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2019/06/30

さだまさし・らくごカフェ・武道館

歌手のさだまさしが落語ファンで、学生時代に「オチ研」に入っていたとは、以前耳にしたことがあるが、神保町にある「らくごカフェ」との意外な関係について、月刊誌「図書」7月号に本人が書いている。

さだは國學院高校の時に落語研究会に所属していた。先輩に橘家二三蔵(7代目橘家圓蔵門下)がおり、さだが在学中に鈴本演芸場で落語会を開いたほどの由緒ある落研とのことだ。OBたちが集まって「語院居の会」を作っているが、さだが会長で、後輩の青木伸広が世話人代表。その青木が「らくごカフェ」のオーナーだ。
10年前に青木が突然「寄席の席亭になります」と言い出した。周囲はどうせ長続きしないからと止めたが、青木は「多分だめでしょうが、もし10年続いたら何かご褒美をください」というので、さだは「ああ、何でもやるよ」と答えていた。それが今年で10年もっちゃたのだ。

ご存じの通り、東京の落語家には階級制度があるが、最も難しいのは「二つ目」の時と言われている。師匠の身の回りの世話が無くなるが、生活は全て自分でしなければいけない。焦りや悩みで自分を見失い、脱落してゆく人も少なくない。
そうした二つ目の噺家に勉強会や独演会の場を与えるのが小さな寄席の存在だ。
「らくごカフェ」は座席数が50席ほどで、席料は2万円。入場料1000円として20人入れば赤字にならなくてすむ。30人入れば1万円の収入となり、貧しい落語家にとっては大きな励みになる。そうした若手に愛され支えられて10年続いたのだ。

その青木が突然、10周年記念の落語会を、それも武道館でやりたいと言い出した。「先輩、約束通りご褒美をください」とさだに出演を依頼してきた。青木が予て知り合いの志の輔と談春にさだを加えての侃々諤々の議論の末、今年の2月25日に武道館の落語会が開催された。
プログラムは、第1部が若手が集まって盛り上げ、最後は一之輔が『堀の内』を演じた。
第2部は、さだまさしのライブ。
第3部は、談春が『紺屋高尾』を演じた後に、さだが『いのちの理由』を歌った。
第4部は、志の輔が『八五郎出世』を演じた後に、さだが『親父の一番長い日』を歌って、お開き。
当日は、平日の午後4時開演にもかかわらず、8000席が完売という盛況。5時間の長丁場は熱気に溢れていた由。
落語通と呼ばれている人にも好評で、出演者一同も「武道館で落語って、ありですね」とすっかり気を良くしていた。

「僕は自信ありましたけどね」と言った青木、実はこのプログラムにある仕掛けが施してあった。
それは、談春と志の輔のそれぞれの1席の後のさだまさしの歌が、ネタへの「返歌」になっているのだ。その理由は、落語とさだまさしの歌に詳しい人には分かる。
そう聞かされたさだは、そっと涙ぐんだ。

 

2019/06/29

ハチャトゥリアン・コンチェルツ(2019/6/28)

「ハチャトゥリアン・コンチェルツ」~チェロ、ピアノ、ヴァイオリンのための3つの協奏曲を一気に聴く一夜
日時:2019年6月28日(金)19時
会場:横浜みなとみらい大ホール
<  出演者  >
川瀬賢太郎(指揮)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 (ゲスト・コンサートマスター 豊嶋泰嗣)
石坂団十郎(チェロ)
佐藤卓史(ピアノ)
郷古廉(ヴァイオリン)
<  プログラム  >
アラム・ハチャトゥリアン:
チェロ協奏曲 ホ短調
ピアノ協奏曲 変ニ長調
ヴァイオリン協奏曲 二短調

先ずお断りしておきたいのは、このコンサートに不純な動機で行ったというと。「チケットぴあ」で購入しているとポイントが貯まるのだが、そのポイントを引き換えようとしてもなかなか良いコンテンツに当たらない。ポイントは一定期間が過ぎてしまうと切り捨てになる。先日たまたまポイント引き換えのサイトを見ていたら、このコンサートを見つけた、と言うわけだ。
このコンサートは私にとって初めてづくしだ。ハチャトゥリアンの曲をナマで聴くのは初めて。チェロ協奏曲というのをナマで聴くのも初めて。そして、一度に3曲の協奏曲を聴くのも初めてだ。
ハチャトゥリアンの曲で頭に浮かぶのは、「剣の舞」と「仮面舞踏会」ぐらいだもの。
演奏に先立ってコンサートを企画・監修した池辺 晋一郎のプレトークがあり、作曲家がチェロ、ピアノ、ヴァイオリン協奏曲を全て書いた例は少ないらしい。古典派のハイドンと、他には20世紀に入ってハチャトゥリアンを初めてして当時のソ連の作曲家たちの例がある程度とのこと。
まして、3つの異なった協奏曲を一度に演奏するなんざぁ、過去に例がないそうだ。貴重な会に参加したということになる。

ハチャトゥリアンはジョージア生まれのアルメニア人というから、ソ連の中でも辺境の出身ということになる。
そのせいか、アルメニアの民族音楽をとりいれた東洋的な「土くさい」音楽が特色だそうだ。アルメニアには旅行で行ったことはあるが、音楽のことはよく分からない。
ざっと感想を言うと、それぞれの演奏はとても良かった。どれだけ良かったかと言えば、休憩を含んで2時間40分の演奏中、一度も居眠りしなかった。それだけ惹き込まれたということだ。演奏者の熱気が伝わってくるようだった。
動機は不純でも、結果はとても満足!

