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2019/08/31

にほんばし寄席(2019/8/30)

第5回「にほんばし寄席」
日時:2019年3月30日(金)19時
会場:日本橋社会教育会館ホール

前座・春風亭枝二『浮世根問』
前座・春風亭朝七『たらちね』
<  番組  >
隅田川馬石『臆病源兵衛』
瀧川鯉昇『茶の湯』
~仲入り~
古今亭文菊『転宅』
柳家小満ん『二階ぞめき』

寄席の入場料が10月から3000円になるようだ。当ブログがスタートした14年前には、落語会の入場料が3000円というと高く感じたものだが、今では安い方になってしまった。最近では4000円を超す会も少なくない。落語家の生活が向上するのは結構な事だが、こちとらの財布には痛い。
この会は4人の出演者が持ち時間30分ずつという中身の濃い会だ。

馬石『臆病源兵衛』
雲助一門の御家芸ともいうべきネタだが、馬石が面白い。この人の真面目なんだか不真面目なんだか分からないフワッとした芸風がネタに合っている。自分が死んだと思い込んでフラフラ歩き回る八五郎の姿が、馬石本人と重なるのだ。
滑稽噺、人情噺両方イケてるとこは師匠に最も近い。

鯉昇『茶の湯』
お馴染みの扇風機のマクラからネタに。
以前に聴いたものとだいぶ中身を変えていた。青黄粉だけでは抹茶の色が出ないからと青色の絵の具を加え、泡立ては洗剤を使う。孫店の住人を招いてお茶を飲ませる場面はカットしていた。
改変は一之輔に任せて、以前のオリジナルに近い演じ方の方が良かったのでは。

文菊『転宅』
得意のネタでこの人らしい丁寧な高座だったが、お菊の目つきがネットリし過ぎているのでは。
泥棒の方は、前半の有頂天から後半の落胆という表情変化はよく描かれていた。

小満ん『二階ぞめき』
数ある廓噺の中でも、吉原を素見(ひやかす)だけを趣味とする若旦那が主人公の異色のネタだ。ストーリーは無く、家の二階にこさえて貰った吉原のモデルタウンを、若旦那が自身や花魁、妓夫らとの会話や喧嘩を一人で演じて楽しむという趣向だ。観客に、きっと吉原ってとこはこういうとこだったんだなと納得させる手腕が必要で、小満んの様な粋な遊び心を持った演者でなければ表現しえないネタだ。実に楽しそうに演じていたし、その楽しさが客席に伝わってきた。

2019/08/29

「権太楼・龍志 二人会」(2019/8/28)

みなと毎月落語会「柳家権太楼・立川龍志二人会」
日時:2019年8月28日(水)19時
会場:赤坂区民センター 区民ホ-ル
<  番組  >
前座・立川らくぼ『牛ほめ』
柳家権太楼『短命』
立川龍志『五貫裁き(一文惜しみ)』
~仲入り~
立川龍志『六尺棒』
柳家権太楼『佃祭』

お目当ては立川龍志、今回が初見。龍志によれば権太楼と同じ高座に並ぶのは40年ぶりとか、今回が最後になるだろうとのこと。

龍志の1席目『五貫裁き』
ケチな人間は死ぬと暗闇地獄に落ちる。真っ暗だから動くことが出来ないが、一人歩いているのがいた。見たら爪にともした灯りを頼りにしている。顔を覗き込んだら、談志だった。
あの人は良い人だと言われる人にはお金が貯まらない。
この二つをマクラに振っていたが、いずれもネタに関わっている。こういうマクラは気が利いてるが、近頃どうでもいい話をダラダラと喋る噺家がいて閉口する。三三じゃないが、マクラの長い噺家にロクなのはいない。
このネタのポイントは、八五郎の長屋の大家の描き方だと思う。八が吝嗇の徳力屋の主から煙管で打たれて額から血を流して帰ってきた段階で、これ以降の筋書きが頭で描き、結果はその通りとなった。正直者の様でいてなかなかの策略家なのだ。
むろんフィクションの世界ではあるが、大岡越前守という奉行は法より情を尊重するタイプであり、徳力屋に厳しい措置がなされることを大家は読んでいた。
通常は、大家の指示で徳力屋から大枚の示談金をせしめて、目出度し目出度しで終わるのだが、龍志の高座は師匠の談志譲りで、その後が付け加わる。徳力屋の世話で八五郎は立派な八百屋の店を開き大繁盛。その評判で気を良くした徳力屋は方々に施しをした挙句、店が潰れてしまう。八五郎は持たない大金を持ったばかりに博打にうつつを抜かし破綻してしまう。関係者も皆亡くなり、今ではこの物語を伝える者は誰もいない、で終了。
龍志の高座は各場面や人物像を丁寧に描きながらスピーディーな運びで好演。実力は評判通りだった。

龍志の2席目『六尺棒』
落語家の2世の話題になり、志ん朝が周囲から若旦那と呼ばれていて、それが又ピッタリだった。でも正蔵や三平は若旦那とは呼びにくいと、マクラを振ってネタへ。
冒頭でこの若旦那は深夜に人力俥で帰宅し、俥屋に多分の祝儀を渡していた。ここまでで若旦那が相当な放蕩息子であることが観客に分かる。帰りを待ちかねた父親が息子を説教するが、息子は謝るどころか居直り、家に火をつけると脅かす始末。堪忍袋の緒が切れた父親は六尺棒を持って息子を追いかける。「ちゃんと謝れば許してやったのに」という父親のつぶやきは、息子への情を感じさせる。
短いネタだが、この父子の関係が窺われる工夫がなされていた。
この人が定席に出てくれれば、きっと若手の良い手本になるのだろうにと、そこが惜しまれる。

権太楼の2席は寄席でもお馴染みのネタ。
1席目の『短命』では、隠居の暗示にようやく気付いた八五郎が、こうなってこうなってと手を動かすと、「手はやめなさい、それは浅草でやりなさい」。
2席目の『佃祭』、本人も途中で言ってたが『短命』と「悔み」でツイテしまった。ネタの選択を間違ったのかな。
少しカットしていたが、佃の渡し場を中心とした人情噺風の場面と、治郎兵衛宅での葬儀のドタバタを手際よく描いていた。
高座に上がったのは8時34分で、9時には終わらせますと宣言して噺に入ったが、終わって幕が下りたのが9時ピッタリだったのには感心した。さすがはプロだ。

2019/08/28

東西交流落語会(2019/8/27)

第5回「東西交流落語会」
日時:2019年8月27日(火)19時
会場:横浜にぎわい座 のげシャーレ(小ホール)
<  番組  >  
柳亭小痴楽『岸柳島』
桂佐ん吉『七度狐』
春風亭昇也『馬のす』
笑福亭鉄瓶『茶屋迎い(不孝者)』
~仲入り~
桂二乗『鹿政談』
三遊亭朝橘『死神』

