというストーリー。『明烏』をクスグリに挟んで面白く聴かせた。
駒治の高座は何度か観ているが、古典は演らないのだろうか。古典を磨いた方が新作にも活きると思うのだが。大きなお世話かな。

歌奴『阿武松』、美声と大きな体を活かした、毎度お馴染みの相撲ネタ。この人が高座に上がってくるだけで会場が明るくなる、貴重な存在。

あずみ『三味線漫談』、この日は「長崎ぶらぶら節」と「なすかぼ」を披露。いつもの寄席より気合が入っていた。

おさん『大工調べ』 、少し訛りが感じられるのとボソボソ喋る印象から、このネタをどう演じるのか興味があった。結論から言えば、棟梁の胸のすくような啖呵は良く出来ていた。因業大家の嫌味を棟梁が我慢しながら辛抱していたが、堪忍袋の緒が切れてという件も巧みに表現されていたし、棟梁の真似をする与太郎のたどたどしさも上手かった。
ちょいと見直しました。

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2019/04/26

笑福亭たま深川独演会(2019/4/25)

「笑福亭たま深川独演会」
日時:4月25日(木)19時
会場:深川江戸資料館 小劇場
<   番組   >
瀧川鯉丸『かぼちゃ屋』
笑福亭たま『いらちの愛宕詣り』*
桂塩鯛『試し酒』
笑福亭たま『口入屋』*
~仲入り~
笑福亭たま『落語と私』
(*ネタ出し)

上方落語の俊英(勝手に名付けたが)・笑福亭たまの深川独演会、番組が面白そうだったのと、ゲストの桂塩鯛が久々だったので出向く。

鯉丸『かぼちゃ屋』、鯉昇の弟子で芸協の二ツ目、素直な印象の高座で好感が持てる。

たま『いらちの愛宕詣り』
東京では『堀の内』というタイトルでお馴染みのネタだが、通常の演じ方とだいぶ中身を変えていた。
①いらちの男が翌朝顔を洗いに行くと、釣瓶井戸に落ちてずぶぬれになるのを3回繰り返す。
②着物を着てから褌をしめて女房に叱られる。
③男は西へ向かわねばならないのに東に向かったので北野天満宮に着き、また自宅に戻るのを2回繰り返す。
④弁当と間違えて枕を腰巻に包んでいたという所はカット。
⑤隣の奥さんに叱って、自分の女房に謝るサゲはカット。
⑥代わりに、いらちが治らないので愛宕神社に文句を言いに行くと、そこが北野天満宮だっというサゲにしていた。
他の演者に比べハイテンションでスピーディに展開させていて、大受けだった。

塩鯛『試し酒』
上方の噺家は型破りの人が多いので、マクラの種に困らない様だ。
このネタは古典の様に扱われているが、昭和初期の新作落語。5代目柳家小さんが絶品で、今も小さんの型で演じられている。
塩鯛の高座は細部に至るまで東京と同じ演じ方だったが、5升目の飲み方だけはかなりきつそうに飲んで見せた。
上方の噺家が東京で演じる場合、東京でも馴染みのあるネタを選ぶ傾向がある気がするのだが、こちらとしては寧ろコテコテの上方落語を聴いてみたい。

たま『口入屋』
1席目と異なりこちらのネタは改変は無く、以下の部分をカット又は短縮して演じた。
①丁稚が口入屋に行って器量の良い女中を店に連れ帰るまで
②番頭の命令で早寝させられた奉公人たちが、女中を狙ってお互いに牽制しあいながら寝付くまで
省略した部分は大筋には影響せず面白さは損なわず、却ってストーリーとしてはすっきりとしたものになっていた。
たまのこうした工夫が観客に受けている。

たま『落語と私』
新作のタイトルは桂米朝の著作。ある男が落語の『たちぎれ線香』を聴いて、中に出てくる「こ糸」に恋してしまう。相談を受けた友人が、それなら落語の世界に入って会いに行こうと誘い、『こぶ弁慶』の名人・浮世又平の子孫に頼み、米朝の著作に二人の名前を書いて貰うと、本当に落語の世界に入ってしまうという噺。中身は、お馴染みの噺を次々と繋いだ「五目落語」(又は「落語ちゃんちゃかちゃん」)ともいうべき代物。『弥次郎』から始まって『天狗裁き』でサゲるまで、十数個のネタが全て分かれば、あなたも落語通です。

 

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2019/04/23

国立名人会(2019/4/21)

第428回4月「国立名人会」
日時:2019年4月21日(日)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・三遊亭ぐんま『権助魚』
春風亭百栄『桃太郎後日譚』
柳家喬之助『口入屋』
三遊亭白鳥『黄昏のライバル』
―仲入り―
桃月庵白酒『だくだく』
寒空はだか『漫談』
柳家喬太郎『結石移動症』
(前座以外はネタ出し)

