能『錦木』・狂言『船渡聟』(2019/9/14)
能『錦木』・狂言『船渡聟』
日時:2019年9月14日(土)13時
会場:国立能楽堂
1.解説・能楽あんない『鄙の風流ということ』 林望(作家)
2.狂言・大蔵流『船渡聟(ふなわたしむこ)』
シテ/聟:茂山忠三郎
アド/舅:大蔵弥右衛門
アド/太郎冠者:大蔵基誠
3.能・金剛流『錦木(にしきぎ)』
前シテ/男・後シテ/男の霊:廣田幸稔
ツレ/女:豊嶋晃嗣
ワキ/旅僧:飯富雅介
笛:一噌幸弘
小鼓:曽和鼓堂
大鼓:高野彰
国立能楽堂の定期公演で、9月の普及公演にリンボウ先生が解説するということで出向く。リンボウ先生の著作は読んだことがあるが、講演は初めてだ。講演なれしているらしく分かり易い解説で、話し方も正面と脇正面を交互に体を向けながら話していた。
『錦木』は世阿弥作とされていて、当時は高貴な女性というのは男性からプロポースされても先ずは拒否するのが慣わしだった。そこで男性は何度も自分の意思を伝え、やがて女性が受け容れる場合もあれば、拒絶される場合もある。
都であれば男性は手紙をしたためて女性に贈るが、都から見れば東夷である東北地方の人は字の読み書きができないと考えられていた。
そこで、奥州では錦木と呼ばれる木片(又はその束)を男性が恋しい人の家の前に置き、女性がOKなら錦木は家の中に、NOならそのまま放置されるという伝説となった。それが時に1000日に及ぶこともあり、錦木は「千束」となる。これでも女性がNOなら、男性は諦めるしかない。遂に夢が叶わぬまま終わってしまった男性の遺体と「千束」が埋葬されたのが「錦木塚」だ。
ここから錦木は「恋文、又はその文例集」を指す意味でも使われた。
もう一つ「細布」というのが出てくるが、細布は幅が狭いので胸元が合わない、つまり女性に会わないという含意となっている。
中世の歌学書に錦木を説明する際の歌に、こうある。
「錦木は立てながらこそ朽ちにけれ、けふの細布胸合わじとや」
「錦木は千束になりぬ今こそは、人に知られぬ閨の内見め」
「陸奥のけふの細布ほど挟み、胸合ひがたき恋もするかな」
2番目の歌は、錦木が千束になって、ようやく女性の閨に通された喜びを歌ったものだ。
ここまで分かると、能の『錦木』への理解も深まる。
狂言『船渡聟』
「聟入り」という風習を描いたもので、聟が結婚後初めて妻の実家を訪れ、舅と盃を交わす儀式を指す。
ここに登場する聟、酒の入った竹筒を持って舅の家に向かうが、途中で乗船する。船頭が竹筒に目をつけ、酒を飲ませろと脅す。聟も酒が飲みたくなり、船上で二人は酒盛りを始め、聟は謡や舞まで披露する。
やがて聟は舅の家に着き、酒を振舞おうとするが・・・。
聟である若者の調子の良さと、舅の聟を思う優しが現れた舞台だった。
能『錦木』
旅の僧が陸奥の国狭布の里(今の秋田県)を訪れると男女に出会い、叶わなかった恋の思いを聞かされる。女が持っていた布は鳥の羽で織った幅の狭い細布、男の持っていた彩色された木は錦木といい、いずれも土地の名物であり男女の恋にゆかりのあるものだと言う。夫婦は男の墓である錦塚に僧を案内し姿を消す。
里の男が、3年間錦木を立て続けた男の恋物語を語り、夫婦の供養をするよう勧め、僧は夜通し弔うと、細布を持った女の霊が現れ僧に感謝し、塚に内から男の声がする。
塚は灯火の輝く家とない、中では女が細布を織り、男が家の門に錦木を立てている。
男の霊は、錦木が家に取り入れられて恋が成就した有様を語り舞い踊る。
やがて夜が明けると、霊の姿は消え、松風の吹く塚だけが残されていた。
最終場面で、男が閨に通された喜びで「黄鐘早舞(おうしきはやまい)」を舞う所が圧巻で、笛、小鼓、大鼓の演奏も素晴らしかった。
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いらしてたのですね。
舟渡し婿は、和泉流では、船頭が舅なんですね。
大蔵流は初めて、これも楽しいですね。
一噌幸弘の笛が、いつもすごいです。
投稿: 佐平次 | 2019/09/16 09:31
佐平次さん
能狂言はビギナーなので、やはり解説があった方が分かり易いんです。リンボウ先生の解説は平易でよく理解できました。
投稿: home-9 | 2019/09/16 10:06