昨日、新山ひでやの訃報に接した。
「新山ひでや・やすこ」の夫婦漫才として寄席で活躍していた。「最高!最幸!」が観ることができなくなってしまった。
ご冥福を祈る。

さて、「東西交流落語会」は若手中心の会で、出演者は東西3人ずつ。一杯の入りで、これだけ集まるなら上の芸能ホールでも良かったと思えるほどだ。
それに応えて各演者の熱演が続いた。

小痴楽『岸柳島』
9月下席からの真打昇進披露興行で頭が一杯なんだろう。一本で昇進は名誉なことだが、40日間の寄席のトリは精神的にも肉体的にも経済的にも大変な負担かと察する。
この日感じたのは、この人は目の使い方が上手い。各人物の演じ分けも出来ていたし、船中での町人たちのガヤガヤの描き方も良かった。

佐ん吉『七度狐』
お目当ての一人。毎度のことながら実に上手い。一つ一つの所作が丁寧で、しかもリズミカルだ。ハメモノとの呼吸もピッタリだった。実力派揃いの吉朝一門の中でも頭一つ抜けてると思う。

昇也『馬のす』
富士登山の大して面白くもないエピソードを引っ張りすぎてダレてしまった感がある。ネタは数分程度のもので、挟み込むギャグが勝負だと思うが、中身が古臭い。アメリカの列車のチケットで"to,for,eight-eight"のギャグは、私が小学生の頃の寄席で使われていたよ。

鉄瓶『茶屋迎い(不孝者)』
番頭が帳面を付けているところへ若旦那が現われ、集金に回るといって請求書の束を懐に入れて店を飛び出すが、5日経っても帰ってこない。親旦那が番頭に問いただすと、どうやら新町の茨木屋に居続けているらしい。手代やら番頭やらと次々に迎えに出すが、いずれも行ったっきり戻ってこない。仕方なく親旦那自らが茶屋に迎えに行くが、若旦那らがいる2階座敷ではなく、1階の小さな部屋で待たされる。そこに部屋を間違えたという芸者が現れると、それがなんと8年前まで親旦那が世話をしていた女だった。事情があって別れたが、互いのことはずっと気にしていた。焼け棒杭に火がついて二人がイチャイチャ始めると、「若旦那がお帰り!」の声。「この親不孝者めが!」でサゲ。
東京では『不孝者』のタイトルで演じられているが、上方のオリジナルは初見。そして圧倒的に上方版の方が面白い。堅物と思われていた親旦那が実は遊び人で、好きな女を隣に座らせると胸に手を入れる癖があるようだ。
鉄瓶の高座は人物の演じ分けもしっかっり出来ていたし、親旦那と再会した芸者とのしっとりとしたヤリトリも良かった。

二乗『鹿政談』
外連味のない本寸法の高座で、ネタのせいもあるかも知れないが芸に品がある。奉行の凛とした描写も良かった。

朝橘『死神』
三遊亭圓橘の末弟で一昨年真打に昇進している。
悪くはなかったが、主人公と死神以外の人物の描写が雑に感じた。主人公の消えかけた蝋燭を息子の蝋燭を使って火を移すというのは初めて観た。自分で火を消して死ぬというサゲも含めて、評価の分かれる演出だった。

総じて上方の噺家の方が上手だった。

2019/08/25

雲助・馬生『お富与三郎(通し)』(2019/8/24)

第13回「らくご古金亭ふたたび」
日時:2019年8月24日(土)18時30分
会場:お江戸日本橋亭

前座・金原亭小駒『粗忽の釘』
<  番組  >
雲助・馬生リレー口演『お富与三郎』
金原亭馬生『木更津見染め』
五街道雲助『赤間の仕返し』
~仲入り~
金原亭馬生『玄冶店~稲荷堀』
五街道雲助『島抜け』

『お富与三郎』は、長唄の四代目芳村伊三郎が木更津で若い頃に体験した実話をもとに、一立斎文車(乾坤坊良斎)や初代古今亭志ん生が講談や落語に仕立てたと言われる。近年では10代目金原亭馬生が得意としていた。古今亭一門には縁の深い演目で、現在は雲助や弟子の馬石によって通し口演が行われている。
今回は、10代目馬生の兄弟弟子である雲助・馬生がリレー口演で高座にかけるという趣向。最初で最後の企画とあってか会場は満員の盛況。

馬生『木更津見染め』
江戸横山町の鼈甲問屋「伊豆屋」の若旦那・与三郎、今業平といわれた色男だが、ちょいとした間違いを起こし、木更津で紺屋をしている伯父に預けられる。
木更津のやくざの親分・赤間源左衛門は江戸で博打で勝ちに勝ってその大金で江戸一と言われた深川のお富を身請けして連れ帰り女房同様にしていた。
木更津の祭の晩、料理屋でお富と与三郎が偶然に顔を合わせ、惹かれ合った二人は親分の留守に逢瀬を重ねる。

雲助『赤間の仕返し』
江戸から木更津に戻った源左衛門は、子分からお富と与三郎の密通を知り、与三郎を捕らえて柱に縛り、お富の目の前で顔中、体中30数か所を切る。たまらずお富は木更津の海に身を投げてしまうが、近くにいた船の多左衛門に運よく引き上げられて江戸に戻り、多左衛門の妾となる。
与三郎も行李に詰められ、100両で伯父の家に戻されて命だけは助かる。

馬生『玄冶店~稲荷堀』
江戸に戻った与三郎だが、顔中傷だらけでは人目に出られなくなり、家に閉じ籠もるようになった。
気晴らしに両国の花火を観に出かけたが、帰り道でお富を見かけ声をかける。お富は与三郎を住んでいる玄冶店に連れ帰り、実の兄と称して一緒に住むことになる。そこに伊豆屋の番頭が訪れ実家に戻るよう与三郎を説得するが、与三郎が拒否したので勘当となり無宿者になってしまう。
多左衛門は目玉の富八から二人は兄妹ではなく男女の関係だと聞かされ、25両をお富に渡し手を切る。それを聞いた与三郎が稲荷堀(とうかんぼり)で目玉の富八を襲いお富が止めを刺す。
殺害の一部始終を目撃していた蝙蝠安が二人を強請ったため、二人から殺害されてしまう。

雲助『島抜け』
二人の悪事がばれてお富は永牢、与三郎は佐渡に島流しになり、冬でも法被一枚で金鉱で水汲みをさせられた。遊び人風情ではとうてい体力がもたず生きて帰れる見通しはない。生きて江戸に戻りお富に一目でも会いたい。二人の仲間と相談して嵐の夜に逃げ出し、丸太を筏に組んで荒海に乗り出す。
与三郎が気が付くと、筏は岸に乗り上げていた。後ろを向くと佐渡が黒く浮き上がっていた。ここから江戸は陸続きだと、与三郎はお富会いたさに江戸に向かって駆け出した。