4月に入ってから珍しく飲み会が2度あった。いずれも年に一度お声をかけて下さる方々で、一人は一緒に部署にいたのは数年、もう一人は業務の面では関わり合いがあったが一度も同じ部署で仕事はしたことがなかった。人間関係というのは面白いもので、長年仕事を共にしながら年賀状をヤリトリする程度という人もいれば、前記の様な人もいる。

4月の国立名人会、いつもは「ボッチ」主義だが、今回はこれも珍しく息子と一緒に出掛けた。前回はいつだったか思い出せないくらい遠い昔だ。
今回の名人会は、出演者が口を揃えて言ってたが、名人会らしからぬ異色の顔ぶれとなった。

ぐんま『権助魚』、上手くなりそうだ。もしかしたら師匠を追い越すかも。

百栄『桃太郎後日譚』
鬼退治から宝物を持って帰ってきた桃太郎の家に、犬、猿、雉の3匹が居座って酒ばかり飲んでいる。手を焼いたお爺さんとお婆さんが桃太郎に匹を追い出して欲しいと頼むが、3匹側はたったきび団子1個で危険な仕事させられたと居直る。すると桃太郎は、お前たちが有名になったのは桃太郎という存在があったからで、動物だけだったら世間は相手にしなかったと反論する。今度は3匹側が、鬼ヶ島では桃太郎が妻子が命乞いをする中で、笑いながら鬼の父親を斬り殺していたとお爺さんとお婆さんに伝えると・・・。
ネタと百栄の喋りのリズムが合わないせいか、客席の反応は今ひとつ。
お伽噺の桃太郎はツッコミ所満載だ。春風亭小朝の『桃太郎』では、子どもが父親にこのストーリーを米国のイラク攻撃に例えて説明するという手法を採っていた。
そうしたバリエーションの一つ。

喬之助『口入屋(引越しの夢)』
今までに何度かこの人の高座を観てきて辛口の感想を述べてきたが、この日は面白かった。テンポが良く、噺の運びがスムースだった。何を喋っているのか不明な「てんどん」という奉公人というクスグリは秀逸。

白鳥『黄昏のライバル』
20年後の落語界の姿。白酒が協会会長で人間国宝となる。小三治は「もう小言念仏は高座にかけません」と誓うし、ライバルだった一之輔は痴情関係のもつれから一花に刺されてしまう。
かくして上り詰めた白酒だが、更に上を目指す意欲を失う。心配した弟子が、かつては最大のライバルで今はおでん屋をしている三遊亭白鳥の元を訪れ、師匠と落語で対決して欲しいと頼むが・・・。
ナンセンスなストーリーで、全編これ楽屋落ちとギャグいうネタだったが、会場は大受けだった。

白酒『だくだく』
白鳥にいじられて、やりにくそうに演じ始めるが、ネタに入ってからはいつもの調子。手裏剣や忍術まで繰り出す「つもり」合戦で沸かせる。

はだか『漫談』
喬太郎の会では色物としてよく登場するが、初めてという客も多かったようだ。歌唱力を活かした歌謡漫談というべきジャンルに属するのだろう。最後はお約束の「東京タワー」で締め。

喬太郎『結石移動症』
いつもの池袋自虐ネタから本題へ。
池袋の風俗街の中にある食堂のオヤジさんで名前は賢ちゃん、味は良くないが出前を細目にしてくれるので、ソープ嬢たちからは重宝がられている。そんな賢ちゃんだが、結石移動症という難病に罹り痛みに耐えがたく、近ごろでは店を休む日が続いていた。心配したソープ嬢たちからはお見舞いが届くが、中身は既製品のソースばかりで、味付けを研究してねという手紙が添えてあった。
ある日、賢ちゃんの所へ折合いの悪かった一人息子が突然訪れ、結婚したいという娘を紹介する。処が、その娘は賢ちゃんとは顔なじみで、以前はソープで働いていた。事実を知って驚く息子。それを事前に息子に打ちあけていなかった娘に腹を立てる賢ちゃんだが、結石移動症の激痛が襲う。聞けば余命3ヶ月とか。見かねた娘は知り合いの鍼灸師の堀田さんを呼んで治療をして貰うと、賢ちゃんの病気は全快し、娘の真心に感謝する。
「針医の堀田と賢ちゃんの石(ハリー・ポッターと賢者の石)」、この話が本になるとベストセラー、映画は大ヒット、やがて全世界に拡がっていった。
人情噺風の新作でベタな中身だが、喬太郎の語りの上手さで聴かせていた。

いつもはハネタ後は直帰だが、この日は寿司屋に寄って、たらふく食いたらふく呑んで、ご機嫌で帰宅。

 

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2019/04/22

三田落語会「一朝・新治」(2019/4/20)

第57回「三田落語会」夜席
日時:2019年4月20日(土)18時
会場:文化放送メディアプラスホール
<  番組  >
前座・金原亭乃ゝ香『堀の内』
春風亭一朝『唖の釣り』
露の新治『抜け雀』
~仲入り~
露の新治『千早ふる』
春風亭一朝『刀屋(おせつ徳三郎・下)』