 

2019/06/27

人形町らくだ亭(2019/6/26)

第84回「人形町らくだ亭」
日時:2019年6月26日(水)18時50分
会場:日本橋劇場
≪  番組  ≫
前座・橘家門朗『道灌』
春風亭一之輔『かぼちゃ屋』
五街道雲助『お化け長屋』
~仲入り~
三遊亭わん丈『魚の狂句』
柳家さん喬『船徳』

門朗『道灌』
二つ目が近いようだが、せりふの間の取り方に進歩が見られない。

一之輔『かぼちゃ屋』
この人の演じる与太郎は、バカというより強かさを感じる。これなら世の中十分に渡っていけそうだ。
一之輔、仲入りで自著の本を販売していた。かぼちゃ屋から本屋に変身!

雲助『お化け長屋』
強面の兄さんにいちいち混ぜっ返される古狸の杢兵衛の表情が良い。段々追い詰められてゆく様子がよく分かる。
せっかくこのネタを雲助が演じるなら、出来れば上で切らず下まで演って欲しかったというのは、ちと贅沢かな。

わん丈『魚の狂句』
三遊亭圓丈門下の末弟ながら、最も将来性が期待される人だ。先ず、噺家としてセンスがある。もっとも噺家だから扇子があるのは当たり前か。
ネタは上方の古典落語で、魚を織り込んだ狂句(川柳)が次々と披露されるのだが、最近は演じる人も少ないらしい。わん丈は上方の師匠から教わったそうだが、タイトルと状況設定だけ借りて、中身は本人の新作に近い。
2020年代にはこの人が伸して来る予感がするというのは、褒め過ぎかな。

さん喬『船徳』
さん喬の演じる古典には、所々独自の解釈が行われることが多い。それが当たっている時は良いのだが、時おり首を傾げることがある。
今回の高座でいえば、船に乗る二人の客の片方が日傘をさしたまま乗船していた。この船は猪牙舟だから屋根が無いから日傘という理屈だろうが、果たして日傘をさしたまま船に乗る人がいるだろうか。少なくとも船頭にとっては前方が見えにくくなるので嫌がるだろう。特にこの船は大川に出る所で3べん回るわけだから、傘をさしていたら危ない。こうした必然性のない改変は噺の面白さを減じてしまう。
徳が船を漕ぎながらいい喉を聞かせたり、乙を気取って見得を切る所は工夫されていただけに残念だ。

 

2019/06/22

【書評】サピエンス全史(上・下)

ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (訳)「サピエンス全史(上・下)文明の構造と人類の幸福」 (河出書房新社 2016/9/8初版)

話はそれるが、落語に『胴切り』というネタがある。侍の試し切りで、男の胴と足が真っ二つ。上半身の胴は銭湯の番台で、下半身の足は蒟蒻屋でそれぞれが働くというストーリーだ。これが架空の話だと思っていたが、どうやら現在の技術で実現可能なのだ。
2008年にバイオニック生命の技術を使って、米国のノースカロライナ州のアカゲザルが椅子に座ったまま、日本の京都にあるバイオニックの足を思考で制御する実験に成功した。
ね、凄いでしょ。
でもこのまま技術が進んでいけば、私たち人類(ホモ・サピエンス)の未来はどうなっていくのだろうか。やがて、私たち人類を超えた別の人類が生まれるかも知れない。
7万年に及ぶサピエンスの歴史を振り返って、未來を考えていく事の重要性を本書は訴えている。

上下で600ベージになる本書はタイトルだけ見ると専門書のように見えるが、文章は平易で読みやすい。
以前から娘に薦められていたのだが無視していたら、とうとう「さあ、読みなさい」とばかり本が届けられた。仕方なく読み始めたが、これが面白い。夢中になって読了してしまった。
人類がこの地球に誕生した時には、サピエンス以外のいくつかの人類が存在していた。しかし他の人類が全て絶滅したが、サピエンスだけは生き残った。いや、他の人類だけでなく地球上の大半の生物を絶滅に追い込み、牛や豚、鶏、羊といった食料に必要なものだけを家畜化してきたのがサピエンスの歴史だ。

