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2019/08/08

書評『9条入門』

9


加藤典洋『9条入門 (「戦後再発見」双書8)』(創元社–2019/4/19初版)
創元社の「戦後再発見」シリーズは力作揃いで示唆されることが多いので愛読しているが、今回は著者の加藤典洋の遺作となった『9条入門』をとり上げてみたい。
戦後、日本国憲法について改憲か護憲かの中心テーマは9条の解釈と改正であり、それは今日まで続いている。本書は、先ず憲法9条がどのような経緯で作られたのか、その後どのように変遷してきたのかを纏めたものだ。

「9条は押し付けか」
改憲論議の中で必ず出てくる問題として、現憲法、特に第9条が押し付けられたかどうかが論議の的になってきた。本書では9条は連合国からでも米国からでもない、連合国総司令部(GHQ)最高司令官であるマッカーサーという特異な人物によって押し付けられたものだという。

「9条と1条はセットだった」
ポツダム宣言を受け入れて敗戦国となった日本に対して、最高指導者たる昭和天皇の戦争責任と処罰を求める声は、アメリカ本国はもとより、ソ連やオーストラリアなど多数を占めていた。
しかし、マッカーサーは日本の状況を考察し、天皇を処罰するより利用した方が占領政策が順調に進むと考えた。処が、米国を始め連合国からは、天皇制を残しておけば、日本はまた再び軍国主義になって他国に戦争を仕掛けるという疑念が強かった。そこでマッカーサーは、象徴天皇制という1条と、戦争放棄という9条とを組み合わせることにより、関係諸国を説得した。

「9条は特別の戦争放棄かorただの戦争放棄か」
9条の解釈として、自衛権を認めているか否かが論争の的だった。他国の憲法でも戦争放棄に規定はあるが、自衛権まで放棄というのは例がない。
憲法作成にあたってマッカーサーが指示した「ノート」にはこうある。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸空海軍を持つ機能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本に与えられることもない。」
マッカーサーの指示は明快で、自衛のための戦争を含む全ての戦争を放棄するという「特別の戦争放棄」だった。処が、これを憲法に文案化したGHQの担当者がマイルドに書き換え、現在の9条の形になった。その曖昧さが、時の政府によって解釈の差異を生むことになる。

「なぜ日本国民は、9条を熱狂的に支持したのか」
9条が押し付けだとして、ではなぜ当時の日本国民は熱狂的にそれを支持したのか。
今の人には想像もつかないだろうが、神と仰いできた天皇が突然人間宣言をしてしまった。信仰の対象であった天皇を失った日本人の心の空白に、9条という世界をリードする平和主義という光輝が埋めてくれたのだと本書は推測する。
一方のマッカーサーにとっては、1948年の米国大統領選挙の最有力候補だったわけで、軍国主義の日本を世界に冠たる平和国家に変貌させたという実績が必要だった。
両者はそこで完全に一致したのだ。

「9条への逆風」
マッカーサーの大統領選挙の敗北と司令官の解任と、彼の国連中心主義やソ連融和路線が否定されてゆく。
日本にとり、マッカーサーにとってかわったのが国務長官顧問のダレスで、以後はダレスが辣腕を振るうことになる。
米国内では赤狩りが巻き起こり、日本にもその影響が拡がってゆく。
・ソ連の原爆の開発
・核爆弾の国際共同管理の否定
・中華人民共和国の樹立
・朝鮮戦争の勃発
こうした世界情勢を背景にして冷戦が始まり、アメリカによるソ連や中国の封じ込め作戦が強化される。同時に、日本を共産主義の防波堤にするという米国の政策が前面に出てくる。
これに対応して日本政府も、9条は自衛権を否定していないという解釈に変え、自衛隊の前身である警察予備隊を創設する。

「平和条約と安保条約」
いよいよ占領下から独立を迎えつつあった日本だが、独立と同時に占領軍は引き揚げねばならない。しかし米国は軍隊を引き続き日本に駐留させる意向だった。
日本政府としては当初、日米は対等の立場を前提にして、日本に米軍基地を置かせるが、日本が外部から攻撃を受けたときは米国が日本を守る。基地の使用にあたっては日本の法律に基づき相互の制限を設けるという案をたてた。
アメリカは、占領下の特権をそのまま保持し、無制限の基地使用を日本に認めさせるという方針だった。ダレスが強硬に主張した。
この米国案には、吉田首相を始め日本政府は抵抗するが、ある時を境に米国案を丸呑みにしてしまう。つまり、日本がアメリカに依頼して基地を置いて貰うという前提にした。これなら米国の特権は守れる。また、沖縄は引き続き米国占領下に置かれることになった。
結果はアメリカの完勝だった。
かくして、1951年にサンフランシスコ条約と日米安全保障条約が締結される。安保と9条が併存する時代に入るわけだ。

「昭和天皇と9条」
昭和天皇はマッカーサーとは頻繁に会見をしているが、憲法が公布された直後の会見は、9条で国が守れるかといった趣旨の不安を口にしている。それに対してマッカーサーの方は、「戦争をなくすには、戦争を放棄するしかありません」と、理想論で応じている。
憲法施行後の会見で天皇は、「日本の安全を図るためには、アングロサクソンの代表者であるアメリカがそのイニシアティブをとることを要するものでありまして、このため元帥のご支援を期待しております」と述べている。つまり事実上、アメリカの軍事力による日本の安全保障を求めている。
その4か月後に、マッカーサー及び米国国務長官宛に、天皇のいわゆる沖縄メッセージが出されている。
「アメリカが沖縄及び他の琉球諸島を軍事占領すること」を希望し、「その占領はアメリカの利益となり、また日本を保護することにもなる」「さらに、沖縄などへの軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与というフィクションの形を取るべきである」。
1950年の天皇からダレス宛の文書メッセージでは、「基地問題をめぐる最近の誤った論争も、日本側からの自発的オファによって避けることが出来るだろう」としている。
こうした昭和天皇の発言やメッセージから、平和条約や安保条約の骨格には、天皇の意思が働いたと推測できる。
発言から浮かんでくるのは、冷徹なリアリストとしての天皇の姿であり、戦後最大の「政治家」だったということだ。
昭和天皇はマッカーサーが大統領選に落選すると、その後はダレスに接近する。マッカーサーが離任した際には、要請があったにも拘わらず見送りにも行かなかったという。

著者はあとがきで、こう結んでいる。
自分たちにとって、なにが一番、大切なのか。
これからどうすることが、自分たちにとって本当に必要なのか。
著者はこの後の日本の政治について書く予定にしていたようだが、残念ながら急逝によりそれは叶えられなくなってしまった。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

書き残した部分を読みたかったですね。

佐平次様
この本では安保の締結で終わってますので、著者はその先をどう書こうとしていたか、そこが残念です。

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