長く通っていた落語会でも会場が変わると足が遠くなる。この三田落語会も、以前の仏教伝道センターから今の文化放送メディアプラスホールに会場が移ってから出向くのは今回が初めてだったが、やはり雰囲気が違う。前の様な手作り感が薄れた気がする。
入場料が上がったのと、次回公演のチケット前売りが無くなった。

乃ゝ香『堀の内』、久々に下手な前座に出会った。

一朝『唖の釣り』
差別的表現があるのでマスメディアでは放送できないネタだ。
一朝のの良さは持ちネタが多く、しかも当たり外れの無いこと。貴重な存在だ。

新治『抜け雀』
このネタのサゲは、一文無しだった絵描きがっ立派になって宿に戻り、父親の書いた絵を前にして親不孝を詫びる。宿の亭主が訝ると、「親を駕籠かきにした」というもの。これを「駕籠かき=下賤な職業」と解釈してきたが、新治の解説だとこれは間違いだった。
このセリフは元々が浄瑠璃の『双蝶々曲輪日記』の中で、娘が乗った駕籠を担いでいたのが父親だと知って嘆くセリフから採ったものとのこと。その由来は、昔は死者を駕籠に入れて葬ったのだが、子どもが先に死ぬと親が駕籠を担ぐことになる。これが「先立つ不孝」になるので、先の様なセリフが生まれるのだと言う。
落語は深いね。こういう解説を聞くとネタの奥行きを感じる。
ストーリーは東京の高座と同じだが、絵描きが衝立を前にして、筆を持ったまま下腹に力を入れてから一気に描いていたことだ。父親の場合は、片手襷に操ってから絵を描いていた。こうした仕草を入れることにより、絵に魂を込めていることを表現させている。
新治の解釈や仕草を、東京の噺家はもっと研究した方が良い。

新治『千早ふる』
こちらも東京のものとストーリーは同じだが、独自のクスグリが面白かった。
例えば、龍田川が相撲とりだと聞かされると、男が「そんな名前は知らない」と否定すると、甚兵衛が引力を持ち出して「お前が引力を知る前から引力は有った」。存在と認識の哲学的問答だね。
甚兵衛が「お前がそんなんだから、お前の女房があんな事するんだ」、男が「え、うちの女房がなにしたんでっか?」と言うと、甚兵衛は「そんなもん、女房に訊け!」と答える。このヤリトリが何度か繰り替えされる。
とにかく、二人の会話の妙がやたら可笑しかった。

一朝『刀屋(おせつ徳三郎・下)』
おせつ徳三郎・上の『花見小僧』は時々高座に掛かるが、下の『刀屋』は演じる機会が少ない。
おせつとの深い仲が主人に知れて店を馘首された徳三郎が、おせつが婿取りをすると聞いて逆上し、婚礼の場に乗り込んで二人を斬るために刀屋を訪れる。どうも様子が変だと気付いた刀屋の主が事の経緯を聞き、徳三郎を諫める。そこへ出入りのカシラが店に来て、おせつが婚礼の席から逃げ出したと告げると、徳三郎は店を飛び出しておせつを探しだす。深川で再会を果たした二人だったが、追手が近づいたことを知り題目を上げながら川に身を投げて心中を図るが、場所が木場だったので材木の筏の上に落ちてしまう。
「お題目(材木)のお陰で助かった」のサゲは『鰍沢』と同じ。
一朝の高座は、この噺の勘所である刀屋の主人の厳しさと優しさが良く表現されていた。

 

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2019/04/19

三遊亭圓生『早桶屋』で分かった「図抜け大一番小判型」の謎

6代目三遊亭圓生に『早桶屋』というネタがある。圓生はこの噺を名人といわれた4代目橘家圓喬の高座を聴いていて、教わったのは初代柳家小せん(通称メクラの小せん)からだ。
この噺は通常『付き馬』という名で演じられていて、中身はほぼ同じだが、圓生の『早桶屋』ではマクラで早桶の解説をしている点が異なる。これは、このネタの後半を理解する上で大事なポイントだ。

早桶は、死者が出た時に間に合わせで急いで作るところから、この名が付けられた。座棺で、死者は座ったまま前で手を組んで棺に葬られる。明治から大正初期まで使われていたそうだから、この噺もその頃の時代のものだろう。
早桶の種類は4つあった。
・並一番:男性用
・並二番:女性用
・大一番:背の高い男性用
・図抜け大一番:相撲取りの様な大男用

噺の中で、付き馬を騙して料金を踏み倒す男が、早桶屋の「おじさん」に注文するのが「図抜け大一番小判型」だ。私は以前から、なんで男がこんな形の注文をしたのか、ずっと不思議に思っていたのだが、圓生の解説を聞いて納得できた。
男が注文する早桶が既に店に有ったので話が成り立たない、つまり特注品であることが必要なのだ。
後半のストーリーでは、男が他の店では断られてたが、「どうしてもコサエテ貰いたい」として「おじさん」に話を持ち掛けるという設定だ。職人が面白そうだからやってみるという事で、「おじさん」もコサエルと請け合ってしまう。つまり、特注品ではあるが、製作は可能という製品を狙ったわけだ。
この男はよほど優秀な詐欺師だったようで、全て計算し尽くしている。
なぜ男の注文が「図抜け大一番小判型」なのか謎が解けた。