では何故サピエンスだけが生き残れたのか。それはサピエンスだけが「虚構」を信じることが出来たからだと著者は主張する。
他の人類では集団の人数が数百名が限度だったのに、サピエンスだけは数千名から数万名の集団が一つにまとまることが出来た。
例えばここに1本のバナナがあるとする。今このバナナを食べるのを我慢すれば、やがてそれが10本、20本になると。あるいは天国に行けると言われると、サピエンスは信じることが出来た。神を国家を帝国の存在をサピエンスは信じることができた。「1万円」と書かれた紙片を、なんの疑いもなく1万円と信じて使うことが出来る、これがサピエンスの特質だというのだ。

次に1万年前から始まった「農業革命」が、サピエンスの生活を一変させる。それまで小さな集団で移動しながら狩猟生活を送っていたが、農耕生活を送るために一定の土地に定住するようになり、単位面積当たりに暮らせる人数が爆発的に増加する。同時に統合への道を歩み始める。その推進力をなったのは、貨幣と帝国、そして宗教(イデオロギー)だった。
500年前に起きた「科学革命」はサピエンスのみならず、地上のあらゆる生命の運命を変えてしまった。そのきっかけは、サピエンスが無知であることを認めたからだと著者はいう。自らの無知を認めることにより、貪欲に知識を求めることが出来た。科学は政治と経済相互に依存して発達してきた。それらを最も効率的に動かしてきたのが資本主義と帝国主義とだと著者は主張する。

人類は進歩し全体的には生活は豊かになってきた。しかし果たして人類は幸せになったと言えるだろうかと著者は反問する。進歩が幸福と結びつくためには科学は何をなすべきだろうかと。
今ヒトゲノムの解析技術が進歩し、ネアンデルタール人を生み出すことも既に可能となっている。
遺伝子組み換え技術により、通常の何倍もの記憶力を持つマウスもできた。本来は乱交であるマウスを一夫一婦制のマウスに変えることもできた。
これらの技術がヒトに利用されることは、倫理や政治上の制限から禁止されている。しかし、認知症を発症しない、病気に罹りにくい、といった効果が期待された場合、果たして禁止し続けられるだろうか。
また、倫理感や政治体制というのは流動的なものだ。
フランケンシュタインが生み出される日も、そう遠くないかも知れない。
最後に著者は、私たちが直面している疑問は「何になりたいのか」ではなく、「何を望みたいのか」だと結んでいる。

一読の価値のある著書である。

 

2019/06/19

国立6月中席(2019/6/18)

国立演芸場6月中席・8日目

前座・桂こう治『桃太郎』
<  番組  >
春風亭昇市『看板のピン』
林家喜之輔『紙切り』
古今亭今輔『葛湯』
山上兄弟『奇術』
桂小文治『七段目』
~仲入り~
玉川太福『自転車水滸伝』
三遊亭右左喜『銀婚式』
チャーリーカンパニー『コント』
古今亭寿輔『老人天国』

国会で麻生副総理が年金を貰ってるかどうか知らないという発言が追及されているが、問題はそこじゃない。
麻生太郎の年金に関する過去の発言は、その時々でクルクル変わっている。正反対の意見を平気で述べている。要するに麻生太郎は年金問題になんか関心が無いのだ。国民の生活など一顧だにしないその姿勢が、政治家としての資質を欠いている所に問題があるのだ。

国立演芸場6月中席は芸協の芝居。お目当ては小文治と寿輔。

昇市『看板のピン』
ああリズムが悪くちゃ、笑うに笑えない。

喜之輔『紙切り』
初見。腕前は?ウ~~ン。

今輔『葛湯』
この辺りから寄席らしくなる。マクラで群馬県出身だと言ってたが、それなら先代とは群馬つながりになるわけだ。
祖母が葛湯や辛子湯が好きだから用意するよう言いつけられた孫の嫁が、葛風呂や辛子風呂に祖母を入れてしまうというストーリー。
この日しみじみと見ると、この人、噺家というより格闘家の様な風貌だ。

山上兄弟『奇術』
イリュージョンマジックでなかなか鮮やかなものだったが、客席の反応が今一つだったのは、分からない方がいたのかも。

小文治『七段目』
歌舞伎の所作の美しさに瞠目。とにかく身体の動きが綺麗で、女形を演じる時の顎と肩の使い方に感心した。所作の美しさでは、この人が当代一ではなかろうか。見得の切り方といい、セリフの発声といい、言う事なし。きっと『淀五郎』なんていいでしょうね。

太福『自転車水滸伝』
通勤で自転車を使っているようで、その自転車にまつわるエピソードを浪曲に仕立てたもの。水滸伝としたのは、玉勝の『天保水滸伝』の連想からか。

右左喜『銀婚式』
昔々聴いたことがあるネタだと思ったら、3代目三遊亭円右作だった。新作も時代がズレちゃうとねえ。

チャーリーカンパニー『コント』
「おじさん、これ賞味期限をきれてるよ」「そうかい、じゃシール貼り替えておくから」なんてね。面白いネタだと思ったが、何だか二人のセリフがかみ合ってなかったなあ。

