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2020/01/20

お知らせ

しばらく休みます。

2020/01/19

「花形演芸会」(2020/1/18)

第488回「花形演芸会」
日時:2020年1月18日(土)18時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・神田桜子『八百屋お七』
桂伸三『古着買い』
古今亭駒子『ナースコール』
母心『漫才』
三遊亭萬橘『岸柳島』
―仲入り―
爆笑問題『漫才』
桂小すみ『音曲』
古今亭志ん五『子は鎹』

この冬、いちばん寒い日となった18日、会場は満席で熱気に溢れていた。

伸三『古着買い』
『古手買い』のタイトルで知られるネタだが、寄席にかかる機会は少ない。
買い物の下手な男が買い物上手の兄いに頼んで古着を買いに行くという筋で、前半は『壺算』の様な展開だが、後半は兄いが店の番頭に対して胸のすくような啖呵を切り、後から男が兄いの真似をするが、これが間抜け、というのは『大工調べ』に似ている。
伸三は歯切れの良い喋りを活かした啖呵の切れがよく、後から間抜けな啖呵の真似をする男の珍妙なセリフとの対比を見せていた。
未だ芸協の二ツ目の様だが芸は真打と言ってもいい、楽しみな存在だ。

駒子『ナースコール』
駄作(三遊亭白鳥・作)を下手な人が演じると、かくも惨憺たる結果を招くという見本。
取り敢えず師匠は訛りを直させねばなるまい。

母心『漫才』
若手漫才師ではピカイチと言っていいだろう。しゃべくり漫才だが、ボケ役の日本舞踊と歌舞伎の所作を生かした芸で、会話のテンポも「間」もいい。舞踊公演は出演者も金を払う、客も入場料を払う、その両方の金はどこへ行ったんだろうと、う~ん、確かに謎だね。

萬橘『岸柳島』
マクラ半分ネタ半分の高座。電車の中で化粧する女性に、「あれはこの周囲の客には完成形は見せないという決心の現れ」だと。私も宇都宮線で隣に座った女性が約50分かけて基礎から仕上げまで化粧していたのを経験しているが、ビフォア/アフターであまり差が無かったなあ。おっと、これってセクハラ?
ネタはお馴染みだが、船中の町人が後からいちいち「私ね、こうなるって事は予測してましたよ」を繰り返すのがミソ。

爆笑問題『漫才』
普段はメディアで活躍している人がこうした寄席の舞台でナマで演じて客の反応を見るというのは大事なことだ。彼らは毎年1度は花形演芸会に出演しており、その点は評価している。ただ、以前ほどの切れが無くなっている。例えば例の「桜を見る会」のネタにしても、本人たちも参加していた過去があったせいか、鋭さが足りない。
メジャーになると色々な制約が出てくるんだろうな。

小すみ『音曲』
昨年から高座で見るようになったが、ようやく楽しみな音曲の芸人が出てきた。長い間、寄席のお囃子をやっていたから腕は確かだ。この日も三味線から琴、尺八まで披露していた。声帯が強そうなのも長所。さらにトークを磨いて高みを目指して欲しい。

志ん五『子は鎹』
真打披露興行でもこのネタで感心したが、改めて聴いて良さを確認した。先ずこの人は佇まいが良く声が良い。淡々としゃべるタイプだが、聴いていて噺に引き込まれる。
志ん五が演じるこのネタの特長は、別れた女房が本心から熊との復縁を願っているのが表現されていることだ。それは女手一つで子育てをする苦労というのもあるだろうし、熊への哀惜を断ちがたい女心かも知れない。だから亀吉から熊の話を聞いた途端に、この女房が色っぽくなるのだ。うなぎ屋の2階で再会した熊から復縁を切りだされると、女房が「あたしはずっとその言葉を待っていたんですよ」と答える女房の心情にはグッと来るものがある。
トリに相応しい結構な高座だった。

2020/01/17

「吉坊・一之輔 二人会」(2020/1/16)