この物語はまだ続きがあり、与三郎はそのころ品川にいたお富に再会するが、疎ましく思ったお富は与三郎を殺害し、打ち首になる。
本作品を舞台化した三代目瀬川如皐脚本の『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)とは筋が大きく異なる。
雲助と馬生のリレー口演という企画は成功だったと思う。洒脱な馬生に対して重厚な雲助。もし雲助一人の通しだと客は疲れたろうし、馬生一人では島抜けの迫力は出せないだろう。
馬生が演じる与三郎はワルと言っても所詮はお坊ちゃん育ち、どこか甘さがあり殺しでも躊躇してしまう。反対にお富は冷酷で、あっさりと止めを刺してしまう。陰惨な場面も軽く演じてみせ、馬生らしい高座だった。
雲助は、赤間の仕返しではサディスティックな描写を演じてみせ、島抜けの緊迫した場面では客が思わず息をひそめて聴き入っていた。
最初で最後というこの企画、聴けた人は幸せだ。

2019/08/23

東京芸術座「終りに見た街」(2019/8/22)

「終りに見た街」
原作/山田太一
脚本/いずみ凜
演出/鈴木龍男

【あらすじ】
時代は現在、東京の荻窪に住む清水の家族、夫の要治はIT企業に勤めるサラリーマン、妻の紀子、娘の彩奈、要治の父親で85歳になる太吉の4人暮らし、部屋には要治が開発したスーポラと呼ばれるロボットが置かれている。
そこに旧友の宮島敏夫とゲーム依存症の息子・新也の親子が訪れ、旧交を温める。
その2日後、清水夫妻がが庭に出ると周囲の景色がガラリと変わっていて戸惑う。外の掲示板には昭和19年と書かれていたのだ。そこへ親子で釣りに出かけていた宮島から電話があり、やはり今が昭和19年になったといって、二人は清水の家に着き、しばらく同居することになる。
空襲警報や防空訓練、竹槍の訓練、配給制度に食料不足といった状況に追い込まれながらも、なんとか切り抜けてゆくが、若い彩奈は郵便配達、新也は軍需工場で働きだす。
清水と宮島は、未来から来た人間の義務として、人々にこれから起こる東京大空襲の危険を知らせようとビラを配るが、人々は非国民と疑われるのを恐れ、結局誰も逃げようとはしなかった。
そして新也が突然帰宅するが、帝国軍に入隊しており、戦地に向かうと宣言する。新也は敏夫、要治の考えている事はおかしいと言い、また彩奈もそれに同調する。
不意に空襲警報が鳴り、要治は自分たちのいる場所は安全で攻撃されない場所だと言うが、起こらない筈の空襲を受けてしまう。閃光が光り、要治が目を覚ますと、そこは見渡す限りの瓦礫と焦げた無数の死体の山。そして廃墟となったビルや東京タワー。そこは2XXX年の死の街・東京であった。

既に2度TVドラマ化されている作品で、それを舞台化したもの。オリジナルが昭和であるのに対しこちらは令和。主人公の清水要治の職業がAI技術者で家には試作のAIロボットが置かれたり、宮島の息子の新也がスマホゲームの依存症であったりという設定の違いはあるが、大筋はTVドラマと同様だ。
現代の人間が戦時中にタイムスリップして、既知の時代を生きる経験を通して、もし将来の人間が今の時代にタイムスリップしたら?を問うことをテーマにしている。昭和19年の人々が清水らの忠告に耳を傾けずに多くの犠牲を出したと同様に、今の私たちが何も考えず何も実行しなければ、やがては破滅するしかないという警鐘を鳴らすものだ。
ただ終幕の演出は、意図が観客にうまく伝わっただろうか。

公演パンフレットに原作者の山田太一が書いた本のあとがきが転載されているが、興味深いことが書かれている。
終戦の年に山田少年は小学5年生だった。理科の時間に教師がいま日本で密かに開発されている「特殊爆弾」について説明があった。それが完成すれば、ワシントンに一発、ニューヨークに一発落として、日本が勝利するというのだ。それを聞いた生徒たちは、その爆弾が一日も早く完成し、アメリカの人々を皆殺しにしてくれることを心から願った。その時の先生の目の輝き、子どもたちの興奮を思い起こすと、原爆についてアメリカを非難する気持ちになれないと、山田は書いている。
こうした体験も本作品に反映されているようだ。

公演は25日まで。

2019/08/21

テアトル・エコー「バグ・ポリス」(2019/8/20)

テアトル・エコー公演15「バグ・ポリス」(原題:Unnecessary Farce)
日時:2019年8月20日(火)14時(上演時間:1時間40分)
会場:恵比寿エコー劇場

作:ポール・スレイド・スミス
翻訳:常田景子
演出:永井寛孝
<   キャスト  >
池田祐幸:エリック・シェリダン巡査
渡邊くらら:ビリー・ドワイヤー巡査
沖田愛:カレン・ブラウン会計士
根本泰彦:ミークリー市長
加藤拓二:フランク市長警備員
瀬田俊介:トッド殺し屋
丸山裕子:メアリー市長夫人

舞台はアメリカのとある街のモーテルの2室。片側の部屋にはエリックとビリーの二人の巡査が、もう片側の部屋に仕込んだ隠しカメラをモニタリングしている。署長の命令で、会計士カレンが見つけた市長の公金横領を突き止めるためだ。メアリーが市長をこの部屋に呼び出し、帳簿を突き付けて不正を暴くのをビデオに収めるという囮捜査だ。
エリック巡査とメアリー会計士が事前の打ち合わせをしているうちに、ついつい良い雰囲気になってしまい、二人は下着姿でベッドの中へ。そこへ早めに到着した市長や、市長の警備員が現れ大混乱。さらに、スコットランド人の殺し屋や、何かいわく有り気な市長夫人まで加わり、果たして捜査は無事終了できるのだろうか。

舞台には8枚のドアがあり、そこを下着姿の男女が出たり入ったりのドタバタ艶笑コメディ。際どいセリフが飛び交う舞台に、後の席の年配のご婦人たちが大受けしていていた。
終始下着姿で奮闘した沖田愛(色気が全く無いのがスゴイ)、終始分けの分からないセリフをしゃべり続けた瀬田俊介(これって結構難しい)、ご苦労さまでした。

公演は26日まで。

2019/08/19

「盗撮法」「盗撮罪」の創設は問題が多すぎる

「盗撮」の定義は次の通り。
①当人に知られないように、撮影すること。ぬすみどり。
②被写体、または対象物の管理者に了解を得ずにひそかに撮影を行うこと。
この定義を厳密に解釈すれば、私たちが普段カメラなどで撮影している行為も「盗撮」と見做される可能性がある。