圓生の高座では、更に綿密な仕掛けが施されている。
先ず、男が湯屋に行くと言い出すと付き馬が訝る。そこで男は、「田町のおばさんの所へ行けば、50や100(円)の金は直ぐに用立ててくれる」と言って、付き馬を安心させる。当時の田町は、浅草の一部から日本堤周辺の一帯を指すので、吉原からも近いのだ。処が男は仲見世から雷門方向に歩いて行く。つまり田町からどんどん離れてゆくので、付き馬が怒り出す。そこで男は、田原町の「おじさん」を持ち出す。
また、男は付き馬に「おじさん」から40円を受け取ってくれと、金額を明示する。揚げ代の28円50銭に湯屋、小料理屋での飲み食いの立て替えに加えて、数円の付き馬への祝儀が含まれた金額だ。さらに帯を付けてくれると言うのだ。
あまりに美味しそうな餌を仕込んで来るので、すっかり付き馬もご機嫌を直してしまう。

圓生の噺を聴いて、改めてこのネタは良く出来ていると再認識した次第。

 

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2019/04/17

【街角で出会った美女】レバノン編

日産のカルロス・ゴーン事件ですっかり有名になったレバノンですが、この国の最大の宗派は、キリスト教東方典礼カトリック教会の一派で、マロン派と呼ばれています。大統領がマロン派から選出される慣行を持つなど、国内外の政治・経済両面において大きな影響力を持っています。
レバノンでは1970年代から約15年間にわたる内戦が続き、国土は荒れ果てました。この内戦で、多くのレバノン人が国外に流失してしまったのです。
レバノンは、紀元前のフェニキアの時代から貿易で稼いだ国なので、海外に出たレバノン人もそれぞれの国でビジネスで成功を収めた人も少なくありません。
カルロス・ゴーンやブラジル大統領のミシェル・テメルもそのうちの一人で、いずれもマロン派の信者です。
歴史の長いレバノンなので数々の遺跡がありますが、とりわけバールベック遺跡は中東でも最大規模を誇っています。
スキーと海水浴が同時に楽しめるリゾート地としても知られ、とても魅力のある国です。

写真は、フェニキア時代から5000年続いている町で、バイブルの語源ともなったビブロスで出会った少女です。エキゾチックな容貌が印象的でした。

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2019/04/15

【CD】「上方演芸 戦前黄金時代の名人たち」

演芸に限らず芸能はライブで観るのが一番だが、戦前から戦後にかけて活躍した人たちの芸は録音でしか接することができない。
「上方演芸 戦前黄金時代の名人たち」では、そうした芸人の全盛期の芸が聴ける貴重なCDだ。
ラインナップは以下の通り。

横山エンタツ・花菱アチャコ『早慶戦』 (映画「あきれた連中」より)
初代ミスワカナ・玉松一郎『金色夜叉』 (映画「お伊勢詣り」より)
林田十郎・芦乃家雁玉『運不運』 (実況録音 昭和30年6月4日放送)
松鶴家光晴・浮世亭夢若『お笑い勧進帳』 (実況録音 昭和34年1月1日放送)
東五九童・松葉蝶子『私はジャズ・シンガー』 (実況録音 録音日不詳)
浪花家市松・芳子『歳末歌の蔵ざらえ』 (実況録音 昭和30年5月28日放送)
初代桂春団治『いかけ屋』 (レコード、抜粋)
柳家金語楼『落語家の兵隊(靴磨き) 』(レコード)
初代柳家三亀松『新婚箱根の一夜 』(レコード)

上記の中でライブで観たことがあるのは初代柳家三亀松だけで、他はラジオで聴いた記憶があるだけだ。
上方芸人として柳家金語楼や三亀松の名前があるのは不思議に思うかも知れないが、二人とも戦前は吉本興業に所属していて大阪を拠点に活動していた。戦後は御存じの通り、二人とも東京が中心だった。
戦後、NHKラジオで、林田十郎・乃家雁玉の司会による「上方演芸会」という番組があり、上記のうちエンタツ・アチャコを除く漫才師たちはその番組で知っていた。但し、ミスワカナ・玉松一郎だけは初代のミスワカナが戦後の翌年に急死してしたしまったため、ラジオで聴いたのは2代目以後だ(2代目ワカナは後のミヤコ蝶々、4代目までいた)。

お笑いの世界は残酷で、時代が変わると全く通用しない場合も少なくない。反対に時代が移っても面白さが色あせない人もいる。

エンタツ・アチャコによる『早慶戦』 は今や伝説的となっているが、実はこの二人は人気が出てから早々にコンビ解消していて、映画以外の音源が残されていないとのこと。動きで見せる漫才だったようで、この貴重な音源からは面白さは伝わってこない。