第11回「桂吉坊・春風亭一之輔 二人会」
日時:2020年1月16日(木)18時45分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・三遊亭かつを『牛ほめ』
春風亭一之輔『短命』
桂吉坊『帯久』
~仲入り~
桂吉坊『七福神』
春風亭一之輔『浜野矩随』

東西の俊英がぶつかる二人会、期待通りの熱演が続いた。

一之輔『短命』
お馴染みのネタだがこの人の手にかかるとグッと面白くなる。
美人の娘の婿になる人がなぜ短命なのか、隠居が色々と謎かけするが男には通じない。
「娘が亭主に飯をよそってやるだろう」
「ああ、そうか、ご飯の中に毒を入れて毒殺?」
「なんで仲のいい亭主を殺さなくちゃいけないんだよ」
「きっと倒錯の愛の果て」
万事がこんな調子だ。
「何よりもそばが毒だと医者が言い」で、蕎麦アレルギーを持ち出す。
炬燵の話をすれば、「一酸化炭素中毒か!」。
この男ときたら鈍いんだか鋭いんだか分からない。隠居が手こずるわけだ。

吉坊『帯久』
同じ町内に商売を営んでいる片や呉服屋泉屋与兵衛は人望が厚く店も繁盛。一方の帯屋久七(帯久)は一癖も二癖もある陰気な人物で店は閑古鳥。そんな帯久が何度か泉屋に金を借りにくるが泉屋は証文なしに貸してあげ帯久も都度返済していた。ある時、帯久が泉屋から100両を借り大晦日に返済にくる。泉屋は百両を受け取るが、急用で呼ばれ百両を置いたまま部屋を出てしまう。帯久はその100両を懐に入れて帰ってしまった。後で気がついた泉屋だが、元は自分の不注意とあきらめてしまう。
帯久はその金を元手にして景品付きの商売を始めるがこれが大当たり。対して泉屋は身内に不幸や不祥事が続き、火事で店が丸焼けとなり。かつての奉公人の武平の家でやっかいなってはや10年。与兵衛はもう一度武平に泉屋の看板を上げさせたくて帯久に会って元手を借りようとするが、断られた挙句眉間を割られて店から追い出されてしまう。あまりに悔しさに与兵衛は帯久宅の裏に火をつけるが直ぐに決し止められてしまう。帯久から放火の訴えで与兵衛は捕まり、奉行所のお白州へ引き出され、大坂西町奉行の松平大隅守のお裁きを受ける。
奉行は配下の者を使って予め今までの経緯を調べさせていたので、帯久に10年前に泉屋宅から持ち帰った100両をここで返金せよと迫る。記憶にないと言い張る帯久に、奉行は人指し指と中指を紙で巻いて張り付け判を押す。「これは物を思い出すまじないで、封印を破る時は家は撤収、所払い申しつけるぞ」と言い渡す。帯久は紙が破れればえらいことになるというので、飯も食えず、風呂にも入れず、眠ることも出来ず音を上げて出頭して、奉行に100両を返すと申し出る。
帯久に100両を返させた奉行は、「10年間の利息としてあと100両を出すよう命じる。帯久は持ちあわせの50両を差し出しお、残りの50両は年賦で与兵衛に返すと約束し、仔細を書類にさせた。
奉行は、泉屋与兵衛に対して放火の罪で火あぶりに処すが、刑は泉屋が残金50両を受け取った暁に行うと宣告する。慌てた帯久は、それなの残金50両をと訴えるが奉行は却下。
奉行「泉屋与兵衛、そちは今何歳になる」
泉屋「61でございます」
奉行「61とは本卦(本家)じゃな」
泉屋「いえ、別家に居候しております」
でサゲ。
数ある奉行の裁きの中でもこれぞ名裁き。何しろ泉屋が放火したことは事実だし、従って死刑は免れぬ。そこで奉行は、50年間という借金の返済期間を設けて実質的に無罪としたのだ。
吉坊は持ち前の丁寧な語りで、フルバージョンの長講を演じきった。絶望的な状況の中でも嘗ての奉公人のために泉屋の暖簾の再興を図る与兵衛の心情や、狡猾な帯久を諫め与兵衛に手を差し伸べる番頭の姿が描かれていた。