スマホなどにカメラやビデオ機能がつき、超小型カメラが簡単に入手できるようになり、猥褻目的の悪質な盗撮が跡をたたない。そうした画像をネットで公開したり、販売したりするケースも増えている。
被害にあった人たちは、場合によっては一生怯えて暮らすことにもなる。
そうした盗撮を防ぐための法律は、今のところ自治体による条例のみで、全国一律に規制できる法律がないため抜け穴が出来てしまう。
そのため、盗撮法、盗撮罪の創設を訴える声が法曹界の一部にある。
また、議会でもそうした法案を議員立法で提出しようという動きもあった(例えば2005年に自民党がわいせつ目的の盗撮や盗撮ビデオなどの販売を禁じる「盗撮防止法案」を検討)。
こうした法律が制定されれば、盗撮による被害は減少し、被害者が救済されることが期待できるので、一見すると歓迎すべきことの様に思える。

ただ、翻ってみれば私たちは日常的に盗撮を受けている。それは全国に張り巡らされた防犯カメラ、監視カメラによる撮影だ。私たちに了解なしに撮影されているのでこれも盗撮だ。
いや、防犯や監視用のカメラが「設置中」「作動中」と表示していれば、そこを通過する人は撮影されることを了解したものと見做すという説もある。
しかし、現在の様にあらゆる金融機関、スーパーやコンビニなど店舗、公共施設、そして何よりほとんどの道路のどこかにカメラが設置、作動しているので、「強制的に了解させられている」のが実情だ。
個人の盗撮は禁止するが、防犯カメラは野放しというのは理屈に合わない。

盗撮した映像を公開や販売した場合に罪になる、というのはどうだろうか。
ここで思いつくのは、政治家などの不正行為やスキャンダルを暴いた写真が問題となる。これらの映像は100%盗撮だ。公開や販売が罪になるとしたら、撮影したカメラマンや出版社は全て有罪になってしまう。
個人が撮影した映像をSNSなどで公開した場合も、被写体が承諾していないと主張し盗撮と判断されれば罪に問われることになる。
正しい盗撮と正しくない盗撮をどう線引きするかという課題もある。
もし盗撮法や盗撮罪が法制化され、それを権力者側が恣意的に運用するようになれば、それはとても恐ろしい事態を招きかねない。

盗撮は憎むべき行為であるが、それを規制するための立法化は慎重であらねばならぬ。

2019/08/17

国立8月中席(2019/8/16)

国立演芸場8月中席・6日目

前座・三遊亭金かん『道灌』
<  番組  >
柳亭小痴楽『芋俵』
三遊亭王楽『読書の時間』
瀧川鯉昇『犬の目』
ナイツ『漫才』
三遊亭小遊三『百川』
~仲入り~
桂枝太郎『源平盛衰記』
江戸家まねき猫『動物ものまね』
三遊亭円楽『ねずみ』

国立の8月中席は芸協の芝居で、病気で入院していた円楽の高座復帰の芝居でもある。
この席は、かつて歌丸がトリで圓朝作品などの長講を掛けていたが、今年は円楽が『唐茄子屋政談』『ねずみ』『死神』『藪入り』『浜野矩随』の中より一席を演じるという趣向。
本来はお盆興業のトリとなれば、協会の幹部や実力者が務めるのが本筋だろうが、客員の円楽に頼らざるを得ないという事情は、芸協会員にとっては忸怩たるものがあるだろう。

小痴楽『芋俵』
今秋9月下席より、一本で真打昇進が決まった期待の若手だ。この日のそうだが、軽い滑稽落語が上手いのだが、披露興行では40日間一人でトリを務めるわけで、これからの精進が大変になるだろう。今から楽しみにしている。

王楽『読書の時間』
こちらも円楽一門の期待の若手。久々だったが、すっかり場慣れしてきたという印象で、マクラで客席を引き込むのも巧みになった。文枝作のこのネタも近ごろでは東京でも演じられることが多いが、王楽は声とリズムの良さで聴かせていた。
細雪、金色夜叉、武者小路実篤、若い人には読みづらいだろうね。「細と書いてささめと読むんだ」に「奥のささめ道」には笑った。

鯉昇『犬の目』
お馴染みの軽いネタも鯉昇の手にかかるとこれほど面白くなるものか、という高座。この人の独特の「間」で、笑いのスイッチが入ってしまうようだ。

ナイツ『漫才』
芸能スキャンダルネタを、塙が指先だけで表現するという芸には感心した。客席からは、この日一番受けていた。

小遊三『百川』
マクラですべった感があり、ここまでの流れを止めてしまった。USAをYMCAと言い間違えていたのを最後まで気づかなかったようだ。
ネタに入ってもリズムが悪く、演者も客席も乗り切れぬまま終わってしまった。

枝太郎『源平盛衰記』
この人のモッチャりとした喋りや訛りが、このネタに合っていない気がした。クスグリも今一つ。本人が面白がるほど、こちらは面白くなかった。

まねき猫『動物ものまね』
小猫の芸に慣れていると、技量の差を感じてしまう。

円楽『ねずみ』
「帰って来る所があるって幸せですね」という第一声に実感が籠っていた。入院から復帰して、馴れている筈の噺の筋が追えなくなったり、声が思うように出なくなったりと。5日目でようやく声が出るようになってきたと。それでも胸にピンマイクを付けての高座だった。
冒頭で左甚五郎が江戸を経て仙台に来るまでの経緯を説明したが、このネタを初めて聴く人には親切だ。
ねずみ屋の主・卯兵衛が、女房と番頭の計略にはまり、親子ともども追いだされる身の上話は胸を打つ。一度は死まで考えたが、息子の励ましで自立に至る経緯を聴き、甚五郎はこの親子を助けようと決心する過程を丁寧に演じていた。
甚五郎、卯兵衛と卯之吉親子の人物像がくっきりと描かれ、良い出来だった。
復帰できた喜びが客席にも伝わってきた、渾身の高座。

2019/08/15

「東京四派精鋭そろい踏みの会」(2019/8/14)

第9回「東京四派精鋭そろい踏みの会」
日時:2019年8月14日(水)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
三遊亭兼好『祇園会』
三遊亭遊雀『宗論』
春風亭一之輔『短命』
~仲入り~
林家木久蔵『勘定板』
立川生志『悋気の独楽』
『大喜利』出演者全員

毎年恒例の東京四派の会、但し「精鋭」は看板に偽りありだけど。

開口一番は、なんとか言う生志の弟子が『たらちね』。

兼好『祇園会』
小泉の倅と滝川ナンチャラがデキコンする話題を、いつもの毒舌でマクラに振ってネタに。
来年の東京五輪のことも採り上げていたが、開催国が日程を決められないオリンピックって何なんだろうと思ってしまう。
この人で感心するのは、高座を見る度に階段を一歩ずつ上がっているのが実感できることだ。この日は祭り囃子で魅せてくれた。