寿輔『老人天国』
一応タイトルは付いているが、中身はマクラに使う小咄の寄せ集め。人情噺を掛けようと思っていたが、声の調子が悪いのでとのことだったが、短くても良いから何か一席演じて欲しかったね。
トリが逃げたんで、何とも締まらなくなってしまった。
小文治の高座が収穫だったから、まあいいか。

 

2019/06/16

花形演芸大賞受賞者の会(2019/6/15)

「平成30年度花形演芸大賞受賞者の会」
日時:2019年6月15日(土)18時
会場:国立演芸場

<  番組  >
前座・柳亭市朗『手紙無筆』
古今亭志ん五『魚男』
うしろシティ『コント』
坂本頼光『活弁”石川五右衛門の法事”』
三笑亭夢丸『権助提灯』
神田松之丞『扇の的』
―仲入り―
『平成30年度花形演芸大賞 贈賞式』 司会:桃月庵白酒
【大賞】 江戸家小猫(ものまね)
【金賞】神田松之丞(講談) 桂吉坊(上方落語) 三笑亭夢丸(落語) 坂本頼光(活動写真弁士)
【銀賞】古今亭志ん五(落語) うしろシティ(コント) 入船亭小辰(落語・欠席) 桂雀太(上方落語)
桃月庵白酒『粗忽長屋』
桂雀太『商売根問』
桂吉坊『胴切り』
江戸家小猫『ものまね』

マクラ代わりに全体の感想をいくつか。
受賞者の会に前座を出す意味が分からない。どうしても出すと言うなら普段の寄席の様に開演前に出すべきだろう。
審査員の講評が踏み込み過ぎていた。こういう場で、あまり個人的な感想を述べるのは感心しない。
神田松之丞が昨年銀賞だったのが(或いは今年大賞でなかったのが)不満なのか、昨年の他の受賞者に対して批判的な意見を述べていたのは頂けない。もしかしたら本人が意識的にやってるのかも知れないが、思い上がった態度に映ってしまう。
こうしたお目出度い会なんだから、万事サラリとスマートにね。

審査員の講評でも述べていたが、入賞者にいわゆる色物の芸人が目立つ反面、東京の落語家の影が薄い。ここ20年を振り返っても喬太郎から白酒、三三、そして一之輔まで次々と優秀な若手を輩出してきたが、一之輔以後がパッタリ止まってしまった。後継の若手の奮起を望みたい。

志ん五『魚男』
癒し系の噺家。この日は趣味が全て魚に関係したものという男が主人公の新作。ユッタリ、ノンビリ。

うしろシティ『コント』
初見。普段はライブ中心に活動していて、寄席の舞台で受けるかどうか心配していたようだが、受けていた。我々の様な年配者にも分かり易いコントだった。

頼光『活弁”石川五右衛門の法事”』
1930年の松竹蒲田製作の無声映画で、主演は渡辺篤、と言っても、よほどの映画ファンでなけりゃ知らないでしょうが。
五右衛門の子孫が窮地に陥ると釜の中から先祖の五右衛門が出てきて助けるという、スラップスティック・コメディ映画。頼光の活弁は所々に毒が入るのが魅力。

夢丸『権助提灯』
短いネタだが、人物の演じ分けが出来ていた。審査員からマクラが下ネタと言われていたが、決して下品ではなかった。

松之丞『扇の的』
大人気で今や飛ぶ鳥を落とす勢いとはこの人。今年度は金賞、審査員の言によれば次は大賞を狙えるとのことで、専門家の評価も高い様だ。私はこの人の高座を数回観てきたが、若手にしては上手いとは思うが、素晴らしいと感心する高座には出会えていない。だから、なぜこれ程の高い評価を受けているのか、正直良く分からないのだ。
この日も並の出来だった。

白酒『粗忽長屋』
時間に追われて急いだ高座だったが、噺の勘所は押さえていたのは、さすがだ。

雀太『商売根問』
大賞の小猫を別にすれば、この人の高座が最も良かった。短い時間ながらテンポ良くサゲまで演じた。会話の間の取り方も巧みで、大器を予感させる人だ。

吉坊『胴切り』
上方落語の本寸法と言っていいだろう。何を演じても合格点に達する技量の持ち主だ。反面、この噺はこの人という決定打に欠ける憾みがある。そこを打ち破れるかがこれからの鍵だろう。

小猫『ものまね』
色物としては、花形演芸大賞史上3人(組)目の大賞受賞となった。個人では初となる。審査員も全員が満点だったそうだが、物真似の技量だけでなく、トークや構成に至るまで完成度が高い。
私は猫八三代の高座を観ているが、全ての面でこの人が最も優れていると思う。

 

2019/06/13

鈴本6月中席・夜(2019/6/12)