吉坊『七福神』
仲入り前が押していたので5分でと。
寝ている亭主を起こした女房、一服している亭主に夢の話をせがむと、七福神が揃った夢を見たという。処が名前を並べると一福足りない。足りないのは亭主が一服(一福)吸ってしまったから。
小噺風にまとめた。

一之輔『浜野矩随』
このネタ、5代目三遊亭圓楽の十八番で、時に涙しながら演じていた。当代の圓楽も人情噺として演じている。
私はどうもこの手のお涙頂戴なネタは苦手なのだ。第一、たった3日間で下手が名人になるというのは絵空事に思えてしまい感情移入ができない。
一之輔は、矩随が精魂込めて観音像を彫り、骨董屋の若狭屋甚兵衛から褒められる場面を過度な思い入れを排し、客観視して演じた様に見えた。それでいて、この噺のツボは押さえている。
随所に浜野矩随が彫った失敗作の「河童狸」の彫刻を登場させ、最後は若狭屋が田舎者に「浜野矩随が製作した初期の問題作」として高値で売り付けてサゲた。
これはもう完全な一之輔版『浜野矩随』である。

 

2020/01/14

「笑福亭たま 独演会」(2020/1/13)

「笑福亭たま日本橋劇場独演会」
日時:2020年1月13日(月・祝)13時
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・立川幸七『手紙無筆』
桂鷹治『初天神』
笑福亭たま『時うどん』
笑福亭笑子『スタンダップコメディ』
笑福亭たま『ベッパーラッパー』
~仲入り~
三遊亭円丈『悲しみは埼玉に向けて』
笑福亭たま『松曳き』

夫「おい! 古くて使い物にならないものをいつまで取っておくんだ!」
妻「だから、あんたと一緒にいるのよ」
我が家で実際にあった会話です。

「笑福亭たま日本橋劇場独演会」、前座、二ツ目、ゲストが2人、それに本人が3席という腹一杯の構成。

鷹治『初天神』
初見。芸協の二ツ目で師匠は文治。噺家らしい風貌で口調がはっきりしている。楽しみな存在になりそうだ。

たま『時うどん』
マクラで前日の北海道の公演について熱く語っていたが、地方の落語会の主催者と噺家との関係は難しい問題があるようだ。
続いて入船亭遊京(たまの後輩にあたる)の入門時のエピソード、これが大爆笑もの。やはり子どもが噺家になるなんて言い出すと、親は心配になるんだね。
ネタの『時うどん』、東京の『時そば』と違って最初の晩は二人連れで、翌晩は一人となる。この翌晩のうどんを食う客の描写が見せ所だが、たまの高座では客を見るうどん屋のリアクションによって、客の可笑しさを増幅させた。怪談でお化けそのものより、恐怖に陥る人間を描くことによりお化けの恐ろしさを伝える、あの手法だ。このネタを初めて面白いと思った。

笑子『スタンダップコメディ』
初見。師匠はパペット落語でお馴染みの笑福亭鶴笑。
腹話術で、手足を使うのと人形に色々な仕掛けをしているのがミソ。海外各地で公演しているようで、近くはオーストラリアで活躍していたとのこと。芸はなかなかのもんだが、ネタはあまり面白いとは思えなかった。

たま『ベッパーラッパー』
昨年亡くなった桂三金の創作にたまが手を入れてアレンジしたもの。
古典の『くっしゃみ講釈』の講釈師をDJのMC(なんのコッチャ)に置き換えたもので、胡椒を買う店をコンビニの「サークルK」にしている。胡椒の連想はピンクレディの「ペッパー警部」で、男が胡椒を思い出すのにピンクレディのヒット曲を片っ端から歌う。
山場の、憎き相手のMCに胡椒を振りかける場面では、レディーガガの「ポーカーフェイス」の曲に合わせて歌い踊る。このタイトルを「能面」として日本語に直した歌詞を紙に書いて、曲に合わせて紙芝居の様に1枚1枚引き抜きながら歌うサービス付き。
会場は大受けで、この辺りがたまの人気の所以だろう。