ワカナ・一郎『金色夜叉』では、初代ワカナの甘ったるい歌声から彼女の歌唱や色気が伝わってくる。男女の漫才で女性優位というスタイルを初めて確立したという、これまた伝説的なコンビの魅力が、短い時間ながら片鱗を見せている。森光子はワカナの弟子だった。

十郎・雁玉『運不運』 、戦後の上方漫才の復興に寄与した大御所として知られるコンビだが、子どもの頃にラジオで聴いて時には面白さを感じなかったし、この録音でも面白さは伝わってこない。しかし戦前の古い万歳スタイルを現在の漫才に変えた功労者として地位は揺るぎないようだ。弟子に芦屋雁之助らがいる。

光晴・夢若『お笑い勧進帳』 は、いま聴いても十分に面白いというより、このコンビの芸の確かさに感心する。タイトルの通り歌舞伎の演目のパロディだが、長唄や科白がちゃんとサマになっている。さらに当時大人気だった2代目吉田奈良丸の浪曲の真似まで披露している。この二人の漫才が単なるしゃべくりだけではなく、芸の深さに裏打ちされていることが分かる。

五九童・蝶子『私はジャズ・シンガー』 、この夫婦漫才も当時人気が高かった。ちょいとモダンな感じで、五九童がよく流行歌を披露していた。蝶子が頭を叩くと、しばらくしてから突然に五九童が「痛いな、もう」というギャグが有名だった。

市松・芳子『歳末歌の蔵ざらえ』 も、いま聴いても面白さが伝わってくる。浪花節や演歌師の演歌、伊予節など、様々な音曲を採り入れた芸で楽しめる。会場の反応から察すると、舞台の仕草も楽しかったようだ。

初代春団治『いかけ屋』 と金語楼『落語家の兵隊』は、双方ともにこのレコードの音源だけでは面白さは分からなかった。

三亀松『新婚箱根の一夜 』、いま聴いても艶っぽさは十分に伝わってくる。この人の晩年、夫婦で高座を観たが、妻があまりの色気に身体が震えたと言っていた。それ程の芸人だった。発禁になったレコードが31枚だったいうレコード(記録)保持者だ。
寄席でしばしばトリを取っていたが、音曲の芸人では後にも先にもこの人ぐらいだろう。

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2019/04/13

ワザオギ落語会(2019/4/12)

第17回「ワザオギ落語会」
日時:2019年4月12日(金)18時45分
会場:国立演芸場
<   番組   >
三遊亭わん丈『近江八景』
入船亭小辰『紋三郎稲荷』
桂宮治『壺算』
~仲入り~
笑福亭たま『バーテンダー』
春風亭正太郎『愛宕山』

第17回ワザオギ落語会は、従来と趣向を変えて若手、それも二ツ目が中心の顔づけとなった。
主催者のオフィスエムズの加藤浩さんによれば、早ければ後10年でこの人たちの時代が来るとのこと。誰か忘れてはいませんかと柳亭小痴楽に言われそうだが。
続いて加藤さんは面白い事を書いている。それは「私の好みの噺家は、今回の番組には一人もいません。他に好きな若手の噺家は沢山います。」と。ということは、好みではなく、将来売れるであろう人たちを基準に選んだということだろうか。
私の場合は雑食系なので、比較的好き嫌いは少ない方だと自認しているが、それでも嫌いなタイプというのはいる。今回の出演者の中にもいますね。

わん丈『近江八景』
紹介によれば、元ミュージシャンでバンドをやっていたそうだ。
3代目三遊亭金馬が得意としていた噺だったが、近ごろは演じ手がなく残念に思っていた。
このネタを選んだのは出身が滋賀県だからだそうで、マクラで「近江八景」の説明があったのは良かった。近江八景が、膳所から見た風景だという事を初めて知った。この知識がないとサゲが理解できない。
花魁から客へ近江八景を織り込んだ恋文を、易者がやはり近江八景を織り込んで混ぜっかえすという洒落たネタで、わん丈のリズム感が活きていた。

小辰『紋三郎稲荷』
二つ目で花形演芸会の銀賞を受賞したのだから、実力は折り紙付きだ。
この日は師匠の十八番を演じたが、口調から間の取り方まで師匠そっくりだ。悪くはなかったが、自分の持ちネタにするのは未だ時間が要りそうだ。

宮治『壺算』
桂宮治の高座を初めて観たのは2012年のまだ前座時代からで、今までに10回以上ナマで聴いている。だが、あの「ガツガツした」芸風はどうも好きになれない。嫌悪感があるのだ。
一度だけ、マクラ抜きで古典を静かに演じた事があって、その時だけはこの人の実力を感じた。だから、いつもあんな風に演じればいいのにと思ってしまう。
この日は、瀬戸物屋に来て兄いが店員に、買った壺は天秤棒で担いで行くから手間はかけないから負けろというのだが、家を出る時に天秤棒を持って来る仕込みを忘れている。これでは平仄が合わない。