鈴本演芸場6月中席夜の部・2日目

前座・三遊亭歌つを『子ほめ』
<  番組  >
金原亭馬太郎『元犬』
翁家勝丸『太神楽曲芸』
春風亭㐂いち『やかん舐め』
古今亭菊丸『親子酒』
すず風 にゃん子・金魚『漫才』
桂藤兵衛『相撲風景』
柳家喬太郎『そば清』
─仲入り─
柳家小菊『粋曲』
春風亭正朝『悋気の火の玉』
林家楽一『紙切り』
金原亭馬治『片棒』

犬や猫にマイクロチップを埋め込むことが法案化したようだ。この分じゃ次は人間か。こんな事が冗談では済まない状況になってる気がする。

政府・与党は、公的年金以外に2千万円の蓄えが老後に必要と試算した金融庁審議会の報告書を、夏の参院選に悪影響とみて撤回した。
政府の審議会なんてもんは、政府の方針にお墨付きを与えるだけの代物だ。何のことはない、テメエでやらしといて、テメエで引っ込めたわけで、とんだ茶番だ。それにしても麻生太郎のツラって、どうにかならないもんかね。

鈴本の6月中席、春風亭㐂いちの二つ目昇進と、仲入りが喬太郎、トリは馬治という顔づけ。
開演の時はかなり空席が目立ったが次第に客が増えてきて、落ち着かない雰囲気だった。

歌つを『子ほめ』
歌奴の弟子、高知県出身だから「かつお」と洒落たのか。

馬太郎『元犬』
今年2月に二つ目昇進。随分と真面目そうな容貌だ。踊りのサービスあり。

勝丸『太神楽曲芸』
今回で3度目だが、未だ技量が不足してる。

㐂いち『やかん舐め』
上手く演じていたが、ちょいと硬かったかな。

菊丸『親子酒』
この人の登場で俄然寄席らしい雰囲気になってきた。軽く演じていたが客席をしっかり掴んでいた。

にゃん子・金魚『漫才』
いつも思うのだが、このコンビって何が面白いんだろう。

藤兵衛『相撲風景』
サラリと、ベテランの味。

喬太郎『そば清』
立ち食いそばのマクラだったので、もしや『時そば』かと思ったが、こっちだった。もう夏だもんね。20枚、30枚、50枚の時のそばの食べ分けで沸かせる。

小菊『粋曲』
歳を重ねても声が落ちないとこが凄い。よほど鍛錬してるんだろう。
I ♡ Kogiku.

正朝『悋気の火の玉』
この人を含め、この日はベテランの味が光っていた。それぞれが自分の役割をわきまえているのは、さすが。

楽一『紙切り』
客席からのリクエストで「子育て幽霊」に、「それってなんですか?」と訊き返していた。他は「美女と野獣」「ラグビーワールドカップ」、紙切り芸人は大変だ。

馬治『片棒』
このネタ、一朝が演じると祭り囃子の口真似で拍手が起きる。そうした盛り上がりもなく平凡な出来だった。
トリネタとしては物足りなかったかな。

 

2019/06/08

国立6月上席(2019/6/7)

国立演芸場6月上席・7日目

前座・柳家小ごと『道具屋』
<   番組  >
古今亭志ん吉『道灌』
柳家喬之助『初天神』
アサダ二世『奇術』
五明樓玉の輔『お菊の皿』
柳亭小燕枝『青菜』
─仲入り─
ニックス『漫才』
柳亭左龍『おしくら』
翁家勝丸『曲芸』
むかし家今松『水屋の富』

国立演芸場の6月上席は落協の芝居で、渋めの顔づけ。この日から梅雨入りという天候もあってか、やや寂しい入りだった。
お目当ては久々の今松。

小ごと『道具屋』
一琴の弟子。これは上手くなりそうだ。

志ん吉『道灌』
八五郎が隠居に「歌人」や「帰城」の意味を質問したが、「歌道」の意味は尋ねなかった。落としてしまったのか、それともこういう型なのか。サゲに直接係わる所なので気になった。

喬之助『初天神』
高座に上がっただけで客席まで明るくなるってぇのは得だね。
飴や団子をねだる時の金坊の表情が良い。あれじゃ買ってやらないといけなくなっちまう。

玉の輔『お菊の皿』
この人らしい軽快な運びだったが、クスグリが多用され散漫な印象になってしまった。このネタは真っ直ぐに演じても十分に面白いのだが。

小燕枝『青菜』
声とリズムが良すぎるせいか、眠ってしまった。

ニックス『漫才』
頑張ってるのは伝わってくる。ツッコミ役のキャラ立てが何か欲しい所だ。

左龍『おしくら』
「おしくら」とは宿の飯盛り女のことで、つまり昼も夜も接客するという女性。このネタは左龍の独走状態で、噺を聴いていて左龍と「おしくら」の顔が重なってくる。見事な顔芸。