円丈『悲しみは埼玉に向けて』
代表作の一つで、北千住駅から新栃木駅に向かう東武伊勢崎線や、日光線、日比谷線などの電車内と沿線のエピソードを自虐的に語るもの。
ただ、最近の円丈は前にメモが書かれた台を置き、それを見ながら進行させるので、何とも噺の運びが悪い。メモを見落とすと筋が行ったり来たりになることもあり、本人やファンの方には申し訳ないが、そろそろ退け時ではなかろうか。

たま『松曳き』
未だネタが完全に入っていないと思われるのと、前半に飛ばし過ぎた反動で疲れがあったのか、小さな言い間違えやいい淀みが散見されていた。そのためこの噺のリズムの乗り切らぬ憾みがあり、あまり良い出来ではなかった。

2020/01/13

「究極のバレ噺Ⅱ」(2020/1/12)

「究極のバレ噺Ⅱ」
日時:2020年1月12日(日)13時
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
桂こう治『浮世床』
古今亭志ん吉『紙入れ』
桂福團治『熊五郎奇譚+ペケペン落語』
~仲入り~
桂九雀『いもりの黒焼』
東京ボーイズ『お色気メロディー』
瀧川鯉昇『ふたなり』

「バレ噺」、「艶笑噺」ともいい、要は色っぽい、放送はもとより普段の寄席でも高座にかかることが少ないネタを集めたもの。
昨年の第1回が満員だったため、主催者が2回目を企画したら、今回も満員となった。
あんたもスキねぇー!
それはともかく、桂福團治と桂九雀が初見なので、それを目当て。

志ん吉『紙入れ』
このネタは普段の寄席でもお馴染みだが、どちらかと言うと中堅からベテランが演じることが多く、二ツ目が演じるのは珍しい。
志ん吉は器用なので何を演じても上手いので、このネタも間男する女房の色っぽさを強調して演じてみせた。

福團治『熊五郎奇譚+ペケペン落語』
略歴
1960年 - 3代目桂春團治に入門。一春(かずはる)と名乗る。
1966年 - 5代目桂小春と改名。その後、演芸ブームと共に「ペケペン落語」で売り出す。
1973年10月 - 4代目福團治を襲名(2代目桂枝雀・5代目笑福亭枝鶴・福團治のトリプル襲名)。
1975年 - ATG製作の映画『鬼の詩』に主演。
以降、手話落語に取り組む。
芸歴60年で、上方落語家では最古参。
修行時代の厳しい師匠のしつけから、若手の頃に「ペケペン落語」で売り出し。映画『鬼の詩』の主演が話題になって仕事が一気に増えたが一時期声が出なくなり、手話落語を始めた。
今は封印している「ペケペン落語」(小噺の間に人形浄瑠璃の三味線の合いの手を真似てペケペンと入れる)をいくつか披露してネタに。
仲間が集まって自分の女房の秘所を貝に例えていたが、一人の男だけは未だ女房の秘所を見た事がないから分からないと言う。仲間から「今すぐ見てきて報告しろと」せかされた男は自宅に戻り女房の頼む。嫌がる女房は、それなら盥に水を張りその上に自分が裾を捲ってしゃがむから、水鏡で観察しなさいと言う。この会話の一部始終を立ち聞きした熊五郎が松の木の枝に上がって、真下の盥を観察して喜んでいた。一方、女房は亭主に「あんた見えた?」と訊くと、「まるで熊五郎の顔やったな」でサゲ。
これぞバレ噺で、福團治の粋な高座を楽しんだ。