遊雀『宗論』
このネタは、遊雀がベストだと密かに思ってる。クリスチャンの青年を演じる時のあの爽やかな目は、宗教に凝ってる人の目だ。讃美歌の「いつくしみ深き」がいつの間にか童謡の「里の秋」に変わるメドレーは、いつ聴いても笑える。
余談だが、この讃美歌のメロディは文部省唱歌「星の界(よ)」として使われている。年配の方なら歌詞はご存知だろう。
月なきみ空に きらめく光
嗚呼その星影 希望のすがた
人智は果てなし 無窮の遠(おち)に
いざその星影 きわめも行かん

一之輔『短命』
隠居が、短命の暗示で「なによりも傍(そば)が毒だと医者が言い」と言うと、通常は「蕎麦はダメってぇこっとは、ウドンにすりゃいいんだ」と返すが、一之輔では「分かった!蕎麦アレルギーでしょ」と返す。続けて「だけど富士そばの蕎麦なら大丈夫、あれは蕎麦粉が入ってないから」に、隠居「入ってるよ!」。
こういう処が、一之輔が受ける要因だ。
彼は頭が良いんだと思う。それは偏差値的な能力ではなく、落語を演じる能力だ。

木久蔵『勘定板』
・未だ噺家の喋りになっていない
・未だ登場人物の演じ分けが出来ていない
真打になって12年で、このテイタラク。
馬風が落協の会長時代に、三平と木久蔵を真打にしたのは失敗だったと冗談めかして言ってたが、あれは本音かな。

生志『悋気の独楽』
昨年ニューヨークに行った時に土産でトランプの帽子を買い、近くのレストランで店員に見せたら、「トランプは気違いだ」と言いながら指で銃の形を作り、頭に向けて「バーン」という仕草を見せていたというエピソードを紹介していた。米中摩擦から香港デモ、日本の政治家も俎上にあげ批判しまくり。N国党への批判もしていたが、こうなると「N国党から日本を守る党」が要るかも知れないね。
ただ、マクラに力を入れ過ぎたのか、ネタに入ってテンションが下がってしまった。全体に冗長な印象を受けた。

『大喜利』では生志が司会。木久蔵がイジラレ役で活躍。そうか、木久蔵はこのためにメンバーに入っているのか。

2019/08/12

【書評】”ルポ「断絶」の日韓 なぜここまで分かり合えないのか”

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牧野愛博 ”ルポ「断絶」の日韓 なぜここまで分かり合えないのか” (朝日新書–2019/6/13初版)

世の中は「嫌韓」「反韓」一色だ。「韓国とは直ちに断交すべき」といった勇ましい言説が支持を得ている。ネットにはまるで同一人物が書いたような文章がならび、識者らが少しでもこれに異論を唱えると袋叩きにあう始末。きっと戦時中もこんな雰囲気だったのかと思うと背筋が寒くなる。
日韓関係が悪化して、民間人にとって得になることは何もない。得をするのは両国の政権だ。支持率の向上には両政権とも恩恵を受けているようだ。
しかし、ポピュリズムに乗っかった外交がいかに危険かは歴史が証明している。
日韓の関係悪化に伴って、つい最近まであれほど騒がれていた北朝鮮の脅威は、すっかりどこかに飛んでいってしまったようだ。国民に避難訓練まで呼びかけ、これを批判した著名人が「国賊」と非難を受けたのがウソのようだ。
ここのところ連日のように北はミサイルを発射しているが、最初の発射に際して安部首相が「我が国の安全保障には影響しない」と語っていたのには驚いた。
先日の北朝鮮のミサイルは”KN-23”型と呼ばれるものだが、低軌道を飛び、しかも降下中に微妙に水平方向への滑空を繰り返す機能を有しているので、ミサイル防衛での迎撃がきわめて難しい。短距離だが射程800キロメートル以上は可能なので、韓国全土と日本の中国地方や九州北部を攻撃できる代物だ。
トランプはアメリカには届かないからと悠然としているが、こっちはそうはいかない。
安全保障の面でも日韓は協力しなくてはいけない。「嫌韓」を叫ぶ人々は、それが誰の利益になるのかをよく考えたほうが良い。

本書の著者は朝日新聞のソウル支局長を務め、現在は論説委員。通算して約10年韓国にいたので、内情にはかなり詳しい。加えて、国交のなかった時代から長く韓国の領事などを務めてきた町田貢と親しく、彼の知見も多く引用されている。
余談だが、アマゾンで自分の気に入らない著者の本だと片っ端から★一つを付けている者がいる。本書もその被害にあっているようだが、まったく「あの連中」にも困ったもんだ。

その町田貢の見解として、次のように記されている。
”「過去の取り決めも、現在の判断で覆して構わないという韓国の国情も大きい」。
韓国は5年間の大統領の任期が変わるたびに、政策が大きく変わる。外交分野では遠慮があるが、日本はその例外にあたる。「民族を抹殺し統治した日本への遠慮はいらないという感情が根底にある」”
このたびの日韓関係の悪化の原因となった文在寅政権の政策を端的に表したものだ。
朴槿恵政権を打倒して生まれた文在寅政権は、朴の決めた事を全て覆そうとしている。その典型が慰安婦問題であり、徴用工問題だ。
韓国では歴代大統領はいずれも暗殺、あるいは自殺、それでなければ刑務所だ。
朴前大統領は懲役24年の判決が確定し収監されている。朴政権の高官のうち60名が刑務所に入れられ、その他の人もいつ逮捕されるかビクビクしながら暮らしているとか。
ここまで来ると、司法権を使った報復にしか見えない。

文政権の中枢は、韓国の軍事政権の時代に民主化運動を進めた人たちが中心だ。彼らは日韓賠償協定を、日本政府が軍事政権を支援したものと捉えている。だから余計に日本政府に対して厳しい態度を取る。
日章旗を戦犯旗と決めつけたり、レーダー照射問題に対する感情的な対応もそこから来ている。
韓国の外交は対米、対日本が中心だったので、優秀な外交官はアメリカや日本の部門に集まっていた。処が、文は彼らを嫌い一斉に閑職に追いやってしまった。その結果、正確な情報が大統領府に伝わらなくなった。外交部長官(外務大臣に相当)の康京和は英語は堪能だが、外交は素人に近い。この点は、日本の河野も同様だが。
そうした事も外交が停滞している一因となっている。

悪化した日韓関係を修復するには、首脳同士が良好な関係を結ぶしかない。かつて今の様な状況に陥った際に見せた中曽根康弘や橋本龍太郎のような腹芸を、安倍晋三には期待できそうもない。
それどころか、文が安部に悪い印象を持ったのは、著者によれば次の出来事が発端のようだ。
2015年の日韓首脳会談で、安部が文に「米韓合同演習をこれ以上遅らせないで実施すべきだ」と発言した。この一言で文は顔色を変え、「この問題は我々主権の問題だ。内政問題を、安部首相がとり上げて貰っては困る」と反論した。
文が、元々は弁護士で外交的でないのに対し、安部は自分の主張をまくしたてる癖がある。そのため、二人の間で会話のキャッチボールが出来ない。
さらに困ったことに、両首脳とも関係改善の意欲を持たない。
かつて、後藤田正晴元官房長官が、「この地上に、戦争の記憶を持った中国や韓国の人が一人でも残っているうちは、我々は憲法改正の話を持ち出してはいかんのだ」と語っていた。そういう政治家が与党に誰もいないということも、問題の解決を難しくしている。