たま『バーテンダー』
マクラで、部分麻酔で失神してしまった事や、和歌山出身の桂文福の切れるエピソードで予定時間がオーバーして、『鰍沢』に入りかけて途中で新作の『バーテンダー』に切り換えた。こういう例は過去に喬太郎の高座で経験したことがある位で、珍しい。
ネタは、バーテンダーと酔客との珍妙な会話を描いた小品だったが、せっかく『鰍沢』のために仕込んだマクラが生かせなかったのは誤算。
なお、「身延山」を「みのぶやま」と呼んでいたが誤りだ。「山号寺号」の基本を怠ってはいけない。

正太郎『愛宕山』
二つ目が演じた『愛宕山』としては高評価できる内容だった。人物の演じ分け、特に幇間の一八が良く描かれていた。カワラケ投げから一八が谷底に落ちるまでの運びも良かったが、谷底で小判を拾う所から先が息切れしたのか緊迫感に欠ける憾みがあり、最後の山場の客席の反応がいま一つだった。

この日の演者5人はいずれも発展途上にあり、この日の高座にしてもそれぞれの課題が見え隠れしていた。
冒頭の加藤さんの言の様に、この人たちが次の次の時代の落語界を引っ張って行く人たちになれるかどうかは、今後の鍛錬次第ということになるだろう。

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2019/04/11

「チケット不正転売防止」には、これしかない

行きたいと思っていたチケットが取れずガッカリしていると、後でそのチケットがネットで転売されているのを見て悔しい、腹だたしい思いをした方も多いだろう。
なんとかならないもんだろうか、そう思った人もいるだろう。私もその一人だ。
こうした不正な転売を防止する有効な手段というのは、現在のところ無い。
一方、購入したチケットの公演が都合で行かれなくなり、他の人に譲りたいというケースもあり、転売そのものを禁止することは不都合が生じる。

従来はこうした不正転売を防ぐための法律は条令で定められていた。
例えば、「東京都条例第103号第二条」では、乗車券や入場券などを「不特定の者に転売し、又は不特定の者に転売する目的を有する者に交付するため」買う行為を禁止している。
しかし、この条例は元々が「ダフ屋」行為を禁止するのが目的であったのと、購入時点でそれが転売目的かどうかを判断するのは困難で、一部悪質なケースが摘発された例はあるが、不正転売防止には役立っていない。

そこで今回、コンサートやスポーツなどのチケットの不正転売を禁止する「チケット高額転売規制法案」が2018年12月8日に成立した。正式名称は「特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律」で、規制対象となる行為は不正転売とそのための仕入れ行為である。
ここで不正転売とは、興行主に無断で、「業」として販売価格以上の値段で転売をすることを指す。
施行は19年6月14日で、違反した場合には1年以下の懲役や100万円以下の罰金が科される。

この法律が施行されれば、従来よりは不正転売が防げるようになるだろう。
但し問題なのは、対象が「業」として転売されたものに限定されており、個別の取引を「業」か否かを判断する基準をどう設けるかという課題は残る。
また、券面に購入者の氏名や連絡先を明記して、本人以外の入場を認めないと言う方策も検討されているようだが、これは個人情報保護の観点から問題がある。

結局、不正転売を防止するのに有効な手立ては、その興業の入場料の「定価以下の価格の転売のみ認める」ことにするしか方法は無い。言い換えれば、定価を超えた金額で販売したものは、転売を目的にして購入したものと見做すということだ。
既に一部の転売サイトでは実施されているが、こうしたルールを徹底すれば、不正転売は根絶できるだろう。

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2019/04/08

サブタイトルの変更

ブログのサブタイトルを
従来の「中途ハンパ主義宣言」から
「偏屈爺さんの世迷い事」に変更する。
ブログを開設してから10余年、この方が年齢に相応しい様に思う。

 

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2019/04/07

「にぎわい座名作落語の夕べ」(2019/4/6)

第199回「にぎわい座名作落語の夕べ」
日時:2019年4月6日(土)18時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・三遊亭馬ん次『狸の札』
金原亭馬玉『大山詣り』
五街道雲助『九州吹き戻し』
~仲入り》~
桂文治『お血脈』
柳家権太楼『天狗裁き』

「桜がなくても桜木町」、第199回「にぎわい座名作落語の夕べ」は顔づけが良いせいか前売り完売の盛況。

馬ん次『狸の札』 、声も滑舌もいい。

馬玉『大山詣り』
この長屋の大山詣りは毎年喧嘩が起きる。それも相手変われど主変わらずで、いつも発端は熊五郎だ。そこで今年のお山には決め式があって、怒ったら二分の罰金、手を上げたら丸坊主にするというもの。
この出だしの部分にはいくつか演じ方がある。
1、決め式を地噺で説明するもの
2、先達が今年はお山には行かないっと言い出し、周囲がなだめて決め式をするもの
3、先達が熊五郎に長屋で留守番をするよう申し付けるが、熊五郎が反発したため先達が決め式をするもの
馬玉は3、の演じ方で、熊五郎が畳を叩くというのは志ん朝譲りか。
その後は常法の運びだったが、この人らしく丁寧に演じていた。