今松『水屋の富』
マクラで江戸の飲料水事情の説明があった。玉川上水と神田上水が設置されて「水道の水で産湯を使った」のを自慢した江戸っ子だが、本所や深川は水質が悪く、神田・玉川上水の余り水を舟に積み運び、水売り(水屋)が天秤棒で売り歩いた。水屋が休んだりしたら住民の死活問題になるので、何があっても休むわけにはいかない。一方、水屋は一年中水の桶を天秤棒に担いで売り歩かなくちゃならない。歳を取ったらとても続けられない。
ここまでの説明があって、グッとこのネタが分かり易くなる。
この水屋は、他の商売の元手を作るために富籤を買うと、これが千両富に当たってしまった。 大喜びするが、さて困ったのは商いに出掛けた際の金の置き場だ。色々迷った挙句、袋に小判を詰めこみ床下にぶら下げることにした。こうしておけば誰も気づくまいと。朝晩は竿で突いて金が無事か確かめることにした。処が、表に出ると通りがかりの人間が皆怪しく見えてしまう。その度に気になって家に戻る。そのため水を届けるのが遅くなり、毎日客から怒られる。夜になれば、強盗に入られて刺されたり首を刎ねられたする夢にうなされ、眠ることも出来ない。その内、水屋の向いに住む博打うちが、水屋が朝晩必ず床下を竿で突くのをみてきっと大事なものを隠しているに違いないと、水屋が商いの出ている内に家に忍び込み、床下につるした金を全部盗んでしまう。帰ってきた水屋が金を盗まれた事を知り、「ああ、これでゆっくり眠れる」でサゲ。
『壺算』という落語にも出てくる「一荷(いっか)」だが、天秤棒で担いで歩ける量を指す。推定だが水で20リットルの桶を前後にして、総重量で約50kgだとしよう。これで一軒の分量。家によっては二荷だと二往復することになる。一人の水屋が恐らくは数十軒の客を持っていただろうから、夏も冬も雨の時も風の時も、これを毎日続けるというのは大変な仕事だ。だから千両富に当たった時は天にも昇る気分だったに違いない。処が、替りの者が見つかるまでは水屋をやめることが出来ない。金が盗まれないかびくびくしながら仕事を続けるうちに、水屋は心身共に疲れ果ててしまう。
この水屋の姿を今松は丁寧に描いて見せた。マクラの前説を含め、今まで聴いたこのネタではベストの高座だった。
余談だが、私より1歳下の今松、高座姿がパリッとしている。やはり芸人は違うね。

 

2019/06/06

「宮武外骨伝」(2019/6/5)

演劇集団ワンダーランド 第46回公演『過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝』
日時:2019年6月5日(水)19時
会場:座・高円寺

作・演出:竹内一郎
<  出演者  >
武末志朗 松村穣 岡本高英 中田寿輝
本郷小次郎 高橋亜矢 桑島義明 嚴樫佑介
茨木学 木ノ下椿 北村りさ 葉山奈穂子
成澤奈穂 小川友暉 竹良光 遠田恵理香
髙橋明日香 三谷千季 光永勇輝 山田久海

宮武外骨(みやたけがいこつ)、知る人ぞ知る。私も以前に読んだ明治時代の新聞に関する本で名前を知った程度だ。ペンネームかと思ったら17歳の時に自分で改名した本名だ。これだけでも変人ぶりが分かる。
著述家・明治文化史家。号は半狂堂。慶応3年生れだから、夏目漱石や正岡子規らと同年。明治20年『頓智協会雑誌』を、のち大阪で『滑稽新聞』を発行。風俗史・政治裏面史に造詣があり、古川柳・浮世絵の研究者としても知られる。晩年は日本新聞史研究に尽力した。昭和30年(1955)歿、88才。
反骨のジャーナリストで投獄3回、発禁は数知れず。その一方、結婚は5回(最後の結婚は74歳)、妾が最盛期には16人いたという艶聞家でもある。ウラヤマシイ。
モットーは「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪(かんしゃく)を経(たていと)とし色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり」。ね、恰好いいでしょ。
もう一つ、「迫害こそ勝利」。これも恰好いい。
薩長藩閥政治を徹底的に嫌い、明治憲法は国民主権、四民平等さえないと批判した。今では当たり前のことだが、当時はこれで弾圧された。
敵が多かったが、講釈師で国会議員にもなった伊藤痴遊や、博報堂の創業者の瀬木博尚とは交友があり援助も受けていた。
社会主義とは一線を画す一方、彼らが発行した「平民新聞」には資金を出している。
『滑稽新聞』では、政治批判だけでなく下ネタやゴシップ記事も載せたり、イラストを効果的に使うなど、現在の週刊誌を予測させる紙面にしていた。また、活字を並べて絵に見せたり、縦組みのページを横に読むとネタが隠れていたり、官憲による伏せ字を逆手にとって残った字をたどると一つの文章になるなど、宮武外骨のアイディアと遊び心に溢れたものだった。

芝居はこうした宮武外骨の物語を、過去と現在のウェブ新聞の編集室にタイムトラベルさせながら描いたものだ。
現在のメディアが批判精神を失い、権力へ迎合し続けているかかという作者の思いが籠められている。
ちょいと軽いかなという印象もあるが、これもまた外骨精神の現れかな。