なお、著者がソウル支局長をしている際には、当局から電話の盗聴、メールのハッキング、外出すれば尾行がついていたそうだ。携帯電話が常にモニタリングされていて、人と会うのも気を遣う。
本社への大事な連絡は近くの公衆電話を使っていたが、それでも危ないと思う時もあったという。
監視は日本の記者だけが対象とされていて、他の外国の記者に対しては行われていないという。どうやら、日本の記者は防諜の対象になっているようだ。
著者が文政権に厳しい目を向けるのも、こうした事情があるからかな。

2019/08/10

「人形の家 Part2」(2019/8/9)

PARCOプロデュース2019「人形の家 Part2」
日時:2019年8月9日(金)19時(上演時間:1時間45分)
会場:紀伊國屋サザンシアター
脚本:ルーカス・ナス
翻訳:常田景子
演出:栗山民也
<   キャスト  >
永作博美/ノラ
山崎一/夫・トルヴァル
梅沢昌代/乳母・アンネ・マリー
那須凜/娘

イプセンの戯曲「人形の家」が上演されたのが1879年で、本作品ではノラが家に帰ってきたのが15年後ということだから、時代は19世紀末ということになる。
ノラが15年ぶりに家に帰ったのは、家族との再会のためではなく、ある用事があったから。
ノラは、今では女性の自立をテーマとして本を書き、ベストセラーにもなっている。処が、その本を読んだ読者の女性が離婚し、怒った夫がノラの素性を確かめると、戸籍上ノラは未だトルヴァルの妻であることを突き止め、世間に公表するとノラを脅迫する。
ノラは、家を出るときに離婚届けを出すようトルヴァルに頼んでいて、自分は独身であることを信じ、本の中でもそのことを書いていた。もし事実が世間に知れれば、ノラは社会的に抹殺される。そこで、トルヴァルに会って、約束通り離婚届けを出すよう催促に来たのだ。
しかし、ノラの申し出をトルヴァルは一蹴する。お前が勝手に出て行ったんだから離婚はしないと主張する。
仕方なくノラは、乳母や、今は立派に成長した娘にトルヴァルへの説得を依頼するが、15年間行方不明だったノラは死亡したことになっていた。そのことを前提にトルヴァルとその家族は長いあいだ生活をしてきていたので、今さら離婚届けを出すわけには行かないという理由があった。
困惑するノラ、果たして解決の道は開けるだろうか・・・。

本作品のテーマも女性の自立だ。
舞台は5場構成で、各場が「ノラvs.乳母」「ノラvs.夫」「ノラvs.娘」といった具合に、2人芝居が連続した形で進行するディスカッション・ドラマだ。
本来は19世紀末の時代設定のはずだが、議論されているテーマは今日的であり、現在進行形である。
終始、緊張感あふれる舞台は、休憩なしの1時間45分の長さを感じさせない。

4人の出演者はいずれも熱演で、初日にも拘わらず完成度の高い演技を見せていた。
ノラを演じた永作博美は2度目だが、演技はもちろんのこと、魅力的で舞台映えする女優だ。

公演は、9月1日まで

2019/08/08

書評『9条入門』

9


加藤典洋『9条入門 (「戦後再発見」双書8)』(創元社–2019/4/19初版)
創元社の「戦後再発見」シリーズは力作揃いで示唆されることが多いので愛読しているが、今回は著者の加藤典洋の遺作となった『9条入門』をとり上げてみたい。
戦後、日本国憲法について改憲か護憲かの中心テーマは9条の解釈と改正であり、それは今日まで続いている。本書は、先ず憲法9条がどのような経緯で作られたのか、その後どのように変遷してきたのかを纏めたものだ。

「9条は押し付けか」
改憲論議の中で必ず出てくる問題として、現憲法、特に第9条が押し付けられたかどうかが論議の的になってきた。本書では9条は連合国からでも米国からでもない、連合国総司令部(GHQ)最高司令官であるマッカーサーという特異な人物によって押し付けられたものだという。

「9条と1条はセットだった」
ポツダム宣言を受け入れて敗戦国となった日本に対して、最高指導者たる昭和天皇の戦争責任と処罰を求める声は、アメリカ本国はもとより、ソ連やオーストラリアなど多数を占めていた。
しかし、マッカーサーは日本の状況を考察し、天皇を処罰するより利用した方が占領政策が順調に進むと考えた。処が、米国を始め連合国からは、天皇制を残しておけば、日本はまた再び軍国主義になって他国に戦争を仕掛けるという疑念が強かった。そこでマッカーサーは、象徴天皇制という1条と、戦争放棄という9条とを組み合わせることにより、関係諸国を説得した。

「9条は特別の戦争放棄かorただの戦争放棄か」
9条の解釈として、自衛権を認めているか否かが論争の的だった。他国の憲法でも戦争放棄に規定はあるが、自衛権まで放棄というのは例がない。
憲法作成にあたってマッカーサーが指示した「ノート」にはこうある。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸空海軍を持つ機能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本に与えられることもない。」
マッカーサーの指示は明快で、自衛のための戦争を含む全ての戦争を放棄するという「特別の戦争放棄」だった。処が、これを憲法に文案化したGHQの担当者がマイルドに書き換え、現在の9条の形になった。その曖昧さが、時の政府によって解釈の差異を生むことになる。

「なぜ日本国民は、9条を熱狂的に支持したのか」
9条が押し付けだとして、ではなぜ当時の日本国民は熱狂的にそれを支持したのか。
今の人には想像もつかないだろうが、神と仰いできた天皇が突然人間宣言をしてしまった。信仰の対象であった天皇を失った日本人の心の空白に、9条という世界をリードする平和主義という光輝が埋めてくれたのだと本書は推測する。
一方のマッカーサーにとっては、1948年の米国大統領選挙の最有力候補だったわけで、軍国主義の日本を世界に冠たる平和国家に変貌させたという実績が必要だった。
両者はそこで完全に一致したのだ。

「9条への逆風」
マッカーサーの大統領選挙の敗北と司令官の解任と、彼の国連中心主義やソ連融和路線が否定されてゆく。
日本にとり、マッカーサーにとってかわったのが国務長官顧問のダレスで、以後はダレスが辣腕を振るうことになる。
米国内では赤狩りが巻き起こり、日本にもその影響が拡がってゆく。
・ソ連の原爆の開発
・核爆弾の国際共同管理の否定
・中華人民共和国の樹立
・朝鮮戦争の勃発
こうした世界情勢を背景にして冷戦が始まり、アメリカによるソ連や中国の封じ込め作戦が強化される。同時に、日本を共産主義の防波堤にするという米国の政策が前面に出てくる。
これに対応して日本政府も、9条は自衛権を否定していないという解釈に変え、自衛隊の前身である警察予備隊を創設する。

