文楽公演『一谷嫩軍記』(2019/12/6)
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』
「陣門の段」
豊竹咲寿太夫
竹本小住太夫
豊竹亘太夫
竹本碩太夫
竹澤宗助
「須磨浦の段」
豊竹希太夫
野澤勝平
「組討の段」
豊竹睦太夫
鶴澤清友
「熊谷桜の段」
豊竹芳穂太夫
鶴澤藤蔵
「熊谷陣屋の段」
竹本織大夫
豊竹靖太夫
鶴澤燕三
野澤錦糸
「主な人形役割」
熊谷次郎直実:吉田玉志
無冠太夫敦盛:吉田一輔
平山武者所:吉田玉翔
玉織姫:吉田蓑紫郎
相模:吉田蓑二郎
藤の局:吉田勘彌
石屋弥陀六:吉田文司
源義経:吉田玉佳
源氏と平家が激突した「一の谷の合戦」で、平家の公達・平敦盛は十六歳で討死したが、討ち取ったのは源氏方の武将・熊谷次郎直実であった。「平家物語」に出てくるこの物語は数々の芸能に採り上げられきた。本作品もその一つで、この合戦にまつわる伝説や様々なエピソードを加え創作したもの。
全部で5段の構成になっているが、全ては最後の「熊谷陣屋の段」に物語は収斂されている。
源平の合戦で平家には安徳天皇という錦の御旗があったが、源氏にはそれがなかった。
かつて都で御所づとめの侍と腰元だった直実と相模は、私的な恋を咎められ罰せられるところを、藤の局の情けで都を逃れていた。二人にとっては藤の局は命の恩人ともいえる。その藤の局は平経盛に嫁ぎ、一子・敦盛をもうけたが、実は敦盛は後白河法皇のご落胤であった。そうした経緯を知った義経は、敦盛を安徳亡き後の皇位継承者としたいと考え、熊谷直実に敦盛を救出するよう命じる。しかし戦場の味方の前で敵将を助けることなど不可能だ。そこで直実の一子・小次郎がたまたま敦盛と同じ年齢でよく似ていたことから、初陣で負傷した小次郎の首を落とし、それを敦盛の首として差し出すというストーリー。
山場の熊谷直実の陣屋に、直実の妻・相模が息子・小次郎の無事を心配してやって来るが、そこに藤の局も訪れ相模に「我が子の敦盛を討ったのは、おまえの夫・直実である。その仇を討たせよ」と迫り、相模は困惑する。
やがて直実が館に戻るが、陣屋の前には桜の木があり、そこには立て札で「一枝を切らば一指を切るべし」と書いてあった。その制札を直実は深い想いで見つめる。
陣屋に戻った直実が妻の相模に戦で敦盛を討った手柄話をすると、奥から藤の方が「我が子の敵!」と直実に斬りかかる。直実は敦盛の最期を語り、戦場では致し方がなかったことと、藤の方に言い聞かせる。
直実が討ち取った敦盛の首を携えて義経の元へ向かおうとすると、その義経が陣屋に現れ、敦盛の首実検を行なう。すると首桶の中に敦盛の首はなく、そこにあったのは直実と相模の子・小次郎の首だった。
制札の文言にあった「一指を切るべし」とは「一子を斬れ」という意味で、義経が直実に下した「身替り差し出せ」という命令を意味していたのだ。
この有様を見た藤の局は安堵し、相模は我が子を失った悲しみにくれる。
主の命令とはいえ、我が子を手に掛けた直実は世の無常を感じ、出家して僧の姿となり、相模と共に戦場を去る。
総大将の命令とはいえ我が子を手に掛けた直実の苦しみ、それを命じておきながら直実の心中を慮る義経。首実検で死んだのは敦盛ではなく小次郎と分かった時の、藤の局と相模の天国と地獄の逆転。武将には勝ち負けはあるが、妻たちには夫や息子を失う悲しみしかない。いつの時代でも変わらぬ戦争の惨禍を形で示していることが、この芝居が長く愛されている理由だろう。
「熊谷陣屋の段」での、太夫と三味線、そして人形が一体となった舞台は感動的だった。
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コメント
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明日行きます、楽しみです。
投稿: 佐平次 | 2019/12/09 10:36
佐平次さん
行かれると思ってました。感想が楽しみです。
投稿: home-9 | 2019/12/09 11:37