九雀『いもりの黒焼』
登場するだけで場内が明るくなる。
ある男、どうやったら女にもてるようになるか隠居に相談すると、いもりの黒焼きのオスとメスの2種類を買ってきて、オスは自分に、メスを相手の女にかけると、その女が惚れるようになると言う。
男は早速いもりの黒焼きを買、にgって、オスのものは自分に振りかけ、メスは評判の米屋の娘に振りかけえようとしたら、誤って近くの米俵にかけてしまった。いきなり米俵が男に向かって転がってきて、逃げ回る男をどこまでも追いかけてくる。隠居の家に助けを求めるが、米俵は家の中まで入ってくる。どうした?と訊く隠居に、男は「飯米に追われてまんのやがな」でサゲ。
「飯米に追われる」は、貧乏でその日の米代にも追われるという意味。
とにかく楽しい高座だった。
最初の隠居がもてる男の条件として、「一見栄、二男、三金、四芸、五精、六おぼこ、七ゼリフ、八力、九胆、十評判」を挙げているので、ご参考までに。

東京ボーイズ『お色気メロディー』
お馴染みの替え歌で際どい歌詞のオンパレード。なかでも童謡や唱歌を繋ぎ合わせるとアブナイ歌詞になるというのはお見事。
昔の宴会というと、こういう「猥歌」が盛んに唄われたものだが、近ごろは何かと五月蠅くなって聞く機会が無くなったね。

鯉昇『ふたなり』
これも艶笑噺だが、たまに寄席にもかかる。
人間が死ぬと「男は死体(したい)」「女は遺体(痛い)」とマクラを振ってネタに。
ある村で若い者二人が村の顔役の所に、女郎屋に居続けて年貢の10両を使いこんでしまったのでこのまま夜逃げするしかないと相談にくる。顔役は、それなら自分が隣村の知り合いに10両を借りてくるから待つ様に言って家を出て途中の栴檀の森に差しかかると、暗闇から若い娘に声がかかる。事情を聞くと、男と道ならぬ仲になり子どもを身ごもってしまった。二人で駆け落ちしたが男が気が変わって逃げてしまい、こうなったら死ぬしかないと遺書も書いていた。顔役は娘に死んではいけないと諭すが、娘が10両の金を懐にしているのを知ると急に態度が変わり、やはり死んだ方が良いと言い出す。娘が死に方が分からないと言うと、それなら松の木にこうぶら下がってと首括りの説明をするうちに、本当に首を吊って息絶えてしまう。その凄惨な姿を見た娘の気が変わり、10両の金を元に人生をやり直す決意を固め、首吊りの懐に不要になった遺書を入れて立ち去ってしまう。
いつまでも戻ってこない顔役を心配した若い者二人が栴檀の森に捜しにいくと、なんと首を吊って死んでいるのを発見する。直ちに役人を呼んで検分を開始すると、何やら懐から遺書が出てくる。役人が読みあげてみると、
「『一度はままよ二度三度、重ねてみれば情けなや。ついにお腹に子を宿し…』な、何じゃこれは?」「こりゃこの親爺はふたなりか?」
「いいえ。宵に出たなりでございます。」でサゲ。
艶笑噺というよりは、人間の業が描かれた名作だと思う。
鯉昇の高座は、顔役と娘の心理変化を巧みに表現して好演。

2020/01/12

能『八島』ほか(2020/1/11)

・解説・能楽あんない 「八島のいくさを語り継ぐ」
佐伯真一(青山学院大学教授)

・狂言/和泉流『酢薑 (すはじかみ)』 
シテ/髙澤祐介
アド/前田晃一

・能/宝生流『八島 (やしま)』
前シテ・漁翁 後シテ・源義経/今井泰行
ツレ・男/亀井雄二
ワキ・旅僧/村山弘
アイ・浦人/三宅近成
笛/槻宅聡
小鼓/住駒匡彦
大鼓/大倉正之助