公演は9日まで。

 

2019/06/04

【再録】「レジ袋」有料化に異議あり!(2007年1月20日掲載 )

環境省が音頭をとって、レジ袋を減らす、有料化するという運動が展開されており、ここのところ毎日のようにTVや新聞紙上を賑わしています。
一部の地域や販売店では、レジ袋を有料化し始めているケースもあります。
小池百合子前環境大臣も、一時期「もったいない風呂敷」とやらをデザインしてご満悦でしたね。
環境保護について反対の人は誰もいないでしょうが、どうもこの話、ある種の胡散臭さを感じています。
レジ袋が環境問題の中心的課題であるがごとき宣伝に、眉に唾をつけて見る必要がありそうです。

先ずレジ袋が膨大な量の石油を消費し、大量のゴミとなっているということですが、事実はどうなのでしょうか。
ちょっと面倒な数字が並びますが、辛抱下さい。

先ず石油消費量の計算です。
①レジ袋の消費量 305億枚/年
②レジ袋1枚を作るために消費される原油量18.3ml(内訳:製品に11.5ml、製造過程に6.8ml)
③この18.3ml/枚に305億枚を掛けると、レジ袋に消費される原油量が算出できる。
レジ袋の消費量を原油に換算すると、年間55.8万klとなります。(内訳:製品に35,2kl、製造過程に20.6kl)

一方国内で使われるレジ袋の供給は、次の通りです。
国内97千トン+輸入172千トン=合計269千トン(国内生産比率36%)
先の原油量55.8の36%は20になりますから、
レジ袋の消費に対応する原油使用量は、20万kl/年となります。
我が国の原油輸入量は、およそ2億4千万kl/年ですから
レジ袋に使われる原油の割合は、0.08%に過ぎません。
仮にレジ袋を完全になくしても、原油換算では1000分の1以下の効果にしかなりません。
政府が宣伝している、レジ袋のために石油一日分を使っているというのは誇大です。

次に廃棄物の量についての検討です。
①レジ袋の重量が平均で9.9g/枚とされているので、これに消費量305億枚をかけると、302千トン/年になる。
②レジ袋の供給量から推定した場合、先の数字を採用すれば269千トン/年になる。
いずれの数値を採っても、全量が廃棄されたとしておよそ年間30万トン前後と推定されます。
一方日本の廃棄物の総量はおよそ5億トンですから、仮にレジ袋を全部無くしたしたところで0.06%しか寄与しません。
環境省のHPでは60万トンという数字を使っていますが、これは誇大です。

つまりレジ袋を仮に全部やめたところで、原油の使用量も廃棄物量も、0.1%以下しか寄与しないということです。

環境省のHPでは、レジ袋が「容器包装全体の量では、容積で家庭ごみの6割を超えています。」と書かれていますが、常識的にありえない数字です。
第一、現在の家庭ごみ収集の際に、各家庭は袋(多くはポリ袋)に包んで出すことが義務づけられており、ポリ袋が一定の容積をとることは避けられません。
これはレジ袋とは違う次元の問題です。

それでも原油の0.08%、廃棄物の0.06%でも、減らせられれば良いじゃないかという主張はあると思います。
処が、そう単純にはいきません。
それには二つの前提条件があるからです。
①レジ袋をやめて、何も使わずに商品を持ち帰る。
②レジ袋が有効利用されずに、全量ゴミとして廃棄されている。

レジ袋を使わなくなると、多くの場合買い物袋を使うことになると思われます。
そうなると、買い物袋(多分合成繊維製)を製造するのに使われる原油の量、やがて捨てられる買い物袋の廃棄物量が問題となり、その分レジ袋をやめた効果が減殺されます。

次に使い終わったレジ袋は、ただ捨てられているのでしょうか。
これは自治体によっても条件は異なるでしょうが、私が住んでいる自治体では、分別(不燃)ゴミはレジ袋に入れて出して良いことになっています。
我が家の例では、レジ袋は大きなものは分別ゴミの袋として、小さなものは生ゴミの袋として使用しており、全量活用しています。
もしレジ袋が無くなれば、市販のポリ袋を購入して使うことになり、我が家のような家庭の場合は、原油の節減にも廃棄物の減量にも全く役立ちません。

レジ袋を無くす、あるいは減らそうとする場合の効果は
(レジ袋の影響)―(置き換えた品物の影響)=本当(正味)の効果
で判断しなくてはなりません。
企業の原価低減の計算でもそうですが、こうした置き換えをする場合は、プラス要因とマイナス要因を算出して比較しないと、本当の効果は判定できません。
費用が減るはずだったのが、やってみたら却って増えてしまったという経験は、多くの方がお持ちでしょう。マイナス要因を考慮しないと、そういう事も起こりえます。