雲助『九州吹き戻し』
冒頭で、今ではほとんど演じ手がいないと。長いし難しい割には儲からないネタということだろう。他には現役では立川談春が得意としている。
ストーリーは。
「タイコモチ揚げての末のタイコモチ」をそのままに、若旦那の喜之助は放蕩の末に家屋敷を畳んで江戸を出て西に向かい、九州の熊本に着いた頃には路銀を使い果たして一文無しのスッテンテン。ままよとばかり「江戸屋」の看板の旅籠に泊まるが、その主人が偶然にも喜之助とは旧知の遊び仲間。江戸屋も江戸から流れ流れて熊本で旅籠を営んでいたのだ。主人の勧めで旅籠の料理人になったが、腕はいいし、昼は近所の子供に歌や踊りを教え、夜は幇間宜しく座敷で客を取り持つ。客から可愛がられ祝儀が集まり、3年後には100両近くの金が貯まった。江戸屋の主人はもう少し辛抱すれば暖簾分け出来ると勧めるが、100両の声をきいた喜之助は、矢も楯もたまらなく江戸に帰りたくなる。主人にそう打ち明けるとご贔屓に奉加帳を回してくれて、締めて125両が喜之助の懐におさまった。
港に向かうと、折よく江戸へ向かう船がみつかり、いよいよ江戸に向かって船出。最初は天候に恵まれたが、玄界灘に差し掛かった頃に海は大荒れ。大波で船は右に左に大揺れで、喜之助はもう生きた心地もない。2日2晩、木の葉のごとく波に揺られて、ようやく船は大きな音とともに島に打ち上げられた。
気がつけば桜島。喜之助は熊本から薩摩まで、江戸から遠くへ吹き戻されてしまった。
喜之助は、一見居残りの佐平治と重なる様な人物像にも見えるが、佐平次がワルで世間を斜めに構えているのに反し、喜之助は真っ直ぐだ。
江戸を食い詰めて都落ちしていたが、江戸への望郷心は募るばかり。金が出来れば、帰心矢の如し。そうした喜之助の心情を雲助は巧みに描いていた。もう一つの聴かせ所は暴風雨に揉まれる船中の描写で、ここも迫力十分だった。

文治『お血脈』
本編は短いので、仏教伝来にまつわるエピソードや小咄に、クスグリをふんだんに盛り込んだ長いマクラが振られる。文治を初めてという人も多かったのだろうか、会場は大受けだった。
不況に陥った地獄では景気対策として、閻魔大王と閻魔副大王の地盤を結ぶ道路建設が計画された、という時事ネタもあり。

権太楼『天狗裁き』
大声援のせいか、この日の権太楼は気合が入っていた。海外旅行についてのやや長めのマクラから本題へ。
私はこのネタと『夢の酒』が好きだ。その理由はリアリティが感じられるからだ。
夢というのは不思議なもので、内容を憶えている場合もあれば、夢を見たことは憶えていても内容はすっかり忘れてしまっていることも多い。
また、夢の内容を他人に話せない場合もある。以前に、社員旅行に行って温泉に浸かっていると、女子社員たちが代わる代わる湯船に入ってきた夢を見たことがあるが、そんなもん女房に話せる筈がない。絶対に軽蔑されるに決まっている。だから、この男の気持ちは良く分かる。
権太楼の高座では、どうやらこの男、夢の中で女性の名前を口走ったようだ。それがサゲになっていた。

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2019/04/06

「平成30年度花形演芸大賞」受賞者

国立演芸場の平成30年度「花形演芸大賞」受賞者が以下のとおり発表された。

【大賞】 
江戸家小猫(ものまね)

【金賞】
神田松之丞(講談)
桂吉坊(上方落語)
三笑亭夢丸(落語)
坂本頼光(活動写真弁士)

【銀賞】
古今亭志ん五(落語)
うしろシティ(コント)
入船亭小辰(落語)
桂雀太(上方落語)

江戸家小猫の大賞受賞は意外だった。もちろん、技量的には問題なしだが、過去に色物のそれもピン芸人の大賞受賞というのは記憶にない。研究熱心だし、トークにも磨きがかかってきた点が評価されたのだろう。

神田松之丞、昨年の銀賞に続き、今年度は金賞の最高位にランクされた。してみると、来年はいよいよ大賞狙いということになる。芸には批判もあるようだが、講談という分野に脚光を浴びせた功績は大きい。
桂吉坊の金賞は当然で、むしろ遅きに失した感さえある。
三笑亭夢丸の受賞も順当な所だし、活弁の坂本頼光の様に世間からあまり注目されていない芸能が評価されたのは嬉しい。