「平家物語」ほど古典芸能の世界で採り上げられたテーマは他にないだろう。過去の2か月を振り返っても人形浄瑠璃『一谷嫩軍記』や京舞『梓』は平家物語を題材にしたものだ。
今回は能『八島』、正確には屋島だが、古典芸能の世界では八島とされるケースが多いらしい。
今回の公演では冒頭に佐伯真一氏の解説があり、これがとても分かり易かった。
平家物語では源平の主な合戦は、一の谷、屋島、壇之浦っとなっているが、この中で源氏が決定的な勝利のきっかけとなったのが屋島の戦だった。
一の谷で追われた平家が屋島に陣を構え反撃の機会をうかがっていたが、守りは北側の瀬戸内海向けに固めていた。処が義経は南側の阿波から上陸し、浅瀬を渡って屋島の南側から騎馬で攻撃してきた。
軍勢にでは圧倒的に勝る平家だったが、安徳天皇やその側近(女性が多かった)の身を守るのが第一と船で海に逃げてしまう。屋島に上がった義経の軍は天皇の御所を焼き払ってしまったたため、平家は屋島に戻れず海上を漂う結果となってしまった。この形勢にみた豪族たちは一斉に平家を離れ源氏についてしまう。
従って屋島の戦では大きな戦闘はなく、平家の有力な公達からの死者はいなかった。源氏方の主な死者は佐藤継信のみ。
こうした大きな戦が無かったためか、いわばサイドストーリー的なエピソードに溢れる結果になった。
馬上の義経が誤って弓を落とし、それを拾おうとして部下に諫められる「弓流し」。これも義経が小柄だったため弓も短かった。もし平家側に弓を拾われれば義経が小柄だったことが分かり、それは武士のプライドに係るから弓に拘った。
平家の武将・悪七兵衛景清と源氏の武将三保谷四郎との「錣引(しころびき)」や、この舞台では披露されなかったが那須与一の「扇の的」もこの屋島の戦の物語だ。

能『八島』は、現世の戦いを描いた「修羅能」の傑作とされ、義経の亡霊が八島の合戦の模様を語り舞う所が最大の見所だった。シテと笛、鼓とが競い合うように激しくぶつかり合う舞は迫力十分。
それも単なる勝者としてではなく、前半の終わりの「春の夜の 潮の満つる暁ならば  修羅の時になるべし」や、終曲の「春の夜の波より明けて 敵と見えしは群れ居る鴎 鬨の声と聞こえしは 浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の 朝嵐とぞなりにける」は胸に迫る。

狂言『酢薑』は、酢売りと薑(生姜)売りが品名を詠み込んでの秀句(しゃれ)合戦を繰り広げるというものだったが、あまり面白いとは思わなかった。

2020/01/09

「実名」の公表が、個人のプライバシー権や名誉権を侵害したとされる「条件」

前回、10年前に書いた記事に事件の実名を記したことが、その個人のプライバシー権や名誉権を侵害したとされ、記事の削除に至ったことを報告した。
ブログやSNS等で事件や事故に関するテーマをとり上げた記事を書く際に、実名を書くケースが少なくない。むろん記事そのものが虚偽あるいは不正確だった場合は問題だが、事実であっても実名を書かれた個人から権利侵害という理由から記事の削除が求められたり、プロバイダーの判断で一方的に記事が削除されたり、あるいは最悪の場合は係争に至ることもあり得るだろう。
今回、プロバイダーより送られてきた「送信防止措置」によれば、権利侵害にあたる条件は以下の様だ。

先ず前提として最高裁の判例では次の様にされている。
「前科及び犯罪履歴(以下「前科等」という)は、人の名誉、信用にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」

