フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 「その指摘は当たらない」 | トップページ | 「ぴっかり☆わん丈 二人会」(2019/10/24) »

2019/10/23

終戦後の日本人が愛した歌

Photo_20191023100601
「青春歌年鑑(戦後編)1 昭和21年~23年(1946年~1948年) 」という2枚組のコンピレーションアルバムがある。この時代のヒット曲をレコード会社の枠を超えて年代順にコレクションした内容で、タイトルに青春とあるが世代に関係なくヒット曲が選ばれている。昭和20年のヒット曲も含まれており、終戦からおよそ2年の間に、当時の日本人がどんな曲を好んでいたかを伺い知ることが出来る。
【曲目リスト】
ディスク:1
1. リンゴの唄
2. 愛のスウィング
3. 麗人の歌
4. 東京の花売娘
5. 悲しき竹笛
6. 黒いパイプ
7. 別れても
8. かえり船
9. 青春のパラダイス
10. 啼くな小鳩よ
11. 雨のオランダ坂
12. 夜霧のブルース
13. 長崎エレジー
14. 夜のプラットホーム
15. 三日月娘
16. 港が見える丘
17. 泪の乾杯
18. 夢淡き東京
19. 胸の振子
20. 誰か夢なき
ディスク:2
1. 星の流れに
2. 山小舎の灯
3. 懐しのブルース
4. 君待てども
5. 東京ブギウギ
6. 夢去りぬ
7. 長崎のザボン売り
8. 流れの旅路
9. フランチェスカの鐘
10. 南の薔薇
11. 三百六十五夜
12. 恋の曼珠沙華
13. 男一匹の唄
14. 湯の町エレジー
15. 異国の丘
16. 憧れのハワイ航路
17. 小判鮫の唄
18. 君忘れじのブルース
19. 東京の屋根の下
20. さよならルンバ

アジア・太平洋戦争が敗戦となった昭和20年8月から、戦争の深い爪痕が残る中で人々は必死に生きてきた。親を子を兄弟を亡くした人、家が焼かれてしまった人、大陸から命からがら引き揚げてきた人で国中が溢れていた。人々は今日をどう生きるか必死だった時代。
それでも、というか、それだからこそ娯楽への希求心もまた強かった。
昭和20年の10月には松竹歌劇団(SKD)の戦後第1回公演が開かれ、11月には大相撲と早慶戦、12月にはNHKラジオで「紅白音楽試合」(第1回紅白歌合戦)が放送された。
戦時中は禁止されていた外国の映画やレコードがどっと入ってきて、映画館に人が押し寄せ、戦時歌謡から解放された新しい時代の歌謡曲が続々と作られた。
昭和20年にジャズの「センチメンタル・ジャーニー」「ビギン・ザ・ビギン」がヒット。
昭和21年には、洋画の「カサブランカ」「うたかたの恋」などが上映された。

日本国内でも次々と新しい映画が製作され、その主題歌が出演している歌手によって歌われヒットした作品が生まれる。
映画「そよかぜ」から主題歌「リンゴの唄」:出演と歌唱は並木路子
映画「或る夜の接吻」から主題歌「悲しき竹笛」:出演と歌唱は奈良光枝
映画「懐しのブルース」から主題歌「懐しのブルース」:出演と歌唱は高峰三枝子
などが代表的。
他に、曲がヒットしてから同じタイトルの映画が製作されたものが多数ある。

海外からの曲が紹介されると同時に、それらのリズムが歌謡曲に採り入れられようになる。「00の女王」という呼称が生まれた。
「ブルースの女王」淡谷のり子:「君忘れじのブルース
「スィングの女王」池真理子:「愛のスウィング
「ブギの女王」笠置シズ子:「東京ブギウギ」 
他に、この時期はタンゴの曲が目立つ。「夜のプラットホーム」「誰か夢なき」などで、とりわけ「夢去りぬ」はタンゴそのものだ。

戦後を代表する歌手といえば、やはり「おかっぱる」こと岡春夫だ。
青春のパラダイス」「啼くな小鳩よ」「男一匹の唄」「憧れのハワイ航路」「東京の花売娘」と5曲も入っている。
あの突き抜けるような明るい歌声が、当時の人々の琴線に触れたのだろう。

戦争に関連した曲として次の4曲があげられる。
夜のプラットホーム」歌唱は二葉あき子
当初は1939年公開の映画「東京の女性」(主演:原節子)の挿入歌として吹き込んだ曲で、戦時下の時代情勢にそぐわないと発禁処分を受けたものが、戦後に改めて発売されヒットした。出征兵士を見送るという曲想になっている。
かえり船」歌唱は田端義夫
敗戦時にはまだ多くの日本人が大陸に残されていた。およそ660万人もの人々が引き揚げる船の情景、人々の心情を歌ったもの。当時の国民の多くが身内や親類に引き揚げ者がいたので、強い共感を呼んだ。
異国の丘」歌唱は竹山逸郎中村耕造
昭和18年に満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲で、戦後シベリアに抑留されていた増田幸治が作詞したもの。非常に強い望郷の思いを歌っている。シベリア抑留者の間で広く歌われていたものが、戦後NHK「のど自慢」の番組を通して広まった。
星の流れに」歌唱は菊池章子
戦後間もないころに、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った女性の手記で、従軍看護婦だった女性が奉天から引き揚げてきたが、家も家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身を嘆いていたというものだった。これを読んだ作詞家の清水みのるは、戦争への怒りや、やるせない気持ち、こみ上げてくる憤りをたたきつけるように作詞した。歌詞の中では明確にされていないが、女性は「パンパン」(米国兵相手の街娼)と見られる。鬼畜米英のスローガンで戦ったのが、戦争が終わるとその米兵相手に身を売らねばならなかったのだ。当初は街娼の間で歌われていたものが、その後広まり大ヒットとなった。
この中で戦争や世相を真正面から告発した曲は「星の流れに」だ。

歌詞のフレーズにある「こんな女に誰がした」は戦争を告発している。又これを歌のタイトルにしようとしていたら、GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、「星の流れに」に変えた経緯がある
「星の流れに」は、日本政府と占領軍の双方への抗議の意思をこめた曲として、永遠に残るだろう。

« 「その指摘は当たらない」 | トップページ | 「ぴっかり☆わん丈 二人会」(2019/10/24) »

音楽」カテゴリの記事

コメント

『港が見える丘(昭和22年) 』声楽家・藍川由美さんの唄が他のどのジャンルの歌(い)手たちが歌ったものより気に入っています、完璧。そのアンニュイがたまりません。

Yackleさん
『港が見える丘 』は色々な歌手がカバーしていますが、戦争直後の港の光景として気怠い平野愛子の歌唱が時代を表現しているように思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「その指摘は当たらない」 | トップページ | 「ぴっかり☆わん丈 二人会」(2019/10/24) »