銀賞で古今亭志ん五、入船亭小辰の落語協会所属の噺家の名前がようやく出てきたのはちょっと寂しい。一之輔以後にとびぬけた若手が出現していないのだ。
落語界でも10年に一人の逸材がそろそろ芽を出してもいい頃だと思うのだが。

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2019/04/05

「立川志の輔 独演会」(2019/4/4)

「立川志の輔 独演会」
日時:2019年4月4日(木)18時30分
会場:銀座ブロッサム
<  番組  >
前座・立川志の大『二人癖(のめる)』
立川志の輔『ハナコ』
~仲入り~
マグナム小林『バイオリン漫談』
立川志の輔『百年目』

4月1日に新元号として「令和」が発表されたようだ。2日の夕方になって知った。出典がどうのと解説されているようだが、所詮は元号なんて記号の様なものだ。面倒だからいっそ西暦に統一した方がいい。
元号は日本の伝統とか言ってるが、明治の改暦(明治6年/1873年)でそれまでの旧暦(天保暦)を西暦(グレゴリオ暦)に代えてしまったので、その時点で連続性は失われている。

志の輔『ハナコ』
「予めお断りしておきますが」がテーマの新作落語。こう言っておけば、後からクレームになることが避けられる。最近、電器製品など買うと、実に細かな注意書きが付いてくるのも、その手合いだ。そのくせ「詳しいマニュアルはウエブで」なんてね。
ストーリーは。
3人の男の客、がある旅館に泊まりにくる。源泉かけ流しの温泉と、黒毛和牛食べ放題に惹かれたのだ。宿に着くといきなり女将が、従業員の一人が休んでいると言い出す。理由を訊くと、人手が足りないと迷惑をかけるからと言う。温泉に入りたいと言うと、外へ連れ出され長い坂を上るとそこには源泉が噴出している。確かに源泉が旅館に引かれていることを示すためだ。
さあ、いよいよ黒毛和牛だと客がワクワクしながら待っていると、そこに牛飼いの男が現れ、引いてきた牛に向かって「おい、ハナコ。これからお前がこのお客さんたちに食べて貰えるんだぞ」と語りかける。客が女将に怒ると、確かに黒毛和牛であることを証明するためだと言う。すっかり和牛を食べる意欲を無くした客に、「それならオーストラリア産の牛肉ならあります。名前はメリー」。こんな風に何でも先回りして訊きもしないことを説明する女将だが・・・。
志の輔の新作は、現代のある風潮を切り取ってそこを強調し笑いを取るのが特長だが、この作品も同様だ。
これで客席を終始沸かせるのも、志の輔の話芸の巧みさだ。

志の輔『百年目』
桜が満開の時期のネタでタイムリーな選択。
冒頭の番頭が他の奉公人に小言をいう場面はあっさりと。芸者を「車が迎えに来ることのか(迎車)」と返すのが独自のクスグリ。
番頭が芸者や幇間を伴って向島に花見に向かう所から主人と鉢合わせするまでは通常の運び。
番頭が先に店に戻り仮病で2階に寝た後で戻ってきた主人が奉公人に、顔を上に向けながら「大事な番頭が風邪なら、医者の5,6人も呼んで来なさい」と大声で怒鳴るのだが、主人が怒っていることを殊更に協調して見せていた。
翌朝、主人が番頭を部屋に呼んでからが、通常とかなり変わっていた。
主人が煎茶道を習っているという設定で、番頭を前にして長い時間をかけて煎茶をたてる。敢えて長い間を置いてから、主人が例の「旦那」の語源を話し始める。続いて、初めて店の帳簿を検めたが、針ほどの穴も見つからなかったと語り、番頭の遊ぶ金は番頭の客が出したものだろうと指摘した。金の出所を明確に指摘する演じ方は初めて聴いた。
ここから主人は、今まで番頭の商才に気付かなかった事を詫び、1年先に暖簾分けすることを約束し、それまでは従来通り店の番頭を続けて欲しいと要請する。
もちろん番頭は感激し主人の要請を有り難く受け容れるのだが、これを主人が喜び、もし断られたらどうしようと一晩中悩んでいたと明かす。
だが、これは変だ。
なぜなら、番頭の方から辞めるという選択肢が無いし、申し出る必然性もない。番頭としてみれば醜態の責めを免れただけでも御の字であり、引き続き雇用が継続されるようになったのだから言う事なしである。
主人の方が悩む必要など一切無い。
せっかくの熱演も、この結末で台無しにしてしまった。

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2019/04/03

1%の感動のために・・・

寄席や落語会へは、毎年70回ほど通っている。平均すれば、年間に数百席の落語を聞くことになる。
「良かった」「面白かった」「上手かった」と思える高座にはしばしば出会えるが、「感動した」「心が揺さぶられた」と思える高座というのは年に数席しか出会えない。つまり、そうした高座に巡り合える確率というのは1%程度なのだ。
その1%に会いたくて寄席や落語会に通っているわけだが、それだけに出会えた時の喜びは一入だ。

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