さらに、ある者の前科等にかかわる事実を実名で公表したことが不法行為を構成するか否かの条件として下記の点をあげている。
なお、文中で「本件」としているのは、削除要請のあったブログの当該記事の記述をさす。
①事件後の生活状況について
本件の場合、本人は事件後に懲役8年の実刑判決を受け、当該刑事処分を受け、出所している。受刑後もなんらトラブルを起こさず、公職や役員にも就かず、一介の市民として生活している。
従って、現在において本人の実名を公開し続ける必要性は認められない。
②事件それ自体の歴史的又は社会的な意義
本件に係る事件から9年以上が過ぎ、現在では事件としては風化している。また本件の公訴時効7年を過ぎており、事件の歴史的又は社会的な意義が消失している。
③当事者の重要性
本人は本件事件の重要な当事者ではなく(主犯ではないという意味かと思う)、従って当事者としての重要性は認められず、事件発生後9年以上を経た現在において実名を公開する必要性は認められない。
④社会的活動及び影響力
本人は全く公的立場にあらず、無名の一市民に過ぎない。また、特筆すべき社会的活動や情報発信を何ら行っておらず、社会的影響力は認められない。
⑤著作物の目的、性格等
本件事件に関する記述は別の著作物から引用したものであり、既に刑事処分がなされ、9年以上が経過した過去の事件について、本人の実名を記すべき必要性は認められない。

2020/01/08

プロバイダーからの要請に基づき、タイトル”その「ローソン・チケット」が不便なのだ”の記事を削除します

プロバイダーより当方宛に「送信防止措置に係る意見照会書」が届いた。
内容は2010年6月2日付”その「ローソン・チケット」が不便なのだ”の記事により、個人のプライバシーが侵害されているので削除して欲しいという内容だ。
当該記事はローソン・チケットの発行手続きが他のチケットサービスに比べ煩雑(現在は改善されている)という内容だが、記事の中で「ローソンエンターメディア」をめぐる会社法違反(特別背任)について触れていて、容疑者としてY氏を実名で記していた。
その後、Y氏は本事件で実刑判決を受け、出所してから普通の生活を送っているとのこと。従って実名を公開し続ける意味はなく、過去の判例に照らしても個人のプライバシー権と名誉権を侵害しているので速やかに削除して欲しいというものだ。

10年前の記事についてこうした要請が来たことに戸惑いはある。記事の内容には誤りがないのだが、実名が残されている点が問題視された。
当方に過失はないが、プロバイダーからの要請は過去の判例に照らし妥当なものと判断し、当該記事を削除する。

なお、ブログやSNS等で事件について発信したり記事を書いたりする方も多いと思うが、本件の様に過去の出来事で事実であっても、こうした削除要請が来る可能性があると思われるので、参考までに紹介した次第。

2020/01/07

新春国立名人会(2020/1/6)

「新春国立名人会」
日時:2020年1月6日(月)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
太神楽曲芸協会『寿獅子』 
古今亭菊之丞『長短』
瀧川鯉昇『粗忽の釘』
桂竹丸『代脈』
おぼん・こぼん『漫才』
桂米助『猫と金魚』
―仲入り―
ナイツ『漫才』
入船亭扇遊『一目上り』
伊藤夢葉『奇術』
柳家権太楼『代書屋』

寄席の初席というのは顔見世で、持ち時間が極端に短く内容も乏しいのだが、国立は比較的中身があるので今年も落語の幕開けは「新春国立名人会」にした次第。高座の上手には鏡餅と角樽が置かれ、獅子舞と共に正月の雰囲気だ。
顔ぶれは落語協会と芸術協会から各4名、漫才協会から1名という構成。

各人の演目については特に解説の必要はないだろうから省略するが、落協と芸協の差の大きさが目立った。落協の4名は短い持ち時間ながらもちゃんと1席にまとめて見せたが、芸協の方は鯉昇を別にすれば手抜きと言って良い。例えば米助、芸協の看板であるにも拘わらず10年1日のごとく長嶋と「晩ごはん」のエピソードだ。全く進歩がない。米助も竹丸もそれぞれネタを演じたが、いずれも3-5分程度でサワリをちょいと披露しただけ。
そこいくと落協の菊之丞、扇遊、権太楼はネタをきちんと演じてみせた。ただ権太楼の『代書屋』は、トリを除いた寄席での当たる確率は80%位で、些か飽きてきたね。
漫才のおぼん・こぼんとナイツだが、97歳で現役最高齢芸人である内海桂子の話題が完全にかぶってしまった。
まあ、初席はこんなもんかな。