これだけははっきりしているのは、次の点です。
①レジ袋を有料化(現在のテストケースでは5円/枚)することにより、仮に半分に減ったとして
 (305億枚÷0.5)X5円/枚=762.5億円
ざっと760億円が販売店の収益増加となり、その分は全額消費者が負担することになる。
②レジ袋を半分にすることによる、買い物袋の売上げ増加。これも販売店の収益増加となり、やはり全額消費者の負担となる。

つまりレジ袋キャンペーンは、消費者側に一方的負担を求め、企業側は腹が痛まないばかりか収益増加が見込める実にオイシイお話になっています。
レジ袋有料化が、環境問題をネタにして金を儲けるという、一部の環境ビジネスに利用されているのでなければ良いのですが・・・。
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2006年6月に改正容器包装リサイクル法が成立・公布され、容器包装(レジ袋)の有償化、マイバッグの配布等の排出の抑制の促進等の取組を求めることとした。
この政策に対して反論を行ったものだ。

6月3日の記者会見で、 原田義昭環境相はプラスチックごみの削減をめざし、レジ袋の有料化(無料配布の禁止)をスーパーなどの事業者に対して法令で義務化する考えを示した。時期については「東京五輪に遅れないように、今年か来年ぐらいにはやらなければ」と述べた。
2006年の対策でどれほどの効果があったのか環境省は公表していない。恐らくは効果の確認さえ行っていないのだろう。
それなにの又もや消費者に一方的な負担を求める法制化を行おうとしている。
そのため敢えて、記事の再録を行った。

 

2019/06/01

青葉四景(2019/5/31)

MIX寄席「青葉四景」
日時:2019年5月31日(金)19時
会場:よみうり大手町ホール
<  番組  >
前座・柳家小はだ『転失気』
春風亭一之輔『干物箱』
桃月庵白酒『鰻の幇間』
~仲入り~
三遊亭兼好『締め込み』
柳家さん喬『唐茄子屋政談』

”弁明書”
「オッパイ揉みたい」の発言を取り消し
「イッパイ飲みたい」に訂正します。
―――――――丸山穂高

なんてね、こんな書類が国会に提出されるじゃなかろうか。他に言い訳のしようが無いもの。こういう奴を甘やかしてきた周囲も悪い。
いつも思うんだが、こうした会に前座を出す意味が分からない。時間のムダだ。

一之輔『干物箱』
このホールで、讀賣は新聞じゃ儲からないから箱根駅伝で儲けているなんてシラっと言うんだから大した度胸だ。
もし噺家に偏差値というものがあるなら、一之輔は最高点を取るだろう。得手不得手がなく、あらゆる範囲の古典を難なくこなしてしまう。それも、あまり努力せずに、と思わせる所が凄い。
学校の試験で、ほとんど試験勉強などしないのにいつも最高点を取ってくる奴がいたが、そういう感じだ。
古典をそのまま演じることもあれば、改作かと思われるほど壊して演じることもあり、自在なのだ。客に合わせる柔軟性も持ち合わせているし。
当分は一之輔時代が続くだろう。

白酒『鰻の幇間』
最初に幇間が店を回るが仕事がなく、岡釣りに変えて客に出会うという運びにしていた。
落語には時々ワルが出てくるが、この噺の客の男は最高のワルだ。「俺は魚をみてくるから」と言いながら幇間を先に2階に上げるが、この段階で土産の準備を店に指示していたことになる。幇間が履いている上等の下駄に目をつけ、これを履いて食い逃げするんだからタチが悪い。
この店、お新香にザーサイが出て来る、徳利には西遊記の絵柄、5年前までは中華屋だった。酒の銘柄は「上善酒の如し」だから、酒じゃないのだ。肝心の鰻も、どうやら正体不明の魚らしい。気の毒な幇間。
ただ、最近の若手が演じると8代目文楽の様な幇間の惨めさが出てこない。そこは残念。

兼好『締め込み』
このネタ、途中で切ることが多いのだが、サゲまで演じた。兼好の描く泥棒は好人物で、あれでは商売になるかなと心配してしまう。常套の「うんか、出刃か、うん出刃か」から、酒をご馳走になった泥棒が次第に酔い潰れてゆく様子が面白く描かれた。
ただ、このネタの勘所は女房の造形だと思う。ちょいと婀娜で勝気だが可愛らしい女なのだ、だから亭主が焼餅を焼く。8代目文楽とその弟子だった7代目橘家円蔵が上手かった。
余談だが、Wikipediaなどでも7代目円蔵はボロクソに書かれているが、恐らくは円蔵の高座を観たことがないのが書いているんだろう。この人の良さは高座でしか分からない。

さん喬『唐茄子屋政談』
ここまで読んだ方ならお気付きだろう、前方の3人のネタは全て黒門町の十八番だ。だから、さん喬にも出来れば文楽の十八番から選んで欲しかった。時節柄、『船徳』なんざぁピッタリだったろうに。
さん喬の高座、良かったですよ。登場人物の演じ分けも申し分なし、水も漏らさぬ完成度の高さだ。
だが、この噺の後半があまりに陰惨で好きになれない。こればかりは好みだから致し方ない。

 

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