フォト
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 三遊亭圓生『早桶屋』で分かった「図抜け大一番小判型」の謎 | トップページ | 国立名人会(2019/4/21) »

2019/04/22

三田落語会「一朝・新治」(2019/4/20)

第57回「三田落語会」夜席
日時:2019年4月20日(土)18時
会場:文化放送メディアプラスホール
<  番組  >
前座・金原亭乃ゝ香『堀の内』
春風亭一朝『唖の釣り』
露の新治『抜け雀』
~仲入り~
露の新治『千早ふる』
春風亭一朝『刀屋(おせつ徳三郎・下)』

長く通っていた落語会でも会場が変わると足が遠くなる。この三田落語会も、以前の仏教伝道センターから今の文化放送メディアプラスホールに会場が移ってから出向くのは今回が初めてだったが、やはり雰囲気が違う。前の様な手作り感が薄れた気がする。
入場料が上がったのと、次回公演のチケット前売りが無くなった。

乃ゝ香『堀の内』、久々に下手な前座に出会った。

一朝『唖の釣り』
差別的表現があるのでマスメディアでは放送できないネタだ。
一朝のの良さは持ちネタが多く、しかも当たり外れの無いこと。貴重な存在だ。

新治『抜け雀』
このネタのサゲは、一文無しだった絵描きがっ立派になって宿に戻り、父親の書いた絵を前にして親不孝を詫びる。宿の亭主が訝ると、「親を駕籠かきにした」というもの。これを「駕籠かき=下賤な職業」と解釈してきたが、新治の解説だとこれは間違いだった。
このセリフは元々が浄瑠璃の『双蝶々曲輪日記』の中で、娘が乗った駕籠を担いでいたのが父親だと知って嘆くセリフから採ったものとのこと。その由来は、昔は死者を駕籠に入れて葬ったのだが、子どもが先に死ぬと親が駕籠を担ぐことになる。これが「先立つ不孝」になるので、先の様なセリフが生まれるのだと言う。
落語は深いね。こういう解説を聞くとネタの奥行きを感じる。
ストーリーは東京の高座と同じだが、絵描きが衝立を前にして、筆を持ったまま下腹に力を入れてから一気に描いていたことだ。父親の場合は、片手襷に操ってから絵を描いていた。こうした仕草を入れることにより、絵に魂を込めていることを表現させている。
新治の解釈や仕草を、東京の噺家はもっと研究した方が良い。

新治『千早ふる』
こちらも東京のものとストーリーは同じだが、独自のクスグリが面白かった。
例えば、龍田川が相撲とりだと聞かされると、男が「そんな名前は知らない」と否定すると、甚兵衛が引力を持ち出して「お前が引力を知る前から引力は有った」。存在と認識の哲学的問答だね。
甚兵衛が「お前がそんなんだから、お前の女房があんな事するんだ」、男が「え、うちの女房がなにしたんでっか?」と言うと、甚兵衛は「そんなもん、女房に訊け!」と答える。このヤリトリが何度か繰り替えされる。
とにかく、二人の会話の妙がやたら可笑しかった。

一朝『刀屋(おせつ徳三郎・下)』
おせつ徳三郎・上の『花見小僧』は時々高座に掛かるが、下の『刀屋』は演じる機会が少ない。
おせつとの深い仲が主人に知れて店を馘首された徳三郎が、おせつが婿取りをすると聞いて逆上し、婚礼の場に乗り込んで二人を斬るために刀屋を訪れる。どうも様子が変だと気付いた刀屋の主が事の経緯を聞き、徳三郎を諫める。そこへ出入りのカシラが店に来て、おせつが婚礼の席から逃げ出したと告げると、徳三郎は店を飛び出しておせつを探しだす。深川で再会を果たした二人だったが、追手が近づいたことを知り題目を上げながら川に身を投げて心中を図るが、場所が木場だったので材木の筏の上に落ちてしまう。
「お題目(材木)のお陰で助かった」のサゲは『鰍沢』と同じ。
一朝の高座は、この噺の勘所である刀屋の主人の厳しさと優しさが良く表現されていた。

 

« 三遊亭圓生『早桶屋』で分かった「図抜け大一番小判型」の謎 | トップページ | 国立名人会(2019/4/21) »

寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

三田落語会も遠くなりにけり。
喜多八とともに消えて行きました。

『抜け雀』のサゲについて、以前拙ブログで書いたことがあります。
リンク先のURLです。
新治のように、丁寧に説明してくれると、上方版のサゲもよく理解できますね。
とはいえ、私は志ん生に代表される東京版のサゲも悪くはないと思っています。
大門に会場が移りましたか。
そのうち、行きたいものです。

佐平次様
三田落語会も会場が変わり出演者の顔ぶれも変わってきました。
私も足が遠ざかっていましたが、今回は露の新治がでるので、出向いた次第です。

小言幸兵衛様
「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて・・・」という浄瑠璃の口説きが元になっていることは、さすが既に貴ブログに詳細に書かれていました。
新治の解説では更に一歩進んで、子どもが親より先に亡くなることが最大の親不孝だという指摘が胸に落ちました。親に駕籠を担がせることは、「先発つ不孝」だったんですね。

>『抜け雀』のサゲについて、以前拙ブログで書いたことがあります。
>リンク先のURLです。
>新治のように、丁寧に説明してくれると、上方版のサゲもよく理解できますね。
>とはいえ、私は志ん生に代表される東京版のサゲも悪くはないと思っています。
>大門に会場が移りましたか。
>そのうち、行きたいものです。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 三遊亭圓生『早桶屋』で分かった「図抜け大一番小判型」の謎 | トップページ | 国立名人会(2019/4/21) »