2020/01/03

万葉集・千一夜・目が点

月刊誌「図書」2019年12月号に面白い記事が載っているので、いくつか紹介したい。

「万葉集」
万葉集は明治時代に国民的歌集としての文学的位置を確立したことは夙に知られている。例えば俳人正岡子規は
「紀貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
と古今集をこきおろし、万葉集を賛美してる。
随分と乱暴な評価をくだしたものだ。
こうした子規の主張には裏があって、明治政府は新時代の天皇親政のモデルを、日本の過去の政治形態に求めた。ところが平安時代は摂関政治の藤原氏が、鎌倉時代以降は武家の幕府が政治を担ってきた。天皇親政は聖武天皇の奈良時代まで遡らねばならなかった。
子規はそれと足並みを揃えるように平安時代の古今和歌集をけなし、奈良時代の万葉集を褒めたたえた。
子規にとっては、それが文学の世界で新国家建設の役に立つ「有為の人」となることだった。
以上は、俳人の長谷川櫂の見解だ。
こうして見ていくと、昭和の軍国主義時代に万葉集が利用されたのもうなずける。

「千一夜物語」
アラビアン・ナイトの別名で知られる千一夜物語は、妻の不貞から女性を憎悪するようになった王シャフリヤールが新しい妻を娶っては翌日処刑するという理不尽な行為を繰り返していた。こうした女性たちを救うべく立ち上がったのが賢女シェヘラザードだった。彼女は毎夜、王に面白い話を聞かせ、それを常に「惜しい切れ場」で終わらせる。王は続きが聞きたくて彼女を生かしているうちに王が改心するというもの。
これだけ有名な物語であるにも拘わらず、今から12世紀前に作られたという千一夜物語の原典は誰も見たことがなく、写本でさえ今では散り散りになってしまい、翻訳書のみが残されているという。
なかでも有名なのが「ガラン版 千一夜物語」で、フランス人のアントワーヌ・ガランによって18世紀初頭にイスラム社会から持ち帰ったものを編纂、翻訳した最初の翻訳本だ。
ところが作家の深緑野分によると、定番ともいえる「アラジンと魔法のランプ」「アリババと四十人の盗賊」「シンドバード航海記」のいずれもが原典には収録されておらず、ガランが出版する際に他の物語と一緒に混ぜて出版したものだという。
これはビックリ。
アリババモもアラジンもシンドバードも登場しないアラビアン・ナイトなんて、あまり面白くなさそうだけど。

「目が点」
目が点、という言い方はかなり一般的になっていて、最新の「広辞苑」にも載ったそうだ。「誰が最初に言い出したのか?」という問いに対して、編纂者によれば「1970年代の終わり頃に、歌手のさだまさしの周辺で使われていた」との見解だったという。
そこで、当のさだまさしが経緯を書いている。
言い出しっぺは、当時さだのコンサートのギタリストだった福田幾太郎だったという。漫画家のどおくまん作の「嗚呼‼花の応援団」の主人公、青田赤道が言葉を失って絶句する時に、目が小さな点で描かれるを面白がり、「目が点々になっている」と表したのが、仲間内の流行語になった。これをコンサートの楽屋で聞いた笑福亭鶴瓶が面白がって、彼から芸人の間に拡り、1980年代には世間でも流行語になったという。
こうした新語が、最初に誰が言い出しどのように広まったのかが明白になるというのは珍しい事だと思う。
先のアラビアン・ナイトのエピソードには、私も「目が点」。

2020/01/01

ゴーン with the Wind

カルロス・ゴーンは「風と共に去りぬ(Gone with the Wind)」
新年、最初のギャグです。

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