「平和条約と安保条約」
いよいよ占領下から独立を迎えつつあった日本だが、独立と同時に占領軍は引き揚げねばならない。しかし米国は軍隊を引き続き日本に駐留させる意向だった。
日本政府としては当初、日米は対等の立場を前提にして、日本に米軍基地を置かせるが、日本が外部から攻撃を受けたときは米国が日本を守る。基地の使用にあたっては日本の法律に基づき相互の制限を設けるという案をたてた。
アメリカは、占領下の特権をそのまま保持し、無制限の基地使用を日本に認めさせるという方針だった。ダレスが強硬に主張した。
この米国案には、吉田首相を始め日本政府は抵抗するが、ある時を境に米国案を丸呑みにしてしまう。つまり、日本がアメリカに依頼して基地を置いて貰うという前提にした。これなら米国の特権は守れる。また、沖縄は引き続き米国占領下に置かれることになった。
結果はアメリカの完勝だった。
かくして、1951年にサンフランシスコ条約と日米安全保障条約が締結される。安保と9条が併存する時代に入るわけだ。

「昭和天皇と9条」
昭和天皇はマッカーサーとは頻繁に会見をしているが、憲法が公布された直後の会見は、9条で国が守れるかといった趣旨の不安を口にしている。それに対してマッカーサーの方は、「戦争をなくすには、戦争を放棄するしかありません」と、理想論で応じている。
憲法施行後の会見で天皇は、「日本の安全を図るためには、アングロサクソンの代表者であるアメリカがそのイニシアティブをとることを要するものでありまして、このため元帥のご支援を期待しております」と述べている。つまり事実上、アメリカの軍事力による日本の安全保障を求めている。
その4か月後に、マッカーサー及び米国国務長官宛に、天皇のいわゆる沖縄メッセージが出されている。
「アメリカが沖縄及び他の琉球諸島を軍事占領すること」を希望し、「その占領はアメリカの利益となり、また日本を保護することにもなる」「さらに、沖縄などへの軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与というフィクションの形を取るべきである」。
1950年の天皇からダレス宛の文書メッセージでは、「基地問題をめぐる最近の誤った論争も、日本側からの自発的オファによって避けることが出来るだろう」としている。
こうした昭和天皇の発言やメッセージから、平和条約や安保条約の骨格には、天皇の意思が働いたと推測できる。
発言から浮かんでくるのは、冷徹なリアリストとしての天皇の姿であり、戦後最大の「政治家」だったということだ。
昭和天皇はマッカーサーが大統領選に落選すると、その後はダレスに接近する。マッカーサーが離任した際には、要請があったにも拘わらず見送りにも行かなかったという。

著者はあとがきで、こう結んでいる。
自分たちにとって、なにが一番、大切なのか。
これからどうすることが、自分たちにとって本当に必要なのか。
著者はこの後の日本の政治について書く予定にしていたようだが、残念ながら急逝によりそれは叶えられなくなってしまった。

2019/08/06

国立8月上席(2019/8/5)

国立演芸場8月上席・中日

前座・金原亭乃ゝ香『牛ほめ』
<  番組  >  
金原亭馬久『強情灸』
金原亭馬玉『幇間腹』
東京ガールズ『音曲バラエティ』
金原亭世之介『船徳(序)』
桂藤兵衛『お化け長屋』
─仲入り─
マギー隆司『奇術』
三遊亭歌武蔵『漫談』
鏡味仙三郎社中『太神楽曲芸』
金原亭馬生『包丁』

国立8月上席は落協の芝居で、トリの馬生が日替わりでネタ出ししている。中日が『包丁』だったのでこの日に出向く。入りは平日の国立としてはマアマアだった。

乃ゝ香『牛ほめ』
前回聴いた時よりは多少サマになってきた。

馬久『強情灸』
素直な芸は好感が持てる。

馬玉『幇間腹』
悪くないんだけど、印象が薄いんだよね。

東京ガールズ『音曲バラエティ』
小糸(左)と小夏(右)の女性邦楽ユニット。『勧進帳』はお見事、貴重な存在なので頑張って欲しい。

世之介『船徳(序)』
船頭の失敗を親方が叱る所で切っていたが、なんとも中途半端。
若い頃はTVで売れ、レコード(CD)を出したり、本を書いたりと多才だが、噺家としてはどうだろうか。
ここ十数年、この人の高座で感心したことは一度もない。この日もそうだが、なんか中途半端なのだ。このままで終わらせる心算だろうか。
まあ、大きなお世話だけどさ。

藤兵衛『お化け長屋』
本寸法の高座で前半を締める。

歌武蔵『漫談』
白鵬の土俵入りが綺麗じゃないとか、貴景勝は横綱になれないとか、さすが大相撲の解説になると的確だ。

馬生『包丁』
このネタ好きなんだけど演じ手が少ない。難しいんだろうね。
女たらしの久次、その女房で清元の師匠であるおあき、金欲しさに久次の片棒を担ぐ羽目になる寅。この3人の人物像や心の動きが表現できるかが勝負だ。
「寅」、自分は苦労しても失敗ばかりで目が出ないのに、久次はおあきの元に入り込み気楽なヒモ暮らし。あまつさえ、若い女と一緒になるためにおあきを騙し、田舎芸者に売り飛ばし一儲けを企んでいる。金欲しと言いながら、どこか久次には反発する気持ちがある。実際におあきに会ってみれば、これがいい女だ。そう思うと、おあきに対する同情心も生まれてくる。最終的には寅は久次を裏切るのだが、その伏線は寅の心理状態にあったんだろう。
「おあき」、婀娜で鉄火な年増だが、堅物である一方、男無しには生きていけない可愛らしい女として描かれる。最初は蛇蝎のごとく嫌っていた寅だが、全てを打ち明けてくれた正直さに惚れ、この男なら一緒になってもいいと心に決める。久次とは正反対の男を選んだことになる。
馬生の高座はこうした人物たちの心の綾を描いて、好演だった。

2019/08/04

大手町落語会(2019/8/3)

第56回「大手町落語会」
日時:2019年8月3日(土)13時
会場:日経ホール
<  番組  >
柳家わさび『茗荷宿』
三遊亭天どん『消えずの行灯』
三遊亭白鳥『豆腐屋ジョニー』
~仲入り~
柳家喬太郎『池袋スナックランドぞめき』  
柳家さん喬『へっつい幽霊』

「大手町落語会」の8月公演、過去のプログラムを見ると、トリはさん喬の大ネタに喬太郎の新作を軸に、扇辰らの古典という組み合わせになっている。今回も軸は変わらなかったが、前方が円丈門下の新作2本という構成。

わさび『茗荷宿』
今秋、真打に昇進の様だ。とりとめのないマクラをダラダラと振ってネタに入ったが、こういう噺はもっとリズムよく運ばねば。

天どん『消えずの行灯』
古典に『本所七不思議』というネタがあり、その中に『消えずの行灯』という噺がある。夜道を歩いていると屋台のソバ屋の灯りがある。行ってみるとソバの道具が揃えてあるのに主人がいない。変だなと思って家に帰ると、その後は必ず凶事が起こるという。
これを基にした新作の様で、若い男女が主人のいない屋台で勝手にソバを作っていると・・・、というストーリー。
大して面白くなかった。

白鳥『豆腐屋ジョニー』
弟子の頃、先輩から浅草演芸ホールに近い三平ストアに買い物にいかされた思い出からネタに。
店の売り場を争うジョニーという豆腐と、マーガレットというチーズ、敵対する両者の切ない恋心。そこに貴族のマロニーが加わり・・・、というストーリー。
ラブロマンスとハードボイルを組み合わせた新作という触れ込みだったが、ストーリーより専らクスグリで笑いを取っていた。

喬太郎『池袋スナックランドぞめき』
古典の『二階ぞめき』をベースにして、若旦那の道楽を吉原から池袋スナックランドに置き換えた新作。
中身は、お馴染みの池袋と立ち食い蕎麦の蘊蓄を集めたもので、どこかで聴いたことのある話ばかり。新作としては安易だ。
仲入り前が新作2本だったので、今回は古典で良かったのでは。

さん喬『へっつい幽霊』
いかにもさん喬らしいキッチリとした高座で最後を締めた。
ただ、このネタは3代目三木助や談志の名演に見られるように、江戸前のスカッとした喋りが欲しい所。これは好みの問題だけどね。

トリを除けば、「大手町落語会」の看板が泣くぜ。

2019/08/02

ポンちゃんの快気祝い

昨日は、ポンちゃんの快気祝いの飲み会。いつもの飲んだくれのメンバーに、ポンちゃんをゲストに招いてお祝いをした。
ポンちゃんはボクの二つ年上の女性だ。まだ20代の前半のころ、お互いに労組の青年婦人部の役員をしていて知り合った。だから、半世紀を超える付き合いだ。ボクからすれば憧れのお姉さんだったが、既に彼女には決まった人がいたので恋愛感情を持つことはなかった。彼女の結婚式にはボクが招かれ、ボクの結婚式には彼女が参列してくれた。

ポンちゃんは、仕事を続けながら2度の出産をして、夫が長期の海外生活というハンディを抱えながらも二人の子どもを育てあげた。
仕事で一緒になることは無かったが、そういうポンちゃんの姿はずっと見てきた。
しかし、50代になってからポンちゃんに病魔が襲う。二度の乳がんの手術、それを克服したら筋肉系の難病に罹り、今も治療を続けている。そこに、今年の3月に大腸がんがみつかり、手術をしてようやく回復したというわけだ。
ポンちゃんの家族にも不幸が襲う。定年を過ぎて間もなくご主人を亡くした。その前後には最も頼りにしていた妹さんが50代で亡くなってしまう。

普通なら心が折れてしまう所だが、彼女は元気一杯だ。
昨日もポンちゃんは午前中は太極拳、昼にはその仲間とビールを飲んで、夕方からはボクたちの飲み会の参加したというわけ。それで、こちらが心配になるほど飲み、かつ食べていた。
今度の快気祝いも本来はもっと早くやる予定だったが、選挙が終わってからという彼女の意向で昨日になった。現在も地域活動をやるかたわら、集会やデモに参加している。

怠惰なボクにとってポンちゃんは、未だに仰ぎ見るような存在なのだ。

2019/08/01

古今亭菊志ん『業平文治』(2019/7/31)

「古今亭菊志んThe東京マンスリー2019」
日時:2019年7月31日(水)18時45分
会場:お江戸日本橋亭
≪  番組  ≫
『オープニングトーク』
前座・春風亭朝七『桃太郎』
古今亭菊志ん『くしゃみ講釈』
古今亭菊志ん『これまでの業平文治』
古今亭菊志ん『業平文治・4』
~仲入り~
古今亭菊志ん『幾代餅』

吉本の騒動で思うのだが、世間はいつから芸人に対して「清廉潔白」を求めるようになったんだろうか。私たちが住む世界が此岸なら、芸人の世界は彼岸だ。此岸の論理で彼岸を批判すべきでない。
第一、客は芸人を選べるが、芸人は客を選べないのだ。

古今亭菊志ん、二ツ目時代に柳家三三と二人会を開いていて何度か聴きにいったことがある。当時は二人の力は拮抗していると見ていたが、現在は実力はともかく、人気、知名度では大きく水をあけられている。
一昨年からは、三遊亭圓朝作の長編ものを数か月かけて口演するという企画に取り組んでいるようで、今年は業平文治、この日はその4回目となる。

『オープニングトーク』で、来年の企画は『真景累ヶ淵』に決まったとのこと。

朝七『桃太郎』
最近、よくこの人の高座に出会う。将来性あり。

菊志ん『くしゃみ講釈』
菊志んは『兵庫船』でも講談を披露しているが、講釈が得意なんだろう。
この人の高座を一口で表すと、さっぱりした芸風と言える。そうした意味では江戸落語を体現している。

菊志ん『これまでの業平文治』
ワイドショーのMCみたいな感じで粗筋を紹介していた。
業平文治の人間関係を、「圓朝作品のあらすじ」サイトから以下に引用させて頂いたので、参考にしてください。
Mapbunji
先日のNHKのBSプレミアム「英雄たちの選択」で、圓朝が明治政府からの要請で新時代に相応しい作品を書くように指示され『塩原多助』を書いた。だが、圓朝としては納得がいかず、バランスを取るために、色と欲、暴力の世界を描いた『業平文治』を書いたとのこと。
物語は、強きを挫き弱きを助ける義侠心の男・業平文治のアクションストーリー。敵対した相手も次々と文治に惚れ込み、子分になってゆく。そして最悪人である大伴蟠龍軒との争いを中心に物語は展開する。

菊志ん『業平文治・4』
今回のあらすじは、大伴蟠作が友之助の店で、以前に血道を上げたお村を見つけ一計を案じ、友之助を賭碁で負かし、百両の借金のかたにお村を奪い妾にしてしまう。百両を用意してお村を取り戻しにいった友之助だが、借用書は三百両に書き変えられていて、友之助は大伴の門弟に打たれて瀕死の状態に。そこへ業平文治通りかかるが,母を同道しているため手出しができず・・・。
圓朝のおどろおどろしい世界を、菊志んは軽妙に語ってみせた。

菊志ん『幾代餅』
古今亭のお家芸ともいうべきネタ。いかにも善良そうな清蔵の人物像がよく描かれていた。年季のあけた幾代が、この人なら信用おけると判断したのは正解だったね。

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